2016年4月28日木曜日

封建と官僚、使用価値と貨幣――内山節から(4)


内山節氏をめぐって書いてきた最近の記述と関連するような文章個所に、的場昭弘氏と佐藤優氏の対談『復権するマルクス 戦争と恐慌の時代に』(角川新書)で出くわした。私の教養とは少し違う視点でもあるので、ここにメモし、コメントを加えた。

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<少なくとも私がいま知っている範囲、思い込んでいる範囲では、柄谷氏が上のような認識を言い始めたのはNAM失敗以降である。その以降の理論で、まずは民主主義の系譜がむしろ封建制であることを喚起しはじめた。主君に忠誠を誓う(契約関係を結ぶ)封建的上下関係と、上司(上官)に盲従する官僚的上下関係が違うとは、まずは丸山眞男氏が注視したことでもある。後者は、中国の科挙を系譜とし、モンゴル帝国経由でヨーロッパ絶対王政に転用された、というのが一般教養になるだろうか? さらに、封建制とが<自由>な契約精神によっているとすれば、官僚制は誰でも試験に受かれば登用されるという<平等>によっている、ということになるのだろうか? そして個人の自立的な関係としての騎士道精神が、徒弟的な職人労働者のアソシエーションに連なり、現在の思想へ継承されている、ということになるのだろうか?>(前回ブログ)


佐藤 少し乱暴に整理すると、公共圏から官僚制が出てきたという考え方になるわけですか。
 的場 いやそうではなく、身分制時代の私的な性格ももっていたわけです。私的な閉鎖的な領域をもつ、言わば身分制のなかで育ってきた人たちの特権的集団の利害をもちつつ、公共的な使命もそこに合体していった。だから、非常に取り扱いにくい組織だということになります。
 官僚のもっている一番の扱いにくさは、彼らの存在自体が非の打ち所のない正義という仮面をつけていることと、他方で、特殊な権益を守る団体でもあることです。」


つまり、「官僚制」が、中国科挙経由というより、ヨーロッパ中世の職人ギルドの特権団体の延長と変容という、その系譜自身の内在的な歴史によって発生しているとする視点。職人(封建制)から民衆、という流れとは別に、職人から国家、という流れで官僚制がでてきているというマルクス読解である。職人というよりは、実際は「ギルド商人」ということなのだが、この時代、職人と商人との違いがどんなものなのか、私は知らないので、とりあえず同型としておく。が、「彼らはやがて、最終的に新しく外に出てきたブルジョワたちにより崩壊させられ」たが、「決して壊れなかった組織もあった」ので、それが「新たな形で身分制度を衣替えして、唯一残った官僚」になったと。「やがて、最終的に」という時間が、どの歴史過程なのか、私にはわからないのだが、絶対王政下においてなのか、革命過程においてなのか? もっとゆるやかにか? しかし、フランス革命を、友愛かかげた職人精神側でなく、あるいはブルジョワ革命ではなく、官僚革命でありその勝利なのだとみなすトクヴィルのような見方もあるのだそうだ。とにかくも、そうした問題規制がなお現にあると私は感じている。以下は、その具体例としての、友人へあてた私のメールである。言いたいことを短くいうために事実を端折っているが。


<東北震災から原発事故の難民問題がまだまだ長引く中、今回の熊本地震で、さらに増えて、もう一か所規模の大きな地震被害の地域がでたら、国家的機能も麻痺してきそうな。
そうなったら、外国からの難民の日本への選択肢もなくなって、棄民になってしまうような。アメリカは喜んで沖縄から出て行って。そういう状況でも、やはり中国なりも、利益拡大で領土拡大の実施を実行していくのでしょうね。そのとき、なお日本国家は、だから核もとうとか小競り合いとか、やる余力を持つのでしょうか?
子供のサッカー現場で、育成実践するに際しての、共通了解的な部分が曖昧なので、また話し合おうとかなったのですが(東大サッカー部出身コーチの提案)、それも、封建的な「教える(親方・親分)ー学ぶ(子方・子分)」関係と、官僚的な「教える(上司・上官)―学ぶ(部下)」関係の区別が、理論的にまず決着ついていないので(アカデミズムでも)、現場において直観的な実践区別ができないからだとおもっています。ヨーロッパの歴史は、中世の封建制騎士道(レディー・ファースト)をつぶしたモンゴル帝国経由の絶対王政を、職人的封建制民衆が 排除した、と実践的態度が明確になったわけですが、日本では、植民地にされるわけにもいかないから、そうしたサムライ精神(自由民権運動)は抑圧され、さらに アメリカとの戦争に反対していた職業的軍人も2・26事件のどさくさで排除され、そのまま、官僚的なエリートによって二次大戦に雪崩れてしまって負けてしまった、ゆえに、なお、封建精神と官僚精神とにある「教えるー学ぶ」関係の区別が、理論的にも実践的にも明快になる機会が奪われたまま。現在サッカー協会の育成方針は、「プレイヤーズ・ファースト」の精神が「官僚的」に普及されているという理論的な矛盾に無自覚なまま。いわば封建精神が、日教組による中立教科書のようにあつかわれて、子供を大切にと普及されている欺瞞。そしてそのために、ユース年代の代表レベルで、アジアでも勝てなくなってしまってきている現状に、現場代表監督からの(岡田氏や手倉森氏)、そんなやわな教育じ ゃだめだという批判。またジャーナリズムでの、部活動時代の名物監督へのインタビュー書籍のあいつぐ出版状況、そこでの、いまのプロあがり若手コーチの、マニュアル的な指導によるサラリーマン(官僚)化批判、運動部暴力の再考による左から右へのバランス調整――こういう現状のなかで、現場の実践としては、封建と官僚の理論的区別の了解ない右への反動は、やはり官僚的悪の方向に軍配あがるとおもうので、まだ日教組的子供大切暴力反対の方がマシ。が、本当は、その日教組的教育が、世界での共闘の精神、独立自治の封建精神を抑えて戦えなくしている官僚教育として、軍隊官僚暴力の戦後一般社会への普及と同型的な同じ動きなので、問題を解決するのではなく延命・隠ぺいしているだけ。だか らまず理論的作業として、その区別をしっかりして普及させていかないと、現場レベルの実践でも混乱したまま。だから、私の本当にやりたい実践は現場では無理なので、とりあえず日教組的な側について、目先の勝ちだの技術に固執するコーチ陣とは対立することになります。

