2015年10月12日月曜日

今の気分

「それに<戦争>は人間の知性がよく制御できるものではないようです。先ほども言ったように、原初の人間にとって日々の生存が闘いであって以来、人間は<戦争>をやめたことはないのです。いやむしろ戦争の歴史のなかから現在の<人間>が形成されてきたのかもしれません。そして戦争は概念規定できる、つまり知性によって把握できるとなると、そのように手なずけられたはずの「戦争」は、きっと次の戦争によって反故にされてしまうでしょう。だから戦争をまともに考えようとするなら、自分が戦争から超越していると、つまり自分が<戦争>を免れていると思わないほうがよいのです。戦争はもちろん人間が火付け役になりますが、そしてひとは平和の秩序のなかでは戦争をひとつの考察の対象にすることもできるし、戦争を企てることもできますが、いざ戦争が起こると、ひとはいつも「こんなはずではなかったのに」と思いながら、すでに<戦争>のさなかにいてしまうのです。」(西谷修著『夜の鼓動にふれる 戦争論講義』 ちくま学芸文庫)

夢のなかでも、戦争をみるようになってしまった。……日本に越境してきたロシアの軍用輸送機のようなジャンボ機を、日本が撃ち落としてしまって、これからロシアが復讐攻撃にでてくるのではないかとなった。総理大臣は逃亡し、責任を主体する代表者がいなくなってしまった。誰もなりたがらない。その状態に乗じて、ゲリラ人民とみなされてしまう日本元国民は虐殺されてもおかしくない、そう戦争をしかけてくるのではないか、とみながおびえはじめた……そんな情勢を、まるで映画のように自分は見ている。そしてもちろん、自分も人民の一人としておびえていて、目が覚める。

山場にさしかかった子供のサッカー大会で忙しく、神経もそちらですり減らしているというのに、9.11以降から、腹の底に居座ったような気持ち悪さが、やはり抜けきらない。自分の個人的な鬱とは別に、時代的な鬱、どこか無力・脱力感を誘う気持ち悪さ。だからまた個人的な鬱とは別に、つまり自分の子供の頃のことが原因であろう病とは別に、自分の子供のためにも、頑張らねば、鬱に負けてはいけない、と元気をだそうとする。そしてそれ、その気持ちが今度は一般化した方向へと知性化されて、若い者に任せるみたいな態度はよくないな、中年の自分がまずしっかりしなくちゃな、という意識を昇らせてくる。一希がもう来年は中学生だからだろうか、若者の働き口の社会問題も他人事ではなくなってきて、なおさらそんな意識が強くなるのだろう。青春期が戦争状態で奪われる、なんて事態にならないでほしい、と願わずにはいられなくなる。が、今度はそこまで思いがいくと、そこに個人的な鬱が重なってくる。自分もまた、すでに、戦争を生きてきていて、というか、死ねなかった生き残りの感覚で今まで在ったではないか、という思いにさいなまれるのだ。三島由紀夫や大江健三郎のような、戦争を子供のころに体験して、遅れてきたと実感できる世代だけではなく、高度成長期に生まれたのちの世代でも、やはり校内暴力や引きこもり、いじめなどで、その戦争体験が挿入されている、その個人の人生で受けた鬱、それ以降の生とは、上引用の西谷氏の言う「死ぬことのできない」世界の生存、3.11の大災害を生き延びた人々も、それはもはや単なる自然災害で納得できない複雑さ、気持ち悪さを心の底に抱え込んで生きて行かねばならないだろう。

「<アウシュヴィッツ>と<ヒロシマ>のところで、そこに露呈した生存の状況が、人間が「死ねない」ということの<現実>なのだという話をしました。昔から人は死を恐れてきたわけですが、ここでは人は死ぬことができず、それが無限の<災厄>なのだ、と。そしてそれが<災厄>だったのは戦争のためですが、「死ぬことができない」人間が<死>を見失うという状況は、<世界戦争>以後<人間>の基本的な生存状況になりました。」(上同)

「けれどももし核戦争が起こって全世界が破壊され、人類が一挙に死滅してしまうなら、そんな簡単なことはありません。数十分のうちに地上から人間がひとりもいなくなってしまうとしたら、万事解決です。人間がいなくなれば、地球の荒廃を嘆く者はだれもいないし、人類の滅亡に涙する者もいないでしょう。それに、それまで人間が苦しみながら解決できなかったあらゆる問題は、いっきに解消されます。人間がもういないのだから問題もありません。だから核戦争で人類がほんとうに滅亡するとしたらもって瞑すべし、こんな気楽なことはありません。ところがそうはいかない。そんなことでは人間は死ねないのです。」(上同)

しかし、気持ち悪いとばかりもいってられない。この4月からはじまった全日本予選はリーグ戦なので、まだ終わらず、長い闘い。大人の自分でもモチベーションを維持するのが大変で、神経がへとへとになっている。その体調の悪さと、時代的な気持ち悪さとが合い重なって、仕事も鬱と戦いながらやっているような状況で、毎日が、ほんとに生き延びている、いや死ねないでいる、といった感覚。テレビのニュースをみても、暗いものばかり。日本ラグビーが勝っても、喜ぶ気力もおきない。それは、自分だけの気分だろうか?