2016年9月20日火曜日

中学生の自殺(3)――教育と育成


<○○さんが伝えてくれた、「文学界」(2016.10)での柄谷VS高澤対談を、石原VS斉藤環対談とともに、昨日読んできました。
中上健次をめぐる柄谷対談から改めて確認したのは、なお私の「母殺し」の主題が続行している、ということですね。私の父も、最終的には父の審級から降りて、その降格過程で、本当の敵とは母だと気付いていくわけですが、その殺しの機会=歴史を、私一代ではつかめず、後退戦を選び、いま(というか数年前から)、一希とともに共同戦線を闘いはじめた、という感じですね。女房=母親と闘うことを通して、認知症と化した父を庇護しながらその自由を奪うグレート・マザーを、どうやったら仕留められるのか、ということを、最近の母系論議が再燃した天皇退位問題をにらみながら、身体的に実験している、という感じです。私(父)と息子と妻の間には、やはりエディプス・コンプレックス的な問題もあります。が、現代のいじめ問題を考察した『友だち地獄――「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義著・ちくま新書)の作者の指摘にもあるように、今風の両親は、親というよりも友達に近く親しくなっているので、第三者的な仲介者としての相談相手になりえず(友達に迷惑をかけたくないと)、ゆえに悩みを内に抱えてしまう傾向があるのだと。私も、ある意味、父というよりは一希の友人に近い。はじめから、父になることを放棄しているところがある。が、一方、母(女房)が息子をなぐるとき、「子供もをなぐるなら俺がおまえをぶんなぐる」とその間に立ちはだかったこともあるように(今は戦略を変えていますが)、「父」であることの必要性を人為的に、知的に立ち上げている。そうしない と、母系的な母ー子の癒着に子が飲み込まれてしまうと認識しているからですね。他の家庭では、そういうことはありません。まったくの双系制よろしく、父親は黙って女房の尻にしかれるか、見て見ぬ振りですね。しかし、私が体を張って子を守ることで、息子は人間的には私の方を信用しています。が、自分の腹を痛めて産まれてきた子が母にとっては分身でもあるように、子にとって母は、やはり依存に吸い込まれやすい相手なのです。同時に、思春期にはいると、母が女として、その女をものしている相手の男として、対抗者としても父を見始めます。ゆえに、息子は、友人のように信頼できる父がライバルとしての男でもあるというエディプス的なダブルバインドに入ってきます。インテリとしての私がそこで模索する実践とは、母子癒着を断ち切る父としての審級=振舞いが、本当に必要なことなのか(文化的にも、人間的にも、あるいはどちらか一方においてなのか、両方ともになのか――)どうかを見極めること、そしてその癒着を断ち切るのは、父としての審級以外にはないのか、と探ること(あるいは逆に、太宰的なダメ父として逃走論的に振る舞うことに本当に実効性はあるのか?)、友人として女(=母)を奪うことをみせつけ、漱石「こころ」の先生のように、息子(K)を自殺に追い込む可能性は本当にあるのか、あるとしたらどれくらいの確率か、それとも必然的か、それともそんなことはないのか、――息子を、我が子を、どうやったらそのダブルバインドから解放させ、真に自由な存在として羽ばたかせていかせられるのか? そのことで、私は人間としての強さ、成人(カント的な啓蒙的意味での?)になれるのか? 私達は、天皇に依存することなく、真の自由主体としてどうやったら屹立できるのか? 権威(天皇)と権力(政治)を区別しておくというのは(象徴であれなんであれそれが天皇制ということだ――)本当に人類の智慧なのか? なおそれが有効なのか? 嘘っぱちなのか? 現憲法1条を憲法から削除することは(天皇家は否定しない)、本当に日本の国体を混乱に陥れるのか?


