「政治は、まとをはずさぬ正確な計算にもとづいて、単語のエネルギーを巧みに利用しつつ、ことばが社会におよぼす魔力を操作する。かくて天皇という語は、明治憲法発布にさき立つ一時期、類似の意味をもったさまざまな表現方法と激しくせりあうなかで生き残り、当時、この語の中にこめられた語感の印象は、おそらくまだ不安定で、後世からはとうてい思いもおよばないほど、みずみずしかったのである。明治維新黎明期、すなわち憲法発布以前のほぼ二十年間に残された様々な資料から、天皇を指す表現をことごとくひろいあげても、ここではあまり意味がないので、試みに、次のような一群の語を例示しておきたい。
皇上 聖上 聖主 聖躬 至尊 主上 」(亀井孝「天皇制の言語学的考察」田中克彦著『言語学の戦後』所収 三元社)
モンゴル会で起きた事件をきっかけに、日本の相撲界が揺れている。
日本の相撲界や、他の運動部などでも、顧問や部員間での暴力沙汰は今でも取りさだされるけれど、それは残骸なように珍しくなったからで、戦後平和教育が、軍隊的な遺制を取り除くよう洗脳・戦略されてきたからだとは、このブログでも言及してきた。(例;「中学部活動問題の中身」)
しかし、その若い世代へ行くほどのやわな現状にいらだつ反動的な勢力も根強いわけで、現政権自体が、なんとか敗戦後のその9条体制と呼べるようなものを変えたいわけだ。しかも、若い父親・母親自身に、敗戦という現実の影響・教訓が忘却されはじめているので、むしろそうした若い民衆のほうから、強い姿勢を求める、憧れる傾向があることが、今回の衆院選アベくん支持の結果に反映されたことの一つでもある。
で、その若い父親、サッカー小学生チームのパパコーチを引き受けてほしいと期待されている親から、次のような素朴な質問が投げかけられてくる。
<私は○○には、サッカーを上手くなることよりも、真剣に取り組むことを望んでいます。下手でもいいので、できる限り走り続ける、練習をちゃんとする、挨拶をする、等です。真剣にやるのであれば、本望でないですが、野球でもいいと思っています。そんな中、1年程見せていただいた中、落○やコーチという立場に関しての感想は、
・真剣さについては、落○チーム(低学年)は、足りないと感じています。でも、他のチームは知らないので低学年特有の事象なのかもしれません。
・コーチがやる気スイッチを押す必要があるのかもしれないですが、それはどこから、コーチの仕事なのでしょうか?試合の時も空を見ている子、走らない子のスイッチを探すこともやるのでしょうか?
・そもそも、人数が足りないのは人口が減っているからで、チームを維持するために、緩くなりすぎていないのでしょうか?所属人数が問題なのであれば、他チームと完全統合してはだめなのでしょうか?>
私も、息子の一希には、この「真剣さ」を学んで欲しいとおもっていた。が、いざパパコーチとして間近に<子どもー大人>と接していると、その実践の内実、方法と思想的理論に、素朴にそのまま「真剣にやれ!」と怒鳴ってすますわけにいかない複雑さが潜んでいることに気づいてきたのだった。(例;「ユーロ・サッカーから――世界とコーチング」・「暴力(教育)と歴史・「見えること、見えないこと、見たいこと」
とりあえず、サッカーやスポーツ、ひいては教育ということに限っての話なら、日本の近代化過程での暴力的文化土壌を考察した元巨人軍投手の桑田氏への言及ブログ(今回、貴乃花親方が、桑田みたいな立場なのか? 日本相撲界の土壌を変えるための陰謀めいた…)、そして日本の学級社会の特殊性や体罰の歴史に関する引用ブログ、があるが、もうひとつ、若いパパコーチには、次のセルジオ越後の言葉を紹介しておきたくなる。
<子どもの習い事で、武道の人気が高まっているらしい。どうも補欠がないことと、「礼に始まり礼で終わる」精神で、礼儀が身につけられる。やはり補欠に悩む親は、個人競技をさせたいのだろう。それ自体はよいと思うが、ただ気になるのは、礼儀が身につくからという理由。本当にそうだろうか?
