「とはいえ、私の場合には、白状してしまえば、地獄の消滅は明晰と公正というただそれだけの道を通して実現された方がなおよかったと思う。そしてとりわけその際私が望みたかったのは、虚勢からにせよ、くやしまぎれにせよ、あるいはまた絶望からにせよ、昔から存在し、近寄ることのできない死者たちの逗留地の代わりに、身近にあって、是認すべき、折衷的な代替物を考え出す想像力というものが、このようにして錯乱したり、なかば自己放棄したりし、その結果、恐るべき、そして脅威を孕んだ反対物としての姿を取って出現することがないようにということだった。ところで、消滅した地獄の代替物は、今度は挑発者としての相貌をおび、かつてのようにこの世の不正の埋め合わせをするものであることをやめてしまったのである。たとえそれが、想像力というこの野蛮でもあり、豊穣でもある力、恐らくもしそれが一定の方向に導かれさえすれば豊穣なものとなり、それが自らの暴虐性に委ねられれば、世界を荒廃へと導くことになるであろう力、私にしてみれば、なんらの刺激も必要としないとさえ言えるようなこの激しい力に平衡を保たせることを目的としたはずみ車のような具合にでしかないにせよ、もはやこの地獄の代替物はこの世で犯された不正に対する補正力を失ってしまったのである。」(ロジェ・カイヨワ著/中原好文訳『斜線 方法としての対角線の科学』「地獄の変容」 講談社学術文庫)
木の上から落ちて、命拾いて以来、久しぶりに、高木の枝おろしを2・3日つづけた。一日だけの作業なら、あったかもしれない。が、3日となると、しかも太枝はロープでの吊るし切りになるケヤキの剪定をやったのは、たぶん、4年ぶりくらいだろう。幹自体はそれほど太くはなかったので、腕はまわる、枝はつかめなくとも、抱き着いてのぼれる、体力が心配だけど、試してみるよ、と元請けの会社にOKしたのだった。で、結果は、真向いのアパートの電灯のプラスチックカバーを破損、裏のお寺の塀の瓦一枚を破損。一現場で二つもものを壊したのは、はじめてのことだったろう。一日めの、一本目は無事終了させたが、二日目となると、すぐに疲労を感じ始める。神経的な体力の目減りを感ずる。20メートル以上もあるてっぺんで、親指より幾分太いが、長さは4・5メートルはある枝をおろすのに、真下にしかない植え込み地の隙間を狙って投げようか、と最初考えたが、やはり大事をとろうと、ロープで吊るしておろすと判断。が、地面にもう少しで届く、というところで、棒のような枝にはロープの輪っか部分にひっかかりがないものだから、すっとはずれる。枝先が地面に当たって弾んで、枝元が剣道の竹刀のように、ゴミ袋で一応は養生してあった電灯へコツン、ひび割れた。そして同じ木、二日目、もう一つのてっぺんの枝を、吊って失敗したのなら、やはり投げれるものは空き地めがけて投げおろそうとほうると、途中、幹にあたって方向かわり、養生していた毛布の脇へ斜めに突き刺さり、瓦の端がかける。手元をしていた団塊世代の職人さんは、木上でショックをあたえないために、私が作業を終えるまで黙っていてくれたが、さすがに二回目の破損となると、精神的ショックを受ける。以前だったら、私が自費で修理するか、下請けのこちらもちだったろう。が、もうこういう作業を頼める人もいず、私も死にぞこないのようなものだと元請け社長もわかっているから、「物損でよかったよ。人だったら大変だからね。」と慰めるだけ。というか、年明けには、またクレーン車入れない場所での、人力ケヤキ伐採があるので、逃げられても困る、との計算もあったかもしれない。
もはや、木上では、余裕がなかった。以前ならできた、まわりの景色をめでることもない。途中、気を抜くと、そのまま足がすくみ、体が萎縮してしまって、身動き不能、へなへなとなりそうな気がした。幹に足を巻き付けながら、頭上の枝をつかみ、自分の体重を懸垂の要領でもちあげていくときには、気合をいれて吠えないと、恐怖心におしつぶされそうになる。下見で予想していたよりも、よじ登る個所が多かった。しかし一番おそれていたのは、のぼっている途中で、ぎっくり腰になること。二日目終了時には、やはり腰がぴりぴりしてきたので、ここ二年ほど通っている近所の整体師のところでマッサージを頼もうとしたのだが、予約できなかった。少なくとも、そこに通ってからは、年に一度はなっていたぎっくり腰からは解放されていた。二か所破損させたとはいえ、無事な体で生還できたのが、何よりだった。
