「憲法を改正して交戦権を回復し対外的に日本の国家主権を示すことでこそ平和は維持し得るというのはひとつの正論ではある。しかし、「政治上」の細かな議論はおいて「人文上」から観るとどうだろう。この正論は、相対的平和の中で「近代生活」を湯水のごとく享受しながら平和を主張することとどこが違うのか。これもやはり、どこかの国でどんな戦争、どんな紛争があろうと自国だけは「近代生活」を享受できる相対的平和を手放したくない、保持していたいという以上のことを主張していないのではないか。それこそが、概して、平和維持という、口当たりいい言葉の本心ではないのか。/ 問題にしたいのは、「人文上の権利」だ。「政治上の権利」ではない。憲法以前の人文だ。憲法以後の政治ではない。右の正論では「政治上の権利」が理詰めで問われているだけで「人文上の権利」が問われていないのではないか。「近代生活」を拒否していないと不満に思うのではない。「近代生活」を拒否しなくてもいい。ただ、「近代生活」を拒否するのに払わねばならないのと同じくらいの代償がそこで支払われていないのではないかと疑問に思うのだ。この代償を支払うつもりのないままに自衛権が問題いされ、平和の維持が言われてはいないか。じっさい、憲法を改正して交戦権を回復せよと今日言う誰がそれだけの犠牲と代償を自分で引き受けるつもりでそう言っているのか。」
「「憲法にうたわれているような平和と自衛を実現するためには、「近代生活」を犠牲にするのと同程度の代償は支払う覚悟が要るということだ。その代償を払うつもりがあるのかないのか。口先だけの議論でなく実際に何かをしようというのであれば、平和のために何をどうするにせよ、この問いは憲法以前のどこかで必ず問われる。憲法九条に記されていることを本気で活かしたいのであれば、条文や成立経緯をめぐる苦しい窮屈なディベートを自らに強いるべきではない。憲法以前のところで為しているべきことがあるのだ。そこで問題になるのは「人文上の権利」である。」(「人文上の権利」 山城むつみ著『連続する問題』所収 幻戯書房)
子供への虐待が、震災・原発災害地域で増加していると、児童相談上へあげられてくる件数からはっきりしてきたという。そこには、夫婦喧嘩を子供が見ることで受ける障害症状といったものもはいってくるという。直接な被災地とはいえない東京の一家庭でもその統計結果に肯けてしまう現状があるのだから、現地は深刻にちがいない。しかしその夫婦喧嘩、家庭内で発生してしまう根本を探っていくと、上で引用した山城氏の指摘する問題に突き当たらざるを得ない、とわかってくると私は思う。いわば、「近代生活」への未練が、すでに否が応でもその放棄という代償をしはらわされようとしている被災者の方々に葛藤を引き起こしてしまう。これは、酷な言い方だろうか?
福島県には、「近代生活」的なあり方を嫌気して、自給自足的な生活をつくろうと都市部から移住してきた人も多かったときく。その人たちも、放射能で自らの田畑を放棄させられた。またそうした現地へ、にもかかわらずと、自発的に現場に入り、草を刈り田畑を再生させ耕し、あるいは、その他の仕事、建設関係から福祉サービスまで、といった様々に必要な復興の現場に参入し手助けしたいと移民しにきた人もいるだろう。私は、そうした人たちの動きや思いを、たとえば現今の反原発運動も都市部のいい生活をしている人たちのエゴなのだ、といったようなある種のインテリ的な見方で批判してみたいとはおもわない。半面はあたっているとおもうが、それだけでは批判しきれないもう半面があるだろう、と推論するからだ。そしてその推論のあり方が、いわゆる山城氏が保田與重郎にみた「人文上の権利」という見方からくる。要は、私は「文学的」な見方を放棄する気にはなれないのである。ジャーナリズムをみまわしてみると、「文学」を忘れた政治的な、現象面的なものへの反応ばかりの話で、私には説得力としてものたりない、どこか中途半端な、何か大切なものを忘れたうえでの議論におもえてくるのである。
しかし「人文上の権利」、いわば「文学」とは何か? その見方とは? と言われても、明確に言いえないのが難問だ。だがとりあえずここで、私は、現地に同情し入っていく人々、原発に懲りて反対の声を上げる人々、そうした人々の動きには、知的観念からの批判を超えた、「類としての行動」、いわば「自然(史)」の観点がはらまれているだろう、と言うことができる。だから、右からだろうが、左からだろうが、それを批判しきれないのだ。逆に、山城氏は、上での憲法論議に関し、右も左も批判する観点を保持しているのがわかるだろう。しかし、その保持している観点、いわば「人文上の権利」視点、文学とは何なのか?
