2017年12月3日日曜日

サッカー部へのメール――相撲界の混乱から(2)

「言語は常に貪欲に大言語であろうと求め、小言語を呑みこみ、その母語によって人々を残酷に差別する一面をもっている。しかも人々は、その残酷さによってしか、自らの存在をたしかにすることができないのである。モンゴル人がモンゴル人であるのは、かれらがモンゴル語を話すという事実によっている。そして、かれらがモンゴル語を話すのは、それが誇りであろうとなかろうと、他の道はないからである。だが人々がこのような認識に到達したときには、ことばは、人類にとってではなく、自分にとって何であるのか、そしてそのようなことばはどのように話され、書かれなければならないかが自覚されてくるのである。」(田中克彦著『言語の思想 国家と民族の言葉』 NHKブックス)

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《○田コーチ、○山コーチ
cc 鈴木コーチ

今日はお忙しい中、ご相談に乗っていただき、ありがとうございました。

○太郎に、帰ってから話をしたら、「いまは、ちょっと(野球よりサッカーが)好きになった。」と言っていました。
私が「コーチのお手伝いするかもよ」、には「いいよ」と。 
皆様のお陰で、サッカーが好きになっているみたいで、第一ハードルは徐々にクリアしつつあります。

○山コーチにはお話ししましたが、
私は○太郎には、サッカーを上手くなることよりも、真剣に取り組むことを望んでいます。
下手でもいいので、できる限り走り続ける、練習をちゃんとする、挨拶をする、等です。
真剣にやるのであれば、本望でないですが、野球でもいいと思っています。

そんな中、1年程見せていただいた中、○五S.C.やコーチという立場に関しての感想は、
・真剣さについては、○五チーム(低学年)は、足りないと感じています。でも、他のチームは知らないので低学年特有の事象なのかもしれません。
・コーチがやる気スイッチを押す必要があるのかもしれないですが、それはどこから、コーチの仕事なのでしょうか?試合の時も空を見ている子、走らない子のスイッチを探すこともやるのでしょうか?
・そもそも、人数が足りないのは人口が減っているからで、チームを維持するために、緩くなりすぎていないのでしょうか?所属人数が問題なのであれば、他チームと完全統合してはだめなのでしょうか?
また、個人的なこととして
・○太郎はサッカーを続けるだろうか?
・次男と遊んであげる時間が取れるだろうか??
等々、いろいろと疑問があるままですので、徐々に、消化させていただければと思います。

尚、私は、他の子供を教えたこともありませんし、自他ともに認める、他人に興味の薄い人間ですので、皆さまが仰っているいるような高みにたどり着けるのか、かなり疑問です。また、かなり短気な方ですので、保護者やほかのコーチからの苦情等来るかもしれません。仕事でもですが、個人的には人にものを教えたり、管理することがうまくないです。ですので、試用期間を半年程度、見ていただき、その後、決めていただければと思います。

私の個人的なことですが、
・コーチの人数が足りていないときには事前に仰っていただければ、次男は連れて行かず、手伝いますのでおっしゃってください。
・練習内容の例は、教えておいていただけると、助かります。
・今も遊びでフットサルはやっていますが、サッカー経験は中学生の時だけです。体が小さかったせいもあり、自分で上手いと思ったことは一回もないですw
・仕事はカレンダー通りの休み(土日祝)です。夏休み・冬休みは不定期/自由に取ります(お盆の間は取らないことがおおいです) 平日の練習は時間的に手伝えないです。今年の冬、12月31-1月9日に長期休暇で不在です。
・実家は北海道です。趣味はスキーとフットサルです。 ○太郎もスキー、かなり滑れます。今年は次男を滑れるようにしてあげようと思っています。
・サッカーで応援しているチームはないです。時々、TVで見る程度。
・会社の上のほうから、ゴルフへの激しい勧誘、命令?が続いています。まだやったことないのですが、そろそろ決壊しそうな状況。

・妻も働いています。
・○太郎は長男で、次男は4歳、その下に女の子1歳がいます。両方保育園に行っています。イベントが余り多くないですが、時々あります。
・妻はサッカーの手伝いなど、頼めばやると思いますが、あまり使いたくないオプションです。妻の遠征の付き添いは兄弟の面倒の関係で難しいです。
・○太郎は今のところ、習い事はしておらず、○2小コメッツにも参加する可能性があります。

