父から孫イツキへの墨絵<登り竜>
「Ⅰ ユーラシア」の「第4章 日本」の個所からのみ抜粋
原型的な……
「縄文時代末期のものと推定される墓穴の中の骸骨の遺伝子分析を用いた最近の研究は、日本の南西部の異なる二つの地域に位置する二つの共同体において、婚姻後の夫婦の居住は双処居住だったことを検証した。」
「喚起された唯一の地域多様性は、いずれも直系家族であるが、遺産相続の変異によってその様態が異なるというものにすぎなかった。男性長子相続は、息子がいない場合の娘による相続を妨げなかった。それは、前工業時代の人口条件の中で二○%の家族に見られた状況である。性別による相続の分析は、日本では養子を相続人とすることが頻繁に行なわれたことによって、込み入ったものとなっている。相続人を養子に取るという手法は、ヨーロッパでは排除されている。…(略)…養子縁組は、実際には、母方居住の入り婿婚を形式化したものであった。これによって、娘による遺産の継承が可能になるのである。養子となる者は、親族の中から選ばれるのではあるが、世帯主の親族から選ばれるのが義務ではなく、時として世帯主の妻の親族の中から選ばれた。父系親族しか養子として認めない朝鮮のシステムとは、非常にかけ離れている。…(略)…日本の標準型では、実際上、女性による相続が二○%に達するということになったわけである。それは<レベル1の父系制>に相当するということになる。」
東北の前提的な……
「日本の北東部で観察されるのは、中国風の父系制の度合いの強い父方居住共同体家族ではない。日本では、北東部でも南西部でも、家族モデルは、必要に応じて女性による財産の相続を許している。実際、いくつかの指標によると、女性の地位は、主要な島である本州の中心部よりも、狭い意味での北東を意味する「東北」で、時としてより高いことがあるように見える。それは日本における絶対長子制、すなわち、女子が最年長なら相続するというあの規則の地域である。彼女の夫は、婿として家族の一員となる(姉家督)。…(略)…それは、兄弟間の不平等の原則と、女性の地位が依然として無視できないという、二つの最も特徴的な直系家族的価値が、中央部よりもはるか北東部で顕著であるという、単純にして正当な理由から言えることである。世帯の目に見える構造を無視して、これらの変数だけに従うならば、北東部の家族はなお一層「直系家族的」であると考えられるだろう。」
「北東部のシステムは、容易に相互に相関しやすい他の特徴を示している。すなわち、父親の引退は早めであり、子どもの結婚年齢もやはり早めである。この慣行はもちろん、世代間の集住を容易にする。早期に引退した父親はまた、家を離れて、同じ囲い地の中の別に切り離された家屋に住むこともある。時には他の子どもも父親について行く。最終的には最も若年の息子が、父親の家を相続する。これが<隠居>の手順である。分離は別々の台所の開設にまで至ることがある。これは、厳密に言えば、人類学者なら二つの核家族があると知覚するはずの事態である。しかし、現地共同体と国家の見方を表現する住民登録簿(戸籍)は、この全体を一つの単位として定義する。跡取り息子が家長でありその代表者ということになる。また。このように次々に起こる核分裂によって出来た世帯の間には、やはりより強くより序列的な繫がりが見られるのである。」
関西前提的な……
「この貴族階級の成員たちによって残された数多くの日記の詳細な分析を行ったマックルーは、きわめて巨大なクランを組織・編成する父系原則と、男性配偶者の住居についての母方居住の優勢との共存を証明することができた。このシステムの中で、支配的なクランである藤原一族は、皇帝一族と連携して、独特の地位を占めていた。マックルーは、人類学における父系制と母方居住の組み合わせの希少性に言及している。とはいえ、…(略)…厳密に言うなら、このような婚姻後居住モデルは、おそらく母方居住屈折を伴う双処居住と定義されるべきものであろうが、しかし、父系原則を含むシステムとしては、それだけでも大したものである。…(略)…しばしば、母方居住的住居様態は、祖父である藤原の者が、自分の娘の息子である未来の皇帝を育てることを可能にしていた。シモーヌ・もクレールは、藤原クランに所属することは、宮廷での地位を獲得するための競争のグラウンドに入場することを許す一つの条件でしかなかったということを示した。藤原一族の中でも、継承規則に関して不明瞭さが支配していた皇帝一族の中でも、堅固な長子相続の原則は全く観察されない。