そんなふうに、以前よりは、勇気がなくなっているようなのに、変な落ち着きがあるのに気付く。木から落ちた時、仕事を替えようか、というような気も生じたのに、今はむしろ、そういう仕事をしているのだから仕方ない、という諦めというよりは、静かな了解だ。あのとき、父は言っていたと兄は報告していた、「そんな仕事をしているのだから当たり前だ」と。それを伝え聞いたとき、私はイラっとした。大学まで出ているのに事務仕事をやらず、ひねくれてそんな仕事をしているからだという、いわば差別の表現と思ったからである。が、いまは受け止め方がちがっている。父親は、百姓でだ、子供の頃、ヤギの乳しぼりをよくしてたと、孫の一希のまえで、牛の乳しぼりを実演してみせもする。私の思い出のなかでは、河川敷のグランドの草を、繁みにしゃがみながら、ひたすら鎌を振るう父親の姿の印象が焼き付いている。たぶん、父は、そうした人たちの生活を知っていて、だからむしろ、それを肯定して発言していたのだ、「当たり前」とは差別ではなく、否が応でもそうあってしまう覚悟のことだったのだろうと。
私は以前、出自が違うインテリでの私は、どんなにその職業をやって技術を身に付けたことになろうと、自分が職人になることはありえないのだ、という、中野重治的な、階級無意識的な思想を自覚として書いていた。職人とは技術の所持如何ではなく、その社会で生きていた技術の総体、つまり生活の態度に在るのだと。が、いまは、訂正しなくてはならない。私でも、なってしまうもののようだ、と。私がどんなに本を読み、頭に思想を膨らまそうと、身体の思考がそう動かなくなりはじめている。物事の判断、日常的な対処、そして世間、世界を騒がせる事件に対して、まず私の体からにじみ出るような判断、想い、処理が発生してくるようだ。幼少期や青春時代に刻まれた骨格的な判断ではなく、大人になってから身についていった体臭のような判断。それは決して消極的なものではないようだ。しかし、積極的なものなのかどうか、わからない。骨に滲みていくようなものなのかもわからない。それは、死を恐れているかもしれない。勇気が若いときよりよりなくなっているかもしれない。しかし、死を受け入れているような判断。死とともに生きているような静かな感じ。こんなんでいいのか、私にはわからない覚悟のようなもの。
2015年11月10日火曜日
杭打ち問題
「ミレニアム・ブリッジの騒動は二〇〇〇六年一〇日、その開通日に起きました。この橋の建設は新世紀の幕開けを記念するプロジェクトの一つでしたので、当日はエリザベス女王のテープカットでオープンしました。ところが、橋を渡る群衆が数百人に達したところで、橋は明らかに揺れはじめました。初日は約九万人押しかけ、常時二〇〇〇人くらいの歩行者があったそうですから、橋は揺れ続けていたことでしょう。…(略)…強い力が橋を周期的に揺さぶり、それが橋の固有振動、つまり橋が最も敏感に反応する周期の振動と共鳴することで大きな揺れが生じたというだけなら、話は簡単です。それは、東日本大震災の揺れが首都圏の高層ビルの固有振動と共鳴して、それを大きく揺るがしたのと原理は同じです。…(略)…しかし、ミレニアム・ブリッジ事件の本質は別のところにあります。そもそも、橋と共鳴するような大きな力がなぜ生じたかということこそが問題なのです。…(略)…歩く人を振動子と見なすのは、かなり荒っぽい見方かもしれません。しかし、同期現象の面白さは、モノを選ばず、リズミックにふるまうものなら何にでも出現するというところにあります。人の歩行には意識の介入が大きく影響するのではないかと思われるかもしれません。しかし、ミレニアム・ブリッジの上で、歩行者は他人の足の動きや全体状況を眺めてそれらに影響されたわけではないでしょう。メトロノームの振り子がその場その場での台の揺れを「感じ」ながら機械的にそれに反応したように、歩行者はただ足元の揺れに機械的に反応して、バランスを保つため体勢を取ったに過ぎないのでしょう。」(蔵元由紀著『非線形科学 同期する世界』 集英社新書)
ビル建築の基礎・杭工事におけるデータ偽装とかいう問題は、施工者の旭化成建材だけではなく、他の業者でもそうした偽装があるのではないか、と調査するような方向がでてきている。
この事件での当初の私の反応は、もともと杭を地中深くまで垂直に掘っていくなんて、そもそも可能なことなのかが、疑問だった。むろん、今のテクノロジー段階で、そこだけを純粋にみるのならば、可能ではあるだろう。が、私が考慮するのは、それを支える現社会体制化において、ということである。たとえば、ボーリング調査といったって、杭打ち工事をする全ての個所をやってみて、地下の岩盤地層の深さを知っていこうとするわけではないだろう。金をかければ、今ならボーリングではなく、エコー調査のようなやり方もあるかもしれない。また、いざ工事中、ドリルの刃がすり減ってしまっていて、ちょっと固くなってきた地盤をこれ以上掘り下げることはできなくなってしまった、という場合だってあるかもしれない。がそんなとき、せっかく何段とつなげた鉄杭を抜いて、新しい刃に取り換えよう、なんてことをしえるのだろうか? とおもう。植木屋でも、木を植えたさい支柱をするが、役所の仕様では、何センチの杭のうち、何十センチを地中に埋める、とか決まっているが、とてもまともに掘れたものではない。コンクリのゴミや石は埋まってるし、水道や排管にもぶつかったりする。そういう場合は、上を切るか、一度取り出して下を切って、よくついておくか、になる。一般の民間家庭での植栽の場合は、マニュアル的にやるというよりは要は倒れなければいいので、はじめからそんな強迫はない。まあこれでだいじょうぶだろう、と経験的に判断するだけだ。もちろん、建物の基礎工事は、そんなのではすまないだろうが、程度の違いはあれ、最後はそうなってしまうのではないか、と予測していた。
