2022年6月26日日曜日

戦争続報(6)


 「前にもこんなことがあったわ。ちがうのは相手がロシアの青年だったということだけだった。わたしたちは愛し合ってたの。でも、その時は、こんなふうにできなかった。彼がしようとした時に、わたしはそれまで隠してたことを告げたんだわ。わたしはユダヤ女よ、って。」

「それで?」

 オリガはしばらく黙っていた。それから異様な笑い声を立てた。そして言った。

「彼、突然できなくなったの。良い人だったし、わたしを本気で愛してくれてもいた。それにインテリだったわ。わたしを傷つけまいとして、いっしょうけんめいにそれをしようとした。でもだめだった。頭では理解していても、体がいうことをきかなくなってしまったのね。それを恥じて、彼は自分のほうから去って行ったの」

 廣野は黙っていた。彼は日本人で、ユダヤ民族というものを頭で知っているだけだった。相手がユダヤ人と聞いたことで、突然不能になるような人びとの内面は、論理としては判っても、とうてい理解できない世界だった。」(「蒼ざめた馬を見よ」五木寛之著)

 

先週は、夜に急に寒くなるので、風邪をひいてしまって、咳がとまらない、と困っていたら、なお梅雨なのに、東京でも猛暑日となった。あっという間に焼け焦げだ。頭痛がする。ウクライナの戦場も暑くなるのだろうな。ロシア兵だろうが、ウクライナ兵だろうが、そこにとどまる住民もふくめた人々のことが気がかりになる。暑いんだから、休戦には、ならないのだろうか?

 

戦争がはじまって、死傷者がで、ウクライナ側が受け入れてはじまった第一回目の停戦協議の映像をみて、私はびっくりしたものだ。何度も同じ映像が繰り返されたので、いっしょにテレビ・ニュースをみていた女房や息子に、きいたものだ。どっちが、ウクライナでロシアだとおもう? ニコニコしているのはどっち? この人物のような顔は、日本ではどこでみかける? いまの握手は、どんな様子だい? …二人はストーリーを追っているだけなのだろう、画像をみておらず、答えられない。私は、私といっしょにゲンバで働いているような青・壮年が、ニコニコと笑顔でロシア代表をむかえ、これからラグビーの試合でもするかのように勢いよく握手を求め、大きく手を振ったその映像をみて、びっくりしたのだった。ほんとにこれが、代表なのか? こいつら、何考えてんだ? すでに人が死んだんだぞ……ロシア側は、権限のない文部大臣みたいな眼鏡の官僚が協議に行かされたのだそうだが、握手を求めてきたウクライナ側の対応に面食らっていた。

 

先月末くらいから、日本でもマスメディアの流す情報に変化への布石みたいな記事が目立ちはじめた。朝日テレビでは、夕刻での通常のニュース後、解説ぬきのまま、田舎の庭で戦争ごっこをして遊ぶウクライナの子供たちの動画がながれた。「大人になったら、兵士になるんだ」と子供は答えていた。これは、ウクライナ頑張れ、と言うより、反戦の暗喩に思えた。今月にはいっての朝日新聞では、男子を徴兵するゼレンスキー内閣の方針に反対する若い夫婦らの意見が、一面の記事で紹介される、というのもあったとおもう。さらに、何チャンだかは忘れたが、「ゼレンスキー疲れ」なんていう字幕付きのニュースまででた。これには唖然とした。なんなんだこいつら、いきなり梯子を外す対応をするのか? 何がやりてんだ?

 

佐藤優も、鈴木宗男の「大地塾」とかいう講義で、今月にはいってからの海外メディアの「潮目」の変化について、英語の記事をずらずらと紹介していた。マスメディアの領域で、日本だけではない変化がはじまったのだろう。

 

ビデオドットニュースで特集された元外務官僚の孫崎亨は、もう高齢のキッシンジャーにはなんら影響力はない、と発言していたが、私は、その真偽の程度を測ろうとしていた。もし、陰謀論的な見方に一定の真実性があるのなら、ダボス会議でおこなったキッシンジャーのロシア優勢の分析評価は、分析ではなく、命令であり、世界は次にはこう動いてもらうという、スポークスマンの役割があった、となる。ゼレンスキーさん、お勤めごくろうさん、もう充分役目を果たした、私たちもこれ以上深追いするとコントロールできなくなるかもしれないし、国際世論を誘導できなくなるからね、もうこの辺で切り上げないとな。わかるよね? わからなかったら、どうなるかも、ね?

 

本当に、そんなふうになっていくのかな、と様子をみていたら、とにかく、佐藤が指摘したように、「潮目」が変わった。まじかい? 偶然の一致と思いたいところだ。が宮台真司も、最近のビデオドットコムで、陰暴論を思考射程にいれていくような示唆発言をしていた。ユダヤ系が関わると言うことは、経済合理性ということではなく、価値だか宗教の領域がどうのこうのと…。雑誌『世界』での特集号での、島田雅彦は、はっきりと「ディープ・ステート」という用語を使って解説していた。私自身も、小説家としての想像力の領域を含めて思考していくので、島田の考えに近いけれども、その「ディープ」という言葉は使う気がおきない。陰暴論にも、グレードがピンキリだし、私自身は、そこを見極める教養はない。だから、なぜそれが駄目なのか教えてもらいたいのに、宮台らも以前まで、そんなものを信じるのはバカだから、という決めつけしか聞かれなかった。

 

