2011年8月28日日曜日

「食べる」vs「食べない」を克服するために 2

昨日27日土曜日、東京は台東区でおこなわれた市民集会に参加してきた。主催は<核・原子力のない未来をめざす市民集会実行委員会>だそうで、その第二回目。講師として、元原子炉設計者の田中三彦氏、子供を被曝から守る福島ネットワークの中手聖一氏、京都大学原子炉実験所の小出裕章氏。前回ブログで、その小出氏が、「食べる」派の論理を訴えているのではないか、と私は示唆したが、ちょうどその集会での資料に、小出氏がチェルノブイリ事故後に書いた文章があった。(1989.1/12)。今回は、どうも生活クラブかなにかの冊子に寄稿したのだろうその「弱い人たちを踏台にした『幸せ』」と題し、「汚染された食べ物を誰が食べるのか」と副題されたその文章を引用・紹介してみることにする。市民集会の講演では、そうしたたぐいの話にはふれていなかったが、その短いエセーは、生活思想といったもので、全文紹介したくなるような話である。なお、その紹介あとに、東和町の菅野氏から購入した『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ)からも、私の心にふれたニ、三の記述を追加しておこう。 (引用中の/は、実際文章上では行変えを意味します。)

小出裕章氏………<残念ながら、チェルノブイリの事故は、すでに過去形で起ってしまいました。そして、そうであるかぎり、食糧が汚染することももう避けられません。従って、いま私たちに許されている選択は、汚染した食糧はいったい誰が食べるべきなのかというたった一つしかないのです。/日本はいま、世界一の金持ち国ですから、いざ本気になれば、それなりに汚染食糧を国内に入れないようにすることは可能です。でも、日本に入ってこなかったからといって、放射能で汚染した食糧がこの世からなくなってくれるわけではないのです。それは、他の誰かが食べさせられることになるだけです。>

<私的にことになりますが、私は一五年前から、連れ合いと二人で生活するようになりました。でも、この猛烈な差別・選別の競争社会の中で、『わが子』をもつということに強い抵抗を感じ、子供を作らずに長いあいだ二人で過ごしてきました。しかし、さまざまな葛藤の末に子供を作ることを決心し、五年前に太郎を、その後、次郎、三四郎と三人の子供を迎えました。彼らが私たちのところにやってきてから、私は改めて子供の個性の多様さ、そして面白さを知ることができました。(正直いうと、あまり面白すぎて、もう毎日へとへとです。)そして、どの子供もその多様さを尊重しながら、公平に個性を伸ばしたいと、ますます強く望むようになりました。/次郎は、生まれながらにいわゆる先天的な障害を背負って生れました。それは次郎の個性であり、それをただそのまま受け入れて、次郎とともに生きて行くことを私は切望しましたが、残念ながら、私たちが次郎の生命を守れたのはわずか半年しかありませんでした。/一人ひとりの子供たちは、自らの個性を選択して生れて来るわけではないのに、次郎の場合がそうであったように、生物体としての個性の面でも現実の社会はまことに過酷なものです。その上、私たちは、私たち自身に責任がある社会的な面での差別・選別を子供たちの上に何重にも重くのしかけています。>

<チェルノブイリ事故以降、私は自分自身の手で汚染の実態を調べてきましたし、放射能の恐ろしさについても、誰よりもよく知っているつもりです。私は、もちろん、放射能で汚れた食べ物を食べたくありません。しかし、日本という国は、原発を三六基も動かし、一人当たりでは世界平均の二倍以上のエネルギーを浪費している国です。そして、私自身はこのニ〇年、原子力利用に反対してきたとはいえ、いま現在、原子力の電気を利用するこの国に生活している事実を否定できません。また残念ながら、今の私には、日本が拒否した場合の汚染食料を貧しい国々に押しつけることを、具体的に阻止する力も方策もありません。そうであるかぎり、私には放射能で汚れた食べ物を自らが食べる以外の選択はできませんでした。/私は、チェルノブイリ事故以前から、スパゲッティはイタリア屋、チーズはヨーロッパ産を好んで食べました。事故以降、それらが汚染されていることをもちろん私は知っていますが、私はそれらを敢えて避けずに、食べ続けています。原子力を選択するとはどういうことなのかを自分の身体に刻み込むために、そして、その痛みを忘れないことによって一刻も早く原子力を廃絶させるために、私はその選択を続けたいと思っています。/もちろん、一人ひとりの選択は多様であるべきで、すべての人々に私と同じ選択を迫るつもりはありません。当然のことながら、日本の国内で汚染食糧をどう取り扱うかという問題も、とても大切な問題です。しかし、日本の国に汚染食糧を入れないように求めることだけは決定的に間違っていると私は思います。>

