2019年9月29日日曜日

河中郁男著『中上健次論』(鳥影社)と。

中上健次の論にはとどまらない中上健次論である。
まず第1巻は、作品を読む行為としての批評的枠組みの問題、とくには単線的なものへと抑圧してきたと河中氏には理解される、戦後の文芸・思想史上にみられる系譜を洗い出す作業を前提必要とし、第2巻は、具体的な問題読解を例示して批判してみせる必要から書き出される。第3巻は、『地の果て至上の時』で、これまでの批評的読解では把握しきれない外へと到達してしまった中上氏のその後の作品を、河中氏の方法意識のもとで試みられる読解として提示してみせたものである、と大概には要約できるだろう。つまりは、第3巻までの長さは、根底からのやり直し、土台の構築作業から入る必要にかられたところからくる必然である。
この必然に対する応答を、私の知見の範囲では、まったく知らない。ネットで検索してみても、無視されているのではないか? 第1巻で標的にされる浅田彰氏、第2巻では渡部直己氏がやり玉にあげられる。前者とは、同じ京都大学出で年齢も近い。後者は、代表的な中上論を上梓している批評家の筆頭といえるだろうが、最近さわがれたパワ・セクハラだかにはとりあえず応答しても、文学自体には応答しないらしい。大澤真幸氏や東浩紀氏といった現在形の論客も射程に入っているが、そもそも河中氏のこの中上論を読んでいるのか? 論じるに値しないと判断しているのか? それとも、大見えを切っているような文体に対する、触らぬ神に祟りなし、という対応だろうか? 私の知る限りでは、新聞広告が二回打たれているが、その二回目で、柄谷行人氏が、ふまえなければならない中上論の決定版、とのようなコピーを書いている。その柄谷氏自身は、本論で、徹底的に批判(否定)されているのである。マルクスを読めていないどころか、マルクス自身がそうやってはいけないと予め釘をさしておいた『資本論』の形而上学的読解をおこなってしまっているのだと。
しかし、その柄谷氏の説いた、「(近代)文学は終わった」という認識パラダイムを受け入れるなら、これらの無視、文学的応答のなさは、もっとも至極な対応ではあろう。文学という理念(規範)が失効したポスト・モダン的な状況では、生活という世俗の営み(スノビズム)があるだけなのだから。真面目に応答する面倒や不利益を考慮するなら、無視して日々の繰り返しに時間を費やした方がいいという、賢明さが最善になるだろうからである。そして私自身は、このパラダイムを受け入れている。文学的営みは、じいちゃん・ばあちゃんが「俳句」や「短歌」を公民館で創作している趣味と同じ社会的営みになっているだろう。あるいは少し高尚なものとして、「朝日カルチャーセンター」での生涯教育。もはや、なんら社会的影響力はない。私が、このブログで、河中氏への応答をつづるのは、まったく個人的な必要性と義務による。それは、文学的応答の職務も倫理・義務もなくしてしまった職業作家たちの事態と同じである。

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河中氏は、戦後の私たちが、「汝、平和を守るべし」という戦死者の声を定言命法として受けいれ、支配されてきたという。それが問題であるのは、様々な死者の声、むしろ沈黙する死者たちを抑圧してしまう構造が定着してしまうからだ。中上健次が、大江健三郎に代表される「戦後の枠組み」に抵抗を見せ始める継起は、兄の、小説中では「郁男」の自殺をめぐる真実を思考しはじめることによってである。父子との、母子との、姉・兄弟といった家族関係に潜む内的な現実を探る試行錯誤は、作家においてだけではなく、それを追う読み手にとっても、いわば量子論的読解を強いる。運動と位置を、同時に観察しうる視点はありえなくなる。まず何がみたいのか、「観点」を決定しなくてはならい。作家は「秋幸」を観測地点という抽象設定に変える。そこで見えてきたのは、資本という変化、運動である。『地の果て至上の時』が書かれた1980年、その変化は決定的となる。「汝、享楽せよ」、戦後を動かしてきた「定言命法」とはこれではないか? この資本の現実は、内面の「真実」など問題としない。犯した、殺した、という「事実」をそのまま受け入れることでしか始まらない。しかしその先は、どうなるのか? 私たちが突き付けられているのは、そういうことである。

