2016年12月1日木曜日

「なめんなよ!」、その時<中島岳志「愛国と信仰の構造」と大澤真幸「革命の論理形式>――トッド著『家族システムの起源』ノート(5)

中島 全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。
 批評家の江藤淳が一九七0年に「『ごっこ』の世界が終わったとき」という論考を書いています。彼はそこで、戦後日本人はずっと「ごっこ」だったと言っている。つまり最終決定は全部アメリカがするのだから、国会の審議なども全部「ごっこ」にしかすぎないと。ところがそれから四五年以上もたって、安倍首相はこの「ごっこ」遊びをもっと強化しようとし、それを「戦後レジームの解体」という矛盾に満ちたことを言っているわけです。
 しかし、アメリカは遠からずアジアから距離を置き始めるでしょう。そのとき、日本は大きな不安に見舞われる。しかも中国との関係性はきちんと構築されていない。そうなれば、一瞬の出来事をきっかけに、根のない大衆が、権威主義的パーソナリティーに飛びつく可能性が十分ある」(中島岳志・島薗進著『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』 集英社新書)

約束したそばから反故にされてアメリカより帰国した安倍総理、ロシアとの関係も、内輪での強気は外への弱みだとして食いつかれいいようにしゃぶられているような状況のようである(参照ブログ)。先代がイロニックに従ってきた言動も、もはやそのニュアンスがわからなくなってくるのが3代目のようだから、真面目な「ごっこ」になってしまっているのだろう。が、もはや相手に通じない。こちらはママゴトの延長戦のつもりでも、先方はそんなお付き合いはやめて真剣勝負を挑み始めたのだろう。しかし当方は、その違いがわからない。気づけない。なんでこんなに誠実に対応してきたのに、冷たくなったのだ? そんなとき、3代目坊ちゃんのとる行動様式はどんなものだろう? 私には、都はるみの「北の宿から」のような演歌になるのでないか、という気がする。

<あなたかわりはないですか?
 日ごと寒さがつのります
 着てはもらえぬセーター(TPP/北方領土)を
 涙こらえて編んでます>

しかしならばその時とは、日本の民衆が本気で安倍氏を支持するときである。「判官びいき」で小池氏は都知事になったのではないか、と浜矩子氏の評価を引用し私も同意した。民心のあり方を無視し逆なでした自民党の権力が、対外的な関係では逆転して、小池支持がそのままで敗北感ある安倍政権への同情(世俗権力的な米露中への嫌悪)へと連綿していくことはあり得るのではないか、と私は思っている。

大澤真幸氏は、『日本史のなぞ』(朝日新書)として、「なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか」と北条泰時をとりあげる論理的前提として、権力の「二元関係」を抽出してみせている。たとえば、鎌倉時代だったならば、<天皇:幕府=将軍:執権>という構造である。俗にいえば、「無能に見える社長と、経営に辣腕を振るう専務」とか。そして明治時代であるならば<天皇:元老>、そして戦後、この元老の位置に、アメリカが入っているのだと。そしてこの「二元関係」は、論理形式的には、日本に特有のものではない。易姓革命の中国や、キリスト教との関係でも、ヨーロッパとてそうである。が、日本では、「<一者>にあたる要素が――超越的な外部性ではなく――内在的な人間であることの代償は、次のことである。社会システムをある意志によって主体化する「決定」の操作が、「すでにあること」「与えられたこと」をただ追認するという空虚な身振りへと転換すること、それは「天」や「神」のような、現状に抗すること、現状を否定したり改変したりすることを求める意志や帰属点としては、機能しない。これでは、絶対に革命は起きないだろう。」

しかし上の論理は、人類学的にいう、人類の知恵、「権力と権威」の区別という経験知と同等な論旨なのではないだろうか? 共産圏(中国)でははっきりと宗教的権威を否定(区別)し、欧米では形式的・儀礼的には権威を取り入れている。が、近代を経てなお、日本ではその区別が実践的・日常的にも利用されているので、天皇制は手ごわい、ということではなかったのか? 政治のプロとして、飼い犬の吠え方によってその人が自分に投票するかどうかわかるといった小沢一郎氏、論理を理解する近代的な政治家だと江藤淳氏からも称賛された政治家でも、天皇には触れてはだめだと用心しているという。明確には区別したことがなく、なお「二元関係」的に生きているからこそ、論理を超えて、タブーが感じられてくるのではないか? しかも広義には、天皇制とは、天皇とは関係がない。大澤氏自身が社長と専務の卑俗な例をあげてるように、それはいわば、「出る杭は打たれる」、打ってしまう行動様式として、私達の心性としてもあるのだ。出る杭(権威)とそれを打つ権力との関係とは、<天皇:執権(判官)>との関係ということである。権威につくものが偉そうにしていると、揚げ足をとりたくなる。そうやって、自民は都知事選に負け、トランプやプーチンには一生懸命やったけれども、と。むろん、彼らは外人なので、日本人の心情理屈は当てはまらない。が、うまくやれば、マッカーサーのように「まれびと」となって二元関係の神的位置へと内面化されうるようにも振る舞えるだろう。がそれ以前に、日本の民衆自身が、かつてロンドン軍縮会議での政府の世俗権力駆引きの失態から政権に不満を持つことで、元老なきあとの天皇を輔弼する者として軍部自体を二元関係に掬い上げてしまったように、出しゃばりを嫌悪する判官びいき心性を維持するアイデンティティーの確保が、ファシズムを惹起させてくるかもしれない。代表する者とされる者とが恣意的な関係になるという代表政治を媒介に、小池氏がその意図通りで当選したわけでもないように、安倍総理が三選されるのかもしれない。

しかしまた、大澤氏が北条泰時を評価するのは、その論理を「否定的に活用」したからだった。――「<例外的な一者>を肯定的に活用するような革命は、日本では起きなかった。天皇は、社会システムとの関係で、真の<超越性・例外性>をもっていなかったからだ。しかし、それを否定的に活用するのであれば、日本でも、革命が起こりうる。」

否定的に活用する、とはどういうことか? それは泰時が天皇を成敗しながら、それを活用したことが例であるとされる。その権威を借りるのではなく(それは安吾が批判したように日本史で反復されてきたことだ――)、それを否定した上で、その在り方に「忠義を表現した」と(――信長のように端的に否定するだけでなく)。わかりにくいが、大澤氏は、パスカルの神の存在証明を超えた賭け(神の不在が証明されても神に賭けることに損は発生しないという論理)への批判的継承としての、ディドロの「不在の神への信仰」態度を例示している。パスカルの賭けは、なお損得勘定があって不純だが、ディドロのそれは「神なき信仰」であり、泰時のそれは「天皇なき天皇制」だというのである。私も、論理形式としては、それを受け入れてもいい。トランプやプーチンにやりこめられた安倍をはじめとした日本人が「なめんなよ!」と立ち上がろうとするその時、私たちが実践すべきなのは、退位を表明した天皇に同情しその権威を借りて9条を錦の端にして現状を否定してみせようとすることではない(そんなのは自己満足的な身振り、つまりは「判官びいき」という「二元関係」を無自覚に肯定的に活用しているということになる――)。自分たちの世俗の力のなさ、世渡りの下手糞さを自覚して、まずはそんな感情(空気)に左右されてしまう自分たちを立て直そうと我慢することだ。私としては、その大きな集団的行為とが、憲法改正して、天皇の条項を憲法から削除すること、だと思っている。そして、別立法で、天皇を庇護するよう税法や財産の件などをじっくりと考えていけばいい。それこそ、泰時がやった実践=革命であろう。まずは、我々の甘ったれた「権威主義的パーソナリティー」からゆっくりと決別する手だてを実践していかなくてはならない、それが先決だ。が、その、大澤氏ならば論理的な実践と呼ぶかもしれないその論理形式の内実、あるいは文脈が、我々の実感、経験を踏まえたものでなければならない。そうでなければ、その論理実践から、私達は、疎外されたままであろう。空虚な感じにつきまとわれたままだ。

では、その内実、文脈とはなんだろうか? 大澤氏は、泰時の御成敗式目から、次のように引用付記している。

< 女が養子をとることについて。律令ではこれを認めていないが、頼朝の治世から今日まで、子のいない未亡人が養子を迎え、その養子に所領(夫から受け継いだ領地)を譲渡するのを認めた例はたくさんあり、すべてを数え切れないほどだ。のみならず、一般にそうしたことは広く行われ慣例にもなっている。女性の養子を認める評議の内容は信用に足るものである。

 このような条文を含む複数の条文から、律令の公式の規定とは異なり、御成敗式目が女性の財産に対する大きな権利を認めていたことがわかる。
 このような法を定めたことは、日本社会の歴史の中で、まことに画期的なことであった。御成敗式目が、完全に固有法だからである。法制史には、固有法と継受法という区別がある。継受法とは、他国の法律を、自国の事情に照らして改変した上で継受した法律である。…(略)…内容の点でも、また文体の点でも、御成敗式目は、律令とはまったく独立している。無学で、漢字が苦手な武士でも、この法は理解できるようにできている。>

また、『雨月物語』から「白峰」を引用し、「…何の落度もなかったのに、父親の鳥羽上皇の命令によって仕方なく、その位を、異母弟である三歳の体仁に禅った。体仁、つまり近衛天皇が早世したのだから、崇徳院の子の重仁(崇徳院の第一皇子)が天皇になるのが本来の道理だったのではないか」という崇徳院の霊に反論する西行の言い分を、大澤氏は紹介している。これらの引用から連想されてくるのは、どちらも父系的な共同家族という文明中心からの影響下での、核家族(双系制)的な土着の抵抗の文脈である。大澤氏は、中国の易姓革命に関し、皇帝のことを「別の父系集団に属する人物」としても註しているから、もしかして、トッド氏の家族人類学的な分析を意識しているかもしれない。現在の中国に対しては、「今や、皇帝を輩出するのは、同一の姓の父系集団ではなく、共産党である」とも注記している。ともかくも、大澤氏は、論理の形式的な同等性以前に、自然発生的な、自生的秩序をそれが踏まえていなければならないとしている、と言っているようだ。つまりその論理が成功するには、論理的な前提として存在している文脈=自然=自生的な運動がある。

<自生する秩序の尊重は保守主義のアイデアであって、社会に革命的変動をもたらすものではないのではないか。そうではない。確かに、自生的秩序の肯定は保守主義の基本テーゼかもしれないが、そのことは必ずしも革命とは矛盾しない。というより、革命は、一般に、自然発生している秩序や運動を徹底的に肯定することを通じて、自らもその秩序や運動に参加することによって実現するのだ。革命は、自然発生している秩序に抗して為し遂げられるのではなく、逆に、それを、徹底して、過剰なまでに肯定し、引き受けることによって可能になる。言い換えるならば、自然発生しつつある秩序や運動を十全(以上)に肯定することは勇気を要することであり、一般に困難なことである。>

しかしそれは、「困難」なだけではない、「恐ろしさ」でもあるのだ、というのが、冒頭引用の中島氏の洞察である。

中島 しかし、「自然的作為」や「自然法爾」という考え方は危険だから持つべきではない、と言いたいわけではありません。一方でこれらの概念は、民衆の自生的秩序を生み出す力とも結びついています。
 たとえばレベッカ・ソルニットが『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』で描いたように、大震災などが起きた時に、突如として人々が水や食べ物を分け合い、そこに秩序というものが自生的に生まれ、そして国家の介入なしに安定した社会を作ろうとしていく。
 こうした力も、「自然法爾」という概念は含み持っていて、それが親鸞の魅力でもあるわけです。
 ですから吉本隆明の問いかけというのは、私にとっては親鸞思想の魅力と恐ろしさの両者をどのように考えるのかという問題をつきつけられた感じがしたわけです>(前掲書)

中島氏は、トッド的な人類学的な文脈を意識しているわけではないようだが、私は、秋葉原事件のルポから、氏の「血盟団事件」への考察を読み、そのトッドがみる「自然的作為」としての家族人類学的文脈を想起せざるを得ない。私は、血盟団事件の首謀者である井上日召が、自分と同じ出身地だとは知らなかった。が、その激情的な情念は、よくわかる。内村鑑三などとも、似ている。血盟団の若者たちは、媒介者を排した直接的な、空虚を介在させない直接的な感情の発露を欲した。しかし、政治が代表制という選ぶ者と選ばれる者との恣意的な結合という記号論的な制度であるかぎり、そこに、今の祭りごとに、そんな欲望充足を求めても詮無いことである。が、大澤氏の説く革命の論理形式も、たとえ自生的な動き=文脈に乗っかっても、それが政治的であろうとするなら、つまりは代表制という論理形式をも排除するわけでもないのであるなら、実現可能な論理的整合性を持ち得るのだろうか? 

私には、ただ直観があるだけだ。「なめんなよ!」(SEALDSの政治的コールでもあったそう――)、その自生的な激情は、脱原発を意欲しながら核武装も可能にさせる。安倍が自ら意図したように選ばれるわけではないように、民衆は意欲しないものを選ぶことができる。選んでしまう。その意欲の生け捕り方法は、果たして、大澤氏の説く論法なのだろうか? 少なくとも、上州生まれ、坂東太郎育ちの私には、その論法は理解できるとしても、心服されるものからは遠く感ぜられるのである。

2016年11月20日日曜日

直系家族のエピソード――トッド『家族システムの起源』ノート(4)

「脳は、一雄一雌関係を保つことにいちばん「頭を使って」いるのではないか。あなたは夫や妻の短所や欠点に苦労させられたことはないだろうか? もしあなたが、パートナーとの関係を続けるのも楽じゃないと思っていたら、まさにそういうことだ。鳥類でも哺乳類でも、体格のわりに脳が大きい種はまずまちがいなく一雄一雌だ。反対にその他大勢の群れをつくり、乱交にはげむ種は脳が小さい。
 さらに鳥類をくわしく見ると、脳の大きさにほんとうにかかわってくるのは一雄一雌だということがわかる。それもちょっとやそっとのことでは揺らがない。長続きする関係だ。一雄一雌関係にも二種類あって、ヨーロッパコマドリやシジュウガラは繁殖期のたびに相手が新しくなる。そのいっぽうで、フクロウなど獲物を捕まえて食べる鳥や、カラス、オウムなどは一度決めた相手と死ぬまで添いとげる。そして後者の脳は、相手を一年でとりかえる鳥よりはるかに大きい。体格や食性などの生態を考慮しても、この事実は変わらないのだ。
 哺乳類になると、一雄一雌関係は全体のわずか五パーセントと少数派に転落する。それでもイヌ、オオカミ、キツネ、レイヨウの仲間は一雄一雌だ。彼らの脳は、大きな社会集団のなかで相手かまわず交尾する種より大きい。」(ロビン・ダンバー『友達の数は何人? ダンバー数とつながりの進化心理学』 インターシフト)

高校野球部の同期会ということで帰省し、伊香保に行ってきた。大学進学でほぼみな上京していたが、今はほぼみな地元で生活している。19歳いらい、つまりは世の中のことを意識的に見られる年頃以降は、地元での生活がなかったわけだから、私には生まれ故郷がどんな人のつながりで動いているのだかわからない。しかも、野球部という集団場所に子どもの頃から所属していたとしても、私はどちらかというと、イチローみたいな一匹狼タイプだったろうから、遊びでつるむような友達というのもいなかった。酒を飲みながら話を聞いていると、たとえ私が東京の職人下町のようなところに参列して生きてきたとしても、他所からきた私のようなものをとり込んで成立することを前提としているような都会よりも、地元でのほうが封建的なメンタルやしきたりが動いているのだな、と思われてきた。家の会社を継いでいる者の話を聞いていても、長男という存在がずっしりとくる。

そんな話のなかで、私が子どものサッカーチームのコーチをしていると近況紹介していると、現高校野球部父母会会長が、私を次の監督にしたらどうなのかと口をはさんだ。一瞬、幹事役をはじめとした、この地元世界の仕切りに末席している男たちの間で、妙な沈黙がおこった。子ども二人が、旧制中学からの伝統ある男子進学校に入学でき、その長男が野球部の選手になっているということでその役についていた者、現役時代はキャッチャーだったのだが、どこか空気を読めずまわりからばかにされるところのある者だったのだが、いまは「偉い」役職ということで、発言に力があるようだった。「俺は教師じゃやないから」と私も驚いて沈黙を破ると、もうそこには触れないとそらしていく話がつづいた。ということは、本当に次期監督を探しているところがあるのだろう、そして私が子どものサッカーで話していた流れから推論すると、自身が甲子園出場経験があり、数年前に球児をその三十年振りだかに甲子園へ連れていった現監督の指導法に、批判的な声が結構ある、ということなのだろう。それは昔ながらの、指導者への問答無用な暴力的なものであるらしい。去年、元部長の傘寿の祝いで100以上だかの元部員が集まったときにも、「意味がないよ」と、その強圧的な指導に対し苦言をもらしている先輩にも出会っていた。しかし、そうした体制に意識的な疑問をはさめないのが、この地元での野球界なのだろう。現地高校野球界で、周りから信頼の篤いとされる現役監督は、私の中学野球部の1年上の先輩だった。「腰が低くてすごい評判がいい」とは、父母会会長の言葉である。「だけど、知り合いにきくと、怖くて誰も近寄れないんだよ。」選手の指導でも、暴力は当たり前のようだ。ミスをした選手へのおおふくピンタが、外野へとつつづくファウルライン上をあとずさりしていく選手を追いかけていったという。ということは、大会中にそうなったのだろうか? 私が中学のとき、その甲子園経験者の先輩からショートのポジションを奪い、先輩がサードにコンバートになったと知ると、「えっ、だ、だいじょうぶだったの?」と父母会会長は驚く。「まあ、先輩からレギュラー奪って、リンチされなかったのは俺だけだったけど。」おそらく、空気の読めない会長は、私の立ち位置を感じて、無邪気に思ったこと、認識していることを言ってしまったのだろう。

しかし、ここ東京のサッカー少年クラブのコーチ間で議論したことなど、とても地元では無邪気にできはしないだろう、と私は思わされた。それは野球とサッカーの日本での系譜的な差異、というより、地域差のようにおもわれる。

一希が、よくTV「ドクターX」をみている。私の経歴からすると、私は「御意」の側ではなく、群れを嫌うほうだろう。ネクタイ・スーツいたしません、接待ゴルフはいたしません、満員通勤電車は乗りません……それが、就活にあたって、意志的とはいわないまでも、意識的なポリシー、生理だったはずだ。だから、あの24時間戦えますかのバブル期、ほぼ不可能なモラルだったので、私は消極的に動けず、つまりは就活などいっさい行わず、ウサギ小屋でじっとしていたのである。最近になって、小池都知事が、「満員電車」など恥ずかしい、と言っている。小池氏も、「ドクターX]タイプな帰国子女だから、集団倫理の掟を潔しとはしていないのだろう。が、私は、「御意」の群れを、否定する気はないし、否定するのはよくないと思っている。それが、トッドの保守的な学術をも受容的に注目する態度につながっているだろう。あるいは、柄谷氏が、NAMの散会が意識しはじめられたころ、コアなメンバーにむけて、「これからは前衛党のようになる」と、その続行のためのアイデアに転回しようとしたとき、むしろなおさら興ざめてしまった感性とも通じているだろう。そういう意味では、私はなお地元の封建意識を手離していない。それが何故であったのかを、NAM解散後、意識的に理論的に追求している、ということにもなるだろう。

息子は、とりあえず、「御意」の群れを好む性向のようにみえる。それでもいいから、自分の道を探っていってほしい。

2016年11月19日土曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と

林羅山の子々孫々の墓

日本が、「直系家族」的な家族人類学的類型の価値イデオロギーの中に在る、と言われても、その価値がどういうものなのかはわかりにくい。今月の『文芸春秋』12月号の、トッド氏と磯田氏との対談は、その家族的枠が、どう価値的に社会に作用してくるかの具体例にふれているので、メモしていく。その価値は、日本の社会思想史の文脈からみたら、どこか追認的な懐かしい見解にみえる。中根千枝著の『タテ社会の人間関係』、村上 泰亮著『文明としてのイエ社会』、あるいはその日本的伝統なるものを批判的に論じた関ひろの氏の『野蛮としてのイエ社会』などを連想する。その発想枠の源典には、丸山眞男氏の『日本の思想』や、最近都知事の小池氏の紹介で話題になった山本七平氏の『空気の研究』などもあげられるかもしれない。要は、敗戦を受けての反省から、ムラからでよ、という主体的・意志的なイデオロギー価値の提出へとつらなっていく系譜。ただトッド氏の見解が違うのは、これまでは日本の特殊性の主張に収斂していく閉鎖的な議論だったが、その我々の固有的な価値が、実はもっと大きな世界史的な文脈に通じていることを前提にしていることだろう。そこから、実践的な方策を考えていくにも、現状から出る、という個人主体を問題とするというよりも、他の家族類型からくる価値とのバランス、集団的な調整を趣向しやすい。それはだから、地政学的なリアル・ポリティクスと親近してくるようにみえる。トッド氏が、中国という共同体家族的な価値を中心とするアジア地域において、日本の核武装の必要性(バランス)を喚起させるのも、そのような地政学的な均衡=平和という、現実主義以外の発想をとり得ない学問的な枠組みがあるからだろう。そこが、双系制(≒核家族)を遡行的なユートピア=統制的理念として握持する、「世界史の構造」の柄谷氏とは違ってくるポイントだ。しかし、トッド氏も、文明的な共同体家族の価値イデオロギーに反動的にその地域に固有的な家族形成が発生してくるというのだから(母系制は父系的な価値への反動として出来するとされる――)、潜在的には、フロイト的な回帰理論、抑圧された心理の永続性、持続・反復性を認めているのである。おそらく、それを理論的には排除しているので、「反動」における動きを理念型的に捉えてみようとするような問題自体が発生してこないのだ。