そうした決めつけ、ゆえにすぐに脊髄反射的にでてくる批評が、若い人たちに多いのだろうか? ポリティカル・コレクト的というのか? ネット騒ぎにはついていってないので、私にはわからないが、YouTubeでチャンネル登録している「哲学入門」の哲学系ユーチュウーバーじゅんちゃんも、そんな感じだ。途中から、なんか時代についていけなくなっているような気がして閲覧してなかったが、最近、上にあげた鈴木宗男の発言にも、ポリコレ的な批評をおこなっている。いつものことになっているようなのだが、他人にたいする批判はあっても、では自分の意見はどうなのか、わからない。しかもその批判が、その人の引用根拠は右よりのこれだから、この人によっているから、すでに既存のこの意見と同じだ……で、それが駄目だと判断するなら、なんでか、教えてくれ。最近はエマニュエル・トッドを引用して右派になる「限界左翼」になっていく識者が多い、ということのようだが、ではなぜトッドのウクライナ情勢分析が間違っていると判断しているのか、その根拠となる自身の引用根拠を教えてもらいたいのに、頭からの決めつけの印象が強い。鈴木宗男に対しても、彼の話を聞けば、まず第一が女子子供をおもんぱかった住民庇護を一番の理由に即時停戦を訴えているのに、そこには言及せず(ならばあなたはどうしたらいいとおもっているのか? 実際上の選択は二者択一的であり、理屈多様ではない)、ロシアへの思惑がどうの、という既存知からの忖度決めつけで批判しているだけだ。東浩紀などに対してもそうだろう。私は、このブログでも再三言ってきたように、戦争が主語になって襲ってくるようになるのだから、まず止める、と。東も中動態論議の延長のように指摘していたが、私もその構えを共有する。というか、世間では「政治的リアリズム」ばかりで、人間的哲学的文学的洞察が射程にない。たぶん、東は、文芸春秋での小泉悠との対談で、そんな話をしたのではないだろうか? 無料範囲でしかきいていないのでわからないが。

 

で、「哲学入門」に、こんなコメント投稿をしてみた。ちょっと時期外れな閲覧だったが、私の次のコメントには視聴者からの反応があるのだから、読んだ人もいただろう。で、私のには、良し悪しの反応がない。どう受け止めていいのか、わからない、とまどってしまうのではないか、と予想する。

 

<この戦争をめぐる件、私は宗男氏の意見に近いです。私は、こんなふうに想定してしまうのですが…ウクライナがロシアという通り魔に刺された。とっさにウクライナが身をかわして腕を振り払ったがケガを負ったのは、通行人の皆が見ていた。が、ウクライナはその一瞬できた間に、助けを呼んだり逃げたりするのではなく、俺に武器をよこせとさけびながら、応戦をはじめた。だいぶ長く二人ではりあっている。長くはりあってしまうほど、被害者なんだかわからなくなってしまうのではないだろうか? 皆が目撃していたのだから、喧嘩をやめた示談の場で、皆でロシアを糾弾できるのに。その利点もなくなってしまうような。

 じゅんちゃんの思考は原則、宗男氏のは実際水準、という位相のズレみたいのがないですか?

 自分の考えを相対化するために、チャンネル登録してます!>

2022年6月12日日曜日

コロナ続報(2)

 


先週、YouTubeでのジャーナリズム番組としては、良識的になるであろう「デモクラシータイムス.」で、「ワクチン副反応なぜ認められない 死亡例と因果関係」という特集が組まれていて、その番組最後、去年と今年にはいってからの、超過死亡者数に関する議論があった。

 

日本政府が接種後死亡を正式に認めないのには、権力側として謎がない、いつものことか、と思うだけだが、超過死亡に関する報告は、驚嘆すべき話だった。去年は、年間で6万人ぐらいが増加しているとされ、マスメディアでは、その原因は、コロナに伴う医療逼迫であろう、ということであったが、もうそんなことが起きていない今年にはいってから、さらに超過死亡者数が激増しているというのだ。ひと月単位だったか、ふた月単位だったか、一万以上の超過数が続いているというのである。このまま増加していくと、年間十万こえる、とかになるではないか?

 

このウクライナでの戦争被害者数を超えていく動向、どういう期間での統計グラフだったかな、と、確認してみようとした。がその番組がでてこない。一年近く前の、ワクチン推奨のデモクラシータイムスしか検索にひっかからない。ラインで身内におくった履歴からたどってみたら、なんと、この動画はYouTubeの規定に違反していたので削除した、と出てくるのだった。

 

陰謀論的な番組どころか、リベラル系だから、これまでの世界動向に追従してきた番組だ。それが今回、正反対の視点を打ち出していたので、コロナ・ワクチン後の世界が、こんなんになっているのかもしれないのか、とびっくりしたのである。もちろん、因果関係などわかるわけがない。が状況証拠的には、それ、ワクチンしか当てはまるものはないだろう。SNSなどでは、すでに今年にはいてからの超過死亡者数統計をめぐっては、さわがれてはいたらしい。もちろん、月一万人の普段より多い死亡者数といっても、密度としては、千人に1人増えるぐらいだろうから、生活実感的にはわからない。が、葬儀場や火葬場では、通常ではないはずだ、と、これから現場に行って調査してみる、と記者は発言していたのである。

 

近所に火葬場があり、葬儀を行うお寺の庭管理に入っている植木屋としては、コロナ以前にもどった、としか言いようがない。つまり、ほぼ毎日、葬儀がおこなわれるようになった。昨日などは、夫婦で葬儀だったので、事故とかで二人同時に亡くなったのですかね、と石屋さんと不思議がってはいたが。コロナ流行中は、葬儀も行えないからか、閑散としていたのだ。

 

どうなることやら。