歴史人口学者と紹介されるエマニュエル・トッド氏の『家族システムの起源』(藤原書店/石崎晴己監訳)を読み始めている。
思い浮かんだことをメモしながら、気になったところを引用していく。まとまった感想は、あとで整理する。
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「『第三惑星』の中で、私がこの二つの純粋核家族類型を定義したのは、演繹の実施によってだった。自由と権威、平等と不平等という二対の価値を掛け合わせると、共同体家族(権威的にして平等主義)、直系家族(権威主義的にして不平等主義)、平等主義核家族(自由主義的にして平等主義的)、絶対核家族(自由主義的にしてかつ平等主義的でない)という四つの区分に至る、というわけである。だから二つの純粋核家族カテゴリーは、ある種のピタゴラス的幻想の痕跡を残しているのである。…(略)…というのも、完璧に一貫性のある類型体系を先験的に定義するのは、不可能でもあれば無用でもあるのだ。なぜ今になって、人間精神の力の中に世界の現実性を探し求めるピタゴラス派ないしデカルト主義の呪術的宇宙へと退行しなければならないのか。実を言えば、類型体系とは、図面なり図式のような具合に、データを展示する便宜を提供するにしても、それ自体ではいかなる科学的有用性も持たないものである。それにとって外部的な、一つないし複数の他の変数との関係の中に置かれるのでなければ、興味を引くものではないのだ。」
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・そう前作を反省しているわけだが、このピタゴラス的、構造主義的4類型は、柄谷氏の『世界史の構造』における4象限と重ね合わせることができる。
<パリ>とは、もちろん近代の思想基礎になる革命の理念が立ち上がったとさるところとして、である。地理的にはパリ盆地とかより具体的に限定されてくるのだが、ここではより抽象化して図式的に短絡化している。またもちろんトッド氏は、構造的に世界を把握してみせることから、「伝播」的な時間軸を基軸に据え始めたわけだから、この4象限は定型的なものから、座標軸的なものとして読まなければならない。交点をゼロとして、たとえば日本は直系家族の中にあってもどのような座標位置にあるかが、より特定指示されうるかもしれない。トッド氏はこの著作の中では、15の家族類型を提出しているので、その類型のグラデーションから、日本をより統制的理念の方向へ近づけるには、どんなベクトル強度でネーションと国家の2方向を強化していけばいいかの、実践的度合(バランス)が座標空間として把握できる、ということになる。実際、トッド氏は、前回ブログでの引用著書で、そのように、日本では国家の再導入の検討、自衛軍隊の強化を提言し、アメリカやロシアとの関係強化を示唆している。「ユーラシアでは、父兄原則の出現は農耕の出現より大幅に後になる。」
「しばらくの間、狩猟採集民の原初的社会形態、ということはすなわち人類の原初的社会形態は、双方的な親族の絆によって組織編成された現地バンドの中に組み込まれた、一時的同居を伴う核家族であった、としておこう。…(略)…
定住化は、農耕への移行と同じとすることはできない。…(略)…
流動的なバンドに組み込まれた核家族という当初の仮定にたつなら、定住化がどのように、凝縮した、複合的な家族形態の出現をもたらすことになるかを、構想することが可能になる。そうした家族形態の中で、現地集団の上位レベルが、安定性と重要性を次第に帯びて行ったわけである。しかし定住化はまた、場合によっては、少なくとも居住という意味では、純然たる核家族の絶対的自立化を容認するものであった。
稠密化の過程にあるシステムの中では、居住先家族の選択について固定した選好が姿を現すと、想像することができる。それが父親の家族なら、父系原則の出現へとつながり、母親の家族なら、母系原則の出現へとつながることになるが、ただし後者は、後に見るように、より稀に起こることである。ひとたび原則が確定すると、父系性もしくは母系性は、その厳密さそのものによって、家庭集団の追加的稠密化を促進して行く。」
・トッドの論考は、「定住」以後を目指すもの、経験的に限定するものである。そこでは、バタイユ的な、またフロイト的な、それ以前を思考しようとする狂気は含まれない、というか除かれる。柄谷氏の構造には、定住以前のもの、核家族(ファミリーロマンス)の内的現実が古いものとして周辺にとどまっているという歴史的考察だけではない、仮説的な飛躍が導入されている。それは死への欲動として回帰してくる、とされる。この伝播と構造の関連は、論理的には明確ではない。真の問題設定として成立しうるのかも、明解ではない。
・トッドの思考の型は、フーコーを連想させる。日本を憧憬したバルトとともに。要するにフーコーも、理性的なヨーロッパなどと学問世界ではいっているが、本当は(古代的には)ヨーロッパも日本と同じサルのセクシュアリティーが、双系制が、核家族が基礎なんだ、と言っていたのではなかったろうか? 父親なんか強くない、と。そんなのは上っ面だと。