     *****     *****     *****     *****

トッド 天皇家は、直系家族、つまり日本的な「イエ」とは異なる何かです。明治期の法制化で天皇家にも直系家族的な「男子長子相続」の原則が適用されましたが、本来の天皇家のあり方からすれば、あまりにも人工的な措置だったようにも見えます。
磯田 その通りです。天皇家が日本の家族システムと決定的に異なっている点がひとつあります。それは現在に至るまで、婿養子をとったことが一度もないのです。近世以降、日本の家族には二割五分から四割は婿養子が存在します。婿養子をとるのは血縁の継承よりも、家名の存続に重きを置いているからだと思います。…(略)…
トッド (世界的にみると)直系家族は血統が何代も長く続くことには重きを置いていません。血統よりも、プラグマティックに家業の継続性などのほうが重要だと考える傾向にあります。」(エマニュエル・トッド/磯田道史「日本の人口減少は「直系家族病」だ」『文芸春秋』2016・12月号)

↓↑

<双系制は、家の血のつながりから独立させる。このことは、柳田がいう固有信仰の特性とも関連する。固有信仰では、父系と母系は区別されず、いずれも先祖と見なされる。しかも、このことはたんに、両方を先祖にいれるにとどまらない。むしろ、先祖を血縁と無関係に考えることになる。たとえば、血のつながりがなくても、何らかの「縁」あるいは「愛」があれば、先祖とみなされる。逆にいうと、養子制度が一般に承認されたのも、このような先祖観があったからである。日本では「遠い親戚より近い他人」という考えが一般的である。それは、祖霊に関してもあてはまる。「近い他人」が先祖となりうるのだ。>(柄谷行人著『遊動論』 文春新書)


トッド 日本はドイツと同じ家族システムの国ですが、ひとつ違う点は、イトコ婚(イトコ同士の結婚)の存在です。ドイツのイトコ婚は、ほぼ皆無ですが、日本では歴史的に許容されてきました。第二次大戦直後でも婚姻全体のうち七・二%です。イトコ婚は同じ親族グループ内での結婚(内婚)なので、社会の閉鎖的・内向的な傾向を示すものと考えられています。…(略)…イスラム世界だとイトコ婚は三割ほどを占めるのに対して、ドイツのようにキリスト教文化圏は内婚を厳しく排除します。そう考えると日本の内婚率は、ユダヤ民族と同じくらいの割合ですね。…」(前掲書)

↓↑

<神が人を愛する、というような考えは、呪術や自然信仰から来ることはない。ゆえに、それは先祖信仰から来るというほかない。もちろん、先祖信仰がそのままで普遍宗教となりうるわけではない。そもそも、先祖信仰は限られた氏族の間でしか存立できない。国家社会は、多数の氏族神を超えた超越的な神を必要とする。神の超越化は同時に、祭祀・神官の地位を超越化する。神の超越性は、専制国家の成立とともにさらに強化され、世界帝国はその極に達して、「世界神」が生じる。
 だが、それが普遍宗教かといえば、そうではない。そこには「愛」が欠けている。つまり、神が人を愛する、および人が神を愛する、という関係が存在しない。セム族の宗教、すなわちユダヤ教にそれが存在するのは、そこに、先祖信仰が回復されているからだ。もちろん、それは先祖信仰のままではない。ここでは、先祖信仰がいわば”高次元”で回復されているのである。ゆえに、先祖信仰を否定すれば、普遍的になるというのは錯誤である。>(柄谷前掲書)


トッド …ヨーロッパでも日本におけるのと同じように、直系家族は、数世紀という長い時間をかけて、ゆっくりと定着していったのですが、知識や技術の伝承に長けている家族システムなので、これが広がる過程で社会が飛躍的に進歩します。直系家族とは、継続性と柔軟性を兼ね備えたダイナミックな社会なのです。
磯田 家を継ぐ長男以外は、外に出て仕事を見つけなければなりませんから、直系家族は、近代化に不可欠な工場や軍隊を作るのに、とてもマッチしています。
トッド ところが、直系家族がいったん完全に確立してしまうと、今度は社会全体が継続性だけを重視するようになり、やや「化石」化の傾向に陥りがちなのです。先ほどのスクラップ&ビルドが苦手という話を聞くと、磯田さんは直系家族にあまり肯定的ではないようですが?」


磯田 さらに興味深いのは、組織を守り続ける直系家族社会の中で、”破壊者”の役割を担ったのが、薩摩を中心とした西南日本の勢力だったことです。明治維新を引き起こした革新的エネルギーは、薩摩をはじめ、佐賀、長州、土佐といった中世的な様相を残していた地域から生まれました。
トッド 直系家族というシステムは、核家族がいわば進化した新しい形態なので、それよりも古い原初的な家族システムの残滓が、そうした地域に残っていた可能性もありますね。…(略)…日本の社会が、秩序を重んじる直系家族によって固定化してしまったとき、それを打開するために薩摩の人たちが、あるいは薩摩風の人たちが無秩序というか、フレキシビリティを発揮するのですね。それは直系家族より前に存在した、原初的でアルカイック(古風)な家族システムによるものかもしれません。 
 普段、日本人は非常に規律正しく礼節を重んじる民族ですが、と同時にもっと柔軟で、「自然人」とでも言うべき奔放な側面も併せ持っている気がします。同じ直系家族のドイツやスウェーデンで「自然人」を見つけようとしたら、もっともっと深く地層を掘り返さないといけない(笑)
磯田 なるほど。丸山真男が言うところの「古層」のようなものでしょうか。」

↓↑

<私の考えでは、柳田のいう固有信仰は、出自によって組織される以前の遊動民社会にもとづくものである。母系であれ、父系であれ、出自による集団の組織化は、定住段階に始まった、と考えられる。定住とともに、多数の他者との共存、さらに、不可避的に生じる蓄積、そして、それがもたらす社会的不平等や対立を、互酬的な縛りによって抑えるようになった。だから、そこには、愛があると同時に敵対があるのだ。
 ここから見ると、柳田国男のいう固有信仰の背景には、富と権力の不平等や葛藤がないような社会があった、と推定することができる。それは水田稲作農民の共同体ではなく、それ以前の遊動民の社会である。>(柄谷前掲書)



磯田 …普段は遠く離れて核家族で暮らしているのに、このときだけは日本人は直系家族としての意識を取り戻す。帰省ラッシュがなくなったら、日本の直系家族は消滅すると速水先生が言っていたことを思い出します。
トッド つい最近、日本で直系家族的価値観が今もなお保たれていることを実感した出来事があります。十月十二日に東京電力の施設で火災が発生したために、都内で大規模な停電がありましたね。その時、私はちょうど都内のホテルに滞在していましたが、避難する宿泊客たちの規律正しい姿に驚くと同時に、やっぱり、とも思いました。フランスだったら考えられない事態ですよ。これ
は”ゾンビ直系家族”と言っていいでしょう。家族構造がモダン化した核家族になっていても、直系家族の価値観はなくならない。江戸時代、そうしたイデオロギーはまだ発展途上でした。現在のほうがむしろ、より強くなっているのではないでしょうか。
磯田 もっと細かく見ていくと、私は最近、”ゾンビ万葉集”の可能性もあるのではないかと思っています。
トッド 万葉集? それは何年ごろのものですか?
磯田 七世紀から八世紀ですね。フランスだとフランク王国のメロヴィング朝のころでしょうか。
  なぜ万葉集かというと、直系家族から万葉集の時代のシステムに戻ったものがあるからです。その筆頭が、相続の仕方です。長男が総取りするという直系家族的原則がなくなりました。次に、結婚したら妻の親側の家に住むことが増えてきました。特に子どもが生まれてから移り住む人が多くなった。さらに、おおっぴらに婚前交渉をするようになった。万葉集のころは、日本史上、一番性愛に大らかだった時代ですから。
 一方、変わらなかったのは、親を養うという意識です。実際にそうするかどうかは別として、今でもアンケートをとると「親を養う」という直系家族的な考え方は意外と根強いです。あとは、子どもができたら結婚するという考え方。…」


トッド 核家族システムのフランスでは、親を養おうという意識なんて希薄ですよ。婚外子の存在も普通のことですし、片親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も二・0一にまで押し上げられています。日本では、直系家族の価値観が、ますます少子化を進めていると思います。歴史人口学者として言っておきますが、日本における最大の問題は、人口減少と少子化です。…(略)…移民をもっと受け入れるべきだとしても、根本的な解決にはなりません。今日の日本社会の最大の問題は、直系家族的な価値観が育児と仕事の両立をさまたげ、少子化を招いていることです。家族のことを家族にばかり任せるのではなく、出生率上昇のために国家が介入すべきです。政府が真っ先に取り組むべきは、経済対策よりも人口問題だと考えます。」

2016年11月11日金曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(2)

父から孫イツキへの墨絵<登り竜>

「Ⅰ ユーラシア」の「第4章 日本」の個所からのみ抜粋

原型的な……

「縄文時代末期のものと推定される墓穴の中の骸骨の遺伝子分析を用いた最近の研究は、日本の南西部の異なる二つの地域に位置する二つの共同体において、婚姻後の夫婦の居住は双処居住だったことを検証した。」

「喚起された唯一の地域多様性は、いずれも直系家族であるが、遺産相続の変異によってその様態が異なるというものにすぎなかった。男性長子相続は、息子がいない場合の娘による相続を妨げなかった。それは、前工業時代の人口条件の中で二○%の家族に見られた状況である。性別による相続の分析は、日本では養子を相続人とすることが頻繁に行なわれたことによって、込み入ったものとなっている。相続人を養子に取るという手法は、ヨーロッパでは排除されている。…(略)…養子縁組は、実際には、母方居住の入り婿婚を形式化したものであった。これによって、娘による遺産の継承が可能になるのである。養子となる者は、親族の中から選ばれるのではあるが、世帯主の親族から選ばれるのが義務ではなく、時として世帯主の妻の親族の中から選ばれた。父系親族しか養子として認めない朝鮮のシステムとは、非常にかけ離れている。…(略)…日本の標準型では、実際上、女性による相続が二○%に達するということになったわけである。それは<レベル1の父系制>に相当するということになる。」

東北の前提的な……

「日本の北東部で観察されるのは、中国風の父系制の度合いの強い父方居住共同体家族ではない。日本では、北東部でも南西部でも、家族モデルは、必要に応じて女性による財産の相続を許している。実際、いくつかの指標によると、女性の地位は、主要な島である本州の中心部よりも、狭い意味での北東を意味する「東北」で、時としてより高いことがあるように見える。それは日本における絶対長子制、すなわち、女子が最年長なら相続するというあの規則の地域である。彼女の夫は、婿として家族の一員となる(姉家督)。…(略)…それは、兄弟間の不平等の原則と、女性の地位が依然として無視できないという、二つの最も特徴的な直系家族的価値が、中央部よりもはるか北東部で顕著であるという、単純にして正当な理由から言えることである。世帯の目に見える構造を無視して、これらの変数だけに従うならば、北東部の家族はなお一層「直系家族的」であると考えられるだろう。」

「北東部のシステムは、容易に相互に相関しやすい他の特徴を示している。すなわち、父親の引退は早めであり、子どもの結婚年齢もやはり早めである。この慣行はもちろん、世代間の集住を容易にする。早期に引退した父親はまた、家を離れて、同じ囲い地の中の別に切り離された家屋に住むこともある。時には他の子どもも父親について行く。最終的には最も若年の息子が、父親の家を相続する。これが<隠居>の手順である。分離は別々の台所の開設にまで至ることがある。これは、厳密に言えば、人類学者なら二つの核家族があると知覚するはずの事態である。しかし、現地共同体と国家の見方を表現する住民登録簿(戸籍)は、この全体を一つの単位として定義する。跡取り息子が家長でありその代表者ということになる。また。このように次々に起こる核分裂によって出来た世帯の間には、やはりより強くより序列的な繫がりが見られるのである。」

関西前提的な……

「この貴族階級の成員たちによって残された数多くの日記の詳細な分析を行ったマックルーは、きわめて巨大なクランを組織・編成する父系原則と、男性配偶者の住居についての母方居住の優勢との共存を証明することができた。このシステムの中で、支配的なクランである藤原一族は、皇帝一族と連携して、独特の地位を占めていた。マックルーは、人類学における父系制と母方居住の組み合わせの希少性に言及している。とはいえ、…(略)…厳密に言うなら、このような婚姻後居住モデルは、おそらく母方居住屈折を伴う双処居住と定義されるべきものであろうが、しかし、父系原則を含むシステムとしては、それだけでも大したものである。…(略)…しばしば、母方居住的住居様態は、祖父である藤原の者が、自分の娘の息子である未来の皇帝を育てることを可能にしていた。シモーヌ・もクレールは、藤原クランに所属することは、宮廷での地位を獲得するための競争のグラウンドに入場することを許す一つの条件でしかなかったということを示した。藤原一族の中でも、継承規則に関して不明瞭さが支配していた皇帝一族の中でも、堅固な長子相続の原則は全く観察されない。
 一見して複雑なこの布置について、相対的に単純な解釈は可能である。父系原則の導入は、中国の威信によって可能になった。しかし、家族システムがまだ主要部分では双処居住的で、親族システムが双方的であったと考えられる日本の社会の中で、父系制は補償的母方居住反応を生み出した。風俗慣習に関して、女性によって頻繁に書かれた当時の日記を通して感じられるのは、両性の関係という面では均衡がとれているが、中国的父系原則と日本的双方基底との間のある種の二元性の作用を受けている、そうした文化である。この二元性は、文書の中に刻み込まれている。男性の行政文書は中国語で書かれたのに対し、女性の個人的文学は、日本語とカナで書かれたのである。それに、この時代の当初における、女帝の出現と中国との関係の再開とが、同じ時期に起ったというめぐり合わせにも、驚く他ない。」

関東での変移から……

「現在入手可能な歴史データが示すところでは、男性長子相続が本当に日本に、その貴族層の中に登場したのは、鎌倉時代後半になってから、すなわち、十三世紀末から十四世紀初頭までの時期においてであった。」「要するに直系家族の台頭は、中国と同様に、日本でも父方居住現象と女性のステータスの低下の始まりを伴ったわけである。日本は<レベル1の父系制>に達するが、その後、これを越えることはないだろう。親族用語は一般的特徴としては双方的なままである。」

「直系家族の台頭は、農業経済の稠密化と集約化の段階に相当する。十一世紀から十二世紀の大開拓の後、十三世紀半ばに、瀬戸内海沿岸では二毛作が出現する。米を収穫した後、穀物を栽培するわけであるが、これは土地を疲弊させるよりはむしろ豊沃にした。そしてまたしても、戦争は稠密化と直系家族を促進した。」

「長子相続は、京都の宮廷の権威をはねつけた戦士的貴族たちによって<関東>にもたらされたのである。家族の地理的分布が示す微妙な差が、このような仮説を確証してくれる。直系家族が、最も純粋な形態とは言えないまでも、絶対長子制や末子相続のような逸脱的要素をあまり含まない形で存在するのは、<関東>においてである。絶対長子制は、日本の北東部、<東北>の特徴であり、末子相続は、西部では数多くの例が見られるわけであるが。…(略)…本州の人口密度の高い部分の西と東の間の違いは、とはいえ、単線的な直系家族類型の中の微妙な差にすぎない。」

「日本北東部のケースの中に感じられると思われるのは、もともと存在した一時的双処同居を伴う核家族システムの上に、不平等という直系家族的概念が直接的に貼り付けられたということである。もともとの兄弟姉妹の夫婦家族を連合する双処居住集団の痕跡さえ知覚することができる。直系家族的な序列原則が兄弟間の関係の上に直接に取り付けられたようなのである。父親は早期に引退する。<本家・分家>集団の中では、同じ株から枝分かれした世帯間の付き合いが重要となる。娘が長子である場合、その娘を跡取りとする絶対長子制の規則は、それが存在するのであるなら、もともとの双処居住の痕跡に他ならない。先に記述されたような、分離した住居を伴う<隠居>は、核家族間の関係を組織していた柔軟なシステムの痕跡である。
 以上提案された解釈に従うなら、追加的な一時的同居を伴う直系家族は、日本北東部では、それほど必要としていなかった社会に直系家族的概念が輸入された結果であるということになる。」

沖縄から……

「理論面で重要なのは、またしても、接触前線上におけるように、母系制は父系制から、母方居住は父方居住制から生まれているということを確認することである。後にも本書中に、他の例から多数見出されるはずであるが、特に、沖縄島ではより平凡な形態の例が見られる。…(略)…またしても、母方居住制は父方居住制の輸入に対する反動と考えることができるのである。実際にそれ以前に存在した、おそらく双方的であったシステムは、姿を消したのだろう。この母方居住という分離的否定が起こった時期は、日本の権力下であったか、あるいはより早く、中国の影響下の時代においてなのかについて、仮説を立てるのは難しい。」

アイヌ人……

「私としてはアイヌ人の家族を一時的双処同居もしくは近接居住を伴う核家族のカテゴリーに入れるものである。ユーラシアの北東の果てに位置するというその位置取りからして、アイヌ人の家族は周縁部的かつ古代的と定義される。要するにそれは、双処居住集団に組み入れられた核家族を人類の起源的類型と考える本書の全般的仮説を検証するわけである。」

イトコ婚……

「日本の直系家族は、軽度の内婚傾斜を持つところが、ドイツや朝鮮の直系家族と区別される。」

※上のような、人類学的な客観的視点の正当性とその是非の程度と、差異(実感)の強度の具合を、柳田などの古典民俗学的な視点や、日本人としての私から内省してみること。あるいは文学を利用して、たとえば家族をあつかった中上の実践は、人類学的な客観からみてどう当てはまってくるのか、その作品の世界史的な意味、作家の実践的な企図はどのようなものになるのか? アキユキは、どんな価値交換をリュウゾウと果たしたことになるのか? 妹との禁忌、内婚、津島佑子の作品とう、とりあえず図式で追ってみること。絵解きすること。また、第Ⅱ巻のヨーロッパの文脈で、ドストエフスキーのカラマーゾフなどを読み直すとどうなるのだろうか?

・<父(権)>が降りたということが、ソ連の崩壊とともに、中上作品の意味としてその時期言及された。そして、共同体国家(家族)=共産圏が消滅して浮上したのは、本当の敵、自分を支配しているものは母親的なものだ、とも。中上は、血盟団事件(テロ)にかこつけて、「死のれ、死のれ、マザー、マザー」と主人公に歌わせはじめたわけだ。現在、プーチン、ドゥテルテ、トランプとか、父権的な見かけの政治家が出てきているが、実際には権威(象徴)で引っ張るというより、実務的な強引さで民衆をひきつけようとしている点で、女性的とも言える。空威張りより生きた実感を、と。そういう世界的な風潮が、共同体家族(ロシア)、直系家族(日本)、核家族(アメリカ)、という家族形態によってその風潮(思想・価値)の実質が変形されて継承(交換)されていく、ということだ。アメリカのトランプが勝ったのは、地方(田舎)においてである。日本でのトランプ現象と類似しているものは、大阪での橋本運動と、東京での小池運動という都心部においてである、と変移されている。生きた実感をという核家族的な反動が、本場のアメリカと違って、日本の地方では、結婚後でもなお母方居住なり父方居住という直系的な家族システムの歪曲形態の残存(双方的居住)がフィードバックとなっているからで、都心部に暮らす文字通りな<パパーママーボク>の核家族的な現実=苦しい生実感がまだ遮蔽されているからか? もし私が、長屋住まいのようなアパートではない居住地でイツキを育てなくてはならなかったら、どうなっていただろうか? 隣部屋の老夫婦や、大家さんが、子どもの面倒をみてくれて、イツキにも逃げ場がなかったら、どうなっていただろうか? 本当の核家族の価値を教育(価値交換)されてきているわけでもない若い夫婦には、とても残酷な社会として日本はあるだろう。母子家庭であるなら、なおさらなはずである。昨日も、パート従業員の母親を殺めてしまったらしい、16歳の高校男子が飛び降り自殺したという事件が、埼玉県は大宮市であったらしい。日本でのトランプ現象の本当の姿とは、こういうものかもしれない。核家族の孤立保障は、国家的な共同体の支援が社会的前提であるが、直系家族社会では、それはまさに家族(父親)自身に任されてしまうのが価値なのである。

2016年10月17日月曜日

<家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1)

歴史人口学者と紹介されるエマニュエル・トッド氏の『家族システムの起源』(藤原書店/石崎晴己監訳)を読み始めている。

思い浮かんだことをメモしながら、気になったところを引用していく。まとまった感想は、あとで整理する。

      *****     *****     *****     *****

「『第三惑星』の中で、私がこの二つの純粋核家族類型を定義したのは、演繹の実施によってだった。自由と権威、平等と不平等という二対の価値を掛け合わせると、共同体家族(権威的にして平等主義)、直系家族(権威主義的にして不平等主義)、平等主義核家族(自由主義的にして平等主義的)、絶対核家族(自由主義的にしてかつ平等主義的でない)という四つの区分に至る、というわけである。だから二つの純粋核家族カテゴリーは、ある種のピタゴラス的幻想の痕跡を残しているのである。…(略)…というのも、完璧に一貫性のある類型体系を先験的に定義するのは、不可能でもあれば無用でもあるのだ。なぜ今になって、人間精神の力の中に世界の現実性を探し求めるピタゴラス派ないしデカルト主義の呪術的宇宙へと退行しなければならないのか。実を言えば、類型体系とは、図面なり図式のような具合に、データを展示する便宜を提供するにしても、それ自体ではいかなる科学的有用性も持たないものである。それにとって外部的な、一つないし複数の他の変数との関係の中に置かれるのでなければ、興味を引くものではないのだ。」

・そう前作を反省しているわけだが、このピタゴラス的、構造主義的4類型は、柄谷氏の『世界史の構造』における4象限と重ね合わせることができる。
<パリ>とは、もちろん近代の思想基礎になる革命の理念が立ち上がったとさるところとして、である。地理的にはパリ盆地とかより具体的に限定されてくるのだが、ここではより抽象化して図式的に短絡化している。またもちろんトッド氏は、構造的に世界を把握してみせることから、「伝播」的な時間軸を基軸に据え始めたわけだから、この4象限は定型的なものから、座標軸的なものとして読まなければならない。交点をゼロとして、たとえば日本は直系家族の中にあってもどのような座標位置にあるかが、より特定指示されうるかもしれない。トッド氏はこの著作の中では、15の家族類型を提出しているので、その類型のグラデーションから、日本をより統制的理念の方向へ近づけるには、どんなベクトル強度でネーションと国家の2方向を強化していけばいいかの、実践的度合(バランス)が座標空間として把握できる、ということになる。実際、トッド氏は、前回ブログでの引用著書で、そのように、日本では国家の再導入の検討、自衛軍隊の強化を提言し、アメリカやロシアとの関係強化を示唆している。