サッカーでも、試合前にハーフウェーラインまで行き、対戦相手に大声で「お願いします」とおじぎする。試合後はベンチに挨拶に行く。しかし、大人に指示されたから礼をしているだけで、なぜそれをやっているのか本質を理解していない。だから、しまいには誰もいない後援会のテントに向かって礼をする。
僕はこの光景に驚いた。そもそも、一体相手に何をお願いするというのだろうか?
ブラジルでは対戦相手に挨拶するところを見たことがない。日本でも、Jリーグでは誰もやっていない。Jリーグどころか、W杯もオリンピックでもやっていない。なのに、大人たちは「礼儀」として教える。
挨拶する子どもも「なぜやるのか」を考えることはしない。それは想像力に欠け、こなし上手になっているだけだと思う。大人に怒られないように、顔色をうかがいながら行動しているだけ。したがって、武道をやれば礼儀が身につくかどうかは、甚だ疑問だ。
プロの場合は対戦相手ではなく、サポーターに向かって礼をする。大人になってもやらないことを、なぜ学校では強制的に教えるのだろうか。大声で挨拶するように教えるけれども、社会に出て大声で挨拶したら「うるさい」って言われるよ。(笑)。大人になっても使えるものを教えないと、ますます部活動は軍隊のように感じる。そんなうわべの礼儀よりも、大人と子どもが触れあう社会教育のほうが重要だと思う。
僕の恩師は「社会」だと思っている。大勢の大人と子どもが集まってプレーして育ったから、誰がサッカーを教えてくれたかわからない。親以外の大人も、多くのことを教えてくれた。>(セルジオ越後著『補欠廃止論』 ポプラ新書)
***** ***** *****
日本で起きたモンゴル会での暴力事件のことを、もう少し、深く、ディープ・ヒストリー的に考えてみよう。
エマニュエル・トッドの家族人類学によれば、ユーラシア大陸の中央あたりから父権的な
共同体家族が文明として発祥し、それが周辺へと伝播していき、より周辺の亜周辺的なところに近づいてゆくほど、より原初的な核家族形態が残っている、ということになる。中国の文明も、とくに秦の始皇帝時代には、そのユーラシア的な騎馬民族の軍事組織にも転用される共同体家族の影響がみられる、ということになるだろう。もちろん、ヨーロッパという周辺地域に、中央集権的な家族・組織形態を伝播させたのが、モンゴル帝国である。そこでは、父権的な指示系統、教育が強いのかもしれない。日本でも、それは武家政権の成立過程とともに、伝播が実地してゆく。モンゴル帝国は上陸支配には失敗したが。封建制とは、文明的な共同体家族と、原初的な核家族とのせめぎ合いの周辺的事態である。そしてその封建制から民主主義が派生してきた。友愛とは、任侠である。しかし日本では、その近代の骨格を導入するに際し、伝統(封建)的なものは恥ずべき不適格、これからの時代に不適応なものとして捨象されてきた。とくに、二次大戦への敗戦は、アメリカの占領政策ともあいまって、より徹底的にその武人的な組織性は排除されていった。日本では、学校という近代的な教育制度、その勉強だけ教えればいいという形は、農村社会の在り方から受容されず変形され、体育や家庭科技術などどいった、総合的な子どもの面倒見、という体制になったため、そこで戦後、部活動という学校の余剰的場所が派生し、武人的な封建思想が残存された。民主主義のモデルたるヨーロッパ近代では、実はなお封建精神は、具体的な決闘の残存としても継承されている。それは青年時代の秘密結社的な性格をもつ。フェイスブックとは、ハーバード大学のそんな結社から排除されたものがそのノウハウを盗んでネット上に実装されたものだとは知られている。日本の町内会の青年部なども、なおその伝統をひきずっているとは言えるかもしれない。