2016年8月19日金曜日

トータルフットボール、教育制度と戦術(3)

「それと、これはバクスターが話していたことですが、現代の日本人にそのまま当てはまるかどうかは別として、『日本人には腹切りの文化がある』と言うんです。ミスをしたときに腹を切ってお詫びする。そういう個人で背負ってしまう精神が日本人には根付いていると。だから、個人の責任、という重荷から解放されるために、みんなで寄ってたかって集団的に連動して守れるという感覚が前提にあれば、個々がリラックスしてプレーできるはずで、守備時においてもクリエイティブな発想も出てくる、それがまさにゾーンディフェンスの考え方の根底にあるものだと言うんです。」
 寄ってたかって集団的に連動して守る。一つのボールに対して密集して群がってボールを絡めとってしまう。それがマツダが描くゾーンディフェンスのイメージである。
「水族館でイワシの群がワッといっせいに動くでしょう? あの動きが理想なんですよ。その中心にあるのがボールです。」(『サッカー守備戦術の教科書 超ゾーンディフェンス論』 松田浩/鈴木廣浩著 KANZEN)

日本人が文化本性的に、集団性が強いかどうかには疑問がある。むしろ、個人的な勝手ばらばら観が強いために、集団的なイデオロギーが強くなって、その近代化過程での政策制度の習性的な残滓として、なおそれが機能しているところがある、とみておいた方がよいのではないかという気もする。内山節氏も指摘していたことだが、「徒然草」に顕れるような遁世にも連なる個人性が強くあって、ゆえにそれは死生観や虚無感に連なって目だつ意識ではなくなりがち、と。いまやっているオリンピック競技の、これまでの大会のメダル獲得種目を調べれば明瞭なのだが、それは個人競技で多く、集団競技ではほとんどメダルをとれていない。サッカーでも、イワシの群れのように動けるのは、ブラジルの方である。相手がミスを犯したとみるやの瞬間の攻守の切り替えの全体での速さなど、テレパシーのごとくである。だいぶ前のブログでも指摘したことだが、その言語以前のコミュニケーションが頑としてあるのは、なおブラジルに古典的な共同体が生きているからで、それは日本でも、年配の長屋住まい経験の職人世界では見受けられる素早さ、ためらいのない動きとして身体化されている、と。

対柏レイソル・ジュニアユース戦、キーパーを任されていた一希から、こんな叫び声があがる。「いまのは気にするな! みんな俺のせいにして切り替えろ!」、また点をとられて仲間同士でこそこそ嫌味をいいあっていると、「そんな言葉はいらねんだよ! バカなんて言ってるな! いる言葉を話せ!」……お盆休みにあった大会には、中学部活動チームで出場していたのは、一希の通う中学だけだったかもしれない。かといって、その中学が部活に熱心、というわけでもない。2週間以上の夏休みの間に、その大会だけに突如参加するので、まずすぐに疲れて走れない。U-14での出場だが、部員数少ないので、半分は13才の1年生。1試合目は20点近くとられたか? しかし2試合目の柏戦は、先生にはっぱをかけられたからというよりも、その試合で先発キーパーになった一希の体を張ったファインセーブが開始早々から発揮される場面が出てきたからだろう、それが感染し、みなが必死に走るようになって、競り合う場面がでてくるようになった。敵陣へもそれなりの頻度で攻め込んだ。最後、オフサイドになって立ち消えた幻のゴールも。1試合目のケガで出場できなくなったフォワードがいたら、その1点をもぎ取る場面もみられたかもしれない。もし、まさに冒頭の書籍にあるような、こちら4-4-2の守備法則のイロハをチームが知っていたら、1対4ぐらいまでつめられるな、と私は感じた。結局は、その形にある弱点をつかれる現象が発生してくるのだけど、それを防ぐためのケア、動きの鉄則に関して無知であることが、失点に直結しているのである。