<私に手紙をくれた子供たちはどの子もとても深くものごとを考えています。そのすべてをこの紙面で紹介できないのが残念ですが、彼らが出し続けている学級通信にはこんなことも書いてありました。「ぼくたちは、今いろいろなことを考えようとしているけど、おとなになったら、今のおとなみたいに考えなくなるんじゃないかなあと思いました。」私は、全世界の子供たちに、そして原子力を選んだことに責任がない大人たちには、汚染食糧を食べさせたくありません。そのために日本の大人たちはいったい何をすべきなのか、そして何をしてはならないのか、皆さん一人ひとりにもう一度考えて欲しいと思っています。>

明峰哲夫氏(農業生物学研究室)………<「天国」では、人は自然の姿のうち自分に都合のよい部分だけ”つまみ食い”してきました。明るい、温かい、美しい、清い……。「故郷」では生きるためには、自然がみせるすべての姿をそのまま受け入れなければなりません。/人が自然と一体となって生きるには、自然は自分と不即不離の関係にあり、その不都合な部分だけを捨てることはできないという覚悟が必要です。自分の身体の一部が具合悪くなっても、それだけを捨てることができないように。/「3.11」により、土も海も汚染されてしまいました。人は、そこからひとまず退却しなければなりません。けれども、汚染が比較的軽微な周辺地域では、そこにとどまるという選択もあります。「邪悪」なものは徹底して「排除」するという感性は、私たちが「天国」で身につけてきたものです。「故郷」では、「邪悪」なるものも「受容」できる感性が必要です。/ここで大切なことは、何が「邪悪」なのか、「邪悪」をどの程度受け入れるべきかは、基本的にはその人の判断で決めるということです。「天国」では、その判断は政治家や科学者に委ねられていました。「故郷」では、その判断は一人ひとりの人間の選択として行われるのです。ここでもまた人は”胆力”とでもいうべき総合的な判断力と決断力が試されます。/「故郷」の再生。そのためには何よりも種子と、それを播く人が必要です。私たちはまた明日になれば、種子を播き続けなければならないのです。>(「天国はいらない、故郷を与えよ」)

秋山豊寛氏(ジャーナリスト・宇宙飛行士)………<利権集団は、機会さえあれば、自らの利益を拡大しようと狙っています。その集団は、国際的ネットワークに支えられています。今回のレベル7の原発事故にしても、このあと「焼け太り」を狙っているのは確実です。浜岡原発の一時停止などは、あとで二歩前進するための一歩後退にすぎません。「敵強ければ、すなわち退く」という昔ながらの兵法に従っただけ。ノドもとを過ぎて人びとが熱さを忘れるのを待っているのです。…(略)…最大の問題は「経済成長がなければ、豊かになれない」という認識です。現在の世界のシステムが、ほぼ、こうした認識を基本につくられているという意味で、この部分は強敵です。しかも、「成長にはエネルギーが不可欠」という言説が伴っています。/ここで問い直さねばならない基本的テーマが浮かんで来ます。/「私たちは、経済成長がなければ豊かになれないのか」/「豊かさ」を「どのように捉えるのか」は、ここ数十年、基本的な問いかけとして、ことあるごとに登場しました。「ものの消費に基づく経済の成長には限界がある」という問題が提起されたのは、1970年代初めでした。/その後、ソビエトの崩壊や中国の変化など地球表面での「市場」の拡大は続き、「成長の限界」は、まだ「臨界」に達するには余裕があるような空気が支配しています。「原発ルネッサンス」などという言説が隆盛を極めたのは、つい最近のこと。「脱原発」への道のりは、険しく、厳しいのです。/とはいっても、希望はあります。それは、人びとの気づきです。洗脳され、「それしかない」と汚染された脳を清浄化することです。さらに多くの人びとが真の豊かさに気づくことから、「脱原発」は始まるはずです。>