「ユーラシアでは、父兄原則の出現は農耕の出現より大幅に後になる。」
「しばらくの間、狩猟採集民の原初的社会形態、ということはすなわち人類の原初的社会形態は、双方的な親族の絆によって組織編成された現地バンドの中に組み込まれた、一時的同居を伴う核家族であった、としておこう。…(略)…
 定住化は、農耕への移行と同じとすることはできない。…(略)…
 流動的なバンドに組み込まれた核家族という当初の仮定にたつなら、定住化がどのように、凝縮した、複合的な家族形態の出現をもたらすことになるかを、構想することが可能になる。そうした家族形態の中で、現地集団の上位レベルが、安定性と重要性を次第に帯びて行ったわけである。しかし定住化はまた、場合によっては、少なくとも居住という意味では、純然たる核家族の絶対的自立化を容認するものであった。
 稠密化の過程にあるシステムの中では、居住先家族の選択について固定した選好が姿を現すと、想像することができる。それが父親の家族なら、父系原則の出現へとつながり、母親の家族なら、母系原則の出現へとつながることになるが、ただし後者は、後に見るように、より稀に起こることである。ひとたび原則が確定すると、父系性もしくは母系性は、その厳密さそのものによって、家庭集団の追加的稠密化を促進して行く。」

・トッドの論考は、「定住」以後を目指すもの、経験的に限定するものである。そこでは、バタイユ的な、またフロイト的な、それ以前を思考しようとする狂気は含まれない、というか除かれる。柄谷氏の構造には、定住以前のもの、核家族(ファミリーロマンス)の内的現実が古いものとして周辺にとどまっているという歴史的考察だけではない、仮説的な飛躍が導入されている。それは死への欲動として回帰してくる、とされる。この伝播と構造の関連は、論理的には明確ではない。真の問題設定として成立しうるのかも、明解ではない。

・トッドの思考の型は、フーコーを連想させる。日本を憧憬したバルトとともに。要するにフーコーも、理性的なヨーロッパなどと学問世界ではいっているが、本当は(古代的には)ヨーロッパも日本と同じサルのセクシュアリティーが、双系制が、核家族が基礎なんだ、と言っていたのではなかったろうか? 父親なんか強くない、と。そんなのは上っ面だと。

2016年10月16日日曜日

教養雑感

「現下の歴史的転換は、経済に関する転換である前に、その基盤において家族、人口、宗教、教育に関する転換です。大学の優先的課題の一つは、大学が提示する課題、資金を投入する研究の中に、人類の人類学的要素、宗教、教育、芸術などの変容の内部に経済史を組みこむような経済史へのアプローチを再導入することであろうと思われます。審美主義でこんなことを言うのではありません。われわれ人類に起こることの多次元的な性質を知ることが切迫した必要となってきているから言うのです。」(エマニュエル・トッド著/堀茂樹訳 『問題は英国ではない、EUなのだ』 文春新書)

蓮實 一方で、今おっしゃったように、大学に学部というものが存在するのは世界的にかなり特殊なことなのです。もちろん、ドイツには学部が残っていますが、フランスには学部は存在しないし、そもそもアメリカの大学には、学部など存在していない。ハーバード大に唯一あるのはArt & Sciences の学部だけです。つまり、リベラルアーツ教育が大学の主流であるのですが、それが日本では受け入れられておらず、「あの子、法学部受かったんですって」みたいなことがまかり通っている。十八、十九のガキが自分は法学部に入ったなどと思うなと、私は言いたい。たんなる学校秀才でしかない若い男女が真のエリートへと変貌するには、数年間の知的な放蕩生活が必要なのです。本来専門分野は大学に入ってから選択するものでしょう。…(略)…
渡部 その場合、やはりアメリカ式で四年間リベラルアーツをみっちりやらせて、その後二年間ぐらい専門をやるというビジョンですか。
蓮實 そうです。社会に出るまでにそのくらいの年齢的な余裕があるべきでしょう。日本のように二十一、二歳で就職するなんていう国は他にありません。しかも、就職にあたって大学の学部教育に対する信頼は企業の方にまったくありませんから、三年が終わったぐらいの段階で採ってしまう。すると何が起こるか。途方もないミスマッチです。だから何年か経って会社を辞める人の数がずいぶん増えている。大学を卒業してすぐ入った会社で、「自分の未来はこれだ」と思ったとしたら、そいつはバカでしょう。自分の未来はもっともっと先で決めなければいけないはずなのに。それで良い人も半分ぐらいはいるかもしれないけれども、残り半分はそんなことでやっていけるわけがない。
渡部 将来をもっとゆっくり決めるというのは理想的だと思うんですが、社会がどうしてもそれを受け入れる方向に行かない。そこはどうしたらいいんでしょうか。
蓮實 それは社会が悪い、大学も悪いし、やはり日本はつぶれると思ったらいいんじゃないでしょうか。」(「「文学部不要論」の凡庸さについてお話しさせて頂きます」『文学界』2016/9月号)

トッド氏の考察に注目したのは、今から十年以上まえ、ちょう柄谷氏がはじめたNAMが解散を決めたころだったようにおもう。アート系のプロジェクトの会合だか飲み会で、ディドロを研究していた仏文学者の、今年『脱原発の哲学』を上梓することになる田口君に、この人の思考は面白い、と紹及したことがある。統計的な実証的・経験的方法は信用がおけない、というのがそのときの返答だった。それはそうなのだとしても、トッド氏の思考は、近経的なアプローチというよりも、やはり演繹抽象的なマルクスの発想に近いように思えるのである。しかし、トッド氏は、経験・実証的にわかるところ、目に見えるところで抑えて論じる、という節度を維持している。家族関係が原理的にすべてを動かしていると言っているのではなく、経済や宗教、国家といったものが別原理で関わりながら世界を動かしているだろう、ということは経験的に明白なので、その明白さの限りにおいて関わりを述べるだけだ。だから冒頭引用箇所の次では、氏は、自分の「知的姿勢」は「体系的ではないにせよ」と解説している。柄谷氏の「世界史の構造」は、家族(互酬)、経済(商品・資本)、国家(収奪・再配分)との関連は体系的に演繹(仮説)されているのが前提(原理)である。またそこから、両者の決定的な相違、柄谷氏のいう「高次元」を認めるか否か、理念するかいなか、つまりは経験からの飛躍を志向するかいなか、の思想的な個人的態度の有無が生じてくるだろう。トッド氏はおそらく学問態度的には、それを認めない。

ところで、その柄谷氏が『世界史の構造』を出版したとき、私は、それをトッド氏の論考に引きつけて論じている。( http://www.geocities.jp/si_garden/kansekaiko.html

トッド氏にとって「教育」とは、家族関係の進展に影響を及ぼす関数的な「変数」ということになろう。家族の骨格は変わらなく進んでいくとしても、その進行度合いや一時的な歪曲などが、とくには「高等教育」の普及度合いによって知れてくる、とされる。とくには、女性の識字率や進学率の高騰と、逆に男のそれの低下、または、中産階級者の「自殺率」などだ。

そうした統計的変数は、まったくひとごとではないな、とおもわざるをえない。
私の父は大学出だが、母はそうでない。おそらく、女房のほうもそうなのではないだろうか? そして、女房自身は高卒である(妹は進学しているが)。そして今のところ、イツキが大学まで勉強したいと思えるような雰囲気はない。これは階級的には、低落になろう。社会的には、活力の減退を意味してくるかもしれない。蓮實氏と渡部氏の「文学界」での対談は、そんな減衰を追認しているような話になるのかもしれない。が、自殺への衝迫を鬱として抱えこみはじめている世の空気のなかにあって、蓮實氏の久しぶりに聞いた辛辣な饒舌は、何か活力を奮起させてくれる叱咤激励として機能していくところがあるのかもしれない。私には、鬱屈のなかでも必死に読書していた学生の頃の自分が、ふと我に返ったような感じになった。

2016年9月20日火曜日

中学生の自殺(3)――教育と育成


<○○さんが伝えてくれた、「文学界」(2016.10)での柄谷VS高澤対談を、石原VS斉藤環対談とともに、昨日読んできました。
中上健次をめぐる柄谷対談から改めて確認したのは、なお私の「母殺し」の主題が続行している、ということですね。私の父も、最終的には父の審級から降りて、その降格過程で、本当の敵とは母だと気付いていくわけですが、その殺しの機会=歴史を、私一代ではつかめず、後退戦を選び、いま(というか数年前から)、一希とともに共同戦線を闘いはじめた、という感じですね。女房=母親と闘うことを通して、認知症と化した父を庇護しながらその自由を奪うグレート・マザーを、どうやったら仕留められるのか、ということを、最近の母系論議が再燃した天皇退位問題をにらみながら、身体的に実験している、という感じです。私(父)と息子と妻の間には、やはりエディプス・コンプレックス的な問題もあります。が、現代のいじめ問題を考察した『友だち地獄――「空気を読む」世代のサバイバル』(土井隆義著・ちくま新書)の作者の指摘にもあるように、今風の両親は、親というよりも友達に近く親しくなっているので、第三者的な仲介者としての相談相手になりえず(友達に迷惑をかけたくないと)、ゆえに悩みを内に抱えてしまう傾向があるのだと。私も、ある意味、父というよりは一希の友人に近い。はじめから、父になることを放棄しているところがある。が、一方、母(女房)が息子をなぐるとき、「子供もをなぐるなら俺がおまえをぶんなぐる」とその間に立ちはだかったこともあるように(今は戦略を変えていますが)、「父」であることの必要性を人為的に、知的に立ち上げている。そうしない と、母系的な母ー子の癒着に子が飲み込まれてしまうと認識しているからですね。他の家庭では、そういうことはありません。まったくの双系制よろしく、父親は黙って女房の尻にしかれるか、見て見ぬ振りですね。しかし、私が体を張って子を守ることで、息子は人間的には私の方を信用しています。が、自分の腹を痛めて産まれてきた子が母にとっては分身でもあるように、子にとって母は、やはり依存に吸い込まれやすい相手なのです。同時に、思春期にはいると、母が女として、その女をものしている相手の男として、対抗者としても父を見始めます。ゆえに、息子は、友人のように信頼できる父がライバルとしての男でもあるというエディプス的なダブルバインドに入ってきます。インテリとしての私がそこで模索する実践とは、母子癒着を断ち切る父としての審級=振舞いが、本当に必要なことなのか(文化的にも、人間的にも、あるいはどちらか一方においてなのか、両方ともになのか――)どうかを見極めること、そしてその癒着を断ち切るのは、父としての審級以外にはないのか、と探ること(あるいは逆に、太宰的なダメ父として逃走論的に振る舞うことに本当に実効性はあるのか?)、友人として女(=母)を奪うことをみせつけ、漱石「こころ」の先生のように、息子(K)を自殺に追い込む可能性は本当にあるのか、あるとしたらどれくらいの確率か、それとも必然的か、それともそんなことはないのか、――息子を、我が子を、どうやったらそのダブルバインドから解放させ、真に自由な存在として羽ばたかせていかせられるのか? そのことで、私は人間としての強さ、成人(カント的な啓蒙的意味での?)になれるのか? 私達は、天皇に依存することなく、真の自由主体としてどうやったら屹立できるのか? 権威(天皇)と権力(政治)を区別しておくというのは(象徴であれなんであれそれが天皇制ということだ――)本当に人類の智慧なのか? なおそれが有効なのか? 嘘っぱちなのか? 現憲法1条を憲法から削除することは(天皇家は否定しない)、本当に日本の国体を混乱に陥れるのか?


昨夜は、サッカー・クラブのコーチ会だったのですが、少子化を見込んで、この地区のいくつかの小学校の上級生5・6年生をひとつにまとめ、子供の因数を増やし、そこでレギュラー組と控え組を作って競争させればモチベーションもあがってチームが強くなって勝っていけるはず、頑張れない子はやめていくはず、とエリート優生主義=ナチスみたいな話にまとまっていきました。同じ団地に住み一希と同級生のいたコーチ(なお娘が5年にいる)と私だけがその話にのらなかったのですが(他5人は賛同)、それでやりたければやれば、というのがこちら側の態度。絵描き連中がいくら集まってもすぐ来季に今年以上に悲惨になってつぶれていくだろうから、こちらとしては理念の共有がはっきり区別できてすっきりして好都合。4年生までの中学年までで十分、そのうちそんなチームに進級したがる子は少なくな ってくるだろうから、いやもう再来年でも進級を望まなかったモチベーションが低いとされた余りものとされた子供たちで十分戦え勝つことができるようになるだろう。……と、石原くんの優生思想、相模原事件を起こした青年はDNA的にオカシイのではないかと、自身がその青年みたいなことを言う石原君の主張、またそれがいまの市民の空気なのかと、再確認されてきたのでした。小学校を合併して人数増やせば競争できて成績あがると合作する日本官僚人政策と同じですね。>

*こう友人にメール返答した三日後、試験勉強をめぐる口論中、イツキ突然と椅子に座っていた女房へ向かって走り出しタックルする。女房後ろにそっくり返って危うく後頭部打ちそうになる。パソコンに向かっていた私は無意識のうちに反射して、イツキを追う。イツキはベランダに逃げる。そのぐるぐる追いかけっこから逃げ場を失ったイツキのベランダから飛び降りる姿が思い浮かぶ。「なぐるんじゃないんだから、座りな」と、立てこもり犯人を説得する刑事になったよう。頭をなでながら、イツキの言い分をきき、文句を言いながらも好きなことだけママはしているのではなくその間もご飯をつくってたでしょ、とか、なんで勉強をするのかとかの話をしながら、息子の高ぶった気持ちを落ち着かせる。台所の食卓椅子に座り直しただろう女房は、反省しただろうか? ちょうど、身内間による殺人事件報道がつづいていた。ササイナコトからオトウトをコロシテしまってイタイにコマリバラバラニシタ、とか。子供も女房も、そうした事件が他人事ではないと自覚しただろうか?

*そんな事件の間、サッカー・コーチ間では、上位チームを作るとかいった案が、ヨイショしていたコーチの腰砕けによって中座するような、かけた梯子をはずしてしまうようなメールのやりとりがなされていた。チームを実質的に支えている私たち2名が参加しないと表明し、口先で操ることできないとわかったからだろう。そこで、以下のような論考を、コーチ間メールに投げかける。

     *****     *****     *****     *****

<鈴木です。(長くなります)
会議の件、私の理解では、少子化に向かうなかで一つのチームでは存立できなくなってくるので、その受け皿として○○地区での単体・独立チームを目指して、まず○五・六小のみで、そしてまずは来季その両5・6年生合同チームで(多人数になっても)やってみよう、ということだったとおもいます(○五・六各単体は4学年までのチームとして存続する)。ただそれへ向けてのチーム方針や理念的なところで、私や△△さんが違和感をもち、コーチ間でばらつきがある、というような体制だったと認識しています。その受け皿自体の立ち上げと、来季からやってみること自体には私は反対していません。むしろ、☆☆コーチが来る前に、「民主的にではなく、俺がやるぞ!」という軸となる人がいないと無理ですよと私は言っていました が、☆☆さんがまさにその意気込みを見せられたので、ならばやってもいいのではないか、やったほうがいいのではないか、と思い直し、それ自体への疑義は発しなかったと思います。また、大勢として、来季はそのFC○○の線で行こう!、という感じになって散会したようにおもったのですが…。ただ、あせることではないとおもいます。<


その帰り道、◇◇コーチと話したことは、ゆえに統合FC○○を認めた上での、それを超えたより一般的なサッカー・チーム方針や理念をめぐってのことでした。以下、その時言い足りなかったことを付け加えて、その私の説の論証とします。

(1)人数が増えて競争が発生し、選手のモチベーションがあがるということはない。――今年のユーロでも活躍したウェールズの人口は千葉県民ぐらい、北アイルランドにいたっては新宿区レベルです。それでもああした結果がでてくることは、その質、サッカーの理解度にあることを証明しているのではないか? 一希世代の多人数の内藤新宿、当初は競争的な切磋琢磨があったのですが、のちに先発Aチームと予備チームとにヒエラルキー的に安定し(しかも、ゲームへの自発的なモチベーションをあげるために子供・選手自体に先発メンバーを選ばせるというやり方自体がそれを誘発させた――)、それではいけないと中○コーチは都大会直前になってもその階層を崩そうと、大会当日にフォワードのキャプテンやサイドの子を下げ、結果いきなり先発した選手との間での連携ミスの失点から1回戦敗退、ということになったと私は分析しています。つまり、人数の多少とは関係なく、単にモチベーションをあげていくコーチの手腕が問われるだけです。多くなれば自動的に競争が発生し、それが良い結果に連なっていくことにはならないのは、私は人間的な現実だとおもっています。むしろそうした競争は、子どもたちの間に深刻な事態を引き起こすのです。

(2)オランダでは、1960年対後半、そうした制度から、いじめ問題が深刻化しました。オランダ人は、その原因を、近代国家によって導入された一斉集団授業という形式に問題があると原因特定しました。それゆえ、学校創立に自由を与え、生徒が一定数集まって場所もあると証明できれば、私立でも公立と同じく予算をだし、先生の給与全額を国が負担するという政策をとったのです。結果、ドイツはナチス政権下で弾圧されていた新しい教育理論を採用する人たちがあらわれ、一つの地区に色々な方針を実践する小学校が現れた。要約的にいえば、授業から「学習」という形態に移行し、それは近代以前の日本の寺小屋に近いです。教壇はもうなく、1から3年までが一緒の部屋 で勉強し、先生は個人の発達レベルにあわせた課題を与えて、定期的に、4人ぐらいのグループを作った机の間を見回ったり、床にすわっています。宿題を終えた子は廊下にでてもっと好きな勉強を一人ではじめたり、先生がレベルの高い自習問題をあたえます。そしてこの風潮は、なお数量的には主流にはならないとはいえ、EUを離脱したイギリスを除いて、ヨーロッパの理念的なメインストリームになっているといっていいとおもいます(最近の難民問題で次の課題に直面しはじめていますが)。なんで私がそんなことを知っているかというと、サッカーのクラブ活動だけで、トータルフットボールなどという、全員が一丸となって休まず走り通すモチベーションを育成することなどできないな、もっと子供が時間をすごす小学校に問題があるのではないかと、中野区の図書館程度でですが、調べたからです。しかし、一月前のTVフットブレインで、本田選手が、安倍総理に、サッカークラブだけ変えても日本代表は強くならない、学校の制度を変えていかなくては、と直談判したそうですね。私の勘では、まずオランダのチームへの移籍からはじめた本田選手は、そんな小学校の現状を当地で見たのだとおもいます。本田選手は、おそらく廃校間際の学校法人を買い取って、本田学園でもはじめるつもりなのでしょう。

(3)メンタル(モチベーション)だけが問題なのではない。――会議中、清水代表がスクール的なクラブチーム立ち上げ風潮の中で実質的に解散し、がいまの各年代表チームの成績不振を受けて 、そこに携わったコーチたちの話をきくインタビュー集などが刊行されはじめていると報告しました。高校部活動の名物コーチの言い分は、そんなプロあがりのスクール・コーチの態度はサラリーマンみたいなもので、自分たちはサッカーを知らなくても、家族を犠牲にするくらいまでの情熱で子供と向き合ってきた、その感化が清水に関わって来た子供たちを何人も日本代表へ送り出すということにつながっていったので、いまは逆に、テクニックはうまくなってもメンタル的に十分でない選手が育成されている、だからうまい選手が増えて一定のところまで昇っても、そこで突き当たって停滞するのは当初からわかっていたことだ、という事のようだと紹介しました。私は、そうした名物コーチの認識は正しいのだとおもっています。しかし、もうもどることはできない。そしてこの不可逆は、日本のサッカーの進展だと認識しています。ト○ボの◆◆コーチが新宿代表監督をやめて自らのチームを立ち上げたのも、いきなり6年から巧い子が集まってきても、サッカーとしてはどうにもならない、もっと低学年の時からめざすサッカーに向けて体系的に構築していく必要があると、たぶん、他の地区の進展に接して危機感をもったからでしょう。つまり、運動能力任せで伸び伸び任せなスポーツとしてサッカーがあるのではなく、集団スポーツとして、仲間との連携を作っていく知的作業としてあるのがサッカーの本質だということですね。素人ながら、日本はまだこのサッカー理解度、識字率のレベルが十分ではないのだとおもいます。メンタル云々以前です。◇◇さんとも野球を例にあげて話しましたが、野球では、6年生までに原則的な判断事項(法則)は、すべて教えますね。ワン・アウトでランナー1・3塁の場面、守備者は何を考えなくてはならないか? まず試合の流れからチーム方針を決める、前進守備で1点もやらないのか、中間守備で情況によってはゲッツーも取れるようにしておくのか、1点をあげても確実なワンアウトかゲッツー狙いで深い守備を内野手はとるのか、それに連動して外野手はタッチアップを確実にとれるように浅目なのか、2失点以上の失点は確実に防ぐことをメインに深めに守るのか。ランナーはその守備位置をみて、どういう打球ではゴーするのか、用心するのかの態度準備しておく。中学生以上 レベルなら、その守備位置から打者はピッチャーの配給を読む、プロレベルなら、わざとそう守備位置から読ませておいて逆をついて仕留めていくサインプレーを導入する。が、原則はすべて小学生時代に訓練させられるし、できることです。日本の代表レベルのサッカーをみていると、要は中継・連携プレーがなっていないので、外野を抜けたらみなホームランみたいな、カウンターでまず失点になってしまっている。プロだったらやってはいけないこと、ヨーロッパではありえないことが、まだ代表レベルでも平然と起きているのだ、というのが、スペインなどに育成チームに飛び込んで、向こうの生の情報をとってきている若いコーチたちが指摘していることです。おそらく、小学生の育生年代で、長友や内田選手でさえ、教わってこなかったのだと。一月前のNHK特集で、今治で試行錯誤する岡田元監督が発言していました。「日本では子供のときは自由にやらせて、中学・高校になってから教えていけばいいという風潮があるけど、逆だよ。小学生のとききちんと教えて、じゃあそれで自由にやってごらん、と中学・高校でやっていく、それが普通だよ。」◇◇さんも自分の経験を思い出したように、そういえば中学生になって野球を教わったことはないな、もう応用があるだけ、と。いまは野球も少子化で、体験的にやってローカル大会だけに出るチームと、昔ながらの方針でやっていくクラブチームとに二分されているようですが、サッカーもおそらくはそうなっていくでしょう。が、子供のサッカー(野球)と大人のサッカー(野球)があるわけではない。単に、サッカーや野球があるだけです。そして誰でもできるスポーツにすぎないので、実はそんな難易度は高くない。むしろ、スポーツの面白さは、そうした知的なところにあると思います。オシムじゃないけど、単に走って気持ちいい、のではなく、「考えて走れ」と。