が、ここで取り上げたいのは、一希の感動的な言葉だ。そのイントネーションは、その内容が思想的な価値として肉付けされていることを示していた。自己犠牲による集団性の喚起、その掛け声は、そういうことだろう。「え、そんな……」と、一希が「みなおれのせいにしろ」と叫んだとき、父兄の一人が声をふるわせた。私もその真剣さにびっくりしたが、私が、親が、そんなことを教えたろうか? 私たち夫婦の関係が、そんな価値観を伝染させているのだろうか? むしろ、二人で怒鳴り合って喧嘩してたのが多かったろうから、喚起されてくるのは個人の勝手、ということではないだろうか? 反動形成だろうか? それとも、学校の教育現場の影響だろうか? 集団スポーツをやってきたからだろうか? いやそういうことではなく、その価値は、一希が戦争や殺人事件の発生のことを理解できない、理解したがらない子どものままの感性と結びついているような気がする。私が、戦争の裏にある人間の現実、その事件の裏にある世俗的な思惑のようなものを指摘するとき、一希は、人間にはそんなことがあってはならないような表情をする。私の洞察では、すでに息子自身がそんな裏を作っていけるぐらい充分大人の智慧を働かせているのだから、自分を内省せずに気づけないだけなように認識できるのだけど、本当にそういう不純なものを嫌悪しているのがわかるので、深入りして教えるのは控えることになる。人間として自分でもやってしまうことを、あってはならないものとして否認してみせる……「やってしまうこと」をリアル・ポリティクスとして居直るとき、右思想となり、それを否認してみせるとき、左思想となり、「やってしまうこと」を否認せず直視し、なんとかしようとすることが、知的実践となる、ということだろうか?

とにかくも、一希の価値の出どころは判然としない。
以下は、そうしたことの一助となるかもしれない、引用文章。

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「しかしこのことは、学級が分業制から逸脱したことを意味する。パッケージとしての「学級」が担う機能は、分業制の下では制限され、教師の活動にもまた制約が課されるはずである。しかし、このような自覚がないままに、多様な活動が「学級」内に導入された。それはいうまでもなく、当時の人々が機能限定的な集団の意味を理解しえなかったことを物語っている。
 換言すればこのことは、「学級」が、あらゆる生活機能を包含した村落共同体の論理によって解釈されたことを示している。村落共同体が、生産機能、生活機能、政治機能、祭祀機能をすべて包含す…(略)…機能集団としての「学級」とは、子どもの生活の一部にすぎない。しかし、「学級」が生活共同体化すると、それが子どもの生活のすべてとなる。放課後も、帰宅しても、そしてまた夏休み中も、電話やメールで同級生とのつながりがそのまま継続するという現代の風景の出発点が、このようにして作られた。」(『<学級>の歴史』 柳治男著 講談社選書)

「一七世紀後半の綱吉政権の頃までは、城下町に徘徊する野犬などを捕えて食べる風習があったし、地方各地での鉄砲所持数も増加し続けていたが、このことは、農作物を荒らす鳥獣を捕え、その一部を食べていたことを示している。この頃に、犬などの愛護を内容とした「生類憐みの令」が出されたが、これは、中央政権(幕府)が人間の中での弱者(浮浪者、捨子)の保護や酒類の統制から、馬・犬・鳥獣対策までをも、多少の政策のゆれを伴いつつも、統一して規制してゆこうとする意図の象徴である。一七世紀後半の農民は、従来の大家族的な地方有力者の支配から小家族を単位に自立しようとしつつあった(「小農自立」)。このことは、こういう農民層の動向の前に動揺していた社会情勢への、中央政権の新たな対応・再建策であった。各藩も大体この時代に前後して、同様の政策をとりはじめていた。…(略)…文明開化期の肉食嫌悪の感情はよく知られているが、これら動物愛護の感情は、江戸初期からというよりは、綱吉政権の頃に一画期があり、幕末までにしだいに強化されてきた感情なのである。…(略)…
 なお、こういう共感の感情がもっとも生じやすいのは、人間そのものに対してであることは言うまでもない。したがって、これから考察するような、この時代の人々の有する使用人や子どもを殴りつけることを忌む感情は、「生類憐み」の感情ときわめて近接しているのである。」(『体罰の社会史』 江森一郎著 新曜社)

「『地教行法』のメリットの一つは、教育委員会の主張が弱くなって教育システムが効率化され、全国に同水準の教育を普及させやすくなったことだろう。昭和三○年頃の状況では、意味のあることであった。…(略)…『地教行法』は、「決められた教科書で、集団授業をやっていればいい」という安定世界を作った。ある枠の中でなら、学校は教員天国だったのである。積極的な教員たちは授業研究へと向かい、授業に磨きをかけた。
『地教行法』は、学校に五○年間の無風状態を作ったと思う。江戸時代に似ている。江戸幕府は権力ピラミッドを作り、対立をすべて押さえ込んだのである。たぶん、江戸時代が、現在となってみればそれなりの評価を受けるように、後世となると、『地教行法』も、独特の日本教育ができる下地となったと評価されるのではないかと思う。その日本独特の教育はまだ生まれていないものであるが。」(『変えよう! 日本の学校システム 教育に競争はいらない』 古山明男著 平凡社)