山城氏は、同じ書籍に集められたエセーのなかで、「少子化」という現実見方(政治ジャーナリズム)に関し、こうも記している。
<人口の問題は、統計学を離れて個人の問題としてみれば、端的に結婚(結婚する、しない)や出産(子を持つ、持たない)の問題として現れる。人生の大事として個々人がそれについて深く考えたり悩んだりしないはずの問題である。そして、そこには当然、打算、欲望、責任、そして決心が複雑にからんで来る。それが意識の問題、意志の問題でないはずはないのだ。では、それはすべて意識次第、意志次第で決定されているかというとそうではなく、我々が何をどう意識しどう意欲しているかにかかわらず、現にあるこの生活をしているというただそれだけのことによって個々の意識の外側から、右に述べたあの「力学」が作用して結果的には集団として出生率が一定値以下に抑えられるのである。何をどう意識し意欲しようと、その意識の仕方、意欲の持ち方そのものがそれによって予め制約されていると言ってもいい。個としては意識のレベルで任意なものとして現れる問題が、いわば種としては自然史のレベルで一定の枠内に制御されているのである。考えてみると、これはフシギなことではないだろうか。
これが純粋に生物学な現象でないのは言うまでもないが、しかし、純粋に経済的な現象でもないだろう。いわんや、政治、政策の効果などではない。『資本論』の著者はその序文に「経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考える私の立場は、ほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんな諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである」(岡崎次郎訳)と断っていたが、地上の人類の活動に作用している「力学」をグローバリズムや世界資本主義の問題として分析する現代のエコノミストはそれを「自然史的過程」として考えているだろうか。人口の動態と推移を分析する人口統計学は、結婚、出産に関わる「自然史的」なフシギをどう扱っているのか。人が結婚したり結婚を控えたりするのは、また人が子を持ったり持つのを控えたりするのは、心理(意識や意志)を超えたどんな「自然史的過程」の作用によってなのか。素朴な疑問だが、寡聞にして僕はこれに答えてくれる学を知らない。」(「精子そのものに影が射している」 同上)
この「フシギ」に立ち止っていることが許されて在る見方、学、それが「文学」だとおおまかには言えるかもしれない。のろまやボケといわれようが、その劣等者でいいのだ。
山城氏の文章は、その思考のあり方に触れることは、私をほっとさせてくれる。
2013年7月15日月曜日
連帯(共生)へむけての基礎認識 (引用銘記)――石原吉郎著作から
「この、無意味な世界を生きるに値するものとするということは、無意味を意味におきかえることではない。無意味とたたかいつづけることである。」(『石原吉郎詩集』 思潮社 現代詩文庫
「挫折という痛切な経験は、僕にはない。しかし、一つの時代が挫折するとき、一つの世界が挫折するとき、僕はその挫折の真唯中にあるのであり、僕を含めた一つの全体がそこでは挫折しているのだ、ということをはっきり知らなくてはならないのだ。」(同上)
「最初の淘汰は、入ソ直後の昭和二十一年から二十二年にかけて起り、長途の輸送による疲労、環境の激変による打撃、適応前の労働による消耗、食糧の不足、発疹チフスの流行などによって、八年の抑留期間中、もっとも多くの日本人がこの期間に死亡した。またこの期間は、何人かの捕虜と抑留者が、自殺によってみずからの死を例外的にえらびとった唯一の期間でもある。
この淘汰の期間を経たのち、死は私たちのあいだで、あきらかな例外となった。私たちの肉体は急速に適応しはじめ、生きのこる機会には敏速に反応する、いわゆる<収容所型>の体質へ変質して行った。
このような変質は、いうまでもなく、多くの人間的に貴重なものを代償とすることによって行われる。しかしこの、喪失するものと獲得するものとの間には、ある種の本能、人間の名に値する瀬戸際で踏みとどまろうとする本能によって、かろうじてささえられるきわどいバランスがあって、人がこのバランスをついにささえきれなくなるとき、彼は人間として急速に崩壊する。」(「確認されない死の中で」『望郷と海』石原吉郎著 ちくま文庫)
