2009年2月20日金曜日
現状認識と実践、ビジョンに向けて――高校野球部同期会から
「競争が短期的に混乱をもたらすことは、第一部でもふれたが、談合がこのような状況で何かの役割を果たしうるとしたら、それなりに存在意義がある。仕事が少ないときに、首を切るよりも少ない仕事を分け合うのは、短期的な混乱を避けるためには有効な方法であろう。しかし、このような役割を果たすためには、現在の談合の仕組みは問題がある。「荒天に弱い」談合は、第三者の介入を招き、構造的な汚職を生み出すばかりで、必要な調整機能を十分には果たさない。また、談合は、「共存共栄」という言葉がしばしば使われるように、「現状維持」を目標とする傾向にある。短期的に摩擦を避けるのならばともかく、そうした状況でも中・長期的にみて必要な構造的調整への橋渡しが果たせなければ、市場での競争に対比できる調整の仕組みとしては不完全である。」(武田晴人著『談合の経済学』集英社)
高校時代の野球部同期生で会おうということになって、伊香保温泉にいってくる。ちょうど街路樹の剪定作業で、水を吸いあげていない固い小枝に鋏をいれていたものだから、右手が相当しびれてきている。冬場はもういつもこうだ。夜は痛みで寝付かれない。この職業病には湯治もいいかもしれんと、温泉につかった後はあんまさんに指圧もしてもらった。
野球の思い出話や他愛のない話をはじめながらも、やはりというか、運動部あがりといえど群馬のエリート校出の皆だから、私ぐらいの年齢だと、すでに会社でも重要なポジションについていたり、経営者にもなったりしているものもいるから、今回の金融危機をめぐる話が中心になった。…ラグビー部にいた○○は、リーマンつぶれて無職になったけど、数十億円の個人資産を持ってるぜ。最近オーナーになってる競走馬がG1で優勝したそうだよ。AIGに勤めているライトの守備についていたものは、政府の管轄下にはいったそんな会社と今どき取引する客もないから、暇だという。いま転職のオファーがいくつかきているけど、どこに身売りされるか見守ってから考えることになるな。地銀に勤務しているキャプテンは、他領域の取引拡大のために新しく派遣されてきた支店長のいびりに耐えかね、この俺でさえドクターストップがかかって2週間も休むことになったんだぜ。弱者の気持ちがわかるようになった点ではいい機会だったけど、そんなときにこんな事態がおきて、リストラされるかとおもったよ。そして市役所に勤めているピッチャーのものに、公務員はいいよな、となるのだった。
しかしやはり、一番危機的に大変なのは、サードを守っていた製造業の社長なようだった。ちょうど消費量が統計的に増大する、12月のクリスマス商戦にあわせて5月から生産してきたものをこれから船で出荷、というときに起きたのだった。100人いた従業員を50人に減らした。コンデンサという部品だが、一定的にはBRICS向けの生産だけど、たとえばブラジルとかの携帯電話じゃ機能がしゃべるだけに限られてるから、部品数が少なくて利益がでないんだ。そして派遣は駄目とかになると、外国との競争に勝てない。東南アジアの労働者は未熟だとかいうけど、そんなのは嘘だよ。これまでは家電と自動車工場との繁忙期のずれが、派遣労働者の移動を可能にしたセフティーネットになっていたけど、同時につぶれた。だけど派遣が悪いんじゃない、たしかに経理上彼らは人件費じゃなくて消耗品の項目で処理されるけど、問題はそんなんじゃないんだ。中間の搾取者がわるいんだ。あいつらはむかしのヤクザでもしないピンはね率でもうけてベンツ乗り回している。その分を保険とかのセフティーネットに貯蓄していればいいのに。郵政の民営化だって、やりっぱなしで、それからのことを考えてなかったじゃないか? 縦につぶしたものをこんどはどう横につなげるのかも考えていなくてはいけない。大臣は任期がきてすぐやめるから、党でそういうことを持続的に考えてもらいたい。選挙では地方の利害がらみの得票活動になっても、実際には国策的にやらないともたないよ。いったい構造改革ってなんだったんだ? 派遣村の村長はしっかりしてるみたいだから、俺は連合をつぶすぐらいのことをしてもらいたいよ。正社員の既得権が問題になるんだから。農業だって、いまは工場で農産物ができるし、山でフグも作れる。しかしいまの制度では外国のプランテーションに対抗できないから商売にならない。JAをつぶすぐらいのことをしなくちゃだめだ。地方の問題にしても、群馬は北関東州の州庁になるかもしれないのに、高崎と前橋で利害争いして議論中断して、じゃんけんで決めればいんじゃないか?……と、一度官僚をふくめた既得権益世界(閨閥)を切るために、政権が自民党から民主党に移行し、のちに政策的に結合した新しい政党が出来ていくことが、ほぼみなの望む方向のようらしかった。
で、私は何を望むだろう? いい高校いい大学をでていい企業にはいっていくという国家官僚路線からドロップアウトした私は? たしかにいま、土建業という利権の世界に住んでいるとしても。フリーターの自己責任? 正社員より時給がいいから派遣社員を選んで、寮を追い出されたときの所持金が数百円、そんな奴らを基準に社会福祉を考えていいのか? と野球部同期会でも議論された。しかし、Japan as No.1のバブル期に、これが世界一の暮らしかと馬鹿ばかしく自ら椅子とりゲームから降りたホームレスな競争回避な行為に、国家的なビジョンの萌芽がないのだろうか? 実際、そんな世界に散ったフリーター世代から、NGOや職人たちの無名的な活動が芽をだしはじめているようにもおもう。国家は、まずそんな自らの戦後が生んだ個人を支援すべきところに教育や予算を含めた方向性を定めるべきだ。日本政府は結果論的に、イラクで斬首された香田証生氏とアフガンで銃殺されたペシャワール会の伊藤和也氏を区別した。しかし彼らと、ワールド・サッカーの現役競争から辞退した中田英寿氏をもその国家的なビジョン=論理を明確に手にするためにも区別すべきでない。それが、やるときはささいなこと(利害対立や思想上の差異)にこだわらない、<実践的>ということではないだろうか? つまり、何をという目的(内容・結果)というより、どんな立場(論理・過程・文脈・態度)でやるのか? 幸い、日本はそれをラディカルに支援する憲法9条を保持している。それは、国家(官僚)がだめならば自ら銃を持って引きずり下ろすことを保証したアメリカの開拓精神=憲法と同様、積極的な市民の力なのではなかろうか?