2009年5月28日木曜日

責任と個人の狭間

「「参加はするが指揮は受けない」という議論に関連し、一つだけのべておきたい。イラクに派遣された自衛官は、本当に見殺しにされかねなかった。自衛官の人たちをどうやって法的に保護するのか、そのことを全然議論していなかった。…(略)…そういう状況下での自衛隊派遣であった。国連平和維持軍に参加する場合は、指揮権を国連にゆだねるので、国連の外交特権を得られる。ところが、イラクでは、国連平和維持軍ではなく有志連合軍である。さらに、「参加はするが、その指揮下には入らない」という小泉首相の当時の国会での答弁。現場から何千キロも離れた東京から防衛庁長官が指揮をするという。自衛隊は、法的な観点からも、指揮権の観点からも、ゲリラ部隊だった。
だから、自衛隊の人たちは殻に閉じこもったのである。事件を起こさないように、イラクの人びとを殺さないように。現場で、みずからが置かれた現実を即座に明確に判断したのは彼らである。」(伊勢崎賢治著『自衛隊の国際貢献は憲法九条で 国連平和維持軍を統括した男の結論』かもがわ出版)


私が団塊世代の職人さんにかわって、学校や福祉作業所などの公共施設関連への植木剪定作業にいかされはじめた頃は、ほとんど一人きりでの現場だった。直請けとしての民間の仕事が入れば、そちらを優先し、年間の公共管理仕事などは本来の仕事がないときに職人をその場しのぎにおくってやれるために保持しておくための現場で、ゆえにできるだけ一年かかるように引き伸ばしてやる、という経営上の計算からの処置だったろう。そして徒弟的には、職人肌でもない馬鹿な大学でにそうした半端仕事をひとりでやらしておけばいい、あんな仕事でもないものしか普段やっていない奴はいつでも軽蔑できる、そう言いくるめられるという職人としの立場上の優位を保持してみせるためでもあったろう。それゆえ私は、20メートルかそれ以上もあるケヤキやサクラの木にひとりしがみつき、木の下が家などの場合のロープを使っての吊るし切りなどのときには、なにせ地面まで降ろした枝に縛ってあるロープをほどいてくれる手元もいないわけだから、ロープ三・四本を体に巻きつけて、まるでシルベスタローン演じるランボーよろしく、鉄砲玉が数珠繋ぎのベルトになっているのを巻きつけているようにして機関銃ではなくチェンソーを樹上でふるっていたのだった。「あんなの一人でできるよな」と親方は冷たく言い放って送り出し、元請けの社長も、一人できたことに渋い顔をみせながら、「できないとはいわせません」と言い置いて現場から消えていくのだった。が、いまはどうだろう? 民間の仕事も減ってきたので、年間管理的な公共工事で細々と食いつないでいくのが主な仕事になってしまう。民間のように単価が競争的に値下げされるわけでもないし、普通の屋敷にはない巨木をこなせればむしろ一本あたりの儲けはでかいので、そうした作業を支障なくやってのける作業員がいれば一年の経費は稼いでいける。そこでかつて自分が他人にしてきたことをまったく忘れてしまったように、丁重な人扱いになってくるのだ。よくやってくれるからとビール券をもらい、先月は元請けの職人たちと寿司をご馳走になった。

