「中上文学を(再)開発文学の視座から捉え」る、と本の帯にあるので、社会学的な知見を応用させた主題読解論的な評論なのかと思った。が、夢分析していくような緻密な思考軌跡に裏付けられたテクスト読解だった。しかも、言葉遊びに放恣していくのではなく、そこに社会学的な論実もが適格に挿入されて、説得力を増幅していく。
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渡邊氏は、これまでの父-子に集約されていくような中上読解から、それを兄たち―動物たち(熊や鳥)―雑草へ、とイメージ連鎖を展開していく。その創発的な想像力を学究として説得性をもたせるために、レヴィストロースの人類学を介在させ、そこから、いわゆる現今のリベラル政治を支援させていくような文学思想的な知見を重ね合わせる。
<中上健次の小説(テクスト)は、規範的な近代家族のそれとは異なるクィア家族の親族関係を繰り返し描いた。「このテクストでは、親族関係の語彙は、目眩を起こさせるような多義性、多価性のなかで、その規範化能力を失いはじめているようだ」。乱反射する多義性、多価性は、親族関係の非首尾一貫性と非整合性をあらわとする。このような親族関係の攪乱は、単に安全地帯にあるフィクションという机上の空論としてのみ思考されている訳ではないだろう。「むしろ親族関係が確固不抜のものではなく、可鍛的なものであることを読み解く」文学は、「現代社会で進行している拡大家族や、シングルマザー、養子縁組、ゲイが親となること、国境を越える移動に伴う複層的家族構成などを、単に社会現象としてだけではなく、理論的・文学的に説明し、それらに社会的で心的な生存可能性の根拠を与えるものとなりえる」。その非規範的な家族や親族をめぐる理論的・文学的な説明は、「家族の位置が明瞭ではなく」「親族関係が、もろくて、多孔的で、拡張的な時代」である今日、より一層かけがえのない非規範的な家族や親族の生存可能性をめぐる根拠を提供するだろう。>(第四章「被差別の人類学、賎者の精神分析」 引用中の「」の文は、竹村和子著『アンティゴネーの主張』 青土社)
ここには、二重の疑問符がつく。
まず第一に、文学が、生存のための根拠になりうるのか? ということ。指針にはなるだろう。が、理論であれ、思想であれ、それが提示しえるのは仮説である。宗教(信仰)とは、その物語・文学的根拠の仮構それ自体をも、無根拠に信じることからはじめられる。聖書の創世記が示すものも根拠であるが、それ自体を信じるところからはじめられるのが信仰生活であろう。理論や文学が根拠になりえると信じるとは、それと同義になるのだから、実は無根拠だと言っているのと、同じにならないのか?
しかしとりあえず理性ある現今の人間の営みとして、知見の根拠となるのは、科学である。ゆえに、この引用の前段階に、レヴィストロースの人類学が措定されているのだ。
が、この人文科学的な知見は、現在、エマニュエル・トッドの「家族人類学」によって揺るがされている。相当な実証的論理によって、科学的な反措定が提出されているのだ。
そのトッドの人類学からみれば、中上が「母系制」と把握していた家族のあり様が、実は、文明化以前の周辺地帯に残存する核家族の惨状なのだ。ヨーロッパのリベラルと現今では一括される民主主義の理想が、文明以前的な原始社会の名残なのである。
日本において、核家族を圧制する父権的な共同体家族の浸食は、京都の天皇政治からきているのではなかった。天皇家が父権的になり長子相続になったのは、明治以降である。日本では、それは東国の武家社会からくる。鎌倉時代からといわれ、モンゴルとの戦いの影響も指摘される。熊野へ侵出と神話される「古事記」での神武東征では、そもそも神武天皇自身が4男末子相続的なのだから、核家族を示唆しているだろう。
中上の作品で、その東国からの影響は、まず戦国時代の織田信長(武家)と戦ったとされる浜村孫一の伝説と、浄土真宗ということになる。トッドによれば、この宗教が、ヨーロッパでのプロテスタントにあたり、共同体家族への前段階としての、長子相続的な直径家族的思想をもつ。しかし中上の作品から伺われるのは、戦後の高度成長を経たあとの社会にあっても、路地の世界は未分化的な核家族状態だということだ。
※参照;ダンス&パンセ: エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2) (danpance.blogspot.com)
ならば、戦後の当時にあって、孫一伝説のような神話作用ではなく、具体的な文明の、直系家族的な浸食はどこから来ていると描写されているか?
