2024年4月9日火曜日

山田いく子リバイバル――(16)


Youtubeにアップしていた、仮タイトル「チムチムニー」の全体データがみつかったので、いく子のダンスを連続で上げてきたアカウントの方へ、「森のクマさん」と仮タイトルして、アップロードした。前のものは途中までで、音響も壊れてすさまじくなってしまっている。逆にそれが、それなりのアクセス数になったような気もするが。

 

山田いく子「森のクマさん」(仮タイトル)…2008頃 (youtube.com)

 

息子のイツキの体格からすると、まだ幼稚園児くらいの頃であろう。正確な年月はわからない。私は会場にはいなかったようだ。六さんのダンスパスでの、私的な交流公演なのだろう。

 いく子はここで、またどこか私的な奔流に呑まれたようなダンスをしている。やはり何か、トラウマのようなものがせり上がってくるのだろう。

 いま、映画で、1993年公開で、カンヌでパルムドール賞をとった、ジェーン・カンピオン監督の『ピアノ・レッスン』が、4kになってリバイバル上映されている。いく子は当時、この映画の感想をノートに書きつけていたので、タイトルだけは記憶にあるがこれを私は見ていなかったので、観賞してみた。以下は、その感想を、妹さんへのライン宛てに書いたものである。このいく子のダンスの出所は、そういうものであると、私は思っている。

 

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「ピアノ・レッスン(原題は、The Piano)」の出だしで、女性主人公の設定が、6歳から唖になってしまったとあって、すぐに了解。最後のテロップで、監督が女性で、設定場所がニュージーランドということで、もしかして、いく子のダンス「エンジェル アット マイ テーブル」のタイトルとなる映画を作った監督と同じなのでは、と推論。スマホで調べたら、やはりそうでした。

 

女性の自立みたいな解説をみたりしていたのでそうかな、と思っていたら、逆で、それが不可能である、という内的現実の在り処を示そうとするものです。描いたのは、女性というより、アーティストといっていた方がわかりやすい。

 

ピアノは、自分の意志ではどうにもならない、抑えられない力、を意味します。オシになった彼女は、再婚のためにスコットランドから植民者の白人のもとへゆくのですが、愛することはできない。彼とマウリ族の間で通訳者をする現地化した男を愛するようになってしまった。その男との交際中にしゃべるのですが、通訳者にはきこえなかったその言葉を、覗き見していた植民者には、制御できない意志の力が自分でも恐ろしいのだ、と彼女がささやいたと聞こえた。彼女の指を切り落としてしまった植民者は、彼にそう伝え、二人が一緒になって現地から去ることを許す。

 

この、抑えられない力は、いく子のテーマです。映画でも、6歳から、ということで、なにかトラウマを負ったのかもしれませんが、とにかくそれに突き動かされる。それは、性と結びついている。最後は通訳者との幸せな結婚のように見えますが、現実には、ピアノは海の底(無意識)に沈んでいるだけです。それが爆発するのではなく、なんとか手懐けられるよう、彼女は発声練習したりして、通訳という境界にいた男との関係で、リハビリをしているのです。そして話すのが恥ずかしいので、今度は目隠しをしているのです。

 

「エンジェル アット マイ テーブル」は、まだビデオ化もされておらず私は見てませんが、精神病院に入っていた女性の話です。

 

当初このテーマは、画家のアンリ・ミショーの言う「噴出するもの」、後期では、ウィトゲンシュタインの「語り得ぬものは黙らなくてはならない」、との言葉として、いく子が自身のノートに引用していたものです。「ガーベラは・と言った」の「・」も、語り得ぬ力、を意味しています。

 

私はたしかに、この通訳者の位置に重なるかもしれません。いく子の短編小説では、女のアパートに何かを買ってきてと呼ばれた男はシャワーを浴びたあと、「おまえは用を頼む以外はしゃべらないんだな」と捨てゼリフを吐いて出ていくのですが、その筋の合間に1行、やることはやったし、と挿入されていてなんのことかと思うのですが、セックスでしょう。いく子はクリステヴァという女性哲学者の「サムライたち」という赤裸々の自伝を読んで、「女は感じるのだろうか?」と問うています。読めば、感じまくってる作品なんですが、いく子にはそれでも、女は感じないのではないか、と思わざるを得なかったんですね。

 


いく子が最後の方の入院中、自分で買って読んでいた本は、荻尾望都と竹宮惠子という少女マンガ家の自伝です。彼女たちは、男女ではなく、少年同性愛を描いた作家です。彼女たちの漫画を読んできた1960年前後に生まれた女たちを、民俗社会学的には、荻尾のタイトルからとって、「イグアナの娘たち世代」と呼ばれているようです。いく子が直面していた問題は、他の女性とも共有共感的になる、歴史的な問題でもあるのです。


 ※ 現地部族にとけ込んだ通訳者には聞こえず、白人植民者には彼女の声ならぬ声が聞こえた、という設定はおかしく感じるかもしれません。が、7歳くらいの娘とニュージーランドに嫁いで行った彼女の最初の夫にも、テレパシー(という言い方はしていないが)が通じたので結婚できたが、その関係が怖くなって夫は逃げていったと娘に手話で言い聞かせています。いく子が、最後に関心をもったダンサーは、アメリカのトリシャ・ブラウンで、まだ封を開けていなかったDVDをみると、トリシャは、デビュー時コラボした男性アーティストに、あの当時のテレパシー現象をどう思うか聞いているんですね。男は黙って答えずはぐらかし、トリシャが困惑するシーンがあります。また彼女は、子供を産んで創造力が湧き上がってきたと言っている。これは、竹宮惠子のSF漫画「地球(テラ)へ」もそうで、そこが男のSF漫画からすると異色になり、もっと突っ込んで考えていく余地があると思います。 

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※ この映画の語りは、7歳ころであった娘、なのかもしれない。そしてその彼女も、オシになってしまって、このナレーションは心の声だ、と言っているのかもしれない。となると、娘が口がきけなくなってしまったのは、新しい父が母の指をオノで切り落とすのを目の当たりにしたショックからとなる。となれば、母も六歳のとき(娘も6歳という設定を暗示しているのか?)、両親の暴力を目の当たりにして、その現実が反復されている、となる。むろんこの暴力性は、植民地主義と結びつけられている。白人の男の賢さ・ずるさを、現地の人や主人公は、受け入れられないのだ。それはまた、この映画の女性監督が、故郷ニュージーラーンドで認識したことなのだろう。

