2009年6月24日水曜日
サッカー日本代表の発言と思想ジャーナリズムの言説
『「止めて、蹴る」
当たり前のことだけど、それができない人はプロにも多い。
俺は、中学の時、この練習を徹底的にやらされた。当時は、「なんで、今さら」って思っていたし、基本なんてイヤでイヤで仕方がなかったけど、今、思えばそれが自分の技術の軸になっている。…(略)…基本は、上のレベルに行くほど忘れられがちだ。でも、上のレベルに行けば行くほど大事になる。相手のプレッシャーが速くなればなるほど、「止めて、蹴る」は、より一層難しくなるからね。』(遠藤保仁著『自然体』)
「好きな選手は誰になるんですか?」と、部活サッカー経験のある若い職人にきかれて、「加地とか遠藤になるかな」と、私が答えると、「そりゃずいぶん日本人的な選択ですね」といわれたことがある。なるほど、地味な彼らの名をだすことが「日本人」として形容受容される思考が、別に知識人でもない一般のサポーターにあるのだな、とその返答でおもった。別に好き嫌いというより、自分ではどんな選手になりそうか、自分にあった好みでは、と考えて答えたわけだけど、たしかにヨーロッパのクラブチームに高額で取引されるヒーロータイプの選手には本当は興味がもてないな、と再確認させられる。むしろ私は、そうしたエリートチームを、どうやっていびって嫌な試合をしててこずらせるか、勝ちにもっていくか、を考えていくゲリラ的趣向のほうが好きなのだろう。自分がしていた高校野球も、推薦ではいれた野球エリート高校よりも、進学普通高を選んだのには、そんな性向が働いたのを覚えている。となると、「日本人」とは、『太平記』で一番ポピュラーな人気者であった楠正成のような性向で、その文化的な趣味判断がなおサッカーサポーター世界の中でも生きている、ということだろうか? 遠藤選手などは、「職人」とも横断幕がはられたりしているようだ。そして実際、彼の意表をついた浮き球のスルーパスや、世界屈指のキーパーを食ったようなコロコロペナルティーキックなど、日本酒のような味がある、といおうか。弱いものが強い者をぎゃふんといわせてすっきりする、いわば判官びいきのような嗜好が背後にあるのだ。
その遠藤選手が、「今の代表は『すごくまとまりあがって確実に強くなっている』と前掲書で述べている。今回のワールドカップ出場を決めたカタール戦直後のインタビューでも、キャプテンの中沢選手が、「誰がキャプテンになってもおかしくない、突出した個人がいないことがいい方向にまとまっている、それがいまのチームのよさになっている」、というような発言をしている。私には、前回のジーコ路線、そして中田英寿選手のような個人がいた代表チーム時代との比較的発言、とおもわれてしまうが、サッカージャーナリズムの世界でも、岡田ジャパンがやはり組織的サッカーというチームワークを日本流ととらえ返して、前オシム監督のサッカーとも一線をかした鍛錬で戦っている、と宣伝しているところからも、やはり監督選手はじめ、自覚的な方法意識なのだろう、とおもう。そしてたしかに、日本サッカーのレベルは、前よりもは「確実に強く」なっているのだろう。しかし、遠藤選手が先の引用でつづけて、「しかし、W杯本番では、まとまっているチームが勝てるのかと言えば、そうではない。バラバラでも個々の能力が高ければ勝ててしまうのが、サッカーの面白いところだ」と付け加え、中沢選手の返答も、「強い個人がいないのがいいこと、というのではなくて、今のチームではそれがいいように機能している」と付言してもいたように、世界のレベルからみたら、「強い」とは正直いえないだろう。いわば進歩はしている、しかし強くはなっていない。だいたい、そんな素早く数十年の開きを埋めて強くなれるわけがない。ただW杯は予選リーグ戦を抜ければトーナメントだ。一発勝負は何が起こるかわからない。リーグ戦で十中八九負ける実力差があっても、勝てる確率を最初にだす集中力があれば、勝ちぬけていくチャンスはある。去年だったか、甲子園で普通高の佐賀商がエリート強敵チームを凌いで優勝したように、本人たちが掲げたW杯ベスト4は可能なのだとおもう。というか、それを目指すこと自体に空々しさを感じさせない、「伝統」というのが培われてきているのだ。野次馬評論家のように、欧米のチームと比較し、ないものねだりで日本を批判否定してみせるのは簡単であると同時に、何もみていず何も育てていないことになると私はおもう。