「都市の出現や国家や王、さらには文字の出現に文明の誕生をもとめる文明史観ではもはや二一世紀の人類の未来は切り開きえない状況に追い込まれつつある。さらに、現代文明の危機そのものが、じつは都市や王あるいは高等宗教や文字・金属器の出現に文明の誕生をもとめる文明概念から発しているといっても過言ではないのである。いま問われているのは、文明の価値観の転換であり、新しい文明概念の創造なのである。」(安田善憲著『縄文文明の環境』)
北朝鮮と韓国との間での砲撃事件と、石巻で殺傷事件を犯した当時18歳だった少年に対する死刑判決の報道が、ひきつづいてテレビニュースで流れた。それを見ていた七歳になったばかりの一希が、なんで戦争しているの、なんで死刑にするの? と聞いてくる。子供の「なんで」には答えられないので、韓国では「もう我慢できない」報復すべきだ、という国民の意見の高まりと、自分の子供が殺された親は犯人に死刑という復讐を望む人が多いのだ、という状況説明を付け加える。それでも、子供が怪訝な様子をしているので、人は戦争がしたいのだし、死刑もやったほうがいいとおもっているってことだよ、と率直に言い換えてみせる。「なんで?」と子供はまたきいてくる。「じゃあ、いっちゃんは、」とたとえ話をしてみせる。「いっちゃんが殺されたら、いっちゃんは、パパとママに犯人を殺してもらいたくおもうかい?」一希は首をふる。「殺さなくていいよ。」「じゃあどうする?」「ずっと牢屋にいる、というのはありかなあ……」
戦争も死刑も、何か根本的なところを取り違えた大人(権力者)の、思い込み的な思いやり(復讐)、ということで同じ態度、論理なのかもしれない。北朝鮮への拉致被害者の親の会の言動を見聞きしていても、拉致された当人(子供)がいきなり日本へ連れ戻されたり、親がそれを強烈に願う運動をしていることをどう思うだろうか? と考えてしまう。むしろ困惑するだろう、自分の人生が否定されたような気がするだろう、たとえ無理やり連れ去られたとしても、もう相応な月日がたっている、いや年月になど関係なく、子供は「復讐」など望んでいない。親(国民)の怒りは、もう取り違えなのだ。ならば、我々がまずすべきこと、試みることは、怒りを慎むこと、そして、あくまで親が子を見守るような態度を保とうとすることではないだろうか?
この根本にある取り違えに、最近流布するエコロジーだの、生物多様性だの、森の保全だの、といった言説態度が、有効になりえる論理たりえているのだろうか、と考える。それらはどうみても、経済的に調整させること、つまりあくまで根本はそのままで、利害がなければ人は動かないからそれに乗じることで以前より数値的にましになってくれれば儲けものだ、ということのように覗える。しかしそう考えること事態に取り違えがある、ということだろう。経済(利害)的なやりとりだけが、人の動機ではない、ということを子供たちは訴えているのだから。いやどうも、いわゆる世界史では常識な、世界四大の古代文明でさえ、すでにの取り違え、ということになってきつつあるらしい。100年後の世界史の教科書は、根本から刷新されてくる可能性さえあるようだ。冒頭および、以下の引用を参照。
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「しかしそれだけではなく、縄文人は農耕社会へ突入することを意識的にさけていたようなきらいさえある。富を貯蔵し、貧富の差を生み出し、その富を背景とした権力者が、貧しき人々を搾取するそのような社会に突入することをさけていたように思えるのである。」「一方、日本の縄文文明は、三000年前頃の気候の寒冷化のなか、大陸から稲作という生産様式に立脚した、まったく新しい文明システムを持った人々の渡来の中で終末をむかえた。しかし、その自然=人間循環系の文明原理は、その後の弥生時代から歴史時代に入っても受け継がれてきた。そして、高度経済成長期以前の日本の山村には、いまだ縄文時代以来の伝統が残存していた。トチモチやドングリ団子など縄文時代の人々が作ったのと同じ方法で作る食物まで残存していた。山村の人々の暮らしは、まさに自然と人間が季節を媒介として循環的に営まれた縄文時代の人々の暮らしの延長線上にあった。」(安田喜憲著『縄文文明の環境』 吉川弘文館)
「ラスラップのアマゾン「文明」の根本概念は「家の庭」仮説に象徴されている。「家の庭」仮説とは、古代アマゾン人が社会を建設する際に、アマゾンの自然を大規模に切り開いて開発するのではなく、緩やかに「半」人工化して自然と共生する方法を選んだというものである。半人工化にはさまざまな方法があるようだが、最も単純な方法は、原生林から生活に役に立ちそうな木、あるいは植物を住居の周りに移植して小規模な果樹園、菜園を造園することである。そこで自生の樹木、草木を人工的に栽培して、人間の手を入れて生活に役立つよう改善してゆくのである。この方法は現在のアマゾン先住民の間でも使われているが、自然の生態系を一部切り取って、小規模な人口生態系を創る試みである。一見日本の里山を思わせる発想であるが、ラスラップは、古代アマゾン人はアマゾンの自然を半人工化することで資源として活用し、環境的に永続できる文明社会を構想したと考えた。(実松克義著『アマゾン文明の研究』
「ラスラップのアマゾン「文明」の根本概念は「家の庭」仮説に象徴されている。「家の庭」仮説とは、古代アマゾン人が社会を建設する際に、アマゾンの自然を大規模に切り開いて開発するのではなく、緩やかに「半」人工化して自然と共生する方法を選んだというものである。半人工化にはさまざまな方法があるようだが、最も単純な方法は、原生林から生活に役に立ちそうな木、あるいは植物を住居の周りに移植して小規模な果樹園、菜園を造園することである。そこで自生の樹木、草木を人工的に栽培して、人間の手を入れて生活に役立つよう改善してゆくのである。この方法は現在のアマゾン先住民の間でも使われているが、自然の生態系を一部切り取って、小規模な人口生態系を創る試みである。一見日本の里山を思わせる発想であるが、ラスラップは、古代アマゾン人はアマゾンの自然を半人工化することで資源として活用し、環境的に永続できる文明社会を構想したと考えた。(実松克義著『アマゾン文明の研究』