ピアノ

 


 慎吾は、鍵盤からはずれた小指と薬指が折れるように曲がって拳のようになると、そのまま叩きつけた。悲鳴のような音が割れて、誰もいない閉めきった居間に響いていって、消えた。グランドピアノの黒光が、なおさら部屋を暗くした照明のように閉ざす。ぼんやりと、消えていった音響が木霊をかえしてくるように、家具の輪郭や置物のたぐいが慎吾の視界に浮き上がってきた。空になった、天井まである備えつけの本棚、そこには箱に入った日本文学や世界の文学全集、思想全集が並べられていた。母に言われるままに、直希が市の清掃局へと持ち運んで処分したら、なんで捨ててしまったの、せっかく読もうとしていたのに、と直希は小言を言われていた。空いた棚のところどころには、その代わりに、お土産で買ったりもらったりした人形が飾られている。上の段には、三人の子供が小さいころに、野球やテニスで獲得したトロフィーが溶けたような金属色でくすんでいる。このピアノも、引き取ってもらう手配ができているとのことだった。箱型のピアノから大きなグランドピアノへと取り換えるさいは、防音設備の整った部屋の庭へ通じたガラス戸の方から入れられることができたけれど、もう庭の木も大きくなって、戸の前をふさいでいる。ふたを開けると竪琴のように大きな羽を広げるピアノは、ピアノ教室のための部屋には入りきらなかったので、居間の真ん中へと据えられたのだった。

 慎吾は、大学生の頃に、独学でやり直し始めたのだ。小学生のころ、母から教わってはいたけれど、ブルグミュラー教科書の最後の、エリーゼのためにが弾けた程度だった。それ以来、やってはいなかった。いまやってみたくなったのは、たたまれた黒い羽の羽ばたきをもう一度目にしたかったからだろうか? 自宅に帰ってくるたびに、ひたすら練習した。ショパンの革命を弾けるようになった。その有名な曲の、下流から上流へとさかのぼる魚群の奔流のような指の動きが上達するにつれ、自分も天へと舞い上がっていくような気がしてきた。高揚した気分そのままなように、文学部だったけれど、バブル真っ最中の銀行へと就職した。地方の銀行だった。それで満足したわけではなかった。もっと俺は上昇できる、現金の最終確認で俺の窓口から十円盗んで揚げ足を取りいじめてくる奴らを見返してやれる。そうして、外資系の会社の経理部長としてトラヴァーユした。それでも奴らは、そのアメリカの大会社と手を組んで俺を追い落とそうとした。尾行し、盗聴をしかけ、悪い噂をながさせる。あいつはバナナだ、中を白く見せたがっている黄色いバナナだ、英語と日本語で、俺の耳に飛び込んできた。鍵盤の音に変わって、声が、洞窟の中の残響のように俺の脳みその中で渦巻いた。妄想なんかじゃない、幻聴じゃない、あれは、ほんとうの話で、ほんとうの声だったんだ!

 母と、弟の直希は、母の実家のあった宮城の方に行っていた。留守宅にひとりでいた慎吾は、久しぶりにピアノを弾いてみたのだ。統合失調症と診断された病気以来、もう弾いてみたことはなかった。ピアノを処分するからね、と直希から確認されていたので、ならばこの誰もいなくなった居間で思う存分弾いてみようという望みのようなものが湧きあがった。が、もう指が動かない。もともと、小さな手だった。その手を思い切り開いて思い切り素早く動かさなければ、鍵盤を渡っていけなかった。まるで自分の人生のように、指は折れた。「音大にいったらどうなの?」学生時代、女友達に言われたそんな言葉が、よみがえってきた。あれは、どんな意味だったろう?

 慎吾は、スプリングのような原理で伸び縮みする椅子から立ち上がった。子供の頃は、丸くて、くるくる回すと高くなったり低くなったりする紫色の椅子だったな、と思い出されてきた。小用をたそうと、居間から洗面所へと通じるドアの方へ向かい、取っ手をつかむ。金属質の冷っとした感覚が、外に目をやらせた。花模様の絵柄の彫られた曇りガラス製の玄関から、日の光が曇り空のように広がってくる。まだ夕刻にはなっていないはずだが、晴れなのか、曇りなのか、わからない。カーテンは、閉め切っていた。雨戸は、その開け閉めは自分の役割として言われていたので、まだ暗いうちの早朝にすませていた。朝食は、近所のコンビニへいって、お結びを買ってくる。そしてすぐに、英語の勉強がてらもあって、映画の『ゴッド・ファザー』のビデオを見る。もう何十度、何百回と見ていることになる。ほぼ毎日、見ている。あきないのかい、と母に言われても、新しい番組は緊張してしまって、見ることはできない。俺は、病気なんだ、それでも一日一日を頑張って生きている、それなのに、なんででできないああしろこうしろって言われなければならないんだ?

 慎吾は廊下にでると、南側をふさぐ半開きのままの襖から、母の寝起きする部屋をのぞいてみた。掛布団がめくれたままの、ベッドが見える。もともとその部屋は、床の間のある客間だったのだが、いつの間にか、炬燵もおかれ、母が過ごす部屋に変わったのだ。西側にある、食卓の置かれた台所の北側の、奥まった部屋を父とともに使っていたのに、そこから表へと出てきたのだ。あの日の当たらない薄暗い部屋に、両扉で開く鏡台があり、子供のころは、内職していたタイピングの機械などもあったはずだ。お父さんは、居間の備え付き本棚が延びている北側の窓のところに机を置いて書斎がわりとしていた。お父さんがいなくなって、まるで岩戸の奥に隠れていたようなお母さんがでてきて、口うるさくなった。父がいない、いつの間にか、お父さんはいなくなった、いや俺は、なんでお父さんがいなくなったのか、知っているじゃないか、抑圧するな! いやそれも俺の幻なのか?……あいつが、ほんとうに、やったというのか? わからない、わからなくなっちまった……俺の病気の、妄想なのか?