渥美京子氏(ジャーナリスト)………<電力だけでなく、東京の食を担ってきてくれた福島の大地。汚れてしまったから、汚染されていない土地の食べものを買って食べましょうという発想を、私は拒否したい。危険な原発を福島に押し付け、豊かさと便利さを享受してきた東京の人間は、大地の汚染をどう引き受けるかを考えなくてはいけない。もう子どもを産むことのない私は、福島の彼らが作ってくれたものを食べようと決めた。/だが、それは覚悟だけでできることではない。台所に立つたびに、容易なことではないと実感する。私には中学生の息子がいて、できるだけ汚染されていない大地で採れたものを食べさせたいと考えている。キュウリやトマトなら産地を分けて別の皿に盛ればいいが、ご飯はそうはいかない。炊飯釜が2つ必要になる。野菜の煮物は別々の材料を用いて、別々の鍋で作ることになる。/とんでもない手間がかかる。生活に即した実現可能な方法を考えなければ、日々の忙しさにかまけて覚悟倒れになりかねない。放射性物質を除去するための調理方法の研究や、免疫力を上げる食事の工夫も、これからの課題となるだろう。/悲しい現実ではあるが、放射能の時代を生きることになってしまった。現実を見据え、できるかぎりのことをしながら、前向きに生きるしかない。/これ以上、東北人を死なせてはいけない。そのためには、彼の地の恵みに育ててもらったおとなが責任を取るしかない。覚悟して食べるのだ。未来はその延長線上にのみ開かれる。>

*追記報告; 冒頭写真は、福島氏の街路樹。事故後、放射能対策として、新しく植え替えて、その下に、ひまわりを植えたのだろう。庁舎のまわりでは、平均して毎時1~2マイクロシーベルトだったが、排水溝にたまった松の枯葉近くでは、3マイクロを超えていた。

グループが測ってきた放射線量の主な地点のものを、以下にメモしておこう。単位はみなマイクロシーベルト毎時である。:いわき市夏井川河口0.2、ひろの町0.7、夏井川上流0.14、東和町0.3、山際町(福島第一より30km地点)1.68、浪江町(21km地点)9.1―――ちなみに、この10万円ちょっとするという線量計では(東和町で使用のものは100万円をこえるというものだった)、東京の練馬区東大泉近辺で0.1マイクロをこえ、私が住む中野区上高田の団地でも、似たようなものだった。子どもの遊ぶ砂場でも同じ。ただ、団地の建物内に入り風がふくと、その数値が0.13とあがるところが、やはり何かそこにある、というリアりティーを感じさせてきた。



2011年8月22日月曜日

「食べる」vs「食べない」を克服するために

「…まず見捨てられる地域と勝ち組の地域を分けようとする動きが出てくるのでは。分配するパイ、資源が減少する中、仕方ないじゃないかとね。米国では、保守派の草の根運動『ティーパーティー』がそう。現に明暗をはっきり分けるような首長や政治団体が地方の大都市に出てきている。それは日本をより分裂させていきます。」(姜尚中発言 2011.8/19 毎日新聞・夕刊)