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高1の息子がスマホを使うようにならなければ、私は、資本主義を身をもって理解することはなかったのではないか? あるいは、そうしたとき、河中氏の中上論を読まなければ、単なる知識・教養として通りすぎただけだったかもしれない。

<『枯木灘』で最も重要なことは、「秋幸」が「道徳的マゾヒスト」として在り、「龍造」が「淫らな父」として在るという事である。この二人の在り方が、中上が突きつけた現代の問題なのだ。
 例えば、「道徳的マゾヒスト」である「秋幸」とは、リストカットする子供である。彼らは、自らを傷つけ、傷つけることによってしか自分の存在を確かめることができない。また、「淫らな父」とは、子供を取り巻く資本主義そのものである。それは、ゲームソフトとして、音楽のダウンロードとして子供たちに大いに楽しむことを命ずるのである。>(第1巻・p687)

<あるいは、「オウム真理教」の事件を考えてみればいい。彼らは社会全体に向かって攻撃を仕掛ける。そのことは、その攻撃性によって社会が何らかの変化をもたらすことを期待するもの、つまり革命行為ではなく、テロリズムでしかない。…(略)…それは、何も変えず、ただ非難されるだけなのであり、自らを苦しめるだけなのだ。あるいは、社会現象となっている「引きこもり」を考えてみてもいいだろう。彼らの自らの内部への「引きこもり」は、個人の内省が社会的な個人の根拠となるような意味で、社会的な生産行為の準備となるというわけでは必ずしもない。彼らは、極限まで自分自身の空虚な内面に立て籠もるだけなのだ。>(第2巻・p144)

息子の中学時の進学親子面談時、隣のクラスの子がリストカットし、面談が中止になった事があるが、「道徳的マゾヒスト」たる「秋幸」の土方労働は、「疲れ」で眠るため、ということなのだから、私がフリーターで肉体労働をしてきた一つの大きな理由と同じで、つまり自身リストカットする「道徳的マゾヒスト」=戦後民主主義者だった、ということだろう。「平和を守るべし」という社会的要請が内面化されていて、攻撃は自らに仕向けられてゆく。それは、私の高1の時にはじまった「引きこもり」の延長の裏返しであろうが、クラスに1・2名のその時から、息子の中学時代、一クラスに何人も「引きこもり」がおり、おおざっぱでならクラス30数名のうち3分の1近くがそう数えられる経験を持つ、と蔓延している。私が内的にも社会復帰できたのは、東京・新宿のアパートの裏にあった植木屋が、なお職人的なモラルを維持していた家族経営なところだったので、そこで人間的な面倒見と温かみが残っていたからである。が、3代目に移るにつれ、サラリーマン的なやり口の方が真っ当なような傾きがでてくる。タイムカードの導入、といった植木屋もでてきた。私の勤め先では、社長を退いた2代目親方が「荒くれ者」を維持しているので導入はされていない。が、傾向は、刑務所から戻ってきた「秋幸」の勤め先が日当から月給・給料制に変わっていったように、時代の変化を受けているのである。そして「秋幸」は、土方をやめてフリーターになり、正社員ではなくアルバイトとして、かつて高度成長期を「荒くれ者」として跋扈した「龍造」の林業会社へ通いはじめたわけである。この意識的な「フリー」な位置、いわば「余剰」としての「労働力」が、排除された「物自体」として「資本家」と対峙できる位置が、資本主義の現実を親近=透視させてくれたわけだ。しかし、バブル期をフリーターとして過ごした私自身は、息子へのスマホ導入、といったさらなる変化がなければ、その深刻さを軽視していただろう。