一見して複雑なこの布置について、相対的に単純な解釈は可能である。父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった。しかし、家族システムがまだ主要部分では双処居住的で、親族システムが双方的であったと考えられる日本の社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した。風俗慣習に関して、女性によって頻繁に書かれた当時の日記を通して感じられるのは、両性の関係という面では均衡がとれているが、中国的父系原則と日本的双方基底との間のある種の二元性の作用を受けている、そうした文化である。この二元性は、文書の中に刻み込まれている。男性の行政文書は中国語で書かれたのに対し、女性の個人的文学は、日本語とカナで書かれたのである。それに、この時代の当初における、女帝の出現と中国との関係の再開とが、同じ時期に起ったというめぐり合わせにも、驚く他ない。」
関東での変移から……
「現在入手可能な歴史データが示すところでは、男性長子相続が本当に日本に、その貴族層の中に登場したのは、鎌倉時代後半になってから、すなわち、十三世紀末から十四世紀初頭までの時期においてであった。」「要するに直系家族の台頭は、中国と同様に、日本でも父方居住現象と女性のステータスの低下の始まりを伴ったわけである。日本は<レベル1の父系制>に達するが、その後、これを越えることはないだろう。親族用語は一般的特徴としては双方的なままである。」
「直系家族の台頭は、農業経済の稠密化と集約化の段階に相当する。十一世紀から十二世紀の大開拓の後、十三世紀半ばに、瀬戸内海沿岸では二毛作が出現する。米を収穫した後、穀物を栽培するわけであるが、これは土地を疲弊させるよりはむしろ豊沃にした。そしてまたしても、戦争は稠密化と直系家族を促進した。」
「長子相続は、京都の宮廷の権威をはねつけた戦士的貴族たちによって<関東>にもたらされたのである。家族の地理的分布が示す微妙な差が、このような仮説を確証してくれる。直系家族が、最も純粋な形態とは言えないまでも、絶対長子制や末子相続のような逸脱的要素をあまり含まない形で存在するのは、<関東>においてである。絶対長子制は、日本の北東部、<東北>の特徴であり、末子相続は、西部では数多くの例が見られるわけであるが。…(略)…本州の人口密度の高い部分の西と東の間の違いは、とはいえ、単線的な直系家族類型の中の微妙な差にすぎない。」
「日本北東部のケースの中に感じられると思われるのは、もともと存在した一時的双処同居を伴う核家族システムの上に、不平等という直系家族的概念が直接的に貼り付けられたということである。もともとの兄弟姉妹の夫婦家族を連合する双処居住集団の痕跡さえ知覚することができる。直系家族的な序列原則が兄弟間の関係の上に直接に取り付けられたようなのである。父親は早期に引退する。<本家・分家>集団の中では、同じ株から枝分かれした世帯間の付き合いが重要となる。娘が長子である場合、その娘を跡取りとする絶対長子制の規則は、それが存在するのであるなら、もともとの双処居住の痕跡に他ならない。先に記述されたような、分離した住居を伴う<隠居>は、核家族間の関係を組織していた柔軟なシステムの痕跡である。
以上提案された解釈に従うなら、追加的な一時的同居を伴う直系家族は、日本北東部では、それほど必要としていなかった社会に直系家族的概念が輸入された結果であるということになる。」
沖縄から……