「まとめると、組織的には「学級」を単位にし、カリキュラム的には「全国一律」に学習指導要領をベースとする、日本型の平等主義的な教育制度がつくられていく、その起点となったのが一九五八年であった。
 次項で詳述するように、教育における五八年体制は長年にわたって日本の教育の基本であり続けたが、バブル崩壊が起きた一九九○年ごろに見直しが図られる。その基軸は「学力観の見直し」であり、これを政策ベースに落とし込んだのが「ゆとり教育」であった。しかし「ゆとり教育」の実現はうまくゆかず、教育における「失われた一○年」ともいうべき混迷状態に陥って現在に至っている。…(略)…
 そのエッセンスは、労働市場がフレキシブルになっていくことに対応した、「自己責任」・「自己選択」・「多様化」・「個性化」ということだ。総じていって、みんなで一つの方向を向いて競争することはあまりしないようにしよう、という流れである。…(略)…しかしながら、政治における五五年体制の崩壊がそうであったのと同様、教育における五八年体制の崩壊も、それに替わる新たなシステムの構築には至っていない。九○年代が、「失われた一○年」と言われるゆえんである。」(『学力幻想』 小玉重夫著 ちくま新書)

「1980年代以降、「マジ」や「ガチ」は長く冷笑されてきた。しかし、ポストモダニズムの懐疑論を引用して、「消費社会の時代」に影響力を強め、「引きこもりの時代」を通じていたるところに瀰漫した冷笑主義は過去のものといわざるをえない。「マジ」や「ガチ」を冷笑する態度こそ「ダサイ」というのは、最近の若者がしばしば口にするところだ。…(略)…過去20年代にわたる「デフレ不況の時代」の社会的・文化表象として注目されてきた引きこもりだが、いまや存在それ自体が危機に瀕している。引きこもるための個室が与えられているから、人は引きこもることができた。その個室とは引きこもり第一世代の場合、団塊世代の親が建てたマイホームの子供部屋だった。…(略)…
 SEALDsがリア充だとしても、「デフレ不況の時代」にオタクに対置されたリア充、しばしばヤンキーや意識高い系の属性として語られたそれとは次元が異なる。電気代が支払えなければ電気は停まる。電気が停まればパソコンは動かないし、二次元の世界に耽溺することもできない。たとえていえば、これがポスト「引きこもりの時代」のリア充だ。」(『3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・SEALDs』 笠井潔/野間易通著 集英社新書)

「かく言う私も、自分の子供が、ものを頬張っている姿を直視することができなかった。この世に残していく我が子への情がまとわりついて、一瞬でも自分の覚悟を邪魔するのではないかという恐怖感があったからだ。
 しかし、その時がきたときに情が覚悟を邪魔することは一切なかった。
 だから、情が大きくなることを恐れる必要はない。…(略)…だから、平素から押し殺したり、ねじ伏せたり、目を背けなければならないというものなどはない。自分の心の奥深くにある本能を信じ、淡々と技を磨き、身体を錬え、心を整え、その時に備えておくだけでいい。
 私は、現在の日本に不満があるし、不甲斐なさも感じている。
 しかし、「あなたは日本に危機が訪れたらこの国を守りますか?」と聞かれれば、「守ります」と即答するし、なぜ守りたいのかと聞かれれば、「生まれた国だからです」「群れを守りたくなる本能が植えつけられているようなのです」と答えるだろう。
 ただし、だ。
 せっかく、一度しかない人生を捨ててまで守るのなら、守る対象にその価値があってほしいし、自分の納得のいく理念を追求する国家であってほしい。
 それは、満腹でもなお貪欲に食らい続けるような国家ではなく、肌の色や宗教と言わず、人と言わず、命あるものと言わず、森羅万象すべてのものと共存を目指し、自然の摂理を重んじる国家であってほしい。
 たった今も、生きていたいという本能と、この世に残していく者への情に悩み、技を磨き、身体を鍛錬し、心を整えている者がいる。
 本能がそうさせることではあるが、彼らが、自分の命を捧げるに値する、崇高な理想を目指す国家であってほしい。
 それは、この特異な本能を持って生まれてきてしまった者たちの、深く強い願いであり、尽きることのない祈りである。」(『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』 伊藤祐靖著 文春新書)

