2016年4月28日木曜日

封建と官僚、使用価値と貨幣――内山節から(4)


内山節氏をめぐって書いてきた最近の記述と関連するような文章個所に、的場昭弘氏と佐藤優氏の対談『復権するマルクス 戦争と恐慌の時代に』(角川新書)で出くわした。私の教養とは少し違う視点でもあるので、ここにメモし、コメントを加えた。

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<少なくとも私がいま知っている範囲、思い込んでいる範囲では、柄谷氏が上のような認識を言い始めたのはNAM失敗以降である。その以降の理論で、まずは民主主義の系譜がむしろ封建制であることを喚起しはじめた。主君に忠誠を誓う(契約関係を結ぶ)封建的上下関係と、上司(上官)に盲従する官僚的上下関係が違うとは、まずは丸山眞男氏が注視したことでもある。後者は、中国の科挙を系譜とし、モンゴル帝国経由でヨーロッパ絶対王政に転用された、というのが一般教養になるだろうか? さらに、封建制とが<自由>な契約精神によっているとすれば、官僚制は誰でも試験に受かれば登用されるという<平等>によっている、ということになるのだろうか? そして個人の自立的な関係としての騎士道精神が、徒弟的な職人労働者のアソシエーションに連なり、現在の思想へ継承されている、ということになるのだろうか?>(前回ブログ)


佐藤 少し乱暴に整理すると、公共圏から官僚制が出てきたという考え方になるわけですか。
 的場 いやそうではなく、身分制時代の私的な性格ももっていたわけです。私的な閉鎖的な領域をもつ、言わば身分制のなかで育ってきた人たちの特権的集団の利害をもちつつ、公共的な使命もそこに合体していった。だから、非常に取り扱いにくい組織だということになります。
 官僚のもっている一番の扱いにくさは、彼らの存在自体が非の打ち所のない正義という仮面をつけていることと、他方で、特殊な権益を守る団体でもあることです。」


つまり、「官僚制」が、中国科挙経由というより、ヨーロッパ中世の職人ギルドの特権団体の延長と変容という、その系譜自身の内在的な歴史によって発生しているとする視点。職人(封建制)から民衆、という流れとは別に、職人から国家、という流れで官僚制がでてきているというマルクス読解である。職人というよりは、実際は「ギルド商人」ということなのだが、この時代、職人と商人との違いがどんなものなのか、私は知らないので、とりあえず同型としておく。が、「彼らはやがて、最終的に新しく外に出てきたブルジョワたちにより崩壊させられ」たが、「決して壊れなかった組織もあった」ので、それが「新たな形で身分制度を衣替えして、唯一残った官僚」になったと。「やがて、最終的に」という時間が、どの歴史過程なのか、私にはわからないのだが、絶対王政下においてなのか、革命過程においてなのか? もっとゆるやかにか? しかし、フランス革命を、友愛かかげた職人精神側でなく、あるいはブルジョワ革命ではなく、官僚革命でありその勝利なのだとみなすトクヴィルのような見方もあるのだそうだ。とにかくも、そうした問題規制がなお現にあると私は感じている。以下は、その具体例としての、友人へあてた私のメールである。言いたいことを短くいうために事実を端折っているが。