 便器の内側には、まるでそんな妄想の破片のように、茶褐色の塊が飛び散って、こびりついている。朝方した、自分の大便の飛沫なのだろうと、慎吾はわかっていた。何度も、母から、そして直希からも、小言を言われていたからだ。当初は俺じゃない、と言い張っていたが、その汚れが、自分の薬の副作用で、便が下痢気味になることからくる汚れであると認めざるをえなくなった。それらは、その散らばった断片は、俺のばらまく現実なのだ。慎吾は小便で、その断片を洗い流そうとする。落ちるものもあれば、落ちないものもある。これも薬の副作用なのか、のどが渇いて、水が欲しくなるのだ。ペットボトルに水をいれて、いつも手元においていなければならない。俺は、何に渇いているっていうんだろう?

 トイレの汚れはそのままにして、慎吾は自分の部屋にむかった。ピアノの脇を通り過ぎて、階段をのぼってゆく。のぼり切った左側の、開け放したままだった引き戸をくぐって、すぐ右わきのベッドの上へと、仰向けに体をあずけた。ベッドのクッションが軽く反発して体を浮かせると、そのまま天井の木目の渦へと、自分が吸い込まれていきそうな感覚になった。

 この子供部屋は、慎吾が大学に通うため上京したあとは、すぐ下の弟の正岐の部屋になっていた。また慎吾がもどってきたときには、誰も使っていなかった、いや正岐の使ったままの跡が残っていた。退院して久しぶりに自分のベッドに横たわったとき、どこか違う感じがした。ベッドの置かれた場所が、違っている、移動していることに気づいた。そう気づけることが、ふと、はじめて自分を安心させて、いままで、自分はやっぱり病気だったんだな、と納得させてきた。入院のあいだ、自分がどこにいるのかさえ、わからなかった。殺風景な部屋の鍵はかけられていた。いや、紐か何かで拘束されていて、身動きもできなかった記憶がかすかにある。何かわめいていたのだろうか? 注射で、大人しくさせていたんだろう。俺は、大人しくなった。病院を移された。お父さんが、入院していたところだとあとで知った。自分がいたところは、一度はいったら出てこられなくなると有名な病院だったそうだ。だけど、俺は出てきた。そして、お父さんが狂って入っていた家から近い病院に俺も入ったんだ。ならば、そのときまでは、お父さんは、生きていたってことになるんだが……そこで、殺されたのだろうか? 遺書があったと、直希が言っていたような気がする。ならば、ほんとうは、自殺だったのか? いや……そうやって、そう見せつけて、あいつらが、そうやったということか? 俺は……とにかく、ベッドを、まえ俺が寝ていた場所に移動した。北側の窓のところから、隣の子供部屋とを仕切る襖の手前のこの場所に、いつもいた場所に……だけど、そこに、もうお父さんは、いなかったんだ……。

 アーメン! と慎吾は渦を巻いた天井に叫んだ。あわれみの神、来れたまえ! 慎吾は怒鳴るように、聖歌を歌う。声を張り上げて、天に、誰かに、聞いてもらいたかった。学生中のころ通い始めたプロテスタントの教会では、賛美歌と呼んでいた。いつくしみ深き友なるイエスは、われらの弱さを知れて憐れむ……もうどちらの歌を歌っているのかわからなくなった。張り上げた大声は、隣近所をもふるわして、苦情が来るからよしなさいと母から言われても、胸が張り裂けてくる。だって、その隣近所の子供たちだって、苦しんでるじゃないか! すぐ東となりの父母世代からみれば孫にあたる娘さんも、市役所に勤めていたのにいまは家に引きこもってでてこないみたいだというし、その隣のお宅の直希より三つ年下の末っ子も、家にこもりきりになって、去年だったか、家の中で暴力沙汰でもおこしたのか、パトカーが来て警察官がきて、通りを逃げるその末っ子を猛然と追いかけていったのをお母さんは見たという。南側の畑の先にあるお宅では、小学校は違ったからとくに仲がよかったわけでもない自分よりひとつ年下の長男も、十年近くまえだから50歳をすぎてから自殺したと近所に伝わっていた。ときおり朝早く、まるで髪を長くしたイエス・キリストみたく、まだ暗い道を歩いて、コンビニで食べ物を買って帰ってくるみたいだとお母さんは言っていた。なんだかあっちにもこっちにも、俺みたいのが家に隠れているじゃないか。老齢化したこの地方の住宅地で、あっちにもこっちにも、世の中で挫折したまま立ち直れなくなったものたちがうじゃうじゃしているじゃないか。俺は、黙ってなんかいられない! だから俺は……俺はもう、活動なんてできないけれど、訴えることはできる、歌ってわめいて、戦ってやる! 花も蕾の若桜、五尺の命をひっさげて、国の大事に殉ずるは、我ら学徒の面目ぞ、ああ紅の血は燃ゆる、ああ紅の血は燃ゆる!

 慎吾の歌は、いつの間にか、軍歌に変わっていった。そしてそれがいつものように、テレサ・テンの歌に変わってゆく……愛をつぐなえば別れになるけど、こんな女でも忘れないでね、優しすぎたのあなた、子供みたいなあなた、あすは他人同志になるけれど……あれは、どんな意味だったんだろうなあ? と、慎吾はまた思い返した。