が、結局、、そうした区別が必要だろう、という感覚は、超越論的な態度感覚の存在(交換Dか?)を信じているかどうか、という信仰の次元にあるような気がして、そういう感覚がない世俗的な人たちとの話には、やはり興味が動かず、またか、とうんざりしてくるのでした。かといって、孤立するのも、またか、という感じで……最近は元気がでないうちに、今回の地震で、すごい口数が少なくなってきています。>

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<村人が釣りの合間に樹に絡んだツルを切る何気ない手の動きこそが「使用価値」なのだという内山氏のこの認識は、私にはユニークだった(もとは、渡植彦太郎氏の考察なのかもしれない)。かつて、地域通貨の運動が頓挫したあと、柄谷氏が貨幣への原理論的な見方を見直し、やはり通貨になるには、その原理性だけ抽出したヴァーチャルなものではなく、金(ゴールド)のような「使用価値」をもったものでないとだめなんだ、と発言していたときがあったが、ここに感得できる「使用価値」理解は、内山氏の理解からすれば浅はかということになるだろう。金が、装飾品に加工できる材料になり得、ルーブルに代わったマルボローが吸えるという「使用価値」をもった物資であるということを越えて、それらが、人に感動を与えたり、気分を落ち着かせたり、そうして過ごす時間に価値があると認め過ごせる社会の広がりを透視していなければ。しかし逆に言えば、「使用価値」の回復とは、そんな社会の回復だということになる。マルボローが新しいルーブルに一掃されたとき、ロシアの社会はどんなになったのだろう?>(前回ブログ)


的場 そこで問題なのは、そもそも商品の中に実体として対象化されているものとはいったい何のかという問題です。どんな社会であろうとも、物を売り買いしたりする社会であろうと、物々交換をする社会であろうと、いや交換すらしない社会であろうと、必ずそのもののなかになんらかの、実体的内容をもっている社会であるはずですね。これについてマルクスはそれ以上は書いていません。しかしこの問題が議論されないと、最終的に、なぜ商品が貨幣に交換されるのかという問題は解けない。貨幣でなくとも、別にどのような商品でもいいのではないかという議論が出てきます。
 マルクスは、絶対に、金(きん)が貨幣に決まっていると言います。つまり、交換関係の中から貨幣、すなわち金を出すのではなく、金をよそから外在的にもってきているのです。それはちょうど神を外からもってくる論理と似ています。こう表現しています。「教皇は生まれながらにして決まっている」と。教皇は誰でもなれると思っているけれども、実はそうではない。運命によって外部からポンとすでに決められているのだということです。
佐藤 現代に引きつけると、岩井克人さんの『貨幣論』と、NAMを経験した柄谷行人さんの貨幣論の違いですね。柄谷さんの場合、理屈としては説明しないけれども、NAMで地域通貨、LETSをつくった後、それで失敗した経験を踏まえて、貨幣というのは金という実体をもたなければいけないのだと言います。岩井さんは、一般的な等価形態でいいのだと言います。」


的場氏のいう、「実体的内容をもっている社会」とが、内山氏の提示する「使用価値」(が存在する社会)になるだろう。が、囲炉裏の番をする行為もがその社会では「使用価値」になり、マニュアル化されて山に入る釣り客は、単に川へむかうだけだが、村人は、その道行で樹に絡んだツルを鉈で払いながら行く、その行為は社会にとって有用として認められ共有された「稼ぎ」ではない「仕事」になり、それこそを村人たちは「価値」あるものと誇りにしていたのだ、とするような視点までは、的場氏はもっていない。あくまで、素材レベルの「実体」であろう。が、的場氏が「常に資本主義は一方で、商品生産といういかにも単純な価値法則の問題をもちつつも、商品の深層的な部分、すなわち資本主義社会以前に生まれた商品のさまざまな権威や威厳を引き継いでいるのだという議論を、マルクスはしているのだと思います」と述べるとき、内山氏の前提に重なるだろう。
ところで、柄谷氏がそう反省しえたのは、やはり氏が、真面目に理論を追求していたからであろう。地域通貨で遊んでいた一般の会員は、むしろ、以下の的場氏のような発言に適うような運動を自覚していたはずで、それが「失敗」とされたとき、そのように柄谷氏を批判する声もあったのである。


佐藤 意味がないことに意味があるということですね。
 的場 ええ。地域貨幣も理論的には崩壊していったし、ベーシック・インカムも崩壊していくでしょうが、そのようなものが新たなる人間形成や、新たなる可能性を秘める点においては、充分顧みるだけのものになるでしょう。
 佐藤 それは、『共産党宣言』の中で言うような、闘争というのは、個々の……プロレタリアは最後に勝利するまで負けると、しかし、重要なのは広がりゆく団結の輪なんだと。これを別の言い方で言うと、戦うなかでできていく一つの教育的効果です。
  ほとんどの戦いは失敗に終わると書いています。失敗に終わりながら、実は、そのなかから、敵であったブルジョワもやがて合流してくるという言い方をしている。そうやって変化するのだと。」

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的場 一方を欠くと、つまり共通するものが労働だけだとすると、単に労働の量の問題です。そうではなくて、「いい仕事しているな」というときの「いい仕事」のなかには、単に労働が投下されているということ以上に、何らかのしっかりした労働、我々が生きていくために必要な価値ある労働をもっているという意味がある。これは、単に資本主義社会の価値法則上の問題ではない。商品にはこういうものが二重化している。それを受け継いで商品生産社会はできてきた。
佐藤 歴史的に形成されてきた、社会的評価のようなものですね。
的場 だからこそ、資本主義社会はそうそう簡単にこの二重性を覆すことはできない。
佐藤 現実に引きつけて言うと、現代において労働力として非常に安く買い叩かれているものに介護労働がある。あれは、渋谷望さんが言っているように「魂の労働」という概念があるから成り立っていると思います。その人たちに、金持ちの家に行ってお手伝いさんをしろと言ったら、やらないのではないでしょうか。歴史的に形成されてきた価値と、社会的な価値の合致があるのは明らかだと思います。
的場 労働というものに対する古い歴史が、労働を労働たらしめている。」