昨日、福島県に入り、小名浜のほうからいわき市をとおり、郡山市をかすめ、第一原発事故現場より20km地点の川俣町、そして福島市をみてまわってきた。線量計をもって。グループの目的は、川俣町の隣にある二本松市は東和町のNPO団体「ゆうきの里東和」での農業取り組みの話しを聞き、東京は中野区で行ないたいグループの企画を説明しにいくためである。私はその予備運転手として参加させてもらうことになったのだ。けっこうな雨がふるなか、傘もささず、カッパもきず、20km近辺で立小便をしていると、線量計で放射能を測っていた人たちが、9マイクロシーベルトを超えた、と声をあげてくる。30km近辺では1.68ぐらいだったのが、それ以降の10kmで、どんどんあがっていったということになる。これはさずがに、雨に濡れたりするとやばいのかな、とおもいながら、傘をさすことにした。しかし、計測器の中の数値がかわっても、何もかわらないし、その変化を実感もできないのだから、奇妙な感じだ。恐怖心というより、変なの、と。しかし封鎖するおまわりさんと話して車をUターンさせて走りはじめると、胸が痛くなる感じになる。呑気なようでいて、内心にはストレスがかかっていたのだ。そこにずっといるということはどういうことか? 30km圏内の警戒区域では、ほとんどの民家に人影はない。田んぼ、車道脇、山では草や蔓が繁茂し、このまま1年ほうっておいたら、またもとにもどすには(放射能がなくとも)、何年もかかるだろう。
今の世論の動向はどうだろうか? 私はおおまかには、自己犠牲的に福島の野菜を食べてゆくようなみんな一つにの右側の人たちと、生命第一主義的な近代開明派の個人主義的な左側の人たち、とに分かれてきているようにおもう。いわば、「安全か、危険か」の二分である。しかしこの分裂は、イデオロギー的にあるだけではない。陸前高田市の松の薪をめぐって京都の町との間であったことが象徴しはじめているように、それは東日本と西日本とで分断しはじめているのだ。そのうち、福島の野菜を食べた人たちのウンコが問題になるかもしれない。それが下水を通して処理場にゆき、猛濃度汚泥として堆積していくのだと。そこまでいけば、稲藁だけでなく、東西での人との交流自体が忌避されていくのは時間の問題だ。私は原発事故発生当初、東日本が切り捨てられる形で日本が東西に分断されてゆく可能性がある、とこのブログでも書き、女房からおおげさな妄想だと一蹴されたが、現在の世論動向は、その潜在的であった現実を露呈していく方向に向っている。チェルノブイリ事故からの300km境界という一般的法則を確認するかのようにでてきた静岡県でのお茶っ葉問題から隠見し、岩手県の陸前高田市からもちあがってきた事態は、その顕在化の徴候であり症候なのだ。朝鮮半島が世界的な構造のなかで分断統治されているいように、いまや日本では、北朝鮮のような自己献身的な集団派の東日本と、韓国での口では統一といいながら本心ではどうか知れないような個人主義の西日本との分断、という内政状況になりつつある。世界基軸としてのアメリカ(ドル)の失墜からおこる次なる親分や信用構造を決めていくためのこれからの仁義なき世界大会のなかで、そうした分裂が、諸外国にとって有利に働いていくだろうのはいうまでもない。冒頭にあげた、在日の姜氏の洞察と見立ては、私の認識を妄想ではなく、後押ししていくものと読めた。では、安全か危険か、福島野菜を食うか食わないか、との二分法ではない、どんな実践があるというのか?