<東北震災から原発事故の難民問題がまだまだ長引く中、今回の熊本地震で、さらに増えて、もう一か所規模の大きな地震被害の地域がでたら、国家的機能も麻痺してきそうな。
そうなったら、外国からの難民の日本への選択肢もなくなって、棄民になってしまうような。アメリカは喜んで沖縄から出て行って。そういう状況でも、やはり中国なりも、利益拡大で領土拡大の実施を実行していくのでしょうね。そのとき、なお日本国家は、だから核もとうとか小競り合いとか、やる余力を持つのでしょうか?
子供のサッカー現場で、育成実践するに際しての、共通了解的な部分が曖昧なので、また話し合おうとかなったのですが(東大サッカー部出身コーチの提案)、それも、封建的な「教える(親方・親分)ー学ぶ(子方・子分)」関係と、官僚的な「教える(上司・上官)―学ぶ(部下)」関係の区別が、理論的にまず決着ついていないので(アカデミズムでも)、現場において直観的な実践区別ができないからだとおもっています。ヨーロッパの歴史は、中世の封建制騎士道(レディー・ファースト)をつぶしたモンゴル帝国経由の絶対王政を、職人的封建制民衆が 排除した、と実践的態度が明確になったわけですが、日本では、植民地にされるわけにもいかないから、そうしたサムライ精神(自由民権運動)は抑圧され、さらに アメリカとの戦争に反対していた職業的軍人も2・26事件のどさくさで排除され、そのまま、官僚的なエリートによって二次大戦に雪崩れてしまって負けてしまった、ゆえに、なお、封建精神と官僚精神とにある「教えるー学ぶ」関係の区別が、理論的にも実践的にも明快になる機会が奪われたまま。現在サッカー協会の育成方針は、「プレイヤーズ・ファースト」の精神が「官僚的」に普及されているという理論的な矛盾に無自覚なまま。いわば封建精神が、日教組による中立教科書のようにあつかわれて、子供を大切にと普及されている欺瞞。そしてそのために、ユース年代の代表レベルで、アジアでも勝てなくなってしまってきている現状に、現場代表監督からの(岡田氏や手倉森氏)、そんなやわな教育じ ゃだめだという批判。またジャーナリズムでの、部活動時代の名物監督へのインタビュー書籍のあいつぐ出版状況、そこでの、いまのプロあがり若手コーチの、マニュアル的な指導によるサラリーマン(官僚)化批判、運動部暴力の再考による左から右へのバランス調整――こういう現状のなかで、現場の実践としては、封建と官僚の理論的区別の了解ない右への反動は、やはり官僚的悪の方向に軍配あがるとおもうので、まだ日教組的子供大切暴力反対の方がマシ。が、本当は、その日教組的教育が、世界での共闘の精神、独立自治の封建精神を抑えて戦えなくしている官僚教育として、軍隊官僚暴力の戦後一般社会への普及と同型的な同じ動きなので、問題を解決するのではなく延命・隠ぺいしているだけ。だか らまず理論的作業として、その区別をしっかりして普及させていかないと、現場レベルの実践でも混乱したまま。だから、私の本当にやりたい実践は現場では無理なので、とりあえず日教組的な側について、目先の勝ちだの技術に固執するコーチ陣とは対立することになります。

が、結局、、そうした区別が必要だろう、という感覚は、超越論的な態度感覚の存在(交換Dか?)を信じているかどうか、という信仰の次元にあるような気がして、そういう感覚がない世俗的な人たちとの話には、やはり興味が動かず、またか、とうんざりしてくるのでした。かといって、孤立するのも、またか、という感じで……最近は元気がでないうちに、今回の地震で、すごい口数が少なくなってきています。>

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<村人が釣りの合間に樹に絡んだツルを切る何気ない手の動きこそが「使用価値」なのだという内山氏のこの認識は、私にはユニークだった(もとは、渡植彦太郎氏の考察なのかもしれない)。かつて、地域通貨の運動が頓挫したあと、柄谷氏が貨幣への原理論的な見方を見直し、やはり通貨になるには、その原理性だけ抽出したヴァーチャルなものではなく、金(ゴールド)のような「使用価値」をもったものでないとだめなんだ、と発言していたときがあったが、ここに感得できる「使用価値」理解は、内山氏の理解からすれば浅はかということになるだろう。金が、装飾品に加工できる材料になり得、ルーブルに代わったマルボローが吸えるという「使用価値」をもった物資であるということを越えて、それらが、人に感動を与えたり、気分を落ち着かせたり、そうして過ごす時間に価値があると認め過ごせる社会の広がりを透視していなければ。しかし逆に言えば、「使用価値」の回復とは、そんな社会の回復だということになる。マルボローが新しいルーブルに一掃されたとき、ロシアの社会はどんなになったのだろう?>(前回ブログ)


的場 そこで問題なのは、そもそも商品の中に実体として対象化されているものとはいったい何のかという問題です。どんな社会であろうとも、物を売り買いしたりする社会であろうと、物々交換をする社会であろうと、いや交換すらしない社会であろうと、必ずそのもののなかになんらかの、実体的内容をもっている社会であるはずですね。これについてマルクスはそれ以上は書いていません。しかしこの問題が議論されないと、最終的に、なぜ商品が貨幣に交換されるのかという問題は解けない。貨幣でなくとも、別にどのような商品でもいいのではないかという議論が出てきます。
 マルクスは、絶対に、金(きん)が貨幣に決まっていると言います。つまり、交換関係の中から貨幣、すなわち金を出すのではなく、金をよそから外在的にもってきているのです。それはちょうど神を外からもってくる論理と似ています。こう表現しています。「教皇は生まれながらにして決まっている」と。教皇は誰でもなれると思っているけれども、実はそうではない。運命によって外部からポンとすでに決められているのだということです。
佐藤 現代に引きつけると、岩井克人さんの『貨幣論』と、NAMを経験した柄谷行人さんの貨幣論の違いですね。柄谷さんの場合、理屈としては説明しないけれども、NAMで地域通貨、LETSをつくった後、それで失敗した経験を踏まえて、貨幣というのは金という実体をもたなければいけないのだと言います。岩井さんは、一般的な等価形態でいいのだと言います。」