昨夜は、サッカー・クラブのコーチ会だったのですが、少子化を見込んで、この地区のいくつかの小学校の上級生5・6年生をひとつにまとめ、子供の因数を増やし、そこでレギュラー組と控え組を作って競争させればモチベーションもあがってチームが強くなって勝っていけるはず、頑張れない子はやめていくはず、とエリート優生主義=ナチスみたいな話にまとまっていきました。同じ団地に住み一希と同級生のいたコーチ(なお娘が5年にいる)と私だけがその話にのらなかったのですが(他5人は賛同)、それでやりたければやれば、というのがこちら側の態度。絵描き連中がいくら集まってもすぐ来季に今年以上に悲惨になってつぶれていくだろうから、こちらとしては理念の共有がはっきり区別できてすっきりして好都合。4年生までの中学年までで十分、そのうちそんなチームに進級したがる子は少なくな ってくるだろうから、いやもう再来年でも進級を望まなかったモチベーションが低いとされた余りものとされた子供たちで十分戦え勝つことができるようになるだろう。……と、石原くんの優生思想、相模原事件を起こした青年はDNA的にオカシイのではないかと、自身がその青年みたいなことを言う石原君の主張、またそれがいまの市民の空気なのかと、再確認されてきたのでした。小学校を合併して人数増やせば競争できて成績あがると合作する日本官僚人政策と同じですね。>

*こう友人にメール返答した三日後、試験勉強をめぐる口論中、イツキ突然と椅子に座っていた女房へ向かって走り出しタックルする。女房後ろにそっくり返って危うく後頭部打ちそうになる。パソコンに向かっていた私は無意識のうちに反射して、イツキを追う。イツキはベランダに逃げる。そのぐるぐる追いかけっこから逃げ場を失ったイツキのベランダから飛び降りる姿が思い浮かぶ。「なぐるんじゃないんだから、座りな」と、立てこもり犯人を説得する刑事になったよう。頭をなでながら、イツキの言い分をきき、文句を言いながらも好きなことだけママはしているのではなくその間もご飯をつくってたでしょ、とか、なんで勉強をするのかとかの話をしながら、息子の高ぶった気持ちを落ち着かせる。台所の食卓椅子に座り直しただろう女房は、反省しただろうか? ちょうど、身内間による殺人事件報道がつづいていた。ササイナコトからオトウトをコロシテしまってイタイにコマリバラバラニシタ、とか。子供も女房も、そうした事件が他人事ではないと自覚しただろうか?

*そんな事件の間、サッカー・コーチ間では、上位チームを作るとかいった案が、ヨイショしていたコーチの腰砕けによって中座するような、かけた梯子をはずしてしまうようなメールのやりとりがなされていた。チームを実質的に支えている私たち2名が参加しないと表明し、口先で操ることできないとわかったからだろう。そこで、以下のような論考を、コーチ間メールに投げかける。

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<鈴木です。(長くなります)
会議の件、私の理解では、少子化に向かうなかで一つのチームでは存立できなくなってくるので、その受け皿として○○地区での単体・独立チームを目指して、まず○五・六小のみで、そしてまずは来季その両5・6年生合同チームで(多人数になっても)やってみよう、ということだったとおもいます(○五・六各単体は4学年までのチームとして存続する)。ただそれへ向けてのチーム方針や理念的なところで、私や△△さんが違和感をもち、コーチ間でばらつきがある、というような体制だったと認識しています。その受け皿自体の立ち上げと、来季からやってみること自体には私は反対していません。むしろ、☆☆コーチが来る前に、「民主的にではなく、俺がやるぞ!」という軸となる人がいないと無理ですよと私は言っていました が、☆☆さんがまさにその意気込みを見せられたので、ならばやってもいいのではないか、やったほうがいいのではないか、と思い直し、それ自体への疑義は発しなかったと思います。また、大勢として、来季はそのFC○○の線で行こう!、という感じになって散会したようにおもったのですが…。ただ、あせることではないとおもいます。<


その帰り道、◇◇コーチと話したことは、ゆえに統合FC○○を認めた上での、それを超えたより一般的なサッカー・チーム方針や理念をめぐってのことでした。以下、その時言い足りなかったことを付け加えて、その私の説の論証とします。

