2016年8月10日水曜日

クーデタ、「生前退位」報道の(2)

木村 だから本当にいま、安倍政権の暴走を防ぐ大きな存在として浮上しているのが、オバマ大統領も含むアメリカのリベラル勢力。あるいは内閣法制局や創価学会などの存在も指摘されています。そして一番、暴走を止める力があるのが天皇だという声が護憲反戦平和勢力の中から出ています。それはあまりにも他力本願であり、天皇の政治利用であるという批判もありますが、僕はそれがいまの安倍政権を止める一番大きな力であるならば、天皇の真意を一般国民にわかってもらうということはいま一番重要なことではないかなと考えています。」

白井 ここ最近の天皇皇后両陛下が出しているメッセージというのは、ほとんど僕は不穏ですらあると思っています。例えば山本太郎さんがいわゆる直訴状事件を起こしましたが、あのあとに両陛下が何をやったかというと、栃木県に私的旅行に出かけてらっしゃった。僕はニュースで、たまたまそれを知ったのですが、私的旅行で栃木県。何だろうと思って調べてみたら、足利市にある歴史資料館に行って、田中正造の直訴状を見ているのです。それを見るために出かけて行って、常設展示されているものではなく、わざわざ出してもらって見たらしいのですが、これはすごいことです。
 田中正造の直訴事件といいますが、正確には直訴未遂で取り押さえられて手紙は天皇に届いていないのです。ですから、両陛下は、田中正造が届けようとして届けられなかった手紙を一〇〇年ぐらいの時間を隔てて、わざわざ受け取りに行ったということなのです。…(略)…明らかにこれは原発問題に対するメッセージだと思います。要するに原発をこれ以上やるなどということは、いわば日本の民族の未来や日本の国土に対する裏切りである。そのようなことをしてはいけないということを言っていると僕は思います。
 さらに言えば、田中正造の直訴状を書いたのは幸徳秋水ですよ。幸徳秋水は大逆の男であって、明治レジームが不倶戴天の敵として抹殺した相手です。つまりこれは、ほとんど近代日本の体制を根本的に変革せよというメッセージだというふうに、本来、勤皇家であれば受け取るべきなのです。
鳩山 戦後レジームの脱却をおっしゃっているのは天皇陛下であるということですね。
白井 戦後レジームどころではないです。明治以来の近代日本レジームなのです。」(『誰がこの国を動かしているのか』鳩山友紀夫 白井聡 木村朗著/ 詩想社新書)

第二の玉音放送と、宮内庁番記者から喩えられていたという天皇陛下の「お気持ち」が表明された。すでに不意打ちではないはずなのだが、今回も宮内庁はそのビデオ・メッセージの件を前もっては了解せずという形式を保ち、NHKのスクープという私的流通のような形式を通して、予告された。「お気持ち」の公表あとでは、なぜ宮内庁が「否定」してきたかの経緯をにおわせる弁解が記事になっている(毎日新聞朝刊8/9)。それによれば、「内閣官房」とも「協議をしながら準備を進めた」とされている。私が忖度するに、宮内庁自らが音頭をとって陛下に協力しているとなると、まさに天皇の政治的利用という解釈が現実性をもってきてしまうので、侍従職側からの「関係者」というより私的な場所からのリーク、という形式を保持する必要があったのだろう。そういうことを、内閣官房がアドバイスしたとかあるのかもしれない。

天皇自らの「お気持ち」は、玉音放送が「人間宣言」を顕著な内容として提出されたとするなら、今回のそれも、天皇といえど歳をとり、老体となり、病気にもなり、疲れ、大変なんだ、と訴えているのだから、まさに第二の「人間宣言」と言える。庶民感情としては、だからかわいそう、楽してあげよう、そうなれば解決、とその場を思い過せばいいのだろうが、ちょっと「お気持ち」に考えをおよぼすだけで、そもそも身体を持った「人間」に、抽象化された「象徴」的な行為など可能なのか、と、天皇が人間を超えた悩みを抱え、それこそを国民に訴えていることがわかる。みなさん、私の身になって考えてくれ! と。私には、そうとう痛ましい「お気持ち」として受け止められた。また逆に、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と、天皇を神として信じようとした三島由紀夫がこのビデオをみたら、どう反応するのだろうか、と想像する。