私は、初出場したW杯で、足を骨折していた中山選手の倒れこむようなゴールを覚えている。あの一点が、アルファでありオメガであるくらい重要だったのだ。あそこで一点もとれないで日本に帰ってきていたら、負け癖のようなものがついてしまって、その現状からそうは簡単に脱出できなくなっていただろう。私が子どものころ、創立したばかりの少年野球クラブは、私が高学年になったときには地域でも一番上手な選手がそろっているチームになっていたけれど、なぜかいつも予選の決勝で負けて県大会に出場できなかった。が、その同じメンバーが中学にはいると、なぜかもう負ける気がしない。そして実際、予選負けなど決してしないし、県大会でも決勝へと自然なように進んでしまう。その野球部は、県でも一番の優勝数と大会出場数を誇るところだった。メンバーはほとんと小学校時代と同じなのにどうしてこうも気分が違うのか、それは不思議なことだった。が、それが「伝統」というものなのだ、と今にしておもう。中山選手の必死な一本が、世界で闘う伝統の一歩になったのだとおもう。
ところで日本の思想ジャーナリズム界でも、サッカー界の個人から集団へ、という重心の移行が表明顕著になってきている。それは政治経済的には、自己責任の小泉構造改革路線から、その新自由主義的なゆきすぎが日本の共同体を破壊してしまった、それではいけない、という反動路線が前面になってきているのと平行している。ちょうど日本サッカー代表がジーコにひきいられていたとき、「単独者」の連帯を説いた日本思想界のドンともいわれた人の最近のインタビューでは、こう言明されている。
柄谷 単独者というのは、共同体に背を向けて内部に閉じこもった個人という意味ではないですよ。しかし、そのように受けとられたように思います。文学にはそういうイメージがあるのです。それは必ずしも悪いことではないですよ。共同体のなかにべったりと生きている個人は単独者ではありえないから。共同体から一度離れた個人でなければ、他者と連帯できない。だから、そのような孤立の面を強調する傾向があったと思います。
ただ、そういう考え方がだんだん通用しなくなった。それに気づいたのは、一九九○年代ですね。というのは、この時期に、それまであったさまざまな共同体、中間団体のようなものが一斉に解体されるか、牙を抜かれてしまったからです。総評から、創価学会、部落解放同盟にいたるまで。企業ももはや終身雇用の共同体ではなくなった。共同体は、各所で消滅していた。
では、個人はどうなったか。共同体の消滅とともに、共同体に対して自立するような個人もいなくなる。まったく私的であるか、アトム(原子)化した個人だけが残った。こういう個人は、公共的な場には出てこない。もちろん、彼らは選挙に投票するでしょうし、2チャンネルに意見を書き込むでしょう。しかし、たとえば、街頭でのデモで意見を表明するようなことはしない。欧米だけでなく、隣の韓国でも、デモは多い。日本にはありません。イラク戦争の時でも、沖縄をのぞいて、デモはほとんどなかった。
そこで、いろいろ考えたのですが、個人というものは、一定の集団の中で形成されるのだ、という、ある意味では当たり前の事柄に想定したのです。ただ、それがどういう集団であるかが大事です。……(略)……前にもいいましたが、一九九○年代に、日本のなかから中間勢力・中間団体が消滅しました。国労、創価学会、部落解放同盟……。教授会自治をもった大学もそうですね。このような中間勢力はどのようにしてつぶされたか。メディアのキャンペーンで一斉に非難されたのです。封建的で、不合理、非効率的だ、これでは海外との競争に勝てない、と。小泉の言葉でいえば、「守旧勢力」です。これに抵抗することは難しかった。実際、大学教授会は古くさい。国鉄はサービスがひどい。解放同盟は糾弾闘争で悪名高い。たしかに批判されるべき面がある。これを擁護するのは、難しいのです。
