予想よりも早く、世界システム論で解析した少年サッカー界の矛盾が、現象として露呈しはじめたようである。
来季、上級生本大会である東京第7ブロック(新宿・渋谷・目黒・千代田・文京地区)のリーグ戦への参加辞退チームが多く、これまで通りのA〜Dの4リーグ制ができなくなりそうだというのである。すでにいくチームかは不参加だったのだが、今回はそれに加えて一気に5チームが参加できなくなった。自身が現場の一チームのコーチでもある理事担当は、板挟みにあったように、辞退再考の要請といくつかの対処提案を、急きょだしている。各リーグ最低9チームを、というのが規約だそうだ。人数抱えた強豪チームが、2チームだしたりするようになっていたのだか、もうそれでも限度になってきているのだろう。
ちなみに、私が属するチームは、その地区の小学校単位で成立していた4チームが合同チームを作って参加することになる。それは賛成なのだが、その方針、一軍と二軍に分けて、こちらの優秀選手が移籍していく強豪クラブに勝つぞ、練習も2時間じゃなく3時間、練習試合や合宿もするぞと、私にはついていけない。その新自由主義的なエリート根性が、上のような事態を招いているのに。ナデシコ日本代表キャプテンだった宮間選手は、大差で負けてばかりのチーム監督の父親に、「こんなに負けてていいの?」と、子供心に質問したそうだ、「小学生時代は、サッカーはそれでいいんだ」とパパ監督は答え、大人になってそれがわかったといっていた。なんで、そうした先見の明ある知性的態度が、スポーツからなくなってしまったのか?
サッカー協会は、少年たちが、その位の本試合をこなしていかないと、日本は世界のサッカーレベルから取り残されてしまうと、客観的に認識したのかもしれない。その蓋然性はある。だから私は、まずは負けを引き受けることを認めよう、と言うのだ。負けられない戦いがある、とコマーシャルはいつも洗脳している。なら、いつ負けるの? 今でしょ、と言いたくなる。テクニックの、ボールコントロールの質の違う若手が日本代表で目立ちはじめたが、以前の代表より強くなっているか? まだ未定に見えるが、私は弱くなっていくと思う。
しかし沖縄の県民たちは、覚悟ができてきたのだろう。辺野古基地建設を強行する大勢に逆らったら、経済的な打撃、嫌がらせを被るかもしれない。が、そんな目先の利害、勝利よりも、自分たちの気概で生きる選択を意志したのだ。それだけが、将来を真に建て直していく力であると。
私たち本州人は、そんな覚悟ができるだろうか? 負けを引き受ける認識が持てるだろうか? 私たちが、北朝鮮(中華圏)の属国にたとえなろうと、自暴自棄な歴史を反復することなく、真に反撃しうる正当な文脈、つまり私たちの真正な気概を見出し握持できるだろうか?
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