そのスマホか寝るかしかしないような息子が、先ほど、友達と遊びにいく約束があるから2千円くれ、という。「全員丸坊主だ」、という発想の出てくるまだ若いサッカー部コーチとの軋轢で部活をやめてる状態だ。「月末は俺も金ないよ。机の上の財布からとってけ。」「ちょうど2千円しか入ってないけど、いいの?」午後にマッサージに行くから鍵をもってけと言っていた私への気兼ね、確認だ。「いいよ」と私は答える。……こんな父子の日常会話自体に、そうとう深刻な現実が読み込めるのだ。

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しかし、河中氏の資本主義理解、あるいは、中上健次の小説の読解に伴う資本論には、論理的に不透明な、曖昧な部分があるのでは、と私になお釈然としないところがある。それは、マルクスによる3つの時代区分に関わるものである。その時代区分とは、――<第一に「共同体」が力を持っている時代、第二に「人格的独立性」を中心とした時代、言い換えれば「近代」=「民主主義」の時代であり、第三に「資本主義」の時代である。こういった時代区分によって、マルクスは「言葉」=「理念」と「私」を基軸にして構成された「近代国家」の時代、つまり民主主義の時代が壊れた後、資本主義の時代が来ることを示したのである。「資本主義」が機能しなくなるとき、共産主義社会が到来するという共産主義革命の到来を予見した通俗「マルクス主義」よりも、こういった時代区分の方が現実的なものである。>とされるものだが、この3つの在り方に伴う河中氏の認識モデルに関してである。

<また、マルクスはここで重要なことを述べている。つまり、第三段階において、初めて第一段階のもの、「家父長的な状態」「封建的な状態」「古代的状態」といったものが崩壊するということである。何故なら、第三の段階は第二の段階を諸条件とするにしても、第一の段階は必要としないからである。つまり、「資本主義」は「共同体」を完全に破壊させる。>(第2巻p218)

<こうした三つの段階を改めて考え直してみると、こうした三つの段階が、我々の言う「幻想の村」=「方法としての村」であるどこにもない「村」である「原始共同体」=「異物」から逆照射された歴史的連鎖であると考えてみたくなるのだ。
「原始共同体」=「幻想の村」は、歴史的過程が、マルクスの第一段階/第二段階/第三段階が、むしろ折り重なって社会を構成する在り方を、可視化する「異物」なのだ。>(第3巻p94)

上2つの引用文章は、矛盾してないだろうか? 第三段階において、第一段階が破壊されるのだとしたら、それら3つの段階が「折り重なる」ということはあり得ない。中上健次が、『岬』・『枯木灘』・『地の果て―』という三部作において、この3段階の過程をたどってみせていることを指摘しながら、河中氏は、その過程が循環した、ひとサイクルが完結した趣旨の記述もする。ということならば、第三のあとで、第一もがまた再開される可能性が担保されていることになる。がどちらにせよ、「折り重なる」という空間的把握と、前段階の破壊を伴う不可逆さや過程(循環・サイクル)といった時間的把握はそのままでは相いれない。もしかして、河中氏は、現象として時間的にみえるものから、思考モデルとして抽出してくれば、3つの段階の重なり合いが理論化できる、と言っているのかもしれない。が、だとすれば、これは河中氏が否定する柄谷行人の「交換」モデル(「世界史の構造」)に近づいてくる。河中氏の「幻想の村」、マルクスの言う「原始共同体」とが、柄谷氏の説く「交換X」という仮説的なユートピアに近似してくる。だとしたら、カント批判からはじまった中上論が、またカント的に戻ってきてしまう、と言えないのか?
河中氏の柄谷批判は、その「交換」が、1対1の個人間をモデルにしそれで終わっている、というところにあった。そんな単独者同士の交換は、実際的にありえず、資本の交換は連鎖であり、たえざる過程にこそあるのであって、そこを抽出して終わる理論とは、マルクスがプルードンを批判していうように、「ばかげた願い」なのだと。