 おなじテニス部だった。そのサークル活動とは別に、文学の趣味も共有できた。好きな作家は違っていた。慎吾は、川端康成や三島由紀夫のある種の作品が好きだった。彼女の方は、出版されたばかりの村上春樹の『ノルウェーの森』を読んで、好むようになったと言っていた。慎吾は現代文学には疎かったけれど、彼女が読むのだからと、読んでみた。鼠だの羊だのが、なんで出てくるのかわからない。100%の恋愛小説を歌った作品も、慎吾は石坂洋二郎の作品も好きでよく読んでいるのだったが、比べたら、その物語のどこが純愛なのだかわからない。女の子は、病気じゃないか、と思った。結核とか体の病ではなくて、精神病になっていく心の病をとりあげたのが新しいということなのだろうか? だけど男の方は、蜘蛛みたくみえる。中学くらいのクラスの中に、一人はこういう男子がいるものだという気がした。クラスの華である一番手や二番手の女の子にあこがれるのはあきらめて、四番手以下の、あまりぱっとしない普通のような女の子がよってくるのを待っている。わざと軟弱な擬態をして、声かけすいような大人しさでじっとして、細いけどねばねばした網を張り巡らせて、ひっかかってくるのを待ち構えている。かかってきたら、雨に濡れた体を羽織ってやるように粘つく網をからませて、食べきるまでは放さない。それから次の獲物。思春期まえのあこがれの男子は、あんまり女子に興味がいかないで、スポーツなんかに精出している。華ある女子も、なんだか見えを張っているだけのように見える。だから、奥手を捨てて、一番すすんでいくのはそんな普通かそれ以下のような男の子や女の子たち。普通とされる劣等感が、コアな動きを伏流させて、不良とレッテル張られた男女はもう、目に見える塊で底に沈殿していく。本能のようなカーストが、こっそりと、世の中の下地をつくってゆく。大学生ともなれば、そのヒエラルキーは自然体となっている。理想を体現するセレブな男女、普通の壁、落ちこぼれ……彼女は、俺を憐れんで、体を開いてくれたんだろうか? 「音大にいったら?」というのも、世俗の階層に不適応な俺の一途な想いを揶揄しただけだったのだろうか? 俺は……証明してやりたかった、俺だって、二枚目でもないぶきっちょな俺だって、世俗の中で生きていける、だから、二流の大学から銀行に行き、他のエリートと張り合う外資系の企業にいき……俺が、俺自身が病の男の子になっちまった。もう、昭和でなく、平成だったんだなあ。大手会社から内定もらえる基準も、外見を気にする、異性とのコミュニケーション能力がある、ユーモアを解する、友だちが多い、みたいな美的判断が成績以上に重視されるようになったっていうじゃないか。下の階級からの這い上がりは、生まれつきの顔や育ちの振る舞いで選別されてしまうって。セレブ同士の結婚、アスリート同士の結婚、遺伝子なんだか環境なんだかわからない。カネと地位を得ても、顔がよくなければ生理的な本能で疎んじられてしまう。いつの間にか令和になって、俺に近い年頃の男が天皇になって、技術的な能力なんてAIで代用できるんだから、これからはなおさら人間的な魅力ですって……俺は、だめなやつなのか? 一生懸命やってきたのに、それがだめだっていうのか? 遺伝環境的に、はじめから見込みがなかったっていうのか? 父親が狂ったから、俺も狂うっていうのか? ……それがわかってるから、俺は、お父さんをやっちまったのだろうか? いやそうじゃない。俺は、殺せなかった……いやそうじゃない、そんな遺伝のために、俺はあいつらといっしょに活動したわけじゃない……。

 日が沈みかけているようだった。閉めたカーテンから漏れる光に、暗闇がまぎれこんでいる。雨戸を閉めにいかなくちゃな、と慎吾は思った。そう思えるなら、自分はまだ狂ってなどいないのではないか、と思えてきた。しかし、ベッドから起き上がることはできなかった。薄暗さの中へ沈んでいった木目の渦をまた逆巻かせるように、瞬きを繰り返した。それでも、あいつは、やったんだ……慎吾は考えつづけた。「君はもっと表にでる必要がある」なんて、俺と同じようにあいつらにそそのかされたにせよ、総理大臣を撃ち殺してしまったんだ。父親を通り越して……なんで、お父さんじゃなかったのだろう? お母さんを苦しめたのは、総理以前に、親父じゃないのか? 母親たちが大挙して新参の宗教に入っていったのは、家に居座っていた父親のせいじゃないのか? 2世問題とかなんとか言う前に、なんで女たちは、狂ってたんだ? なんで病の女の子たちが、蜘蛛の巣の網に引っかかっていったんだ? ねばねばの網に絡まれて食われるほうが、気楽になれるのだろうか?

 慎吾は慣れないスマホの操作で、テロ決行者を検索してみて読んだツイッターの文というのを思い越した。家族への連絡ようにと持たされた携帯電話の時もそうだったが、慎吾は普段、電源を切っていた。高校の同窓生や施設仲間との間で、フェイスブックやツイッターなどに参加し、たまには自分の意見を投稿してみるくらいにはなっていた。けれど、投稿してすぐに電源を切った。世間にいつも繋がっていることは、そう思うだけで恐ろしいことだった。常に迫害されているような、強迫観念がとりついた。自分から発信したら、引きこもる。断続的というよりは、非接続でなければ、身が持たない気がした。承認されることには、あとから身をすくませる恐ろしさがやってくる。

検索の中で、中年にあたるのだろうその男は、DNAの多様性を認めるように、軟弱な男子も救われるべき、その遺伝子も保存されるべきことを説いていた。これまでの事実として、男女関係はインフラとして機能している。男に女を配給する世界共通の事態として、貧乏子沢山の苦痛が現実だった。その現実の中で、女も生まれてきた。それを一定の豊かさを得た後の世代が無視して、女性こそがどのDNAを残すかの選択肢を持っていると思い込むのは権力的である、そう権力的に振る舞うことで、軟弱な遺伝子を殺しているのだ、世界を貧弱にしているのだ。女性問題が全てではない。憎むべき対象は、男女関係をもインフラの一部として取り込んでいるこの社会全てに対してである。この俺の思想を卑小化するな!

慎吾は、自分が事実、軟弱の部類に入ってしまうということを、認めざるをえなかった。DNAという言い方はよくわからないけれど、自分の子供を世に残すことができないで終わってしまうのは、淋しい気もする。子供の頃は、父親とマンツーマンで、テレビ漫画の『巨人の星』でのように、思い込んだら命がけの特訓を受けていた。少年野球では、ストライクが入らず、ファーボールをだすと、お父さんはタイムをとって俺をベンチに呼んで、気を付けをさせ、ビンタが飛んだ。俺はまだ、あの痛さを覚えている。次男の正岐は黙って交代させられただけだった、三男の直希ともなれば、なんにもなしだ。なんで俺だけ……男子進学高の部活では天文部に入り、大学では、やはり女子のヒラヒラしたスカート姿にあこがれて、テニスのサークルに入った。その選択自体が、俺の育ちに対する反抗であり、だからそのまま、軟弱の道への選択になっていったのだろうか? テニスは上手なほうだったけど、俺は、やはりさえない奴だったのだろう、今現に、こうした病人生活をしているのだから。障害者認定の階級を審査で落とされたら、俺の老後なんてありはしない。いやそもそも、この病気になったものは、六十を過ぎて亡くなっていくのが平均寿命みたいだ。もうこんな弱者の毎日が、三十年! 俺の子孫なんて、俺には残しちゃ悪いような気がしてくる。……だけど、彼は、あいつは認めない……それは、まだ若いからか? 血気さんかな余力があるから、おだてにのってもと総理の暗殺を企てられたのか? お父さんでなく……いや、そういえば、あのメンバーのお父さんも自殺していたんだっけ? エリート土建業の世界で、気がふれて、自殺に追い込まれていった、ならば、俺と同じじゃないか? あいつがお父さんを通り越していったのも、父親を翻弄させたこの世界そのものを変革させていこうと試みたからか? そして俺には、そこまでできなかった……俺は、軟弱そのままだったんだ……

