2011年12月9日金曜日

テクノロジーとカタストロフィー


「十六世紀末の日本の刀狩りによせる研究者たちの通念は、およそ次のようなものであった。豊臣秀吉の政権は、分裂していた戦国の国家の軍事統合に成功して、すべての暴力装置を集中独占すると、その力を背景に、武装解除をめざして、農村からあらゆる武器を徹底的に没収し、民衆を完全に無抵抗にしてしまった、と。/この見方は、いま、ほとんど国民の通念ともいえるほど根強く、「強大な国家、みじめな民衆」という通念は、十七世紀以後の徳川政権というアジア的な専制国家像を形づくるのに、決定的な影響を与えてきた。しかし、民衆の徹底した武装解除という奔放なイメージは、刀狩り研究の大きな欠落と空白に支えられて、じつに自在であった。だが、この通念ははたして事実であったか。「みじめな民衆」像ははたして実像であったか。」(藤木久志著『刀狩り――武器を封印した民衆――』 岩波新書)



七歳になる息子と一緒にその赤ん坊の時からのビデオクリップをみていてびっくりした。これまでも毎年2回くらいは、その私のHP上にも一希のプロフィールとしてアップしてある映像を息子はみてきたはずなのに、あたかもいまはじめて見るように見入り、5歳の頃に撮った自身がダンスをする姿をみて、げらげら笑いこけながらも、「こんなの見たくない! こんな格好つけ<いっちゃん>はいやだよ、もうやめてよ!」と言い出したのである。たしか半年ほどまえは、そんな反応もなく、素直にそれが自分なのかと受け入れていたのに。私は、親が子のビデオや写真をとりまくっているこのデジタル社会の環境の中で、子供はどう自身の記憶とつきあっていくのだろうかといぶかっていた。覚えたくもない思い出の暗記過剰になって、自分がおかしくなっていくのじゃないだろうかと心配もしていた。とくにその推定は、私の学生時代の教養の中でも、たとえば音楽家の坂本竜一氏と文芸批評家の柄谷行人氏などが、テクノロジー(シンセサイザー)が感性を解体するとか話していたので、科学技術の変革によって制度としての感性も変容していくのだ、とされていた延長にもあたるので、憂慮は知的な正当性を得ているとおもっていた。が今回の息子の様をみていて、それはどうも違うようだぞ、しかも、最近の自分の意見もこのブログなどで展開してきたように、サル的にというか人類的にというか、むしろ変わらない部分のほうが大きいのではないか、と思い当たったのだった。どうも、少なくとも人間は、自分という何かを維持していくために、都合よく本当に忘却してしまうようにできているのではないか、と。七歳の一希の自己嫌悪は、思春期に特有の、たとえばテープレコーダーの自身の声を聞いて違和を覚えるとかの症状と同じものなのだろうか? 「我は他者なり」というような存在論的次元への自意識化というような。…たしかに存在論的な、といえるのかもしれないが、どうももっと身体規制的な、つまりは遺伝的な生存本能に近いようなものにみえる。つまり自分を狂わすのではなく、あくまで健全な育成である。が、私はそこから、ベックがいった「全的なカタストロフィー」という意味のことを考えた。HP上の観覧記で倉数茂氏の『私自身であろうとする衝動』(以文社)の感想でその言葉にふれて、気になっていたからだろう。



私はそこで、今回の大震災や原発惨事を、かわいそうだが運が悪かったのだ、とみなされるしかないとする確率論的な社会観の是認は、悲惨を他人事としてみられることですんだ(戦後)平和ボケ時代の延長のままなのではないか、しかし我々は、もう他人事(部分的な)としてすまされない我が事(全的な)の事態として受容せざるをえない時代に転換してしまっているのではないか、といった。山城むつみ氏の『ドストエフスキー』を引用しながら、モーセの時代のように、と。つまり、ベックの認識背景にも、実はそんな平和ボケに回収されてすんでしまうのではない、「全的なカタストロフィー」が前提とされているのだから、と。しかし、「全的」とはなんだ? モーセが感受したものは、その現場・地域においての話じゃないか? 今回の震災や原発事故だって、日本だけのものじゃないか? かわいそうだが仕方のないこと、と募金やエールが飛んでくるのではないのか? テレビやパソコンで世界中の悲惨が受信できようと、そのテクノロジーの社会自体が、まさに平和ボケでしかありえない我々の感性を規定してしまっているのじゃないか?……