(1)人数が増えて競争が発生し、選手のモチベーションがあがるということはない。――今年のユーロでも活躍したウェールズの人口は千葉県民ぐらい、北アイルランドにいたっては新宿区レベルです。それでもああした結果がでてくることは、その質、サッカーの理解度にあることを証明しているのではないか? 一希世代の多人数の内藤新宿、当初は競争的な切磋琢磨があったのですが、のちに先発Aチームと予備チームとにヒエラルキー的に安定し(しかも、ゲームへの自発的なモチベーションをあげるために子供・選手自体に先発メンバーを選ばせるというやり方自体がそれを誘発させた――)、それではいけないと中○コーチは都大会直前になってもその階層を崩そうと、大会当日にフォワードのキャプテンやサイドの子を下げ、結果いきなり先発した選手との間での連携ミスの失点から1回戦敗退、ということになったと私は分析しています。つまり、人数の多少とは関係なく、単にモチベーションをあげていくコーチの手腕が問われるだけです。多くなれば自動的に競争が発生し、それが良い結果に連なっていくことにはならないのは、私は人間的な現実だとおもっています。むしろそうした競争は、子どもたちの間に深刻な事態を引き起こすのです。

(2)オランダでは、1960年対後半、そうした制度から、いじめ問題が深刻化しました。オランダ人は、その原因を、近代国家によって導入された一斉集団授業という形式に問題があると原因特定しました。それゆえ、学校創立に自由を与え、生徒が一定数集まって場所もあると証明できれば、私立でも公立と同じく予算をだし、先生の給与全額を国が負担するという政策をとったのです。結果、ドイツはナチス政権下で弾圧されていた新しい教育理論を採用する人たちがあらわれ、一つの地区に色々な方針を実践する小学校が現れた。要約的にいえば、授業から「学習」という形態に移行し、それは近代以前の日本の寺小屋に近いです。教壇はもうなく、1から3年までが一緒の部屋 で勉強し、先生は個人の発達レベルにあわせた課題を与えて、定期的に、4人ぐらいのグループを作った机の間を見回ったり、床にすわっています。宿題を終えた子は廊下にでてもっと好きな勉強を一人ではじめたり、先生がレベルの高い自習問題をあたえます。そしてこの風潮は、なお数量的には主流にはならないとはいえ、EUを離脱したイギリスを除いて、ヨーロッパの理念的なメインストリームになっているといっていいとおもいます(最近の難民問題で次の課題に直面しはじめていますが)。なんで私がそんなことを知っているかというと、サッカーのクラブ活動だけで、トータルフットボールなどという、全員が一丸となって休まず走り通すモチベーションを育成することなどできないな、もっと子供が時間をすごす小学校に問題があるのではないかと、中野区の図書館程度でですが、調べたからです。しかし、一月前のTVフットブレインで、本田選手が、安倍総理に、サッカークラブだけ変えても日本代表は強くならない、学校の制度を変えていかなくては、と直談判したそうですね。私の勘では、まずオランダのチームへの移籍からはじめた本田選手は、そんな小学校の現状を当地で見たのだとおもいます。本田選手は、おそらく廃校間際の学校法人を買い取って、本田学園でもはじめるつもりなのでしょう。