「<共生>という営みが、広く自然界で行われていることはよく知られている。たとえば、ある種のイソギンチャクはかならず一定のヤドカリの殻の上にその根をおろす。一般に共生とは二つの生物がたがいに密着して生活し、その結果として相互のあいだで利害を共にしている場合を称しており、多くのばあい、それがなければ生活に困難をきたし、はなはだしいときは生存が不可能になる。私が関心をもつのは、たとえばある種の共生が、一体どういうかたちで発生したのかということである。たぶんそれは偶然な、便宜的なかたちではじまったのではなく、そうしなければ生きて行けない瀬戸際に追いつめられて、せっぱつまったかたちではじまったのだろう。しかし、いったんはじまってしまえば、それは、それ以上考えようのないほど強固なかたちで持続するほかに、仕方のないものになる。これはもう生活の知恵というようなものではない。連帯のなかの孤独についてのすさまじい比喩である。」(「ある<共生>の経験から」 同上)
「こうして私たちは、ただ自分ひとりの生命を維持するために、しばしば争い、結局それを維持するためには、相対するもう一つの生命の存在に、「耐え」なければならないという認識に徐々に到達する。これが私たちの<話合い>であり、民主主義であり、いったん成立すれば、これを守りとおすためには一歩も後退できない約束に変るのである。これは、いわば一種の掟であるが、立法者のいない掟がこれほど強固なものだとは、予想もしないことであった。せんじつめれば、立法者が必要なときには、もはや掟は弱体なのである。
私たちの間の共生は、こうしてさまざまな混乱や困惑を繰り返しながら、徐々に制度化されて行った。それは、人間を憎しみながら、なおこれと強引にかかわって行こうとする意志の定着化の過程である。(このような共生はほぼ三年にわたって継続した。三年後に、私は裁判を受けて、さらに悪い環境へと移された。)これらの過程を通じて、私たちは、もっとも近い者に最初の敵を発見するという発想を身につけた。たとえば、例の食事の分配の分配を通じて、私たちをさいごまで支配したのは、人間に対する(自分自身を含めて)つよい不信感であって、ここでは、人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、私たちはじつに長い期間を経てまなびとったのである。」(同上)
「こうした認識を前提として成立する結束は、お互いがお互いの生命の直接の侵犯者であることを確認しあったうえでの連帯であり、ゆるすべからざるものを許したという、苦い悔恨の上に成立する連帯である。ここには、人間のあいだの安易な、直接の理解はない。なにもかもお互いにわかってしまっているそのうえで、かたい沈黙のうちに成立する連帯である。この連帯のなかでは、けっして相手に言ってはならぬ言葉がある。言わなくても相手は、こちら側の非難をはっきり知っている。それは同時に、相手の側からの非難であり、しかも互いに相殺されることなく持続する憎悪なのだ。そして、その憎悪すらも承認しあったうえでの連帯なのだ。この連帯は、考えられないほどの強固なかたちで、継続しうるかぎり継続する。
これがいわば、孤独というものの真のすがたである。孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独は、のがれがたく連帯のなかにはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。」(同上)
「挫折という痛切な経験は、僕にはない。しかし、一つの時代が挫折するとき、一つの世界が挫折するとき、僕はその挫折の真唯中にあるのであり、僕を含めた一つの全体がそこでは挫折しているのだ、ということをはっきり知らなくてはならないのだ。」(同上)
「最初の淘汰は、入ソ直後の昭和二十一年から二十二年にかけて起り、長途の輸送による疲労、環境の激変による打撃、適応前の労働による消耗、食糧の不足、発疹チフスの流行などによって、八年の抑留期間中、もっとも多くの日本人がこの期間に死亡した。またこの期間は、何人かの捕虜と抑留者が、自殺によってみずからの死を例外的にえらびとった唯一の期間でもある。