しかし、中間勢力とは一般にこういうものだというべきです。たとえば、モンテスキューは、民主主義を保障する中間勢力を、貴族と教会に見出したわけですが、両方ともひどいものです。だから、フランス革命で、このような勢力がつぶされたのも当然です。こうした中間勢力を擁護するには難しい。だから、一斉に非難されると、つぶされてしまう。その結果、専制に抵抗する集団がなくなってしまう。……(略)……だから、アソシエーションを創ること。それがとくに日本では大事なんだと思います。個人(単独者)はその中で鍛えられるのです。日本ではもう共同体がないのだから、もうそれを恐れる必要がない。自発的に創ればよいわけです。多くの国ではそうはいかないですよ。部族が強いし、宗派も強い。エスニック組織も強い。それらが国家よりも強くなっている。ネーションができないほどです。逆に、日本では、もっと「社会」を強くする必要がありますね。そして、それは不可能ではない、と思います。(『柄谷行人 政治を語る』図書新聞)
ムラ社会を批判してきた柄谷氏は、もう日本にはムラ(共同体)はないのだから新しく作ればよい、という。ゆえに「伝統」とは言わない、それが生起するのは、「自然の狡知」であって、「抑圧されたものの回帰」という精神性をもった人間にとっては必要的な反復構造なんだ、と説くだろう。ムラの伝統と理解するのが右翼で、ムラの生起を自然現象とみるのが左翼で、そして後者には、そのムラ(人)の連帯を自然発生的とみなすアナーキズム(大衆路線)と、意志組織的に形成していこうとするマルクス主義(知識エリート路線)とに大別されるのかもしれない。「あなたはどちらが好きですか?」ときかれたら、私はエリートではなく、それをいじめるほうが性に合うだろうけど、右なのだか左なのだかはよくわからない。しかし、欧米の先進民主主義国と比較していうのならば、遠藤選手や中沢選手が留保したように、「社会(チーム)」を強くしていく、現状的には、「バラバラでも」勝ちにいく局面を打開していくのは「個人」であろうとおもう。そして、オシム前監督は、現岡田監督の戦術に、朝日新聞のインタビューで、こう付言していたとおもう――フォワードに背の小さな選手をもってくるのは無謀だ、ヨーロッパのバックの身長は2メートル以上ある、それは戦車にオートバイで闘っていくようなもので、無理なものは無理なんだ、と。サムライジャパンというのか、大和魂というのかは知らないが、かつての無謀な日本の軍隊のように、強迫反復的な作戦で一丸となって世界と戦う、というのはやめにする、ということは日本人として肝に命じていなければならないことだと思う。私の印象では、昨今の日本のサッカーおよび思想ジャーナリズムの世界には、現場で闘っている選手やオシム前監督のような冷静な分析力が欠けていて、現状にワンタッチでパス交換してしまうような安易な反応があるようにみえる。しかし遠藤選手や、これまた中沢選手もW杯決定後に発言していたことだが、「止めて、蹴る」という基本的な動作を守ることが大切だ。植木職人でならば、高木の上でも緊張にびびらず、低木を切っているのと同じ所作を繰り返すことができなければならない。思想でいえば、それはイデオロギー批判ということになる。プレッシャーの強い現場に出会うと、人は普段はきちんと植木に日の光を当てて育てているのに、そこでは日の光という言葉をあびせることでやりすごしてしまいがちなのだ。小さな問題ではそうはしないのに、大きな問題になると、言葉でごまかし、ごまかされてしまうということだ。知識人が共同体を壊せだの、創れだの、どこか得たいの知れない場所で言っていようと、それがきちんと言葉にすぎないものとして対処すること、……そういう認識を現在の日本サッカー代表選手が獲得していることは、評論家が日本の悪口をなんといおうと、列記としてわれわれが手に入れた確実さなのだ。
*関連エセーを、another worldの「広場」に投稿しました。
2009年6月6日土曜日
覚悟とゲーム、子育てから
「重要なのは、北朝鮮問題ではなく、そこのところの覚悟なんですね。私たちが核を持った新しい帝国主義の時代に入った場合の覚悟を持てるかどうかです。そのとき私たちも、世界全体を破滅させる能力を持つことになります。その責任に耐える覚悟を持たなくてはなりません。
そういう「究極のカード」を持つなかで、人類はどうやって生き残っていくか――これを考えるのが、私たちに課せられた使命だと思います。だからこそ、核の帝国主義時代を迎えるまえに、国家情報戦略の重要性がいっそう声高に叫ばれなければならないのです。」(『国家情報戦略』佐藤優・高永喆著 講談社α新書)
