2022年1月16日日曜日

コロナ団欒

 


金曜日、仕事から帰ってくると、高3になる息子が、玄関の前でうろうろしている。また鍵をもっていくのを忘れたのだな、と思いながら自転車から降りたが、スマホを手にして何やら電話している息子の姿は、ハイになりすぎている。何かあったのかな? と乗馬ズボンのポケットから鍵をとりだしていると、「俺、濃厚接触者になったかもしれない」という。

 「昨日、バイトで一緒にやってた人がコロナ検査で陽性になったらしいんだ。一緒に弁当食べてたりしてたから。これから、バイト先から親に電話するって」と、いったん閉じたスマホを手にしたまま、ドアをあけて家に入る。後ろからつづいて、地下足袋を脱いでいると、「明日センター試験なんだけど、どうなるのかな?」と聞こえてくる。声の抑揚からすると、うれしがっているような…。

 リヴィングに入って、ガスストーブをいれて、寺の松の手入れで冷たくなった両の手をあたためた。女房は、どこに行ってんだ? ストーブのそばのソファに座って、息子は足を温めている。「バイトの友達は、無症状なんだって。15分以上一緒の部屋にいた人は、PCR受けなくちゃならないかもしれないって。だけど俺は、10分くらいだからなあ。」と息子は話している。手が少し温まってから、感染してる可能性もあるのだから、除菌タオルで手すりとかみんな拭いておけ、そのスマホも拭いておけ、ママにうつったら大変だぞ、と息子に言って、作業着から普段着に着替え、風呂場にいき、掃除。ということは、すでに風呂場も感染の可能性があるということだから、カビキラーで洗っとこ、とそのスプレーをバスタブの内側にかける。だけど、もう出かける、ってことか? 掃除途中でまたリヴィングの方へ向かうと、息子がスマホを渡してきた。

 息子のバイト先のスタンドを統括管理している会社の者からだった。要はたぶん、ほとんどの時間は外での作業だし、一緒にいたのも、息子が言うには10分くらいのことだからと、検査はせず様子見のほうがいい、検査を受けたら明日の試験は受けられなくなるのだから、という勧めなのだろう。「だけど、その10分が濃厚接触者にあたらない、というのは、そちらの会社の判断、ということですよね? だけど、誰が判断する、ってことになるんですか? 保健所はもうしまっているし、明日からは土日ですからね。それでも、一緒に働いていた他のバイトの子は、検査を受けにいってるってことですよね?」会社の人の話は矛盾していると感じると同時に、明日センター試験でなければ、息子にも症状がでているわけではないのだから、この週末は様子見でもいいだろう、が、不分明なまま、試験に行かせていいものか? そう思い至って、基準の10分も15分も曖昧ですから、検査を受けさせようとおもいますが、と返答すると、ならば今すぐ指定の病院に連絡をしてくれ、と言う。検査費は会社がだすが、そこに近い病院は6時でしまってしまう。今予約をとれば、多少遅刻にあっても、だいじょうぶだろうと。

 そこで、居住地と同じ地区にある病院に電話する。看護師が、息子本人に話を聞き取り調査していく。話をきいていると、やはり、10分程度なら濃厚接触者にあたらないかも、検査結果は明後日になるだろうから試験は受けられないかも、と検査は勧めない方向にいっている。そこで息子に、もう試験は諦めでいいから、と言い、息子も看護師にそう伝えると、ならばどうやってこちらに来るのか、と聞かれ、車で、というと、ならば14分で着くはずだから、と、自家用車に息子をのせてすぐに出かけることになったのだった。

 車に乗り込むさい、表向きは平静でも、行動が、ずれてうわついていることに気づく。電気を消すのにつけていたり、車に乗るのに自転車にのるときの保温手袋をもっていったり…。運転だいじょうぶか? と動揺に気づけない自分を冷静に見つめ直そうとする。一緒に働いている職人さんの娘が濃厚接触者になった、ときいたときは、やはり他人事だったのだな、女房は、いなくてよかったな、と思えてくる。帰宅してから、10分後には、もう出発だ。