京都大学の研究所の小出氏の話は、どうも一般には放射能は「危険」という立場に立つことから「食べない」派のように受けとられている、あるいはそちら側の(教養ある)人たちに受け入れられているように見えるが(「食べる」側は知識教養のない無知な大衆、ともなっているようにみえる……)、私がネット上での発言を聞くかぎりでは、むしろ「食べる」側なように聞こえた。というか事故後出版された書籍では、そう「食べる」べきだと書いているのだそうだ。ラジオ発言などでは、そこらへんは意識的に曖昧にする、というか広範な知的大衆をおもんぱかって口ごもる、という感じだった。といってもこれは、「安全」だから「食べる」、ではない。「危険」でも「食べる」べきだ、ということと私には思えた。しかしそれゆえに、きちんと調べ、情報開示しよう、と。そういう話をきいてこれは具体的実践としてはどうなるということなのかな、と思い浮かんでくるのが、ダイエットのやり方だ、ということだった。商品に値段ラベルだけでなくカロリー表示がされていたりするように、ベクレル表示が印字され、カロリー計算しながら食生活を管理してゆくように、ベクレル計算しながら食品消費をコントロールしてゆくのだ。ここんとこはこれだけのベクレルの肉を食いすぎたから、今月は体を休ませるためにひかえておこう、とか。小出氏が具体的にどうイメージしているのかわからないが、私には話を聞きながらそんな生活が思い浮かんできたのである。それだけどうしょうもない、逃げられない、あとにはもどれない現実なのだと。しかし条件として、と小出氏は書いているのだそうだ。子供たちは巻き込まない。日本の農業をどうすべきか、を考えること、と。
NPO「ゆうきの里東和」では、高額をだして線量計やベクレル測定器を導入している。それだけでは数が足りない、だから時間がかかってしまう、と。理事菅野正寿氏は話す。……手入れをすればするほど放射線率は落ちてくるのです。隣の川俣町では背丈ほどの草でぼうぼうです。それではいつまでたってもそのままです。たしかに刈った草は、畑の脇におくだけだったり、中には深くすきこむことで処理したりする人もいます。できるだけ外にだすように指示してますが。しかしそれでも畑が除染され農作物の線量が落ちるのです。セシウムはアルカリ金属なので、堆肥をまぜれば作物への吸着がさがります。堆肥の放射能が問題となっていますが、家庭菜園ではまとめて使うとしても、畑ではばら撒いて使う程度なのです。農作物のなかにはカリウムがはいっていて、その自然放射線の量も計測されてしまうのですが、それと同等くらいまで落ちるのです。それでも入っていないものが入っている、だから食べないという人たちもいるでしょう。それは消費者の判断に任せます。しかし新聞などが、根菜類は移行係数が高くて放射能物資が多く含まれやすい、などとチェルノブイリでの研究論文かなにかをひっぱってきて書くと、すごい影響がでます。しかし実際に測ってみると、そんなことはないのです。たぶん、チェルノブイリと東和では、土が違うのでしょう。そういう学者もいます。3月25日に政府のほうから種まき中止令がでて、4月12日に解除されました。作っても売れないのじゃ作らないという声もありました。だけどお願いして、種をまきました。そのとき作っていなかったら、いまは売るものがなかったかもしれません。売り上げも、9割ぐらい回復してきました。しかし、福島県ぜんたいでは、3割程度に落ち込んでいるのです。――『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ)でも「次代のために里山の再生を」と書いている菅野氏の話の表情は、物静かだったが、悲壮を押し殺し悔しさが滲み出て来るようにみえた。「じいちゃんばあちゃんと、孫の食卓が別々なんです。」「心の除染も必要なんです。」
東和町のような取り組みは、福島県でもまれなようだ。しかし2年成功が続けば、他の地区も後追いするだろう(しかし高額な線量計やベクレルモニターをそろえるだけでも大規模な支援が必要になる)。しかしまた、自営業的な方々が、数年もちこたえる、というのは大変なことである。そしてここ数年で、世界経済の情勢は激変するだろう。戦時中のように、農家へモノをもって食い物と交換してもらう、放射能入りでも、という時代がくるかもしれない。そのとき、単なる個人主義者のいやしさと、狂乱的な集団主義者のあさましさとが陰険な対立をはじめるのかもしれない。そうはならないためにも、われわれ日本人は、中庸の実践を模索しなくてはならない。世界に開かれた形で。むしろ次なる世界へのヘゲモニー争いで、負けないように、われわれの思想を呈示し率先していけるように。

