2010年4月12日月曜日

文学から庭、そして森へのパラダイム

「小熊 おっしゃる通り、豊かな経済大国日本が貧しい従軍慰安婦を搾取しているという言い方に対して、それより俺たちプレカリアートのほうが恵まれていない、という言い方が出てきちゃったということに対しては、やっぱりマジョリティーは恵まれているから問題がないんだという形で処置してきた問題というのが、ここに来て噴き出してきてしまったというときに、今現在どういう語り方をするかというのは、非常に難しい問題になってますね。…(略)…しかも、その出方というのが、昔だったら、「貧乏で汚い朝鮮人帰れ」みたいな言い方だったかもしれないのが、現在は、「在日は日本の行政から与えられた特権を持っているから」という言い方になってきているというのは、非常に興味深いですね。つまり、われわれの側のほうが恵まれてないと。

高橋 だから、貧しい、少数派の日本人が豊かなマイノリティーを攻撃するという構図になってきたわけですね。誰もそんな立場を見たことがなかったので、絶句してしまう。

小熊 まあ、実際に豊かなのかどうかは別問題として、でも、やっぱりナチスが出てきたときってそうですからね。超インフレ下の当時のドイツで、ユダヤ人は金持ちでけしからんという言い方をしてね。…(略)…豊かさの中の精神的貧しさという言い方が、何年か前まではいちばんいい表現形態だったんでしょうけれども、もうその言い方は今現在は不適切になってしまった。ただ、単純に『蟹工船』の時代に戻ったのかということになると、貧乏だけで語られるものではないと思います。とりあえず食えることは食えているが、剥奪感が大きいということですから。」(『文学界』2010.5月号 小熊英二×高橋源一郎「1968から2010へ」)

これら研究者と作家の対談からも、私がこれまでのテーマパークで提出してきた問題が共有されていることがわかる。この現状認識から、では次にどうするか、「新しいパラダイムをどう提示していくか」、という問題提起で両者の対談は締めくくられるのだが、同月の『群像』という文芸誌でも、学者兼批評家の蓮見重彦氏と作家の阿部和重氏の対談で、認識から小説の形式(フォルム)という切り口から言及されていた。小説家とは、その認識内容(素材)の事実性以上に、それをどう扱うかの形式にこそ現実性を残余させてしまうものなのだと。つまり政治的な言い回しでは、それをそうさせていく枠組み(パラダイム)、制度の方から、という話になるだろうか? このテーマパークの前回からの言葉で言えば、個人よりもまず共同体の形成をという内田氏の提言や、その共同体運動への国連という自然史的制度の意義といった柄谷氏の言述ということになるだろう。あるいは建築界でも、最近は建築家という個人の力量よりも、地域としての建築を作っていくという、認識のシフト転換をめざす雑誌特集も組まれているようだ。では、文学あがりの植木屋さんである私は、どうだろうか? と自問してみる。

<――近ごろのお母さんお父さんは自分の子さえ良ければいいというのが増えています。運動会なんかでも自分の子だけビデオで撮ってる人が多くて。

 これは生物はみんなそうやけど、自分の子が良く育つには、いい群れの中でなければ育たないんです。まわりの子が良くならなくて自分の子だけ良く育つということはあらへん。…(略)…最近、樹木医というのがおってね、古い木を診断して、あれこれやって治す、もたせるということやって、古い木を大切にするのもええことなんやけど、あれで本当に木が丈夫になるとは私には思えない。延命治療のようなことをやっても、やはり木には寿命があるのです。どうせ古い木は枯れる。だから森林を永続させるには若木を植え育てないといけないわけですね。人間もそう。その努力が足りないんじゃないかな。子どもは大人みたいに票を持ってないし、ゲートボール場つくってくれと集団で陳情したりしないしねぇ。それは大人がしてやるべきことやと思いますよ。それもきれいなととのった公園じゃなく、広い荒地の方が子供も遊びやすいのだから。(『森の人 四出井綱英の九十年』森まゆみ著 晶文社)>

庭木の手入れにしても、その技術が、「木を切ってはならない、かつ切らなくてはならない」という自然と人間との二律背反的な現実への解法として読みえるとしても、あるいは、「にわ」という語意が、漁場や山という、自然と人間の境域に対する、日和(天気)見という切迫した空間の営みからきているとしても、その世界への切り口、考え方は、あまりにミクロ、つまり狭すぎる。四出井氏のように、造園的観点だけではなく、いやそれ以上に森林生態的観点が必要だ、というのが最近の私の考えである。どうせ勉強がだぶるのならと、仕事に必要な国土交通省の造園管理の資格よりも、ボランティアでしかいかせないような、農水省と環境省推奨の森林インストラクターの国家資格試験の勉強も開始している。植木への関心にしても、その庭木としの美醜という感性的視点からよりも、どう食えるか使えるかという、実用経済的な、そしてこれまでの山での具体的な知恵、に移行している。それはまた、経済的に豊かになったから里山(田園)で余暇と余生を、といった余裕ある態度によってではなく、土建業衰退の歴史のなかで反復させるサバイバルになってくる、はずだ。つまり将来の生活(仕事)は、ボランティアをとおってくる。そしてそれが、近代化や高度成長期で失われた「剥奪感」、心の充溢を再構築してこないだろうか? 家族や共同体とともに? ……とりあえずそうしたことが、いまの私のパラダイムへむけた実践活動である。