テレビの取材で、現場の基礎杭工事をやっているというオペレーター(機械操作者)が、こうインタビューに答えていた。「実際に、設計書が雨でぬれたり汚れたりで読めない、提出できる代物ではなくなるとか、風でとばされるとかはあることです。設計どおりの深さに固い地盤がでてこない場合だってあります。だけどそれでも、建物は倒れないものだとおもっていました。」と。
私は、それが正直な現場の話なのではないかとおもう。技術的には可能であっても、社会体制的に、それを可能にさせてくれるようになっていない。ドリルの刃を替えてくれ、その分工期遅らせてくれ、とは、たとえ言える人がいたとしても、そうにはならないだろう。
いや、杭を打つだけではない、抜くほうはどうなんだ? 植木の支柱取り換えでも、新しく打つよりも、古いのを抜くほうが大変な場合も多い。たまに公園工事で土を掘り返していると、以前の建物の布基礎の塊が、そのまま残っているのにでくわす。コンクリートも腐食するから、そのままでは、陥没の危険がでてくるだろう。高層建築物の建て替えなどのときは、本当に、地中何十メートルだか打ち込まれた鉄筋コンクリートの杭を、きちんと抜いて、きちんと転圧しながら埋め戻しているのだろうか? それも、私には怪しい。
しかし、私たちは、そうした怪しさを前提にした社会に住んでいる。欠陥とされる高額な商品を購入してしまって、その直接的な施工・管理会社を訴えたくなる住民の気持ちはわかるような気もするが、自分には、縁もない階層の話だから、もし自分が宝くじにでもあたってマンション買って、そういう破目になっても、「別に倒れないなんだろ? 住めるじゃん。家賃や月賦をだいぶ下げてもらったりでいいんじゃないか」、という反応になるのではないだろうか?
しかし、現場の人間も、購入者も、そんな開き直りをするわけにはいかない。せせこましく社会に適応しようと、バランスをとる。あくまで、人間の常識とか知恵とかに従うのではなく、今の利害計算、収支のバランスシートで動かされる。そうして、意識しない同期が、社会を揺さぶってゆく。揺さぶる大きな力になってゆく。むろんその力は社会をマシな方向へ変えるものではなくて、それを維持するように働くことで、我々と社会との橋梁を壊してゆくものになるのであろう。
ビル建築の基礎・杭工事におけるデータ偽装とかいう問題は、施工者の旭化成建材だけではなく、他の業者でもそうした偽装があるのではないか、と調査するような方向がでてきている。
この事件での当初の私の反応は、もともと杭を地中深くまで垂直に掘っていくなんて、そもそも可能なことなのかが、疑問だった。むろん、今のテクノロジー段階で、そこだけを純粋にみるのならば、可能ではあるだろう。が、私が考慮するのは、それを支える現社会体制化において、ということである。たとえば、ボーリング調査といったって、杭打ち工事をする全ての個所をやってみて、地下の岩盤地層の深さを知っていこうとするわけではないだろう。金をかければ、今ならボーリングではなく、エコー調査のようなやり方もあるかもしれない。また、いざ工事中、ドリルの刃がすり減ってしまっていて、ちょっと固くなってきた地盤をこれ以上掘り下げることはできなくなってしまった、という場合だってあるかもしれない。がそんなとき、せっかく何段とつなげた鉄杭を抜いて、新しい刃に取り換えよう、なんてことをしえるのだろうか? とおもう。植木屋でも、木を植えたさい支柱をするが、役所の仕様では、何センチの杭のうち、何十センチを地中に埋める、とか決まっているが、とてもまともに掘れたものではない。コンクリのゴミや石は埋まってるし、水道や排管にもぶつかったりする。そういう場合は、上を切るか、一度取り出して下を切って、よくついておくか、になる。一般の民間家庭での植栽の場合は、マニュアル的にやるというよりは要は倒れなければいいので、はじめからそんな強迫はない。まあこれでだいじょうぶだろう、と経験的に判断するだけだ。もちろん、建物の基礎工事は、そんなのではすまないだろうが、程度の違いはあれ、最後はそうなってしまうのではないか、と予測していた。
テレビの取材で、現場の基礎杭工事をやっているというオペレーター(機械操作者)が、こうインタビューに答えていた。「実際に、設計書が雨でぬれたり汚れたりで読めない、提出できる代物ではなくなるとか、風でとばされるとかはあることです。設計どおりの深さに固い地盤がでてこない場合だってあります。だけどそれでも、建物は倒れないものだとおもっていました。」と。