(3)メンタル(モチベーション)だけが問題なのではない。――会議中、清水代表がスクール的なクラブチーム立ち上げ風潮の中で実質的に解散し、がいまの各年代表チームの成績不振を受けて 、そこに携わったコーチたちの話をきくインタビュー集などが刊行されはじめていると報告しました。高校部活動の名物コーチの言い分は、そんなプロあがりのスクール・コーチの態度はサラリーマンみたいなもので、自分たちはサッカーを知らなくても、家族を犠牲にするくらいまでの情熱で子供と向き合ってきた、その感化が清水に関わって来た子供たちを何人も日本代表へ送り出すということにつながっていったので、いまは逆に、テクニックはうまくなってもメンタル的に十分でない選手が育成されている、だからうまい選手が増えて一定のところまで昇っても、そこで突き当たって停滞するのは当初からわかっていたことだ、という事のようだと紹介しました。私は、そうした名物コーチの認識は正しいのだとおもっています。しかし、もうもどることはできない。そしてこの不可逆は、日本のサッカーの進展だと認識しています。ト○ボの◆◆コーチが新宿代表監督をやめて自らのチームを立ち上げたのも、いきなり6年から巧い子が集まってきても、サッカーとしてはどうにもならない、もっと低学年の時からめざすサッカーに向けて体系的に構築していく必要があると、たぶん、他の地区の進展に接して危機感をもったからでしょう。つまり、運動能力任せで伸び伸び任せなスポーツとしてサッカーがあるのではなく、集団スポーツとして、仲間との連携を作っていく知的作業としてあるのがサッカーの本質だということですね。素人ながら、日本はまだこのサッカー理解度、識字率のレベルが十分ではないのだとおもいます。メンタル云々以前です。◇◇さんとも野球を例にあげて話しましたが、野球では、6年生までに原則的な判断事項(法則)は、すべて教えますね。ワン・アウトでランナー1・3塁の場面、守備者は何を考えなくてはならないか? まず試合の流れからチーム方針を決める、前進守備で1点もやらないのか、中間守備で情況によってはゲッツーも取れるようにしておくのか、1点をあげても確実なワンアウトかゲッツー狙いで深い守備を内野手はとるのか、それに連動して外野手はタッチアップを確実にとれるように浅目なのか、2失点以上の失点は確実に防ぐことをメインに深めに守るのか。ランナーはその守備位置をみて、どういう打球ではゴーするのか、用心するのかの態度準備しておく。中学生以上 レベルなら、その守備位置から打者はピッチャーの配給を読む、プロレベルなら、わざとそう守備位置から読ませておいて逆をついて仕留めていくサインプレーを導入する。が、原則はすべて小学生時代に訓練させられるし、できることです。日本の代表レベルのサッカーをみていると、要は中継・連携プレーがなっていないので、外野を抜けたらみなホームランみたいな、カウンターでまず失点になってしまっている。プロだったらやってはいけないこと、ヨーロッパではありえないことが、まだ代表レベルでも平然と起きているのだ、というのが、スペインなどに育成チームに飛び込んで、向こうの生の情報をとってきている若いコーチたちが指摘していることです。おそらく、小学生の育生年代で、長友や内田選手でさえ、教わってこなかったのだと。一月前のNHK特集で、今治で試行錯誤する岡田元監督が発言していました。「日本では子供のときは自由にやらせて、中学・高校になってから教えていけばいいという風潮があるけど、逆だよ。小学生のとききちんと教えて、じゃあそれで自由にやってごらん、と中学・高校でやっていく、それが普通だよ。」◇◇さんも自分の経験を思い出したように、そういえば中学生になって野球を教わったことはないな、もう応用があるだけ、と。いまは野球も少子化で、体験的にやってローカル大会だけに出るチームと、昔ながらの方針でやっていくクラブチームとに二分されているようですが、サッカーもおそらくはそうなっていくでしょう。が、子供のサッカー(野球)と大人のサッカー(野球)があるわけではない。単に、サッカーや野球があるだけです。そして誰でもできるスポーツにすぎないので、実はそんな難易度は高くない。むしろ、スポーツの面白さは、そうした知的なところにあると思います。オシムじゃないけど、単に走って気持ちいい、のではなく、「考えて走れ」と。

