「中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。
批評家の江藤淳が一九七0年に「『ごっこ』の世界が終わったとき」という論考を書いています。彼はそこで、戦後日本人はずっと「ごっこ」だったと言っている。つまり最終決定は全部アメリカがするのだから、国会の審議なども全部「ごっこ」にしかすぎないと。ところがそれから四五年以上もたって、安倍首相はこの「ごっこ」遊びをもっと強化しようとし、それを「戦後レジームの解体」という矛盾に満ちたことを言っているわけです。
しかし、アメリカは遠からずアジアから距離を置き始めるでしょう。そのとき、日本は大きな不安に見舞われる。しかも中国との関係性はきちんと構築されていない。そうなれば、一瞬の出来事をきっかけに、根のない大衆が、権威主義的パーソナリティーに飛びつく可能性が十分ある」(中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』 集英社新書)
約束したそばから反故にされてアメリカより帰国した安倍総理、ロシアとの関係も、内輪での強気は外への弱みだとして食いつかれいいようにしゃぶられているような状況のようである(参照ブログ)。先代がイロニックに従ってきた言動も、もはやそのニュアンスがわからなくなってくるのが3代目のようだから、真面目な「ごっこ」になってしまっているのだろう。が、もはや相手に通じない。こちらはママゴトの延長戦のつもりでも、先方はそんなお付き合いはやめて真剣勝負を挑み始めたのだろう。しかし当方は、その違いがわからない。気づけない。なんでこんなに誠実に対応してきたのに、冷たくなったのだ? そんなとき、3代目坊ちゃんのとる行動様式はどんなものだろう? 私には、都はるみの「北の宿から」のような演歌になるのでないか、という気がする。
<あなたかわりはないですか?
日ごと寒さがつのります
着てはもらえぬセーター(TPP/北方領土)を
涙こらえて編んでます>
しかしならばその時とは、日本の民衆が本気で安倍氏を支持するときである。「判官びいき」で小池氏は都知事になったのではないか、と浜矩子氏の評価を引用し私も同意した。民心のあり方を無視し逆なでした自民党の権力が、対外的な関係では逆転して、小池支持がそのままで敗北感ある安倍政権への同情(世俗権力的な米露中への嫌悪)へと連綿していくことはあり得るのではないか、と私は思っている。
大澤真幸氏は、『日本史のなぞ』(朝日新書)として、「なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」と北条泰時をとりあげる論理的前提として、権力の「二元関係」を抽出してみせている。たとえば、鎌倉時代だったならば、<天皇:幕府=将軍:執権>という構造である。俗にいえば、「無能に見える社長と、経営に辣腕を振るう専務」とか。そして明治時代であるならば<天皇:元老>、そして戦後、この元老の位置に、アメリカが入っているのだと。そしてこの「二元関係」は、論理形式的には、日本に特有のものではない。易姓革命の中国や、キリスト教との関係でも、ヨーロッパとてそうである。が、日本では、「<一者>にあたる要素が――超越的な外部性ではなく――内在的な人間であることの代償は、次のことである。社会システムをある意志によって主体化する「決定」の操作が、「すでにあること」「与えられたこと」をただ追認するという空虚な身振りへと転換すること、それは「天」や「神」のような、現状に抗すること、現状を否定したり改変したりすることを求める意志や帰属点としては、機能しない。これでは、絶対に革命は起きないだろう。」
しかし上の論理は、人類学的にいう、人類の知恵、「権力と権威」の区別という経験知と同等な論旨なのではないだろうか? 共産圏(中国)でははっきりと宗教的権威を否定(区別)し、欧米では形式的・儀礼的には権威を取り入れている。が、近代を経てなお、日本ではその区別が実践的・日常的にも利用されているので、天皇制は手ごわい、ということではなかったのか? 政治のプロとして、飼い犬の吠え方によってその人が自分に投票するかどうかわかるといった小沢一郎氏、論理を理解する近代的な政治家だと江藤淳氏からも称賛された政治家でも、天皇には触れてはだめだと用心しているという。明確には区別したことがなく、なお「二元関係」的に生きているからこそ、論理を超えて、タブーが感じられてくるのではないか? しかも広義には、天皇制とは、天皇とは関係がない。