(4)坪井健太郎著『サッカー新しい守備の教科書』(KANZEN)からの引用――<結論としては、育成年代で守備の練習時間が足りていません。日本サッカーの特徴とも言える、圧倒的なテクニックの反復練習と最近では攻撃戦術がレベルアップしてきましたが、守備の戦術とテクニックレベルのための練習がまだまだヨーロッパのレベルには追いついていません。特に小学生の低年代では、未だボール扱いのトレーニングばかりが行われています。まるでサッカーはボールを扱うことが目的で、ボール扱いさえよければ試合に勝てる、ボール扱いが優れている選手が素晴らしい選手である、といったサッカーの本質からはかけ離れた価値観があるようにも見て取れます。低年代で守備を教える必要はなく、それ は年齢が上がった時にやればよいと考えられているのかもしれません。>このスペイン育成にもたずさわる坪井氏は、『ジュニアサッカーを応援しよう 12歳までに身につけたい守備の基本』(VOL.41・2016)で、 相手キーパーの足元・手元にボールが 収まっている時の守備戦術を例としてあげ、結局キーパーにサイドへパントをあげさせてマイボールにしていく弱小チームの守備戦術を紹介し、 スペイン少年サッカーのレベルの高さを指摘し ているのですが、これは去年のFC○○でも実践できていたことです。新宿代表戦や最後ライオンズ杯の対○K戦 を見ていた人は、ビルドアップ時のパスコースをふさぐ組織的な守備連携で(マークではないですよ。マンツーマン・マークは強いチームにはすぐにはがされます――)何度もキーパーやセンターバックを困らせボールが直接タッチラインをわり、マイボールになっていったことに気づいたはずです。まず■■君にはほぼ年間毎試合、トップのプレスのかけ方を確認させ、その動きと間合いに他選手 が連動できるくらいの習性がついていたのです。坪井氏は、スペインでは結局バルサをどう抑えるかでまず弱小チームの戦術が進化していくのだ、それにどう対応するのかで動いていくのだと指摘していますが、こちらも、どうト○ボと張り合えるかのまずはコーチの中での緊張感で戦術思考が密になり、そうしたお互いのチーム間の切磋琢磨で、シ○スや戸○もレベルアップしていったと私は認識しています。そういう意味でも、やはり内藤代表をやめ(ある意味つぶし)、背水の陣の覚悟で自分のチームを立ち上げた◆◆コーチは、相当新宿サッカー界のレベルアップに貢献していると、私は認識しています。

(5)コーチライセンス取得者に配布される「Technical news vol/73」からの引用――

森山(U-16代表監督) ただ、今のサッカーに限らず若い世代の課題として、コーチに言われないとできないとか、やれと言われたことはできるけれども、そうではないことはできないなどがありますが、そういう部分はすごく物足りなく感じます。特に下の年代になればなるほど色濃くあるように思います。」
内山(U-19代表監督) リーグ戦もトレセンも携わってきた中で、懸念していることが一つあります。各チームがスタイルを持っているけれど、どこも結果重視ですね。(イビチャ・)オシムさんが「今日の結果を求めたら、明日の日本はなくなるぞ」と言っていました。リーグ戦をやっていくことはいいけれど、もう少しそれを司る全体観が必要だと思います。余裕を持った環境に整えてあげないと、たぶん良い選手は生まれません。毎週毎週戦って、選手のことに関わり、ましてや選手は18歳。サッカー以外の問題もあるし、プロとメンタルもまた異なる。そういうものを抱えて、「世界を勉強しろ」なんて言うのはなかなか難しい。結果を求められてくる雰囲気がすごく強い。この環境を解いてあげな いと難しいと思います。」 
手倉森(U-23代表監督) 今言われたように、本当に勝つことだけに行きがちかなと思っています。もちろん、プロのJリーグだから勝たなければいけないのですが、勝つための工夫ということに対して、少し幅が足りないのかなというふうに、客観的に今は見ています。…(略)…自分の中では勝つこともあるけれど育てなければいけないというのもあります。思い切ってこの選手を使ってみようというのがうまくいって、育てながら勝つことが究極だと思います。そういう幅のある指導者というのがなかなか出てこないですね。」/「自分であれば、勝つために育てなければいけない、育てれば勝てるという、このフレーズがあった方がいいのではないかと思います。今の社会では、監督だったらもう勝たな ければ駄目。勝っていればいい。けれど、あの監督、あの指導者は良い選手を育てるとか、こういう選手を育てるとか、そういうことが以前は多かったと思います。自分はそっちの方が格好良いと思いますね。」

(6)はらだみずき著作の、「サッカー・ボーイズ」五巻シリーズはご存知でしょうか? 半年前、サッカーの本なら読めるかと一希のために借りてきたのにやっぱり読まないので、自身で読んでみて面白いので一気に読んだのですが。これは、今の日本のサッカー界育成年代でどういう問題が発生し、その中で子供たちをふくめ大人たちもどう悩み実践しているか、よく取材をして書かれた思春期小説です。まずは小学生年代、運動部根性主義の古典的なコーチと、その同級生の池上理論を実践していくようなコーチとの対立を背景にしながら、どう子供たちがサッカーを作っていくかが描かれます(最初KANZENから出版されているので、池上理論に呼応して書かれたとおもいます)。とりあえず、一巻目は 、池上側に軍配があがります。が、中学生になって、部活動とクラブチームとの2項対立を背景にしながら、ほとんどが部活動チームにはいった主人公たちのもとに、先生コーチにかわって、さらなる筋金入りの、トレセンにも顔がきく名物鬼コーチが赴任してきます。同時に、転勤していく先生の薦めで池上理論コーチが、自分の息子とともに、中学の部活動にもたずさわってきます。モチベーションが様々な子供たちの雑居する部活動チームが、どう強豪クラブチームにはりあっていくのか、そのチーム作りの方針をめぐる子供たちを巻き込んだ展開をおっていくと、鬼コーチにすごい洞察と人生的な深さと理論があって、池上理論の正当性が一概にはいえなくなって、すごく複雑な現実の中で読者は考えさせられ るよう設定されています。もう10年以上もまえの作品なんですが、いわば新宿区界隈では、そうした現状が今遅れてやってきて、私たちがこの小説の主人公たちのように考えさせられるはめになっているわけです。新宿内藤の説明会開催の必要性にしろ、これまでそんな問題はなかったのです。ト○マ君、テ○、○っちゃんの3人しか6年になる子がない状況のなかでは、私的にト○マ君に声かけるだけで十分で、○っちゃんのまえで代表とは、と説明しても、どこか可笑しな事態になるだけです。学校単位の地域活動のクラブなのだから、サッカーというよりは単に体を丈夫にするために参加をはじめた親御さんだって多かったというか、それが説明するまでもない前提ですんでいた。が、この近辺でもスクールができてくると、自然そんなクラブチームも競争させられる。パパコーチも、いやでもプロあがりのスクールコーチと競争させらてくるわけです。そういう状況下でのセールスポイントは、私はこれまでの方針を押さえることだとおもっています。そして私個人は、サッカーの話に関連した他の領域の雑談で、子どもたちの関心をひく、というのも意識的にとっている態度です。これまでも、子どもが喧嘩し「なんで俺だけせめる」といえば 戦争の話をし、サッカーのスペースといえばコンピュータのDSのデジタル原理の話をします。グループ戦術を教えたいのだったら、君たちは祖先のおじいさんがマンモスと闘って勝って生き残ってきたその子孫なんだ、どうやって仕留めたかわかるか、とかの話から始めるでしょうね。学校の授業でも、印象に残るのは、先生の雑談だとおもいますので。そうやって、私は子供たちの視野を広げたい。>

中学生の自殺(2)

 
太宰の作品は、高校から大学に入ってくらいまで、よく読んでいたので、その『晩年』に入っていたという 「魚服記」も読んでいたのでしょうが、全く記憶になかったようです。今回読んでみて、何かを考えさせられていますね。ブログの「中学生の自殺」と結びついていくことなのかなおわかりませんが。一月前だかに、全国からの怪奇伝承を集めたのや(「山怪」)、3.11後の東北での霊事象を収集した大学院生の研究本(「霊性の震災学」)なども読んでいて、それをまず連想しました。「天狗の大木を伐り倒す音がめりめりと聞えたり」との太宰の報告は、いまでも山では聞こえてくるそうです。チェンソーの音でなんだそうですが、誰も作業していないのに。ただ、柳田の「遠野物語」の方からたどると、太宰の作品から始動しはじめた思考は、遠ざかっていくような。『晩年』という処女作を読み返したくなりましたね。
私が中学生のころは、むしろ三島由紀夫をよく読んだんですね。難しそうな漢字が多いのがよかったというのもあるのですが、今でも謎です。「豊穣の海」とかは学生か卒業後に読んだのだとおもうのですが、今でもその読んでるときの感じを思い起こすと、蓮實や浅田的にばっさり切リ捨てられない変な感じを呼び起せるんですね。逆に、太宰にはない。もしかして、太宰の方が知的に構成されているからなのかもしれません。この「魚服記」も、(1)風景紹介(遠)(2)場面導入(近)(3)主人公導入(4)蛇への変身譚民話挿入から、(5)「おめえ、なにしに生きでるば」という突然の変調と、そこからの幻想譚まじえての短い場面展開のつなぎには、やはり文学的・物語的なコードでは読み切れない不可解な論理がありますね。(5)の質問など、一希でも突然言いそうな怖い突っ込みですよ。そういう意味で、中学年代思春期に出てくるリアルさを掬い取ってる作品なんでしょうね。それが、性的な大人の生態的現実に触れて、知って、ここでの女の子は取り乱して”飛び込んで”、だけど明るく泳ぎ、しかしそこで、また淵へと「吸いこまれ」ていく選択をした。青森の女子中学生も電車への飛び込みですね。私がブログで書いたのもベランダからの飛び込みで。たしか漱石の「こころ」のK先生の自殺も飛び込みだったろう、と文字ずら分析したのがスガ氏やワタナベ氏だったような。
太宰のこの思春期にみられる垂直的なリアルさが、性(人生)的な次元においてだけでなく、もっと雑な事象でも分析・敷衍されるとき、ユニークなパースペクティブを開いてくれるでしょうか? もしかして、なんとなくブログで冒頭引用したSEALDsについての認識も、そこら辺に感応していたのかもしれません。


----- Original Message -----
From: ○○
To: SUZUKI
Date: 2016/9/8, Thu 22:56
Subject: 夏の終わりに


昨晩は菅原さんのブログの更新を拝読しながら、太宰治の「魚服記」を、坂口安吾が最も讃えた太宰作品を連想して帰り、自宅で朝刊『文學界』の広告を見てから寝て、今晩は19:40に会社を出て、三省堂に入り、20:00閉店までに最新号掲載の柄谷行人と高澤秀次氏による「中上健次と津島佑子」をめぐる対談を読み、高澤氏からの飛騨五郎氏への言及も目にしました。その他、ブログと対談との内容の重なり合う部分には今更、特に驚きもありません。
「魚服記」は『中上健次全集』や『坂口安吾全集』を読んだ大学すなわちNAMのころ以来の記憶かと思いますが、ページを開くとまさに13歳の少女の話です。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1563_9723.htm
この「中学生の自殺」から考えれば、三島由紀夫の腹切りなどはもちろん、ひたすら醜悪ですが、他方、太宰自身の入水は、むしろその系譜で美しくもありうるのではないか、という気が私にはしてきます。が、柄谷は決してそうは言わないでしょう。菅原さんと柄谷との違いが、<そこ>を語るか、でもあるでしょう。

2016年9月7日水曜日

中学生の自殺

「若いSEALDsがそれまでの左派リベラルの因習を知っていたとは思えず、したがって彼らは「国民」という言葉をそのままなんの抵抗もなく使っただけなのではないかと思う。しかしそれはSEALDsが、これまで堂々と「国民」を名乗ることのできなかった中途半端な「市民」、つまり「国民」であることを拒否した人々ではなく、サッカーの国際試合で熱狂して日の丸を振る多くの普通の国民に近い存在であることを示している。すでにSEALDsはあざらしと違って「何者でもない人々」ですらないのであった。」(野間易通「国民なめんな」/『3.11後の叛乱』 笠井潔・野間易通著 集英社新書)

夏休みももうじき終わるという頃になって、中学生の自殺の報道がつづいた。2学期目の開始をひかえたこの時期に多くなるのは、一般的だそうだ。
息子の一希と女房の、勉強をめぐるバトルも過激さを増してくる。塾に行って専門家に見てもらうようになれば女房も引くのかと期待したが、塾の批判をしはじめるようになって、検閲・監視はやまない。一希が消しゴムか何かを投げ、女房がひっぱたき返し、ベランダに逃げるイツキを追いかけ、2LDKの狭い中をぐるぐると回りはじめ、とイツキが裸足で外の廊下にでていく。「ふざけたことやってると、そのままベランダから飛び降りるよ。ここは、6階だからな」と、畳部屋で寝ころんで本を読んでいた私は、二人に何度となく跨がれ越されていたが、女房が一人取り残されたところで低くつぶやく。私には、まだ真剣さと遊びの区別が曖昧な息子の死骸が目に見えてくるようだった。「殺すぞ!」とドスをきかした女房の声が聞こえてくることもある。3.11以降、いまだこんなことで子供に挑んでいく親がいることが信じられない。しかも、その時代的な出来事を受けての、市民活動に参加していることがひとつの矜持にもなっているらしいのに。いったい、どう後悔するというのか? ばかばかしくも本当のことが起きてしまったら……。(サッカー部の他の家庭でも、宿題を終わらせていない子供と母親との間で、似たようなドタバタはあったようだ。)

夏休みの生活の感想書と印鑑証明の仕事が、そんなてんやわんやで、私の所へまわってきた。畳に寝ころびながら、さて何を先生に向けて書こうかなと考える。…

<・サッカー部活動の合宿には、父母共に、応援へ行ってきました。ゴール・キーパーからの掛け声のなかに、どう生きていくかの思想的な価値が出ているのには驚きました。
 ・勉強や宿題は、いつも母親と口論しながらやっています。その流れで、この感想も私―父親の所へまわってきたようです。そんな身近な難題を、平和的に解決していけるよう、勉強してもらえればと思います。そのためにも、もう少し文字に慣れて、読書してもらえたらなとおもいます。自身で選んで借りてきた、中学生の”家出戦争”の話は、面白かったようです。>

まだ幼児の頃は、異界がすぐ隣に存在してつきまとってくるような、強烈なおぞましさが死の意識としてあった。が、小学生も高学年になり、中学生にもなると、その死とともにある感覚が変わってくる。遠くなるのだが、逆に異界というより、リアルな感じになってくる。幼児は、存在自体が異界=死のようだが、少年となると、親とは別の人格として疎ましくなりながら、死を現実問題として突きつけてくる、といおうか。だから、具体的に、自らの意志で、どう死ぬかまでがイメージされてくるのだ。幼児なら事故死や誘拐への怯えだが、もう少年自らの主体で訴えこちらを身構えさせる怖さ。もし自ら死を選んだとしても、それはなお子供で死への恐怖が薄いとか、命の大切さに気付いていず軽んじているからだ、ということではない。ないのではないのか、と息子を見ていておもうのだ。むしろそうしてしまったら、”切腹”に近い。過ちを殿様にお詫びする、という儀礼のものではなく、自分の潔白を証明するために、自分を陥れた犯人の前で自らの内臓を広げてみせる、そんな本能的な論理としての行動である。命を軽んじているどころか、命をかけて、母親から逃げ回り、家出していくような。論理とは、有言実行のことだと数学者でもある小室直樹氏はいったが、まだ言葉では論理化できないので、不言実行してしまう果敢さ、無邪気さ……。

青森県で、いじめを苦にか自殺していった女の子の遺書は、どこか明るい。相手をうらんではいない、ただ自分の命をかけた行動によって、考え直してもらいたいと静かに訴えている。この子だけではなく、この年頃の子供たちには、そんな人間への純粋な願いを行動で示す筋道があるようである。

2016年8月19日金曜日

トータルフットボール、教育制度と戦術(3)

「それと、これはバクスターが話していたことですが、現代の日本人にそのまま当てはまるかどうかは別として、『日本人には腹切りの文化がある』と言うんです。ミスをしたときに腹を切ってお詫びする。そういう個人で背負ってしまう精神が日本人には根付いていると。だから、個人の責任、という重荷から解放されるために、みんなで寄ってたかって集団的に連動して守れるという感覚が前提にあれば、個々がリラックスしてプレーできるはずで、守備時においてもクリエイティブな発想も出てくる、それがまさにゾーンディフェンスの考え方の根底にあるものだと言うんです。」
 寄ってたかって集団的に連動して守る。一つのボールに対して密集して群がってボールを絡めとってしまう。それがマツダが描くゾーンディフェンスのイメージである。
「水族館でイワシの群がワッといっせいに動くでしょう? あの動きが理想なんですよ。その中心にあるのがボールです。」(『サッカー守備戦術の教科書 超ゾーンディフェンス論』 松田浩/鈴木廣浩著 KANZEN)

日本人が文化本性的に、集団性が強いかどうかには疑問がある。むしろ、個人的な勝手ばらばら観が強いために、集団的なイデオロギーが強くなって、その近代化過程での政策制度の習性的な残滓として、なおそれが機能しているところがある、とみておいた方がよいのではないかという気もする。内山節氏も指摘していたことだが、「徒然草」に顕れるような遁世にも連なる個人性が強くあって、ゆえにそれは死生観や虚無感に連なって目だつ意識ではなくなりがち、と。いまやっているオリンピック競技の、これまでの大会のメダル獲得種目を調べれば明瞭なのだが、それは個人競技で多く、集団競技ではほとんどメダルをとれていない。サッカーでも、イワシの群れのように動けるのは、ブラジルの方である。相手がミスを犯したとみるやの瞬間の攻守の切り替えの全体での速さなど、テレパシーのごとくである。だいぶ前のブログでも指摘したことだが、その言語以前のコミュニケーションが頑としてあるのは、なおブラジルに古典的な共同体が生きているからで、それは日本でも、年配の長屋住まい経験の職人世界では見受けられる素早さ、ためらいのない動きとして身体化されている、と。

対柏レイソル・ジュニアユース戦、キーパーを任されていた一希から、こんな叫び声があがる。「いまのは気にするな! みんな俺のせいにして切り替えろ!」、また点をとられて仲間同士でこそこそ嫌味をいいあっていると、「そんな言葉はいらねんだよ! バカなんて言ってるな! いる言葉を話せ!」……お盆休みにあった大会には、中学部活動チームで出場していたのは、一希の通う中学だけだったかもしれない。かといって、その中学が部活に熱心、というわけでもない。2週間以上の夏休みの間に、その大会だけに突如参加するので、まずすぐに疲れて走れない。U-14での出場だが、部員数少ないので、半分は13才の1年生。1試合目は20点近くとられたか? しかし2試合目の柏戦は、先生にはっぱをかけられたからというよりも、その試合で先発キーパーになった一希の体を張ったファインセーブが開始早々から発揮される場面が出てきたからだろう、それが感染し、みなが必死に走るようになって、競り合う場面がでてくるようになった。敵陣へもそれなりの頻度で攻め込んだ。最後、オフサイドになって立ち消えた幻のゴールも。1試合目のケガで出場できなくなったフォワードがいたら、その1点をもぎ取る場面もみられたかもしれない。もし、まさに冒頭の書籍にあるような、こちら4-4-2の守備法則のイロハをチームが知っていたら、1対4ぐらいまでつめられるな、と私は感じた。結局は、その形にある弱点をつかれる現象が発生してくるのだけど、それを防ぐためのケア、動きの鉄則に関して無知であることが、失点に直結しているのである。

が、ここで取り上げたいのは、一希の感動的な言葉だ。そのイントネーションは、その内容が思想的な価値として肉付けされていることを示していた。自己犠牲による集団性の喚起、その掛け声は、そういうことだろう。「え、そんな……」と、一希が「みなおれのせいにしろ」と叫んだとき、父兄の一人が声をふるわせた。私もその真剣さにびっくりしたが、私が、親が、そんなことを教えたろうか? 私たち夫婦の関係が、そんな価値観を伝染させているのだろうか? むしろ、二人で怒鳴り合って喧嘩してたのが多かったろうから、喚起されてくるのは個人の勝手、ということではないだろうか? 反動形成だろうか? それとも、学校の教育現場の影響だろうか? 集団スポーツをやってきたからだろうか? いやそういうことではなく、その価値は、一希が戦争や殺人事件の発生のことを理解できない、理解したがらない子どものままの感性と結びついているような気がする。私が、戦争の裏にある人間の現実、その事件の裏にある世俗的な思惑のようなものを指摘するとき、一希は、人間にはそんなことがあってはならないような表情をする。私の洞察では、すでに息子自身がそんな裏を作っていけるぐらい充分大人の智慧を働かせているのだから、自分を内省せずに気づけないだけなように認識できるのだけど、本当にそういう不純なものを嫌悪しているのがわかるので、深入りして教えるのは控えることになる。人間として自分でもやってしまうことを、あってはならないものとして否認してみせる……「やってしまうこと」をリアル・ポリティクスとして居直るとき、右思想となり、それを否認してみせるとき、左思想となり、「やってしまうこと」を否認せず直視し、なんとかしようとすることが、知的実践となる、ということだろうか?