この淘汰の期間を経たのち、死は私たちのあいだで、あきらかな例外となった。私たちの肉体は急速に適応しはじめ、生きのこる機会には敏速に反応する、いわゆる<収容所型>の体質へ変質して行った。
このような変質は、いうまでもなく、多くの人間的に貴重なものを代償とすることによって行われる。しかしこの、喪失するものと獲得するものとの間には、ある種の本能、人間の名に値する瀬戸際で踏みとどまろうとする本能によって、かろうじてささえられるきわどいバランスがあって、人がこのバランスをついにささえきれなくなるとき、彼は人間として急速に崩壊する。」(「確認されない死の中で」『望郷と海』石原吉郎著 ちくま文庫)
「<共生>という営みが、広く自然界で行われていることはよく知られている。たとえば、ある種のイソギンチャクはかならず一定のヤドカリの殻の上にその根をおろす。一般に共生とは二つの生物がたがいに密着して生活し、その結果として相互のあいだで利害を共にしている場合を称しており、多くのばあい、それがなければ生活に困難をきたし、はなはだしいときは生存が不可能になる。私が関心をもつのは、たとえばある種の共生が、一体どういうかたちで発生したのかということである。たぶんそれは偶然な、便宜的なかたちではじまったのではなく、そうしなければ生きて行けない瀬戸際に追いつめられて、せっぱつまったかたちではじまったのだろう。しかし、いったんはじまってしまえば、それは、それ以上考えようのないほど強固なかたちで持続するほかに、仕方のないものになる。これはもう生活の知恵というようなものではない。連帯のなかの孤独についてのすさまじい比喩である。」(「ある<共生>の経験から」 同上)
「こうして私たちは、ただ自分ひとりの生命を維持するために、しばしば争い、結局それを維持するためには、相対するもう一つの生命の存在に、「耐え」なければならないという認識に徐々に到達する。これが私たちの<話合い>であり、民主主義であり、いったん成立すれば、これを守りとおすためには一歩も後退できない約束に変るのである。これは、いわば一種の掟であるが、立法者のいない掟がこれほど強固なものだとは、予想もしないことであった。せんじつめれば、立法者が必要なときには、もはや掟は弱体なのである。
私たちの間の共生は、こうしてさまざまな混乱や困惑を繰り返しながら、徐々に制度化されて行った。それは、人間を憎しみながら、なおこれと強引にかかわって行こうとする意志の定着化の過程である。(このような共生はほぼ三年にわたって継続した。三年後に、私は裁判を受けて、さらに悪い環境へと移された。)これらの過程を通じて、私たちは、もっとも近い者に最初の敵を発見するという発想を身につけた。たとえば、例の食事の分配の分配を通じて、私たちをさいごまで支配したのは、人間に対する(自分自身を含めて)つよい不信感であって、ここでは、人間はすべて自分の生命に対する直接の脅威として立ちあらわれる。しかもこの不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、私たちはじつに長い期間を経てまなびとったのである。」(同上)
「こうした認識を前提として成立する結束は、お互いがお互いの生命の直接の侵犯者であることを確認しあったうえでの連帯であり、ゆるすべからざるものを許したという、苦い悔恨の上に成立する連帯である。ここには、人間のあいだの安易な、直接の理解はない。なにもかもお互いにわかってしまっているそのうえで、かたい沈黙のうちに成立する連帯である。この連帯のなかでは、けっして相手に言ってはならぬ言葉がある。言わなくても相手は、こちら側の非難をはっきり知っている。それは同時に、相手の側からの非難であり、しかも互いに相殺されることなく持続する憎悪なのだ。そして、その憎悪すらも承認しあったうえでの連帯なのだ。この連帯は、考えられないほどの強固なかたちで、継続しうるかぎり継続する。
これがいわば、孤独というものの真のすがたである。孤独とは、けっして単独な状態ではない。孤独は、のがれがたく連帯のなかにはらまれている。そして、このような孤独にあえて立ち返る勇気をもたぬかぎり、いかなる連帯も出発しないのである。無傷な、よろこばしい連帯というものはこの世界には存在しない。」(同上)