焦点の定まらない慎吾の視線が、部屋をさまよった。壁に備え付けの戸棚つきの本棚にも、机の上にも、床にも一面、この三十年読んできた本が積み重なっていた。部屋を視察に来た施設の担当者によれば、整頓されている方だという。本は、専門的なものではなく、自己啓発や実用的な書籍が多かった。小説の類は、同じものを繰り返し読んだ。淡い、恋の話のもの以外は、受け付けなかった。西日の濃さを滲ませた微光が、本の表紙を照り返させる。厚手のカーテンの隙間から部屋を斜めに区切った光の線は、昼と夜とをぼんやりと区別しているようだった。それは、生と死の堺も、ぼんやりと重ね合わせていることを暗示しているように思えた。実際、慎吾には自殺の衝迫が時おり、昼の明るさの真っ最中にやってきた。一度起こると、数日その衝動は続いて、また昼の光のどこかに消えていった。昼の中に夜があり、そして夜は、睡眠薬の助けがなければ、眠ることはできなかった。ということは、真実の世界は、昼の背後にぼんやり隠れている夜ということなのだろうか?

その夜の壁際が、西日の反射の中で、少し動いたような気がした。目が動いて見て、ぎくりとした。部屋の角には蜘蛛の巣があるようだった。その透明な反射の中で、姿の見えない小さな目が慎吾を発見し、じっと見つめているような気がした。がそうわかると、なんだかほっとするような気もしてくる。このままあの蜘蛛に食べられてしまっても、気楽で、気持ちよいような気がしてくる。「人はむしゃむしゃ食べられることを望んでいるのではないか?」焼き鳥屋で、時枝が言った言葉が思い返されてくる。たしかに、その蜘蛛が雌だったら、なおのこといいに違いない! 軟弱な俺なんか、雌どもの栄養にでもなったほうがましさ! ……でも、餌食にもなれないってことか? いや、そもそも……もしかして、彼女は俺を、つまみ食いしただけなのか?

慎吾は、頭が混乱してきた。もう眠れない夜が、やってきたのだろうか? 雨戸を閉めにいかなくちゃ……いや、あいつらの話は、もっとすっ飛んでいたぞ。人間の性差も、ニモと同じだって。クマノミは、一番大きな体をしたものが雌になる。他はみな雄だ。その雌が死ねば、二番目に大きなものが、雌になる。性の決定は、DNAじゃない。しかし、ならばどうやって二番目に体の大きな雄は、俺が二番だって、わかるんだ? 俺が二番目だから今度は俺が女王だ! って無理やり体重増やして自己主張しその地位を獲得するわけじゃあるまい。この現実は、蟻や蜂の生態でも同じだと。戦闘蟻をのぞいてしまっても、働き蟻の中からまた同じ割合の戦闘蟻がでてくる。そいつらは、主体的に志願したのだろうか? そうでないとしたら、どうやって選択されるんだ? コミュニケーションがあるのか? 俺が雌になるよ、今度は俺が戦ってくるよ、って? そうじゃあない、男女の性差とは両極の磁力であって、人はこの間を生態環境的に揺れ動く、どんな人間もこの両極の磁力の影響のもとにある、LGBTとはその力の差配のことであって、それは絶えず振動している。生きるに必要なのは自己の同一性を確立することではなく、その振動のエネルギーに身を任せることで世界に参加していく意志と、その技術を身につけることである! ……じゃあなんで、王殺しが必要だったんだっけ? あいつは、そそのかし、あいつは、島原は、なんで親父をやる必要があったんだ? それは、主体的な実践ではないのか? 世の中騒がせて、何をたくらんでいるんだ? 男たちの間で、なんで騒いでいるんだ? ……焼き鳥屋での乱痴気騒ぎが思い返されてきた。時枝や島原の議論に弟の正岐が巻き込まれているなか、がらっと開いた店のドアから、がたいのいい男たちがどやどやと入ってきたのだった。

2024年3月24日日曜日

お彼岸

 


妹さんにもラインで報告したのだが、いく子が、18日の朝、やってきたようだ。

前の日の日曜日、一緒に手伝い仕事をしている植木屋親方の奥さんから線香をいただいたので、簡易仏壇にしている椅子の下にしまってある一式をとりだして、供えてみた。香典としてもらった線香も色々あるのだが、その老舗の店の、昔ながらのものという、普通のより長い素朴な色の、匂いもあまりでないというものに一本、火を灯した。

翌朝、5時過ぎに目がさめた。まだ早いので、二度寝をはじめた。夢をみはじめていた。と突然、いく子の画像が割り込んできた。右目だけを大きく開けて、口を半開きにした、どこか驚いているような表情だった。髪は長く、五十過ぎくらいの年齢かとおもったが、初めて顔をあわした四十過ぎの頃に似ているように思えてきた。静止画だ。私もびっくりして、目を覚ました。

2024年3月16日土曜日

山田いく子リバイバル(15)


 VHS形式のものではなく、結婚してから撮ったビデオカメラのテープも出てきたので、のぞいてみた。「テロリストになる代わりに」とそのダンス・タイトルしか記憶になかったものが、残っていた。

テロリストになる代わりに(ゲネ)

 ヤフー・ジオシティーズで公開していたホームページの紹介文章に、いく子はこう書いている。

 *****

「テロリストになる代わりにアーティストになった」 ニキ・ド・サンファル

 「われは知るテロリストの悲しき心を」 石川啄木

 テロリストという言葉はまがまがしいのですが、メッセージ(言葉)を直接に持たないダンスの現場で何ができるのか、を思います。無力だとさえ思えます。

 やれることが、事実に少ないのです。

 過剰にだけやってきた頃を過ぎ、若くはない女性たちです。シンプルでも美しいお人形でもありません。澱のように溜まったものをもちます。が、ここに立つ、ことを思います。

 ヤマダは、この作品のための集結をお願いしました。持続可能なダンスを、YESをと、わけのわからない説明をし、コミュニケーション衰弱ぎりぎりです。

 個人的なことですが、9ヶ月前に出産し赤ん坊をかかえています。身体能力がどうなっているのか、わからないところにいます。作品をつくる時間も手間も、変えざるをえません。

