2009年8月31日月曜日

昆虫と平和、選挙から。


「自然の花、自然の森に対する人間の本能的美意識は、昆虫や動物より劣っているので、その人間のもつ美学は文化的に形成されるほかはないこととなる。いわゆるそれに足る教養を身につけて、はじめて理解でき、観賞できるものである。」(中尾佐助著『花と木の文化史』岩波新書)


いつもは8時を過ぎれば子供と一緒に寝かしつけられるのだが、明日は台風で仕事が休みなのも確実なので、9時過ぎまで選挙特集のテレビ番組をころころチャンネルを変えながらみていた。どこか私の普段とは違う様子に息子も感づいたのか、「早くママと寝なさい、昨日の絵本のつづきはママに読んでもらって」というと、素直に女房と寝床についていった。いつもは駄々をこねるのだが…。まあ、今日は以前のアパートで隣室だった知り合いの老夫婦と生き物のバーゲン(?)に連れていってもらって、アトラスオオカブトなどという大そうな昆虫を買ってもらったことを諭されて、まいってしまったということもあるかもしれない。「外国のカブトムシは買ってはいけない、といったよね?」と雨の夜の中を迎えにいった帰り道の自動車の中で、私は息子に言ったのだ。一希もそれを了解して子供たちの間で吹聴していたのだった。「外国のジャングルからカブトムシがいなくなったら、それを食べている生き物が暮らせなくなって、その世界が壊れちゃうんだよね。」「うん、バランスがね」と一希が相槌をうち、そんな言葉をなんで知っているんだと驚きながら、「(ジャングル大帝)レオはそんな人間と戦ったんだよね。いっちゃんが外国のカブトムシを買ったら、泥棒はまたカブトムシを盗んでくる、だけど買わなかったら、売れなくてお金をもらえないから、もう泥棒をしなくなるんだよ。平和が守られるんだよ。コナン君に叱られたルパン三世も、最後には冠を王女さまに返したよね?(とつい最近一希がTUTAYAから借りた「コナンvsルパン三世」のアニメのことを思い出す。)いっちゃんは戦争に反対なんでしょ? 自分が欲しいからって、カブトムシをゲットして平和を壊していいの?」気まずそうに一希はうつむきはじめる。「戦争に反対するのは難しいんだよ。まずは、自分との戦いに勝たなくちゃだめだよ。」「じゃあ、」と一希は質問する。「このカブトムシはどうするの? 外国に返すの?」「それはせっかく、オータンとバータンが買ってくれたんだから、大事に飼いなさい。昆虫を捕まえて飼うことは悪いことじゃない。そうやって、平和を学んでいくんだから。だけどこんどからは、オータンとバータンはもう歳とってパワーがなくなってるんだから、いっちゃんがもう外国のカブトムシはいらない、ぼくは自分で日本のカブトムシをゲットしてくるよ、っていわなくちゃだめだよ」……しかし、私も子どものころ、カブトやクワガタなどの昆虫を追いかけてすごした時期があるが、もうその頃の生き生きとした感覚がわからない。自分は、そこから何を学んできたのだろうか?

帰宅後、テレビをつけると、早々と民主党の300議席を超える圧勝が出口調査で予測されている。東京は中野区にいる私は、民主党のながつま氏が当選確実なのは明白だったので、小選挙区は無記名、比例で社民党にいれ、裁判官4人に×をいれてきた。前日投票者数が前回の1.5倍、午前10時での投票率は前回より低い、と速報されていたので、自公が票を確実にしようと前日投票作戦にで、で投票率がひくいとなれば互角にもっていかれるのか、とも思いもしたが、結局は投票率も過去最高の70%近くになったようだ。私は民主党の小沢氏がどのような表情、言動をするのかな、と見てみたかったのでテレビをつけっぱなしにしていたのだが、堂々と質問者(マスコミ)を批判している。そんなレベルで政治を語るな、と。なんだか日本サッカー代表試合後の中田英寿氏へのインタビューみたいだな、とおもった。つまり、つきあいで濁すのではなく、本質的なのだ。田中角栄の系譜を踏むものとして日本という共同体を保守的に引き受けながら、そのずるずるべったりの共同体的心性を切断してみせる個人主義的な筋が、この場(選挙に負けてたら負け犬の遠吠えにしかならない…)に及んでこそ発揮されたのだろう。この個人によって、既得権益圏がどこまで崩されるのか、民主党に投票した国民の大半は、自戒=自壊の念をもって支援しなくてはならない、というのが投票責任だ、と私はおもう。いわば、欧米の要人との人脈(後ろ盾)から庶民の国益を損なわせてきた政治経済的構造とは、外国のカブトムシをゲット(購入)していばっている子どもたちを巻き込んだ資本主義構造と同様で、ならば、自分個人で日本のカブトムシをゲットしたよ! と言える強さがなくてはならない、ということだ。小沢氏自身は、これから外国のカブトムシ(要人)を後釜に控えていた日本のカブトムシ(官僚等)をいくつもゲットしていくことになるだろう。で、私は?