とにかくも、一希の価値の出どころは判然としない。
以下は、そうしたことの一助となるかもしれない、引用文章。

     *****     *****     *****     *****

「しかしこのことは、学級が分業制から逸脱したことを意味する。パッケージとしての「学級」が担う機能は、分業制の下では制限され、教師の活動にもまた制約が課されるはずである。しかし、このような自覚がないままに、多様な活動が「学級」内に導入された。それはいうまでもなく、当時の人々が機能限定的な集団の意味を理解しえなかったことを物語っている。
 換言すればこのことは、「学級」が、あらゆる生活機能を包含した村落共同体の論理によって解釈されたことを示している。村落共同体が、生産機能、生活機能、政治機能、祭祀機能をすべて包含す…(略)…機能集団としての「学級」とは、子どもの生活の一部にすぎない。しかし、「学級」が生活共同体化すると、それが子どもの生活のすべてとなる。放課後も、帰宅しても、そしてまた夏休み中も、電話やメールで同級生とのつながりがそのまま継続するという現代の風景の出発点が、このようにして作られた。」(『<学級>の歴史』 柳治男著 講談社選書)

「一七世紀後半の綱吉政権の頃までは、城下町に徘徊する野犬などを捕えて食べる風習があったし、地方各地での鉄砲所持数も増加し続けていたが、このことは、農作物を荒らす鳥獣を捕え、その一部を食べていたことを示している。この頃に、犬などの愛護を内容とした「生類憐みの令」が出されたが、これは、中央政権(幕府)が人間の中での弱者(浮浪者、捨子)の保護や酒類の統制から、馬・犬・鳥獣対策までをも、多少の政策のゆれを伴いつつも、統一して規制してゆこうとする意図の象徴である。一七世紀後半の農民は、従来の大家族的な地方有力者の支配から小家族を単位に自立しようとしつつあった(「小農自立」)。このことは、こういう農民層の動向の前に動揺していた社会情勢への、中央政権の新たな対応・再建策であった。各藩も大体この時代に前後して、同様の政策をとりはじめていた。…(略)…文明開化期の肉食嫌悪の感情はよく知られているが、これら動物愛護の感情は、江戸初期からというよりは、綱吉政権の頃に一画期があり、幕末までにしだいに強化されてきた感情なのである。…(略)…
 なお、こういう共感の感情がもっとも生じやすいのは、人間そのものに対してであることは言うまでもない。したがって、これから考察するような、この時代の人々の有する使用人や子どもを殴りつけることを忌む感情は、「生類憐み」の感情ときわめて近接しているのである。」(『体罰の社会史』 江森一郎著 新曜社)

「『地教行法』のメリットの一つは、教育委員会の主張が弱くなって教育システムが効率化され、全国に同水準の教育を普及させやすくなったことだろう。昭和三○年頃の状況では、意味のあることであった。…(略)…『地教行法』は、「決められた教科書で、集団授業をやっていればいい」という安定世界を作った。ある枠の中でなら、学校は教員天国だったのである。積極的な教員たちは授業研究へと向かい、授業に磨きをかけた。
『地教行法』は、学校に五○年間の無風状態を作ったと思う。江戸時代に似ている。江戸幕府は権力ピラミッドを作り、対立をすべて押さえ込んだのである。たぶん、江戸時代が、現在となってみればそれなりの評価を受けるように、後世となると、『地教行法』も、独特の日本教育ができる下地となったと評価されるのではないかと思う。その日本独特の教育はまだ生まれていないものであるが。」(『変えよう! 日本の学校システム 教育に競争はいらない』 古山明男著 平凡社)

「まとめると、組織的には「学級」を単位にし、カリキュラム的には「全国一律」に学習指導要領をベースとする、日本型の平等主義的な教育制度がつくられていく、その起点となったのが一九五八年であった。
 次項で詳述するように、教育における五八年体制は長年にわたって日本の教育の基本であり続けたが、バブル崩壊が起きた一九九○年ごろに見直しが図られる。その基軸は「学力観の見直し」であり、これを政策ベースに落とし込んだのが「ゆとり教育」であった。しかし「ゆとり教育」の実現はうまくゆかず、教育における「失われた一○年」ともいうべき混迷状態に陥って現在に至っている。…(略)…
 そのエッセンスは、労働市場がフレキシブルになっていくことに対応した、「自己責任」・「自己選択」・「多様化」・「個性化」ということだ。総じていって、みんなで一つの方向を向いて競争することはあまりしないようにしよう、という流れである。…(略)…しかしながら、政治における五五年体制の崩壊がそうであったのと同様、教育における五八年体制の崩壊も、それに替わる新たなシステムの構築には至っていない。九○年代が、「失われた一○年」と言われるゆえんである。」(『学力幻想』 小玉重夫著 ちくま新書)

「1980年代以降、「マジ」や「ガチ」は長く冷笑されてきた。しかし、ポストモダニズムの懐疑論を引用して、「消費社会の時代」に影響力を強め、「引きこもりの時代」を通じていたるところに瀰漫した冷笑主義は過去のものといわざるをえない。「マジ」や「ガチ」を冷笑する態度こそ「ダサイ」というのは、最近の若者がしばしば口にするところだ。…(略)…過去20年代にわたる「デフレ不況の時代」の社会的・文化表象として注目されてきた引きこもりだが、いまや存在それ自体が危機に瀕している。引きこもるための個室が与えられているから、人は引きこもることができた。その個室とは引きこもり第一世代の場合、団塊世代の親が建てたマイホームの子供部屋だった。…(略)…
 SEALDsがリア充だとしても、「デフレ不況の時代」にオタクに対置されたリア充、しばしばヤンキーや意識高い系の属性として語られたそれとは次元が異なる。電気代が支払えなければ電気は停まる。電気が停まればパソコンは動かないし、二次元の世界に耽溺することもできない。たとえていえば、これがポスト「引きこもりの時代」のリア充だ。」(『3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs』 笠井潔/野間易通著 集英社新書)

「かく言う私も、自分の子供が、ものを頬張っている姿を直視することができなかった。この世に残していく我が子への情がまとわりついて、一瞬でも自分の覚悟を邪魔するのではないかという恐怖感があったからだ。
 しかし、その時がきたときに情が覚悟を邪魔することは一切なかった。
 だから、情が大きくなることを恐れる必要はない。…(略)…だから、平素から押し殺したり、ねじ伏せたり、目を背けなければならないというものなどはない。自分の心の奥深くにある本能を信じ、淡々と技を磨き、身体を錬え、心を整え、その時に備えておくだけでいい。
 私は、現在の日本に不満があるし、不甲斐なさも感じている。
 しかし、「あなたは日本に危機が訪れたらこの国を守りますか?」と聞かれれば、「守ります」と即答するし、なぜ守りたいのかと聞かれれば、「生まれた国だからです」「群れを守りたくなる本能が植えつけられているようなのです」と答えるだろう。
 ただし、だ。
 せっかく、一度しかない人生を捨ててまで守るのなら、守る対象にその価値があってほしいし、自分の納得のいく理念を追求する国家であってほしい。
 それは、満腹でもなお貪欲に食らい続けるような国家ではなく、肌の色や宗教と言わず、人と言わず、命あるものと言わず、森羅万象すべてのものと共存を目指し、自然の摂理を重んじる国家であってほしい。
 たった今も、生きていたいという本能と、この世に残していく者への情に悩み、技を磨き、身体を鍛錬し、心を整えている者がいる。
 本能がそうさせることではあるが、彼らが、自分の命を捧げるに値する、崇高な理想を目指す国家であってほしい。
 それは、この特異な本能を持って生まれてきてしまった者たちの、深く強い願いであり、尽きることのない祈りである。」(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』 伊藤祐靖著 文春新書)

2016年8月11日木曜日

トータルフットボール、教育制度と戦術(2)――都知事選結果・相模原事件を受けて

「オランダの小学校の光景です。

小学校の教室では、子どもたちはたいてい五~六人ずつのグループを作って勉強しています。もちろん授業中に先生が子どもたち全員に説明をする時間がありますが、授業時間全体の中に占める割合はそれほど多くありません。一人ひとりの子どもがそれぞれ違う課題をこなしている光景がよく見られます。いつもグループの席に座っているばかりではなく、教室の隅のコンピューターに向かっている子どももいれば、廊下に設けられた机で勉強している子どもももいます。先生は、黒板の前の教壇に立っているというよりも、グループごとの席に座って勉強している子どもたちの間を静かにゆっくりと回りながら、必要に応じて小声でアドバイスをしています。時々、子どもたちが自由に席を立って先生のところにやってきて質問をしたり、やり終えた課題を見せに来たりします。先生は、子どもの質問に答えたり、子どもが持ってきた課題の答えを点検しながら、よくわかっていない子どもには、教室の壁に備えられた棚に並ぶ様々な教材の中から、その子どもの学習情況に合ったものを取り出して、子どもたちが自分の力で理解するように助力しています。
 オランダの学校では子どもたちを椅子に縛りつけることがあまりありません。ほかの子どもの邪魔にならない限り、また、取り組んでいる学習のためである限り、子どもたちは自由に席を立ち、教室の各隅に用意された読書コーナー、コンピューターコーナー、ゲームコーナー、資料棚、などに行って課題をこなしています。
 課題を終えた子どもは、たとえば、教室の外の廊下やホールの明るい窓のそばなどで、その間の教科以外の追加学習に取り組んだリ、パズルやゲーム感覚でできるもっと挑戦的な課題に取り組んだリします。そのための、色彩豊かで、見ていて楽しくなるような教材が学校の備品としてふんだんに用意されています。
 子どもたちの身体の動きには、不必要な制限がありません。普通は、先生が説明をしている時以外はトイレに立っていくことも制限されていません。かといって何もせずにボーッとしていたり、おしゃべりに夢中になっている子どもがいるのではなく、どの子も授業の時間中一生懸命勉強しています。」(『オランダの個別教育はなぜ成功したのか』リヒテルズ直子著 平凡社)

サッカー番組フットブレインによると、本田選手は直々に安倍総理との会談を申し込んで、サッカーの育成の在り方だけでなく、日本の教育自体を変革する必要を訴えたそうだ。小手先ではなく、もっと根底から変えていかないと、日本のサッカーは世界で勝てない、通用しない、ということを、オランダの教育事情を見て認識したらしいのである。どんな内容を話したのかは明らかではないが、まずオランダのリーグからヨーロッパ遍歴をはじめた本田選手が、いくらメンタル的な強さを全面に出す発言が多いからといって、全体主義的な体制強化を直訴したわけではあるまいと、私は予測する。おそらく、とても無邪気に、安倍のナショナリズム思想を逆なでするような、自由思想の拷問的な実行を説いたのではないか? 私も、小学生の子どもたちの育成現場に関わり、トータルフットボールと表現されるようになったサッカー=ヨーロッパの現実への抵抗は、とてもサッカーの指導現場だけで対処できうるものではないと感じ始めていた。生まれたてでは同じはずなのに、なんでこうも違うサッカーが発生し、その差を埋めるのが困難なのか? 子どもたちが多くの時間をすごす、小学校の在り方がちがうのではないか? と、息子が中学にあがり、そこの運動会でいまだに集団行動なる競技が選択されている様を知って、向こうヨーロッパの教育事情を調べ始めてみたのである。そういうこの頃、本田選手が上のような動きをしたことを知って、論理的に物事を追いつめていけばたどり着く一端が一流選手にも共有されているということなので、独断ではないのだな、と心強くおもった。本田選手は、廃校化した学校法人を買い取って、本田学園でも作ろうというのだろう。が、やはり、強者のイメージ強い本田選手が、では弱者に対し、どうスタンスをとるのか、やはり心配になってくる。本人は、自身が弱いまま成りあがっていったことは自覚しているけれど、世のイメージからは憂慮もでる。安倍と話せる、と判断したのにも、安倍自身に、権力を動かせる強者を認識したからだろう。

そして、その安倍の流布させているイメージ、言説=思想のイメージを文字通り実践してしまうと、相模原の知的障碍者施設での19人以上の殺傷事件に行き着いてしまう、ということだ。『脱原発の哲学』を著した友人のブログにも、<国家の本音を忖度し、日本社会の差別的な心性を圧縮した「代行」としての犯罪であった>との認識があるが、私も同感である。が、その認識までで、だから対象を批判しうる「論理」を得たと、取って返すいわゆる左翼的な知的転回には反対である。差別される側、出自の者たちはそれで充分かもしれない。が、あくまで体制側の人間として育成されてきた私には、そんな程度の認識では不十分である。もっと突っ込んで認識したくなる。そうでなければ、私自身が見えない。
小池の当選は、その出馬表明をしたその在り方からも確実であった。私は友人へのメールでも、投票率が60%超えたら独走になるでしょうね、と書いていた。一緒に仕事をしてる団塊世代職人、消防団の団長さんなどは、舛添が辞任した時点で、小池さんが出たら圧勝だね、ともらしていた。この防衛大臣もした女性の当選を受けて、いわゆる左翼的な考えを自称する人たちは「絶望」したのだそうだが、こんな簡単自明なことに「絶望」してしまう人は、本当に「絶望」することはないのだろうと思わざるを得ない。私は選挙にいかなかった。鳥越氏など、まったく当てにならない、というのがその顔を見ての私の判断だった。心情的には、小池支持だった。しかしそれは、いわゆる左翼的批判でこの「心情」を射抜くことなど到底できないほど、歴史的に根深いものだと私にはわかっていた折込済みのものにすぎない。都知事など、舛添のままでよかったのだ。が、その弱者の追放に加担した者たちが、「弱者」として戦いを挑む小池の姿勢に共感し、そういう情勢・あり方を作ってしまった石原都議連に対し嫌悪を表明した。この選挙民の一見相反する立場の動きは、同じ心理のものであろう。経済学者の浜矩子氏は、「判官びいき」ということであって、庶民が何を基準に判断したのかは明確になった、そのことの結果はともかく、引き受けて考えていかなくてはならないことだ、とたまたま見たTVの討論番組で述べていた。私の立場もそういうことで、まさに、「判官びいき」という用語が念頭に浮かんだのも同じである。

「判官びいき」とは、不遇な人や弱者に対しひいきすることだが、そのとき、たとえ弱者側に非があったと論理・事実が明白であっても、まあまあそれはそうですけど…とその理屈是非を問わず容認してやることを孕んでいる。今風に言えば、反知性主義、とかになるだろう。

相模原の施設は、交通機関とも疎遠な、人里離れたところにある。私の弟も、以前、群馬の山奥にある知的障碍者施設に勤めていた。「あれは、子どもの捨て場だよ」というのが、弟が言っていたことである。まったく面会にこない親も多いという。拘束を嫌う者は夜半に脱走し、職員みなでの山狩りも珍しくない。もちろん、そんな施設に子どもをあずけられるのは、お金持ちだけだろう。普通の人は、自分がいつ殺人者になってもおかしくない緊張した生活の中を生きていかねばらないだろう。高齢となった自身との親との間でもそうなる。そして寝たきりの老人相手よりも、コミュニケーションが成立する障害者のほうがまだいい、というのが弟の経験らしい。
弱者を切り捨てておいて、それに同情すること。「判官びいき」とは、それゆえ自作自演ということになるが、問題がやっかいなのは、そうしたバランスとり、心理的な安定への必要が、自身が殺してしまうかもしれない、という庶民的実情、切迫さから由来している、ということだ。だから心理的な事実としては、自分では切り捨てられない弱者を切り捨てる決断を下すことのできた為政者に対する、アンビヴァレントな動き、ということだ。老人や子ども、障害者を施設に預けられる層は、単になお自民党なり、組織票として動けただろう。が、その数は、もはや多くなく、浮動層の増加とは、心理的バランスを人為的にとらないとやっていけない不安定層の増加、ということでもあるだろう。

物語論的には、「判官びいき」とは、貴種流離譚というストーリー元型の一つと結びついている。王ではなく、その王子、追い出された弱者のイメージをもつ皇太子への同情である。現天皇は、勇ましい歴史記憶をもつ昭和天皇の王子というイメージ、そして現皇太子などは、女房がマスコミに叩かれているイメージが強いので、なおさら世間から離されているというイメージが付きまとっているようにおもう。ならば、浮動層の心理的不安定は、天皇を主人公にすえたストーリーによって、より祭りごと=政治として自作自演=バランスを要求する可能性もある。それは、結果としては、どう転ぶかもわからない。私たちは、その歴史的な内実を把握する理論を、持てていない。相模原事件から現勢力の「代行」をみた田口氏は、アーレントの「全体主義の起源」を引用してくるけれど、それは外からの知的批判が精一杯で、庶民の心情を動かせる実践知に連なっていく態度とは思われない。むろん、心情とは遊離した知識は、それを共有する外との連帯にはなるだろう。が、沖縄の人たちが、こちらを支援するなら、本土人がまず真の独立を勝ち取るれるよう自身でやってみよ、それがそのままでこちらの気概と連帯した動きになるだろう、と冒頭引用著作者の一人は言われた、と言及していたが、そういうものだろうと私もおもう。

秋葉原事件、川崎事件、老人放り投げ事件、そして今回の相模原事件と(今度のは唖然としたけれど…)、私には他人事的に批判などできない。それは被害者の側ではなく、加害者の側として、ということだ。そしてこの加害者の動き=論理=アンビヴァレントが理解できなくて、どんな実践も空回りするか、独善的・強権的にやっていくほかないだろう。

2016年8月10日水曜日

クーデタ、「生前退位」報道の(2)

木村 だから本当にいま、安倍政権の暴走を防ぐ大きな存在として浮上しているのが、オバマ大統領も含むアメリカのリベラル勢力。あるいは内閣法制局や創価学会などの存在も指摘されています。そして一番、暴走を止める力があるのが天皇だという声が護憲反戦平和勢力の中から出ています。それはあまりにも他力本願であり、天皇の政治利用であるという批判もありますが、僕はそれがいまの安倍政権を止める一番大きな力であるならば、天皇の真意を一般国民にわかってもらうということはいま一番重要なことではないかなと考えています。」

白井 ここ最近の天皇皇后両陛下が出しているメッセージというのは、ほとんど僕は不穏ですらあると思っています。例えば山本太郎さんがいわゆる直訴状事件を起こしましたが、あのあとに両陛下が何をやったかというと、栃木県に私的旅行に出かけてらっしゃった。僕はニュースで、たまたまそれを知ったのですが、私的旅行で栃木県。何だろうと思って調べてみたら、足利市にある歴史資料館に行って、田中正造の直訴状を見ているのです。それを見るために出かけて行って、常設展示されているものではなく、わざわざ出してもらって見たらしいのですが、これはすごいことです。
 田中正造の直訴事件といいますが、正確には直訴未遂で取り押さえられて手紙は天皇に届いていないのです。ですから、両陛下は、田中正造が届けようとして届けられなかった手紙を一〇〇年ぐらいの時間を隔てて、わざわざ受け取りに行ったということなのです。…(略)…明らかにこれは原発問題に対するメッセージだと思います。要するに原発をこれ以上やるなどということは、いわば日本の民族の未来や日本の国土に対する裏切りである。そのようなことをしてはいけないということを言っていると僕は思います。
 さらに言えば、田中正造の直訴状を書いたのは幸徳秋水ですよ。幸徳秋水は大逆の男であって、明治レジームが不倶戴天の敵として抹殺した相手です。つまりこれは、ほとんど近代日本の体制を根本的に変革せよというメッセージだというふうに、本来、勤皇家であれば受け取るべきなのです。
鳩山 戦後レジームの脱却をおっしゃっているのは天皇陛下であるということですね。
白井 戦後レジームどころではないです。明治以来の近代日本レジームなのです。」(『誰がこの国を動かしているのか』鳩山友紀夫 白井聡 木村朗著/ 詩想社新書)

第二の玉音放送と、宮内庁番記者から喩えられていたという天皇陛下の「お気持ち」が表明された。すでに不意打ちではないはずなのだが、今回も宮内庁はそのビデオ・メッセージの件を前もっては了解せずという形式を保ち、NHKのスクープという私的流通のような形式を通して、予告された。「お気持ち」の公表あとでは、なぜ宮内庁が「否定」してきたかの経緯をにおわせる弁解が記事になっている(毎日新聞朝刊8/9)。それによれば、「内閣官房」とも「協議をしながら準備を進めた」とされている。私が忖度するに、宮内庁自らが音頭をとって陛下に協力しているとなると、まさに天皇の政治的利用という解釈が現実性をもってきてしまうので、侍従職側からの「関係者」というより私的な場所からのリーク、という形式を保持する必要があったのだろう。そういうことを、内閣官房がアドバイスしたとかあるのかもしれない。

天皇自らの「お気持ち」は、玉音放送が「人間宣言」を顕著な内容として提出されたとするなら、今回のそれも、天皇といえど歳をとり、老体となり、病気にもなり、疲れ、大変なんだ、と訴えているのだから、まさに第二の「人間宣言」と言える。庶民感情としては、だからかわいそう、楽してあげよう、そうなれば解決、とその場を思い過せばいいのだろうが、ちょっと「お気持ち」に考えをおよぼすだけで、そもそも身体を持った「人間」に、抽象化された「象徴」的な行為など可能なのか、と、天皇が人間を超えた悩みを抱え、それこそを国民に訴えていることがわかる。みなさん、私の身になって考えてくれ! と。私には、そうとう痛ましい「お気持ち」として受け止められた。また逆に、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と、天皇を神として信じようとした三島由紀夫がこのビデオをみたら、どう反応するのだろうか、と想像する。

が、私が今問題としたいのは、その内容ではない。あくまで、今回の件を発生させることに協力した、暗躍した人たちの世界のことである。それこそが、歴史を動かそうと企む現権力の縮図ともなろうから、いったいこの一連の動きはどういうカラクリでわれわれに仕掛けられているのか? NHKの会長は安倍自身が任命してるのだから、現総理の了解があったとしても、どこまで関与しているのか? 冒頭引用の著作者らによると、NHKは天皇には厳しいという。ならば、最後には「厳しい」仕打ちになっていくものとして、今回のスタートが利用されているのか? 佐藤優氏は、安倍側というよりも、女性天皇も容認する小泉側(皇后ー雅子ー元外務次官―外務省―侍従長)からの仕掛けと読んでいるようだが、ならば、なんで安倍ーNHK路線は、男系を支持し、原発=核を肯定する自分らと反する路線の動きを容認するのか? 小泉側からアメリカの重要人物が絡んできていて、黙認する以外なかったのか? 