それは、「枯木灘」において、秋幸が殺した義弟の秀雄とその仲間たちが作る暴走族という集団になる。
<現場へもどろうと、一人美智子のアパートの前へ来た。ダンプカーを三方から取り囲むように十五台ほどのオートバイが置いてあるのを知った。秋幸は舌打ちした。一台を足で蹴った。秀雄の仲間がこんなことをやるのだと思った。そう思いむかっ腹が立ち、ダンプカーの運転台のそばにある骸骨のシールを貼った一台を蹴り飛ばした。>
<路地の美恵の家にもどる前に、盆踊りを見に寄ろうと三人で、路地が小高い山に沿ってのびて切れたところにある空地に向かった。その空地は駅からの通りに面していた。ヘルメットをかぶった警察官がいた。骸骨の絵のワッペンを一様に貼ったオートバイが十五、六台、空地に接した通りに置いてあった。>
この「骸骨のシール」「骸骨の絵のワッペン」とは、おそらく、関東の暴走族のシンボルである。「スペクター」という。1975年ころが最盛期と言われ、数千台規模の、全国で一番の数を誇った、自然発生的に増殖した暴走族のグループだ。今でもその支流は続いているといわれる。一度、解散寸前の5人までになった。残ったメンバーは、東京は新宿区の職人街育ちの青年たちだった。私の植木職の親方が、その内の一人で、「スペクター」三代目総長となったいまはとび職の親方となっている同級生とともに番長の一人となっていた。任侠もののDVD暴走族シリーズ「スペクター」で、その再起動と動乱の様を伺うことが出来る。また私も一緒に仕事をしたことのある元総長は、たまにテレビにも出演している。
「枯木灘」での徹、秋幸と同じ職場の同僚は、この路地の家族のあり様を「かかあ天下」と形容した。この言葉は、とくには関東は上州(群馬)の女性との関係において言われたものだが、これを、「母系制」なりそこからの拡張含意で「クィア家族」と敷衍していくのには、少なくともトッドの科学知見からすれば、早とちりとなるだろう。トッドからすれば、「母系制」なるものがそもそも、父権的な文明浸食への反動形成であり、事後的なものである。ヨーロッパでの「魔女狩り」が、いわば「かかあ天下」においてこそ発生したものだという分析もある。自伝的にも、中上は母親からの教育熱心に支援されてきたわけだが、その事態も、文学思想理論よりも、トッドの歴史考証からの方が説得力を感じる。
※参照;ダンス&パンセ: 屑屋再考案3――トッド・ノート(7) (danpance.blogspot.com)
私はこの自身のブログでも、私が30年働いてきた植木職場の家族・人間関係のことをところどころで描写してきたが、21世紀のいまもっても、東京の都心部に、中上的な路地の家族世界の残存が濃厚なのだ。(そこ、私の職場であった植木屋は、檀一雄が居住していた「なめくじ横丁」の三軒隣りであり、近所の皇族の遺体を火葬するに指定されている火葬場の崖斜面は、墓堀りや墓場からでる残留物を独占した「乞食」と呼ばれる人が高度成長期まで暮らしていた。おそらく部落である。地元民はそこを「乞食山」、林芙美子は作中「乞食部落」と呼んでいるが、アナーキスト詩人の秋山清はその居住者たちと交流をもって、エッセーに残している。『昼夜なく―アナーキスト詩人の青春―』筑摩書房。1960年代であるか、11階建ての団地2号に開発されて、私と女房・子供の家族三人は、息子の小学2くらいの時そこに引っ越し、高2の受験をむかえるまで、1号棟の6階で暮らしていた。そこに移ると決まった際には、「え、乞食山に住むの?!」と、地元の職人たちからたまげられた。親方が言うには、もう火葬場の一番強暴な連中はひとりもいない、という話であった。いま、古くなった団地の再開発が問題になっている。)
となれば、安易に家族の進化に希望を、あるいは理論的な根拠の前提となる経験的資料をモデル視、理念化するわけにはいかないだろう。トッドがウクライナでの戦争の様を家族人類学的にみていうように、猿から人への葛藤が、始原の核家族価値と文明の共同体家族価値との葛藤の続きが露呈しているということかもしれないのである。
(トッドの帰納主義的な理論と、レヴィストロースの演繹的な理論における、理論それ自体にある思考の型問題自体を、柄谷行人の「トランスクリティーク」などから再検討もできるが、ここではそう指摘だけ。)
ならば、この科学上でてきた反措定に、どう対応すべきか?