以上です、長々と自分勝手なことばかり書いてしまいましたが、できる限りお手伝いしようとおもいますので、よろしくお願いします。

○中》

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《鈴木コーチ、

大変参考になるお話、ありがとうございました。

私も少年野球の行き過ぎた指導が嫌で、できればサッカーをさせたいと思った経緯があります。
少年野球は幾つか体験させたのですが、どこも無駄に、大きな返事と挨拶を強要させ、練習も無駄に長い印象がありました。
軍隊野球は脈々と続いているんだな、と感じました。

一方、過去の○五の話もとても興味深いです。
「ふざけが原因で練習が中止」は
サッカーを公園の遊びの延長として捉えないのであれば、もっとも、だと思います。
コーチの方がたも、ボランティアでやっているわけだし、
だらだらと遊びながら真剣 に取り組まないのであれば、中止したり、帰らせたりするのが妥当だと個人的には思います。
学校だって授業中にゲームをしだしたら、先生は怒ったり、授業から追い出したりするのと同じだと思います。

練習を真剣にしないなら、コーチの時間が勿体ない。公園でサッカーしてもらえばいい。
(一方で、親が「しめてください」、というのには、やや違和感がありました。

しめるというか、教育をするのは親の第一義務であり、コーチに丸投げしている感があります。それは、まず親がするべきことにコーチが助けることではないかと。)

というわけで個人的には、ある程度の時期までは、ある程度、絶対服従まで行かなくても、規律は必要だと思います(程度の好みはあるとおもいます)。
小学生に、サッカーでふざけながら好きな練習して良いよ、と言って、自主的に考えられる素地が作られるとは思えません。

少し飛躍しますが、野球の絶対服従は、私はやり過ぎだ、と思いますし、日本の社会の中に根付いていて、現在のブラック企業、パワハラ問題等につながっているのだと思います。しかし、一方で、ドイツや日本など、規律の高い国民性の生産性が高いことは否定はできないと思います。私は欧米留学したこともあり、職場にも外国人がいるので、よく考えさせられますが、日本には日本の良いところがあり、規律や勤勉さというのは、間違いなく優位性です  当然、その逆に硬直性が問題としてあがりますが・・

長くなってしまいましたが、個人的な理想だけ最後に付け加えます。
 負けると悔しがり、下手でも一生懸命に真剣に練習して、努力することの意味を少しずつ見つけ、コーチやチームメイトと交わりながら、協調性 社会性などを付けていけるようなチームであるといいな、と思います。

飲みながら話すと盛り上がりそうな内容ですね。
是非、今度ご一緒させていただければと思います。

今後ともご指導をお願いいたします。

○中》

----- Original Message -----
From: 鈴木  <@yahoo.co.jp>
Subject: Re: Fwd: 2015駒沢フェス動画集

鈴木です。
とりあえず、○中さんの問いかけに、参考として、二つの書籍から紹介してみます。

(1)一つは、セルジオ越後氏の、『補欠廃止論』(ポプラ新書)からです。

<子どもの習い事で、武道の人気が高まっているらしい。どうも補欠がないことと、「礼に始まり礼で終わる」精神で、礼儀が身につけられる。やはり補欠に悩む親は、個人競技をさせたいのだろう。それ自体はよいと思うが、ただ気になるのは、礼儀が身につくからという理由。本当にそうだろうか?
 サッカーでも、試合前にハーフウェーラインまで行き、対戦相手に大声で「お願いします」とおじぎする。試合後はベンチに挨拶に行く。しかし、大人に指示されたから礼をしているだけで、なぜそれをやっているのか本質を理解していない。だから、しまいには誰もいない後援会のテントに向かって礼をする。
 僕はこの光景に驚いた。そもそも、一体相手に何をお願いするというのだろうか?
 ブラジルでは対戦相手に挨拶するところを見たことがない。日本でも、Jリーグでは誰もやっていない。Jリーグどころか、W杯もオリンピックでもやっていない。なのに、大人たちは「礼儀」として教える。
 挨拶する子どもも「なぜやるのか」を考えることはしない。それは想像力に欠け、こなし上手になっているだけだと思う。大人に怒られないように、顔色をうかがいながら行動しているだけ。したがって、武道をやれば礼儀が身につくかどうかは、甚だ疑問だ。
 プロの場合は対戦相手ではなく、サポーターに向かって礼をする。大人になってもやらないことを、なぜ学校では強制的に教えるのだろうか。大声で挨拶するように教えるけれども、社会に出て大声で挨拶したら「うるさい」って言われるよ。(笑)。大人になっても使えるものを教えないと、ますます部活動は軍隊のように感じる。そんなうわべの礼儀よりも、大人と子どもが触れあう社会教育のほうが重要だと思う。
 僕の恩師は「社会」だと思っている。大勢の大人と子どもが集まってプレーして育ったから、誰がサッカーを教えてくれたかわからない。親以外の大人も、多くのことを教えてくれた。>