息子の一希がはじめての家出を敢行する。夕ご飯まえにおもちゃを片付けて、と母親からいわれていざこざになり、なおそのまま遊びつつけるので「もうイヤだから出てって」と叱られてこらえ涙を溢れだした。食卓に座ってビールを飲んでいた私は「こりゃでていくな」と思ったらほんとに立ち上がってドアを開けていった。「さがすのは無理だろうな」とおもっていると、しばらくして心配になった女房が探しにいくが、みつからない。おそらく行き先は、3キロほど都心にむかった知り合いの老夫婦のアパートだろう。外は雨だ。私は、最近補助車をはずしてあげたばかりの自転車でいっていないかと心配だった。まだよろよろしていて、坂道で転ぶのだ。近所はメイン道路へでる自動車の抜け道になっている。二回さがしにいってもみつからないので女房もその老夫婦のところへ電話をかける。と、ちょうどいまピンポンがなって到着したと。一度やったことは、二度も三度もでてくるだろうな、と私は思いながらも、腰の重かった自分のことを反省した。ただ、ひたすら座ってビールを飲んでいる間、苛立ちはつのるばかりだった。子供が積み木やそのほかのガラクタで作ったピタゴラスイッチ(ビー球を転がせる坂道装置)を、夕食を作っているときは褒めていたのに、飯ができあがると片付けてと叱り始めるのは不可解な論理展開ではないだろうか? そこには、飛躍があるのだから、説明もせずに叱るのは、子供をなお情緒的な反抗に慣習づけるだけだ。これじゃ論理力などいくら意識的に教育しても、まず無意識の生活としてご破産になるから無理だろう。しかしならば、父親は、母と子の感情的ないがみ合いに、どこでどう介入すべきなのか? とりあえず、二人の喧嘩を無視する、と重い腰をあげなかったのだが、二度それをつづけてはできないだろう。一希は無事着いたろうか? 親ライオンは子供を崖から突き落とすというが、ライオンが偉いのは、はいあがってこれなかった子供はそのまま死んでもかまわないと覚悟していることだ。子供は死を想像しにくいから、大人の言うことを間に受けてあっちの世界へ越境しやすいだろう。女房にそんな覚悟ができているわけもなく、もちろん自分の腰が重いのも、動物的な倫理からしたことではなく、知的判断不足と、ニヒリズムと、怠け癖からきていることだろう。とりあえず、子供の自転車には鍵をつけておこう。……
老夫婦のところへ歩いて(走って)行ったとわかったならば、今度は私が迎えにいかなくてはならない。外は雨だから、自動車でいくことになる。女房は精神的にまいって隣の部屋で寝込んでいる。腹が減った。このまま老夫婦のところへお邪魔すると、自分も子供といっしょに夕ご飯をご馳走になって帰ってくる、ということになりかねない。私が黙ったまま相変わらずビールを飲んでいると、やおら女房起き出して、夕飯を並べ始めた。
いざ老夫婦のアパートの前に立って、では息子とどう対応したらよいかと考える。叱るべきなのかなだめるべきなのか……子供の目をみてから決めることにする。一希は、老父の膝のなかに腰掛けている。向こうも、私の出方や本意をさぐっている目の表情だ。ゆえにお互いがさぐりあいになっているので、なんだか儀礼的なやりとりにはじまる。まあこれはいきなり叱ってはだめだろう……私は、核実験を再開した北朝鮮と世界との駆け引きのやり様を連想した。自分の子供と、カードゲームなどという駆け引きならぬ賭けごとなどできるものじゃない。本当に死んでしまったらどうなるのだ? 冗談が、本気になるのだ。北朝鮮も、本当にやることに追い込まれたら? 冗談(ゲーム)ではすまない。ならば、どうしたらいいのだろうか? 一希は、老父から、隣に座った私のところへ擦り寄ってくる。それを迎え入れながら叱りながら、という両義的な対応になってくる。しかしこれは、その場でのしのぎにしかならないだろう。……そんなことがあった日から数日後、一希は幼稚園から小鳥の図鑑を借りてきた。そして僕もインコを飼いたい、という。あっ、これだな、と私はおもう。兄弟がいないから、対等な逃げ口、相談になる相手がいないのだ。ペットを飼うことは、孤立から逃れる技術的な方策かもしれない。じゃあさっそく買いにいこうかな、と私がのると、女房が待ったをかける。いやだ、と。じゃあ今日は見に行くだけで、いっちゃんの誕生日のプレゼントにしよう、と仲介案をだすが、一希がいやだ、いますぐ、とごね出す。……なんともまあ、難しい外交である。