つまり、ここで、一希の出番なのだ。どんなにデジタルなテクノロジーが人間(子供)の脳髄を暗記過剰にさせようと、人間(子供)は忘れてしまう。それがなかった昔と同じように。つまり、あのモーセが世界を感受したように。この本源(健全)的な身体規制において、部分というのはありえない、のだ。今ここが、全的に更新されていくのである。もし一希(子供)が世界(他の地域や他の悲惨)と交わるとしたら、この一点においてである。というか、その一点でしか合点できない。子供に戦争の悲惨さや社会の恐さなどを説教しても理解されないのはそのためだ。一希は津波で死んでいった人々の映像をみても他人事である。しかし彼は、なぜか深く理解している。まさに当事者と同じ者として。忘れるのは、むしろその深い理解のためかもしれない。しかし忘れるとは、それを懐深くしまいこむことだとしたら? 大切なものとして。「全的なカタストロフィー」とは、それゆえ、「今ここの更新」という一点において感受される世界体験のことだろう。私にもそんな能力があるはずなのだが、平和ボケのほうが大きいのだろう。が、忘れていたその体験が、今回呼び覚まされたのではないか、ということなのだ。実際、3.11以降、気分的にそれ以前と同じではいられない。この変な感覚が、そのうち平和な日常感覚にもどっていくような気がしない。どこか、関節がはずれたようなのに、その箇所がまだつかめていないような……四十肩で生活している感じに似ている。(「腕があがらんが、どこか変だなあ」、と。)これは、私だけではないだろう。



一希のげらげら笑いを見ての「今ここ」と「世界」という飛躍的な概念連結の連想……ときたところで、今日、というかさっき、守安敏司氏の『中上健次論』(解放出版社)を読み終える。「今ここ」の肯定、といえば、やはり中上健次か、ということで。その守安氏の柄谷批判は、冒頭引用した、藤木氏の『刀狩り』論の構えと似ている。つまり、藤木氏が、秀吉の刀狩りによって民衆が骨抜きにされたというのは史実ではない、とするように、柄谷が中上作品に読んだ、一向一揆の部落起源説に対するまずは事実的な是正批判からの開始である。



<繰り返されるこの柄谷の主張は、完全な誤りである。もともと、当時、細工とは河原者と呼ばれた賤民であった人々が一向宗徒となり、信長と戦い、敗北し、後に、穢多や皮(革)田と呼ばれたのである。つまり、被差別部落になったのである。言いかえれば、賤民でなかった良民が一向宗になり、被差別部落とされた資料は、現在までのところ一切存在しないのである。故に、被差別部落が「近世市民革命」(近世に市民が存在したかどうかは、ばからしくて問う気にもなれないが)の敗北で成立し、「浜村孫一」の敗北で成立したとするのは決定的な誤謬である。…(略)…また、超時代的に言ったとしても、被差別部落民がそうでない地域と比して、特別温かかったり、冷たかったりするわけではない。ここに至っては、ある種、柄谷の差別性すら感じてしまうが、そんなことは、常識的に考えても判断のつくことである。>(前掲書)


柄谷氏の言説が説得的なのは、その文脈が、たとえば、日本ではデモが少ないじゃないか、といういかにもわれわれが首肯せざるをえない現実との関連において形成されてくるからである。やはり一揆から「刀狩り」され江戸体制で確立された制度的感性がなお我々を支配しているのかな、と。しかし「民衆(市民)」とが、中上の作品にでてくるような、「今ここ」しか知らないような馬鹿みたいな主人公だったらどうだろう? あるいは、守安氏が「はじめに」で触れてみせる、<また私の接した気性の荒い漁師たちとよく似た中上作品の登場人物>のような者たちだったら? 『刀狩り』の藤木氏は、それが実際に武器をとるということよりも、むしろ尊厳を骨抜きにさせていくための「象徴的な行為」としてあったと指摘しているが、人間<(作家)の歴史(作品)>にとって重要なのは、「事実」ではなく、それ以前的に「今」をどうするかという意味や思想であったとしたら? なんで「今」デモがないのか? 私自身は、そんな柄谷氏の認識前提自体に懐疑的だが、次回のブログは、守安氏の中上論を中心に、そこら辺について追求してみよう。

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