私は、それが正直な現場の話なのではないかとおもう。技術的には可能であっても、社会体制的に、それを可能にさせてくれるようになっていない。ドリルの刃を替えてくれ、その分工期遅らせてくれ、とは、たとえ言える人がいたとしても、そうにはならないだろう。
いや、杭を打つだけではない、抜くほうはどうなんだ? 植木の支柱取り換えでも、新しく打つよりも、古いのを抜くほうが大変な場合も多い。たまに公園工事で土を掘り返していると、以前の建物の布基礎の塊が、そのまま残っているのにでくわす。コンクリートも腐食するから、そのままでは、陥没の危険がでてくるだろう。高層建築物の建て替えなどのときは、本当に、地中何十メートルだか打ち込まれた鉄筋コンクリートの杭を、きちんと抜いて、きちんと転圧しながら埋め戻しているのだろうか? それも、私には怪しい。
しかし、私たちは、そうした怪しさを前提にした社会に住んでいる。欠陥とされる高額な商品を購入してしまって、その直接的な施工・管理会社を訴えたくなる住民の気持ちはわかるような気もするが、自分には、縁もない階層の話だから、もし自分が宝くじにでもあたってマンション買って、そういう破目になっても、「別に倒れないなんだろ? 住めるじゃん。家賃や月賦をだいぶ下げてもらったりでいいんじゃないか」、という反応になるのではないだろうか?
しかし、現場の人間も、購入者も、そんな開き直りをするわけにはいかない。せせこましく社会に適応しようと、バランスをとる。あくまで、人間の常識とか知恵とかに従うのではなく、今の利害計算、収支のバランスシートで動かされる。そうして、意識しない同期が、社会を揺さぶってゆく。揺さぶる大きな力になってゆく。むろんその力は社会をマシな方向へ変えるものではなくて、それを維持するように働くことで、我々と社会との橋梁を壊してゆくものになるのであろう。
2015年11月2日月曜日
代表戦をめぐって
「……世界では数え切れないほどの戦争が繰り返し起きている。それをいま、私たちはテレビやインターネットを通してどこにいても見ることができる時代に生きているわけだが、こと「日本の戦争」に関しては言えば、70年前にさかのぼることになる。そのため、私たち日本人が「戦争」というテーマで何かしら議論しようとするときには、つい「モノクロ写真の戦争イメージ」をもとに考えてはいないだろうか。…(略)…残念ながら、私たちの生活を豊かにしている最先端技術の活用によって、軍事兵器は想像をはるかに超えるスピードで進化を遂げている。ロボットや無人機など新型兵器の登場により、既存の「戦争のルール」も急速につくり変えられているのである。ニューズウィーク日本版(2013年4月9日号)では、「未来の戦争」と題してその脅威を特集した。主なトピックは、「無人機」と「サイバー攻撃」である。…(略)…私たちが「戦争」のことを語るときも、そのイメージを常に最新版に「アップデート」しておかなくてはならない。」(伊藤剛著『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか ピースコミュニケーションという試み』 光文社新書)
あす、都大会がはじまる。一希の所属する新宿の代表チームも、なんとか第七ブロックで4位にはいって、その出場を果たした。1位、2位は、どちらも地元を超えたクラブチーム。3位は、小中高と一貫のサッカーでは名門の私立小学校のクラブだ。こちらも確かにいくつかの地元クラブから優秀な選手が集まっているとはいえ、時代の流れのなかでは、分が悪いどころか、存在意義さえが危うくなっている。おそらく、日本でも最後の代表形式をもつ少年クラブなのではないか? Jリーグができて、サッカーのレベルの底上げが、小学校単位のクラブから地元をこえた専門スクール系のクラブを中心になされるようになってからは、そこへ代表をおくるクラブチーム数自体が減少してきたのだ。かつては、運動能力の高い子がゴールめがけてドリブルをしかけ、駄目ならパス、その偶然の数珠つなぎのようなやり方でも勝てたものが、いまは能力がそれほどではなくても、低学年より一貫した方針と体系でサッカーを学んだきた者の集団のほうが強くなり、ゆえに運動・身体能力の高い子どもたちがよりいっそうそうしたチームに集まってきて、成績上位はそんなチームが独占することになる。私立小学校のチームが強いのも、もともとが専門クラブと類型的だったからだろう。きくところによると、成績が校内50番以内でないと、サッカーをさしてもらえないそうだ。運動力任せではなく、賢くやるサッカーが日本でも普及してきて、ゆえに、親やコーチの話をよく聞ける優等生チームのほうが成績も上位になっていく。
