「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」(太宰治著『右大臣実朝』)
「長者ニ三代ナシ」と江戸は元禄時代に言われたそうだ。その言葉を名言として受け止めた河内国の酒造業を兼ねた地主の、子孫に残した手記を読み解いて、歴史家の安丸良夫氏は、次のように時代背景を描写する。
〈…民衆自身の主体性において、また一つの民衆運動として、民衆的な諸思想が形成・展開・伝播されたのは、元禄・享保期以後のことであり、それもさしあたっては三都とその周辺からはじまったのである。…略…そして、さらに民衆的な諸思想が農村部でも展開され、日本の民衆がいわば全民族的な規模で思想形成の課題に直面したのは、近世封建社会の危機もようやくふかまった十八世紀末(天明・寛政期)以降であり、とりわけ文化・文政期以来のことであった。…略…したがって私は、天明・寛政期以降を民衆思想史の第二期としたいのであるが、この時代において民衆に思想形成をうながしたのは、どのような諸事情だったろうか。おそらくここでも、商品経済の急速な展開のなかに現実化した没落の危機が、思想形成の決定的な契機だった、といえよう。しかし、没落の危機とはいっても、梅岩の門に集まった富裕な町人たちにとっては、それはまだ油断をすればそうなるかもしれない蓋然性にすぎないのに、尊徳や幽学の直面したのは、現実に惨憺と荒廃した村だった。〉(『日本の近代化と民衆思想』平凡社)
江戸時代のイメージは、ポストモダンの社会を先取りしていたと再解釈されたバブル期の明るいエドから、エコロジー的な技術と思想をもっていた時代へと、ポジティブに受け止められているのが最近だろうか? 高度成長期以前は、封建制に抑圧されていた暗い時代、鬱屈した庶民の社会、といった見方だったようだ。
私には、この落差がまずわからず、いったい実態はどうなのだ? と疑問だった。安丸氏の洞察と考察は、そんな私には示唆的で、説得力がある。
現在の安倍総理から大塚家具騒動まで、そして天皇退位から私のいる植木屋も含めて、戦後の三代目問題の時期にきているようだ。なぜ日本ではそのような傾向になるのかは置いておこう。とにかくも、長い平和な江戸時代は、一枚岩ではなく、三代目で亀裂がはいり、以降は悲惨な一途をたどる。なのになぜ、明るい、とされるのか? しかも、それは後世からの勝手都合な解釈だから、なのでもない。渡辺京二氏の解く「逝きし世の面影」がパースペクティブとして有効であり、子供の誘拐が横行していても、子供の天国であったのも確かな見立てなのだ。この矛盾の実質性を、どう理解したらいいのだろうか?
スーパーボランティアの尾畠さんの出現は、ヒントになった。貯蓄もなく、年金5万で明るく活動している。仇は忘れても恩は忘れない、だの、信念的な言葉を聞いていると、いわば江戸的だ。と、容貌も似ている職場の職人さんが重なってくる。いや、もっと過激か。「宵越しの金は持たぬ」だの「雨と女は職人泣かせ」だの、江戸時代の諺そのものような倫理で生きて来たらしいので、年金も払ってきていない。もう腕上がらず足もよろよろの七十になるが、それでも一線で働き続けなくてはならない。2LDKに夫婦子供3人と母とで寝起きしてきた。女房は糖尿病で目が見えなくなっている。自身も心臓が弱って薬が必要だ。客観的には、悲惨で暗いであろう。が、明るいのだ。近所で手入れしていると、次から次へと声をかけてきて、人気者だということがわかる。(が最近の近所の目は、気の毒というより軽視の感がでてきている。)この心の持ち用は、どうなっているのだろうか?
と、私自身の心を覗いてみれば、想像がつくことに気づくのだった。もうすぐ高校生になる息子と女房の3人で、いまなお川の字になって寝ている。プチブル意識を壊してきた私は気にしてないが、ブルジョア成金育ちの女房は、あがいている。息子の受験につきっきりになるだけでなく、テーブルに肘をつくな、とか、身体のエスタブリッシュメント化を自覚もなく発揮している。父の遺産でなんとかオンボロ団地を脱出しようとしているが、東京の相場ば高く、日雇い年寄りではローンもくめない。
没落が怖いのか? 私は、どうなのだろう? それでも、明るい。アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ?