(2)もう一つは、自分が巨人軍の監督になっても日本のスポーツ的土壌は変わらない、もっと偉くならなければと、早稲田大学の人間科学部の大学院で学びなおした桑田真澄氏の対談『野球を学問する』(新潮社)からです。

<桑田 そうですね。ぼくが飛田穂洲の思想を表現するにあたって「絶対服従」という言葉を使ったのには、理由があります。野球は監督の指示に従ってプレーしますから、絶対服従のスポーツではあるのですが、じつは試合で絶対服従がどれだけ生きるかというと、生きないんです。言われたことしかやらない、言われたこと以外をやると怒られるわけですが、じつはそれでは勝てないんです。
 なぜなら野球では、1球1球状況が違って、飛んでくるボールの速さや角度も違えば、風もあり、打順、点差、さまざまな要因で、なにもかもが変わってくる。だから本当は、自分で考えて動ける選手じゃないと、首脳陣からの信頼は得られないんですよ。でも、練習では絶対服従で、自分の言うことをきく選手をつくっているわけだから、試合に勝てるわけがない。勝てないから猛練習をする。また勝てない。これは悪循環ですよね。>

*この対談は、サッカーJリーグの創設に携わった平田竹男氏となされており、平田氏は、「おそらくサッカー界は、野球の軍国主義的なやり方をすごく否定してきた」のであり、「言ってみれば、野球を反面教師にがんばってきたつもり」なのだという。しかしその過程で捨ててきてしまったものがあり、「絶対服従はいけないが、礼儀正しさとか、丁寧さとか、日本人として守らなければならないものまで捨ててはいけない」、と言っています。

(私は、軍隊野球部を出自とする者ですが、桑田氏と同世代で、似たような問題意識で、大学は文学部に入って哲学的に追求してきました。いま騒がれている相撲界では、貴乃花親方が、桑田氏と似たような立ち回りを演じているようです。)

私の息子の一希が、2・3年のころ、よくふざけが原因で練習が中止されていました。親から、「もっとしめてください」という声も出てきました。○藤監督もその父母会の声におされてそうするか、となろうとしていたとき、木曜日のコーチ担当の長い説教事件があって、「子どもを1時間以上たたせて夜遅く帰宅させるコーチの現状をやめさせてくれ」みたいな話が次にでてきたので、○藤監督も、「コーチの考えに任せている。そこは口出ししない」と、父母会の要求を一蹴することになったりしました。
で、その過程で、私と、当時○六小S.Cの監督をしていた○屋監督とのやりとりで出てきたことです。――○屋監督「子どもをしめてもしょうがないですよ。もし、しめて、子どもがほんとうに黙ってしまったら、もうそのチームは終わりですからね。」私も、その意見に同意しました。
その○屋監督が、去年のライオンズ杯決勝、○五・六合同チームと○んぼF.C.との決戦での評価は、次のようなものでした。(コーチ会のメールに流れました。)○五・六の子どもたちは、ひっちゃべっていた。○んぼの子どもたちは、コーチの言うことでしか動けなかった。それが、勝敗を分けた原因だと。具体的には、次のような状況です。(私は、その試合を○屋コーチと見ていたので。)相手のサイド攻撃がこちらの奥深くまできたとき、ゴール前のバイタルエリアが10秒近く空いている時間帯が何度もできていた、もしあそこでボールを受けられたら、簡単に点をとれるのに、なんで○んぼの子はそのスペースを利用しないのか? こちらのワントップの女の子を、中心のセンターバックやボランチの子3 人で囲ってマークしているが、いくらなんでもそんな人数いらないだろう。強いチームとやってきた名残なのか? そしてそのことを、○んぼの子どもたちは気づいていた。フィールドで話し合いがされているのが確認できる。が、結局は、一度もその形をくずさず、前半0-0のまま終わってしまった。後半は、○んぼはじっくりしたパス回しではなく、速攻的にいどんできた。ゆえに、果敢にはなってもパスミスが増え、こちらのカウンター反撃も多くなり、張り合う感じになって、もうバイタルエリアにスペースが生まれる時間はなくなった。そのまま、PK戦となってしまった。となれば、PKでもニコニコしていられるこちらのほうがメンタル的に優位になってしまった。……要は、○屋監督は、○んぼの子ども たちが、コーチに萎縮してプレーするようになってしまったことが敗因だ、と分析したわけです。私もそう見立てて、そんな話をしていたんですね。

