2010年1月17日日曜日

初夢


「真の歴史的連続性は、不連続性の指示記号をおもちゃの国や亡霊の博物館(それらは今日では多くの場合、大学制度という単一の場所が引き受けている)に閉じこめておくことによってその影響から解き放たれることができると信じているような連続性ではなくて、それらと「駆け引き」をすることによって、それらを引き受けることを受諾し、こうして、それらを過去に戻してやるとともに未来へ伝達していくことができるようにするような連続性なのだ。さもないと、文字どおり死者をつくりだしては自分たちのファンタスマを幼児にゆだねようとしており、また幼児を自分たちのファンタスマにゆだねようとしている一部の大人たちの前には、過去の亡霊たちが生き返ってきて幼児たちをむさぼり食ってしまうか、それとも、幼児たちのほうが過去の指示記号どもを破壊してしまうことだろう。」(『幼児期と歴史』ジョルジョ・アガンベン著 上村忠男訳 岩波書店)

夢に起こされて、夜半の布団の中で、さかのぼって思い出せたのは……私は、一希(イツキ)をだっこしながら、ガラス戸ごしに外をみている。実家の二階の、私の子供部屋からの光景だ。外は嵐のような雲と雨で、強い風が吹いている。その天気の下、家のまえの道路むこうの、地が一段と高い畑では、農家の人、母と娘らしき人が、黄金色に稔った稲の刈りいれをしている。二人のうちのどちらか、娘さんのほうだろうか、耕運機のような手押しの稲刈り機を押しながら歩いて刈っている。その横顔は、仕事で植木管理に入っている、中学校の主事さん、三十歳なかばすぎくらいの女性に似ている。刈られた稲穂は、こちらに背を向けて座って乗った母親のリアカーの上に積んでいくようだ。彼女たちの頭上の雨雲では、誰かの大きな目が開いて、じっと私をみていた。突然、激しい突風が吹いて、リアカーに積んであった稲の一束が、真横にまっすぐ飛ばされて、娘さんの上を過ぎていった。二人はこの雨じゃ作業は無理だとでも感じたように、娘さんがリアカーを引いて向こう奥の家のほうへ引っ込んでいった。雨雲に覗えたあの目もみえなくなった。私も、これはもう水が家の中に入り込んでくるのではないかと思い、一希を抱きながら階下へ降りた。玄関があけっぱなしになっていて、框のところまで浸水してきていた。水の入り込んだ土間には、錦鯉がたくさんいて、そのいく匹かは口先を框にのりあげて餌を求めるように、口をぱくぱくしている。庭先では、この二階家に改築まえの、幼少の頃のままの門扉があって、その鉄製の重い扉をガラガラとひくためのレールを敷いたコンクリートの盛り上がりを超えて、今にも水がどっとあふれて流れ込んできそうだった。ふと、玄関脇にある、格子風になった目隠しの壁の、その天井へんから、やせ細った腕のような、足のようなものが二本、紐に結ばれてぶらさがっているのに気づいた。日焼けのない白い肌は毛深かった。私は、兄が自殺したんだな、と思った。私は、奥の部屋にいる母を呼び出し、「テルアキ(…私の弟)にはみせないほうがいいから、二階につれていって」と、階段のところで遊んでいると感じられる一希のほうをみていった。玄関どなりの、襖の向こうの日本間に、兄の死体があるような気がした。――そして、目が覚めた。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