2016年8月11日木曜日

トータルフットボール、教育制度と戦術(2)――都知事選結果・相模原事件を受けて

「オランダの小学校の光景です。

小学校の教室では、子どもたちはたいてい五~六人ずつのグループを作って勉強しています。もちろん授業中に先生が子どもたち全員に説明をする時間がありますが、授業時間全体の中に占める割合はそれほど多くありません。一人ひとりの子どもがそれぞれ違う課題をこなしている光景がよく見られます。いつもグループの席に座っているばかりではなく、教室の隅のコンピューターに向かっている子どももいれば、廊下に設けられた机で勉強している子どもももいます。先生は、黒板の前の教壇に立っているというよりも、グループごとの席に座って勉強している子どもたちの間を静かにゆっくりと回りながら、必要に応じて小声でアドバイスをしています。時々、子どもたちが自由に席を立って先生のところにやってきて質問をしたり、やり終えた課題を見せに来たりします。先生は、子どもの質問に答えたり、子どもが持ってきた課題の答えを点検しながら、よくわかっていない子どもには、教室の壁に備えられた棚に並ぶ様々な教材の中から、その子どもの学習情況に合ったものを取り出して、子どもたちが自分の力で理解するように助力しています。
 オランダの学校では子どもたちを椅子に縛りつけることがあまりありません。ほかの子どもの邪魔にならない限り、また、取り組んでいる学習のためである限り、子どもたちは自由に席を立ち、教室の各隅に用意された読書コーナー、コンピューターコーナー、ゲームコーナー、資料棚、などに行って課題をこなしています。
 課題を終えた子どもは、たとえば、教室の外の廊下やホールの明るい窓のそばなどで、その間の教科以外の追加学習に取り組んだリ、パズルやゲーム感覚でできるもっと挑戦的な課題に取り組んだリします。そのための、色彩豊かで、見ていて楽しくなるような教材が学校の備品としてふんだんに用意されています。
 子どもたちの身体の動きには、不必要な制限がありません。普通は、先生が説明をしている時以外はトイレに立っていくことも制限されていません。かといって何もせずにボーッとしていたり、おしゃべりに夢中になっている子どもがいるのではなく、どの子も授業の時間中一生懸命勉強しています。」(『オランダの個別教育はなぜ成功したのか』リヒテルズ直子著 平凡社)

サッカー番組フットブレインによると、本田選手は直々に安倍総理との会談を申し込んで、サッカーの育成の在り方だけでなく、日本の教育自体を変革する必要を訴えたそうだ。小手先ではなく、もっと根底から変えていかないと、日本のサッカーは世界で勝てない、通用しない、ということを、オランダの教育事情を見て認識したらしいのである。どんな内容を話したのかは明らかではないが、まずオランダのリーグからヨーロッパ遍歴をはじめた本田選手が、いくらメンタル的な強さを全面に出す発言が多いからといって、全体主義的な体制強化を直訴したわけではあるまいと、私は予測する。おそらく、とても無邪気に、安倍のナショナリズム思想を逆なでするような、自由思想の拷問的な実行を説いたのではないか? 私も、小学生の子どもたちの育成現場に関わり、トータルフットボールと表現されるようになったサッカー=ヨーロッパの現実への抵抗は、とてもサッカーの指導現場だけで対処できうるものではないと感じ始めていた。生まれたてでは同じはずなのに、なんでこうも違うサッカーが発生し、その差を埋めるのが困難なのか? 子どもたちが多くの時間をすごす、小学校の在り方がちがうのではないか? と、息子が中学にあがり、そこの運動会でいまだに集団行動なる競技が選択されている様を知って、向こうヨーロッパの教育事情を調べ始めてみたのである。そういうこの頃、本田選手が上のような動きをしたことを知って、論理的に物事を追いつめていけばたどり着く一端が一流選手にも共有されているということなので、独断ではないのだな、と心強くおもった。本田選手は、廃校化した学校法人を買い取って、本田学園でも作ろうというのだろう。が、やはり、強者のイメージ強い本田選手が、では弱者に対し、どうスタンスをとるのか、やはり心配になってくる。本人は、自身が弱いまま成りあがっていったことは自覚しているけれど、世のイメージからは憂慮もでる。安倍と話せる、と判断したのにも、安倍自身に、権力を動かせる強者を認識したからだろう。