日本代表でもそうだが、代表チームとは即席的な寄せ集めだ。そこに子供を送るチームは、パパコーチやその出自のチームがほとんどで、おそらく、練習メニュー自体が古い。単純に、ボールタッチ、ボールコントロールを低学年時に習得させるノウハウを確立・保持していない。だからむしろ、運動能力任せの古風な選手たちが集まってくる、といえるかもしれない。そして体系的に教わってきてないとは、思考や態度もエスタブリッシュメント、体制的になっていない、やんちゃなまま選ばれてくる。代表コーチは、そんな6年時にあつまってくる子供たちを短期的にまとめあげていかねばならないのだから大変だ。ボールコントロールの基礎的な練習から、道具の整理整頓などメンタル的なことまで、一から練り上げていくようなものだ。チームとしてのサッカーなど、なかなか機能しない。それでもここまでこれたのは、代表という枠が暗黙に強いてくる結束力のようなもののおかげかもしれない。ゆえに、重圧がすごい。都大会出場を決める決勝リーグ戦など、足がガチガチ、震えていただろう。最低限のノルマが都大会出場と、かつてだったならばまだ通用していたといえる前提を背負わされたまま、挑戦者とわりきってやってきたチームの猛攻を、なんとか0点におさえて引き分け、獲得した出場権だった。予選リーグでは、私が率いたチームが、はじめて新宿代表と0対0のまま後半に突入したチームだったが、そのときも、同じ新宿区のチームに負けるわけにはいかないと、1点をとるまでは相当追いつめられていた。このままあと何分かいけば、あの子たちは折れてしまうのではないか、と対戦コーチの私が心配しはじめた。息子の一希はその日、頭が痛いと、風邪で欠席。朝グランドで、代表コーチにそのことを告げた際のコーチの顔の表情から、「ああ切られたな」とおもった。予選リーグで、相手は代表に4選手を送り込んでいる格下のチームとはいえ、どちらも無敗できて激突する、リーグ優勝をかけた大事な試合だ。そこに、いない、しかも、自分の所属しているチームが相手なのに。一つだけ駒として不足しているとみえる左サイドバックを、それまでは3人で補っているような感じだった。まずは守備のしっかりしている選手からはいり、後半、様子をみながら、ドリブルで駆け上がれる一希か、ミドルパスが持ち味のもう一人か、と見極めながら、選手起用をしていたきらいがあったけど、一希欠場となってからは、その3人一組の線が消えて、フォワードから2人をもってきて、対処するようになった。
もともと一希は、なお一線級の相手チームで通用するような運動能力や脳みそ・メンタルの成長をしていない。私が監督でも、怖くて使えないだろう。だからといって、チーム戦力にはいっていない、ということではないから、いつでも準備しておけよ、とアドバイスしている。「おまえの出番は、2対0で負けていて、残り5分のとき。それを逆転しようとするときだぞ」と。ベンチでは、交代選手に水筒をもっていって声をかけるなど、いい働きをしている。皆からも、ムードメーカーとして信頼された、中心選手の一人なのだ。サッカーの技術的・戦術的な理解力の成長は、続けていけば解決されていくだろう。言われたことを疑問を抱かないまま素直に実行するよりも、自分の頭の力で理解してから進んでゆく、「遅れた者が先にゆく、ようになるんだよ」とも言っている。が、女房がそうはさせないのだった。「能力がないのだから、サッカーなんか選んでいるのがおかしい。立ってるだけなのは、あんたがフォワードやらしてまえに立ってろと言ってたときのクセが抜けないからだ。だからディフェンスができないんだ。あなたのためにサッカーをやっている!」……女房だけではないのだが、おそらく、母親は、自分の腹を痛めて産んできたからだろう、だから我が子に過保護になるのは仕方がない。しかしそのなんでもかんでもな過干渉、癒着を断ち切る文化・制度が機能しなくなっている。フェミニズム的観点を日本に普及させた上野千鶴子氏は、そこにある問題を、江藤淳、あるいは江藤氏が参照引用した小島信夫などで女を排除した「<母ー子>問題として論じてみせたけど、私には、そうした社会学的枠組みよりも、より人間と自然との根源的な関係性が問われているような気がしてならない。もう一度、文化の発生現場にもどって、それがなんで人間に必要であるのか、理解しなおす状況にあると。参照対象として想起するならば、ヘミングウェイ、あるいは、三島由紀夫かもしれない。もちろん、マッチョな志向ではないのだが…。