(4)坪井健太郎著『サッカー新しい守備の教科書』(KANZEN)からの引用――<結論としては、育成年代で守備の練習時間が足りていません。日本サッカーの特徴とも言える、圧倒的なテクニックの反復練習と最近では攻撃戦術がレベルアップしてきましたが、守備の戦術とテクニックレベルのための練習がまだまだヨーロッパのレベルには追いついていません。特に小学生の低年代では、未だボール扱いのトレーニングばかりが行われています。まるでサッカーはボールを扱うことが目的で、ボール扱いさえよければ試合に勝てる、ボール扱いが優れている選手が素晴らしい選手である、といったサッカーの本質からはかけ離れた価値観があるようにも見て取れます。低年代で守備を教える必要はなく、それ は年齢が上がった時にやればよいと考えられているのかもしれません。>このスペイン育成にもたずさわる坪井氏は、『ジュニアサッカーを応援しよう 12歳までに身につけたい守備の基本』(VOL.41・2016)で、 相手キーパーの足元・手元にボールが 収まっている時の守備戦術を例としてあげ、結局キーパーにサイドへパントをあげさせてマイボールにしていく弱小チームの守備戦術を紹介し、 スペイン少年サッカーのレベルの高さを指摘し ているのですが、これは去年のFC○○でも実践できていたことです。新宿代表戦や最後ライオンズ杯の対○K戦 を見ていた人は、ビルドアップ時のパスコースをふさぐ組織的な守備連携で(マークではないですよ。マンツーマン・マークは強いチームにはすぐにはがされます――)何度もキーパーやセンターバックを困らせボールが直接タッチラインをわり、マイボールになっていったことに気づいたはずです。まず■■君にはほぼ年間毎試合、トップのプレスのかけ方を確認させ、その動きと間合いに他選手 が連動できるくらいの習性がついていたのです。坪井氏は、スペインでは結局バルサをどう抑えるかでまず弱小チームの戦術が進化していくのだ、それにどう対応するのかで動いていくのだと指摘していますが、こちらも、どうト○ボと張り合えるかのまずはコーチの中での緊張感で戦術思考が密になり、そうしたお互いのチーム間の切磋琢磨で、シ○スや戸○もレベルアップしていったと私は認識しています。そういう意味でも、やはり内藤代表をやめ(ある意味つぶし)、背水の陣の覚悟で自分のチームを立ち上げた◆◆コーチは、相当新宿サッカー界のレベルアップに貢献していると、私は認識しています。

(5)コーチライセンス取得者に配布される「Technical news vol/73」からの引用――

森山(U-16代表監督) ただ、今のサッカーに限らず若い世代の課題として、コーチに言われないとできないとか、やれと言われたことはできるけれども、そうではないことはできないなどがありますが、そういう部分はすごく物足りなく感じます。特に下の年代になればなるほど色濃くあるように思います。」
内山(U-19代表監督) リーグ戦もトレセンも携わってきた中で、懸念していることが一つあります。各チームがスタイルを持っているけれど、どこも結果重視ですね。(イビチャ・)オシムさんが「今日の結果を求めたら、明日の日本はなくなるぞ」と言っていました。リーグ戦をやっていくことはいいけれど、もう少しそれを司る全体観が必要だと思います。余裕を持った環境に整えてあげないと、たぶん良い選手は生まれません。毎週毎週戦って、選手のことに関わり、ましてや選手は18歳。サッカー以外の問題もあるし、プロとメンタルもまた異なる。そういうものを抱えて、「世界を勉強しろ」なんて言うのはなかなか難しい。結果を求められてくる雰囲気がすごく強い。この環境を解いてあげな いと難しいと思います。」 
手倉森(U-23代表監督) 今言われたように、本当に勝つことだけに行きがちかなと思っています。もちろん、プロのJリーグだから勝たなければいけないのですが、勝つための工夫ということに対して、少し幅が足りないのかなというふうに、客観的に今は見ています。…(略)…自分の中では勝つこともあるけれど育てなければいけないというのもあります。思い切ってこの選手を使ってみようというのがうまくいって、育てながら勝つことが究極だと思います。そういう幅のある指導者というのがなかなか出てこないですね。」/「自分であれば、勝つために育てなければいけない、育てれば勝てるという、このフレーズがあった方がいいのではないかと思います。今の社会では、監督だったらもう勝たな ければ駄目。勝っていればいい。けれど、あの監督、あの指導者は良い選手を育てるとか、こういう選手を育てるとか、そういうことが以前は多かったと思います。自分はそっちの方が格好良いと思いますね。」

