2009年1月5日月曜日
世界のあとさき
「このように隠然とした資本の理論に沿って考えると、世界が多極化に向かうことは、これまで高度成長の対象から外れていた中国やロシア、インド、ブラジルなど、大国だが先進国ではない諸国にとって、経済成長のチャンスがもたらされることになる。逆に、ロシアや中国、インドなどが「社会主義陣営」の中に組み込まれ、欧米資本が入りにくかった冷戦時代と同じ状態が続く限り、これらの大国には経済成長の機会も少ないということになる。
ビルダーバーグ会議に象徴される欧米資本家たちが世界の多極化を目指しているとしたら、それはアメリカだけが世界の経済成長を牽引する従来の経済体制から脱却し、他の大国が経済成長できる素地を作るためだろう。資本の理論が秘密主義にならざるを得ないので、世界システムに関する分析は仮説の連続になってしまうのだが、私はそのように考えている。」(田中宇著『非米同盟』文春新書)
元朝参り、田舎の神社に賽銭投げて、願い事は何だと息子の一希にきくと、「戦争がおきませんように」と答える。年末のテレビ番組の「ドラえもん」を二人で見ていても、その番組企画、スペースシャトルにのる若田光一さんに手紙を送ってお星様に願い事をとどけてもらおう、というのをきくと、自分も送りたい、と言い出す。どんなお願いをお星様にするのだ、ときくと、「世界のみんなに事件がおきないように。」と答える。私が新聞やテレビをみながら、外国の紛争や国内の幼児が巻き込まれる殺人事件について口にしているのを耳にすると、聞くのもいやなように逃げていくのが普段の一希なのだけど。「なんでママが子どもを殺すの?」「なんで戦争はおこるの?」と聞かれて、理由というよりもそれが起こったさいに記事としてわかっている事情を話してやるにしても、まったく腑に落ちてこないようだった。少なくとも、家庭に恵まれている子どもにとって、その両親からの愛情が考えていくための基礎公式になるからか、悟性的な計算(推論)では理解できない事態なのだろう。ただ子供たちにとって、嫌な事件だということが、なにか身を持って理解できてしまうことなのかもしれない。チェチェンでの戦争に際し、両親をロシア兵に殺された子どもは、その兵士もまた大統領の子供のような存在なのだから、悪いことをたくらんだ大統領だけを山に幽閉しておくだけでいいじゃない、と言っていた。自分のように子供が悲しむのだから、それ以上の悲しみを増したくはないと解決策を説くのである。
年初からして、経済危機を越えて、というよりそれを巻き込んで政治的にきなくさい臭いが立ち上がり始めた。私は、パレスチナの現実の複雑さを知らない。ただ子供と過ごす時間が、明日にはなくなるかもしれぬ貴重な時間のように思えてくる。そしてそれに溺れることが、国内の、身近に生起してくるもろもろの出来事によって批判されてくるのを感じる。「派遣切り!」と若者が包丁を振り回して捕まった事件の起きる少しまえ、女房と私と一希はその六本木ヒルズの森ビルにいたのだった。今年高校受験を迎えるはずのペルーの友人の息子は、日本の中学卒業と同時にペルーにもどることになるという。大手町の弁当屋に勤める彼の奥さんは、今年になって派遣会社が変更になって、時給が900円から800円になった、正月休みというのも一日もない、と言う。
しかし、日本という外国で生きる彼・彼女たちには、そんな中でも後ろ向きになるのではない前をみつめる姿勢=術が、生きる習性として身についているようにも感じる。子供の教育に対しても、ごく自然なように、姉がいるアメリカ、友人のいるフランスの高校へ、と選択肢を拡げて視野に入れてくる。私が彼らとつきあってためになるのは、暗さに甘えない元気と他の思考へのきっかけをもらえることだ。
つまり、さて世界はどうなるか、ではなく、さて私は世界をどうしようか、ということである。
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