私には謎のままである。
この件に関してやりとりした、友人とのメールの一つを引用しておく。

<確かに、天皇が認知症や身体病気で死に体になったときなどは、政治的利用は発生しやすいでしょうね。が、それは暗黙になされるほかはなく、現役でなお動けるときのそれ、誰の目にも明白な形でのそれとは、趣が変わってくるのではないでしょうか? 藤原や平家、江戸徳川やマッカーサー・アメリカの権威利用と、吉野南朝に連なるような天皇の主体性と関わる動きとは、同じ政治的利用でも、日本史の表裏で、もう別歴史になりますね。今回、もし天皇自らが意識的に現政治への抵抗性として言動を仕組んだとするなら、これは南朝的で、柄谷のいうような江戸=9条体制を自ら破棄してもっと打って出る、ということにならないでしょうか? どっちの日本史が表と裏で「おぞましい」のかは、まさに趣味によりますね。私は、なんともいえない。バサラな後醍醐天皇の可能性みたいなのも、浪漫的すぎて、本当はどうかあやしい。江戸的なものが「いやしい」とするなら、やはり「おぞましい」のは天 皇が主体的に動くときですね。アブジェクションが露呈してくるような。


が、佐藤優の分析によると、それは皇后ー雅子ー元外務次官の父ー外務省の方策、となるわけですね。が、アメリカ体制、安倍はそれを口先では嫌米で日本独立みたいな強気なこと言いながら実は従順になるというマッカーサー・徳川体制の強化ですから、もちろんそれも実質的には外務省が主導だったこれまでの歴史の延長なわけですから、矛盾してますね。今度の天皇側のリークを、「外務省のやりそうなことです」と佐藤は言うのだけれど、で、何をやりたいのでしょうか? 天皇が生前退位することとマッカーサー徳川体制が補完的により強く結びつく、という論理があるのでしょうか? 「外務省」と言うときは、単に、娘・息子かわいさから、という私情を超えて、なにか政治的意図、あるいは思想的意味合いがあるわけですね。女権になってもいいから、今の皇太子側の人選になることで、権力側がよりアメリカの言いなりになりやすい特典があるのでしょうか? まあ、小泉路線はそうで すね。ということは、脱原発も、アメリカの利益になっていく、原発推進派の安倍に好き勝手なことはさせない、日本に核武装などさせない、ということか? まあトランプが大統領になると、もっと日本を放任させていくことになりそうだけど、それは一時だけだ、というのが副島の見立てで、誰が大統領になっても歴史の勢い、戦争へ向けては変わらないと。でその場合の戦争では、日本は核なくして中国と闘え、ということでしょうが。で、漁夫の利ねらいということで。


私の今の感じでは、天皇の発言がなんであれ、それはやばい形式の夜明け、パンドラの箱を開けてしまうことになりかねない、という佐藤の危機感を共有しますね。柄谷も、もし天皇自身が、9条を実行します! と発言されてしまう事態を、自身の理論として肯定するのでしょうか? 1条と9条はセットな論理である、がそれは別だからセットなので、字義通り一人の人格によって実装されてしまうとき、もはやセットではなく、一体ですね。ライオンやトラのなかに動物という存在が露出されて実現されてしまう、つまり、金(きん)が金(かね)になるときとが、恐慌の現実性が構造的になったことの証しですね。今回の天皇の動きがそういうものなら、その良き意図を超えて、別次元のカテゴリーが発動されてしまう気がしますね。江戸体制で天皇が自ら動いたら、まさに動乱期の幕開けですね。柄谷理論の実現=自爆です。


----- Original Message -----
From:○○
To: SUZUKI MASAKI
Date: 2016/8/6, Sat 20:42
Subject: 政治利用を拒む政治意識


「天皇の政治利用」は、今後に現天皇が退位せずに寝たきりや認知症で公務ができない状態になったときは、おぞましくも必ずになされるに決まっています。昭和の終わりに、「自粛」ムードの中で朝日新聞神戸支局が赤報隊に襲撃され、本島等長崎市長が銃撃されたのと同様の事件が、不景気の「平成の終わり」ならもっと大々的に、むしろ国家が主導してなされ、学校教師を始め、私などがインターネットで僅かに天皇制批判を書くだけでも、天皇の名の下に殺されか拷問されるかする蓋然性は、小さくはないでしょう。学校への日の丸・君が代の強制も、昭和天皇が病床にあるときに始まったのですよ。物が言える状態ならば、天皇自身が「不快感」を表明したであろうに。靖国神社へのA級戦 犯合祀への「不快感」と同じく。我々は、「明治の終わりに」中上健次の故郷で起きた大逆事件が反復される危険をも恐れねばならないでしょう。父らのように「政治利用」されたくはないという「政治意識」ならば、それを天皇が持つことは、むしろ近代的でしょう。むろん、退位表明に伴う別な危険があるにせよ、退位しないままの危険、おぞましさはほぼ100%のものです。戦後憲法下で即位した最初の天皇に対し、ずっと欲求不満であったにちがいない右翼政治家たちにとって、物が言えない天皇ほど都合のよいものはありません。もう目に見えています。


私は、上記のことを今回都知事選挙とつながることとして考えてもいます。中学校の春の自分の卒業式の君が代斉唱を誰にも指導されず、相談せず拒んだ年の高校1年夏、細川護煕が首相になりました。新聞の選挙広報の最初の枠が確か日本新党で、細川護煕を上に飾って妙にソフトにのっぺりした顔写真が並んでいたのを見ました。小池百合子もそこに写っていたはずですが、その他お笑いみたいな新党が集まっている紙面にゲラゲラ笑った覚えがあります。その細川護煕が、大人達の熱狂の中、政治改革という名の下、小選挙区制を導入した時、政治家やメディア、熱狂する国民は頭がおかしいのだなと思いました。本当に意味がわかりませんでした。が、後から考えるに、昭和を生きて来た大人 達は、昭和天皇に代わる無責任人間をこの国の元首にしたいのだな、と理解しました。現天皇よりも、細川護煕、その後の小泉純一郎、安倍晋三の方が、昭和天皇とよく似ています、細川や安倍のあの何かを煮染めたごとき「昭和顔」からしても。小池百合子はその意味で細川や小泉の正統な後継者です。石破茂はやはり内閣を去りましたが。無責任の体系は「平成」が始まってすぐ、皇室とは別に形成されており、細川が首相となったその1993年の初めにはさらに、あかつき丸がフランスから東海村にプルトニウムを入港しても来たのでした。放射能は「千代に八千代に」続くのだから、仮に皇室がなくなっても、原発を「護る」ための無責任の体系は、ずっと続くでしょうか。

2016年7月17日日曜日

クーデタ、「生前退位」報道の

「広島・長崎の原爆投下を経験した日本は、敗戦後、アメリカ合衆国の「核の傘」に参入し、原発を保持、増設して「世界第三位の原子力大国」としての道を歩み続けてきた。また、その原子力産業から必然的に生まれ落ちた放射性廃棄物の「捨て場」に困った日本の政府は、太平洋に「核のごみ」を投棄しようとすら試みてきた…(略)…。一方、パラオの住民たちは、冷戦期の度重なる核実験の被害当事者として、原爆、原発、核廃棄物のすべてに対し、民主主義的な方法としての「住民投票」によってはっきりと拒否を表明してみせたのである。この明確なコントラストを通して明らかになるのは、元々は「核」の被害者であったはずの日本人が、アメリカ合衆国主導の核戦略体制の中で加害者の立場に方向転換していった、という歴史的経緯であり、しかもその核戦略体制の内側にとどまる限り、日本人の加害者性は常に既に発揮され続けるだろう、という将来的予測である。」(佐藤嘉幸・田口卓臣著『脱原発の哲学』 人文書院)

三日前の14日朝刊に、でかでかと「天皇陛下 「生前退位」」などとよくわからぬ見出しがのった。そりゃ死んでからは退位できないからな、と思いながら記事を読んでみると、まるきり”事実”がわからない。事実、と読んでいいものは、一面をめくって読み進めた終わりのほうに、「宮内庁は否定」とその次長の言葉が小さく紹介されているもののみ(「毎日新聞による)。じゃあ今まで読んできたのはなんだったのだ、と読み返してみると、「…意向を宮内庁関係者に示されてることが、政府関係者への取材で分かった」と書き出してある。何が「分かった」のか? 事実は、何も伝えていない。長々と伝えているのは、天皇の仕事はつかれるねえ、年取って大変なんだよ、というヒューマンな話である。そのために号外のような特集記事なのか? ……翌日の新聞では、「宮内庁関係者が…」となって、「関係者」でいいのなら、俺だってそれに値するかもしれないぞ、だいたい、いつそう言ったというのかもわからない、もちろん、「生前退位」などという四字熟語を天皇が使うはずがない、何年前にそんなようなことをもらしたことを、この今をとらえて、解釈としては事実になりうる逸話を流したのではないか?

ネット検索してみると、NHKが第一報道者だったようで、私がもった素朴な疑問を、他の識者も投げかけている。だとすると、なんのために? さらに翌日新聞、トルコで「クーデタ」とある。国営放送は占拠された。ふと、日本のこれも、そういうことなのではないか、という気がしてきた。改憲をにらんで勝利した政権側が、本当に民心を掌握しているのか不安なので、それを確認、確実にするために、クーデタを企てたのではないか、と。実際、このNHKに先駆けだか抜け駆けだかされて、各社簡単に「事実」の裏をとることもなく踊らされた、ということではないか? 第一次クーデタ、成功なんではないか? 天皇側の動き、国民の沈黙の質、マスコミの流れ、次の作戦を練れる情報はとれ、さらに、また何事もなかったかのように、「事実」を糾弾しようにもマスメディア自体が不用意に乗っかってしまったのだから追求の体裁もとれず、次の手を地道に打っていく時間が与えられている。「本気で改憲する気なのか?」、その疑いが強くなる。宮内庁を信用していない天皇自身側が、そこを飛ばして意向をリークさせるなどという真逆の想定は、現天皇の人格をみると、考えにくい。だから、私は、政権側からのしかけだ、とおもう。ということは、現天皇を退位させてやりたい、そのヒューマンな思いやりにかこつけて、しかけたいことがある、ということか?

元総理森氏、オリンピック選手が君が代を大きな声で歌わないことに釘をさすように苦言を呈したようだ。静かに黙想して試合前の集中に備えさすようなメロディーだろうし、そういう選手がいることはアスリートとして不思議ではない。オペラのように君が代歌ったら、それこそ不謹慎だろう。が、誰も文句の声をあげていないようだ。が、シラケてはいるだろう。一希の中学でも、その運動会、けが人がでるからと組体操はやめて「集団行動」をやるのだという。もうそういうのに適さないほど軟弱になったから体操もできなくなっているというのに、方針だけが形骸的に維持されてゆこうとする。公開学習での「道徳」の授業になると、お母さん方はみな帰っていくそうだ。そんなシラケ、もう日本は実質的には北朝鮮のようにはなりえない、と気づいているはずなのに、認めたくないのか? いや、まだ民心を掌握できる、立て直せる、その道筋、シナリオは通せる、操作できると睨んでのクーデタなのだろう。

「憲法の無意識」を説く柄谷氏によれば、天皇の象徴性を担保する憲法1条と、戦争放棄の9条はセットであるという。ならば、9条をかえるために、1条を動かそうというのではないか? 1条の実質を憲法を変えずに変質できれば、9条の実質も変えられるという論理回路があるのかもしれない。あるいは、本当に、そこまで変える、からめ手としてはあまりに直結的な1条の変更で国民の関心をそっちにひきつけ、自然9条も自動的に変更されていくようなセットな論理が、あるのだろうか? 柄谷氏によれば、9条を条文化した日本には、戦争放棄をさせていく「世界史的使命」があるのだという。それは、原爆落とされた被害者としての訴えの延長にあるようなものではあるまい。やはり、佐藤・田口氏らが説く「加害者」としての自覚から、世界へと訴ええる説得の論理、道筋を見出し作っていかなくては、誰もそんなご都合主義な話をききやしないだろう。原発輸出していながら、自分は戦争に加担しませんということか、経済だめになってきたから、軍事費には金だしたくないということか、と世俗的に理解されてしまうだけだろう。ならばやはり、「被害」と「加害」を結ぶセットな論理が、見出されていなくてはならない。

現アベ政権は、それに似た論理、道筋を、手にしているということだろうか? そのシナリオどおりなクーデタが、敢行され始めた、ということだろうか? 日本人には禁断の手であった、天皇を政治的に利用できるという、「元首」化への道。自民憲法案。(……植草一秀氏がいうように、都知事選のために、そんな禁じ手をしたというなら、それこそ噴飯ものだ。)その、第一手かもしれない報道リークをやった「政治的関係者」は、戦犯者だが、国民は、黙っていてよいのか?

*安倍政権とは対立的な自民党内の動き、という見方もあるようである。

トータルフットボール、教育制度と戦術

「その日は、夜になっても、マンションの中庭の桜にとまった蝉が、鳴き止まなかった。午後八時を過ぎ、やがて九時になっても、外灯が明るいせいなのか、蝉は鳴き続けた。遼介はその蝉の鳴き声を聞きながら、オッサの言葉を思い出していた。
――蝉はいいよな。あんなふうに自由に叫べてさ。おれも……、蝉になりてえよ。
 ぼんやりと、ベッドに横になって天井を見つめていた。そんなことが自分の周りで起きていたのかと思った。なにも知らなかったし、知ろうとしなかった自分が嫌になった。和樹の話を聞いたときに、もっと手を打つべきことはあったような気がした。
 木暮に言われた言葉を思い出していた。
「キャプテンとして、気づいているこのチームの問題点を書き出してきてくれ」
 自分はなにも気づいていなかった。
 おれたちは、チームメイトのはずなのに。」(はらだみずき著『サッカーボーイズ 14歳 蝉時雨のグランド』 角川書店)

もうすぐ13歳になる息子の一希が、なかなか本を読むようにならないので、図書館での推薦図書にもなっていた、はらだみずき氏の「サッカーボーイズ」を借りてくる。小学生向けのサッカー選手自伝しか読まないよりは、まだこっちのほうがましだろうと。が、漢字が多いらしく、あっというまに流し読みがおわってしまう。「要は、弱いチームが強いチームに勝っていくんでしょ、よくある話だよ」あらすじも知らなかった私としては、「話だけじゃなくて、実際におまえがいたチームは、そうやって勝っていったろう? こっちとの対戦試合で、風邪で休んだから、おまえが代表に行っている間のチーム成長がみれなかっただけだ。危うくおまえら代表が負けるところだったんだけど…」と、息子にそのシラケた思い込みの誤りをわからせることができなかったことを歯がゆくおもい黙ってしまう。私が小学生のときを振り返っても、特別に勝ちにこだわる真剣さなどまだなかったし、その姿勢を、父親が黙って忍耐していたと今思い起こすことができた。そして中学生になっても、そんな一希の発言に伺えるような冷めた自意識、現実とお話しの世界とは違うものだという自意識など、私は発生させてはいなかった。もっと愚直に、自分の世界に没頭した野球バカになっていった。だから、読まずに返すのはもったいないと手にしてから、はらだ氏の「サッカーボーイズ」シリーズの読書にのめり込みながら、私は、自身の小学6年から中学卒業までの出来事をストーリに重ね合わせながら振り返ることになった。

たしかに、「自分はなにも気づいていなかった」。後輩から同級生まで、野球部員は暴力団に金を供与するよう脅されていて、資金源みたいになっていたこと。そういう外の現実との関係に葛藤しながら、「チームメート」が中学野球をしていたこと。そういう関連のなかで、先輩―後輩のいじめというか犯罪につながるような暴力があったこと。そして純粋に野球を追求していた「キャプテン」の私には、迷惑がかからないようその情報は遮断されていたこと。高校に入って、だから私には一気にその外の空気が入ってきたのだ。佐藤優氏は、浦和高校は外務省のようだった、と振り返る発言をしているが、私が感得したのも、そんなものだ。進学校にあったそれは、中学生の時代のものとは中身は違う。しかし自分が知らないものの間でみんなが生きてきた、現にそうやって生きていることを感じ知ったことの衝撃と動揺は、私を引き籠らせた。私にはその空気がイヤであって、それを世間と捉えはじめたとき、この世界で生きるのが嫌になる。以来27歳ぐらいまで、それに慣れるのに時間が必要だったことになる。そして慣れても、それに適応的に埋没していることではないだろう。むしろ敵対する、抵抗しながらやり過ごしていく内面的な術と、知的な、思考の対応の自分用の型が形成されてきたということだろう。結局はなお、私は中学生時代のように、自分の世界に没頭して生きているのである。その没頭が、それを守るためにも、技術的に、戦術的になっただけだ。

すでに一希の中学のクラス、学年でも、不登校の子供たち、「引きこもり」と言われえる子供たちが何人か出始めているという。小学卒業まで、よく遊びにいっていた家の子もそうだというので、「どうしてだろうね?」と一希に問うてみると、「それが俺にもまるきりわからないんだよ」と言う。私は、嘘だと洞察している。一希は、自分が「空気」に同調し乗っかているほうの人間なので、その理由を突き詰めたくない立場、みなとの関係を維持したいのだ。見て見ない振りだ。もちろん、引きこもった子供のその理由を詮索しても、しょうもないことである。一定の割合で、そういう子供たちはでることだろう。が、その割合は決して低くない。だとしたら、それはなぜなのか、と問うと同時に、子供の内面に問うことなく、物理的に対処する方策を練らなければならない。

はらだみずき氏の「サッカーボーイズ」シリーズ、主人公たち13歳から15歳までの全4巻になる作品が面白いのは、単に子供たちの内面的なロマンを追ったストーリ作りというよりも、よく小学生や中学生のクラブ事情を取材し、その外的な事実関連、現実との間でどう今の子供たちが葛藤していくのかのが、典型的な配置で提示されていることであろう。小学生クラブでの、コーチ間の方針葛藤などの小説背景逸話などを読んでいると、まさに私がいるクラブでの、コーチ同士のやりとりのようである。運動部根性的な勝利至上主義か、子供の自由を尊重する池上正主義か――小学生年代では、後者に軍配があがったようにみえる。が、クラブチームと、中学の部活動という分断された制度現実のなかで、その両立場のあり方が、そんな単純な構図にはあてはまらない、複雑な文脈において出現していることが提出される。子供の自由闊達なサッカーとしてオランダのトータルフットボールが小学年代では理念的に参照されたが、なんでその理想を挫折させて現実路線がフィードバックされる必要があるのか、部活あがりの鬼コーチの逸話をとおして説得される。物語を通して、日本の、日本での子供たちのサッカーの在り方が検討追求されていっている観がある。

一つの定位置に拘束されない、みんなで守ってみんなで攻める、アイデアあふれた自由闊達なトータルフットボール……しかしこのトータルさは、自然にはでてこない。各自の運動量が過酷に増加するので、生半端なモチベーションでは成立しない。つまり、相当洗練された人為で動機形成がなされているのだ。夏の暑い中、ひたすらボール(獲物)へのアプローチをこまめに反復するなど、ライオンはしない。日陰での昼寝、体力温存が自然である。子供だってそうだ、ということが、子供の自由さを理想視するコーチ陣にはみえない。だから理想どおりいかないと、反動化するか、それも自由と自己弁解、理論放棄するようになる。しかし、なんでオランダでは、それが成立し、いまやヨーロッパでは普及しているのか? 今回のユーロ大会から見えるのは、それが決して子供の量、
サッカーをする人数が多ければそれだけ能力のある子もそこに集まるので、走れるようになる、という統計的な現実ではないということだ。善戦したアイスランドの国民人口数は35万人ほど、ウェールズや北アイルランドなども700万ほどだというから、千葉県代表といった人口密度だろう。そこからして、日本が勝てなくなってきた理由は、少子化ということではない。サッカーに対する理解度と動機の質だ。私には、それがサッカーだけで、そのクラブ活動を通してだけで形成されてくるとは思えなかった。文化の違いや、民衆自身の革命のあるなしの違い、という理由は抽象的すぎる。

オランダの小学校は、1970年ころに顕著になってきたいじめ問題を深刻に考えて、教育制度の改革をおこなってきたのだそうだ。一人の先生が教壇に立って、大勢の生徒が個人用の勉強机を前に先生の方を向いている、そうした集団一斉授業という形式に問題があると分析・認識し、自習やグループ学習の組み合わせがメインとなっていくようになったという。写真をみると、先生は床に座っていたりするのだが、先生の自己検証チェックリストなるものをみると、なんだかサッカーのボランチの動きができているかどうかが問われているようだ。日本人がみたら、静かな学級崩壊がおこっているのではないかと勘違いしそうだ。しかもそんな学校が自由に設立でき、私立でも公立と同じ補助金額が支援されるという。教材も、バラエティーに用意されているという。だから、子供は近所にも小学校が色々あったりするので、自分にあうものを選択できるのだという。年齢なり学年なりが違う子や、いわゆる障害のある子も一緒に学習するようになってきているという。そして、受験がない。子供たち一人一人を生き生きさせる工夫が制度化されている。そんな風潮は、イギリスが相変わらずな古典的様式の傾向があるとしても、ヨーロッパ全般に受け入れられた方向性であるらしい。