子供の頃からか、思春期になってからか、洪水や竜巻や熊から逃げる、という夢を周期的にか、たびたびみることになる。これもそのテーマの変奏だろう。ただ、以前はその襲ってくるものに巻き込まれて苦しみもがくか、あるいは本当に呑み込まれ寸前までいくのだったが(……おそらく、完全に併呑されてしまったときとは、発狂しているときだろう)、今回は、冷静に対処している。こんな自分ははじめてなのではないか? 夢の中では父親が不在なようだが、それは自分が父の役割になっているからで、それは子供の頃、私が弟(テルアキ)の父代わりなように遊んでいた、という<事実/記憶>感情と対応している。つまりいま実際の父親として、子供に接している感情が、子供の頃の弟に接していたときの感情と類比的なのだろう。そして雨(水)とは、あるいは自分を呑み込もうと襲ってくるものどもとは、無意識を、母親からの影響の強いそれを暗喩しているのだろう。つまり幼少の頃の家族関係に規定された枠組みのなかで、現在もが受容されている。この感受性の型は変わらず、身につけられるのは、その変奏だけなのだろうか? この正月に帰省したおり、兄の病状の悪化と、弟の労働条件を心配することがあった。母親は、こっちのことはかまうな、おまえは勝手に生き延びろ、のようなことをいってきたのだが、孫が生まれて、感情も変わってきているだろう。しかし田舎に帰るとは、私を呑み込もうとするあの無意識の世界へ退行していく、ということでもあるのである。私はそこから一希(テルアキ)を守りたい、ということはそれは、そこから逃げる、帰らない、ということなのだろうか? しかし……まず素材に取り上げられた稲刈りとは、最近、退屈を紛らす受動的な遊び場所の多い都会の同質社会に溶け込み始めた息子の一希を、自然という異質な世界に接っしさせてあげるために、知り合いの農作業に参加してみるのはどうかな、と考えはじめているからではないだろうか? つまり、田舎に帰るということ、その退行を対抗に変換できるのか、私は見極めようとしているのか? 女房は東京からでたくないというか、私の実家を嫌がっている、だから、その女房(母)に子供をあずけ避難させ(二階にいかせ)、私ひとりで狂気に立ち向かう、という無意識な覚悟=習性なのか?

夢のなかで、以前よりは強くなったような自分らしいが、目覚めたときに、「(無意識に呑み込まれないで)勝ったぞ、強くなったぞ」というような爽快感はなかった。しんとしている夜だけが、私を静かに冷たくしていくようだった。私は起き上がり、この夢を書き留めておくことでその夜に対処した。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

追記(1/18)……農作業という素材が、子供に異質な時間を出会わせたいという私の願望から呼び起こされてきたものだとしても、それをしているのがどうして<母―娘>であり、その娘が学校の主事さんなのか? と考えているところで、ふと思い起こした。私はその子供に希望する体験を、別に木登りする植木の仕事でもいいのだが、幼児には危険だから駄目だな、と思ってもいたのだった。そして夢をみていたときの気分では、その農作業は、植木屋の作業でもあったのだ、だから、学校で植木屋まがいの作業(葉っぱの掃除や低木の剪定)をする主事さんが、代用されてきたのだ。そしてそれが女性(娘)であるのは、私が幼少のころ、男三人兄弟のなかで、女の子がわりに母親の買い物への付き添いや食事の手伝いをしてきたこと、つまり私が娘であることの隠蔽としての変形(転移)なのだ。その娘(私)が、普段雨天なら中止する農(植木)作業をやっている、子供を抱いた私は感心してみていると同時に、自分がそれほどまでに強くなったような気がしている。そこに、横殴りの突風が現れる。私ははっと気づいたように、階下へといそぐ。……となれば、この行動のパターンが、階下でも繰り返されたことになる。庭先から玄関の中まで浸水していたのに、私はおろおろするどころか、そこに餌を求めるような何匹もの錦鯉を認めている。私は子供と一緒に、幾度も東京の庭園めぐりをしていて、そこの池に集う鯉を心たのしく眺めたりして、子供も餌をやったりしたものだ。そんな積極的な感情が、あの浸水状況のなかであったのである。「鯉だよ!」と子供を呼ぼうとしたのと、子供が階段で遊んでいると感じているのは、おそらく同時・同列的な事態なのだ。が、それは突然、天井からぶらさがった死体の一部への連想で断ち切られる。そして私は、はっとするように、隣の日本間で兄が死んでいることに感づくのだ。

