2020年4月1日水曜日

桜の木の下で


まだ雪の残った桜の根もとの草を抜いていると、ときおり落ちる雨音のためか、地面をこするフォークの音のためか、ミミズが顔をだして、草地の間をくねりはじめる。地中にそのままいればいいものをと、上から見おろす側はおもっても、代々モグラに追われてきた記憶にあっては、ごく自然なふるまいになるのだろう。雨上がりの晴れ間、アスファルトの道のあちこちで、ひからびて力つきたその姿をみれば、今となっては不合理な習性であるとおもわれてくるが、果たして、上から見おろすヒトとて同じになっているのではなかろうかと、またひとつ、手を入れるのだった。

 年度末の公園改修工事のために、毎年の三月彼岸の草取りはしなかった。いやもともとは、そんな行事は、この都心にある寺の手入れにはなかった。一年を通した仕事が減り始めてからいつしか、親方がそんな管理の作業をとりいれたのである。いやもっともともとは、この時期、植木手入れの職人に、仕事などなかった。正月まえの大掃除をかねた庭の手入れをおえて年をむかえれば、垣根の修復がたまにあるていどで、休んでいるのが普通だったという。私がこの職につく三十年近くまえには、もうそうした生活のリズムはなくなっていたが、ついその前まではそうで、高度成長期に植えた樹木がでかくなり、手入れの管理が必要になってきてから、通年という意識が、経済力の見返りにあとおしされて、職人の間にも芽生えたのだろう。雨で仕事が無理なときのほか、休みはなかった。とにかく仕事があるときに稼ぐという勢いは、日銭で生きてきたものたちの気概だったろう。それがはじけた。稼ぎというより、儲けのいい公共仕事への参加に比重をうつしきっていた町場の植木屋はつぶれていった。少なくなったパイの発注をめぐり、秘めやかに激しくなった野丁場の争いを尻目に、昔の習性を捨てきれず生き残った者たちが、引きこもれる草地の間で、身もだえしている。

 まだ春になれきれていない草々は、指でつまむだけでも、すっと抜けてくる。彼岸の時期であったら、地にへばりついたロゼッタのままのものが多くて、根からとろうとするのにはむずかしかったろう。がもう少し経ってしまえば、根が横や奥にはりはじめ、力が必要になる。無理にぬくと、コケもごっそりついてくる。いつからか自然に生えてきたコケだ。二十年前、寺を改造したとき、中庭にスギゴケを植えたはずだが、それは根付かなかった。しかしいつの間にか、この境内の真ん中にある、日当たりのいい桜の木の下のまわりに、濃艶な緑の輝きを放つコケのいく種かが生えるようになった。割竹で円形に柵をかたどった植え込みの下草には、タマリュウを仕込んであるのだが、日向が多いためか、なかなか満遍なく育っていかない。その隙間を占領するように、少し日がかげる地帯には、コケが縄張り始める。山手通りに接した喧騒のさなかで、ちょっとしたビロードの絨毯が敷かれるようになったのは、気候の変動のせいもあるのだろう。京都では、コケを保持する朝霧がでにくくなったため、だめになっているときく。アスファルトの地面の隙間にも生えてくるギンゴゲには、カンブリア紀からいるクマムシというのが住んでいるのだそうだ。緩歩動物という一種で、目でみるのはむずかしいくらい小さく、イモムシのような体形らしい。