「もう松の手入れの手伝いが終わったんなら引き上げてきていいんだぞ」と、樹齢何百年だかの名木指定になっている山寺のでかい松の大透かし剪定が終わってもなお手伝いを引き継いでいることを知った親方は携帯で指示をだしてくる。とりあえず日当がもらえればどちらでもいいとしても、本当にそんな喧嘩腰の段取りを元請けにぶつける覚悟ができているのかもわからないし、まあそちらの仕事がなくなってもよそ者の私があぶれるだけだからかまわないのかもしれないが、「いま二人怪我して人手がたりなくて忙しいみたいですけど」と元請けとの仲介の言葉をさしこむ。手間手伝いではなく請け負いの公共管理仕事は予定どおりの日取りからはじめられると念を押しながら。ところが今度は、その予定の日取りの一日前になって、すでに元請けが作業を開始していた小学校の管理のほうで、夏には耐震工事がはいって足場を組むからと、校舎まえのでかいケヤキの剪定をやってくれと予定外の陳情仕事がはいる。現場を任されている元請けの三代目の息子からは、クレーン車が直ってくれば自分たちでできるからと、小さいケヤキのほうからやってくれてかまわないとの話だったのだが、いざやる当日となって、元請けの職人たちが自分たちではできないと尻込みをはじめたのだろう。私が請け負いの現場に入ったと朝の電話連絡を社長にすると、深刻そうな渋い表情の声で応対し、翌日の連絡では電話を受けない。おそらく、元請けの職人たちではできないだろうと現場にいておまえはわかっているはずなのだから、自分でおまえのところの親方に話をつけてこっちに手伝い来れるよう予定の段取り変更を含めてうまくまとめろ、なんでそこまでやらなかったんだ、と暗黙の圧力を私にかけているのだろう。あるいは、やっと職人会社としての名誉がかかる寺社の作業がおわったとおもったらまた難題がでてきたので、精神的にまいってしまったのかもしれない。道理としては単に機械的に順番を踏んだ私にあり、現場の意気込みとしては三代目の息子に正当性があるとおもうけれど、それに応える職人を育てていない、その情けなさは社長本人にも身にしみてくるから、その感情は憎悪へと反転し、なおさらのとばっちりがあとで私にくるかもしれない。それが下請けの生殺与奪を握る元請け会社の権力の恣意性であり、その気まぐれ勝手さを逆に利用して、つまり仕事のなくなったときは元請けとの関係をつないいでいる職人個人のせいと建て前をつくろって本人をやすませることのできる下請けの親方の知恵になるだろう。それもこれも、職人との法的位置がグレーゾーンにあり、形式的には一人親方、法的には建築現場の日雇い人夫と同等、実質的には単なる被雇用者、という曖昧な存在だからである。ゆえに職人のなかには、実質的には雇用しているのに建て前としては一人親方扱いして年金も負担せず、との会社への不満から、個人的に仕事が入ったときは会社の仕事を休んで自分の仕事を優先させる者もでてくるのだが、アパートやマンション暮らしの個人では道具置き場もトラックもないから、勤め先の会社や知り合いの会社から道具をただで貸してもらって作業することになる。しかしそれもどこか道理のない変な話で、かといってならばきっちり独立してやれ、というのも庶民事情を無視した冷酷論理な話になってしまう気がする。だから立場の弱い職人が筋を通してできることは、現場にでて手を抜く、ということだろう。いくらビール券や寿司をご馳走になっても、こっちは命がかかっているのだからつりあわない。とはいえ、せこい会社は職人を急がせるだけでご馳走代などだしはしないから、こちらを気にかけてくれる社長にはやってやるか、という気にもなってくるのが人情だけれども。

さて日本の政権争いでは、民主党の小沢氏が情勢を見極めて代表を辞任した。まだ秘書への疑い段階で、当人たちはそれを否認しているのだから、責任をとってというわけではない。マスコミを巻き込んだ現政権がわの国策操作に対抗して、という作術なのだろう。そしてここでの代表選挙パフォーマンスで、民主党への追い風がまた吹き始めたようだから、うまくいったことになるのかもしれない。小沢氏が法務大臣になるかも、という説もでてくるくらいだから、法務官僚を中心とした国家官僚は、小心翼翼状態かもしれない。私も気分的には民主党を支持したくなるが、もう時期を失ってしまったのではないか、という気がしてくる。ここでいう時期とは、鍛錬の期間のことだ。だいぶ小沢氏のもとでたくましくなったといえども、もう世界情勢は平和時ではない。個人が失敗から学んでいく、なんて悠長な暇がないのではないか? 昨日5/27日の朝日新聞の朝刊で、北朝鮮の核実験に対する自民党の元防衛相石破氏と、民主党「次の内閣」防衛相浅尾氏へのインタビューが並列されている。これも、大本営発表とか揶揄されるマスコミの操作された一記事なのかどうか知らないが、読むと、民主党がアホにみえる。精神年齢が二十歳大学生ぐらいの者の勉強の成果、という感じだ。――<確実なのは先にたたくということ。例えばオーストラリアが導入を計画している巡航ミサイルのトマホークのようなものを持つのも、一つの選択肢として考える。もちろん、そう結論づけるのは早い。だが、こうした議論を通じて、日本も本気だということが他国に伝われば、中国などの北朝鮮に対する対応も変わってくることもあり得る。(浅尾氏)>……そんなことは、あり得ないだろう。核であれミサイルであれ、それを持っているかどうか、が問題(現実)なのではない。それを本当に「使う」という本気さが現実(問題)なのだ。この本気さがない、頭だけの駆け引きなど、連戦練磨の外交現場で通じるわけがない。人間関係への洞察の欠如した優等生の「カード」ゲームなど、手練手管の政治家にふりまわされるのが落ちだろう。北朝鮮の態度が恐いのは、それがパフォーマンスではなく、本気だからだ。あるいは、本気にみえるからだ。どこまで本気であるかを知るには相当内通したインテリジェンス活動が必要なのかもしれない。が少なくとも、国際世論の言説において、イラクに戦争をしかけたアメリカはもちろん、北朝鮮もやることが本気だという迫力を所持してきているようにみえる。しかし日本には、そんな手順や功績もないだろう。見透かされて裏をかかれるのでは? ヨーロッパのサッカー界で日本人選手の道を切り開いた中田氏は、みせかけのフェイントは通用しない、自分でもほんとにこっちから相手を抜くと思っていて、突然やっぱりやめた、とまた本気で切り返すときにそれは成功する、という話をしている。民主党の人気若手と思える政治家たちは、この世界(外と)の現実が肌でわかっていないお坊ちゃんが多いのではないだろうか?