そして、その安倍の流布させているイメージ、言説=思想のイメージを文字通り実践してしまうと、相模原の知的障碍者施設での19人以上の殺傷事件に行き着いてしまう、ということだ。『脱原発の哲学』を著した友人のブログにも、<国家の本音を忖度し、日本社会の差別的な心性を圧縮した「代行」としての犯罪であった>との認識があるが、私も同感である。が、その認識までで、だから対象を批判しうる「論理」を得たと、取って返すいわゆる左翼的な知的転回には反対である。差別される側、出自の者たちはそれで充分かもしれない。が、あくまで体制側の人間として育成されてきた私には、そんな程度の認識では不十分である。もっと突っ込んで認識したくなる。そうでなければ、私自身が見えない。
小池の当選は、その出馬表明をしたその在り方からも確実であった。私は友人へのメールでも、投票率が60%超えたら独走になるでしょうね、と書いていた。一緒に仕事をしてる団塊世代職人、消防団の団長さんなどは、舛添が辞任した時点で、小池さんが出たら圧勝だね、ともらしていた。この防衛大臣もした女性の当選を受けて、いわゆる左翼的な考えを自称する人たちは「絶望」したのだそうだが、こんな簡単自明なことに「絶望」してしまう人は、本当に「絶望」することはないのだろうと思わざるを得ない。私は選挙にいかなかった。鳥越氏など、まったく当てにならない、というのがその顔を見ての私の判断だった。心情的には、小池支持だった。しかしそれは、いわゆる左翼的批判でこの「心情」を射抜くことなど到底できないほど、歴史的に根深いものだと私にはわかっていた折込済みのものにすぎない。都知事など、舛添のままでよかったのだ。が、その弱者の追放に加担した者たちが、「弱者」として戦いを挑む小池の姿勢に共感し、そういう情勢・あり方を作ってしまった石原都議連に対し嫌悪を表明した。この選挙民の一見相反する立場の動きは、同じ心理のものであろう。経済学者の浜矩子氏は、「判官びいき」ということであって、庶民が何を基準に判断したのかは明確になった、そのことの結果はともかく、引き受けて考えていかなくてはならないことだ、とたまたま見たTVの討論番組で述べていた。私の立場もそういうことで、まさに、「判官びいき」という用語が念頭に浮かんだのも同じである。

「判官びいき」とは、不遇な人や弱者に対しひいきすることだが、そのとき、たとえ弱者側に非があったと論理・事実が明白であっても、まあまあそれはそうですけど…とその理屈是非を問わず容認してやることを孕んでいる。今風に言えば、反知性主義、とかになるだろう。

相模原の施設は、交通機関とも疎遠な、人里離れたところにある。私の弟も、以前、群馬の山奥にある知的障碍者施設に勤めていた。「あれは、子どもの捨て場だよ」というのが、弟が言っていたことである。まったく面会にこない親も多いという。拘束を嫌う者は夜半に脱走し、職員みなでの山狩りも珍しくない。もちろん、そんな施設に子どもをあずけられるのは、お金持ちだけだろう。普通の人は、自分がいつ殺人者になってもおかしくない緊張した生活の中を生きていかねばらないだろう。高齢となった自身との親との間でもそうなる。そして寝たきりの老人相手よりも、コミュニケーションが成立する障害者のほうがまだいい、というのが弟の経験らしい。
弱者を切り捨てておいて、それに同情すること。「判官びいき」とは、それゆえ自作自演ということになるが、問題がやっかいなのは、そうしたバランスとり、心理的な安定への必要が、自身が殺してしまうかもしれない、という庶民的実情、切迫さから由来している、ということだ。だから心理的な事実としては、自分では切り捨てられない弱者を切り捨てる決断を下すことのできた為政者に対する、アンビヴァレントな動き、ということだ。老人や子ども、障害者を施設に預けられる層は、単になお自民党なり、組織票として動けただろう。が、その数は、もはや多くなく、浮動層の増加とは、心理的バランスを人為的にとらないとやっていけない不安定層の増加、ということでもあるだろう。