「夢をあきらめないでください。誰でも、僕のようになれます。」とは、イチローや本田選手とう、プロになった選手がいうことだ。村上龍、北野武など、はこうしたきれいごとは子供に迷惑がかかるだけと批判し、もっと現実をみつめたアドバイスを、と説くが、私は、イチローや本田選手のほうが、科学的事実にもとづいた信念だとおもっている。人間にとって、能力差など、大した差ではないのだ。「自分は、バロテリやカカといった選手の運動・身体能力を超えることはできませんよ、それは絶対的な差ですよ、でも同じ人間なんで、大差ない、自分の他の能力や持ち味で対抗してレギュラーを奪うことはできるんです。」というような発言は、ホッブズが説いた、「人間は狼である」・「万人による万人の闘争」といった、代表選出で政治体制を築けるといった民主主義の基調にある原理認識と同等だ。人間には、羊と狼がいるのではなく、みなが狼なんだ、だから、弱い狼でも、2・3匹でよってたかって強いやつを退治することは可能だ、そんな程度の差だ、だからまた、一匹一匹が他の一匹を妬むことができるような差でもあり、他人との競争が発生するんだ、お互いが疑心暗鬼になって闘争が常に潜在している、それが自然状態であり、ゆえに人間にとって自然は戦争状態なのだ。これを回避するには、自分が自然として持っている妬み闘争する能力を自然権(自由)として捉え返して、多数意見的に合議された体制にその各人の能力=自然権(自由)を譲りわたしたほうがよい……。私がイチローや本田選手のようなプロ選手になれる能力を持つのは事実だが、そこまでその一事をやっていくほど好きではない、闘争をつづけることには疲れてしまう、平和が欲しい、ゆえに、私はその自分の能力をプロ選手として集められた代表制度にあずけて観戦に身を引くので、もうイチローや本田選手を妬むことはない。むしろ、その一事を、闘争を続行している人間として、彼らを尊敬するだろう。
子離れができず、なお我が子と一心同体と勘違いして、子供の競争がそのまま親同士の闘争となって、妬みうずまく自然状態。自意識=他人意識が未熟な子供たちは、実はレギュラーからはずれても、あんまり気にしていず、チームと一体となっている感覚、遊び感覚のほうを楽しんでいたりする。子離れ=親離れ、つまり自立とは、発達した自分の妬み競争能力を、超越的な主体、制度に譲り渡すこと、自身の内部においては、自分をコントロールしえる超越論的な主体、自我をもつことであるだろう。が、もうその必要性が、母親にして感じられない。あるいはその主体が、これまでの目に見えない文化制度、慣習だったものが、ブランド幼稚園から大学まで、就職先までと、目に見える世俗の表象にすがりつくようになっているのだ。その世俗にもまれている父親たちは、そのブランドの体たらくを知っているし、もうどうしょもないともわかっているが、それに代わりうる価値ある文化、制度を知っているわけではない。だから、女房に強い文句もいえず、影で、おやじの会などの飲み会で、ぶつぶつぼやいているだけだ。親子(母子)の癒着が断ち切れないことからくる犯罪が、このところ多くみえるのも、気がかりだ。かといって、代表戦(国家間戦争)も、時代錯誤になって、機能していない。だから、その機能不全の論理構造がそのまま延命して、以下のような、新しい戦争の表象に更新されるのだろうか?
<「自衛隊無人偵察機、南シナ海沖で国籍不明の無人機と交戦」
ああ、またかと思う。最近では、毎月のように自衛隊と海外軍隊の交戦が報じられる。さすがに数年前、自衛隊が創設以来初の交戦をしたというニュースが流れた時は、日本中が大騒ぎになった。ついに「戦争」が始まった、と。…(略)…だけど、その戦争は人々が恐れた「戦争」とはまるで違うものであることがわかった。はるか南シナ海で、数機の戦闘機が交戦するだけ。結局、宣戦布告も終結宣言もなく、数日で「戦争」は終わった。
当初、交戦による犠牲者は自衛隊員だと発表されていたが、それは自衛隊が委託した民間軍事会社の社員であることがわかった。彼もまた日本人だったが、自衛隊員ではない民間人を靖国神社に合祀するのかといった議論が一部では盛り上がった。
それから、時々こういった「交戦」のニュースを聞くようになった。だけどもう誰も「戦争」とは呼ばない。特に最近は無人機の配備が増えて、各国の兵士たちが命を落としたというニュースも聞かない。「交戦」はすっかり、自然現象の一つのようになっていた。…(略)…しかし、僕たちの毎日の生活の何かが変わったわけではない。>(古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』 講談社+α文庫)
あす、都大会がはじまる。一希の所属する新宿の代表チームも、なんとか第七ブロックで4位にはいって、その出場を果たした。1位、2位は、どちらも地元を超えたクラブチーム。3位は、小中高と一貫のサッカーでは名門の私立小学校のクラブだ。こちらも確かにいくつかの地元クラブから優秀な選手が集まっているとはいえ、時代の流れのなかでは、分が悪いどころか、存在意義さえが危うくなっている。おそらく、日本でも最後の代表形式をもつ少年クラブなのではないか? Jリーグができて、サッカーのレベルの底上げが、小学校単位のクラブから地元をこえた専門スクール系のクラブを中心になされるようになってからは、そこへ代表をおくるクラブチーム数自体が減少してきたのだ。