自己改革などできはしないのだ。官僚に支配された社会構造を変えてみせるという青写真はいいとしも、その意気込みのうちにそんな冷静さがなかったら、日本の社会は機能不全に陥ってしまうだろう。官僚のいない国家などはありえない。外との衝撃においてだけ、官僚社会の変革は内発的になりうる。人間は、受苦的存在である。ゆえに、まず内政ありき、ではない。諸外国との関係の持ちようが最初なのだ。その前線的な関係において、現場にだされる個人にできることは、できることとできないことをはっきりさせること。宮大工の田中文男氏も言うように、それがわかるのが一人前の職人である。わからないから、不必要な人工をかけ、無駄な人員を戦地へと送ることになる。「こんなことは、責任もってやれませんよ」と、立場の弱い現場の人間ができることは、まずそこを明確にさせたうえで、サボタージュすることぐらいだ。

2009年5月9日土曜日

デモとアパートと神


「うん。外国にはバルコニーのないマンションがたくさんあるが、日本にはバルコニーのないマンションはまずない、といっていい。じっさいかんがえてもみたまえ。バルコニーがなく、したがって床まであくガラス戸もなく、部屋には壁と高い窓しかないとしたら、日本人は部屋のなかを狭く暗く感じて、そんな家にはとうていすめないだろう。ガラス戸があり、バルコニーがあり、さらに戸外という自然がありみんなつながっている、という感触があってこそ日本のすまいなのだ」
「なるほど戸外の自然か。それが<神さま>か。その<神さま>がバルコニーからガラス戸をとおって家のなかにやってくる、というわけか?」(上田篤著『庭と日本人』新潮新書)


アメリカでは、豚インフルエンザに乗じたメキシコ移民への排斥圧力が増長することを牽制する、移民自身によるデモンストレーションが起きているという。日本では、現在国会で1947年以来の外国人登録制度という在留管理制度が全面的に改変される審議がなされていて、それに抗議するデモが近々おこなわれる予定である。暴行や拷問が歴然としてあるようなところからきている外国人たちは、日本のやさしいおまわりさんなど馬鹿にしているけれど、日常的についてまわる日本人の監視の目の厳しさへの怯え=誤解から、今回の人権グループや支援団体が組織するデモに、当事者自身らが大勢参加するとは思えないけれど、だからといって、彼らが日本で抗議の声をあげることはない、ということにはならないだろう。というか、声のあげ方が変わってきてしまうのではないか? メーデーに参加することになったイラン人は、デモをするというのならば「ピストルはどこにあるんだ?」と聞いてきたというし、逆に南米からの労働者はデモにでようといわれると、反政府活動者は拉致されて消されてしまうという歴史があるからか、泣いて嫌がるのだそうだ。日本でもバブルがはじけた頃、就職差別に抗議する女子大生たちのデモが自発的に組織されたし、最近では後期高齢者医療制度に反対する老人たちのデモというのもあった。もちろん、アイヌ人たちや中国残留孤児たちの権利や生活の充実を求めるデモもあった。しかし人権というのが多くの日本人には勉強しないとよくわからないように、デモというのも勉強しないと知りえない。これは、おかしなことなのだろうか? 民主的なデモでなくとも、たとえば、新宿の歌舞伎町界隈では、ブラジル人の少年たちが何色だかのチームを作って何色だかの日本の不良少年たちと小競り合いをしたこともあったし、暴走族で一番恐れられていたのは残留孤児たちの子供たちのドラゴンとかいうグループだった、というのもある。そしてこうした声のあげ方は、国境を越えた世界資本主義の趨勢として派生してきもするから、研究者が指摘するような一般的な事象でもあるだろう。