がとなれば、この封建的な暴力性は、原初的な核家族性を起源にもっているのかもしれない、となる。アフリカの部族では、今なおこの13歳頃からの若い青年団体が、狩りをしながら新しい土地を探し求める冒険をする。それがまた、大人社会へ向けての通過儀礼である。秘密結社の卒業には、勇気だめしのテスト(決闘)があるが、バンジー・ジャンプなどもその一例である。が、この若者の遊動性は、反抗期と結びつけられ、それがある種のホルモンの分泌を伴っていることが解明されてきている。ということは、サルからヒトへと、森から追い立てられた人類が、世界環境で生き延びていくために、身体的に発揮された脳力が、この新天地への冒険を恐れない青年期の<反抗=暴力>というホルモン作用だったのかもしれない、ということになる。ひいては、その核家族的な遊動的性質が、文明・定住的な共同体家族の父権的な暴力性へと換骨奪胎されていき、民主主義(封建制)とは、その中途半端な過渡的な半端形態、ということになる。もちろん、時間軸だけで考え、実践を組織する必要はない。文明は、めざすべき理念でもない。が、それが自然適応のための身体(ホルモン)と結びついているとしたら、リベラル理念で、戦後平和教育、9条体制で抑えようとしも無理が出てくる、ということになる。青年期の通過儀礼的な結社の実質を、近代化の過程で糞真面目に排除してしまってきたことが、とくに日本では現今の若者の犯罪事件を惹起させてきているようにもみえる。暴力との付き合い方が、私たちにはわからなくなってしまったものとして。それが、<真剣さ>をいざパパコーチとしてサッカークラブに導入する際の、実践的混乱として現象する。
2017年11月18日土曜日
座間事件
「美登利はかの日を始めにして生れかはりし様の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば今に今にと空約束 はてし無く、さしもに中よし成けれど正太とさへに親しまず、いつも耻かし気に顔のみ赤めて筆やの店に手踊の活溌 さは再び見るに難 く成ける、人は怪しがりて病ひの故 かと危ぶむも有れども母親一人ほほ笑みては、今にお侠 の本性は現れまする、これは中休みと子細 ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、女らしう温順 しう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにしたと誹 るもあり、表町は俄 に火の消えしやう淋しく成りて正太が美音も聞く事まれに、唯夜な夜なの弓張提燈 、あれは日がけの集めとしるく土手を行く影そぞろ寒げに、折ふし供する三五郎の声のみ何時に変らず滑稽 ては聞えぬ。」(樋口一葉「たけくらべ」 青空文庫)
秋葉原事件、川崎事件、相模原事件、とうと、このブログでもいくつかの世間を騒がした犯罪事件を考察してきた。
そして、最近の座間事件……、相模原事件の時の唖然さを超えて、単に、判断が停止した。内心の気味悪さから逃げるように、もう考えるのはやめようという気だった。が、ブログ「世に倦む日日」の言及にふれて、やはり私自身が黙って処してしまうことは自身に対する怠けと敗北という気がしてき、とくにはそのブログ上での「40代独身女性、自営業」の方のコメント、<明るい未来なんてあるとは到底思えない、殺伐とした毎日。精神的に弱って頼れるものを求める女性をおびきよせ、短期間に、次々と殺す。そしてその遺体に囲まれて生活する。「どうせろくな人生じゃないし」「どうせいずれつかまるだろうし」「ここまでやればどうせ死刑だろうし」という気持ちがこみ上げ、五感、自分を取り巻く現実が急速に現実味を失い、自分と関係なくなるような感覚を覚えました。この犯人はサイコパスだ、という分析もあるようですが、案外そうとも言えないのかもしれない、絶望し自暴自棄になった時にこの状況は思いのほか近くに存在するものなのかもしれない、と思いました。>――を読んで、自分がこの事件から逃げようと、隠そうとしてきたことを掘り返してみたくなった。