 コケの下からはえている、ツメクサの株もとに、フォークの先をいれて、引き出す。まだ株を増やしていないオヒシバは、指で抜ける。ナズナの赤ちゃんのようなのも、手でつまめる。ハコベやハハコグサといった、春の七草と呼ばれるものも、たまに生えている。カタバミの類いの根には、玉ねぎのような球になった種がいくつもついている場合もあれば、ダイコンのように奥に深いものもある。環境条件によって、生きのびる戦略を変えるのだと、どこかで読んだことがある。どこからか飛んできたのか、ここ最近、キュウリグサが目立つ。まだひとつ所に群生しはじめているだけだが、横におおきくなり、抜くのが面倒になる。中庭にも、よそから飛んできたのだろう、外来もののシダが、敷き詰められた玉石の間に、密生するようになってきている。近所の地主の奥さんが、シダ類が好きで、そこで育てていた胞子がここまできたのかもしれない。が条件のあうのは、日の当たらない中庭だけなようだ。地主宅では、もう増えすぎてこまるからと、鎌で根こそぎしてだいぶ減った。ここではジャリの下から生えてきているので、上っ面をひっかくことができるだけで、どんどん増えていく。しかしその幅広のコケのようなシダを制限しようとしているのは私だけで、団塊世代の職人さんは、親方から言われているわけではないから、そのままにしている。

「もう今月で終わりにしようかとおもってるんだ」と言ったのは、その七十歳になる職人さんだった。納期の迫った工事の作業中、三代目になる若社長が、几帳面な難癖のような指示で、御老体を動かしてゆく。もうすぐ初老にあたる私も、こうこき使われるようなのは、体力的にもメンタル的にも、我慢の限度だった。「親方にいいますよ。若社長の仕事はいりませんから。休みでいいですって。」町場の仕事の方へ舵をきろうとした親方と、役所や企業間同士の仕事の方へ比重を置きたい三代目の間では、対立がおきた。当初は、そのバランスでしのごうと、親方は、役所の入札に自ら参入していくために株式会社にしたその代表取締の地位を、さっさと三十過ぎの息子にゆずったのだった。現場を任せると、しかし若い衆や、中途で採用した列記とした大人でも、人としての扱われ方に我慢しきれずやめていく。腰を悪くしてやめていった団塊世代の職人さんは、そのために呼び戻されたのだった。「会計もべつだ」、と怒りに任せてそう決断したとはいえ、同じ会社のなかでのそのあり方が、実質長くつづくわけはない。自分であつかえる従業員が誰もいなくなった息子が、それでもひとり頑張っていることも目にしている。業者の間では、受けもいい。おそらく、中卒での息子は、いまや造園会社の現場監督でも大卒でが普通となった社会で、異色な存在感をはなっているのだろう。先輩、後輩関係になれ、酒の席でも気勢をあげられる、いまや若者の間では珍しいだろう男気を発揮している。「これからの新宿区は、あいつが仕切っていく」と、私たちにもらした社長もいる。親方も、業界営業のボスたちから、自身の息子がそう認められることをうれしがっている。しかしそう認めた会社の親分たちも、もはや年寄り二人の職人しかいなくなったこちらの実状を知っていくにつれ、自身の認識を修正していかざるをえなくなっているのが、見てとれる。その実状を隠して、虚勢を張って、綱渡りのようなことをしている。番頭として親方から指定されている私の支持がなくなったら、仕事を下請けにだして管理作業だけをやるような位置も維持できなくなるだろう。地元の寺や、神社の手入れ作業から手を切るわけにはいかないからだ。植木職人の立場としては仕事のないこの年度末、仕事をもってきて与えているのだという男気は、私たち老体の身にだけではなく、今や若者の間にも通用しないだろう。私立高校に入学した息子のいる私が、別にやみくもに仕事や金が欲しいようなわけでもなく、これまでの男たちとは違うこと、違う出自であることを、親方は自覚している。とにかく本年度末の公園工事が無事おわり、なお抱えた職人がやめるわけでもなさそうなのにほっとし、お彼岸にできなかった草取りをこの二日でやって、来月の四月からは一週間休みにすると言ったのだった。