<つまり、こうした団地で暮らす日本人は、すでに何らかの経済的・社会的困難を抱えている、あるいは抱えていないにしろ、そのリスクを抱えた人たち――「住環境の悪化」にもかかわらず、「転出できない」層――が多い。そう考えると、外国人が集中する居住空間における問題は、日本人住民と外国人住民のあいだの「文化的差異」としてだけでなく、「社会的至近性」にも目を配って考える必要がある。>(森千香子著「郊外団地と「不可能なコミュニティー」」『現代思想』2007.6月号)

<スミスは、フランス郊外やアメリカ・ゲットーで脱工業化の進んだ一九七○年代以降に、地域コミュニティーの解体がさらに地域を荒廃させたことに注目し、「意味と感情の詰まった安定した共同体としての『場』から、脱出すべき『空間』への変化と捉えた。ここで言われる「場」を人間同士のつながりによって形成されるエリアスの「相互依存の編み合わせ」と考えるなら、場から空間への移行は、人間が自己統制を失い、暴力化する「脱文明化」の過程につながる。貧困層や福祉対象者の集中を加速させる公営団地での「場」の維持とは、このような問題を孕んでいる。>(森千香子著「「施設化」する公営団地」『現代思想』2006.12月号」)

そしてまた逆に、デモという他人との関心の共有など発生するわけもないくらい、個人主義的なアトム化が進行してしまっている、ということもあるだろう。

<要約するに、日本近代から現代にいたるアパートの発展過程は、初期のアパートにあっては個室の外部にあり共用で使われていた玄関や下駄箱、トイレ、台所、洗面室、浴室などが、少しずつ各個室内に取り込まれていった過程そのものである。現代のマンションの端緒である《理念性》のアパートを代表し、東洋一と謳われた『同潤会江戸川アパート』においてさえ、浴室、トイレ、炊事場などは各個室の外部に設置された共用設備であった。しかしアパートやマンションはその後の発展過程において、これらの諸機能をひとつずつ個々の住戸内に収容していったのである。現在のマンションでは、生活に必要な機能や設備のほとんどすべてが各住戸に納められる。マンション全体ではなく、その部屋に住む家族の構成員のみが使う専用設備である。同じようにワンルーム・マンションやアパートにあっては、住人ただ一人だけが使う専用設備となった。もちろんそれらは生活環境改善の流れであり、空間性の質を追求してきた結果である。トイレひとつとっても、共用と専用では雲泥の差があることは言うまでもない。だがすでに見たように、戦後の木造賃貸アパートはその空間設備的な居住性の絶対的な貧しさにより外部へと開かざるを得ず、それゆえ懐かしい《家郷性》を孕むに至ったのではなかったか。しかしコイン・ランドリーなどを僅かな例外として必要な設備のほとんどを内部に納めるようになったワンルーム・マンションやアパートは、ある意味徹底的に自己完結的な空間であり、《家郷性》が孕まれる余地など寸分も見当たらないように見える。共同住宅とも呼ばれるアパートやマンションであるが、ワンルームはまさに、非・共同住宅とでも呼びたくなるような存在ではないか。>(近藤祐著『物語としのアパート』彩流社)

しかしそれでも、冒頭引用した上田篤氏の示唆するように、そのもはや長押もないようなワンルームのガラス戸は、床をなで神に開かれて、あるいは招き入れてしまっているのではないだろうか? それを、芥川龍之介のように、「神々の笑み」としてイロニカルに嫌悪=批判することもできるけれど、実践的には敗北ということではないのか? ボードレールの屋根裏は、交感の現場だった。日本の作家たちのウサギ小屋も、実は「因幡の白兎」を助けたオオクニヌシに通じていたのかもしれない。憑いてまわるストーカーを警察に訴えるのは民主的なことかもしれないが、警察(公)にちくることを村八分的に許容しない民の共同心性こそデモンストレーションではないのだろうか? そして渡来民(外国移民)こそがまた、国家にちくることをしないものではないのだろうか? 入国管理局は、メールでのちくり制度を設けてとりしまっているけれど、それは卑怯なことではないのか?

