2018年12月16日日曜日

息子の高校受験をめぐって

「理想化された資本主義と民主主義を世界に広めるというグローバル化の夢、フランシス・フクヤマが言うところの「歴史の終わり」は、今日はるかに遠いようにおもわれます。中東は、民主化どころか国家の解体の中にいます。中国は、開放どころかおびただしい腐敗が吹き出しています。
 さらにまずいことが起きています。西欧の人々の目に、そのエリートたちは明らかにこう映っています。米国でも英国でもフランスでも、彼らは、もはや自分たちの声を聴かず、寡頭制に傾いて最も古いリベラル民主主義をむしばみつつある、と。…略
 しかし、私は長い間、先生たちと同じように、統治する者たち、指導者たち、エリートたちの特性にはそれほど注意を向けてきませんでした。しかし、エリートたちの能力や情念、道徳性といったことについても、大衆についてと同様、経験主義的な手法で研究できるし、するべきです。私の場合、エリートについての経験主義的な研究が不足していたことで、しばしば彼らの知性や責任感、道徳性を過大評価していました。
 だから私は、何度も何度もフランスの指導層が結局はユーロの失敗を認めて、自分たちが引きずり込んだ通貨の泥沼から、社会を引き出してくれるだろうと思ってしまいました。
 結局、違った。ユーロは機能していない。けれども消えていません。若者がひどい扱いを受け、とくに移民系で最も弱い人たちのグループがのけ者になる事態は続きました。
 つまり、フランスの指導層は、ユーロを壊すくらいならフランス社会の一部を壊したほうがましだと考えたのです。…略…エリートの振る舞いを予測する点では、彼らの力についての経験主義的なしっかりした研究が欠けていたために、私は人間性についての楽観的な見方に傾いて判断を間違えてしまいました。」(エマニュエル・トッド著『グローバリズム以後』 朝日新書)


「「そう遠くないうちに、人々は犯罪に走るでしょう。ガラスを打ち割って欲しい物を手に入れるようになる。いまに暴動が起きるでしょう。」と利用者の女性が言っている。「我々のフードバンクに来る人々の多くは働いている人。看護師や学校の教員がフードバンクに来ている。」と職員は説明したそうだ。…略…そもそもEU離脱は排外主義やEUへの反感だけが起こしたものではない。その底には、経済や社会に対する人々の強い不満と怒りがあった。…略…こうした指導者の意識と、地べたの現実との乖離が、隣国フランスで燃料税値上げに抗議する「黄色いベスト」のデモを引き起こした原因ではなかったのか。」(ブレイディみかこ著「英国のEU離脱 貧困を直視せぬ指導者」朝日新聞朝刊 2018.12.15)

渋谷のハロウィン騒ぎについてふれたブログで、勉強にしろスポーツにしろ、エリート路線に乗った子とそうでない子とに二分されているような現象を指摘した。小学4年生から受験勉強に慣らされる子と、高校受験を間近に控えても社会に緊張感を持てない子と。私の息子は後者になるが、みていると、そのマイペースさや女房とのバトルの様には、考えてみていくべき現実が伏在している気がしてきた。今の入試制度は私の頃と大分違うようで、後者の者たちには、受験に失敗させない仕組みが張り巡らされているようだ。わが女房は、なおさら息子が勉強しなくなるからと、低いレベルの単願推薦だの、単願受験などさせないと、息子の現状を越えた高校ばかりをやたら受験させようとする。この発想は私の時代の大学受験方式だ。数打ちゃ当たる、みたいな。「ぜったい受からないよ」「じゃあ、どこがいいの?」「○○高校」「いやだ。かってにいきなさい。お金はださないからね。」学校からも、塾からも、「気違い」呼ばわりされているのだそうだか、「一生懸命やることのどこがわるいの。楽ばっかして。ジャイアント・キリングを狙う」と息巻く。「まぐれで受かったらどうするんだ? 単位とれなくてぐれてくよ」と私。が、クレーマーとしての執念が学校側を動かしたのか、通信簿の評価が上がって、私立併願推薦がとれたと連絡はいる。確か、模擬試験結果からは、息子の合格率が1割ぐらいだったところだ。よっぽどひどい点数でなければ、受かるのだという。しかし、息子には気が進まない理由があるようで、なおさら不機嫌になったようだ。女房とのバトルを避けるため、塾に逃げ込んでいる。入試ひと月前にして、女房もここ数日は平穏だ。私には、不穏な静けさで、気味がわるい。