大澤氏自身が社長と専務の卑俗な例をあげてるように、それはいわば、「出る杭は打たれる」、打ってしまう行動様式として、私達の心性としてもあるのだ。出る杭(権威)とそれを打つ権力との関係とは、<天皇:執権(判官)>との関係ということである。権威につくものが偉そうにしていると、揚げ足をとりたくなる。そうやって、自民は都知事選に負け、トランプやプーチンには一生懸命やったけれども、と。むろん、彼らは外人なので、日本人の心情理屈は当てはまらない。が、うまくやれば、マッカーサーのように「まれびと」となって二元関係の神的位置へと内面化されうるようにも振る舞えるだろう。がそれ以前に、日本の民衆自身が、かつてロンドン軍縮会議での政府の世俗権力駆引きの失態から政権に不満を持つことで、元老なきあとの天皇を輔弼する者として軍部自体を二元関係に掬い上げてしまったように、出しゃばりを嫌悪する判官びいき心性を維持するアイデンティティーの確保が、ファシズムを惹起させてくるかもしれない。代表する者とされる者とが恣意的な関係になるという代表政治を媒介に、小池氏がその意図通りで当選したわけでもないように、安倍総理が三選されるのかもしれない。
しかしまた、大澤氏が北条泰時を評価するのは、その論理を「否定的に活用」したからだった。――「<例外的な一者>を肯定的に活用するような革命は、日本では起きなかった。天皇は、社会システムとの関係で、真の<超越性・例外性>をもっていなかったからだ。しかし、それを否定的に活用するのであれば、日本でも、革命が起こりうる。」
否定的に活用する、とはどういうことか? それは泰時が天皇を成敗しながら、それを活用したことが例であるとされる。その権威を借りるのではなく(それは安吾が批判したように日本史で反復されてきたことだ――)、それを否定した上で、その在り方に「忠義を表現した」と(――信長のように端的に否定するだけでなく)。わかりにくいが、大澤氏は、パスカルの神の存在証明を超えた賭け(神の不在が証明されても神に賭けることに損は発生しないという論理)への批判的継承としての、ディドロの「不在の神への信仰」態度を例示している。パスカルの賭けは、なお損得勘定があって不純だが、ディドロのそれは「神なき信仰」であり、泰時のそれは「天皇なき天皇制」だというのである。私も、論理形式としては、それを受け入れてもいい。トランプやプーチンにやりこめられた安倍をはじめとした日本人が「なめんなよ!」と立ち上がろうとするその時、私たちが実践すべきなのは、退位を表明した天皇に同情しその権威を借りて9条を錦の端にして現状を否定してみせようとすることではない(そんなのは自己満足的な身振り、つまりは「判官びいき」という「二元関係」を無自覚に肯定的に活用しているということになる――)。自分たちの世俗の力のなさ、世渡りの下手糞さを自覚して、まずはそんな感情(空気)に左右されてしまう自分たちを立て直そうと我慢することだ。私としては、その大きな集団的行為とが、憲法改正して、天皇の条項を憲法から削除すること、だと思っている。そして、別立法で、天皇を庇護するよう税法や財産の件などをじっくりと考えていけばいい。それこそ、泰時がやった実践=革命であろう。まずは、我々の甘ったれた「権威主義的パーソナリティー」からゆっくりと決別する手だてを実践していかなくてはならない、それが先決だ。が、その、大澤氏ならば論理的な実践と呼ぶかもしれないその論理形式の内実、あるいは文脈が、我々の実感、経験を踏まえたものでなければならない。そうでなければ、その論理実践から、私達は、疎外されたままであろう。空虚な感じにつきまとわれたままだ。
では、その内実、文脈とはなんだろうか? 大澤氏は、泰時の御成敗式目から、次のように引用付記している。
< 女が養子をとることについて。律令ではこれを認めていないが、頼朝の治世から今日まで、子のいない未亡人が養子を迎え、その養子に所領(夫から受け継いだ領地)を譲渡するのを認めた例はたくさんあり、すべてを数え切れないほどだ。のみならず、一般にそうしたことは広く行われ慣例にもなっている。女性の養子を認める評議の内容は信用に足るものである。
このような条文を含む複数の条文から、律令の公式の規定とは異なり、御成敗式目が女性の財産に対する大きな権利を認めていたことがわかる。
このような法を定めたことは、日本社会の歴史の中で、まことに画期的なことであった。御成敗式目が、完全に固有法だからである。法制史には、固有法と継受法という区別がある。継受法とは、他国の法律を、自国の事情に照らして改変した上で継受した法律である。…(略)…内容の点でも、また文体の点でも、御成敗式目は、律令とはまったく独立している。無学で、漢字が苦手な武士でも、この法は理解できるようにできている。>