河中氏の立場は、個人(単独者)ではなく、「村」人(集団)から考える、庶民に寄り添った立場から考えたいという「願い」であり、ゆえに、インテリ批判として一貫してきたわけだ。その批判の用語が、カントやヘーゲルといった哲学から、ラカンといった批判対象者が引用する現代思想的なものであり、自身の正鵠な読解によって正すという中央突破的なやり口による。インテリ批判が、創作や詩、あるいは宮沢賢治に象徴されるような素材からだったなら、正確に読み取るという前提さえ難しくなるだろう。しかしそのことによって、3巻を読み終えてみると、すでにある俗説との差異が、わかりにくくなる。たとえば、「荒くれ者」から「資本家(文化人)」への「龍造」の変貌は、「資本(労働力)」として抽象設定された「秋幸」という立場からでなくとも、見えてくる現象である。ヤクザ映画では、そうした時代変化に翻弄される主人公は仰山でてくるだろうし、作家中上の前に出ていただろう。が、事後認識なのが通説のカラクリであって、その同時性の設定で洞察するのは、困難であったろう。いや事後の位置にある私自身が、その認識の深刻度を理解していなかったのだから、その論理上の差異と、その指摘は、決定的なことなのだ。が、すでにある通説に、河中氏の方法論が埋まってしまう印象を持つ。

<「村落共同体」は崩壊した。つまり「村」は、一万年かかってできあがった「村」は、徐々に「資本主義」に浸食されていった。このことは、一体どのようなことなのだろうか?>(第3巻p76)

通説的にも自明な現象への問いを、改めて問う深刻度。柄谷氏はこの「どのようなことなの」かという問いを、「世界史の構造」として提示してみせたわけだ。それは、「一万年」以上も前の、定住以前の世界を想定してみせることによってである。「交換」の段階は、「折り重なって」いるというのが柄谷氏の認識モデルである。が、それは一様にではない。第三段階では、商品交換が主流にはなるが、第一の贈与交換や、第二の略取・再分配の様式がなくなるわけではない、とされる。柄谷氏は、建築史家の中谷礼仁氏の著作から、古墳を迂回して建築された大阪の国道についての例を引用したりしているが、だからといって、古層が強度を失っていない、というのではないだろう。近所の東京は山手通りと早稲田通りの交差点は、かつて古墳であり、そこに浅間神社があり富士塚もあったが、山手通りを通す際の昭和2年に破壊され、旧道は直角に交わり直行するよう改造されている。さらに、家族人類学のエマニュエル・トッドによれば、「村」=「文明」の伝播は、核家族(双系)的な交換様式の残存が濃厚であった周縁地帯における価値、パリ盆地での自由・平等という民主主義的な政体によって頓挫し、とくには文明の辺境地であるアングロサクソン系の個人文化普及によって停滞している状態、となるだろう。この柄谷の空間的モデルと、トッドの歴史的時間モデルは類同している、と私は指摘した。

河中氏は、柄谷氏の『トランスクリティーク』を「無残な失敗」と酷評する。実際、本人がそう認識して次なる『世界史の構造』へと転回したのかは知らないが、私としては、あくまで『探究』の他者論、つまりは個人間の交換論の延長として、「世界史の構造」はある。いや河中氏自身が、<新しい意味での「個人」として成立しうる可能性を持った存在>として、「特殊部落民」を谷川雁の『日本の二重構造』の観点として読もうとするわけでもあるだろう。辛辣な口調とは裏腹に、氏の態度は微妙であり、曖昧=両義的である。