つまり私の現在の幸福が、過去の亡霊によって待ったをかけられるのだ。私が、現在に負い目を感じているということだろうか? しかし、過去の亡霊とはなんだろう? 自殺しそうな兄の状況は、現在なのである。死んでもらったほうが私の楽になる、という願望が無意識にある、ということだろうか? ならば私は、夢で願望が充足されて、満足を覚えて目覚めるはずではないか? 目覚めたあとの感覚は、むしろ逆のことを暗示している。子供にはみせないほうがいいと母に指示する私は、いったいぜんたい、何に直面し、何を抑圧しようとしているのか? 私を目覚めさせた、まだ見ぬ兄の死体とは、なんなのだろうか? やはりそれは現在のもの、というより、それにかこつけた、思い出すことのできない過去の亡霊のような気がするのである。

子を抱くのが母であるのなら、農(植木)作業をやる(見る)娘(私)は母であるということになる。そしてその母が、弟を父親代わりとして世話する父(私)でもあるのだ。つまり私は、母の役割と、父の感情をもって、実家に現れてきている、ということになる。「鯉だよ!」と子供を呼びそうになったときの私の役割と感情は、おそらくすでにその子が腕から離れひとりで遊んでいると感じていることからして、母ではなく、父親的なものだろう。ゆえに、「子供にはみせるな」と母(女房)を呼び出して指示するのだ。となると、これは近親相姦の匂いがする。母の愛を、他の兄弟をどけて私が獲得したことになる。実際、私は女の子がわりをすることによって、母の愛をひそかに受けていた記憶がある。お菓子などをこっそりひとりでもらったのだ。しかしそれは、あとから、のことだと想定する。次男として生まれた私は、長男とも末っ子ともちがう、親からの愛情を、面倒で省かれた孤独感を、記憶にはない幼少の頃、身にしみて育ったと推測する。その孤独感が、女になる、という戦略をあみだしたのではないか? そしてそれは結果的に、遅れてでも結婚し子供をもうけ(他の兄弟は独身のまま)、孫のできた(母)親を喜ばせてまた愛を取り戻す、と現在の人生でも繰り返えされている、ということになる。つまりこのあまりにフロイト的な原罪意識、勝ったものの負い目が、私を責めさいなみ目覚めさせるというのだろうか?

どうもこの推論は、心にしっくりこない。襖むこうに兄の死体があると感じた感覚が、兄の自殺(に暗喩される家庭のことども)を心配する目覚めているときの感情と、あまりに近いからである。だからそこから私が推測するのは、喚起された過去の亡霊に直面して私は目覚めたのではなく、過去の亡霊を裁ききれていない自分の現在に、夢の中で、正確には夢の最後にその現在が登場して、私はそのまま現(うつつ)の世界へと移行したのだ。実際、寝ても覚めても、私が育った過去と、私を育てている現在の問題に頭を悩まされているのだ。おそらく、解決への糸口は(以上のように)見えていると推測されても、実践のとっかかりはまだまだなのだ。それは端的には、女房という他人(現在)を、どううまく実家(過去)に接合するかの腕前にかかってくる、ということなのだ。そしてその現在(女房)にも、やっかいなことには、過去があるのである。――「またママとおばあちゃんは喧嘩するの?」と、正月休み後の週末三連休に、長女である女房の実家に着くや一希は祖母に問いただす。そんな子供の先制攻撃にか、<母―娘>のすさまじい喧嘩は正月早々はおきず、無事東京に戻れたことに女房はご機嫌になったようだ。しかし年末は……仕事納めで飲んで酔っ払って遅く帰り、布団に入ろうとする私に開口一番、「(あなたの)両親が(子供の入学祝いに)もうランドセル買ってるっていうのならばそっちには帰らない!」と、脈絡もなく言い出したのだった。なんでこんな時にそんな妄想を吐き出すんだとぶちきれた私は、真夜中にもかかわらずドアを蹴飛ばし隣近所にも聞こえただろう大声でわめきだし、わき腹にいっぱつ食らわせたような気がする。翌日から、女房がげえげえ吐いて寝込むので、俺のパンチのせいかとおもって「更年期障害か?」ときくと、「食いすぎだ」という。なんとこちらが納会で飲んでいるあいだの夜食に、牛肉を生のままたくさん食って、食あたりを起こしたというのである!