2011年8月13日土曜日

科学・社会・人間

「…それは数学基礎論といって、非常に専門的技巧を要するのですが、その仮定を少しづつ変えていったのです。そうしたら一方が他方になってしまった。それは知的には矛盾しない。だが、いくら矛盾しないと聞かされても、矛盾するとしか思えない。だから、各数学者の感情の満足ということなしには、数学は存在しえない。知性のなかだけで厳然として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気になれない。こんな二つの仮定をともに許した数学は、普通人にはやる気がしない。だから感情ぬきでは、学問といえども成立しえない。」「…それはアイシュタインが光の存在を否定しましたから。それにもかかわらず直線というふうなものがあると仮定していろいろやっていますね。物理の根底に光があるなら、ユークリッド幾何に似たようなものを考えて、近似的に実験できますから、物理公理体系ですが、光というものがないとしますと、これは超越的な公理体系、実験することのできない公理体系ですね。それが基礎になっていたら、物理学が知的に独立しているとは言えません。…(略)…何しろいまの理論物理学のようなものが実在するということを信じさせる最大のものは、原子爆弾と水素爆弾をつくれたということでしょうが、あれは破壊なんです。ところが、破壊というものは、いろいろな仮説それ自体がまったく正しくなくても、それに頼ってやってたほうが幾分利益があればできるものです。もし建設が一つでもできるというなら認めてもよいのですが、建設は何もしていない。しているのは破壊と機械的操作だけなんです。だから、いま考えられるような理論物理があると仮定させるものは破壊であって建設じゃない。破壊だったら、相似的な学説があればできるのです。建設をやって見せてもらわなければ、論より証拠とは言えないのです。」(『対話 人間の建設』岡潔・小林秀雄著 新潮社)



書店にいくと、原発事故後、それに関連した色々な書籍が山積みされてある。といっても、そうした現象も東京など大都市圏だけで見られることなのかもしれないが。そうしてあったなかのひとつ、スチュアート・ブランド著『Whole Earth Discipline 地球の論点』(仙名紀訳 英治出版)を手にしてみた。かつて、アート系のグループに参加して、その作者の'68年の名著『Whole Earth Catalog』と類したものを作ろうというプロジェクトに関わったことがあったので、そのタイトルからこれはなんだろう、とおもったのである。読んでみて、びっくりした。原書がフクシマ原発事故の数年前に書かれたものということもあるが、ゆえになおさら、それ以前の原発推進派の論の立て方がこういうものかと知って。日本で翻訳出版されたのは事故後であるのだが、訳者はあとがきではそのことに敢えてなのかまったくふれない。……「本書の魅力は、人類が直面している難問に多面的に取り組み、その解決を図ろうという壮大な発想と、取り組み方を克明に分析しているところにある。彼がとくに力を入れているのは、「原発」「遺伝子組み換え」「地球工学」など、一般的にはタブー視されていることだ。その根源には、気候変動がもたらす危機感がある。彼は「反核」から「親核」に変節するのだが、そのぶれを告白して恥じない。」と、その作者のカリスマ性を強調するのみである。しかし、当人個人の魅力のことなほぼ全く知らない門外漢の者がこれを読むと、その現代の先端実用科学を評価していくこの言論を、もうどう受けとめていいのか、頭が混乱、思考停止になるばかりである。おそらくフクシマ以前に読んだのなら、この混乱はなかっただろう。それぐらい、フクシマ以前と以後とでは、思考の在り方を変えてしまう何かが起きた、ということなのか? 訳者が言及しないのも、できない、ということなのか? 作者本人がフクシマの原発事故に関し、どう対応しているのかは知らない。ただ、作者が評価して説き、日本での実行にも言及してみせる核燃料リサイクルや高速増殖炉の技術に関する箇所などを読むと、作者が本当に調べて書いているのかさえ、疑問におもえてくる。事故後、われわれ凡人でもが知ってしまったひとつには、そうした政府権力側の説くリサイクル美談が、実はすでにして実際的に破綻し、いくつもの事故を起こしており、ほんとうに実践してしまったら恐ろしいだろう、ということがある。そしてその程度のことは、ちょっと調べればわかってしまうはずのことなのだが、本書のように楽観的なのはどうしてなのか、凡人には不可解になるのである。そしてそのいま誰の目にも明らかになった一事が、なお凡人には無知なままの、「遺伝子組み換え」や「地球工学」といった分野での作者の意見をも、疑わしく覚えさせてしまう。それとも、フランスのジャック・アタリ氏が説くように、フクシマの事故は自然災害と東電のミスであって、原子力技術自体には問題がない、ということだろうか?(日本人が原子力を扱うにしては無能だとしても、もっと無能かもしれない人間が手に取るかもしれない、という人間的現実は考慮する必要がない、ということだろうか?) 本書では、放射能の閾値に関しての議論にも言及がある。どうも低線量でも用心する<予防原則>という考え方はヨーロッパのものであって、しかもそれは医学的態度、というより、哲学的に前提とするべき基本態度、としてあるようだ、ということが知れる。ビル・ゲイツやロックフェラーの活動を肯定的に紹介する作者が、むしり低線量は体にいいのだ、と受け入れるアメリカ側のそれ、と見て取れる。となると、哲学の背景には政治・経済的利害関係があるとするのが一般だとする教養にたてば、この両者の背後には、ロスチャイルドvsロックフェラーという2大勢力の争いがあるのか、ゆえに作者は原発推進側の資料しか受け入れていなのか、そう操作されているということなのか、とも勘ぐりたくなってしまう。