この事件から、私が最初に連想したのは、無邪気に戦場を観光として訪ね、テロリストによって首切られてしまった香田証生さんの事件である。人を簡単に信じて、あるいは、世界を甘く見て、現実にさらされてしまった。……しかし今回の事件の多くは、まだ中学生や高校生なのだった。これから、だまされながら、世間知を知って、大人になっていく年頃だ。いきなりだまされて、殺されてしまう。世間知を積む暇もない。だまされるだけなら、他の多くの家出少女たちが、暴力団まがいの組織につかまって、風俗産業へと突き出されているかもしれない。そこでの自殺率は断然と高いそうだ。実際、被疑者の白石氏は、女性をそうした業界へと派遣させる仕事をしていた。それゆえか、彼自身には27歳という年齢以上の世間知がついていたようにもうかがえる。私は、香田氏の件に触発されて描いた上リンクの絵本(『人を喰う話』)で、その27歳という、カントやドストエフスキーによって特権視された自然・文化的境界のことを問題にした。肉体(自然)的に大人になる13歳前後から、もう10年生きてみることが、啓蒙(文化)としての大人になる条件(ずれ)なのだと。それはまた、職人が技術を身に付け一人前になるには10年かかる、という世間知的洞察でもあると。だから、24歳でなくなった香田氏が、あと3年いきていたら、と嘆いたのだ。
そうして白石氏は、27歳になったのだ。首を斬られる方ではなく、斬ってみる方の日本人として。
座間の現場の上空には、アメリカの軍機が轟音をたてて飛んでいるのが日常である。死体を処理していたアパートは、さらに線路沿いにある。騒音というより、爆音の中の生活になるのだろうか? 私は、現場を知らない。死臭が漂っていたというのに、近所の人には、それが「変な匂い」、「生温かい匂い」として、日常的に過ぎていったのは異様である。もし、行方不明になった妹を追う兄の強さがなかったら、もっと毎日が過ごされていたということだ。死臭にも慣れなくては生きていけない場所、それはむろん、戦場である。前線の戦場である。この戦争への不感症……これを、座間という、米軍基地に隣接した特異的な場所、としてやり過ごしていいものだろうか?
<明るい未来なんてあるとは到底思えない、殺伐とした毎日。精神的に弱って頼れるものを求める女性をおびきよせ、短期間に、次々と殺す。そしてその遺体に囲まれて生活する。「どうせろくな人生じゃないし」「どうせいずれつかまるだろうし」「ここまでやればどうせ死刑だろうし」という気持ちがこみ上げ、五感、自分を取り巻く現実が急速に現実味を失い、自分と関係なくなるような感覚を覚えました。この犯人はサイコパスだ、という分析もあるようですが、案外そうとも言えないのかもしれない、絶望し自暴自棄になった時にこの状況は思いのほか近くに存在するものなのかもしれない、と思いました。>――この女性のコメントは、山城むつみ氏が小林秀雄の戦争洞察に読みこんでみせた次の引用と私には重なってくる。
<連中は何と異常で「無惨」な行為に走ったことかという視線で彼らを見ているとき、自分はそうはならないということが暗に前提されてしまっている。しかし、そう考えていられるのは、僕らがあくまで「ここ」にいて「ここ」の日常感覚が「そこ」においても延長し、「ここ」のモラルが「そこ」でも連続的に保持し得ると信じ切っているからにすぎない。もし「そこ」が「ここ」の座標を延長した空間にはないのだとしたら、――もし「そこ」が「ここ」とは連続していない、断層のある、別の空間に属しているのだとしたら、――そう信じ切っている僕らが何かの拍子で「そこ」に置かれたとき、強姦・虐殺・放火に走らないという保証はどこにもない。>(「山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』)