内山氏の提示する「使用価値」の延長的な考えとも理解できる。また、柄谷氏の交換形態論のエピソードに、「介護」を商品交換Cとしてやるとやる気がでないが、交換A(互酬交換)としてボランティアでやると生き生きしてくる、という例示がある。あるいは、上野千鶴子氏の、家事労働に賃金を、というのも関連してくるが、その場合、サービス労働の方がやる気がでて、いざ金払うからとなったら、ならば面倒だからやめる、と、稼ぐ機会を放り投げてしまうことになりかねないということなので、上野氏の実践提言は、あまり現実的、歴史的ではない、ということになるだろう。が、この商品交換が支配する社会下で、意地でもサービス・ボランティアを貫くというのにも、無理がある。私も植木屋なので、その仕事は庭掃除、つまりは、掃き清め、という実は社会的評価をもったものとして暗黙に歴史意識を持続させている。それを考慮しない客が、一服のときにお茶をださないものなら、親方1代目はふざけんなと仕事中断して帰ってしまい、2代目は両義的な曖昧態度なまま辛酸をなめて仕事をつづけ、3代目となると、お金を払ってくれるならほいほい、となる。
ということは、「人間と人間との関係」たる「交換形態」が社会を編成していると、人間の活動を空間的・構造的に把握してみせるやり方の、有効範囲、という問題もでてきそうである。この編成の組み換え比重が、どうして行われるのか、そのメカニズムとその発動の時期が問われていない。私が単に、この客はいやだから帰る、と単独行動し、そうした者の量において、社会編成が変わってくる、ということだろうか?

2016年4月8日金曜日

「労働過程」から「自然哲学」――内山節氏ノート(3)


歴史を四つの「交換」形態からの編成として構造的に把握してみせる最近の柄谷理論と、歴史を自然と人間との「交通」の在り方の変容として捉えてきた内山理論とは似ている。ただ内山氏からすれば、柄谷理論は「場所的普遍」を志向した根拠なきグローバルなものであり、自身の理論は「時間的普遍」に基づいた持続あるローカルなもの、ということになるだろう。マルクスの読解を中心としてなされてきた両者の思考の有様を整理するために、内山氏の著作からの引用に、コメントを加えた。

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「 資本制社会一般の分析とは、あくまで、労働者にとっても資本家にとっても、自分とは自己疎外的な関係にある、対象世界を認識する、という次元の解明にすぎないのである。なぜ労働者は革命をとおして資本制社会を解体するのか、あるいは、なぜ<私>は資本制社会に敵対するのか、という根拠は、対象世界一般の認識からは出てこないのである。
 そういう疑問に対して、ある意味では明確な解答を出したのは、宇野弘蔵である。宇野は、マルクス経済学は、資本主義的経済過程の法則を科学的に明らかにすることにその意義があったのであって、そこから革命の必然性などは導き出せないという、そのかぎりでは正しい提起をおこなっている。
 しかしそのことは、次項で述べるように、資本制社会という対象を、経済過程の分析としておこなうかぎりにおいて正しい指摘である、ということが留意されなければならないだろう。すなわち、資本制社会を経済学の立場から分析する、資本制社会の内的法則性を抽出するのが経済学である、ということを前提にする以上、社会一般の認識は、労働者だけのものになることも、革命の必然性を導き出すこともないのである。
 対象世界の認識という営為は、それ自身、労働者の、革命の思想をつくりだす作業ではない。労働者が、革命が、利用する科学的認識を提起することができるだけである。そしてそれは、労働者だけが利用するものでもない。」(内山節著『労働過程論ノート マルクス主義哲学の構築のために』田畑書店 1976年)
「 哲学の主体として労働主体を設定し、労働主体を基盤とした資本制社会解明の哲学体系をつくりあげる、その努力を抜きにしては、労働者を主体にした社会の変革は不可能なものになってしまう。現にこれまで、マルクス主義は多くの蓄積を重ねてきたが、しかし労働者の手による革命を遂げることはできなかったのである。そればかりか、<資本>と<労働>の関係を変える手だてをももたなかった。労働者が<資本>と対決していく方法を、労働者らしい方法で提起することもできなかった。
 そして現実には、むしろ逆の方法のほうが主流であった。マルクス主義は、人間の主体的な存在領域を視点に入れず、労働者から独立した外在性に科学としての真理を求めた。マルクス主義は客観的な科学であるということが、科学的分析過程からイデオロギーを排除するという正しい意味においてではなく、むしろ科学から主体を捨象するという誤った意味においてとらえられた。主体からの独立性を保証するということに、マルクス主義理論の客観性を求めてしまったのである。そして人間に対しては”マルクス主義的な人間のあり方”を逆に強制したのである。マルクスの時代には、”共産主義者はかくあるべき者”というかたちで、レーニンにおいては”本来こうあるべきはずのプロレタリアート”が、戦後主体性論争のなかでは、”主体的人間”なるものが、また最近でも”疎外された社会を揚棄していく若きプロレタリアート”なるものが、そのつど”本来のマルクス主義者”として予定されてきたのである。
 それらは、理論の内に主体を設定するのではなく、主体の外の理論を労働者に強制するという転倒から生まれた現象である。だから、そのような理論構成は、実際の労働者にとっては、なんらの有効性をももたないことになる。」(同上)

⇒ 上の素朴な質問は、まったく正当的なものではないだろうか? たとえば、柄谷氏は、宇野経済学のその言葉によって「根拠」から解放されより過激になったような回想をしていたが、むろん、逆の行動でもよいわけであるから。実際、むしろその科学理論によって、資本主義(対象)と「戯れ」てあることの積極性がのちに打ち出されていったのだから。しかし、「理論の内に主体を設定する」ことが可能なのかどうかは、難問というか、アポリアであるような気がする。なんといおうと、言葉にすぎないのだから。ではなぜ、自然あるいは人間世界の法則性を見極めようとするのか? 柄谷氏がマルクスから拾ってきた解答はこうであったろう。「産みの苦しみを短くし、やわらげることができる。」(『資本論』序文)