2009年5月1日金曜日

安全管理(保障)と全体主義


「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい。冬には、はつきり、よく見える。小さい、真白い三角が、地平線にちよこんと出てゐて、それが富士だ。なんのことはない、クリスマスの飾り菓子である。しかも左のはうに、肩が傾いて心細く、船尾のはうからだんだん沈没しかけてゆく軍艦の姿に似てゐる。三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立つて、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のはうにちよつと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆し、おう、けさは、やけに富士がはつきり見えるぢやねえか、めつぽふ寒いや、など呟きのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思ひは、二度と繰りかへしたくない。 昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。」(太宰治 『富嶽百景』)

「山高きが故に貴からず、樹有るを以て貴しと為す。人肥えたるが故に貴からず、智有るを以て貴しと為す。 」(弘法大師)


「職長・安全衛生責任者教育」講習会というものに出席するはめになった。ゼネコン的にいくつもの業者が入る現場で必要になってくる資格(教育)なので、私のような下働きの者には関係ないのだが、元請けとの付き合い上参加するということなのだろう。その元請けと仕事をやっている親方の息子がハネムーンなので、私が2日間仕事を休んで顔をだしてくる。「安全のことなど頭から忘れてください。」「昔の職人のように品質と工程そして原価の管理が顧客と相対してできるのならば、安全管理なんて当然そこにはいってくるのです。」「ゼネコンは口を開けば安全第一とかいっている。それじゃ身動きできませんね。」と本末転倒した現状を批判することから始めた講師によると、しかしこの教育を受講しないと、新たに設けられた「基幹技能者」とやらになるための、これまた資格講習の資格自体がとれないことになるのだという。おそらく1級管理および監理技能士の資格者数が多くなってきたので、また別に作って人員を搾りはじめたのかもしれないが、実際にはお金を搾り取っていることにしかならないだろう。北海道で開かれた洞爺湖サミットの工事では、発注者(おそらく国家になるのだろうが……)は施工者には「基幹技能士」を採用するようにとの注文をつけてきたのだそうで、となると北海道にはまだそんな資格保持者はひとりもおらず、それでは本州からの会社に仕事をもっていかれてしまうからと、急遽講習会を開いて80人ほどの基幹技能者をそろえたのだそうだ。「テキスト読んでるだけじゃだめなんだよ」と、どうも現場あがりから国家官僚の公益法人的な組織に取り入れられた現状批判的な講師の話はもっともだけど、しかしそれゆえに言っていることとやっていることの論理があっていないので、話が腑に落ちてこず、説得力がない。安全と仕事とは関係がない、と言いながら、ゼネコンが安全第一にこだわるのは事故が起きたら入札に呼ばれなくなるからだ、と言うことは、関係がある、ということではないのか? 民間が形式ばることに走り、国家がその実質を正そうとしている、という講義の構図は通念とは逆の現象におもうが、なんでそんなねじれたことが起きているのか、その知りたくなる肝心な論理と筋道がみえてこない。おそらく精力的な講師の個人的理由なのかな、とも思うのだが…。

