2021年9月3日金曜日

小百合さんとの会話


 まあちゃんはいくつになったら年金をもらうの、と吉永小百合似の奥さん、ずっとひとり親方の主人について草取りや掃除をいっしょにやってきている小柄の、手伝いということなのに自分たちの仕事では生活できないから年中はいっている造園屋からは巨人のように大きな主人とあわせて大さん小さんと呼ばれている彼女がきいてきた。いつまで仕事やるかによるとおもうけどもらえたとしても光熱費にもたりない額だからなと答えると、そうぜんぜんたりない死ぬまで働かなくちゃならなねぇのかよってオッサンもぼやいてるのよ、と今はいっちゃんと他の庭の手入れにいかされている主人の話をだして、一間半の脚立の上の方で背は低いけれど古木の風格のある椎の木の手入れをしているその下で一面の地面を覆ったドクダミを鎌でひっかきながら、だからもう社員と同じなんだから社員にしてくれといっても年金よぶんに払うことになるのがいやでさせてくれなかったのこっちの仕事は日曜日にやってくれと言ってきながらねと顔を上向けて、まあちゃんは厚生年金にははいってないの? と声をあげてくる。親方の奥さんからは入るなら計算してあげるわよと若いとき言われたけど日雇いの稼ぎが減ってくのもなんだからはいらなかったよと答えると、あらもったいない国民年金だけじゃどうにもなんないけどもらえるときにもらっとかないともらえなくなったらいやだから六十すぎたらもう払わなくてもいいから楽だけどもらっておこうかオッサンと話してるのよ、と立ち上がり、緑色のプラスチック製の熊手で搔き集めた草をオレンジ色のプラスチック製の手箕で受けて、もう車はないのだろう駐車場のコンクリート土間においてあるナイロン製の枝葉専門の緑色の四角い袋のところまで行って詰めこんでまたもどってくる。上の方の整枝はおわってきたので一段脚立の足場を降りて、いっちゃんは植木屋さんになるまで中学卒業してからプレス工で十年以上働いていたから厚生年金8万くらいもらってるんですよとつけ加えると、あらいいじゃないと答えるので、だけど国民年金払ってなくて厚生年金があるのも知らないでいてお金のことはぜんぜん考えてなかったんですね飲むのに使わなければ家のローンだって払い終わるぐらいなんだけれどとしゃべりながら剪定鋏をいれ、これまで枝をきちんと抜いたかどうかもはっきりしない小透かしで仕上げられて密になった枝の重なりに野透かしの手加減をどれくらいにしようかと考え、帝王切開で700グラムのあかちゃんが産まれたというつい一昨日だったかきいたいっちゃんの次女の話を思い出し、お祝いにあげたのし袋にちゃんと2万円はいっていたかなと心配になる。いっちゃんの次女はたぶん駆け落ちみたいに茨城の田舎のほうへ嫁いでいったんだとおもうよいっちゃんのアパートは四畳半の2LDKだから長男が婿にいっても夫婦娘二人では寝るところもままならないだろうからと女房に話してみたとき、だけど帝王切開で700グラムというのは大変よたぶんその子は障害が残るかもしれないねだけど3万円は多いわよと言われたので、いっちゃんはたぶんお金に困っているとおもうんだよね1万じゃなければ3万になるんだろ奇数じゃないど駄目だとかと返答すると、いまはもう偶数でも関係なくなったのよという話に落ち着き、薄い墨汁液の筆ペンで書いていた住所と名前に20000と金額欄の四角い空白にいれて、カンマはどこにいれるのだかよくわからなくなってこのままでいいや0は四つでいんだよなと不安になったのだった。おめでとうございます、と、炎天下のアスファルトの地べたに座りこんでそれぞれの缶ジュースを飲んでいた午後三時の一服時、役所仕事の清掃局の敷地にあるヒマラヤ杉にのぼっていると下で低木を切っていたいっちゃんの受けたスマホの対応からもれ伝わってきた言葉から推論してきいてみるとそうだというので、小さんがすぐに応じたのだった。じゃあまなぶちゃんとおなじだね、と小さんは清掃局の裏の路地の向かい側の家の奥さんが差し入れてくれたオレンジの手作りシャーベットをプラスチックのスプーンですくって、産道を通らないから頭がまん丸になってくるのよと言って食べたのに、小さくてまん丸だとほんとにパンダの赤ちゃんみたいですねと上野動物園で産まれた双子パンダのニュース映像とだぶってつけ加えて言った言葉が、すでにのし袋に入れてあった3万円の中から1万円だけ抜いてあとはそのまま手をつけなかったよなと振り返ってみようとする脳裏によみがえる。手伝いにいっている造園屋の職人のまなぶちゃんの赤ちゃんの写真は脚立にのぼるまえにスマホの画面でみせてもらっていて、横浜ベイスターズのユニホームを赤ちゃんが着ていたのは、警察官になりたいといって今月その公務員試験を受ける予定でもある息子が急に横浜の大学を受けたいというのでなんでかなと考えてみたら夕食時いつものようにベイスターズの試合を生中継でみせられていたからもしかして野球がみたいからなんじゃないかと言った反応で小さんが開いてみせたのがベイスターズの公式ホームページのコマーシャルなのだった。まなぶちゃんの奥さんはサントリーの広告会社に勤めてるから広告に応募してみたら採用されたんだって可愛いわよね、と言い、このあいだサントリーの職域接種でお台場にいってモデルナ打ってきたら異物がはいってた番号のやつで、いっしょに受けたまなぶちゃんもえ~っとなったけどまだなんともないからだいじょうぶだろうって話しててと言いたしたので、注射針をワクチンの瓶に斜めに指すとゴムの破片がまざってそれは粒大きいからだいじょうぶって話になってるけどだいじょうぶなやつで二人も若い人が亡くなったらそっちのほうが問題なんじゃない? と答えたのに、そうだよねえ、と彼女は応じたのだった。

  脚立の上から、庭に面した一階の部屋の様子をちらとのぞいてみる。カーテンが大きく開いているので、一人暮らしの奥さんがもう覗いてくるようなことはないだろう。手入れにはいってしばらくして、部屋掃除を請け負う業者の男性が一人、軽ワゴン車で訪れてきていた。仕事まえの造園屋での打ち合わせでは、その家の奥さんは変わっていて、カーテンの端を少しだけ開いてこっそりとずっと作業を覗いているのだと説明があった。顔をあわせた挨拶では、はっきりとした口調で話す奥さんだった。椎の木の隣にある赤松の葉はほぼみな赤茶けていて、もう次期枯れてしまうだろうと思われた。人の背丈より少しだけ高い程度だとはいえ、古びた幹は地を這うようにしてから立ち上がり、鎌首をあげた蛇のようにもみえる。ところどころに、太い枝の切り口がみえた。この夏の暑さつづきのためというより、剪定に堪えてきた庭木としては寿命に近くなったのだろう。表門から玄関への通路を挟むようにして植えられた枝垂れ紅葉も、大きくはないが古びていた。私の母親もそうだが、家に取り残された年老いた奥さんが、木が大きくなったからもっと切ってくれ、と急に言い出すことがある。いつもと変わらないのに、なんでそう言い始めるのだろうと考えてみると、腰が曲がり、背が縮んだせいで、木が大きくみえてくるのではないかと思われた。そうして木は小さくなり、必要な枝葉をなくし、弱っていくのだ。

  古びた椎の木と松の木の間で、吉永小百合似の小さんが、鎌で草を刈る。