「労働過程には、労働対象、労働手段の認識過程という側面が生まれる。それは、労働に関する、意識の生産過程である。意識を生産するからこそ人間は、次にその労働を、意識的におこなうようになる。それは蜘蛛にはない人間特有の労働を特徴づけるものである。だからこそ人間は、労働を経ると、意識をもった人間として生まれてくる。自然の総体性の一員であることを永久に繰り返す蜘蛛に対して、人間は、自然を構成する一分子でありながら、自然に対して自立化するのである。
 人間の自然に対する自立化の第一歩は、自然を対象化すること、自然をおのれの外のものとして認識することである。そのことは、第一に、自然に対する科学的認識の開始を可能にし、第二に、自分の労働過程を対象化することを可能にする。労働とは、自然法則に従って対象を加工することに出発点をもつ。たとえば木を伐り出すとき、幹に傷をつけ楔を打ち込んで倒す、という一連の行為は、いくつかの自然法則(たとえば重力の、たとえば物質の硬度に関する)連続的適用にほかならないのである。だからここでは、自然を一般的に対象化することから一歩すすんで、自然法則を対象化し、相対化してとらえるという営みが生まれてくる。その結果、人間は、たとえば木を伐り出すという一つの目的のためにも、幾通りもの方法をあみだすことができる。それは人間が労働に対する客観性を守っているからでもあり、またいくつもの自然法則を相対化してとらえているからでもある。そしてこの客観性が、労働過程の内容を目的意識的に決定するという、人間の特徴をつくりだしてきたのである。」
「…(略)…労働能力とは、直接的には労働に関する能力であるが、それは労働者の全存在との関係でつくられている。<彼>がどのような生活方法をしているのか、<彼>が自然に対してどのような認識をもっているのか、というようなことを含めて労働能力は形成される。だからそれは、労働の方法に関する能力、とだけするわけにはいかない。そのような労働能力のなかの、物をつくる力だけを分離独立化させてしまったもの、それが生産能力である。それはたとえば、ネジを締める能力であったり、機械を動かす能力であったりする。そのような、資本の生産過程にとって有効な能力だけを、資本は労働力として買い求め、使用するのである。」(同上)
「 労働過程では、労働主体と労働目的が結合し、その実現として労働がおこなわれる。だから、ここでの労働は具体的な労働である。が、資本主義的生産過程においては、生産目的は<資本>の生産目的であって、労働主体のものではない。生産過程での行為としての生産行為は、資本の要求する、価値を生産する行為にほかならない。ゆえに前記したように、労働者は、労働として鎌をつくるという具体的な労働をおこなっているのだが、生産行為としては、槌を手で動かすことに意味があるのであって、生産物が鎌であるのか、刃であるのかは、無関係になってしまう。すなわち、労働目的が喪失しているのである。生産行為は、具体性をもたない、「手の運動」になってしまう。その「手の運動」をみるかぎりでは、旋盤労働も、鋳造労働もちがいは生じない。どちらも「手の運動」にすぎないのである。生産行為は、抽象的な行為にすぎなかったのである。それをここでは、具体的労働に対応させて、抽象的労働と呼んでおこう。」(同上)

⇒ この「労働過程」/「生産過程」、「労働能力」/「生産能力」、といった概念規定は、資本主義下の労働の現象を明快に認識させてくれる。が、それはあくまで、人の行為が目的と「定着」された、
事後的な現象学ではないだろうか? バタイユがラスコーの壁画にみた様は、労働以前的な出来事であったろう。あるいは、エリック・ホッファーの道具発生への認識、遊びからの転用としての武器・道具。認識論的な方法態度からくる内山氏への疑問は、以下のような「剰余価値」発生への現象記述でも指摘できる。
「 資本の生産過程は、労働力を、一方で機械と同じような商品として純化させて使用しようとする方向性をもつ。しかし他方で、労働力商品の特殊性に依拠することによって、剰余価値を生産するのである。剰余価値の生産のためには、第一に、生産過程の労働への依拠が必要であり、しかし第二に、生産過程を商品の特殊な流通過程に純化してしまうことがまた条件であったのである。生産過程は、労働力を貨幣で表現するという合理性を獲得し、しかしまた、人間労働の計測しきれない非合理性を剰余価値の源泉とする。そして最後に、剰余価値の生産過程をも、合理手的な数式のなかに吸収したのである。
 たとえばある労働者は、一時間の間に、一〇〇〇円で買い求めた鋼片を、二〇〇〇円の貨幣量に等しい価値をもった鎌に変えることができるとする。そうすると、彼は一時間で一〇〇〇円に相当する価値を生みだしたことになる。しかし彼の賃金は、一時間で五〇〇円だったとしよう。そうすると一〇〇〇円引く五〇〇円の五〇〇円に相当する価値量を、彼は剰余価値として資本家のもとに残したことになる。」(同上)

⇒ 時給500円でOKかどうかは、その者の文化的な生活圏(一つの価値体系)に左右される。生活にあわないとおもえば、その仕事をしない、いやになってやめる、というのも「人間労働の計測しきれない非合理性」なはずである。だからその場合、違う価値体系、文化圏から来た外国人を雇うことになる。同様に、もし原材料が急激に値上がりでもしたら、そのぶんをすぐに賃金カットするなどということはできない。労働者(人間)の「合理的」な反応を考慮しなくてはならないからである。だからまずは、商品のその分の値上げ、となる。しかし、それで売れるかどうかが、「命がけの飛躍」ということになる。成立しなかったとき、はじめて合理的な理由をもって労働者をカットでき、賃金体系自体を下げてから、それでも来てくれる者を探すということになるだろう。そして一般的には、やはりそこでも価値体系の違う外国人に頼る、ということになる。つまりはこうした流通過程において、システム間の差異、空間差が前提とされ、その差異から利潤が出るかどうかは、事前的にはわからないのだ。もちろんこのことは、単純商売的な古典派経済学的な見方になるだろうし、柄谷氏がそうした見解のほかに、技術革新という生産過程内での時間差でもって剰余価値を産出することができるとしてみせたのが、「マルクスの可能性の中心」であったろう。その時空差アタックによる、先進国とされる価値体系内での、失業と人手不足の同時存在という矛盾、期待値たかい文化人と3k労働を担う移民たちの並存という矛盾。