 それでも、ダンスしかないのだと思います。そんなダンスプロレタリアートを自認します。*****

 

この文章を読んで、Youtubeにアップする録画には、ゲネ(本番前のリハーサル)の方をすることにした。現場で生きる女性たちの、ドキュメンタリーな姿が見られたほうがよいのでは、と考えた。本番は、1時間20分にもおよぶ長さである。汗だくである。ダンスという表現が、女性たちの間に現れるとき、それが何を意味してこようとしてくるのか、を考えさせられた。ダンスは「身体」として一概に抽象化されてしまうが、そういう男性画一的な見方では把握できないのではないか、という点は、別のブログでのダンス(身体)メモとして記述しよう。

 

この作品は、いく子の佐賀町ホーソーでの『事件、あるいは出来事』の次、ということを連想させてきた。私はその前作を、「ホロコースト」として読んだ。(その翌年2001年の大阪パフォーマンスで使った背景朗読は、トリスタラン・ツァラではなく、パウル・ツェランだった。となれば、なおさらユダヤ人へのホロコーストを意識していたものだ、と言えるだろう。)

 

しかしこの作品は、そうした現代の苦悩から「テロ」へと向かうのか、という物語文脈を誘発させながら、表現されてくるものは、アルカイック、古代的な雰囲気・印象をもたせてくる。いく子は、舞台道具として、黄色い紙で作った輪っかを鎖のようにつなげたものを、大量に用意した。それが二部屋にまたがる舞台のあちこちに運ばれ、積まれ、黄色い小山ができあがる。舞台進行は、それらを、焚火、炎、燔祭のための火、のごとく見せ始める。いく子の振りは、トランスに入るためのシャーマンの反復儀式のようである。以前のダンスでもみせた、壁から壁へとただ走ることを繰り返す姿が、近代的な自己における葛藤表現といった趣を呈していたのに、ここでは、ただ陸上競技的に走るのではなく、どこか志村けんのひげダンスのステップのごとく、そのお笑いに収斂していく意味をはぎとってただ真剣過酷な様で迫ってくる。『エンジェル アット マイ テーブル』でみせた、自分の体をただひっぱたく行為の反復も(ゲネではみられなく本番のみ)、近代社会的な自傷行為に見えていたものが、より超越的なものへと自己超脱していくためのシャーマン的行為に見えてくるのだ。ジョン・レノンの「イマジン」の曲のあとでか、仙田みつおの、あげた顔の上で両手を振って見せるお笑い芸のような振りも、その仕草のあとで、しゃがんで両足首をもってちょこまかアヒル歩きをする、ということの繰り返しが、深刻な謎として喚起されてくる。いく子のひげダンス振りスキップの間、パントマイムのさくらさんが、何かを食べる仕草を繰り返しはじめるのだが、それは、カニバリズムを想起させる。たしかまたその間、ひはるさんの、あげた両手を大地に叩く身振りは、大地をなだめるかのようである。その身振りは順番に三人によって繰り返され、最後は、いく子が、その大地パフォーマンスをやるのだが、大阪ツェラン(そのパフォーマンスのタイトルは「HOPE」だったのだが)で炸裂した怒りの身振りは、大地への祈りに変わっているのだ。

 

このいく子の祈りのような身振りが、部屋の端から端へとゆっくりと進行する間、残りの二人のダンサーによって、炎としてあった黄色い山は崩され、床へと一列一列、並べられていく。鎖が、蛇の漸進のように、あちこちで線を描きはじめるのだが、それが床を覆いはじめると、まるでその風景は、古代の遺跡のようである。私は、ナスカの地上絵を思い起こした。なんのために、何を伝えようと、こんな大きな絵を、文字を、大地に刻んだのか? その古代となった謎が、現代に迫ってくる。そして彼女たちの振りのひとつひとつが、身体という抽象性、微分された身体の動きとしてではなく、意味解読を迫る古代の象形文字のような具象性をもって重ね合わされ、振り返られてくるのだ。

 

いく子の顔は、すさまじい。その素顔自体が、いれずみを入れた古代の顔のようである。古代文字のようである。私は、この謎を、どう解けばいいのだろうか? 彼女たちの「テロ」は、どこからやってくるのだろう?

2024年3月6日水曜日

性をめぐるメモ

 


私における、ここ数年の思考の流れは、中上健次→量子論→遺伝子・細胞→LGBT(性差グラデーション)、とおおまかに追及されてきたようにおもう。そしてその一環として、古井由吉を読みかえしているときに、妻・いく子が亡くなったのだった。彼女の死と、30歳過ぎくらいからのダンス制作ノートの類のもの、24歳からの親しい友人との文通を整理したノートの類を読んでいると(18歳からの日記の類は、今のメンタル状態ではとても読めない)、その思考過程がさらに推進されていく。

 

いく子は、女はセックスで感じてるのか? と問うていた。それはジュリア・クリステヴァの『サムライたち』の読後感想としてなのだが、その著書自体は、むしろ感じているという女性の作品で、その感じに、文化・地政学的な複雑さが反映されていると洞察・認識しているように思えるものだ。しかしいく子は、それでも、感じてない女性を読んだのだろうか?

 

いく子の手紙には、「レズビアン的男性嫌悪」という言葉もでてくる。「シャイで繊細」とおもっていた男が、実は他の女性との間で子供を作っていたようで、台湾旅行のあとなどに、その幼い子を連れてアパートに押しかけてきたので、「そんな話はきいていない」と別れるようになったようである。私と結婚する数年前だ。

 

が、「感じる」とはなんだろう? 男でも、射精をするのは感じるからか、と自問してみれば、とてもそんな話ではないことがわかる。あんなものは単に生理的な現象で、物理処理でもすまされるような感じではないか。だから、と男として私は逆に推論した、性交中に女性の乳首が立ったり潮を吹いたからといって、「感じてる」ことにはならないのではないか? と。