<だが、「右翼」であることには、様々な形があり、「右翼」は何度でも再来するということ、そして、「右翼」であることは、何よりも日本の庶民の情緒的、あるいは心的な構造の中に内在するものに根拠を持つものであり、現れる様々な変遷を辿ることによって、時代の変遷を、社会的変化を描くことができるということを示したように思われるのである。我々は、戦後というものを戦後的理念=「平和」、あるいは民主主義の理念とその批判的な受容、そして、その内在化といった観点の変遷から考えがちである。だが、そうした観点は、知識人の頭の中にしかないもので表層的なものでしかない。むしろ、生活する人間の情緒的なものに根ざした観念的世界がいかに時代の変化を蒙っていくのか、ということのほうがより根底的であり、中上が「右翼」を描くことによって示したのは、こうしたものである。…(略)…いずれにせよ、中上以前の「右翼」は、「個」に現れた形での「右翼」であった。ところが、『異族』の中の「右翼」とは、重層的な関係における、それぞれの位置での「右翼」であり、そのそれぞれの「右翼」の「天皇」や「国家」の現れ方であることに特徴がある。
 それは何よりも、中上が「自己意識」に捉われた「個」を脱したということから生まれたものであった。それを我々は、<対象a>=「幻想の村」から、「プレ・モダン」/「モダン」/「ポスト・モダン」の重層性を描く方法として考えた。そうした重層的な位置から、それぞれ世界の捉え方を描いていくということが、中上が到達した地点であり、その完結はしなかったが、結実しかけた成果が『異族』という未完の超大作なのだ。>

第3巻を締める最後の文章は示唆的である。「個」を脱したとされる作家・中上は、「個」の力によって脱したのか? インテリよりか、庶民を凝視し、寄り添う立場を選択した。それは、個の意志によるのか? 量子の観測態度は、それが在ることの確信からの対応・発見であるとして、主体的な意志なのかどうか判然とできない。名づけようのない態度。とりあえずそれを、曖昧な態度、としておこう。しかし、この庶民の近傍に位置する態度は、災厄とともに、ということなのか? 「右翼」の再来としての。理念=規範をなくしたインテリの言動は、事実確認的というよりは、行為遂行的な、パフォーマティブな実践となった。柄谷・浅田らの「批評空間」以降、NAM実践の失敗後に思想ジャーナリズムを席捲したのは、佐藤優氏ということになるが、それは自身の言動がリアル・ポリティクスに影響がありうることを前提としたものだった。発言者の真意は不明だが、外交上の腹の探り合いのような言論が、言説的に仕組まれていくことがめざされた。が、総理を褒めたり貶めたりしながら、影響の真意がわからなくなってくると、佐藤氏は言論活動よりかは、エリート師弟への教育実践に比重を移すようになってきている。しかし、そうした対応どもが、河中氏の言う「戦後の枠組み」の延長での茶番にすぎないのだ。

ばかな息子はどこに行くか? それを見る私の眼は、父の目なのか? 個人のものなのか? かつて子であった私の思いか? 女房も含めた、家族の視点なのか? インテリとしてなのか? 職人としての社会階級的な立場からなのか? 馬鹿同士としてなのか? ……すべては、曖昧なまま推移する。明確にみようとする意欲が、私を曖昧にしてゆく。しかしそれが再来するとき、曖昧なままではすまなくなるだろう。そしてすでに、それは再来しているのだろう。部活をやめるやめないにしても、それは庶民が惹起させる再来的な襲撃なのだ。

2019年9月8日日曜日

宮崎大祐監督・映画『Tourism』を観る

吉祥寺のアップリンクへ、宮崎大祐監督の『Tourism』を見に行った。前作『大和(カリフォルニア)』の感想ブログを、その映画Facebook上で紹介してもらったこともあって、今作をまた私が何か<読み>得ることがでてくるのだろうかと、不安というより期待をもって、夜の上映に足を運んだ。厚木基地周辺・郊外の若者の生態を切り取ったような前作からのスピン・オフな感じで制作されたということだが、むしろ私には、前作に潜在していたテーマ(現実感)が焦点化されて浮き彫りされてきている、と感じられた。それは、前作が、アメリカとの政治的関係を象徴的に描いているとしたら、今作は、経済的な関係が、とくには、政治的な次元としては表象(象徴)されることもない、むしろシステムの表からは排除されているだろう潜在的な現実が前景化されている、と。