秋葉原事件、川崎事件、相模原事件、とうと、このブログでもいくつかの世間を騒がした犯罪事件を考察してきた。
そして、最近の座間事件……、相模原事件の時の唖然さを超えて、単に、判断が停止した。内心の気味悪さから逃げるように、もう考えるのはやめようという気だった。が、ブログ「世に倦む日日」の言及にふれて、やはり私自身が黙って処してしまうことは自身に対する怠けと敗北という気がしてき、とくにはそのブログ上での「40代独身女性、自営業」の方のコメント、<明るい未来なんてあるとは到底思えない、殺伐とした毎日。精神的に弱って頼れるものを求める女性をおびきよせ、短期間に、次々と殺す。そしてその遺体に囲まれて生活する。「どうせろくな人生じゃないし」「どうせいずれつかまるだろうし」「ここまでやればどうせ死刑だろうし」という気持ちがこみ上げ、五感、自分を取り巻く現実が急速に現実味を失い、自分と関係なくなるような感覚を覚えました。この犯人はサイコパスだ、という分析もあるようですが、案外そうとも言えないのかもしれない、絶望し自暴自棄になった時にこの状況は思いのほか近くに存在するものなのかもしれない、と思いました。>――を読んで、自分がこの事件から逃げようと、隠そうとしてきたことを掘り返してみたくなった。
この事件から、私が最初に連想したのは、無邪気に戦場を観光として訪ね、テロリストによって首切られてしまった香田証生さんの事件である。人を簡単に信じて、あるいは、世界を甘く見て、現実にさらされてしまった。……しかし今回の事件の多くは、まだ中学生や高校生なのだった。これから、だまされながら、世間知を知って、大人になっていく年頃だ。いきなりだまされて、殺されてしまう。世間知を積む暇もない。だまされるだけなら、他の多くの家出少女たちが、暴力団まがいの組織につかまって、風俗産業へと突き出されているかもしれない。そこでの自殺率は断然と高いそうだ。実際、被疑者の白石氏は、女性をそうした業界へと派遣させる仕事をしていた。それゆえか、彼自身には27歳という年齢以上の世間知がついていたようにもうかがえる。私は、香田氏の件に触発されて描いた上リンクの絵本(『人を喰う話』)で、その27歳という、カントやドストエフスキーによって特権視された自然・文化的境界のことを問題にした。肉体(自然)的に大人になる13歳前後から、もう10年生きてみることが、啓蒙(文化)としての大人になる条件(ずれ)なのだと。それはまた、職人が技術を身に付け一人前になるには10年かかる、という世間知的洞察でもあると。だから、24歳でなくなった香田氏が、あと3年いきていたら、と嘆いたのだ。
そうして白石氏は、27歳になったのだ。首を斬られる方ではなく、斬ってみる方の日本人として。
座間の現場の上空には、アメリカの軍機が轟音をたてて飛んでいるのが日常である。死体を処理していたアパートは、さらに線路沿いにある。騒音というより、爆音の中の生活になるのだろうか? 私は、現場を知らない。死臭が漂っていたというのに、近所の人には、それが「変な匂い」、「生温かい匂い」として、日常的に過ぎていったのは異様である。もし、行方不明になった妹を追う兄の強さがなかったら、もっと毎日が過ごされていたということだ。死臭にも慣れなくては生きていけない場所、それはむろん、戦場である。前線の戦場である。この戦争への不感症……これを、座間という、米軍基地に隣接した特異的な場所、としてやり過ごしていいものだろうか?