物語論的には、「判官びいき」とは、貴種流離譚というストーリー元型の一つと結びついている。王ではなく、その王子、追い出された弱者のイメージをもつ皇太子への同情である。現天皇は、勇ましい歴史記憶をもつ昭和天皇の王子というイメージ、そして現皇太子などは、女房がマスコミに叩かれているイメージが強いので、なおさら世間から離されているというイメージが付きまとっているようにおもう。ならば、浮動層の心理的不安定は、天皇を主人公にすえたストーリーによって、より祭りごと=政治として自作自演=バランスを要求する可能性もある。それは、結果としては、どう転ぶかもわからない。私たちは、その歴史的な内実を把握する理論を、持てていない。相模原事件から現勢力の「代行」をみた田口氏は、アーレントの「全体主義の起源」を引用してくるけれど、それは外からの知的批判が精一杯で、庶民の心情を動かせる実践知に連なっていく態度とは思われない。むろん、心情とは遊離した知識は、それを共有する外との連帯にはなるだろう。が、沖縄の人たちが、こちらを支援するなら、本土人がまず真の独立を勝ち取るれるよう自身でやってみよ、それがそのままでこちらの気概と連帯した動きになるだろう、と冒頭引用著作者の一人は言われた、と言及していたが、そういうものだろうと私もおもう。

秋葉原事件、川崎事件、老人放り投げ事件、そして今回の相模原事件と(今度のは唖然としたけれど…)、私には他人事的に批判などできない。それは被害者の側ではなく、加害者の側として、ということだ。そしてこの加害者の動き=論理=アンビヴァレントが理解できなくて、どんな実践も空回りするか、独善的・強権的にやっていくほかないだろう。

2016年8月10日水曜日

クーデタ、「生前退位」報道の(2)

木村 だから本当にいま、安倍政権の暴走を防ぐ大きな存在として浮上しているのが、オバマ大統領も含むアメリカのリベラル勢力。あるいは内閣法制局や創価学会などの存在も指摘されています。そして一番、暴走を止める力があるのが天皇だという声が護憲反戦平和勢力の中から出ています。それはあまりにも他力本願であり、天皇の政治利用であるという批判もありますが、僕はそれがいまの安倍政権を止める一番大きな力であるならば、天皇の真意を一般国民にわかってもらうということはいま一番重要なことではないかなと考えています。」

白井 ここ最近の天皇皇后両陛下が出しているメッセージというのは、ほとんど僕は不穏ですらあると思っています。例えば山本太郎さんがいわゆる直訴状事件を起こしましたが、あのあとに両陛下が何をやったかというと、栃木県に私的旅行に出かけてらっしゃった。僕はニュースで、たまたまそれを知ったのですが、私的旅行で栃木県。何だろうと思って調べてみたら、足利市にある歴史資料館に行って、田中正造の直訴状を見ているのです。それを見るために出かけて行って、常設展示されているものではなく、わざわざ出してもらって見たらしいのですが、これはすごいことです。
 田中正造の直訴事件といいますが、正確には直訴未遂で取り押さえられて手紙は天皇に届いていないのです。ですから、両陛下は、田中正造が届けようとして届けられなかった手紙を一〇〇年ぐらいの時間を隔てて、わざわざ受け取りに行ったということなのです。…(略)…明らかにこれは原発問題に対するメッセージだと思います。要するに原発をこれ以上やるなどということは、いわば日本の民族の未来や日本の国土に対する裏切りである。そのようなことをしてはいけないということを言っていると僕は思います。
 さらに言えば、田中正造の直訴状を書いたのは幸徳秋水ですよ。幸徳秋水は大逆の男であって、明治レジームが不倶戴天の敵として抹殺した相手です。つまりこれは、ほとんど近代日本の体制を根本的に変革せよというメッセージだというふうに、本来、勤皇家であれば受け取るべきなのです。
鳩山 戦後レジームの脱却をおっしゃっているのは天皇陛下であるということですね。
白井 戦後レジームどころではないです。明治以来の近代日本レジームなのです。」(『誰がこの国を動かしているのか』鳩山友紀夫 白井聡 木村朗著/ 詩想社新書)

第二の玉音放送と、宮内庁番記者から喩えられていたという天皇陛下の「お気持ち」が表明された。すでに不意打ちではないはずなのだが、今回も宮内庁はそのビデオ・メッセージの件を前もっては了解せずという形式を保ち、NHKのスクープという私的流通のような形式を通して、予告された。「お気持ち」の公表あとでは、なぜ宮内庁が「否定」してきたかの経緯をにおわせる弁解が記事になっている(毎日新聞朝刊8/9)。それによれば、「内閣官房」とも「協議をしながら準備を進めた」とされている。私が忖度するに、宮内庁自らが音頭をとって陛下に協力しているとなると、まさに天皇の政治的利用という解釈が現実性をもってきてしまうので、侍従職側からの「関係者」というより私的な場所からのリーク、という形式を保持する必要があったのだろう。そういうことを、内閣官房がアドバイスしたとかあるのかもしれない。