麻生大臣は、人が勉強している時にあそんでいたバカな連中のために、どうして金持ちが余分に税金肩代わりするんだ、みたいな発言したそうだか、狭い了見だ。少なくとも、私が中学生の頃は、優等生たる者、率先して皆の事を考えなくてはならない、という暗黙の義務了解が生きていたと思う。なお、故郷へ錦を飾る、ということが受け入れ可能な地盤があったということだ。炭鉱産業地盤の三代目世代にあたるらしい、吉田茂の娘が母になる麻生氏は、エリートというより、すでにエスタブリッシュメントな世界に入っていたのだろう。そして今の子育て事情も、他人の事を思考に据えるエリート教育というよりは、自分のスキルだけに関心を集中させていく、狭い了見、狭い世界への参入模索がリアル(ポリティクス)、と志向されているようだ。子供のサッカーチームでも、面倒見のいい優秀選手は、見当たらなくなった。

私には、勉強するしない人の割合は、蟻の生態と同じではないかと思われる。グーテンベルクが印刷機を発明し、識字率が上がり、スマホが普及しても、まともに読書し考えはじめるのは1割2割。真面目な働き蟻は3割で、あとは振りしてるだけ。が、真面目な3割を除けると、やはり残りの蟻から3割だけが働きはじめる。ならば、威張っていてもしょうがない。怠け者とされる者にも、何か自然的な意義があるのだ。

あおり運転、について

「彼らは誰か? 兄弟の他者たちとは誰か、非ー兄弟とは? 何がこの者たちを、のけ者的存在に、排除された者あるいは惑える者に、街路を、とりわけ街路を徘徊する、中心を外れた者にするのか? (しかし、もう一回言うが、街路〔rue〕と狡猾漢〔roue〕の間には残念ながら語源的類縁性はない。狡猾漢もならず者同様、つねになんらかの街路に対して、都市における、都市的な礼節における、都市生活の正しい慣用における街路であるところの正常な道(ヴォワ)に対して定義されるのであるが。ならず者と狡猾漢は街路に混乱を持ち込む。この者たちは指し示され、非難され、裁かれ、断罪され、指さされる。現動的ないし潜勢的な非行者として、予知されている被告〔prevenu〕として。そして、この者たちは執拗に追い回される、文明化した市民から、国家あるいは市民社会から、善良な社会から、その警察(ポリス)から、ときには国際法から、そして、その武装せる警察から。法と習俗を、政治(ポリティック)と礼節(ポリテス)を監視する、あらゆる流通路を、歩行者ゾーン、車輌ゾーン、海路および空路のゾーン、電子情報、Eメールおよびウェブを監視する警察から。)」(『ならず者たち』ジャック・デリダ著 鵜飼哲・高橋哲哉訳 みすず書房)

死刑制度が、それに値するとされるような犯罪を減少させるわけではないと、アムネスティは報告しているようだ。シンガポールと香港での統計を示して、ゆえに抑止名分で制度を続行している国々を批判したわけだ。が、この統計だけでは、真偽は決められないだろう。冤罪があることは、はっきりしている。
飲酒運転での過酷事故は、罰則も取り締まりも強化され、警視庁発表の統計では、相当数減少している。携帯スマホでの運転事故はどうだろうか? 社会・世論の圧力が、しなくてもすむような、いわば便乗事故を払拭させていることは、あるように思われる。
が、私には、それでも払拭できない層、確率的な現実はあるようにみえる。そんな社会や世論が、むしろ犯罪を発生させていくような現象である。死刑制度、法が抑止できないのは、この金魚の糞のように我々についてまわる本源的な構造だ。

助手席に座りながら、運転手にあおり運転され脅かされたことが私にはある。勤務途中だか、仕事もおそらく私生活でもうまくいかず切れまくる同僚。暴走族あがりの親方も、二日酔いで出てきたまだ若い時分は、無意識のうちに蛇行運転、前の車との車間距離をなくし、右から左から気持ちよさそうにプレッシャーをかけていた。団塊世代職人も、朝起きたら駐車場の車の中、どうやってここまでこれたのか酔っ払って覚えてねえや、と冗談半分で言っていたこともある。
いまは、酒を飲むことはおろか、車離れも起きている。とりあえず、そんな大人しい社会変化が善いことだとしても、歴史的に、あるいは自然の最中を生き抜く生態的に、その変化がどんな意味を持ってくるのか、私たちは、なお詳らかにしてはいないのだ。