 いく子が好きだったという小倉千加子を読みかえしてみた。

最近は何をやっているのだろうかと調べると、幼稚園の先生だ。もともと両親が幼稚園の経営者だったらしいので、引き継いだのだろうか。私も庭管理仕事で、よく公立の幼稚園の樹木手入れにいったが、50歳過ぎのベテランの園長先生は、その経験値と実践的な引き出しの多さ、落ち着きと判断の適格な速さに、驚かされてきたものだ(最近は30過ぎぐらいの女性が園長をまかされ、すぐパニックになってしまう状況もあるようだが)。小倉千加子の『セックス神話解体新書』は、その思考の根拠として提示される科学的事実に、現在からみれば修正が必要な部分がたぶんに出てくるようだが、その原則的な趣意と主張は変える必要はないだろう。しかしその初期作品のものよりも、園経営の経験を積んでから書いた『草むらにハイヒール――内から外への欲求』(いそっぷ社)での、科学的根拠なきアフォリズム断片(洞察)の方が、説得力がある。しかも男女差別状況は、以前よりもっとひどくなったままそれが自然・自明化されてきているので、母批判をしてきた彼女も、現今の若い母たちに同情せざるを得なくなっている、のがスマホで見られるインタビューでも知れる。

 

いく子は読んでいなかったが、大塚英志の『「彼女たち」の連合赤軍』も読みかえしてみた(生前、小倉千加子や大塚英志を話題にしたことがあった)。

永田洋子は、自ら(の世代)に芽生え始めた女性性、それは「ミーハー」的な現象としても現れるものであったが、それを自身にも他女性にも、容認できなかった。永田は<資本主義の「ブルジョワ性」の単純な否定によって、自由で自主的な欲求を持たず、近代的自我や女性自覚を抑圧する男(夫、父)第一の家父長的な“封建制”を受け入れる古さを持っていたことによると思う>(永田著『十六の墓標』 大塚著からの孫引き引用)と内省した。

 

<八〇年代社会を生きた女性たちが消費による自己実現に奔走した一方で、出生率の低下に端的に現れていたようにその基調には実は女性性――特に「母性」への密やかな嫌悪があった。このことは「24年組」の少女まんがにも色濃く現れている。八〇年代消費社会における「自己実現」とは「母」を巧妙に忌避し続けることで成り立っている。八〇年代の消費社会が女性たちに与えた「女性性」の輪郭は、「自己嫌悪の裏返し」と「キラキラ光り輝くもの」、の二つであった。>(大塚『「彼女たち」の連合赤軍』 文藝春秋)

 

私はこの認識に、もう少し、突っ込みをいれたい。

 

なんで彼女たち(この1960年前後に生まれた女子世代のことを、荻尾望都のまんがタイトルからとって、「イグアナの娘」たち、と呼びえるらしい。が、長女長男と次女次男以下では変わって来るとおもう)は、「自己嫌悪」や「自己実現」、つまりは、「ミーハー」になろうとしたのか? その発生はどうしてなのか?

 

社会現象としての、大塚の認識解釈は、説得力がある。がそもそも、なんでそう現象が発生したのか? 大塚は、江藤淳の「母の崩壊」という認識を前提している。社会学的には、GHQ政策による、産婆(家)での出産から病院施設での出産に転換されたことが大きい、と指摘される。がそもそも、少女まんが的な幻想の核の発生には、父権制的なるものの存在が前提とされる。そうでなければ、永田の内省は、意味をなさない。母は崩壊していても、父が健在でなければ、ありえない。

 

そういう点で、心理学から入っている小倉千加子は、その幻想の核は、反動形成なんだと認識している。

 

<抑圧されている内的人格は必ず外に出たがります。これはフロイトのいう無意識のもつ不死身の恐るべき力を連想させますが、女性のなかにあるアニムス欲求は一般的には「投影」という形で解消されます。/女性は自分のなかにある男性らしさというものを、自分が持っているのではなく身近にいる男性がもっていると勘違いするのです。あるいは男性は、身近にいる女性に男性自身のなかにある女らしさというものの影を投げかけて見てしまうのです。相手の実体とは別に、自分のなかの理想的なより純化しているものを他人に見てしまうのです。あるいは人は自分の投影を許してくれる他人を恋人にしてきたと考えられるわけです。ですから投影を断念しなければならなくなることは非常につらい体験です。これは「失恋」であったり、相手に「飽きがきた」ことを意味します。>(小倉『セックス神話解体新書』 学陽書房)

 

少女まんがの幻想の核にも、具体的な父をとおした「男らしさ」をめぐる葛藤がある。

 

が、ここで私は、もう少し、突っ込みをいれたい。

 

「飽きがきたら」男を変えられる恋愛社会とは、つまり「投影」が成立する社会とは、エマニュエル・トッドのいう核家族の関係の残存が主要な社会において、ということなのではないか? 夫婦喧嘩でさえ、文明(ユーラシア)の中心国では、成立しがたいまま、なのが現状なようである(これは柄谷行人も指摘している)。そこから推論されることとは、軍事的政権下で日本では稀な父権的な地層が強固されたが、戦後それが希薄(もとの地に戻っていくこと)になっていった過渡期として、女性的なるものの復活と葛藤が芽生え始めたのが、1960年代前後、ということだったのではないか? と。

 

いく子は、私の著作など読んだこともなかったし、私がこのブログで、夫婦喧嘩をだしに何やら書いていることは知っていたので、なおさら私の意見になど耳をかさなかった。けれど、最期になった、ひと月以上の入院中、暇なので、何か本を送ってくれ、と言ってきたので、私は、息子の勉強机にあった、村上春樹訳のサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』をおくった。そしてついでに、私の電子本『中上健次ノート』のアドレスをラインで送った。いく子の手紙を見てから気づいたこととして、サリンジャーは、彼女には特別な作家だった。私は友達からすすめられて息子が買ってみたのかな、と思ったが、そうではなく、勉強のできない落ちこぼれだろうといく子には思われた息子に、自身で買い与えたものだったのだろう。が、息子も、入院中のいく子も、それを読んだ形跡はなかった。息子は、自分が落ちこぼれなどという自意識は抱え込んでいないぐらいエリート意識は希薄なので、主人公のようなイロニーや社会反抗はない。だから、読んだとしても、何も共感できないだろう。そしていく子も、もはや、そんな斜に構えた態度は卒業していた。しかし、私の中上論は読んだ。中上の私小説性を苦手と受け入れられなかった彼女は、「私小説」がより広く理解できることを知ってはっとさせられたようだ。がそうしたこと以上に、その中上ノートで補説として書いた唯川恵著『100万回の言い訳』(新潮文庫)をめぐる私の読解に、内省を迫られたはずである。なぜなら、そこで、「ミーハー」という言葉を使ってはいないが、そうしたトレンド(ノートでは「トレンディー・ドラマ」という用語で、私はそれを「俗」としてネガティブに提示したわけだ)に、若いころの自分がいたことを、思い当たらせただろうからである(恋愛ごっこも含む)。