「理論面で重要なのは、またしても、接触前線上におけるように、母系制は父系制から、母方居住は父方居住制から生まれているということを確認することである。後にも本書中に、他の例から多数見出されるはずであるが、特に、沖縄島ではより平凡な形態の例が見られる。…(略)…またしても、母方居住制は父方居住制の輸入に対する反動と考えることができるのである。実際にそれ以前に存在した、おそらく双方的であったシステムは、姿を消したのだろう。この母方居住という分離的否定が起こった時期は、日本の権力下であったか、あるいはより早く、中国の影響下の時代においてなのかについて、仮説を立てるのは難しい。」
アイヌ人……
「私としてはアイヌ人の家族を一時的双処同居もしくは近接居住を伴う核家族のカテゴリーに入れるものである。ユーラシアの北東の果てに位置するというその位置取りからして、アイヌ人の家族は周縁部的かつ古代的と定義される。要するにそれは、双処居住集団に組み入れられた核家族を人類の起源的類型と考える本書の全般的仮説を検証するわけである。」
イトコ婚……
「日本の直系家族は、軽度の内婚傾斜を持つところが、ドイツや朝鮮の直系家族と区別される。」
※上のような、人類学的な客観的視点の正当性とその是非の程度と、差異(実感)の強度の具合を、柳田などの古典民俗学的な視点や、日本人としての私から内省してみること。あるいは文学を利用して、たとえば家族をあつかった中上の実践は、人類学的な客観からみてどう当てはまってくるのか、その作品の世界史的な意味、作家の実践的な企図はどのようなものになるのか? アキユキは、どんな価値交換をリュウゾウと果たしたことになるのか? 妹との禁忌、内婚、津島佑子の作品とう、とりあえず図式で追ってみること。絵解きすること。また、第Ⅱ巻のヨーロッパの文脈で、ドストエフスキーのカラマーゾフなどを読み直すとどうなるのだろうか?
・<父(権)>が降りたということが、ソ連の崩壊とともに、中上作品の意味としてその時期言及された。そして、共同体国家(家族)=共産圏が消滅して浮上したのは、本当の敵、自分を支配しているものは母親的なものだ、とも。中上は、血盟団事件(テロ)にかこつけて、「死のれ、死のれ、マザー、マザー」と主人公に歌わせはじめたわけだ。現在、プーチン、ドゥテルテ、トランプとか、父権的な見かけの政治家が出てきているが、実際には権威(象徴)で引っ張るというより、実務的な強引さで民衆をひきつけようとしている点で、女性的とも言える。空威張りより生きた実感を、と。そういう世界的な風潮が、共同体家族(ロシア)、直系家族(日本)、核家族(アメリカ)、という家族形態によってその風潮(思想・価値)の実質が変形されて継承(交換)されていく、ということだ。アメリカのトランプが勝ったのは、地方(田舎)においてである。日本でのトランプ現象と類似しているものは、大阪での橋本運動と、東京での小池運動という都心部においてである、と変移されている。生きた実感をという核家族的な反動が、本場のアメリカと違って、日本の地方では、結婚後でもなお母方居住なり父方居住という直系的な家族システムの歪曲形態の残存(双方的居住)がフィードバックとなっているからで、都心部に暮らす文字通りな<パパーママーボク>の核家族的な現実=苦しい生実感がまだ遮蔽されているからか? もし私が、長屋住まいのようなアパートではない居住地でイツキを育てなくてはならなかったら、どうなっていただろうか? 隣部屋の老夫婦や、大家さんが、子どもの面倒をみてくれて、イツキにも逃げ場がなかったら、どうなっていただろうか? 本当の核家族の価値を教育(価値交換)されてきているわけでもない若い夫婦には、とても残酷な社会として日本はあるだろう。母子家庭であるなら、なおさらなはずである。昨日も、パート従業員の母親を殺めてしまったらしい、16歳の高校男子が飛び降り自殺したという事件が、埼玉県は大宮市であったらしい。日本でのトランプ現象の本当の姿とは、こういうものかもしれない。核家族の孤立保障は、国家的な共同体の支援が社会的前提であるが、直系家族社会では、それはまさに家族(父親)自身に任されてしまうのが価値なのである。
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