(6)はらだみずき著作の、「サッカー・ボーイズ」五巻シリーズはご存知でしょうか? 半年前、サッカーの本なら読めるかと一希のために借りてきたのにやっぱり読まないので、自身で読んでみて面白いので一気に読んだのですが。これは、今の日本のサッカー界育成年代でどういう問題が発生し、その中で子供たちをふくめ大人たちもどう悩み実践しているか、よく取材をして書かれた思春期小説です。まずは小学生年代、運動部根性主義の古典的なコーチと、その同級生の池上理論を実践していくようなコーチとの対立を背景にしながら、どう子供たちがサッカーを作っていくかが描かれます(最初KANZENから出版されているので、池上理論に呼応して書かれたとおもいます)。とりあえず、一巻目は 、池上側に軍配があがります。が、中学生になって、部活動とクラブチームとの2項対立を背景にしながら、ほとんどが部活動チームにはいった主人公たちのもとに、先生コーチにかわって、さらなる筋金入りの、トレセンにも顔がきく名物鬼コーチが赴任してきます。同時に、転勤していく先生の薦めで池上理論コーチが、自分の息子とともに、中学の部活動にもたずさわってきます。モチベーションが様々な子供たちの雑居する部活動チームが、どう強豪クラブチームにはりあっていくのか、そのチーム作りの方針をめぐる子供たちを巻き込んだ展開をおっていくと、鬼コーチにすごい洞察と人生的な深さと理論があって、池上理論の正当性が一概にはいえなくなって、すごく複雑な現実の中で読者は考えさせられ るよう設定されています。もう10年以上もまえの作品なんですが、いわば新宿区界隈では、そうした現状が今遅れてやってきて、私たちがこの小説の主人公たちのように考えさせられるはめになっているわけです。新宿内藤の説明会開催の必要性にしろ、これまでそんな問題はなかったのです。ト○マ君、テ○、○っちゃんの3人しか6年になる子がない状況のなかでは、私的にト○マ君に声かけるだけで十分で、○っちゃんのまえで代表とは、と説明しても、どこか可笑しな事態になるだけです。学校単位の地域活動のクラブなのだから、サッカーというよりは単に体を丈夫にするために参加をはじめた親御さんだって多かったというか、それが説明するまでもない前提ですんでいた。が、この近辺でもスクールができてくると、自然そんなクラブチームも競争させられる。パパコーチも、いやでもプロあがりのスクールコーチと競争させらてくるわけです。そういう状況下でのセールスポイントは、私はこれまでの方針を押さえることだとおもっています。そして私個人は、サッカーの話に関連した他の領域の雑談で、子どもたちの関心をひく、というのも意識的にとっている態度です。これまでも、子どもが喧嘩し「なんで俺だけせめる」といえば 戦争の話をし、サッカーのスペースといえばコンピュータのDSのデジタル原理の話をします。グループ戦術を教えたいのだったら、君たちは祖先のおじいさんがマンモスと闘って勝って生き残ってきたその子孫なんだ、どうやって仕留めたかわかるか、とかの話から始めるでしょうね。学校の授業でも、印象に残るのは、先生の雑談だとおもいますので。そうやって、私は子供たちの視野を広げたい。>

中学生の自殺(2)