一昨日、原発批判の映画監督・鎌仲ひとみ氏と、福島県で活動している小児科医の山田真氏との講演・対談をきいた。鼻血や下痢をする子供の症状を放射能と結びつけて発言するのには慎重になるべきだと山田氏は説きながら、現在福島県で一番問題なのは、医学的な真実いかんよりは、社会的な差別なのだ、と指摘する。「東京の山谷地区と似てきているんです」という。大阪の釜ヶ先はいつのまにかその地域に入ってしまうような地続きだが、東京の山谷は隔離されて別世界だ。そしてその別世界で、人々がマスクをせず普通に生活している。おそらくマスクをしないのは、ここが普通だとおもいたい意識のゆえなのではないか、と言う。放射能が危ないとか、避難したほうがいいとかは、現地では口にできない。そんなことをいうのは郷土のことをおもっていないからだ、と戦時中の日本での非国民のような雰囲気があるのだ。地産地消ということで、学校の給食もみな福島県産だ。そうしたことに疑問を述べる教師は、いま次から次へと強制退職させられている。鎌仲氏も、阿蘇山で福島県の子供たちを受け入れてキャンプをしている知人の話しとして、その子供たちが、「俺たちは死ぬんだ」「結婚して子供をうむことはできない」、ともらすという。それは被曝で差別された広島の人々と同じだと。まず本当のことを知り、危険でもたくましく生きていくことが可能だ、という広島の人たちの話しを福島で設ける企画をやろうかと考えているという鎌仲氏に対し、山田氏は「だからそれは、安全神話を説く人たちと同じことに…」「いや安全じゃないけど生きていける……」、そう二人が口ごもる場面もみられた。実際、鎌仲氏のアイデアは、氏がボケとして批判する山下教授の、自身が被爆者でもあるだろう長崎出身者の説法と似てくるのである。真実(科学)はわからない。数年後からしても、その症状が放射能が原因かどうかわからない、となお議論延々となるようなのだから、それはわかるわからない、という科学の問題ではなく、社会の問題なのだろう。だからそれは、いわゆる科学に依拠しない、社会的、人間的態度として、その対処を考えていかなくてはならない。が、それは簡単明解なことなのではないだろうか? 思いやりをもつこと、単にそれだけではないのだろうか? 権力側が思いやりを持つ、とはどういうことだろうか?

お盆明けに、また支援団体の運転手役として、こんどは福島県にゆくことになった。自分で作った作物を放射能検査しなくてはならない農家をまわって、その話しをきき、バザーへの仕入れをする活動だそうだ。「まず福島県にいってください」と山田氏は説く。人との交流じたいが、そこを隔離差別することから防ぐだろう。