「今日の里山の多くは、うっそうと木が生い茂る森になっている。しかし、かつて里山は、うっそうと茂った森林では決してなく、伐採跡地や、草山(萱場、まぐさ場)がいたるところにあった。里山がこれほど豊かな自然の状態になったのは、有史以来ほとんどはじめての出来事だろう。人が自然と関わらなくなるという、いまだかつて体験したことがない時代に、里山は今後どう変化していくのだろうか。」(渡辺一夫著『イタヤカエデはなぜ自ら幹を枯らすのか』 築地書館)
さて森林インストラクターの勉強とはどんなものなのかな、と調べてみると、試験問題集はこっちの財団法人、参考書はあっちの社団法人と、素人目にはなんともおかしな区分けというか、利益分与がなされているのに、改めてうんざりする。造園管理技士(国土交通省)もそうだったが、ここでもこんな公益法人が、といった感じだ。もともと、こんな国家のペーパー試験に合格してみたところで、とても山で生活している人の経験には及ばないのだが、ともすると、民衆は国家資格のある人を信用してしまうかもしれない、というか、そういう誘導がなされてしまう、ということで、その制度自体が必要悪というものかもしれない。すでに経験豊富な無資格者が、それだけで信用がおけないと一目おかれなくなってしまう。行政刷新会議では、まだ対象にはなっていないようだが、ほんとうはなくても困らない資格制度なのではないか? とはいえ、官僚が把握した現実問題と、そこから掲げられた理念が間違っているというわけではないだろう。実践的には、国家官僚の天下り先確保など、下世話なことにしかつながらない制度枠組み下の活動にしかならないだろう、ということだ。しかも手遅れなあと知恵だ。森林ボランティアが、実際には地元民にいっそうのボランタリーなお世話を負担させてしまうのだと指摘する田中敦夫氏がいうように(『日本の森はなぜ危機なのか」平凡社新書)、森林問題の解決にも、「政治的手法から経済的手法に移行する」自覚ある態度が必要なのだろう。もし人が、生活の安定と成長を、つまり幸福をのぞむとするならば。
しかし、民活重視の経済的再生なり活性化が、山なり森なりと人間との健全な関係を回復するのだろうか? むしろその成功は、よりいっそうの息苦しさや逃げ場のなさを、つまり都市問題を拡散させていかせないだろうか? 都市の空気は自由にする、という言葉があるように、山も実は、幸福よりは自由のためにあった空間だったのではないだろうか? 都市の自由が勝者の行き場だったなら、山は敗者のそれであったかもしれない。かつて、サンカと呼ばれた放浪の山の民が、平家や源氏の落人だとかする説はきいたことはないけれど、人目を避けて日本列島の奥深い山を縦断していたという様には、そのような想像をひきおこさせる。明治以降の近代化の過程で、山をめぐる法体系もかわり、戦時中にはそのような住所不定の人々にも赤紙がいって徴兵されたという。もはや逃げる場所もないのだ。そしていまも、山や森は所有と国家の法体系によって囲繞されている。山から都市へと出てきた出稼ぎ労働者が、経済構造の再転換によってはじきだされ、公園の中にブルーシートを張って野宿をする。そしてそこからも追い出されるとしたら、どこにいけばよいのだろうか? 青い住まいが設けられるのは、そこでも芝生の広がりの中ではなく、木の下林の中にである。テントを地面につなげる用具は使い捨てられたビニール傘の取ってであったりするけれども、樹木が林立つし茂れる空間は、雨や日をさえぎってくれるだけではなく、生活に必要とされてくる用具の発明と発見の、つまり知恵を活性化させてくれる偶発的な事物の宝庫だからではないか? そしてそのひらめきの実践が、自由を実証実感させてくるのではないだろうか? 自分が生きていることの、生き生きとした生を。都市の幸福の中で、若い世代が沈潜していった虚脱と無気力、剥奪館とは、この生=自由のことだったのではないか?
<上原さんは、森での遊びが偶発的な状況の連続であること、それに即して子どもたちが遊びを生み出すこと、その中では子ども同士が相互に働きかける機会がとても多いことを主な理由として説明してくれた。
たとえば、幼い身に余る大きい落ち枝を扱おうとしたら、自分だけでは持てないので、誰かに手伝ってもらわなければならない。何をしたいのか、その意図を相手に理解してもらわなければならない。それが発話も他者への働きかけも促すことになる。そう説明されると、なるほど、と膝を打つように納得できた。森は、いつもの園のいつもの遊具、というほぼ固定された環境と比べると、突発的・偶発的な機会が爆発的に多い。というよりも、その連続と言っていい。自分が森ですごす場面を思いおこしてみて、上原さんの話は十分想像がついたからだ。>(浜田久美子著『森の力――育む、癒す、地域をつくる』 岩波新書)
たとえば、幼い身に余る大きい落ち枝を扱おうとしたら、自分だけでは持てないので、誰かに手伝ってもらわなければならない。何をしたいのか、その意図を相手に理解してもらわなければならない。それが発話も他者への働きかけも促すことになる。そう説明されると、なるほど、と膝を打つように納得できた。森は、いつもの園のいつもの遊具、というほぼ固定された環境と比べると、突発的・偶発的な機会が爆発的に多い。というよりも、その連続と言っていい。自分が森ですごす場面を思いおこしてみて、上原さんの話は十分想像がついたからだ。>(浜田久美子著『森の力――育む、癒す、地域をつくる』 岩波新書)
私が息子の一希を、田舎に連れ出して田植えをさせ、山に登らせるのは、子ども(人間)が本来的に持っているだろう、この生=自由の発動を維持反復させていかせるため、触れ始めたカードゲームや携帯ゲームのような遊びで抑制された都会っ子になることを防ぐため、そしてなによりも、サバイバルな感覚を植えつけておきたいからだ。子どもの頃、そのように山で育ったからといって、そのまま大人につながっていくような社会ではもはやないだろう。しかし、子供の頃、それが痕跡されていれば、苦境の中で、生きる力を自らの内に発見していく契機にはなるだろうと願っている。国家や資本が重箱の隅をほじくるように山の端まで掌握している世界で、縦横無尽な生きる力こそが、必要な出発点になってくるだろうと。