かつては、運動能力の高い子がゴールめがけてドリブルをしかけ、駄目ならパス、その偶然の数珠つなぎのようなやり方でも勝てたものが、いまは能力がそれほどではなくても、低学年より一貫した方針と体系でサッカーを学んだきた者の集団のほうが強くなり、ゆえに運動・身体能力の高い子どもたちがよりいっそうそうしたチームに集まってきて、成績上位はそんなチームが独占することになる。私立小学校のチームが強いのも、もともとが専門クラブと類型的だったからだろう。きくところによると、成績が校内50番以内でないと、サッカーをさしてもらえないそうだ。運動力任せではなく、賢くやるサッカーが日本でも普及してきて、ゆえに、親やコーチの話をよく聞ける優等生チームのほうが成績も上位になっていく。
日本代表でもそうだが、代表チームとは即席的な寄せ集めだ。そこに子供を送るチームは、パパコーチやその出自のチームがほとんどで、おそらく、練習メニュー自体が古い。単純に、ボールタッチ、ボールコントロールを低学年時に習得させるノウハウを確立・保持していない。だからむしろ、運動能力任せの古風な選手たちが集まってくる、といえるかもしれない。そして体系的に教わってきてないとは、思考や態度もエスタブリッシュメント、体制的になっていない、やんちゃなまま選ばれてくる。代表コーチは、そんな6年時にあつまってくる子供たちを短期的にまとめあげていかねばならないのだから大変だ。ボールコントロールの基礎的な練習から、道具の整理整頓などメンタル的なことまで、一から練り上げていくようなものだ。チームとしてのサッカーなど、なかなか機能しない。それでもここまでこれたのは、代表という枠が暗黙に強いてくる結束力のようなもののおかげかもしれない。ゆえに、重圧がすごい。都大会出場を決める決勝リーグ戦など、足がガチガチ、震えていただろう。最低限のノルマが都大会出場と、かつてだったならばまだ通用していたといえる前提を背負わされたまま、挑戦者とわりきってやってきたチームの猛攻を、なんとか0点におさえて引き分け、獲得した出場権だった。予選リーグでは、私が率いたチームが、はじめて新宿代表と0対0のまま後半に突入したチームだったが、そのときも、同じ新宿区のチームに負けるわけにはいかないと、1点をとるまでは相当追いつめられていた。このままあと何分かいけば、あの子たちは折れてしまうのではないか、と対戦コーチの私が心配しはじめた。息子の一希はその日、頭が痛いと、風邪で欠席。朝グランドで、代表コーチにそのことを告げた際のコーチの顔の表情から、「ああ切られたな」とおもった。予選リーグで、相手は代表に4選手を送り込んでいる格下のチームとはいえ、どちらも無敗できて激突する、リーグ優勝をかけた大事な試合だ。そこに、いない、しかも、自分の所属しているチームが相手なのに。一つだけ駒として不足しているとみえる左サイドバックを、それまでは3人で補っているような感じだった。まずは守備のしっかりしている選手からはいり、後半、様子をみながら、ドリブルで駆け上がれる一希か、ミドルパスが持ち味のもう一人か、と見極めながら、選手起用をしていたきらいがあったけど、一希欠場となってからは、その3人一組の線が消えて、フォワードから2人をもってきて、対処するようになった。
もともと一希は、なお一線級の相手チームで通用するような運動能力や脳みそ・メンタルの成長をしていない。私が監督でも、怖くて使えないだろう。だからといって、チーム戦力にはいっていない、ということではないから、いつでも準備しておけよ、とアドバイスしている。「おまえの出番は、2対0で負けていて、残り5分のとき。それを逆転しようとするときだぞ」と。ベンチでは、交代選手に水筒をもっていって声をかけるなど、いい働きをしている。皆からも、ムードメーカーとして信頼された、中心選手の一人なのだ。サッカーの技術的・戦術的な理解力の成長は、続けていけば解決されていくだろう。言われたことを疑問を抱かないまま素直に実行するよりも、自分の頭の力で理解してから進んでゆく、「遅れた者が先にゆく、ようになるんだよ」とも言っている。が、女房がそうはさせないのだった。「能力がないのだから、サッカーなんか選んでいるのがおかしい。立ってるだけなのは、あんたがフォワードやらしてまえに立ってろと言ってたときのクセが抜けないからだ。だからディフェンスができないんだ。あなたのためにサッカーをやっている!」……女房だけではないのだが、おそらく、母親は、自分の腹を痛めて産んできたからだろう、だから我が子に過保護になるのは仕方がない。しかしそのなんでもかんでもな過干渉、癒着を断ち切る文化・制度が機能しなくなっている。フェミニズム的観点を日本に普及させた上野千鶴子氏は、そこにある問題を、江藤淳、あるいは江藤氏が参照引用した小島信夫などで女を排除した「<母ー子>問題として論じてみせたけど、私には、そうした社会学的枠組みよりも、より人間と自然との根源的な関係性が問われているような気がしてならない。もう一度、文化の発生現場にもどって、それがなんで人間に必要であるのか、理解しなおす状況にあると。参照対象として想起するならば、ヘミングウェイ、あるいは、三島由紀夫かもしれない。もちろん、マッチョな志向ではないのだが…。