 車の中で、「濃厚接触者は、別室で試験できるようにする、とか、テレビで言ってなかったっけ?」と私の質問に、息子が学校へと連絡する。電話口では、配布していたパンフをみて対応してくれ、たぶん、試験センターに電話してどうするかわかることになるとおもう、担任にも電話しといて、みたいな話をしている。

 スマホのグーグルナビを頼りに、病院に着いたとおもったら、同じ名前の歯科医だ。再検索していると、病院から電話があり、息子が通話案内でひとり向かっていった。車の中にもどり、携帯がつながらない女房へ、ラインをおくる。しばらくして、返信がくる。いま電車の中だと、もうすぐ着く、と。

 すぐに、検査を終えた息子が、「鼻が痛え」ともどってくる。

 家には、すでに女房が帰っていた。息子から話をきいている。「今日は、もうトンカツ弁当にしよう」と言っている。風呂場の掃除をおえた私と向かい合うと、「病院、6時でおわり」って、どういう意味? とラインで私が記したことを聞いてくる。質問の意味がわからない。「6時で閉まるってことだろが」と答えると、「閉まってたら、どうするつもりだったの?」と返ってくる。救急でしょ、みたいなことを訴えたいのかな、と思いあたる。閉まってたら、空いてる指定病院があるかバイト先に聞き返し、ダメなら週末は自宅で様子見、明日の試験は強行するか自制するか、こっちで判断しなくちゃならなくなる、ってことだろう、とケースによって判断が変わるなどとは女房の頭には説明できないので、黙ったまま答えず、風呂にはいった。

 その間、女房は、近所にあるサボテンでロースカツ弁当を買いにいった。夜食は、息子に部屋で食べさせるのだろうな、と思っていたが、買って来るや、食卓に3つ並べる。2階の自室にいっていた息子を呼んで、3人で食べ始める。息子と女房は、まるでお祭りにでも参加したように、生き生きと会話している。「明日ワクチンの予約はいってたんだけど、キャンセルしないとダメよね」と、女房は声をはずませる。コロナと接触したかも、が、退屈な日常の破れ目となって、晴れの日になったのか? たしか、去年の今頃は、まさにコロナ重症患者の特徴が、発熱以外すべて出そろって、ぜえぜえ言っていたはずだ。弁膜症だったのだが。しかしその術後の検査結果がおもわしくなく、虫垂偽粘液腫という、100万人に1人ぐらいの病気を発見され、その手術中の目視では陰性だったが、術後にわかる精密検査では陽性の癌、転移の可能性がということで、またより広範にわたる摘出手術をするかとなって、もう手術ばかりで苦しいからやめる、と今にいたっているのだった。

 それがいま、コロナ談義で、家族団欒になっている。

 「で、明日はどうなるんだ?」と私がきく。息子は、「濃厚接触者は、公共の交通機関を使わないで会場にいき、別室で試験を受けるんだって」と言う。「タクシーでいけ、ということか?」「いや、タクシーはだめなんだよ」「じゃあ、自転車でいくのか?」「自転車ではだめ、って書いてあるよ」「じゃあ、歩いていけってのか?」「車だよ」と、仕事も休みになっていた私が、また試験会場まで息子を送迎することになったのだった。

 試験中、予定より早い検査結果が、自宅への電話にとどいた。陰性、ということだった。ちょうど昼ごろだったので、息子に、ラインで知らせた。「電車で帰ってこい」とも。すると、「それはダメだと言われたので、車でお願いします」と返事がくる。陰性でも、23日は自宅にいて、と病院から前もって言われ、学校にも当分来るな、と担任からも言われているらしい。

試験後、車の中での話によると、2百人くらい入れる部屋で、自分ひとり、に試験官が2人つき、窓がずっと空いていたので、寒かった、と。そして「東大で事件おきたんでしょ? ○○がそこでやってたんだけど、ヘリコプターの音がうるさかったってさ」