そのことはまず冒頭、シェアハウスしている若者、男一人に女二人という家の中で、幽霊がでるという会話から示唆される。経済力がましなもののアパートへの居候(いそうろう)というかつての形ではなく、家賃を分担した公平な形、しかもどうも、朝食も誰かメインな者が作ったものを皆で一緒に、ということではなく、テーブルは同じでも、それぞれが自分の朝食を用意して食べているらしい。彼・彼女たちが、正規の社員ではなく、アルバイトをして金銭を得ているということが、その後のドキュメンタリー的なインタビュー映像とうによって明らかにされる。男のレンタル本の仕分け作業でのスキルのこと、その熟練と習熟によってそこに居座るのではなくむしろ他への転職を考えるきっかけになっていくらしいこと、とくには、主人公のニーナの、雑巾を作っているような工場での単純労働の情景は生々しい。そのニーナには、幽霊がみえないのだった。相棒の彼女スミレには、貸家の廊下の奥だかに座っている男の姿が見え、気味悪がっている。同居の男は、なんとその幽霊と会話が成立し、名前まで知っているというのである。この冒頭のシチュエーションは、見ていて笑えるのだが、映画進展とともに、彼・彼女たちの社会的位置と対応した、深長な意味をもっていることが知れてき、同時に、この映画が、なんで言葉を覚えはじめたばかりなような子供の語りによってはじめられ、終わるのか、という映画全体の枠組みの必然性もが知れてくるのだ。

上映後、映画評論家の人と、今作では配給方面の仕事にまわったという男性との話があった。映画完成度、という理念的な前提をとれば、この対談での意見は正当であったろうとおもう。なんで子供の語りが必要なのか?旅をして成長するビルディングス・ロマンと不思議な国アリスの形式を使うのはいいが異文化との出会いが予定調和的一致になっていないか?スマホの紛失から一転して、郊外での生活感の描写から異世界巡りになるアイデアは面白いが、その置き忘れたスマホをズームしてとるのではなくもっとさらっとやったほうがよかったのでは?……しかし、短期間に即興的に撮影されたこの映画の不完全さ、亀裂の方から映像をみていくと、むしろそうした評価とは正反対の事態が見えてくる。

たとえば、子供の語りについて、配給役にまわったという男性は、「言葉を覚えたばかりくらいの年齢」みたいな印象、ということを述べていた。つまり、単なる子供の声ではなく、まだ赤ん坊の喃語発音が残響しているような、くぐもった声なのだ。ということは、まだ小学校にあがるまえの、5・6歳の男の子が想定されるだろう。その声が、映画の閉めで、5年後にニューヨークでニーナに会うことになる、と言う。ということは、この映画の時点では、0・1歳ということなのか? それとも、この映画はだいぶ昔の話で、子供が歳をとってから、すべてを回想して語るという未来設定の語りなのだろうか? ならば、普通なら、老人の語り声が選ばれるはずだ。しかしそうではない、常識的な現実(設定)を相手にしているのではない、というのは、この映画が、幽霊の、不可視な世界を顕在化させようとしている意図が感じられることから想定しうる。つまりこの子供は、フェアリー、妖精なのだ。しかし、この映画は、おとぎ話(フェアリー・テイル)ではない。現実を、リアルなものを手繰り寄せようとしているのである。

シンガポールのホテルで、スミレは、幽霊をみる。「ウィリアム」と、名前まで知らされている。観光地では、日本植民地化に抵抗した諸民族の死を悼む記念碑を見る場面がある。映像はモノクロになり、銃の音が響く。死者が、彼女たちを取り巻いているのだ。観光客としての彼女たちを。象徴的な世界では、観光客とは、第二の兵士と言われる。リュックを背負い、カメラを手にしている姿が、背嚢に銃という、兵士のイメージと重なり、事実、かつての戦場が、観光地になるからである。兵士は、国のために戦い、そのシンボル体系下において、父や母、家族のために戦う。その今は亡き父・母の、祖先の跡を追悼するかのように、かの地を訪れる。が、彼・彼女たちにとって、家族とは何か?