「 生産―労働過程の二重化としての資本主義的生産様式は、労働者に対して、労働能力の再生産過程と、生産能力の再生産過程とを、同時に実現した。それは、労働者に二つの主体の再生産を強制したのである。一つは労働内的な、自然的な人間主体の再生産であり、もう一つは、資本主義的諸関係の人格化としての主体の再生産である。
 かつてマルクス主義者たちは、資本主義が発達すれば、必然的に労働者にとっての諸矛盾が激化し、そのため自然に革命的な労働者が生みだされてくると考えた。<資本>に搾取されている労働者は、革命をめざすようになるという観念をもっていた。しかし、その後の歴史において、資本主義の発達は、むしろ資本のもとにとり込まれた労働者を大量に輩出するのだという事実が生まれた。その結果、今度は、労働者はもはや革命の主体にはなりえないという諸説が流れた。彼らは「ダメな労働者」にかわって、学生や市民、すなわち、資本の生産過程の外に自分を形成している人間を、革命の新しい主体として設定した。
 わたしは、その双方の意見に反対するものである。労働者と資本主義の生産―労働過程の関係を、存在論的に分析すれば、このような結論は出てこなかったはずである。
 生産―労働過程においては、労働者は、一方で労働過程での労働をとおして、自然的=革命的な自己を再生産し、他方、生産過程での生産行為をとおして、資本主義的価値関係の人格化をはかる。資本主義的生産様式のもとでの労働者の位相とは、このように矛盾した存在である。この存在論的な過程をとらえずに労働者を規定しまうから、前記のような労働者のとらえ方が生まれてしまうのである。」

⇒ とにかくも、資本主義下の世界で働かざるを得ない者にとって、これは正鵠な認識であるようにおもわれる。だから、内山氏は、「労働過程」を回復すべく、「使用価値」を生産する「自然と人間の交通」の比重(柄谷氏のいう「互酬的交換A」)を高めていくべきだ、というのが実践方途となる。理論から導き出せる明快な解答である。私も、主体的にできる実践としては、それを肯定し、協賛する。しかし、現実的には、その実践が、「自然と人間の交通」の十全さを目指し近づいていくようにはおもえないのである。むしろ、イスラム国をはじめとした自爆テロ、その現場へおもむいて斬首されていった後藤さんら、そして秋葉原事件のような事を起こす若者……こうした事象が、資本主義の矛盾の症状として発症されているというよりは、それこそが矛盾を解決していく実践の集積、堆積のようにおもわれるのである。彼らは、身をもって、贈与して、しまっている。「自然と人間の交通」が十全となるように、主体を越えて、「自然と自然の交通」に参与しているのだ。上野村での収穫が野生動物のためになくなっても、内山氏は、困らないだろう、上野村の人たちには死活問題になるから、電気柵でも設けるかもしれない。が、なかには、そうすることを拒否し、餓死を選んでいく村人はいないだろうか?(最近、その電気柵で人を殺してしまったのを苦に、自殺してしまった人がでた事件があったが……) あるいはそこで、その村人は、主体(電気柵)とそれを越えていこうとする非主体(餓死)との間で、揺らがないだろうか? その揺らぎの手つきでなされた耕作は、もはや労働ではないだろう。目的は、宙づりにされているのだ。そのとき、彼は「自然と人間の交通」を越えて、「自然と自然の交通」の境に足を踏み入れている。彼は、彼と自然を交換する。そんな交換は、これまでも人知れず反復されてきたにちがいない。その交換が成立するかどうかは、彼の、彼らの死という贈り物をどう受け止めていくのかの、私たち如何によるのではなかろうか? そうした交換、自然との交通こそが、文化を発生させた。フグを食って死んでいった人々の集積(安吾)、銃後に置いてけぼりにされた小人や女たちの残飯処理工夫の果てからの料理の発生(ホッファー)。戦争という悲惨が人類を市民として成熟させていくという「自然の狡知」(カント)。それは、労働ではない、裏切られた目的から不本意に出没する亡霊、見境もなく揺れ探り動くゾンビの伸ばされた両の手。自爆テロが、斬首が、虐殺が、自棄が、自殺が、阿呆どもが呼び覚ましてしまう善後の現実。非主体的な実践に思いを馳せないで、この現実の矛盾解決に、参与できるのだろうか?

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「自然はひとつに客観的に実在するものであるとともに、第二に人間の主体との関係において存在しているものである。「全体の自然は物体と空虚とである」というエピクロスの表現はそのことをあらわしている。とすると自然哲学が問題にしなければならないものは、まずこの人間の主体との関係において存在している自然の問題なのではなかったか。そしてそのことを考察するには、自然と人間の関係とは何かを、そこでの主体とは何かを問わなければならないはずなのである。そのことによってエピクロスが<空虚>と表現した自然を現実的世界のなかで検討しなければならないのである。」(内山節著『自然と人間の哲学』 岩波書店 1988年)

⇒ たしかに、自然と人間との関係=交通における、主体とは何か、が問われなくてはならないのだろう。エピクロスを引用することで提議されたこの問いかけを、次のブログ、田口卓臣著『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』(講談社選書メチエ)への感想として、触れようとおもう。

「自然の問題は人間の問題である。それは自然を壊すのも守るのも人間だという通俗的な意味においてではない。山村の社会のなかで「稼ぎ」と「仕事」の使い分けがなされなくなった、そのことに表現される人間の側の変化を、第一に自然と人間の交通の変容として、それ故に人間の側の変化は同時に自然の状態をも変化させることをみていかなければいけないと思うのである。」(同上)

⇒ 福島原発事故は、人災ではあろうが、それ以上に、自然災害であるだろう。もちろん、それを災害と受け止めるのは人間と自然との関係における人間の側にであって、自然と自然との間では、その悠久な時間のなかで、ヒトもまた何ほどでもないだろう。しかし、あの事故が、われわれもまたその悠久な時間を、大地震の大きな周期とともに、放射性物質の何万年という半減期への意識とともに、半ば主体的に生きさせられ始めているのである。ということは、半ば自然的に、非主体的に、ということだ。温暖化現象もまた、人災を越えた自然の推移の現実であるといわれている。人間が与えられる自然への影響よりも、自然が人間に与える影響のほうが莫大だろう。われわれは、その意識の中に放り投げられて在る。ならば、どんな関係を思考の射程におさめるべきなのか?