 
太宰の作品は、高校から大学に入ってくらいまで、よく読んでいたので、その『晩年』に入っていたという 「魚服記」も読んでいたのでしょうが、全く記憶になかったようです。今回読んでみて、何かを考えさせられていますね。ブログの「中学生の自殺」と結びついていくことなのかなおわかりませんが。一月前だかに、全国からの怪奇伝承を集めたのや(「山怪」)、3.11後の東北での霊事象を収集した大学院生の研究本(「霊性の震災学」)なども読んでいて、それをまず連想しました。「天狗の大木を伐り倒す音がめりめりと聞えたり」との太宰の報告は、いまでも山では聞こえてくるそうです。チェンソーの音でなんだそうですが、誰も作業していないのに。ただ、柳田の「遠野物語」の方からたどると、太宰の作品から始動しはじめた思考は、遠ざかっていくような。『晩年』という処女作を読み返したくなりましたね。
私が中学生のころは、むしろ三島由紀夫をよく読んだんですね。難しそうな漢字が多いのがよかったというのもあるのですが、今でも謎です。「豊穣の海」とかは学生か卒業後に読んだのだとおもうのですが、今でもその読んでるときの感じを思い起こすと、蓮實や浅田的にばっさり切リ捨てられない変な感じを呼び起せるんですね。逆に、太宰にはない。もしかして、太宰の方が知的に構成されているからなのかもしれません。この「魚服記」も、(1)風景紹介(遠)(2)場面導入(近)(3)主人公導入(4)蛇への変身譚民話挿入から、(5)「おめえ、なにしに生きでるば」という突然の変調と、そこからの幻想譚まじえての短い場面展開のつなぎには、やはり文学的・物語的なコードでは読み切れない不可解な論理がありますね。(5)の質問など、一希でも突然言いそうな怖い突っ込みですよ。そういう意味で、中学年代思春期に出てくるリアルさを掬い取ってる作品なんでしょうね。それが、性的な大人の生態的現実に触れて、知って、ここでの女の子は取り乱して”飛び込んで”、だけど明るく泳ぎ、しかしそこで、また淵へと「吸いこまれ」ていく選択をした。青森の女子中学生も電車への飛び込みですね。私がブログで書いたのもベランダからの飛び込みで。たしか漱石の「こころ」のK先生の自殺も飛び込みだったろう、と文字ずら分析したのがスガ氏やワタナベ氏だったような。
太宰のこの思春期にみられる垂直的なリアルさが、性(人生)的な次元においてだけでなく、もっと雑な事象でも分析・敷衍されるとき、ユニークなパースペクティブを開いてくれるでしょうか? もしかして、なんとなくブログで冒頭引用したSEALDsについての認識も、そこら辺に感応していたのかもしれません。


----- Original Message -----
From: ○○
To: SUZUKI
Date: 2016/9/8, Thu 22:56
Subject: 夏の終わりに


昨晩は菅原さんのブログの更新を拝読しながら、太宰治の「魚服記」を、坂口安吾が最も讃えた太宰作品を連想して帰り、自宅で朝刊『文學界』の広告を見てから寝て、今晩は19:40に会社を出て、三省堂に入り、20:00閉店までに最新号掲載の柄谷行人と高澤秀次氏による「中上健次と津島佑子」をめぐる対談を読み、高澤氏からの飛騨五郎氏への言及も目にしました。その他、ブログと対談との内容の重なり合う部分には今更、特に驚きもありません。
「魚服記」は『中上健次全集』や『坂口安吾全集』を読んだ大学すなわちNAMのころ以来の記憶かと思いますが、ページを開くとまさに13歳の少女の話です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1563_9723.htm
この「中学生の自殺」から考えれば、三島由紀夫の腹切りなどはもちろん、ひたすら醜悪ですが、他方、太宰自身の入水は、むしろその系譜で美しくもありうるのではないか、という気が私にはしてきます。が、柄谷は決してそうは言わないでしょう。菅原さんと柄谷との違いが、<そこ>を語るか、でもあるでしょう。

2016年9月7日水曜日

中学生の自殺

「若いSEALDsがそれまでの左派リベラルの因習を知っていたとは思えず、したがって彼らは「国民」という言葉をそのままなんの抵抗もなく使っただけなのではないかと思う。しかしそれはSEALDsが、これまで堂々と「国民」を名乗ることのできなかった中途半端な「市民」、つまり「国民」であることを拒否した人々ではなく、サッカーの国際試合で熱狂して日の丸を振る多くの普通の国民に近い存在であることを示している。すでにSEALDsはあざらしと違って「何者でもない人々」ですらないのであった。」(野間易通「国民なめんな」/『3.11後の叛乱』 笠井潔・野間易通著 集英社新書)