が、私が今問題としたいのは、その内容ではない。あくまで、今回の件を発生させることに協力した、暗躍した人たちの世界のことである。それこそが、歴史を動かそうと企む現権力の縮図ともなろうから、いったいこの一連の動きはどういうカラクリでわれわれに仕掛けられているのか? NHKの会長は安倍自身が任命してるのだから、現総理の了解があったとしても、どこまで関与しているのか? 冒頭引用の著作者らによると、NHKは天皇には厳しいという。ならば、最後には「厳しい」仕打ちになっていくものとして、今回のスタートが利用されているのか? 佐藤優氏は、安倍側というよりも、女性天皇も容認する小泉側(皇后ー雅子ー元外務次官―外務省―侍従長)からの仕掛けと読んでいるようだが、ならば、なんで安倍ーNHK路線は、男系を支持し、原発=核を肯定する自分らと反する路線の動きを容認するのか? 小泉側からアメリカの重要人物が絡んできていて、黙認する以外なかったのか? 

私には謎のままである。
この件に関してやりとりした、友人とのメールの一つを引用しておく。

<確かに、天皇が認知症や身体病気で死に体になったときなどは、政治的利用は発生しやすいでしょうね。が、それは暗黙になされるほかはなく、現役でなお動けるときのそれ、誰の目にも明白な形でのそれとは、趣が変わってくるのではないでしょうか? 藤原や平家、江戸徳川やマッカーサー・アメリカの権威利用と、吉野南朝に連なるような天皇の主体性と関わる動きとは、同じ政治的利用でも、日本史の表裏で、もう別歴史になりますね。今回、もし天皇自らが意識的に現政治への抵抗性として言動を仕組んだとするなら、これは南朝的で、柄谷のいうような江戸=9条体制を自ら破棄してもっと打って出る、ということにならないでしょうか? どっちの日本史が表と裏で「おぞましい」のかは、まさに趣味によりますね。私は、なんともいえない。バサラな後醍醐天皇の可能性みたいなのも、浪漫的すぎて、本当はどうかあやしい。江戸的なものが「いやしい」とするなら、やはり「おぞましい」のは天 皇が主体的に動くときですね。アブジェクションが露呈してくるような。


が、佐藤優の分析によると、それは皇后ー雅子ー元外務次官の父ー外務省の方策、となるわけですね。が、アメリカ体制、安倍はそれを口先では嫌米で日本独立みたいな強気なこと言いながら実は従順になるというマッカーサー・徳川体制の強化ですから、もちろんそれも実質的には外務省が主導だったこれまでの歴史の延長なわけですから、矛盾してますね。今度の天皇側のリークを、「外務省のやりそうなことです」と佐藤は言うのだけれど、で、何をやりたいのでしょうか? 天皇が生前退位することとマッカーサー徳川体制が補完的により強く結びつく、という論理があるのでしょうか? 「外務省」と言うときは、単に、娘・息子かわいさから、という私情を超えて、なにか政治的意図、あるいは思想的意味合いがあるわけですね。女権になってもいいから、今の皇太子側の人選になることで、権力側がよりアメリカの言いなりになりやすい特典があるのでしょうか? まあ、小泉路線はそうで すね。ということは、脱原発も、アメリカの利益になっていく、原発推進派の安倍に好き勝手なことはさせない、日本に核武装などさせない、ということか? まあトランプが大統領になると、もっと日本を放任させていくことになりそうだけど、それは一時だけだ、というのが副島の見立てで、誰が大統領になっても歴史の勢い、戦争へ向けては変わらないと。でその場合の戦争では、日本は核なくして中国と闘え、ということでしょうが。で、漁夫の利ねらいということで。