「 この感覚はいまでも日本の山村などでは生きている。山菜を取りに行って、人々は明日の食卓を思い浮かべた。薪を積み上げてこれで冬の薪に不足することはなかろうと考えた。ここでは確かに物がつくられてはいるが、人々は物をつくっているという感覚以上に使用価値をつくる感覚をもっているのである。使用価値は物を超越している。
 この使用価値をつくりだすとういう感覚から労働をみるなら、労働はかならずしも物という対象物を生みだす必要はない。囲炉裏の火が消えないように守っているのは昔の生活のなかでは立派な労働であるが、この労働によって物がつくられているかどうかは紛らわしい。仮りに人間たちが生きていくときに必要なものをつくりだしていく過程が労働であるとするなら、その必要なもののなかにはすべて使用価値が含まれているが、それは必ずしも物としての対象物であるわけではない。なぜなら人間は物によって生きているのではなく、物を含む存在空間のなかで生きているからである。」(同上)

⇒ 村人が釣りの合間に樹に絡んだツルを切る何気ない手の動きこそが「使用価値」なのだという内山氏のこの認識は、私にはユニークだった(もとは、渡植彦太郎氏の考察なのかもしれない)。かつて、地域通貨の運動が頓挫したあと、柄谷氏が貨幣への原理論的な見方を見直し、やはり通貨になるには、その原理性だけ抽出したヴァーチャルなものではなく、金(ゴールド)のような「使用価値」をもったものでないとだめなんだ、と発言していたときがあったが、ここに感得できる「使用価値」理解は、内山氏の理解からすれば浅はかということになるだろう。金が、装飾品に加工できる材料になり得、ルーブルに代わったマルボローが吸えるという「使用価値」をもった物資であるということを越えて、それらが、人に感動を与えたり、気分を落ち着かせたり、そうして過ごす時間に価値があると認め過ごせる社会の広がりを透視していなければ。しかし逆に言えば、「使用価値」の回復とは、そんな社会の回復だということになる。マルボローが新しいルーブルに一掃されたとき、ロシアの社会はどんなになったのだろう?

「自然のなかに使用価値の源泉がある、とするとそれはどこから生まれてきたのであろか。おそらくかつての人々は、自然の作用が使用価値の源泉を再生産していると感じていたのではないだろうか。自然のもつ大いなる恵みと言うとき、そこには自然が人間にとって有益なものを再生産してくれているという感覚がある。自然はすでにできあがり、成長を止めてしまっていて、人間はその自然を掠奪しているわけではなく、再生産されていく自然から恵みを受けている、使用価値だけが問題にされる社会にあっては、人々はこのように自然をみていたように私には思える。自然自身が再生産されつづけ、生きつづけているのである。この自然の作用のなかから使用価値の源泉が生まれてくる。」(同上)

⇒ 人類史の中で、人間にそんな「源泉」を与えてくれた自然とは、どれほどの期間であったろう? 内山氏の自然哲学は、中世の貨幣普及以降の「自然と人間の交通」をみることだけに思考限定するという節操を維持するが、その「源泉」としての自然の危うさは、今ここからも推論できないだろうか? マルクスの「価値形態論」的な考察の凄さは、その日常の自明さのなかに、のちには大きな変化を被らせる微小な自然的現実=亀裂を洞察してくるという抽象力にこそある、というのが柄谷マルクス読解だった。しかしそんな内山氏の節操も、上野村の田畑を野生動物に荒らされている最近では、ヒューマンスケールを越えた、自然の時間軸に想像を伸長させられている。「土づくりをしてしまえばあとは基本的に自然まかせ」で農作物が収穫できるとは限らなくなってきたのだ。里への野生動物の出現は、人災と自然災害が混交した原発事故と同型である。そこでは、農作業といえど、自己目的が了解しきれない、主体の宙づり状態が、人間の自然遷移となる。

「 自然哲学は、自然と人間の関係、あるいはそこに成立している交通をとらえるところからはじまる。そして、そうであるが故に自然と自然が交通する世界と、人間と人間が交通する世界を視野に収めなければならないのである。…(略)…
 私の自然哲学は自然論であるとともに人間論であり、今日の状況のもとでは資本制社会論である。そして、そうでなければ、自然哲学は今日の自然が衰退していく原因を明らかにすることも、自然と人間の現在を抽出することもできないであろう。」(同上)

⇒ 山村で認識されてきた「労働過程(使用価値)」から「自然哲学」へと向かう内山氏の思考は健康である。「意識(主体)を超えたものの影」として「自然」への洞察から資本主義の解明に向かった柄谷氏はやはり狂的であろうか。「交換D」とが、内山氏の理論ではみられない次元である。内山氏にとっての理想はあくまで歴史的に確認できる「互酬的交換A」=「自然と人間の交通」の範疇に収まるものである。「人間と人間の交通」が貨幣の普及によって変容されてしまったとき、つまりは「略取と再分配・交換B」と「商品交換C」に占有されてしまって以降、「交換A]はその交通を補完するためのものに成り下がってしまった、ということになる。だから、これから将来へ向けて、「自然と人間の交通」を健全なものに回復させたい、「交換A]を、顔の見える関係を若い人たちとともに作っていきたい、となる。それは、主体的な実践としてもっともなことだ。人間に意識的にできることは、そういうことなのかもしれない。しかし私たちは、そんな関係が、生きにくいもの、息苦しいものであることも知ってしまった、山村を捨て、都会へと向かう関係の中で、その歴史意識の最中であがかなくてはならない。このあがきが、そんな健全なものですまされるのだろうか? 「交換D」がやってくるのは、そんなあがきのなかにおいてであろう。もはや意図的には振る舞えない、見境のなさにおいてであろう。しかしそうあがくのは、私たちが、なかなか手に入らない理想の都会生活に欲求不満になるからではなく、自身の内に、それを理想とはしない他の理想の痕跡を感じ取っているからではないだろうか? その痕跡は、意識的には回復できない。「抑圧されたものの回帰」としてだけ、反復されるだけである。この主体的には不可能な反復とが、「高次元」としての「交換D」となる。強いて内山氏の理論用語に当てはめるなら、「自然と自然の交通」という範疇に入るだろう。しかし、ではなんでそんな狂的な交通、交換がいいとされるのか? 端的にいえば、それが人を生き生きとさせるから、ということになる。柄谷氏がマルクスから引用してくるのは、次のような『経済学批判』の言葉になろう。

<おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。>


☆ ☆ ☆

「 ヨーロッパ近代とは、ここからくる二つの階級の社会としてつくられていた。少なくとも最近に至るまでは、このような社会構造が根を張っていたのです。ですから、労働者の共同性を壊すことに、どんな政府でも力を使ってきたといってもよい。そのためにはどんなことでもする。ちょっと話は変わりますが、ヨーロッパ各国には、いま労働人口の一割ぐらいをしめる外国人移民労働者と呼ばれる人たちがいます。フランスですとアラブ諸国から来た北アフリカ系労働者が多いのですが、その移民労働者たちが社会の底辺の労働分野を担っている。面白いことに、このアラブ労働者たちは、ちゃんとフランスの階級闘争史を学び継承していまして、イスラム的共同性と労働者的共同性を守りながら暮しているのです。この十年来フランスで大きなストライキなどがおきると、必ずその先頭にアラブ人労働者たちがいる、というようになっている。
 パリにベルヴィル地区と呼ばれる最貧街のようなところがありますが、ここは一八七一年のパリ・コミューンの闘争のときにも闘いの中心になった場所です。この最貧街にいつの間にかアラブ人労働者たちが住みつきまして、いまではアラブ人街区のようになってしまった。いまこの街に行ってみますと、ボロボロのアパートがつらなっていて、アラブ料理の店などがたくさんあり、一歩路地に入ると落書きやポスターがたくさん張ってあります。ポスターには警官が犬をつれて歩いている絵が描いてあって、「犬に注意」と書いてあるものがとても多い。「国家の暴力に死を! 人民の暴力に勇気を!」などというのもある。つまりここに住むアラブ人労働者としてイスラム革命をめざしながら、世界革命を実現するという意識が高まってきているのです。…(略)…
 私は近代社会とは、本当はこういう社会だったのではないかと考えています。ところが日本では近代社会を支配した半分の論理だけが導入され、その近代社会の論理に合わないものは封建的なもの、古いものという形で解体の対象にさせられてしまったのです。ですから、もちろん、昔の共同体を回復しようとということではないのですが、人間の共同性を悪いもの、封建的なものというような形で否定してしまったこれまでの近代社会観は、考え直されなければいけないと思っています。」(内山節著『自然・労働・協同社会の理論 ―新しい関係論をめざして―』 農文協 1989年)

⇒ 少なくとも私がいま知っている範囲、思い込んでいる範囲では、柄谷氏が上のような認識を言い始めたのはNAM失敗以降である。その以降の理論で、まずは民主主義の系譜がむしろ封建制であることを喚起しはじめた。主君に忠誠を誓う(契約関係を結ぶ)封建的上下関係と、上司(上官)に盲従する官僚的上下関係が違うとは、まずは丸山眞男氏が注視したことでもある。後者は、中国の科挙を系譜とし、モンゴル帝国経由でヨーロッパ絶対王政に転用された、というのが一般教養になるだろうか? さらに、封建制とが<自由>な契約精神によっているとすれば、官僚制は誰でも試験に受かれば登用されるという<平等>によっている、ということになるのだろうか? そして個人の自立的な関係としての騎士道精神が、徒弟的な職人労働者のアソシエーションに連なり、現在の思想へ継承されている、ということになるのだろうか?

2016年4月4日月曜日

檜原村から――内山節氏をめぐって(2)

佐藤 私が最悪のシナリオとして怖れているのは、舟でたくさん中国人が渡ってくるでしょ、数百万人のオーダーで。それで日本の限界集落に住みついちゃうこと。
家もあるし、一応電気も通っている、そういったところに住み着いて、実際に生活の拠点をつくり始めてしまったら、なかなか動かすのは大変ですよ。しかも、難民のエネルギーというのは、ものすごいものがありますからね。」(『竹中先生、これからの「世界経済」について本音を話していいですか?』(竹中平蔵・佐藤優著 ワニブックス)

東京都では、島嶼部を除いた陸地での唯一の村と謳われている、奥多摩の檜原村に行ってきた。小学校の教科書にその地域のことが取り上げられていて、息子が行ってみたいと以前から言っていたからである。また内山節氏の『ローカリズム原論』のなかで、檜原村で活動拠点になる宿の経営を試みている若い人たちがいるということをちょうど知ったときだったので、私も興味を持ったのだ。
私が感じ取りたかった点は一つ、秋葉原事件に連なるような若者の孤独と、それとは違う志向をもった若者たちの感性がどういうものなのか、触れてみようということ。それはトッドの「シャルリとは誰か」の分析にもあるような、自らの志向を越えて歪曲されて関係づけられていってしまう人の社会的動きに、耐えられうるようなものがあるのかどうか、私自身がもっと突っ込んだ思考を展開できるきっかけを得られたら、ということ。とくに、ちょうど出発の三日まえ、早稲田古本屋の店主と、高度成長期やバブル時代を知っている我々(団塊世代)や君たち(新人類)の、どうしてもカウンター・カルチャー的になってしまう運動とは違って、不景気と日本の後退しか知らない今の若者の動きは、一緒に考えてはいけないのだ、という意見にも接していたからである。その店主自身は、アパートも経営しているので、そこに賃貸する若者と接してそう言うのだし、地方の運動を支援する内山氏も、そうした若者の潔白さに触れて応援したくなるのだ、というようなことを言っていた。しかし、職人共同体で20年以上働いてなおお客さんな私には、その認識には疑問があり、その疑問は私のこれまでの理論的な追求においても発生してくる。

まずそもそも、理論を論理的に詰めて追う思考自体が、ヨーロッパ移入の近代発想だ、それがよくない、世界を前提にしたような普遍的思考(どこにでも通じることを観念した「場所的普遍」)ではなく、地元やその現場の時間を大切にしたそこからの工夫・思考に基礎をおいた「時間的普遍」でなくてはならない、「大きな物語」はいらない「小さな物語」だけでいい――この実践前提は、説得力があるのだろうか?

たとえば、
(1)我が子を失った親は、なんでその子がこんな目にあったのか、その真実を知りたいと欲求する。むろん、その説得物語は、論証的で辻褄があっていなければならない。この思考欲求は、ヨーロッパ近代からの借り物なのだろうか? 

(2)勤め先の老人ホームのマンションから老人を放り投げてしまった若者の事件を、その勤め先の現場においてそうならないよう処理することができただろうか? 秋葉原事件を起こした若者は、地元青森での仲間関係はあったが、それよりも自己の孤独をほっとやわらげさせたのは、第三者との「斜めの関係」であったという。ローカル(現場)な処理志向だけで、現今の問題を解決できるのだろうか?