最近発表された、アメリカのピューリッツァー賞は、ラスベガスの建築現場での労働災害事情(死亡率の増加)を追求した記事に与えられたようだ。ネットで検索して読んでみると、「職長」さんが死亡している。この記事を受けて当選前のオバマ氏やクリントン氏が議会で問題にして、建築会社のほうが安全対策をとったら、死亡者がゼロになったというのだから、ハード(設備)レベルでの対策が相当手抜きされていたのだろう。会社側の調査分析は事故増加の原因は不明なのだそうだが、現場の労働者はスピードが要求され同時にいくつもの現場が重なっていることをあげているようだ。日本では一応、高度成長期の後半期に安全衛生法とかなんとかが、国際労働機関の催促もあって制定され、ハードレベルでの対策を厳格にするようになったからか、一定の水準までさがって平衡状態になっている。といっても、その事故の内でも死亡の割合自体は以前とそう変わらないのだそうだ。つまり、それでも常に事故るときは死、と危険なのである。だからちょっと設備に手を抜けば、いいかえれば政治的な監視の目がゆるまると、ラスベガスの現場でのように歴然と死亡率があがってくるのだろう。もともと恐さ知らずというか、やせ我慢をひけらかす男気の世界の現場では、「えい、やっちまえ」という技術的確信ではなく見切りでやってしまう人たちのほうが多いだろう。いま私がやっている高所作業車を使っている松の手入れには、キャタピラ式のものを導入しているので運転専門のオペレーターをつけてもらっているのだが、「そんな人いらないですよ。金がもったいないですよ」とペアを組んで作業している職人は元請けの社長に言う。俺が運転できるから、と。私は唖然としてしまう。週に数日は二日酔いできて管を巻いているジジイの言うことを間に受ける社長がいるのか? しかも、車両式の操作簡単なゴンドラを枝の間に挟んで身動き不能にし、危険ランプと危険信号を鳴り響かせもしたのに。私は木に飛び移って脱出しようかと思ったくらいだったのだが、本人はもう仕出かしたことを忘れているのだ。そればかりか、最初に来たオペレーターは新人で、いまやってもらっている人がベテランだというのは一目瞭然なのだが、上手いのは若い方のだ、と頓珍漢なことを平気で言ってのける。一緒にゴンドラに乗ってみれば、経験のあるものはすぐにわかるのだ。若い奴は不安で迷っていた、最初に念頭に入れておくべき初期値(想定ごと、危険予知)が少なすぎるのだ、だからどこかぼけっとしている、緊張感と落ち着きが足りない、がベテランと乗ると、すぐに波長があってくる、だからこちらも無駄なことを考えずに剪定に専心できるのだ。が若造には、小手先でハンドルをくるくるさばいている運転を上手なものと思い込んで調子付くように、そう阿呆な判断しかできないのだろ。バカにつける薬はない。それ程危険でない仕事しかやっていないのにすでに入院通院の事故をおこしているのだが、それを単なる偶然不可避の事として未だに他人事のように認識している。酔いがまわると、「俺に掃除ばかりさせて木を切らせないからまだできないんだ。誰でもできる仕事なんだから俺にもやらせろ」と、実はやらせようとすると尻込みして逃げるくせに、本当にやらせたら8割の確率で死ぬか障害者になるだろう。その時は、現場の「職長・安全衛生責任者」として、私が会社経営者と同様に刑事責任を負うことになるのだろうか? そして、日本の「安全衛生教育」がやろうとしていることは、実はこうしたバカにどうにかして事故を起こさせないようにし事故率をより低くしていこう、というソフトレベルでの話しなのである、というか、はずなのである。それはもちろん、2日のテキスト講習で始末がつく問題ではない。競争率のある仕事なら、バカは単に淘汰されていくのだろうが、行くところのないものが来るような現場では、そうにはならない。私としては、徒弟的な教育をもう一度、とも思うのだが、しかしそれでもああなままなのだから、死んでも仕方がないか、確率(割合)だからな、と考えてしまうのである。しかし私は、そんなバカと一緒に死んだり、そのバカのおかげで刑務所に入るのが本望なのだろうか?

ソマリア沖の海賊対策として、自衛隊員が遠方の海域へと送られた。国際的なというか、世界的なヘゲモニー争いの社会での協調姿勢を示すことが、日本の経済生活の現状を保守維持させることはもちろん、対外的な安全保障への布石として位置づけられるがゆえの政治的選択なのだろう。これまで憲法9条的な原理性で行動してきたのならともかく、そうではないのだから、拒否することは困難だろう。が、問題なのは、その参加がゆえになんら原理的戦略性に裏付けられていない潮流への迎合(対応、後手策)にしかならないことだ。あくまで原理原則は9条で、それを守るために世界へ働きかける政治的な意思のとりあえずの戦略的妥協、と意識すらされることもないだろう。そしてそのなんだかはっきりしない対応のなかで、自衛隊員はより体を張った、命をかけさせられる任務を引き受けることになる。チョムスキーはベトナム戦争時よりも、生活上やむえず志願に追い込まれてイラクへと派遣される兵士のほうが気の毒だと言ったが、職業選択の自由としてその仕事に就いた自衛隊員も同じように気の毒だと私は思う。自由に選んだ自己責任ゆえに、身内以外の第三者の誰もその死に関心(責任)を感じないだろう。見殺しにされようとしているのだ。自ら民間の殺人組織に入って戦場へと行く人ならまだしも、その地域で行き場(就職先)のなかったような若者たちが入隊しているのではないだろうか? あのイラク戦争時、「自衛隊員を見殺しにするな!」と竹竿に旗を立ててデモ行進したことが私にはあったけれど、その情勢はより現実味を増しているように思える。しかし、行きどころもなく自衛隊に就いた人たちは現場に吹きだまってくる男らと同じくバカ者なんだろうか? あるいは派遣労働者としてさまよいはじめた若者たちとはどこか違うのだろうか? 「日本にはデモがない、そんなのは民主主義ではない、これでは世界からとりのこされてしまう」というような意見をいまだ日本のインテリたちは抱いているようだが、それはソマリアへ自衛隊を派遣しなくてはおいてけぼりにされる、と怯え憂える政治家・官僚の態度とパラレルだと私には思える。ないもの(理念)からあるもの(現状)を批判(否定)して反応する後手の態度。しかし実践的とは、あるもの(現状)からないもの(理念)へ向うにはどうすべきか、と考えることではないのだろうか? 古物商の長嶋氏が言ったように、それはある、共通するものは後退してもなくならない前提だ、その肯定の姿勢からはじめるべきではないのだろうか? ならばしかし、……やはり私はバカたちとともにやりはじめるというのが本筋なのだろうか?