的場氏のいう、「実体的内容をもっている社会」とが、内山氏の提示する「使用価値」(が存在する社会)になるだろう。が、囲炉裏の番をする行為もがその社会では「使用価値」になり、マニュアル化されて山に入る釣り客は、単に川へむかうだけだが、村人は、その道行で樹に絡んだツルを鉈で払いながら行く、その行為は社会にとって有用として認められ共有された「稼ぎ」ではない「仕事」になり、それこそを村人たちは「価値」あるものと誇りにしていたのだ、とするような視点までは、的場氏はもっていない。あくまで、素材レベルの「実体」であろう。が、的場氏が「常に資本主義は一方で、商品生産といういかにも単純な価値法則の問題をもちつつも、商品の深層的な部分、すなわち資本主義社会以前に生まれた商品のさまざまな権威や威厳を引き継いでいるのだという議論を、マルクスはしているのだと思います」と述べるとき、内山氏の前提に重なるだろう。
ところで、柄谷氏がそう反省しえたのは、やはり氏が、真面目に理論を追求していたからであろう。地域通貨で遊んでいた一般の会員は、むしろ、以下の的場氏のような発言に適うような運動を自覚していたはずで、それが「失敗」とされたとき、そのように柄谷氏を批判する声もあったのである。


佐藤 意味がないことに意味があるということですね。
 的場 ええ。地域貨幣も理論的には崩壊していったし、ベーシック・インカムも崩壊していくでしょうが、そのようなものが新たなる人間形成や、新たなる可能性を秘める点においては、充分顧みるだけのものになるでしょう。
 佐藤 それは、『共産党宣言』の中で言うような、闘争というのは、個々の……プロレタリアは最後に勝利するまで負けると、しかし、重要なのは広がりゆく団結の輪なんだと。これを別の言い方で言うと、戦うなかでできていく一つの教育的効果です。
  ほとんどの戦いは失敗に終わると書いています。失敗に終わりながら、実は、そのなかから、敵であったブルジョワもやがて合流してくるという言い方をしている。そうやって変化するのだと。」

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的場 一方を欠くと、つまり共通するものが労働だけだとすると、単に労働の量の問題です。そうではなくて、「いい仕事しているな」というときの「いい仕事」のなかには、単に労働が投下されているということ以上に、何らかのしっかりした労働、我々が生きていくために必要な価値ある労働をもっているという意味がある。これは、単に資本主義社会の価値法則上の問題ではない。商品にはこういうものが二重化している。それを受け継いで商品生産社会はできてきた。
佐藤 歴史的に形成されてきた、社会的評価のようなものですね。
的場 だからこそ、資本主義社会はそうそう簡単にこの二重性を覆すことはできない。
佐藤 現実に引きつけて言うと、現代において労働力として非常に安く買い叩かれているものに介護労働がある。あれは、渋谷望さんが言っているように「魂の労働」という概念があるから成り立っていると思います。その人たちに、金持ちの家に行ってお手伝いさんをしろと言ったら、やらないのではないでしょうか。歴史的に形成されてきた価値と、社会的な価値の合致があるのは明らかだと思います。
的場 労働というものに対する古い歴史が、労働を労働たらしめている。」


内山氏の提示する「使用価値」の延長的な考えとも理解できる。また、柄谷氏の交換形態論のエピソードに、「介護」を商品交換Cとしてやるとやる気がでないが、交換A(互酬交換)としてボランティアでやると生き生きしてくる、という例示がある。あるいは、上野千鶴子氏の、家事労働に賃金を、というのも関連してくるが、その場合、サービス労働の方がやる気がでて、いざ金払うからとなったら、ならば面倒だからやめる、と、稼ぐ機会を放り投げてしまうことになりかねないということなので、上野氏の実践提言は、あまり現実的、歴史的ではない、ということになるだろう。が、この商品交換が支配する社会下で、意地でもサービス・ボランティアを貫くというのにも、無理がある。私も植木屋なので、その仕事は庭掃除、つまりは、掃き清め、という実は社会的評価をもったものとして暗黙に歴史意識を持続させている。それを考慮しない客が、一服のときにお茶をださないものなら、親方1代目はふざけんなと仕事中断して帰ってしまい、2代目は両義的な曖昧態度なまま辛酸をなめて仕事をつづけ、3代目となると、お金を払ってくれるならほいほい、となる。
ということは、「人間と人間との関係」たる「交換形態」が社会を編成していると、人間の活動を空間的・構造的に把握してみせるやり方の、有効範囲、という問題もでてきそうである。この編成の組み換え比重が、どうして行われるのか、そのメカニズムとその発動の時期が問われていない。私が単に、この客はいやだから帰る、と単独行動し、そうした者の量において、社会編成が変わってくる、ということだろうか?

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