夏休みももうじき終わるという頃になって、中学生の自殺の報道がつづいた。2学期目の開始をひかえたこの時期に多くなるのは、一般的だそうだ。
息子の一希と女房の、勉強をめぐるバトルも過激さを増してくる。塾に行って専門家に見てもらうようになれば女房も引くのかと期待したが、塾の批判をしはじめるようになって、検閲・監視はやまない。一希が消しゴムか何かを投げ、女房がひっぱたき返し、ベランダに逃げるイツキを追いかけ、2LDKの狭い中をぐるぐると回りはじめ、とイツキが裸足で外の廊下にでていく。「ふざけたことやってると、そのままベランダから飛び降りるよ。ここは、6階だからな」と、畳部屋で寝ころんで本を読んでいた私は、二人に何度となく跨がれ越されていたが、女房が一人取り残されたところで低くつぶやく。私には、まだ真剣さと遊びの区別が曖昧な息子の死骸が目に見えてくるようだった。「殺すぞ!」とドスをきかした女房の声が聞こえてくることもある。3.11以降、いまだこんなことで子供に挑んでいく親がいることが信じられない。しかも、その時代的な出来事を受けての、市民活動に参加していることがひとつの矜持にもなっているらしいのに。いったい、どう後悔するというのか? ばかばかしくも本当のことが起きてしまったら……。(サッカー部の他の家庭でも、宿題を終わらせていない子供と母親との間で、似たようなドタバタはあったようだ。)

夏休みの生活の感想書と印鑑証明の仕事が、そんなてんやわんやで、私の所へまわってきた。畳に寝ころびながら、さて何を先生に向けて書こうかなと考える。…

<・サッカー部活動の合宿には、父母共に、応援へ行ってきました。ゴール・キーパーからの掛け声のなかに、どう生きていくかの思想的な価値が出ているのには驚きました。
 ・勉強や宿題は、いつも母親と口論しながらやっています。その流れで、この感想も私―父親の所へまわってきたようです。そんな身近な難題を、平和的に解決していけるよう、勉強してもらえればと思います。そのためにも、もう少し文字に慣れて、読書してもらえたらなとおもいます。自身で選んで借りてきた、中学生の”家出戦争”の話は、面白かったようです。>

まだ幼児の頃は、異界がすぐ隣に存在してつきまとってくるような、強烈なおぞましさが死の意識としてあった。が、小学生も高学年になり、中学生にもなると、その死とともにある感覚が変わってくる。遠くなるのだが、逆に異界というより、リアルな感じになってくる。幼児は、存在自体が異界=死のようだが、少年となると、親とは別の人格として疎ましくなりながら、死を現実問題として突きつけてくる、といおうか。だから、具体的に、自らの意志で、どう死ぬかまでがイメージされてくるのだ。幼児なら事故死や誘拐への怯えだが、もう少年自らの主体で訴えこちらを身構えさせる怖さ。もし自ら死を選んだとしても、それはなお子供で死への恐怖が薄いとか、命の大切さに気付いていず軽んじているからだ、ということではない。ないのではないのか、と息子を見ていておもうのだ。むしろそうしてしまったら、”切腹”に近い。過ちを殿様にお詫びする、という儀礼のものではなく、自分の潔白を証明するために、自分を陥れた犯人の前で自らの内臓を広げてみせる、そんな本能的な論理としての行動である。命を軽んじているどころか、命をかけて、母親から逃げ回り、家出していくような。論理とは、有言実行のことだと数学者でもある小室直樹氏はいったが、まだ言葉では論理化できないので、不言実行してしまう果敢さ、無邪気さ……。

青森県で、いじめを苦にか自殺していった女の子の遺書は、どこか明るい。相手をうらんではいない、ただ自分の命をかけた行動によって、考え直してもらいたいと静かに訴えている。この子だけではなく、この年頃の子供たちには、そんな人間への純粋な願いを行動で示す筋道があるようである。