2014年3月16日日曜日

Jリーグ、浦和レッズ問題から死後の世界


 「慌てふためいたJリーグは無観客試合の処分を下し、非難轟々の浦和はすべての装飾品の掲出を禁止した。これで何かの解決になるのだろうか。本当の問題はどこにあるのか。

 これから「JAPANESE」とか「日本人」という言葉を使う時は、みんなビクビクするだろう。問題が必要以上に大きくなり、社会主義国の言葉狩りのようになってしまうのではないか、そんな心配も生まれる。いずれにせよ、この一件は損以外の何ものでもないね。」(【セルジオ越後コラム】浦和レッズへの処分に思う、これで何の解決になるのか

Jリーグは浦和レッズ対鳥栖戦で、レッズ側のホーム応援団席入り口に掲げられた「Japanese only」という横断幕が問題となって、リーグ協会側は、レッズおよびそれを実行したサポーターを処分した。それを受けて、浦和レッズ経営側は、今後のスタジアムでのすべての横断幕や旗の持ち込みを禁止する対応を打ち出した。私は去年のブログで、レッズの応援の面白さをとりあげながら、そこに伺える危うさを指摘した(「一緒くたの最中から」2012.9)。同時に、ナショナリズムに回収しきれない新しき力は、その危うさを「綱渡りしながら抽出してくる、生きてみせてみる」、「日の丸とゲバラが同列に置かれる一般大衆の近傍から出てくるのではないか」、と希望を述べた。
今回の事件に、私はさらにその思いを強くした。ゆえに、レッズのよきサポーターには、これまで以上に、旗を掲げて頑張ってもらいたい。そう、浦和管理者側の禁止などに逆らって、である。私がこれまでこのブログ上で発言してきた論理からすれば、この事件は、かつで日本でおこったであろう、そして近未来に起きるであろう歴史の縮図になってしまうのである。
たしかに、事件の出現は、「日の丸とゲバラ」を理論的に区別して自覚的に振る舞えない大衆(サポーター)の甘えが、最近の日本経済の衰退と裏腹に出てきた強がりという政治的風潮におされて、でるべくして露呈した、というところなのかもしれない。が、問題の病巣は、そんな事を起こした一部の調子者にあるのではない。浦和経営側が、自粛的に、それこそ全てのサポーターを「一緒くた」にして全体主義的に反応してしまったことにあるのだ。さらに、おそらくは、サッカー(スポーツ)に政治をもちこまない、という世界普遍的な精神(理念)を、リーグ幹部側が、文字通り真に受けてびびってしまっているのではないか、ということにである。浦和経営側は、現場でもその場の空気とこれまでの慣習におされて事なかれ主義で時間をつぶし、世間で問題となるやこんどはその空気に順応して過剰反応する。リーグ側は、オリンピックでさえ実は政治的な場所なのだということは暗黙には周知の現実なのだから、日本から世界の公式見解に反したことが一面で出てしまったくらいで右往左往しているようでは、世界相手に交渉できるのか、その能力自体が疑われてくる。しかも、歴史現状は、あすこもかしこもそうとう国家エゴが露出したせめぎあいを呈しているではないか? こんな情勢下で、理念を鵜呑みにして振る舞うなど、世界を読み間違えている。だいじょうぶなのか? ニッポン! ――いやだからこそ、ニホンの、いやレッズのサポーターはしっかりしなくてはならないのではないだろうか? まずその時々の「空気」に流されてしまう日本的土壌に関し、理論武装しよう、そうでないと、旗を持って入場して怒られたら反論できないぞ。読むのは山本七平で十分ではないか? いやそれは古すぎるなら、宮台真司で大丈夫だ。日本ではなく、あくまで浦和を応援する、日の丸を裏返して振れば、それが<裏和レッズ>だ!
 
私は、こう想像してしまったのだ。阿部総理を支持する一部のネトウヨに過剰反応して(――近いうち、世界からその右よりに突き出た総理もろともつぶされる「空気」がやってくると予測されています、その世界潮流を鵜呑みにして)、すべての国民から気概ある言葉を自粛的に抑圧させようとする次なる「空気」がやってくる……気概ある言葉とは、「9条守れ!」という言葉ではない。その主張の裏にあるのは、すでに守っていない、解釈改憲で実行している現体制への寄りかかりである。それは、保田与重郎が戦後まもなく指摘したことだった。守っていないから戦争が起きる、のではなくて、むしろ、9条を守ることが、暴力を誘発してしまうということ、そのような構造の一部としてそれが組み込まれているしたら? ……

最近、私は、夫婦喧嘩(妻による夫への暴力)を告げられた友人のメールから急き立てられて、戦争による日本の破滅は避けがたいだろうと、『これからどうする』(岩波書店)で発言したという柄谷氏の柳田論をめぐる読解を書いた。要するに、この柳田論自体が、敗戦後論であり、ゆえに、それを前提に、どうふるまうか、ということなのだが……という以上のような話を、浦和レッズ問題にかこつけてわが女房にいうと、「だからどうだっていうの! そんなでっかい話きいたってどうにもならないでしょ!」とわめき返され、「ママがそれ以上いうと喧嘩になるからやめてよ」と仲介にはいった子供は、そのママの調子のままで勉強に突入させられ、「ぜんぜん楽しくないよ」とベソをかきながら音楽をやらされるのだった! 私は子供のいうとおり、もう暴力はふるえないので、早々と蒲団を敷いて寝る。そしてひとりごちる。「でかい話から細部におりるんだよ。でかい話とは、宇宙の理論ということだ。死後の世界ということだ。おまえがこのまま死んだら、俺や一希とはあの世であえなくなるんだぞ、その真実がわかってたら、あんな暴力沙汰で子供を教えるか? 今をどうすごせばいいとなるんだ? 考えてみろ……」