何はともあれ、国政選挙とは国家主義を前提、基づいたものである。それは、庶民個人には直接には関係ない。そんなもの当てに出来ない、というのが生活の現実である。むろん、だからといって選挙(代表)政治にシニシズム(皮肉)になるのは無謀怠慢だ。政権が変わるだけで、身の危険が遠ざかるのかもしれないのだから。そしてもともと庶民とは、物事を一義的に受けとめない適当さと賢さで現実を乗り越えていく、その実践だけで生き残ってきたものなのだ、とおもう。で、私はどのように?

友人の美術家と建築家の立ち上げているウェブサイトで、こんな幼児教育(子育て)の動画をアップ(リンク)してくれた。それは、どこかの民法テレビで放映されたものがYou-tubeに投稿されたものらしいが、プロゴルファーの横峰さくら氏の伯父が経営する、鹿児島県に実在する幼稚園の模様である。「全ての子どもは天才」、とサブタイトルだったかにあるように、逆立ち歩きから読み書きそろばん、絶対音感による楽譜なしの演奏、とまで、自発的に全ての子どもたちができるようになってしまうという現実(本能)。横峰氏によれば、子どもに「やる気」さえおこさせればこうなってしまう当たり前のことだ、という。スパルタでやっているのではない、と。私も自分の子どもをみていてそう思う。私は将棋の勝負ですでに三回負けたといっていい。子どもが女房の言うことを聞かず虐待しだすのは、端的に遊び足りないからなのだ。その幼稚園でも、登園してまずやることは20分間の徒競走。それで満足(映像では「疲れ」と言っていたが…)し、次の書き取りの自習で、3歳児でも黙々と勉強できるのだそうだ。まったくうらやましい限りである。逆にいえば、そこまでして一緒に遊んでやらなければ、子供は満足せず暴力的に不満をぶちまけるのだ。(少子化で兄弟がいなければ、だからどうなることか? ということだ。)つまりその「やる気」が、大人のものと一致しているときにはじめて、子供の天才を持続させることができる、ということにもなる。それは、どんな社会だろうか? 私が連想するのは、自爆テロ要員に養育されていくという子供たちのことである。あるいは子供兵士は、射撃がうまいかもしれない…。6歳にして能力の頂点に立つ現実とは、親子世襲制の、あるいはかつての社会主義の英才教育――たぶん横峰氏の指摘するような他の子供と競わせ褒め(認め)ていく政策がとられたはずだ――のようなものになるのが大人社会の実際で、その天才(本能)が真実であるとしても善であるかはわからないのではないか?

私は、子供のころの、虫けらをみてのあの生き生きとした感覚を忘れてしまった。私の天才は、回復できないだろう。それは、大人として当然であると同時に、病人ということでもあり、かといって、健全(天才)になれる社会とが、いいものであるものかも想像しがたい。

《 おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。…(中略)…ギリシャ人は正常な子供であった。彼らの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、その芸術が生い育った未発展な社会段階と矛盾するものではない。魅力は、むしろ、こういう社会段階の結果なのである、それは、むしろ、芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的諸条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである。(『経済学批判』武田隆夫他訳、岩波文庫p.328’ 傍点柄谷)

 ある意味で晩年のマルクスは、ギリシアがわれわれにとって「模範」である秘密を見出したといえる。国家を形成することが文明としての成熟であり、そこに達していない状態が「子供」であるとしよう。そのような子供は「到達できない模範としての意義」をもつ。…(中略)…マルクスは、未来の社会についても、氏族社会の原理が高次のレベルで回復されるというヴィジョンを見出した。エンゲルスの「未来のアソシエーション」に関する、以下の断片的手稿は、マルクスの考えでもあるといってよい。…(略)…

エンゲルスは、ギリシア・ローマのポリスも、ゲルマンの封建制も、氏族社会(戦士=農民共同体)の「追想や伝統や模範から生じた」というのである。さらに、ギリシアがわれわれの「模範」になるとすれば、同じ理由からである。一方、ロシアであれ、中世ヨーロッパであれ、農業共同体を模範として回復する思想は、同時に被支配性・従属性を回復するものである。それは、いかに資本主義や国家に対して敵対的であろうと、結局、国家=資本を支えるイデオロギーとなるほかない。》(柄谷行人著「『世界共和国へ』に関するノート(8)」 『at』12号 太田出版)

と、なぜかまた柄谷氏の論考をここで思い出してしまった。私は、もっと生きてみよう。