私の今の感じでは、天皇の発言がなんであれ、それはやばい形式の夜明け、パンドラの箱を開けてしまうことになりかねない、という佐藤の危機感を共有しますね。柄谷も、もし天皇自身が、9条を実行します! と発言されてしまう事態を、自身の理論として肯定するのでしょうか? 1条と9条はセットな論理である、がそれは別だからセットなので、字義通り一人の人格によって実装されてしまうとき、もはやセットではなく、一体ですね。ライオンやトラのなかに動物という存在が露出されて実現されてしまう、つまり、金(きん)が金(かね)になるときとが、恐慌の現実性が構造的になったことの証しですね。今回の天皇の動きがそういうものなら、その良き意図を超えて、別次元のカテゴリーが発動されてしまう気がしますね。江戸体制で天皇が自ら動いたら、まさに動乱期の幕開けですね。柄谷理論の実現=自爆です。


----- Original Message -----
From:○○
To: SUZUKI MASAKI
Date: 2016/8/6, Sat 20:42
Subject: 政治利用を拒む政治意識


「天皇の政治利用」は、今後に現天皇が退位せずに寝たきりや認知症で公務ができない状態になったときは、おぞましくも必ずになされるに決まっています。昭和の終わりに、「自粛」ムードの中で朝日新聞神戸支局が赤報隊に襲撃され、本島等長崎市長が銃撃されたのと同様の事件が、不景気の「平成の終わり」ならもっと大々的に、むしろ国家が主導してなされ、学校教師を始め、私などがインターネットで僅かに天皇制批判を書くだけでも、天皇の名の下に殺されか拷問されるかする蓋然性は、小さくはないでしょう。学校への日の丸・君が代の強制も、昭和天皇が病床にあるときに始まったのですよ。物が言える状態ならば、天皇自身が「不快感」を表明したであろうに。靖国神社へのA級戦 犯合祀への「不快感」と同じく。我々は、「明治の終わりに」中上健次の故郷で起きた大逆事件が反復される危険をも恐れねばならないでしょう。父らのように「政治利用」されたくはないという「政治意識」ならば、それを天皇が持つことは、むしろ近代的でしょう。むろん、退位表明に伴う別な危険があるにせよ、退位しないままの危険、おぞましさはほぼ100%のものです。戦後憲法下で即位した最初の天皇に対し、ずっと欲求不満であったにちがいない右翼政治家たちにとって、物が言えない天皇ほど都合のよいものはありません。もう目に見えています。


私は、上記のことを今回都知事選挙とつながることとして考えてもいます。中学校の春の自分の卒業式の君が代斉唱を誰にも指導されず、相談せず拒んだ年の高校1年夏、細川護煕が首相になりました。新聞の選挙広報の最初の枠が確か日本新党で、細川護煕を上に飾って妙にソフトにのっぺりした顔写真が並んでいたのを見ました。小池百合子もそこに写っていたはずですが、その他お笑いみたいな新党が集まっている紙面にゲラゲラ笑った覚えがあります。その細川護煕が、大人達の熱狂の中、政治改革という名の下、小選挙区制を導入した時、政治家やメディア、熱狂する国民は頭がおかしいのだなと思いました。本当に意味がわかりませんでした。が、後から考えるに、昭和を生きて来た大人 達は、昭和天皇に代わる無責任人間をこの国の元首にしたいのだな、と理解しました。現天皇よりも、細川護煕、その後の小泉純一郎、安倍晋三の方が、昭和天皇とよく似ています、細川や安倍のあの何かを煮染めたごとき「昭和顔」からしても。小池百合子はその意味で細川や小泉の正統な後継者です。石破茂はやはり内閣を去りましたが。無責任の体系は「平成」が始まってすぐ、皇室とは別に形成されており、細川が首相となったその1993年の初めにはさらに、あかつき丸がフランスから東海村にプルトニウムを入港しても来たのでした。放射能は「千代に八千代に」続くのだから、仮に皇室がなくなっても、原発を「護る」ための無責任の体系は、ずっと続くでしょうか。

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