2018年10月28日日曜日
2018年10月5日金曜日
「歴史の終わり」をめぐって(2)
男たち(父系社会)の「気概」をめぐる戦争がなくなり、サッカー・ワールドカップのような平和的代行でその用がすまされるようになったのは、まさにその社会が完結(歴史の到達)にいたったからだ、というのがフクヤマの論たてだった。しかしそれはあくまで仮設で、「女性的な面」が前面に出てくるような実際が生起してくれば、その限りではない、という留保というか、前提条件があったわけだ。しかし、「女性の識字率」と「出産率」を、歴史の動向(関数)の主要な変数とみなすトッドの家族人類学によれば、むしろ歴史の価値実現としての到達点(目標)たるリベラルな民主主義とは、父系社会的な文明発祥地(ユーラシア中心部あたりに仮設される)での家族形態、共同体家族といったものが、なお伝播されきっていない周辺的な地域での産物なのである。つまりトッドの見立てによれば、共同体家族の現代的衣装である「共産主義」(父系的絶対制)の崩壊とは、歴史の終焉というよりは、挫折なのである。文明化が失敗し、なお野蛮な、文明前の未開的家族形態、いわば核家族的な価値が残存・延命していることを意味するのである。しかもその価値内には、「女性的な面」の重視がある。核家族的な系譜では、父(長男)に家系されていくわけではなく、むしろ末っ子や娘が両親と暮らし続けるという、ある意味無理ない自然性をみせる。そして文明中心地に近いロシアや中国、中東などでも、むろんその原初の核(価値)は残っていると想定されるので、その地において女性が自らを表象する識字能力を獲得し出産を自己制限できるようになったとき、その識字・出産率がある閾値を越えてくるとき、民主主義的な方へ、つまりは未開的な核家族的価値が露呈してくる、と統計的に見立てるのだ。
ヨーロッパ、および日本に顕著な封建制とは、共同体家族的なほど絶対的な父系・父権制ではないが、その伝播途中の中間形態的なものだ、ということになる。イギリス(アメリカ)やフィリピンが、伝播しきれなかった残余、周縁地帯になる。しかしヨーロッパは、あくまでユーラシアと陸続きである。日本でその父系原理が強度をもって伝播されはじめたのは、鎌倉武家政権時代、つまりはモンゴル帝国の影響が考慮されるが、ヨーロッパはその一部が征服され、日本には神風が吹いた。フーコーをはじめとした、いわゆる西洋の文脈でのポスト・モダニストと称されもする思想家たちの試みは、ファシズムへの反省から、父権的な共同体原理を脱構築することにむけられたが、日本では、その文明化が不十分でありそれ以前の地のより強い残存が、むしろ「未完のファシズム」として日本人自身を悲惨に陥れたとして、未開批判の文脈が説得力をもった(宮台の「田吾作」批判など)。
が、共産主義体制の自壊は、西洋による西洋批判の文脈を頓挫させ、未開礼賛(=民主主義礼賛、「歴史は終わった、西洋の、男たちの勝利!」)の風潮を前景化させた。そうした風潮が、プレ・モダンとしての江戸批判を、むしろポスト・モダンな江戸として評価する逆転を後押しする。さらにこの言説文脈と、事実上、第三次大戦にはなっていないという世界の平和的延命が、日本人が日本を批判するという日本の文脈を失効させている。日本がなお未開(プレモダン)だという批判文脈とは、大きくは天皇制批判ということになるが、いまやそんな声は端っ子においやられて気違いとみなされるだけのような雰囲気だ。
そもそもこの変化は、日本の土壌批判に徹してきた柄谷行人が、その土壌を「双系制」(核家族的一変種)と人類学的に捉え直したことが兆候的な転換点だっただろう。それ以来、柄谷自身が「世界史」的な文脈で語りはじめ、その大きな文脈において、憲法9条を江戸の平和へと結びつけるのだ。
最近の流行著書では、國分功一郎が、次のように述べている。
〈…そのとき、インド=ヨーロッパ語には属さない日本語にも中動態として分類されるべき要素が存在し、しかもそれのたどった経緯がインド=ヨーロッパ諸語の場合と同じであったという事実は、現在の人類が手にしている文明ーー新石器文明とでも呼べばよかろうかーーの何らかの核のようなものをほんの少しでも思い描いてみるのに役に立つかもしれない。〉(『中動態の世界』医学書院)
要は、日本の文脈以上に、深い文脈、ディープ・ヒストリーというかビッグ・ヒストリーというのか、いわば人類上の文脈で考察されることが誘導されている。かつてなら、「中動態の世界」とは、「天皇制だ!」と一喝されてしまったかもしれない。が、もっと丁寧に読もう、現実をみよう…私も賛成だ。が、そのことで、日本の文脈が、失われてよいのだろうか?
以上の問題意識をもって、もう一度江戸の世界、パックス・トクガワーナ下での富士講をめぐる庶民の姿勢を再考する。