「律令制度の整備にともなって、平城京には古代豪族に代わる官人組織による貴族官僚が形成されていった。新しい知識人たちである。後期万葉はこうした官人たちを中心にした無記名歌に占められるようになる。彼らはしきりに自然を詠んだ。しかし、その自然は太古のままの自然ではない。それは彼らの邸内に移し植えて作られた自然の縮図ともいうべきものだった。つまり、第二の自然と呼ぶべきものだろう。彼らはこの第二の自然に好んで花樹を植えたのだった。彼らの美意識の昇華は花樹愛を核に、次第に文学サロンを形作ってゆく。」「「花は桜木、人は武士」も『忠臣蔵』の台詞として波及していったように「判官切腹の場」で、その死の臨場感を盛り上げるのは、舞台いっぱいに飾られたさくらと、散りゆく花吹雪であった。悲劇はさくらに助けられていっそう悲愴感を演劇空間に盛り上げる。…(略)…その桜観に対して、江戸時代のもはや戦闘の要員ではなくすっかり官僚化した侍たちも積極的に否定する理由もなく、むしろ一種の見栄としてさくらの死という桜観を受け入れた。しかし、その死に臨んで芝居のような訳にはいかなかったのは幕末、戊辰の動乱で露呈された通りだった。」(小川和佑著『桜の文学史』 新春新書)
携帯電話の調子がおかしいので、中野駅前のソフトバンクの支店にいってくる。スピーカーの故障ということで、保険に入っていない私は修理よりも機種交換したほうが安上がりなよう。カメラもレンズが傷だらけで写せない。7万円電話機の2年分割払いも去年終っている、ということで、新しいのに買い換えようとするのだが、店頭にはもう携帯電話はほとんど置いておらず、スマートフォンの時代なのだった。現在一月の電話料金は3千円ほどだが、スマートフォンだと最低は8千円はするという。ディスプレイがむき出しなので、土建仕事ではすぐに汚れ破損してしまうだろう。結局は、在庫であったピンクの電話機を買うことになったのだが。しかし、それを手に入れるのに、4時間近くもかかる。以前よりもカウンター数も店員数も減っていたので、手続きに時間がなおかかるのだ。従業員の質も落ちている。ソフトバンクは、店舗数は増えているように街ではみかける。原発事故以降、政治の時流にうまくのって、この新端末のアメリカ企業からのOS使用許可、国内空き電波への参入獲得、新エネルギー市場への布石準備…とうをみると、なにか裏があるのではないかと勘ぐりたくなるくらいだ。新規に市場参入する新参者のときは規制緩和と叫びながら、自分がそこを独占しはじめる勢いにのると、都合のよい規制を強めてくるだろう、というのが、結局は同じ構造、同じ穴のむじなにすぎない資本下の論理である。この徴候は、すでに末端のサービスに現れている。私は、後輩のときは先輩の悪をあげつらいながら、いざ自分が先輩になると同じことを後輩に繰り返して伝統とやらを受け継いでいった運動部の人間模様を思い出す。脱原発の新エネルギー政策があったとしても、そういうイヤなものの支配下としてある。単に、同じ市場(皿)の中での、もうけ(大きさ)の違うパイの奪い合いをしているにすぎない。その皿を差し出す店が変わらないなら、原発反対を叫ぶよりも、大気圏に精製されていない重油ガスを撒き散らしているという飛行機を飛ばすのをやめよう、といったほうがずっと地球には親切で、資本市場をゆさぶるように思える。
30年ぶりに、母校が甲子園にでた。県立の進学校なので、秀でた選手がいるわけでもないから、まずはミスをなくして四つに組むゲームを作っていくことが大事になる。先制点をとってその流れを序盤では作れたが、4回でのピッチャーの2打者つづけての失投が取り返しのつかないミスとなってしまったようだ。2ストライクと追い込んでからの、高めへのボール球が、中途半端な制球となって強打されたのだ。130km以上のスピードはだせるこの投手は、去年2年生の夏、県予選決勝をかけた試合で、7回に5-0くらいで勝っているときに登板をまかせられたが、ストライクはいらず、押し出しのファーボールをだしたりで逆転を許し、先輩たちを敗退させてしまっている。そんな経験からの成長と、今回甲子園で唯一の明治時代の創立校、そして男子校、そのいかにも時代遅れにもバンカラ古風な応援の様をテレビでみるにつけ、私は複雑な心境になった。この高校生が負けずに成長できたのも、一番は<先輩ー後輩>関係に萎縮されない旧制中学時代のバンカラな自由な校風がなお吹いているからだろう。しかし、こんなガラパコスみたいな時間停止でいいのだろうか? 戦後の運動部で強化された<先輩ー後輩>関係は、軍隊経験によって換骨奪胎された「官僚的」なものである。しかし旧制校から伝承されて残存しているそれとは、「封建的」なものである。後者には、形式的な固形化にはさせない、個人の実力を認める尊厳性が確保されている。年下だからといってそれだけでつぶされない。問答無用ではないのだ。
地元の県からはもう1校甲子園にでて、準決勝までいった高校もある。こちらは私立で、おそらくは学校名を売るために、優秀な選手を集めているところだろう。そのチームの左のエースは、中学まで一緒に野球をやっていた友達の息子だ。今でも、私の父親にその友達から年賀状がとどくのは、母子家庭で生活苦だったその家族を父親が色々と面倒をみてやってからなようだ。子供心での記憶が確かなら、その友達の父親は本物の組員で、抗争事件で殺されたのである。そのため、近所から後指をさされていたときく。校庭グランド横でキャッチボールをしていたのを父親が見て、うまいから入れと誘ったのである。本人は、高校を野球推薦で入ってすぐにベンチ入りし甲子園に出たとおもうが、先輩のいじめにたえられずすぐにやめている(中学時代も、先輩から一番いびられた一人だった)。トラックの運ちゃんをやり、いまは社長だという。数年前、同窓会であったが、肺のひとつをガンで切除しているのに、なお煙草をぷかぷかしている。早死にを厭わないというか、それがどうしたと生きてきたのだろう。だから、父親が生きている間に息子がプロにでもなれればなあ、と旧友のことを思ってしまうのだ。次男のほうは、サッカーをやっているようだ。
サッカーを選んだ一希。というか、私が暗黙に選ばせたのだが。上からの命令ではなく、自らの状況判断で生きていけるように。幼稚園までの公園サッカーを一緒にやっていた年下のうまい子がクラブに入ってきて、チームの力が底上げされた。2年生も3月にはいって、脳神経が少し密になってきたのか成長をみせ、動きが多彩になってきた。3月の新宿区+招待チームの大会では、おしくも予選突破はできなかったが、順当に成長していけば、来年の今頃は優勝争いに参入しているだろう。年下の後輩たちとともに。「この子はね、うまいんだよ。だから試合にだしてよ!」と、先輩たち自らがベンチコーチに入る私に言ってきた。「だけど2年生の大会だから、まず試合に出るのは2年生からだ」と私は答えたが、すぐに先輩のひとりがバテてゴール前でディフェンスの役の振りをして休みはじめたので、そのうまい子に交代させることになる。すでに全体のバランスをみてポジションをとれるので、守備的にも機能し、2試合目では早くもハットトリックを決める。一希も4試合めではハットトリックを決め、チーム内では得点王の実力を発揮する。うまく成長していけば……しかしそれが前提としている社会は、イヤなものは、変わるべきものだろう。子供の成長と、社会(経済)の成長は、どのように交錯しているのだろう? 私はどのように解きほぐし、結びつけていけばいいのだろう?
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