渡邊氏は、最終的に「雑草」というイメージ連鎖にたどりついた。しかしもちろん、「雑草」という大区切りの呼び名は近代においてであって、それ以前から、ひとつひとつが名前をつけられている。しかし重要なのは、もともと固有名をもっているよ、ということではない。むしろ、無名であるからこそ、名前をもつような固有性がある、ということなのだ。その思考過程の現実性を提起する論考に、フッサールの現象学と圏論のような数学の先端とを結びつけて、レヴィナスの他者論と結びつけた西郷甲矢人・田口茂著『<現実>とは何か 数学・哲学からはじまる世界像の転換』(筑摩選書)がある。いわば、「雑草」を社会学的な外への知見に重ね合わせるのではなく、その内側から、雑草(無名戦士)という交換可能な存在様態であるからこそ名前が、他者の顔という固有名性が担保されるのだというような回路がありうるのだ(BCCKS / ブックス - 『人を喰う話 2 『進撃の巨人』論』菅原 正樹著 参照)。
それは、インテリという著名な言論世界ではなく、インフルエンサーという、素人の、無名的な世界にこそ知の普遍的な在り方があるかもしれない、という、現今のネット上での試行錯誤と私は重なっていると思っている。近代的な大量とは別次元の大量(大衆)の模索。
しかし、渡邊氏も、暗黙にはそうした現勢に気付いているだろう。なぜなら、上の事態の科学的論拠とは、西郷・田口氏もそうだが、量子力学なのである。
<それは、路地で「凶事が起り、それが続けば、「これは何が悪いのか」と問われるように、原因があって結果がある、一定の「法則」に基づいて一定の結果を得られるニュートン力学的な考え方であり、リアリズムの文法であり物語の権能だと言える。それに対して縁起は…(略)…従来の物理学の「一般法則」があてはまらない揺らぎをはらんだ量子力学の考え方に似る。「縁」による離合集散は、人間にかぎるものではない。人間と人間ならざる者を含む多様な要素が切れながらつながることで構成される偶有的で潜勢力に満ちた世界。>(第八章「生命の縁起、脱人間/人文主義」)
そこで説かれる「観点」という概念が、量子力学からきているのでは、と勉強を開始したのだ。)
しかし……たとえば、いま、プーチンとの交渉で、その縁起、科学的に「量子もつれ」なる事実で戦争をやめるよう説得するとはどういうことなのか? ほとんど、目を合わせて、テレパシーを待つようなことにしかならないだろう。現今の科学現状では、量子論の詰めでは、論理の飛躍があって、神秘主義、スピリチュアリズムになってしまうだろう。いまだに、カントが、スウェーデンボルグを認めながらそれを退けねばならないというような事態が続いている。形而上学の復権として、至上命題をプーチンに説くことが現実的なのか?
やはり、今の段階では、トッドが示唆するように、おまえ(プーチン)は共同体家族の育ちだからそう権威的になるのはわかるよ、それはこっちがまだ核家族の個人主義的な自由主義観でものを言ってしまうのがしょうがない、というのと同じだよな。だからさあ、そこらへんはお互い理解して、なんとか戦争を早期終結に向ける話し合いをしようじゃないか、と、説得していくほうが、話になるのではないだろうか?
私には、現今の科学が示す反措定は、そのように指示しているように思える。