<明るい未来なんてあるとは到底思えない、殺伐とした毎日。精神的に弱って頼れるものを求める女性をおびきよせ、短期間に、次々と殺す。そしてその遺体に囲まれて生活する。「どうせろくな人生じゃないし」「どうせいずれつかまるだろうし」「ここまでやればどうせ死刑だろうし」という気持ちがこみ上げ、五感、自分を取り巻く現実が急速に現実味を失い、自分と関係なくなるような感覚を覚えました。この犯人はサイコパスだ、という分析もあるようですが、案外そうとも言えないのかもしれない、絶望し自暴自棄になった時にこの状況は思いのほか近くに存在するものなのかもしれない、と思いました。>――この女性のコメントは、山城むつみ氏が小林秀雄の戦争洞察に読みこんでみせた次の引用と私には重なってくる。
<連中は何と異常で「無惨」な行為に走ったことかという視線で彼らを見ているとき、自分はそうはならないということが暗に前提されてしまっている。しかし、そう考えていられるのは、僕らがあくまで「ここ」にいて「ここ」の日常感覚が「そこ」においても延長し、「ここ」のモラルが「そこ」でも連続的に保持し得ると信じ切っているからにすぎない。もし「そこ」が「ここ」の座標を延長した空間にはないのだとしたら、――もし「そこ」が「ここ」とは連続していない、断層のある、別の空間に属しているのだとしたら、――そう信じ切っている僕らが何かの拍子で「そこ」に置かれたとき、強姦・虐殺・放火に走らないという保証はどこにもない。>(「山城むつみ『小林秀雄とその戦争の時』)
白石氏にとって、あるいは、いまや若い世代にとってはとくに、この日常が、もはや<戦場>に近いものとして感受されているのではないか? というか、年寄世代は、徐々にこの今の世界に移ってきているので、「不感症」になっているということではないのか? 戦場では、だまされる、ということが一命に関わることに直結するかもしれず、だますことは、殺すことになってしまうのかもしれない。ツイッターなどの言葉のやりとりの速さは、考える暇を与えない。経験が世間知として積み立てられていくのではなく、反応としての対処だけが絶えず強迫される。それは、でかい脳みそを抱えたヒトにとっては、エントロピーを増大させる不快なことになっていく。知的にとどまる時間差(暇)は、身体・生理的に必要になってくるのだ。だから、被害者は素直にスマホを明け渡して捨て、加害者は仕事をやめ塹壕の中に引きこもる。外に飛び交う銃弾の下で、いかに死ねるかの知的探索にオタク化する。その関係は、戦犯的な、単独的な、休戦、戦争の放棄なのだ。殺された妹は、ラインで後を追う親身な兄に頼るよりも、まずは戦場から降りることを選択した。しかし世界が、日常が戦争なとき、どこに降りられる場所があるだろう? メディアを捨てることは、ただ目をふさぐことに等しくなる。ネットや携帯を知らないで過ごせた経験の積んでいる年寄世代の者たちのように、面倒くさい、と適当に処理することもおそらく敵わないのだ。
しかし、戦争は過ぎる。というか、もう私たちは、また敗けたのだ。まだ終ってはいないのかもしれない。が、勝ちはない。年寄たちが頑張れば、引き分けぐらいはあるかもしれない。だから、私は、息子をはじめとした若者にはこういいたいのだ(というか、教えているサッカーチームでは、たまに言うことだけど)。敗戦後のことを考えて生き延びよ、賢しらな自暴自棄になるな、人生も歴史もリーグ戦だ。当たって砕けろなどというトーナメント方式・思考は、敵からの侵略はモンゴル帝国とアメリカ帝国しか知らない島国根性な平和ボケだ。実際、俘虜の辱めを受けずという教訓を無視して、年寄たちは敗戦から復興してみせたではないか? 受験に失敗したら人生終わりだ、みたいなプレッシャーは事実じゃない。人生も、歴史も、リーグ戦だ。失敗をフィードバックして、次を考えろ。君たちはサッカーを通して、世界基準を身に付けろ。……
予想通りなアベ君支持の選挙結果を目の当たりにすると、「歴史の必然」という小林秀雄の言葉を連想する。しかしこの言葉には、もはや鋭い情感は失われている。ばかばかしく、茶番にしかならない。が、若い世代には、それが初めての現実になるのだ。つまり、猶予(モラトリアム・暇)をくれない戦争が。
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