 オミクロンの潜伏帰還は3日くらいということだったか、ならば、私と女房も、今回は大丈夫なのだろう。

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最近の気になったニュース。

ブースター接種繰り返し、免疫系に悪影響の恐れ | ブルームバーグ | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)(東洋経済)

コロナワクチンに対しての145カ国を対象とした過去最大となるビックデータ研究(ベイズ分析)により、「接種が進むほど事態が悪化している」ことが明確に判明In Deep

 *日経新聞にでた、去年10月までの日本での超過死亡者数予測6万人こえる、というのも驚きだった。一昨年は、コロナ感染死者増えた、と言われながら、結果は、2万人近く全体死者数減少していたわけだが、今年は、というか去年2021年は、どうなることやら。

2022年1月5日水曜日

今年に向けて

 


まだ正月休みがつづいているが、やることが結構あって、時間がたりない。

 

体を使う仕事上、毎朝のちょっとしたリハビリ・トレーニングのようなものもかかせない。今朝も近所の公園ですましてきまたばかりだが、明日の天気が雪でもあるということで、そこに寝泊まりしている男性に、カイロと小銭をわたしてきた。ときおり話をする仲になっている。「カイロはいっぱいあるんだ」「(現金は)や~あ、助かるよ」と笑った。「俺も日給の肉体労働者だからなんともいえないけど」と私も笑い声をあげて、杖をついてあとにしてきた。

 

雪は、降るのだろうか?

 

おそらく今年、いまの職場を去って、空き家となっている女房の千葉の実家のほうへ移る。団塊世代の職人さんも、もうやめると言っているが、おそらく、親方から説得されるだろう。親方も必死な心痛だ。自分と、対話の切れたような三代目若社長の息子と残されるようなことになる。仕事はあるのだから経済的には問題ないとしても、それをつづけられる自分の体力と、維持しうるやりくりがどうなるのか、不透明になってくる。団塊世代の職人さんは、「まともに動けないから申し訳なくて」、「迷惑かけているんじゃないかと」、「またシルバー人材でもあれば」、「生活保護でも」と、仕事納めの酒を飲みながら、訴えていた。たぶん、やめられないだろう、親方に説得されるだろう、服従していくような関係は嫌でしょうがないのだが、そういう世界のメンタリティーで生きてきた。祖父は十手をもっていたというからそういう家系なのだろうが、近所のほかの職人さんも、爺さんは博徒だったというし、親方も、「俺たちは部落民みたいなものだからな」と、私がまだ二十代のころに聞かされていた。「俺は、幸せ者だとおもうんですよ。消防団の誰かや、親方とめぐりあって、ここまでこれた」団塊世代の職人さんは、ビールを飲みながら、語った。

 

しかしもう、三代目ともなれば、そんな価値観は、痕跡はあっても希薄であり、自覚がない。だから、国と金(資本)に対する距離感が持てず、長いものに巻かれていくだけだ。私は、そんなものに巻かれたくない。だから、大学でても、フリーターでやってきたのだ。もう今年で初老を迎える。まだ体の動くうちに、また自由になって、初めから出直そう。

 

いつも年明けには、初夢のことを描写していたとおもう。見ていちど頭にいれたが、忘れてしまった。去年は、襲ってくる洪水の夢ではなく、そこに自ら立ち向かうように飛び込んだり、そして、だいぶしばらく、水の夢から遠ざかっていたのだが、たしか初夢に、山から鉄砲水のようなものが雪崩てきた。恐ろしいとはおもわなかったが、立ち向かっていくような高揚もなかった。これはどういうことかな、と夢から覚めて、思ったとおもう。

 

今日はこれから、女房と息子と一緒に、小平にある共同墓地へ、義父母の墓参りにゆく。息子がいくのは、はじめてだ。明日は、息子を、私の実家につれていく。

 

雪が降れば、明後日になるだろう。