「夢をあきらめないでください。誰でも、僕のようになれます。」とは、イチローや本田選手とう、プロになった選手がいうことだ。村上龍、北野武など、はこうしたきれいごとは子供に迷惑がかかるだけと批判し、もっと現実をみつめたアドバイスを、と説くが、私は、イチローや本田選手のほうが、科学的事実にもとづいた信念だとおもっている。人間にとって、能力差など、大した差ではないのだ。「自分は、バロテリやカカといった選手の運動・身体能力を超えることはできませんよ、それは絶対的な差ですよ、でも同じ人間なんで、大差ない、自分の他の能力や持ち味で対抗してレギュラーを奪うことはできるんです。」というような発言は、ホッブズが説いた、「人間は狼である」・「万人による万人の闘争」といった、代表選出で政治体制を築けるといった民主主義の基調にある原理認識と同等だ。人間には、羊と狼がいるのではなく、みなが狼なんだ、だから、弱い狼でも、2・3匹でよってたかって強いやつを退治することは可能だ、そんな程度の差だ、だからまた、一匹一匹が他の一匹を妬むことができるような差でもあり、他人との競争が発生するんだ、お互いが疑心暗鬼になって闘争が常に潜在している、それが自然状態であり、ゆえに人間にとって自然は戦争状態なのだ。これを回避するには、自分が自然として持っている妬み闘争する能力を自然権(自由)として捉え返して、多数意見的に合議された体制にその各人の能力=自然権(自由)を譲りわたしたほうがよい……。私がイチローや本田選手のようなプロ選手になれる能力を持つのは事実だが、そこまでその一事をやっていくほど好きではない、闘争をつづけることには疲れてしまう、平和が欲しい、ゆえに、私はその自分の能力をプロ選手として集められた代表制度にあずけて観戦に身を引くので、もうイチローや本田選手を妬むことはない。むしろ、その一事を、闘争を続行している人間として、彼らを尊敬するだろう。
子離れができず、なお我が子と一心同体と勘違いして、子供の競争がそのまま親同士の闘争となって、妬みうずまく自然状態。自意識=他人意識が未熟な子供たちは、実はレギュラーからはずれても、あんまり気にしていず、チームと一体となっている感覚、遊び感覚のほうを楽しんでいたりする。子離れ=親離れ、つまり自立とは、発達した自分の妬み競争能力を、超越的な主体、制度に譲り渡すこと、自身の内部においては、自分をコントロールしえる超越論的な主体、自我をもつことであるだろう。が、もうその必要性が、母親にして感じられない。あるいはその主体が、これまでの目に見えない文化制度、慣習だったものが、ブランド幼稚園から大学まで、就職先までと、目に見える世俗の表象にすがりつくようになっているのだ。その世俗にもまれている父親たちは、そのブランドの体たらくを知っているし、もうどうしょもないともわかっているが、それに代わりうる価値ある文化、制度を知っているわけではない。だから、女房に強い文句もいえず、影で、おやじの会などの飲み会で、ぶつぶつぼやいているだけだ。親子(母子)の癒着が断ち切れないことからくる犯罪が、このところ多くみえるのも、気がかりだ。かといって、代表戦(国家間戦争)も、時代錯誤になって、機能していない。だから、その機能不全の論理構造がそのまま延命して、以下のような、新しい戦争の表象に更新されるのだろうか?
<「自衛隊無人偵察機、南シナ海沖で国籍不明の無人機と交戦」
ああ、またかと思う。最近では、毎月のように自衛隊と海外軍隊の交戦が報じられる。さすがに数年前、自衛隊が創設以来初の交戦をしたというニュースが流れた時は、日本中が大騒ぎになった。ついに「戦争」が始まった、と。…(略)…だけど、その戦争は人々が恐れた「戦争」とはまるで違うものであることがわかった。はるか南シナ海で、数機の戦闘機が交戦するだけ。結局、宣戦布告も終結宣言もなく、数日で「戦争」は終わった。
当初、交戦による犠牲者は自衛隊員だと発表されていたが、それは自衛隊が委託した民間軍事会社の社員であることがわかった。彼もまた日本人だったが、自衛隊員ではない民間人を靖国神社に合祀するのかといった議論が一部では盛り上がった。
それから、時々こういった「交戦」のニュースを聞くようになった。だけどもう誰も「戦争」とは呼ばない。特に最近は無人機の配備が増えて、各国の兵士たちが命を落としたというニュースも聞かない。「交戦」はすっかり、自然現象の一つのようになっていた。…(略)…しかし、僕たちの毎日の生活の何かが変わったわけではない。>(古市憲寿著『誰も戦争を教えられない』 講談社+α文庫)