もちろん、昨今の急激な移民増加の現実は、そうした制度を突き崩しているのかもしれない。アフリカの戦争現実に巻き込まれた子供は、もう大人に対して「はい」しか言わなくなっているという。寛容的な教育の先端にいるオランダが、今回ユーロ大会に予選落ちしたのには、次なる現実が覆いかぶさってきていることと関係があるのかもしれない。
しかし日本は、それ以前だ。受験に集約された集団一斉授業しかないのであれば、一定の相当な割合で、それが嫌な子は出続ける。フリースクールといえど、支援もなく、結局は受験の基準に追いやられる。一人一人の個人的な動機付けなど、持てる余地がない。なんで、自分は勉強するのか? なんでサッカーをするのか? その自分に納得のいく動機付けを持たせるには、その個人に即した成長スピードを認めてやらなくてはならない。その差異の、個人の尊重だけが、自分が生かされているという全体への尊重へと、つまりは他者への尊敬へと通じている。その回路が、100人の力を100%ではなく、120%にするのだ。トータルフットボールとは、そうした複雑な回路の総合力のことだろう。だからそれはくまで、個人の私的な世界没頭が礎になっている。だからこそ、この世界に対する関係が、戦術的になる。

2016年6月9日木曜日

育成と日本――サッカー協会「Technical news」より

「 ハイレベルな選手が自動的にハイレベルな環境へと引き上げられる育成システムをもつスペインでは、指導者の役割は日本とは大きく異なっています。彼らの目的は、1年ごとにチームとしての結果を残すことであり、個々の選手を”化けさせる”ことではありません。
 たとえば、「メッシを(上のカテゴリーに)飛び級で引き上げた」と紹介される指導者はいても、「メッシを育てた」と紹介される指導者は現れません。…(略)…
 対照的に、日本では「才能を発掘した」と紹介される指導者よりも、「育てた」と言われる指導者のほうが圧倒的に多く存在します。選手たちには「恩師」と慕う指導者がいて、「あの人に教えてもらったからこそ」と育成年代を振り返ることがきわめて多い。つまり日本には、育成年代の指導によって選手を”化けさせている”指導者が存在するのです。」(村松尚登著『サッカー上達の科学』 講談社ブルーパック)

小学生サッカー・チームのコーチをやるということで、サッカー協会指定のD級ライセンスなるものを取得していると、定期的に、「Technical news」なるものが送付されてくる。今回vol.73は、JFAの新会長に就任した田嶋幸三氏が、「育成日本復活」なる標語を掲げているので、各年代別の代表監督の対談などが収められている。まずは、田嶋氏の挨拶から引用を列記していく。

「FIFA U-20ワールドカップの4大会連続不出場、すばらしいサッカーを展開し世界でも認められてきたU-17日本代表(U-16日本代表/当時)が残念ながらアジア予選で敗れたことなどもあり、あらためて日本サッカーを立て直す必要性を感じています。」「20年前に皆さんと一緒に取り組んでいたときの「世界に追い付き、追い越せ」という気持ちが薄れてきているのかもしれません。もう一度、目先の勝負だけでなく、皆で世界を意識し、一丸となって世界を目指しませんか。そうでなければ、代表チームも世界から遠ざかっていってしまいます。日本サッカーは、今が踏ん張り時です。ここで、Jリーグのアカデミーも、高体連も、クラブユース連盟も、中体連も、大学も、U-12も、どの年代も、男子も女子も、グラスルーツも、皆で世界を意識した気持ちを持ち、日本サッカーの発展のためにもう一度挑戦しようではありませんか。」(「ごあいさつ」)

森山(U-16代表監督) ただ、今のサッカーに限らず若い世代の課題として、コーチに言われないとできないとか、やれと言われたことはできるけれども、そうではないことはできないなどがありますが、そういう部分はすごく物足りなく感じます。特に下の年代になればなるほど色濃くあるように思います。」
内山(U-19代表監督) リーグ戦もトレセンも携わってきた中で、懸念していることが一つあります。各チームがスタイルを持っているけれど、どこも結果重視ですね。(イビチャ・)オシムさんが「今日の結果を求めたら、明日の日本はなくなるぞ」と言っていました。リーグ戦をやっていくことはいいけれど、もう少しそれを司る全体観が必要だと思います。余裕を持った環境に整えてあげないと、たぶん良い選手は生まれません。毎週毎週戦って、選手のことに関わり、ましてや選手は18歳。サッカー以外の問題もあるし、プロとメンタルもまた異なる。そういうものを抱えて、「世界を勉強しろ」なんて言うのはなかなか難しい。結果を求められてくる雰囲気がすごく強い。この環境を解いてあげないと難しいと思います。」 
手倉森(U-23代表監督) 今言われたように、本当に勝つことだけに行きがちかなと思っています。もちろん、プロのJリーグだから勝たなければいけないのですが、勝つための工夫ということに対して、少し幅が足りないのかなというふうに、客観的に今は見ています。…(略)…自分の中では勝つこともあるけれど育てなければいけないというのもあります。思い切ってこの選手を使ってみようというのがうまくいって、育てながら勝つことが究極だと思います。そういう幅のある指導者というのがなかなか出てこないですね。」/「自分であれば、勝つために育てなければいけない、育てれば勝てるという、このフレーズがあった方がいいのではないかと思います。今の社会では、監督だったらもう勝たなければ駄目。勝っていればいい。けれど、あの監督、あの指導者は良い選手を育てるとか、こういう選手を育てるとか、そういうことが以前は多かったと思います。自分はそっちの方が格好良いと思いますね。」(「各カテゴリ―日本代表監督対談」)

「私がインストラクターを務めたライセンスコースで、ベルギー協会が施策の一つとして、U-14以下のリーグでは指導者、選手の勝利至上主義を戒めるために順位表をなくしたという事例を紹介した際、ある受講者から「日本でもやりましょう!チームの勝った負けたはどうでもよくて、個人を育てることに力を注ぎましょう!」という意見をもらいました。
 われわれ日本人は、どうしても針が一気に傾く習性を持っています。チームの勝利か個人の育生か、結果か内容かなどなど。しかし、サッカーの本質を分かっているサッカー強国の人々は、試合は勝つためにやるもの、そのために戦うもの、その上で個人が育つように仕組みを整えるということを行っているのです。彼らのトレーニングや試合におけるピッチ上の厳しさ、タフさ、熱など、そうしたものをなくして、われわれが施策だけをコピーしていては、間違いなく絵に描いた餅になってしまいます。」(影山雅永「ヨーロッパ視察報告 ヨーロッパにおける指導者養成とユース育成の改革 第1回 はじめに)

Jリーグでは、育成の取り組みを格付けすべく、ベルギーの民間企業が開発したシステムを利用するという。その会社の昨年度の評価とは、――「指導者個人の手法に頼る部分が大きいこと、経験が蓄積されていないことが、日本の育成の課題として浮き彫りになった」(朝日新聞・夕刊6/3)

この評価とは、戦争後、日本の軍隊・官僚システムに対して分析・指摘されてきたことと似ている。強い個性と能力をもった指揮者がいなくなると、年功序列的に地位についたものが、前の経験則など考慮のほか、単に慣例的な突撃攻撃を繰り返すだけ……。しかし、まさに私の所属するチームがその通りで、そのことに気づいている私自身がいかんともできないのだった。能力があり訓練された個人が揃うクラブチームに、1対1の「突撃攻撃」をしかけてもやられるだけ。サイドへの追い込みと、カバーの対応が戦術として意図されていなければ、ボロボロだ。去年はそれだけでもブロックで40位以下から一気に10位ぐらいへと成績をあげた。それを見ていたはずのコーチは、訓練された相手をリスペクトすることもなく、性懲りもないアプローチ、「なにぼけっとしてる! つっこめ!」と怒鳴りちらしている。子供たちが狩猟の本能で、集団的に相手をサイドにおいこみ獲物を奪うタイミングを図るようになってきているのに、習性=育成がぶち壊しだ。見るにみかねたパパコーチのひとりが、「1対1の数珠つなぎじゃだめでしょ」と分析メールを提出してくるが、理解できないだろう。「サッカーは個人だ、たとえばネイマール」と、ブラジル帰りのコーチは言っていたのだが。私としては、全戦惨敗の結果になり、子供たちも自信をなくし、ベンチコーチの面面もパニックになってくるだろうとの予想通りになってきたので、少しは勝利に向けてマシな、持続的な体制を構築しようと、時期を見計らっている。私は若者を、特攻隊員にしたくない。が、ばかばかしい。できればやめたい。

先日のキリンカップ、対ボスニア戦、ロスタイムの中での最後のチャンス、浅野選手がラストパスとしてだされたボールをさらに中にいた清武選手へと折り返して、シュート・チャンスを潰してしまった。ワールド・カップを初めて決めた試合での、野人・岡野選手の姿を彷彿と重ね合わせてしまった視聴者も多いのではないだろうか? 岡野選手にはまだチャンスがまわってきて、最後に決めて、めでたしになったのだが、その前の弱気を、中田選手から怒鳴られていた。今回は、清武選手が、すぐに浅野選手を呼びつけた。が、中田選手みたいに強くは言えなかっただろう。清武選手自身が、そうだったのだから。そんな弱気な自分を変えるために、ヨーロッパへと出る決心をしたのだから。浅野選手自身、自分にショックだったろう。まさか、自分がこうになるとは……。それは自分というよりも、なにか集団的な、文化的な無意識が出てしまうのだろうとおもう。サンフレッチェでなら、蹴っただろう、が、代表でのあの土壇場となると、なぜか遠慮してしまう、代表の集まりなんだから、俺が決めなくても他にいる、もっとすごい先輩がいる……他の世界の個人が、そう考える、優等生的な自己合理化が無意識に発動されることはないだろう。ハリルホジッチには、不可解なラストパスに対するラストパスであっただろう。

浅野選手は変われる選手だろう。一気にスランプになるとしても。が、個人が変わっても、そういう控えめな個人を産出している日本はそう簡単には変わらない。しかしそう考えれば、変えていいのだろうか? と思えてくる。私は、控えめな人のほうが好きだ、文化を感じる。が、この世俗的な世界で生存していかねばならない、としたら、やはり、グループ戦術で、専守防衛なショート・カウンター、居合い抜きの技芸を磨いたほうがいいだろう。

関連;「日本少年サッカーにおける文化的現状」・「世界での戦い方

2016年5月21日土曜日

中学部活動問題の中身

「 日本が対米従属をやめたら自前で核兵器を持って中国に戦争を仕掛けるという懸念が国際的に存在するが、これは今のところ杞憂だ。日本は以前から国内的に、米国に頼らず自力でどこかの国と対抗(競争、論争、戦争)する気力を国民が持たないようにする教育的な仕掛けが作られている。日本で権力を握る官僚機構は、好戦性や闘争心をできるだけ削ぐ教育を長く続けており、日本は自力で外国と能動的に対立できない国になっている。喧嘩や論争を好む若者は昔よりはるかに少ない。喧嘩や議論が好きなのは、官僚が無力化教育を開始する前に大人になった中高年(じじい)ばかりだ。この無力化の教育策は、対米従属の永続を目的としていたのだろうが、米国が覇権を失って中国が台頭する中で、日本を中国に立ち向かわない、中国やその他の国と競争・論争・戦争できない国にしている。これは「平和主義」でなく「従属主義」として日本で機能している。(「トランプ台頭と軍産イスラエル瓦解」田中宇の国際ニュース解説)

息子が中学生になって、ジュニア・サッカーから、ジュニア・ユースとくくられるサッカー・カテゴリーに入った。民間のクラブチームにいくか、中学校の部活動にいくか、と選択肢が出てきたが、クラブには通うのも大変で、本人が部活動への入部を選択した。住んでいる団地の踊り場から校庭が見えるので、私は気分転換に部屋を出たときなどその部活動の様を覗いていたのだが、サッカー部は活動しているのかが心配だった。軟式テニス部と、体育館でのバレーだかバスケは熱心にやっているのはわかる。が、野球、サッカーとなると、校庭にその練習風景を見たことがない。が、新入生入ってくるとわかった4月から、サッカー部が突然活発になる。顧問も熱心だそうで、今は週末には練習試合を組んでくれるので、私としては、ひと安心。

が、この中学部活問題、今でも問題なのだというのには驚いた。先月4/28の朝日新聞の論壇時評に、小熊英二氏の「日本の非効率  「うさぎ跳び」から卒業を」という特集記事がある。そして五回ほどかけて、中学部活への生徒、父兄、先生などへのアンケート結果が論評されていた。私は、先生方の間で、以前にはなかった、教育委員会用の日報だのなんだのとの提出事務作業が増加して、部活どころじゃない問題があるのは聞き知っていたが、いまだに、私が中学生だった40年前と同様な「しごき問題」としてそれがあるというのには、びっくりした。というか、その前提の当然さにびっくりした。植木屋として練馬区の中学校庭にもあちこち手入れに入ったが、放課後校庭を利用して部活動をやっている中学など、ほんの数校で、この活発さが売りなんだろうなと思われるくらいそれが特別なことで、ほとんどは、しんとしている。たまに、体育館内で、バレー部とかバスケ部から元気な声が聞こえてくる程度である。今年のゴールデンウィークの時にも、息子をつれて、私が通学した群馬の小学・中学校まで歩いてみた。家から片道40分。往くだけならまだしも、往復となれば大変だと、息子も地方と都心部の違いを実感したようだった。中学の校庭では、部活動が行われていた。サッカー、テニス、私がいた野球部……群馬で一番の優勝回数と県大会出場回数を誇る軍隊のようなところだったが、今はほそぼそと、という感じだった。これが実体だろう? 先生が大変なのは、部活以前に、ストレスを増長させるマニュアル(安全対策=口実作り)が導入されたからだろう。部活だけをとりだしてアンケートをしても、問題の実態は浮き彫りされないだろう。

が、この年代、サッカーに限っていえば、だいぶサッカーをやってきた少年たちがやめていく、サッカー自体を。民間のクラブチームに入って、しぼられるのだか、しごかれるのだか、私にはわからないが。すぐ近所にグランドがあれば通うだけでも楽になるが、この新宿・中野区近辺の子供たちでも、自転車で1時間くらいかけてクラブの練習へと通っている。部活が軟になったぶん、民間クラブが「うさぎ跳び」体制を引き継いでいるのだろうか? やめて、中学の部活動には再入部はしない、「プライド」が許さない、となるのだとある父兄は言っていた。その気持ちはわかるが、そういう気持ちを発生させてしまう体制は、そのままでは子供たちに、小熊氏の言う「見当違いの努力」をさせてきたということになってしまうだろう。そしてそれこそ、「日本の非効率」である。

ヨーロッパでのサッカー体制は、まさに効率的である。

<スペインでは地域別、年代別、レベル別にリーグ戦が設けられているため、すべてのリーグで毎週、真剣勝負が繰り広げられています。各チームは毎年のように戦力をコントロールしているため、チーム内には必要十分な選手数しか存在しません。したがって、「補欠」という概念もほぼ存在しません。
 だからこそ彼らは、毎年のように”ふるい”にかけられ、1年という非常に短いサイクルの中で、大人たちと同じような緊張感をもって戦っているのです。喩えるなら、「実力至上主義の狩猟民族」といったところでしょうか。>(「松村尚登著『サッカー上達の科学』 講談社ブルーバック)

しかし、ならば、日本もそれを真似て、「効率的」にすればよいか? する、とはどういうことか? それは、レベル分けもなくどのチームやコーチもが隙あらば優勝を狙える戦国下剋上的な情勢にあって、そのチーム間、コーチ間のしがらみを、一気に消してヒエラルキーを成立させる試みになる、ということだ。いわば、革命である。現在日本の大枠のサッカー体制は、Jリーグ・代表レベルからの階層構造はできているけれど、それは、以前このブログでも言及した、堀田哲爾氏のような、カリスマ的な人格者が、根回しをしながら周りをねじ伏せてこれたからだろう。それは「革命」的にではなく、いわば「独裁」的になされた。だから恨みもかって失脚させられたのかもしれない。が、人格に頼らないのならば、「革命」的にやるのか? たとえば、やめた子供たちが、「サッカーさせろ!」とプラカードかかげてデモでもするのか? それがいいことか? 独裁にしろ革命にしろ、血なまぐさい事態である。しかし、ヨーロッパの組織が効率的なのは、それを経験してきているからだろう。それを真似るとは、効率化すればいい、とはだから安易には言えないのだ。

まずは、実体に即した状況認識を正確に持つことだ。それがなければ、持続的な改革のプランもわからない。朝日新聞の記事は、その実態を反映させるものだろうか? 私には、何か意図的な操作が感じられる。民主主義の実質を求める高校生デモとかの記事にしても、本当にそれが実体なのか、怪しんでいる。既存の体制に置き換えようと世論操作している文体に伺える。シールズとかいう若者の運動も、当初は、そんな体制からのズレの意識を当事者が持ったことから始まっているはずである。ズレてるのが、わからないのか? 気付いていないのか? いや、気付くのを怖がっているような…。

例題として、最近の所属少年クラブのコーチ間のメールやり取りを掲載する。私のメールに、東大サッカー部卒のコーチの返答。

=====     =====
<今日の練習、親子スポーツで足裏のマメつぶれ、腰痛もあったので、リタイアしてしまいました。申し訳ありません。
で、家で横になりながら、練習前に買ってきたジュニア育成レベルの新書を読んでいたのですが、お薦めとして紹介したいとおもいます。
「サッカー上達の科学」(村松尚登著・講談社ブルーバック・900円)
著者は、1966年よりバルサの育成コーチに携わり、2009年より日本にて活動し、現在水戸ホーリーホックのアカデミー・コーチをしている人です。
私はこのコーチの著作を既に何冊か読んでいて、新しい暗記内容が、ドイツ、ブラジル、そして今度スペインへと変わっていくいかにもな日本的現象だなというのが感想の一つだったのですが、今度のは、その指導方法の機能不全からの反省がフィードバックされていて面白いです。社会や家庭環境の違いから、どのような子供たちのモチベーションの違いがうまれ、ゆえにそのままの練習メニューの輸入では実質がでないと、具体的なアイデアもだして、ネットで動画も見れるようになっているようです。
ヨーロッパ視察での池上正さんの知見は、ちょっと古くなっているとおもいます。<プレーヤーズ・ファースト>という日本の理解度にしても、それはアメリカ民主主義では個人の武器保持が認められているのは、大統領を民主が暗殺できるようにという、フランス革命の<友愛>の原理(任侠)に通じていることは考慮されていませんね。プレーヤーズ・ファーストという中世の騎士道からきているだろう言葉を日本語に訳すと、「一匹狼」が近いのではないか、ということも、スペインの子供たちの現実主義的な意識の、本書の紹介からも、想像できるかもしれません。池上氏の指導風景をDVDでみると、おそらく〇〇さんのような職人気質で、それこそが民主主義の原理的基礎になっていると、共感していますが。どうも長くなりました。>

<ご紹介ありがとうございます。
池上正さんの著作の意義の一部は、私を含めた古い体育会育ちの弊害除去にもあって、これが一掃されれば一つの役割を終えるような気もしないでもないですね。
村松尚登さんの本は、以前、図書館にあったものを読んだことある気がしますが、もう一度読んでみます。>
=====     =====

「私を含めた古い体育会育ちの弊害除去」……こういう意識を、新しい教科書を作る会は、「自虐史観」と呼んでいたわけだ。まさに、「自虐」である。しかし、「自虐」もできないような奴らよりマシである。このコーチは、そう身をもって示して、自省できないで「うさぎ跳び」体制でやろうとする他コーチを批判している。しかし、「自虐」自体がいいわけではない。また、一気に革命的にそれを払拭するのが実践的によくなることとも思われない、というか、それは歴史的経験知だ。革命(的なデモ)が起きないことに、怯えたり引け目を感じる必要などまったくない。それよりも、前提となるような現状の認識の正確さを追求することから、目を逸らすような身振りこそが問題である。

2016年5月2日月曜日

怪物と反復――柄谷行人の『憲法の無意識』を読む


「ある意味で、現在の憲法の下での自衛隊員は、徳川時代の武士に似ています。彼らは兵士であるが、兵士ではない。あるいは、兵士ではないが、兵士である。このような人たちが海外の戦場に送られたらどうなるでしょうか。彼らは戦わねばならないし、戦ってはならない。そのようなダブルバインド(二重拘束)の状態に置かれています。それは、たんに戦場で戦うのとは別の苦痛を与えます。先ほどいったように、イラク戦争に送られた自衛隊員のうち五四名が「戦力」でなかったにもかかわらず帰国後に自殺したということがそれを示しています。
 すでに明らかでしょうが、戦後憲法一条と九条の先行形態として見いだすべきものは、明治憲法ではなく、徳川の国制(憲法)です。先にいったように、戦後憲法は明治憲法における改正手続きに従い帝国議会で承認されたということになっていますが、そのような連続性は仮構であって、本当は、そこに切断があります。それは「八月革命」と呼ぶべき変化なのです。特に、象徴天皇をいう憲法一条と、戦争放棄をいう九条は明治憲法にないものです。が、それは日本史においてまったく新しいものだとはいえない。ある意味で、明治以前のものへの回帰なのです。」(柄谷行人著『憲法の無意識』 岩波新書)

前回ブログ、田口氏のディドロ論からの「怪物」という言葉を受けて、私は、ニーチェの次の言葉を引き出した。

<怪物と闘う者は、怪物にならないよう注意しなくてはならない。深淵をのぞきこむ者は、深淵にのぞかれているのだ。>(『善悪の彼岸』 引用文は私の記憶による)

それはもう一つの、ニーチェの箴言を引き連れてくる。(引用文は記憶により、文献名は忘却、『権力への意志』だったか?)