あくまで参考までに、以上のエピソードを紹介しておきます。


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《鈴木 です。

(1)「公園とクラブ入部でのサッカー」の違い、(2)「失点を減らす」ことの具体化、についてミーティングで話したこと追記します。

個人技術の向上、そのサッカーに必要な走り方(ステップ)や「止めて、蹴る」という理屈以前の基本技術が水準に達するのには、地道に時間のかかることですが、それを目指させる態度転換は、手助けできると思うので。

(1)イツキの時代、練習中ふざけている子を注意すると、「ふざけているのは俺だけじゃない、なんで俺だけを注意する?」この理屈は正しいか?
例えを3つ例示します。
・大人世界の話。「君たちのじいさんよりちょっと前、日本は世界と戦争した。で、とある市長が、戦争で人を殺したのは日本人だけじゃない、なのになんで日本人だけ責めるのだ、それはおかしい」と発言した。この理屈は正しいか?(当事の大坂市長の慰安婦問題の変形ですが。)
・交通法規を守って注意深く運転しているタクシー運転手でもミスして事故を起こすこともある、それに自動車やバイクを楽しんで乗り回している暴走族が事故を起こして、「タクシー運転手も俺と同じだね!」と言った。この理屈が正しいか?
・○オ君がクラブチームで一生懸命練習して、6年の大会になった。ミスしてゴールを決められた。それを休み時間や公園だけで一緒にサッカーしている友達から「リオも俺も同じだね!」といわれたら、どう感じる?
○オ「いやだなあ。」
スズキ「そう嫌がられて、その市長は、外国人との話し合いをキャンセルされて、政治世界のワールドカップにでられなかったんだ。戦争が起きないよう真剣に話し合っても、ミスで起きてしまうこともある。だけど、はじめから戦争で人を殺すのは当たり前と思っている人と、真剣な議論ができるかい? 世界の政治家は、ふざけた人物として会うのを拒否した。君たちは、日本の中の仲間内だけでやっていればいいかい? それとも、世界に出たいかい?」
○ダイ「世界」
スズキ「サッカーをやるとは、そうした世界標準を身に付けていくことだからね。」

上のような人聞き悪い話に、○田コーチは顔をしかめてたようにおもいますが、知っておいてもらいたいのは、日本のサッカー協会は、明確に野球界を「軍国主義」思想と理解して、それを「反面教師」として指導方針をだしているということです。リーグ戦の普及もその一環です。○山コーチも含めた○ュンタロー父への○田メールでも、○中さんは、そうした理由で、子供が野球に興味を持ちはじめて体験入部しているけれど、本当はサッカーをやってもらいたいんだ、と言っていましたね。昨日、○藤コーチが、娘の高校見学にいくとしっかりしているのは野球部で、サッカー部は…、とおっしゃっていましたが、私が野球部の主要な方針に否定的なのは、「それで世界と戦って負けたんだよ。勝ちたくないの?」というものです。

(2)ウラへの意識。昨日の失点の大半は、ウラをとられてキーパーと1対1の状況を作られたことです。いつか飲み会で話した3年生問題です。で、1試合後、ライオンとシカの例え話をしました。強者ライオンでもシカを前からおそわない、気づかれないように後ろから。シカはどうしてる? 下向いて草たべてるだけか? この話でウラを意識しはじめたのが、○ュウヘイと○ョウタでした。○ウタがウラとられて失点しましたが。サッカーになれは、訓練を受けてるチームほど、サイド中盤でボールを止めて、逆サイドへパスだすこと狙ってきます。ウラへの意識がないと、ひたすら失点します。2試合目、ハイになって暴走するのを落ち着かせようと、フィクソをさせていた○ョウタが、いきなり相手のウラをついて、ボールがでてこないと知るとすぐにポジションにもどるという学習能力をみせました。ただいかんせん、ボールを止めて、蹴る、という攻撃の起点作りができていないので、利用できるのはまだ先になりますが。

*ポジションに関して、学校掃除での役割分担の例えで。あとこまごました技術的な話を、○山コーチと指摘したのが、1試合後のミーティングでした。あせらなくても、面白いサッカーをみせてくれるようになる3年生だと思います。》