シェアハウスとが、居候とは違う、新しい形であるのは、そこに、もはや父・母がいないからなのである。自分の規範となるような父も、飯を作ってくれる母もいない。高度成長期の居候には、力関係や依存関係が、父―子、母―子の延長としての形が反映・反復されていただろう。が、もはや、そんなものはない。『大和(カルフォルニア)』では、戦後日本の規範たる、アメリカという不在なる父の痕跡があった。しかしこの映画では、白人の「ウィリアム」は死んでいるのだ。モデルとなる規範や理念が喪失されている世界で、彼女たちは、どうやって「成長」するというのか? 異文化に接して、大人になって帰っていく? そんなことは、もはや不可能なのだ。まして、彼女たちが持っているのは、カメラではない。リアルな映像自体がよそとつながったスマートフォンである。彼女たちは、自立して稼いだ金で観光地にやって来たのではなく、ネット上でのクジにあたってやってきたのである。「生活感」から遠く離れた地点に、彼・彼女たちの現実があるのだ。

この彼・彼女たちが表している現実条件とは何か? 資本主義、ということだ。もう、それしかない世界のなかで、私たちは生きている、生かされている。父の私が、高1になる息子に、何を言っても規範たりえない、なぜなら、資本が父だからである。その父は言いつづけるのだ。「汝、享楽せよ!」と。これは、ラカン派の精神分析上の言葉だ。私は最近、息子のスマホの安全フィルターを解除した。子供を管理しようとすることが意味(有効)のないばかりか、むしろ生きる力を奪ってしまう。ラカンがいうように、もはや父は、子供をなだめるだけだ。「飛び込んでいけ。あとは、偶然しかない。運よく、切り抜けてくれ。」そう、祈ることぐらいしかできないのだ。宝くじで得た金と、汗水流して稼いだ金と、私たちはいま、区別しうる内面(規範)の強さをもっているか? どっちも対等な価値をもっていると、平然としていられるだろう。いや、クジで当たって得た金のほうが、リアルに感じるだろう。私自身、バブル期に大卒したあとの建築現場掃除や配送の夜勤荷分けのバイトをしたあと、雑誌で仕事を探すことにあき、住んでいるアパートの裏にあった植木職人の家庭で30年近く働くようになり、こうして家族をもって過ごしていられるのも、運がよかっただけである。平準では、私の職種で子供をもった家庭を維持するのは難しいが、たまたまそこが昔気質の方針で、育てた師弟は大事にするポリシーを意識的に守っていこうとしていたところなので、そこまで給与があがりボーナスもでるからなのだ。しかし、だからといって、スキルを人一倍身につけた私が職人という意識になれるわけではなく、気分はあくまでフリーターなのである。いまある生は、まさに運の賜物、とは明白なくらいだ。が、逆にいえば、その運から漏れ落ちる人々が、必ずいる、ということが構造化されている、ということになるのだ。「資本論」を書いたマルクスにとって、「労働力」とは、必ず「余り(余剰人員)」が潜在しているという抽象的な現実である。余りだからこそ、フリーター(自由)なのであり、しかしゆえに、それは「絶対的貧困」に、死に隣接している地位なのだ。努力が、むくわれるわけでもなく、むしろ運によることが普通な世界……ニーナと同居している男は、それを倫理として受け止めようとしている。自分たちが、世のシステムから排除され、抑圧され、不可視化されてしまうことに、ゆえに代表制という政治のシンボリックな世界にも参加する機能から外れていることにも、抗うわけでもない。その政治的な不可能性を受け入れることから、シェアハウスのような倫理を模索しているようにみえる。宮崎監督は、シンガポールでも、バスを待つ外国からの出稼ぎ労働者の群れを映していた。あるいは、スマホをなくすことで神隠しにあったニーナを救ったイスラム教の家族の長男は、夜の屋上で地下活動的な演奏に彼女を連れていく。資本構造的には、それは戦争(国家)ではなく、テロに近い場所になる。抑圧されたものの噴出は、亡霊的だというのが資本主義を精神分析したラカン派の洞察である。その亡霊は、潜在した「現実界」の姿なのだ。スマホとは、その根拠を欠いた幻影のような世界に参加するために、究極的なモノとして開発された魔法の杖であろう。リアリズムな表現であるなら、食堂の椅子に置かれ、これから置き忘れようとしているスマホを、思わせぶりなように撮りはしない。が、ズームに露出されつづけることによって、それが日常的な道具というよりは、何か不気味なものに感じられてくる。それは、資本という見えない魔力こそを写し取ろうとしているのだ。