天皇自らの「お気持ち」は、玉音放送が「人間宣言」を顕著な内容として提出されたとするなら、今回のそれも、天皇といえど歳をとり、老体となり、病気にもなり、疲れ、大変なんだ、と訴えているのだから、まさに第二の「人間宣言」と言える。庶民感情としては、だからかわいそう、楽してあげよう、そうなれば解決、とその場を思い過せばいいのだろうが、ちょっと「お気持ち」に考えをおよぼすだけで、そもそも身体を持った「人間」に、抽象化された「象徴」的な行為など可能なのか、と、天皇が人間を超えた悩みを抱え、それこそを国民に訴えていることがわかる。みなさん、私の身になって考えてくれ! と。私には、そうとう痛ましい「お気持ち」として受け止められた。また逆に、「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」と、天皇を神として信じようとした三島由紀夫がこのビデオをみたら、どう反応するのだろうか、と想像する。

が、私が今問題としたいのは、その内容ではない。あくまで、今回の件を発生させることに協力した、暗躍した人たちの世界のことである。それこそが、歴史を動かそうと企む現権力の縮図ともなろうから、いったいこの一連の動きはどういうカラクリでわれわれに仕掛けられているのか? NHKの会長は安倍自身が任命してるのだから、現総理の了解があったとしても、どこまで関与しているのか? 冒頭引用の著作者らによると、NHKは天皇には厳しいという。ならば、最後には「厳しい」仕打ちになっていくものとして、今回のスタートが利用されているのか? 佐藤優氏は、安倍側というよりも、女性天皇も容認する小泉側(皇后ー雅子ー元外務次官―外務省―侍従長)からの仕掛けと読んでいるようだが、ならば、なんで安倍ーNHK路線は、男系を支持し、原発=核を肯定する自分らと反する路線の動きを容認するのか? 小泉側からアメリカの重要人物が絡んできていて、黙認する以外なかったのか? 

私には謎のままである。
この件に関してやりとりした、友人とのメールの一つを引用しておく。

<確かに、天皇が認知症や身体病気で死に体になったときなどは、政治的利用は発生しやすいでしょうね。が、それは暗黙になされるほかはなく、現役でなお動けるときのそれ、誰の目にも明白な形でのそれとは、趣が変わってくるのではないでしょうか? 藤原や平家、江戸徳川やマッカーサー・アメリカの権威利用と、吉野南朝に連なるような天皇の主体性と関わる動きとは、同じ政治的利用でも、日本史の表裏で、もう別歴史になりますね。今回、もし天皇自らが意識的に現政治への抵抗性として言動を仕組んだとするなら、これは南朝的で、柄谷のいうような江戸=9条体制を自ら破棄してもっと打って出る、ということにならないでしょうか? どっちの日本史が表と裏で「おぞましい」のかは、まさに趣味によりますね。私は、なんともいえない。バサラな後醍醐天皇の可能性みたいなのも、浪漫的すぎて、本当はどうかあやしい。江戸的なものが「いやしい」とするなら、やはり「おぞましい」のは天 皇が主体的に動くときですね。アブジェクションが露呈してくるような。


が、佐藤優の分析によると、それは皇后ー雅子ー元外務次官の父ー外務省の方策、となるわけですね。が、アメリカ体制、安倍はそれを口先では嫌米で日本独立みたいな強気なこと言いながら実は従順になるというマッカーサー・徳川体制の強化ですから、もちろんそれも実質的には外務省が主導だったこれまでの歴史の延長なわけですから、矛盾してますね。今度の天皇側のリークを、「外務省のやりそうなことです」と佐藤は言うのだけれど、で、何をやりたいのでしょうか? 天皇が生前退位することとマッカーサー徳川体制が補完的により強く結びつく、という論理があるのでしょうか? 「外務省」と言うときは、単に、娘・息子かわいさから、という私情を超えて、なにか政治的意図、あるいは思想的意味合いがあるわけですね。女権になってもいいから、今の皇太子側の人選になることで、権力側がよりアメリカの言いなりになりやすい特典があるのでしょうか? まあ、小泉路線はそうで すね。ということは、脱原発も、アメリカの利益になっていく、原発推進派の安倍に好き勝手なことはさせない、日本に核武装などさせない、ということか? まあトランプが大統領になると、もっと日本を放任させていくことになりそうだけど、それは一時だけだ、というのが副島の見立てで、誰が大統領になっても歴史の勢い、戦争へ向けては変わらないと。でその場合の戦争では、日本は核なくして中国と闘え、ということでしょうが。で、漁夫の利ねらいということで。