 淡い色の花を咲かせた枝垂れ桜の頂のほうで、シジュウガラが、甲高い鳴き声をあげている。語尾が長く、つづけざまな、訴えかけるような声音だ。縄張りを主張したり、外敵の侵入を威嚇しているような、緊張感をもった調子には聞こえない。見上げてみると、頂上の枝先にのって、上に小さな嘴をつきだして、鳴いている。それからひとつ下の段に降りてきて、やはり上を向いて鳴いている。もう番いになって子を産む季節なのだろうけれど、異性を呼んでいる声にも聞かれない。シジュウガラにも、カラスと同じで、30種類ぐらいの言葉をもって話していると、テレビでやっていた。違う種の仲間を呼び、巣の下で寝転ぼうとしていた猫をみなで追い出していた。猫の方も、自分が邪魔になっていると理解したように、しょうがないなあとの素振りをして歩いていく。今の鳴き声は、なんだろう? 私には、わからない。

 桜の頂には、枯れがはいっていた。根もともよくみると、幹が地に着く辺りに腐りができている。蟻が巣を作るのに出した、粒子状の黄色い土の小山が、いくつか並んでいる。下枝として伸びた太い枝のひとつも、幹から分岐したところで、猿の腰掛になっていくような、透明色のキノコが生えている。ヒトの背丈ほどの辺りの幹は、こぶ病でもわずらっているように、ごてごてしている。前の枝垂れ桜がだめになって、植えかえてから十年以上は経つか。本殿の回収工事のさい、根を傷つけたか、もともとこの地盤の下は、土壌がよくないという話だったか。植え替えたこの桜も、弱ってきている。樹木としては、まだ若いほうだろう。満開の頃には、ライトアップされて、写真をとりにくる人たちが結構いる。去年は、木を活性化させようと、親方自らが木に登り、枝をおろした。しかしそれが裏目にでたように、今年は花づきがわるかった。というより、もう咲いている。葉も、出はじめている。普段は、ソメイヨシノが終わってからで、たしかゴールデンウィークくらいまで楽しめたはずだ。それが、今冬の温暖化のためか、早く咲いたソメイヨシノとおなじように花を咲かせた。しかしその花数は少ない。枝数が少なくなったぶんだけ、なお貧相にみえる。除草にはいるまえ、桜のまわりを溝堀りして、有機肥料をあげた。例年は打ち込み肥料のグリーンパイルだけだが、化成肥料はわるいかもしれない、ということで、粉末状の肥しを根回りに流しこんだ。

 四月からは、休みにはいっている。そしてまた少しやれば、五月に向けての長い休みがすぐにくるだろう。実家の方では、施設に入居している認知症の父だけでなく、母もが、歩くのがきつくなっている。どのみち仕事がなくなるのなら、両親に付き添いながら、独り立ちした仕事を一から作っていくのも同じことだろうと、女房にも言って、計画をたてたのだった。が父の様子を見に帰った翌日、東京からの面会は感染の危険を増加させるということで、施設は身内もシャットアウトとなり、自分にあっても、実家のある田舎との間を行き来しずらくなってきた。実際に、これから交通遮断もなされていくのだろう。

 本殿の屋根のほうで、ヒヨドリが鳴く。手元には、褐色に成長しきれていない白っぽいミミズが、じっとしている。ゆっくりとではあるが、縞模様が動いている。草に濡れた雨が、じっとりと光って、色彩のめりはりをはっきりさせる。粘り気をもった土が、薄いゴムの入った軍手の指先を、冷たく刺してくる。隣の大通りからは、車の排気音がたえない。いつもの交通量にもどっていることは、たしかめていた。いつもと、変わらないようにみえる。聞こえてくるものも、変わっていないようにおもえる。桜の木の根もとでは、彼岸花の先の長くとがった葉が小さな群れをつくって伸びている。四月に入っての数日の寒さを抜ければ、春の暖かさが夏に向けて勢いをましてゆくだろう。今年の夏は、暑いのかもしれないし、そうでないかもしれない。それでも、秋がき、冬がき、また虫たちが蠢きはじめるだろう。しかし私たちが、同じように蠢きはじめるのか……おそらく、やはりそうなのだろう。たとえ、それが不合理な現実に進化していくものになるとしても、私たちは、身もだえしてゆく。

0 件のコメント:

コメントを投稿