<攻撃的人間は、己を襲撃する。>

「攻撃的人間」とは、自然を「怪物」と認識でき、自らを「怪物」と化して自然の深淵の縁にたち続けてそれを覗き込む、認識しつづけうる者である。そのとき、その者の「攻撃」は、自分自身の内へと折り返されている。……そうみれば、この「怪物」とが、攻撃欲動(=死の衝動・タナトス)の内向化としての強迫反復を人間の根源的な原理性の症候とみた、フロイトの精神分析に基礎を置いた柄谷氏の上の論理と重なってくることが明白になるだろう。自衛隊員は、自然の遷移のなかで里におりてきて、己に敵意をむき出しにして出没するケモノたちから農作物を確保しようと設けた電気柵が、図らずも部外者を殺してしまったことを苦に自殺してしまった最近の過疎地の村民に似ている。なるほど、それは多数者ではない。この自衛隊員54名の自殺という数を、客観的な統計計算で処理すれば、10万人中1年平均の自殺割合は33人ちょっととなって、日本での一般的平均数値とほとんどかわらず、年平均が50人近くとなる農林業関係者の自殺割合と比較したら、低くなるのだろう。しかし、ディドロ的、あるいはエピクロス(マルクス)的な実践態度からすれば、そのような客観視な態度とは、自然(現実)を解釈しているだけである。私たちは、その1名の農民の自殺から、54名の自殺から、その具体的な経緯とともに、衝撃を受けないだろうか?(常識的に考えれば、農林業従事者の自殺は高齢の生活苦からくるだろうが、給料をちゃんともらっているはずの隊員の自殺が、純粋にメンタル的苦痛からくるだろうことは想像できる。ならば、数字的な比較も意味がない。)―― 「それが普通(平均)じゃん」とその数値を自分に言い聞かせても、それが「自己の平安」をかき乱していることを解決してくれるだろうか? 心に発生したわだかまりを、解消してくれるだろうか?

あのイラク戦争のとき、私は赤ん坊だったイツキをバギーに乗せて、反戦デモに参加したことがある。そのとき、バギーにくくりつけた幟(のぼり)には、「自衛隊員を見殺しにするな!」と書かれていた。女房からは、それじゃ戦争に賛成しているんだか反対しているんだかわからないからやめにしてくれ、と苦言されたが、それがあの戦争に対する私の一番の気持ちだった。日常的には死ぬ確率は私の方が高いかもしれないが、通行人の真上で作業しているのにもかかわらず誰にもきづかれないようにして(通行人の)安全確保し、それでも落下し、死傷していくのは悲しいもので、植木屋として自衛隊員の境遇は他人事ではなかった。「誰かやめにしてくれ、戦争にいかせないでくれ、俺は仕事だからいかねばならない、だから誰か止めてくれ!」私には、そんな少数者の中の多数者の声が聞こえてくるような気がした。自殺してしまった隊員は、その緊張に耐えきれず、自然の深淵に落下してしまったのだろう。この現実を、統計的に処理できるのか? してよいのか?

柄谷氏は戦争に反対している。「現在の新自由主義的段階も、やはり戦争を通して終息する蓋然性が高い」が、「それは最悪のシナリオです。現在の状況は、世界戦争を経なければ解決できないというわけではありません。真の解決はむしろ、世界戦争を阻止することによってこそもたらされるものだと思います。その場合、日本がなすべきでありかつなしうる唯一のことは、憲法九条を文字通り実行することです。」「形の上で九条を護るだけなら、九条があっても何でもできるような体制になってしまいます。」だから、「最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行することです。」――なるほど、それはよろしい。国連や世界的な場所で、明日から、今日から九条を実行する! と、総理大臣なり大使なりが、宣言したことにしよう!

私が、たとえば中国の政策立案の地位にいる者だったならば、そんな日本の宣言を受けて、どう考えるだろうか? まず、こいつらが本気かどうか、確かめるだろう。その行動は、なお軍隊を一番強く持っている時のほうがよい。九条(武装解除)を実行に移すにせよ、一気には物理的に無理なので、時間差がでるはずである。その差を利用していこう。だからまずは、軍隊が減縮されるまえに、とっとと尖閣諸島を占拠してしまおう。国連には、日本が宣言を出す前に我々の当然な主張を実行すべき計画されていたことで、それを粛々と履行した事務的作業だと言っておこう。日本に賛同する弱小国が少しづつでてくるだろうとしても、そのスピードも緩和させて、時間稼ぎができるだろう。もし日本が軍隊を送って牽制してこようものなら、あいつらの揚げ足をとって、あの宣言の意味を骨抜きにしてやろう。そして日本が我慢して、なお平静を保つなら、次はフィリピン海域に近いシーレーンを封鎖して、無断通行する船舶から通行税払えとちょっと脅してみよう。同盟国たるアメリカが介入でもしてくるなら、北朝鮮を動かして、日本の港に無断で船舶交易させ、それを警察力で阻止しようものなら、テロ的な事態と、ミサイル攻撃もあるよ、と脅させてみるのもいいだろう。北朝鮮船員が死傷でもしたら、民間人の安全確保のためと、日本海側のどこか離れ島を占領させてもいいかもしれない。ロシアも北方領土問題あるから、介入させようか? そうすれば、アメリカには、沖縄だけでなく、北海道にも基地があったほうがいいんじゃない、自衛隊の基地をそのまま使ってもらえば、とかこちらに取り組む懐柔策も打てるかもしれない。そうでなくとも、九条なんか実施しているなと日本に圧力をかけてくれるだろう。そうなれば、東アジア地域において、利益配分できる軍事的安定もそれなりの期間稼げるかもしれない。日本が九条を文字通り実行してくれるなら、まさにその間戦争せずとも、侵略せずとも、バランスがたもてるな。そういけば、その過程で、日本になびくかにみえた国際世論は、驚きから称賛にうつる前に、傍観者になってくれるだろう。……

まあ要は、沖縄からアメリカの基地だします! と宣言したあとの鳩山首相の顛末を想起しておこう。なんで、あんな体たらくに、いとも簡単に、なってしまうのだろう?

柄谷氏は、終戦後の「八月革命」(ポツダム宣言授受)を、徳川体制の反復に結びつける。戦わ
(え)ない兵士の平和な世界の反復実現。が、豊臣から徳川へと継承された去勢たる刀狩りなど、実質的には実現されなかったのである。ただそれは、「象徴的な」意味、方向づけはもった(2011.12のブログ「テクノロジーとカタストロフィー」・「この日本で、誰ができるだろう?(中上健次と民衆」)。その限りでは、柄谷氏の歴史認識の枠が正しいとしても、その実質が実現されたのは、「八月革命」(他人任せ)によってのみで、江戸時代からの農民は(兵士ではなく)、武器を隠し持っていた。だから、武士といえど、その自治区にはそう容易には介入できなかったのだ。明治期においてさえ実はそうであって、そうした庶民の封建的な独立自尊のメンタリティーが個人内でも解体されてしまったのは、戦後においてであり、反復ではない。形式(憲法)的反復と、実質的な反復の差異。つまり、私たちは、もはや、徳川憲法の反復を、実質的には、できなくなっているのではないだろうか? 武士(自衛隊)的なレベルではなく、それへと暗躍的に抵抗する庶民位相の欠如が、「革命」によって実現されてしまったあとでは。その「革命」が他人本意であったことは、私たちから、封建と官僚の実践的区別という経験知を奪っていないか? 徳川の平和とは、武士は情けなくなっても(官僚になっても)、庶民が健在だったことから保たれていた均衡である。だから、次の明治維新では、武士というよりもその下層階級から、世界と戦っていける人材も生まれたのだ。あるいはただの漁民でも。一方、私たちはどうなのだ?

私は、この形式的な反復における実質的な差異の問題把握を、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」の論考にみる。特殊利害(柄谷氏のいう中間団体)にもなってしまう封建的な独立自尊の精神が、「革命」によってどう変容し官僚化されてしまったのかを、歴史的というよりは構造の内側(内実)の変移・移行といった経緯として分析してみせるそのヨーロッパでの過程(個人化、いわゆる人権の普及)は、戦後にこそあてはまるように私にはみえる。柄谷氏はちょっと前まで、去勢されて人権化された個人を、封建的なメンタリティーから批判していく傾向があったが(封建―民主としての文字通りな系譜を実装するアメリカ民衆個人の武器保持、その下剋上精神をそれゆえに認める発言もしていた――)、いまはそう落とし込まれた集合無意識の力の方に力点を置いているように見える、のがこの『憲法の無意識』である。しかし、私は、その日本の力を当てにすることはできない。疑っている。かつて柄谷氏は、形式主義者の悲哀として、スイングの型を覚えても実際のボールは打てるようにはならない、と認識披露していたが、私は今もそうおもう。9条実践、やってみればいい。口で言うのは、簡単だ、バカならできるだろう、国連だろうがどこだろうが。が、自分たちの今もっている力能を把握して、その後どうなるのか、だからどうしていくのか、その持続的な緻密な準備なくしてやることは、その9条ゆえに、より悲惨というより惨めな結果になるだろう。問題なのは、それを実質的にできる人材がいるかどうかなのだ、そういう子供たちを、私たちは育成できているのか、ということなのだ。子供にサッカーを教えるにも、封建と官僚の実践的区別が経験(歴史)的にできていないことから、インサイドキックを型から教えるか遊びから入るか、とコーチ間で議論沸騰してしまう。しかし、無意識(構造)に任せていること、その型への信頼(反復)は、単に空振りに終わるだけであろう。そしてこの混乱は、実践的なレベルだけ、ということではない。マルクスが、「生みの苦しみを和らげることができる」というとき、それは理論的なレベルの話である。その理論レベルの軽薄さが、この九条問題にも表れているだろう。もっと詰めなくては、自衛隊員は、「二重拘束」のまま死んでいくのだ。苦しみが和らげられることもなく。空念仏で、人が救えるものか? 九条をもって打って出るとは、準備なしでの無手勝流(=「盲目の中の洞察」=「自然の狡知」)という戦争後の結果任せ、ということでは済まない、むしろ「自然の狡知」という事後的現実の事前的な理性的・意識的使用という二律背反(「二重拘束」)を超えていく意志が必要になるのである。そんな覚悟が、私たちにあるか?

ならば、今の私が、自衛隊員に言えることはなんであろうか? ――<怪物と闘う怪物になれ! そして、怪物は己を襲撃する。自殺で、いいんだ。>……「交換A」(互酬と贈与)たる部族社会の首狩り系譜にある切腹の気概を、集団的な形式の実質(「交換D」)として導くこと、9条とが、サムライ精神の集団的な表現――漱石の言う「明治の精神」とは、実質的な「江戸の精神」であろう――であることの、理論的な道筋であることを論証すること。私たちがヒトとして本来もっている力は、その時々の形式によって、弱まりこそすれ、なくなりはしないだろう。しかし子供のやる気を引き出すのと一緒で、それには丁寧で根気のいる持続的な時間を必要とするだろう。

最後に、マルクスの上指摘の文章個所を引用しておく。

< 謎は簡単に解ける。
 政治的解放は、それと同時に、国民にとって疎遠な国家政体、つまり王侯権力がその基礎を置いている旧社会の解体でもある。政治的革命は市民社会の革命である。それではこの旧社会とはどんな性格のものだったのだろうか? 一言で言えば、それは封建制であったと特徴づけることができよう。古い市民社会は、直接に政治的性格を帯びていた。つまり、たとえば財産、家族、労働様式といった市民生活のさまざまな要素は、領主権とか身分とか職業団体といった形をとって、国家生活の要素へと高められていたのである。こういった要素は、そういう形で、個々人の国家全体への関係、つまり彼らの政治的関係、さらに言えば、彼が社会の他の構成部分から隔離され排除されている、そういう関係を規定していた。というのは、上述した民衆生活の組織化は、所有や労働を社会的要素へ高めるのではなくて、むしろ国家全体からの、その隔離を完成させ、社会の中に特殊な社会をつくり出したからである。とはいえ、市民社会のさまざまの生活条件は、たとえ封建制という意味であったにせよ、いぜんとして政治的だった。それらは個々人を国家全体から閉め出し、国家全体に対する彼の所属団体の特殊な関係を、民衆の生活に対する彼自身の一般的(allgemein)関係に変えるとともに、個々人の特殊な市民的活動や状況を彼の一般的な(allgemein)活動や状況に変えてしまった。他方こういった組織化の帰結として、国家という統一体、つまり国家という統一体の意識、意志、行動、つまり普遍的(allgemein)国家権力の方も、必然的に同じような仕方で、民衆から切り離された支配者とその家来たちの特殊な仕事になってしまっていた。
 この支配権力を打倒し、国の仕事を人民の仕事へと高めた政治革命、政治的国家を普遍的仕事として、つまり現実的な国家として建て直した政治革命は、共同存在という在り方から人民を引き離してきたすべての身分、職業団体、同業組合、さまざまの特権といったその分離の表現形態を粉砕した。それによって政治革命は、市民社会の政治的性格を廃棄したのである。それは、市民社会をその単純な構成部分に分解した。つまり一方では個々人に、他方ではそういう個々人の生活内容である市民的状況を形づくっている物質的、精神的要素へと分解した。政治革命は、いわば封建社会のときにはその各種の袋小路へと分割解体され、散らばっていた政治的精神を解き放った。つまりそれは、散らばっていた政治的精神を結集し、市民生活との混交から解放し、共同存在の領域として確立した。そこでは政治的精神は、市民生活のあのさまざまな特殊な要素から理念上独立した普遍的な、人民の仕事となっている。特定の生活活動や特定の生活状況は、たんに個人的な意味しか持たないものに格下げされてしまった。それらはもう国家全体に対する個人の普遍的関係を規定するものではない。公的な仕事そのものがむしろ各個人の普遍的な仕事となり、政治的機能が各自の普遍的機能になった。
 しかしながら、国家の理念主義(イデアリスムス)の完成は、同時に市民社会の物質主義(マテリアリスムス)の完成である。政治的軛を脱することは、同時に、市民社会の利己的精神を縛りつけていたさまざまの絆を振り払うことでもあった。政治的解放は同時に、市民社会の政治からの解放、普遍的内容を持つかのような見せかけ自身からの解放であった。
 封建社会はその基盤へ、人間へと解体された。ただしその場合の人間とは、現実にその基盤をなしていた人間、つまり利己的な人間にほかならない。
 こういう人間、市民社会の成員である人間が、今や政治的国家の基礎である。そういう人間が、政治的国家によって、各種の人権に関して承認されているのだ。>(「ユダヤ人問題によせて」『マルクス・コレクションⅠ』 筑摩書房)

2016年5月1日日曜日

自然哲学の基礎的自然<安定から怪物へ>――内山節(5)

「こうして、「太陽の下に新しきものなし」の自明性を、その内側から食い破る新しい標語がもたらされた。すなわち、「太陽の下に新しからざるものなし」というエピクロス主義的な標語が、である。本書ではくりかえし、ディドロの思考が「他者の言葉」に寄生し、同質化しておきながら、さまざまな手法を介してそこから離脱していくプロセスを追跡したが、この独特の思考の運動は、いわば偏差から「新しきもの」を創出する自然のアレゴリーだったのである。
 今や結論を述べることができるだろう。アドルノ&ホルクハイマーが執拗に問いつづけたのは、「太陽の下に新しきものなし」が、どのように抑圧的に機能するのか、という問いだった。それに対してディドロが関心を寄せたのは、当の標語にどのように亀裂がもたらされるのか、ということである。ディドロにとって、「新しきもの」とは、同質性の体系に開いた裂け目の向こう側から生まれ出てくる何かのことだった。そして、その何かが生成する瞬間に立ち会うことは、近代的な「統一科学」の同語反復に抗して、偏差と逸脱に満ちた「怪物的思考」を導入することを意味していたのである。」(田口卓臣著『怪物的思考 近代思想の転覆者ディドロ』 講談社選書メチエ)


「自然はひとつに客観的に実在するものであるとともに、第二に人間の主体との関係において存在しているものである。「全体の自然は物体と空虚とである」というエピクロスの表現はそのことをあらわしている。とすると自然哲学が問題にしなければならないものは、まずこの人間の主体との関係において存在している自然の問題なのではなかったか。そしてそのことを考察するには、自然と人間の関係とは何かを、そこでの主体とは何かを問わなければならないはずなのである。そのことによってエピクロスが<空虚>と表現した自然を現実的世界のなかで検討しなければならないのである。」(内山節著『自然と人間の哲学』 岩波書店 1988年)

<上野村での収穫が野生動物のためになくなっても、内山氏は、困らないだろう、上野村の人たちには死活問題になるから、電気柵でも設けるかもしれない。が、なかには、そうすることを拒否し、餓死を選んでいく村人はいないだろうか?(最近、その電気柵で人を殺してしまったのを苦に、自殺してしまった人がでた事件があったが……) あるいはそこで、その村人は、主体(電気柵)とそれを越えていこうとする非主体(餓死)との間で、揺らがないだろうか? その揺らぎの手つきでなされた耕作は、もはや労働ではないだろう。目的は、宙づりにされているのだ。そのとき、彼は「自然と人間の交通」を越えて、「自然と自然の交通」の境に足を踏み入れている。彼は、彼と自然を交換する。そんな交換は、これまでも人知れず反復されてきたにちがいない。その交換が成立するかどうかは、彼の、彼らの死という贈り物をどう受け止めていくのかの、私たち如何によるのではなかろうか? そうした交換、自然との交通こそが、文化を発生させた。フグを食って死んでいった人々の集積(安吾)、銃後に置いてけぼりにされた小人や女たちの残飯処理工夫の果てからの料理の発生(ホッファー)。戦争という悲惨が人類を市民として成熟させていくという「自然の狡知」(カント)。それは、労働ではない、裏切られた目的から不本意に出没する亡霊、見境もなく揺れ探り動くゾンビの伸ばされた両の手。自爆テロが、斬首が、虐殺が、自棄が、自殺が、阿呆どもが呼び覚ましてしまう善後の現実。非主体的な実践に思いを馳せないで、この現実の矛盾解決に、参与できるのだろうか?>(4/8ブログ、内山節ノート(3)

※ 内山氏の「自然と人間との交通」観は、安定的である。それは、土作りを基本として種を播いておけば収穫できた、ある意味、一時的な歴史に、高度成長期の間に規定されている。商品価値の高い杉を植えるという林業が盛んであったので、ケモノが人を嫌って里におりてこず(また狼も明治期に絶滅させられていたので深山の安全帯もあり)、ゆえに里人は気兼ねなく収穫できたのである。が、いまや針葉樹も荒れ倒れて次の自然遷移がはじまったが、ドングリなんかよりも、人里にあったイモや柿の実の方がいい、そして人もいないも同然、とケモノが自然化した里に下りてきた。人間にとってはまた、主体的には収まりきらない自然の多様(差異)化と逸脱がはじまったのだ。が、それこそが、実は人間の歴史には前提的な自然だった。そこでのサバイバルに必要になるのは、怪物化した自然にも対応できる、「怪物的思考」なのである。マルクスが、エピクロスに認めたのも、そのような「抽象的な可能性」に満ち満ちた「自然と人間との交通」、いやもはや主体を脱主体化してしまったような、つまりはとりあえず「アレゴリー」的関係とたとえられる、「自然と自然との交通」なのである。


「 ここでもエピクロスはデモクリトスとまっこうから対立する。偶然は現実的なものであるが、現実的なものは可能性としての価値しかない。そして抽象的な可能性は、実在的な可能性とは正反対のものである。実在的な可能性は悟性と同じように、厳密な限界のうちに制約されている。ところが抽象的な可能性は空想と同じように、制約にしたがわない。
 実在的な可能性は、その客体が必然的で現実的なものであることを示そうとする。しかし抽象的な可能性は、説明しようとする客体とはかかわらない。この可能性は、対象を説明しようとする主体だけにかかわるのである。客体は、可能なもの、考えられるものであればよいのである。抽象的に可能なもの、考えられるだけのものは、考える主体にとって制約になるものではない。これは主体を制限するものではなく、躓きの石となるものではない。そして抽象的な可能性が現実的であるかどうかは、主体にとってはどうでもよいことである。主体は対象としての対象には、関心を向けていないからである。
 だからエピクロスは、個々の自然現象の説明においては、限りなく無頓着にふるまう。」

「 エピクロスの認める唯一の規則は、感覚で知覚することと矛盾した説明をしてはならないというものであることは明らかだろう。抽象的に可能であるということは、矛盾していないということであり、そのためにも矛盾は避けねばならないのである。結局のところエピクロスは、自分の説明方法は自然の認識そのものを目的とするものではなく、自己意識の平安(アタラクシア)だけを目指していることを認めている。」(マルクス「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」『マルクス・コレクションⅠ』 筑摩書房 中山元・他訳)

※ 内山氏の最近のファッションを写真で伺うと、いかにもな和服作業着である。植木屋でも江戸風にハッピを着てやる人達もいるが、私はシマホで買った作業着だ。そういう身振りからみても、氏の「自己意識の平安」が、どういう様態に収まるものかが知れてくるような気がする。しかし、「怪物的思考」を実践するエピクロスの「平安」とは、そんな収まりのよいようなものではないだろうことは論理的に想像できる。むしろ、「平安」とは狂気であろう。

☆ ☆ ☆

田口氏の、冒頭引用の著作をめぐって書こうとしたところで、熊本地震がおき、気力が揺らいでしまった。9.11、3.11、そしてまたか、という感じだ。2週間以上たってもなお収まらない大地の揺れを、熊本や九州近辺の人たちは、まさに自然を「怪物的」と感じているかもしれない。ニーチェは、怪物と戦う者は怪物にならないように注意しなければ、と箴言したが、その意味は、もちろんゆえに理性的に振る舞え、ということではさらさらない。こちらも怪物にならなければ戦えないのだ、だから怪物となれ、しかし、そのまま狂気(深淵)に陥るな、ツラトゥストラの道化師の綱渡りのように、できれば軽快に、その深淵の縁を走りぬいて生きよ、と言っているのだ。ニーチェ自身は失敗し、「善悪の彼岸」に飲み込まれてしまった。大地とともに私たちの気力が揺らぐとき、私たちもまた、前後不覚に陥って、この自然の深淵に飲み込まれてしまわないとも限らないのだ。

次回は、その田口氏の「怪物的思考」を土台に、柄谷行人氏の『憲法の無意識』(岩波新書)に触れてみる。