また、『雨月物語』から「白峰」を引用し、「…何の落度もなかったのに、父親の鳥羽上皇の命令によって仕方なく、その位を、異母弟である三歳の体仁に禅った。体仁、つまり近衛天皇が早世したのだから、崇徳院の子の重仁(崇徳院の第一皇子)が天皇になるのが本来の道理だったのではないか」という崇徳院の霊に反論する西行の言い分を、大澤氏は紹介している。これらの引用から連想されてくるのは、どちらも父系的な共同家族という文明中心からの影響下での、核家族(双系制)的な土着の抵抗の文脈である。大澤氏は、中国の易姓革命に関し、皇帝のことを「別の父系集団に属する人物」としても註しているから、もしかして、トッド氏の家族人類学的な分析を意識しているかもしれない。現在の中国に対しては、「今や、皇帝を輩出するのは、同一の姓の父系集団ではなく、共産党である」とも注記している。ともかくも、大澤氏は、論理の形式的な同等性以前に、自然発生的な、自生的秩序をそれが踏まえていなければならないとしている、と言っているようだ。つまりその論理が成功するには、論理的な前提として存在している文脈=自然=自生的な運動がある。
<自生する秩序の尊重は保守主義のアイデアであって、社会に革命的変動をもたらすものではないのではないか。そうではない。確かに、自生的秩序の肯定は保守主義の基本テーゼかもしれないが、そのことは必ずしも革命とは矛盾しない。というより、革命は、一般に、自然発生している秩序や運動を徹底的に肯定することを通じて、自らもその秩序や運動に参加することによって実現するのだ。革命は、自然発生している秩序に抗して為し遂げられるのではなく、逆に、それを、徹底して、過剰なまでに肯定し、引き受けることによって可能になる。言い換えるならば、自然発生しつつある秩序や運動を十全(以上)に肯定することは勇気を要することであり、一般に困難なことである。>
しかしそれは、「困難」なだけではない、「恐ろしさ」でもあるのだ、というのが、冒頭引用の中島氏の洞察である。
<中島 しかし、「自然的作為」や「自然法爾」という考え方は危険だから持つべきではない、と言いたいわけではありません。一方でこれらの概念は、民衆の自生的秩序を生み出す力とも結びついています。
たとえばレベッカ・ソルニットが『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』で描いたように、大震災などが起きた時に、突如として人々が水や食べ物を分け合い、そこに秩序というものが自生的に生まれ、そして国家の介入なしに安定した社会を作ろうとしていく。
こうした力も、「自然法爾」という概念は含み持っていて、それが親鸞の魅力でもあるわけです。
ですから吉本隆明の問いかけというのは、私にとっては親鸞思想の魅力と恐ろしさの両者をどのように考えるのかという問題をつきつけられた感じがしたわけです>(前掲書)
中島氏は、トッド的な人類学的な文脈を意識しているわけではないようだが、私は、秋葉原事件のルポから、氏の「血盟団事件」への考察を読み、そのトッドがみる「自然的作為」としての家族人類学的文脈を想起せざるを得ない。私は、血盟団事件の首謀者である井上日召が、自分と同じ出身地だとは知らなかった。が、その激情的な情念は、よくわかる。内村鑑三などとも、似ている。血盟団の若者たちは、媒介者を排した直接的な、空虚を介在させない直接的な感情の発露を欲した。しかし、政治が代表制という選ぶ者と選ばれる者との恣意的な結合という記号論的な制度であるかぎり、そこに、今の祭りごとに、そんな欲望充足を求めても詮無いことである。が、大澤氏の説く革命の論理形式も、たとえ自生的な動き=文脈に乗っかっても、それが政治的であろうとするなら、つまりは代表制という論理形式をも排除するわけでもないのであるなら、実現可能な論理的整合性を持ち得るのだろうか?
私には、ただ直観があるだけだ。「なめんなよ!」(SEALDSの政治的コールでもあったそう――)、その自生的な激情は、脱原発を意欲しながら核武装も可能にさせる。安倍が自ら意図したように選ばれるわけではないように、民衆は意欲しないものを選ぶことができる。選んでしまう。その意欲の生け捕り方法は、果たして、大澤氏の説く論法なのだろうか? 少なくとも、上州生まれ、坂東太郎育ちの私には、その論法は理解できるとしても、心服されるものからは遠く感ぜられるのである。