文学畑の私は、宮崎監督の前作『大和(カルフォルニア)』を、基地の作家村上龍を参照することで読解した。今回は、路地(被差別部落)の作家中上健次になった。というか、最近読んでびっくりした評論、河中郁男氏の『中上健次論』(鳥影社)の影響を受けてこの映画感想を書いている。(河中氏の中上論については、ブログで書評するつもりだ。)宮崎氏の前作は、基地という特殊が郊外という一般と対になって把握されていたとおもうが、今作では、むしろ排除された地として、特殊/一般の回路では把握されえない場所、よって幻影として、亡霊としてしか現れえない位相に移動しているのではないか、と思えてきた。たとえば、パンフレットでは、ロケの代役をすることになった中山雄太氏が、こう書きつけている。

<そうした映像がSpecters and Tourism(亡霊と観光客たち)というタイトルのインスタレーションとしてマリーナベイサンズに展示されているのを見るのは不思議な気持ちだった。文字通り観客(Spektator)だった自分らが、再開発の波でビルごと消えた風景のなかで亡霊(Specter)となって、いつものようにニヤニヤとアヴァンギャルドな演奏を見ている。故郷をはなれて行き場を失ったTouristsとなった僕らに出来ることは見れるうちに見ておくこと、主にサイト・シーイング。>

宮崎監督がこの映画で撮ったシンガポールの場所のいくつかは、もう再開発で存在しない、というのである。中上健次は、資本開発されて亡くなっていった路地を小説としてだけでなく、8ミリでも映す活動をしていた。その路地の消滅について、河中氏はこう言う。

<つまり、「資本」という眼に見えないものが「土地」=「自然」を破壊しているのであり、「土地」を削っているのは、「資本」だと言えるのである。
「土地」=「自然」が崩壊することによって、生まれるのは「理性」の崩壊でもある。例えば、次のような現象はそういった「理性」の基盤であるものが壊れることによって、「理性」が抑圧してきたものが立ち現れるということである。…(略)…
 この「理性」/「自然」が抑圧してきたものが「地霊」(丹鶴姫と呼ばれた女人の亡霊―引用者註)によって象徴されているものである。「現実界」から出現するのは、こうした「地霊」である。>

おそらく、宮崎氏が透視しようとしているのも、中上の路地(部落)のような現実であり、可視的な基地なのではなく、それが抑圧してきた不可視な基地、いわば潜在的な現実なのだ。だから、この作品は、亡霊の映画となろうとしたのであり、表象しえない、言い換えれば体系化しえない現実を仮にも統合的にするために、世俗の時間軸を超えた、妖精という語り手が必要となってきたのだ。この語り手は、歳をとらない世界、いわば構造的な世界としての一角、「現実界」からの使者なのだ。映画後の対談で指摘された、語りによる「メタレベル」、という階層はもう成立しない。子にとっての父、人にとっての神のような超越的な視点はもはやありえない。監督である宮崎氏自身が、これまで規範=理念としてきたアメリカ映画の形式を捨て、「スキゾ」的に撮れたら、と望んだという。理念=規範として抱いたアメリカはすでに資本の亡霊であり、この統合失調症的な映画をまとめているかのような妖精の語りは、自らもが見えない主人公として、この映像群の亀裂から顔をのぞかせていたのだ。つまり語り手は、映画の主人公=観光客(Spectator)=死者、でもあるのだ。

映画後の対談者の話によると、監督の次回作は、文字通り、「ゾンビ」なのだそうである。それは、いわゆる「想像界」のものではなく、「現実界」から立ち現れた亡霊であるだろう。