私の今の感じでは、天皇の発言がなんであれ、それはやばい形式の夜明け、パンドラの箱を開けてしまうことになりかねない、という佐藤の危機感を共有しますね。柄谷も、もし天皇自身が、9条を実行します! と発言されてしまう事態を、自身の理論として肯定するのでしょうか? 1条と9条はセットな論理である、がそれは別だからセットなので、字義通り一人の人格によって実装されてしまうとき、もはやセットではなく、一体ですね。ライオンやトラのなかに動物という存在が露出されて実現されてしまう、つまり、金(きん)が金(かね)になるときとが、恐慌の現実性が構造的になったことの証しですね。今回の天皇の動きがそういうものなら、その良き意図を超えて、別次元のカテゴリーが発動されてしまう気がしますね。江戸体制で天皇が自ら動いたら、まさに動乱期の幕開けですね。柄谷理論の実現=自爆です。


----- Original Message -----
From:○○
To: SUZUKI MASAKI
Date: 2016/8/6, Sat 20:42
Subject: 政治利用を拒む政治意識


「天皇の政治利用」は、今後に現天皇が退位せずに寝たきりや認知症で公務ができない状態になったときは、おぞましくも必ずになされるに決まっています。昭和の終わりに、「自粛」ムードの中で朝日新聞神戸支局が赤報隊に襲撃され、本島等長崎市長が銃撃されたのと同様の事件が、不景気の「平成の終わり」ならもっと大々的に、むしろ国家が主導してなされ、学校教師を始め、私などがインターネットで僅かに天皇制批判を書くだけでも、天皇の名の下に殺されか拷問されるかする蓋然性は、小さくはないでしょう。学校への日の丸・君が代の強制も、昭和天皇が病床にあるときに始まったのですよ。物が言える状態ならば、天皇自身が「不快感」を表明したであろうに。靖国神社へのA級戦 犯合祀への「不快感」と同じく。我々は、「明治の終わりに」中上健次の故郷で起きた大逆事件が反復される危険をも恐れねばならないでしょう。父らのように「政治利用」されたくはないという「政治意識」ならば、それを天皇が持つことは、むしろ近代的でしょう。むろん、退位表明に伴う別な危険があるにせよ、退位しないままの危険、おぞましさはほぼ100%のものです。戦後憲法下で即位した最初の天皇に対し、ずっと欲求不満であったにちがいない右翼政治家たちにとって、物が言えない天皇ほど都合のよいものはありません。もう目に見えています。


私は、上記のことを今回都知事選挙とつながることとして考えてもいます。中学校の春の自分の卒業式の君が代斉唱を誰にも指導されず、相談せず拒んだ年の高校1年夏、細川護煕が首相になりました。新聞の選挙広報の最初の枠が確か日本新党で、細川護煕を上に飾って妙にソフトにのっぺりした顔写真が並んでいたのを見ました。小池百合子もそこに写っていたはずですが、その他お笑いみたいな新党が集まっている紙面にゲラゲラ笑った覚えがあります。その細川護煕が、大人達の熱狂の中、政治改革という名の下、小選挙区制を導入した時、政治家やメディア、熱狂する国民は頭がおかしいのだなと思いました。本当に意味がわかりませんでした。が、後から考えるに、昭和を生きて来た大人 達は、昭和天皇に代わる無責任人間をこの国の元首にしたいのだな、と理解しました。現天皇よりも、細川護煕、その後の小泉純一郎、安倍晋三の方が、昭和天皇とよく似ています、細川や安倍のあの何かを煮染めたごとき「昭和顔」からしても。小池百合子はその意味で細川や小泉の正統な後継者です。石破茂はやはり内閣を去りましたが。無責任の体系は「平成」が始まってすぐ、皇室とは別に形成されており、細川が首相となったその1993年の初めにはさらに、あかつき丸がフランスから東海村にプルトニウムを入港しても来たのでした。放射能は「千代に八千代に」続くのだから、仮に皇室がなくなっても、原発を「護る」ための無責任の体系は、ずっと続くでしょうか。