「ほんとにくだらないよNPOなんて。」と、去年までは耐震偽造をチェックするNPOの理事長をやっていて、福田総理から内閣総理大臣賞をも授与されたそうな「職長・安全衛生責任者教育」講習会の講師は言う。この俺が言うんだから本当さ。その9割はくだらない、というか、圧力団体だよ、寄生虫みたいなさ。そして引きこもりを支援する団体批判から派遣村への批判へと飛ぶ。「ぜんぜん深刻そうにみえないね。」当人は茨城から下駄はいて東京にでてきたのだそうだ。「あれはパフォーマンスでしょ」とも。たしかに私が驚いたのは、支援されるほうよりも、支援するボランティアの人たちのほうがより多く集まった、ということだった。おそらく、既成の運動団体に所属するでもなくやってきた人は、自らもが半失業的な派遣者的立場の人だったのではあるまいか、だけれども、生活が貧窮しているというわけでもないので、支援される側ではなく支援する方の側から参加することで、なにかしらのメンタリティー的な支えを得ようとしたのではないだろうか? そういう意味ではやはり被支援者なのだが、自らが生活必要的にデモンストレーションしたのではない、それは言い換えれば、当事者になる勇気がない、バカになることができない、ということではないだろうか? 戦前から日本の社会運動に関して指摘されていることに、それが指導者の運動で、肝心な当事者がいない、というのが大半だ、ということである。私が現在参加している移民ネットワークでも、時折そういう現状認識が提示されたりする。分析的に換言すれば、他人に親切になりたいという思いによって、自分自身を受け入れることをしない、それを回避するための優等生的な自己回避になっているのではないだろうか? それはむろん、ないもの(他人)によってあるもの(自分)を批判(否認)しようとする日本のインテリゲンチャの思考と同型である。いつからこんなことになったのだろう? 私はつまびらかでないが、デモがないのならそのないことがあることから、それを対他(対外)的なコミュニケーション(安全保障)上しないのがバカだというのなら、バカの現状と現場からどうするかを考えるのが、ソフトレベル段階での「職長・安全衛生責任者」(インテリ指導層)の実践ということではないのか? またそれが、国家に対抗しえる現勢体(中間団体・仲間)の実質(当事者)を首肯している、ということではないのか? ……となると、私はやはりまわりのバカたちと一緒にやるということなのだろうか?

しかし私は想像するのだ、いわゆるファシズム体制が現前化してくるのならば、佐藤優氏のように方便的にか国家あるいは共同体を擁護する姿勢(思想)は具体的な局面・現場において空虚になってくるのではないか、と。いわゆる顔をみるのが嫌になるほどのバカたちが権力を握って、人々の目前で強気なバカをほざき、自分と対面してくるようになるのではないだろうか? そのときは、形式的にも国家を保持するなどとは言う気がなくなるだろう。ボナパルティズム下のランボー、そして戦時中の無頼派のように、思想的な後退になるとしても個人の高貴さに引きこもって沸々と春を準備する、植物の休眠や熊の冬眠という能動的なニヒリズムを生きることが貴重で基調な姿勢にならざるをえなくなってくるのではないだろうか? そう思い込む時期は早々だとしても、政権交代ひとつとして先手を打てなかった日本の安全管理(保障)上の世界環境(情勢)を見渡すと、雲行きがあやしいように見えるのである。