(1)において、もう少し突っ込みをいれてみることはできる。我が子の死を惜しむのも、それは医療技術があがって少子化の核家族が基本共同体になってきたからだ。近代以前では、赤ん坊のうちにたくさん死んでいくので、たくさん産み、たまたま生き残った子供たちが育っていく。そうした社会・自然条件の下では、この子の死の謎を裁判的に論証していくことで自己納得し死を受け入れていく、そんな発想はとれない。ゆえに、現今の親たちの死を悼むまでの欲求の在り方自体が、近代的に制約されたものなのだ、と。なるほど、ならば、その制約をとれば、我々はまた、その子は死んでいない、魂が裏山に行っているだけだ、という物語で納得するのだろうか? おそらく、たとえそんな地元物語を受け入れるようになったとしても、すでに裁判的論証論理と、どちらが今の自分を生きやすくするか、と再選択せざるをえない過程をもつだろう。すなわち、物語にせよ論理にせよ、その発生には、なぜかと追求を迫るような欲求があって、それは洋の東西変わらないのではないか? 人間の嘆きは、終わらないのではないか?

(2)については、内山氏自身が、ムリがあると再考しているのかもしれない。ムラあるいは共同体の復興には、外との関係、外からの人を受け入れる必要性を説いている。が、それは理論的にというよりも、現場での経験からで、だから理論的にはご都合主義なところがある。私の推定では、おそらく、内山氏が長く暮らす群馬の上野村の自然が、変わってしまったところからの態度変更なのだ。最近では、育てている農作物が、シカやイノシシの里山への出現で、まったく収穫できなくなってしまったという。むろん、野生動物の頻発は、杉など商品価値の高い針葉樹を高度成長期に植栽してしまって奥山に餌がなくなってしまったから、という「自然と人間との交通」の変化ということもあっただろう。しかし実際には、そんな人口樹林帯も、手入れが放置されていたので荒れ果て、つまりはもとの自然条件的な生態へと移行しはじめているのだ。今は内山氏が参照する江戸時代以上に、自然が豊富な日本の山となっている。では、それなのになんで動物が里へ降りてくるのか? それは、そこが過疎化し、畑で作物を耕している人びとが見えなくなってきた、つまりは里さえもが自然化してきたからである(千松信也著『けもの道の歩き方 猟師が見つめる日本の自然』)。そして内山氏自身、収穫ゼロの現実のなかに、人為的関与を越えた、自然自体の遷移(人が住めなくなってしまう、存在しなくなってしまうまでの自然世界)を認め、想像せざるを得なくなったのだ。だからそこで、以前にはなかった視点、「自然と自然との交通」ということを持ち出さなくてはならなくなったのである。しかし、その外部としての自然を持ち出すとは、「使用価値」に重きを置いた「自然と人間との交通」に基づく「小さな物語」の世界ではすまなくなる、ということを暗黙には意味してしまう。その理論的な不整合を、内山氏は追求しようとはしない。初期の作品にみられた粘り強い論証的態度が近代的でよくないという立場だったのだから、おそらく、著作家として世間に出てしまえばもうその緊張からは解放されるのだろう。以後は、自身の使う言葉の概念を規定してみせる面倒作業は省かれて、世間のイメージに依拠した用語法、大西巨人氏ならば「俗情との結託」と批判されるような著作態度と私には見えるのだが、しかし、もともとがそういう立場の重要性を思想として実践する、ということだったので、書き方と内容が、実践と理論が内山氏にあっては一致してきた、ということなのだろう。しかし私には、たとえ一般的な価値形態が成立して以降の「労働過程」を分析している現象学的な認識で論を進めてしまっていると、今からは批判できるものであっても、やはり初期の『労働過程論ノート』や『自然と人間の哲学』のような著作のほうが、はっとさせる着眼点がいっぱいあって面白い。彼はあくまで、「定住(定着)」以後の安定的な人間の有様を自明視して、以後の現象を認識分析してみせるのである。しかし、何万年と「遊動」していた人類が、なんで「定住」し、そこに「定着」したのか? それこそが、「自然と自然との交通」のことを考えることである。つまり、人間の外部としての自然であり、他者としての人間である。柄谷氏が、人の根本に「遊動性」を認め、それをフロイトの「タナトス(死への衝動)」と結びつけてみるのは、ヨーロッパの近代個人主義を真に受けているからだろうか? 柄谷氏の理論によれば、その死の衝動の反復衝迫自体が、歴史を構造化していく。氏が理念と説く「交換D」とは、ゆえに内山氏が事後的に経験的に認めざるを得なくなった「自然と自然との交通」ということになろう。そこには、冒頭引用した、現今の歴史情勢から想定される「難民」も含まれる、というか、そうした外部としての、他者としての人間(自然)こそが前提となる。内山氏の理論的枠組みでは、そうした本当に外からの遊動民のことは、想定外な事態であろう。あくまで、共同体を活性化させてくれる定住構造の内での他者である。しかし、上野村に全くの他者がぎょうさんと訪れたら、どうなるのか? いやそもそも、上野村自体が、もともとはそうした遊動民、難民の村であったならば? ならば考える前提は、人びとが定着(定住)してからのことではなく、それ以前の認識だろう。

飛騨五郎氏は、なんで自殺数が増加したのだろうか? と問うた。しかし、やはり、なんで人は自殺するのだろうか(洋の東西をとわず)? と問うことが前提ではないだろうか? それも、近代的な個人主義に犯された思考だというのだろうか? たしかに、その理由、ナゾは人によって違い問うても意味のないことになるのかもしれない。しかし、そうした欲求なくして、どんな統計結果分析も、無味乾燥な学術になってしまうだろう。本当に問うている切迫性だけが、論理や物語をこえて、人に説得力を与える。だから、身を以っての、死の贈与は、終わりなき緊張を贈られた当人に与え続ける。考え始めてしまった者の内では、すでに自分が、死んでいないだろうか? 私による私への贈与だ。思考の反復は、死への欲求と結びついている。

檜原村での「へんぼり堂」からの帰り際、女房が舞踏家の田中泯氏の共同体活動の話などをしだすと、一人泊りがけで宿舎を守っていた若者の表情が輝いた。男の私が話しかけても事務的な返答だったが、最後にふと素地が反応した、という感じだった。しかし、死んだ私が感じ取ろうとするのは、そんな若者個人の反応や、このムラ活動の是非ではない。こうした人の動きが、自らの意図を越えて、裏切って、どのように絡まり合い、反転して、世界はどうなってしまうのだろう、ということである。そしてそう想定される世界のなかで、私はどうしようか、ということなのだ。だから、あくまで、それはヴァーチャル、思考実験である。この世で実体的に生きる私など、もはや何ほどでもないと、観念しているのだから。