 

いく子の年代では、そもそも大卒女子は希少すぎる。だから高卒でも、弁護士事務所、県庁、パルコ、などに就職はできたのである。つまり、トレンディーなOL稼業のもと、「自己実現」として消費をおう歌できたのだ。(ただし、大塚が指摘しているように、実は、名前だけの格好良さで、正社員にはなれない被搾取対象者だった。いく子はそれに気づき、労働運動もしてきたのだけれど。そして30半ばを過ぎると、時代の要請するIT技術習得がなかったので、もうそんな就職口はなくなった。)

 

しかし今は、私は、そこにも、突っ込みをいれる。

 

むしろ、永田洋子の内省の方が、正しかったのではないか? と。女性の「消費」と、「ブルジョワ」とは、その社会とは、出自が、文脈(関係構造)が、違うのではないか? と。永田はだから、「消費」に結びつく女性性を、「ブルジョワ性として単純な否定」をしてはいけないと言ったのではないか? と。

 

いく子もふくめて、女性は、「消費」と「贈与」が結びついている。とにかく、こんなつまらないものを、というような品を交換しあう。私もよく、よそのお宅へもっていかされた。だからそれを、「交換A」として氏族(サムライ)社会の制度枠でいっしょくたに理解してしまうのは、間違いなのではないか? あるいは交換Cとして形式的にとらえていいのか? いく子が遺した品物の数々、「消費」されてきたモノは、そんな消費交換によるのか?

 

遺品を手に取ってみる、何を、感じるだろうか? 

 

いく子が好きだったという小倉千加子経由の読書で、森岡正博の著作を読みはじめている。彼が提出したという、「草食系男子」という言葉を知ってはいたが、それだけだった。が、男が「感じる」ってなんだ? といく子の手紙を読んで、考えさせられた。森岡正博は、まさに、そこを問題にしている。

 

<『風と木の詩』は(引用者註―竹宮恵子作。いく子の蔵書には、荻尾だけでなく、この人の自伝もある。)、女性読者にとって一種のポルノとして消費された面があると推測される。インターネットに散見される、「どきどきしながら読んだ」「隠れてこっそり読んだ」というコメントはそれを示唆している。だが、家族による暴力的な近親姦が描かれているという点を忘れてはならない。父親に性的虐待を受けたことのある男性がこれを読んだら、フラッシュバックなどの大きな心理的ダメージを受けることだろう。ペドファイル(児童性愛者)による犠牲者の多くが少年であることを考えると、父親に性的虐待を受けた男性も、相当数いると推測される。…(略)…次に、『感じない男』の著者として言わせてもらえば、このマンガの男性同性愛には、決定的な点が描かれていない。すなわち、性交の終着点で生じる「射精」が、まったく描かれていないのである。私や、私のような男たちにとって、「射精」はそれまでの性的な興奮が一気に醒め、暗く空虚な気持ちに墜落する決定的な瞬間である。いくら同性愛であれ、とくに挿入する側の男性の射精は、異性間のセックスにおける射精と同様であるはずだ。>(森岡「<私>にとって男とは何か」『思想の身体 性の巻』所収 春秋社)

 

何度も続けて性交したり、射精のあとに歌を歌いながらシャワーを浴びに行ったり、あるいは猿にマスタベーション教えると死ぬまでやってるとか……とても、私にはできるふるまいではない。二日酔いと同じで、もう二度とアルコールは飲まんぞ、と思うような感じになる。が世の中の表向きでは、その勇ましさが、いいらしい。それは左翼集団でも同様らしく、NAMにいたころ、団塊世代のメンバーが、同性愛を名乗る者に向けてか、まだ若い私たち世代に向けてかは忘れたが、「おまえ(ら)チンポコ立つのかよ!」と批判していたのを思い出す。なんともまあ、どの世もおなじこと、いやそれで「革命」だの「実践」だのと言ってたのだから、私には、意味がわからないが。

 

大塚英志は、「イグアナの娘」たち世代が(その少女まんが家たちが)、結婚して子供を産むと、それまでの「自己実現」へ向けての葛藤(問題)を捨象してしまったように、「母性」を肯定してしまった事態を「転向」として批判している。私にも、妻・いく子に関し、そう思ったことがある。彼女は、妊娠するまえかどうかは忘れてしまったが、「子供は嫌いだ」、と言っていたのである。がそれが溺愛を通り越していくような事態に変転していくと私には思われたころ、その発言はどうなっているのだ、と問うたことがあるのだが、そんなことは言っていない、という返事だった。どころか、幼稚園の先生になろうかと、試験勉強まではじめてみたのである。

しかし、やはり、子供は苦手なままだったろう。あくまで、息子を通して、その友人たちと深い絆を結んできたのである。千葉にきて、近所の幼い子供たちに、その息子媒介の態度のまま接して、子供を泣かせてしまって、その親が庭手入れのお客さんでもあったから、私に釈明みたいなことをはじめたことがある。

 

しかし、この男の論理にとっての、「飛躍(転向)」と見える過程こそ、もっと相手の文脈で考えてやらなくてはならない現実があるのだと、いく子の死を通して、私は学んだ。お互いの盲目性を理解しないことには、すれちがうばかりだ。

 

<この世が究極には楽なところであり、まずまず楽しいところであると思わなければ、女性は正気を保って生きていくことはできない。>(小倉千加子『草むらにハイヒール』)

2024年2月20日火曜日

トイレ


  横になっていた。体がほてっているのは、銭湯帰りのままいつのまにか、寝込んでしまったからなのかもしれない。ということは、体が冷えずにいたということだから、夏なのかもしれない。だけど、暑く感じているわけでもないことを思えば、春や秋なのかもしれない。時間が、ゆっくりと過ぎていた。薄暗い部屋が、上京してから住み込んだアパートだとはわかっていた。足元向うの押し入れがあいていて、暗い穴が、祠のようにひっそりとしている。よく近所の猫が、知らない間に入っていて、隠れていた。正岐の頭の向う、横にと、仰向いて眠っていた自分の顔をのぞいていた。布団をかけていたときは、胸の上にも、まるまって寝ているのもいた。もう十年近く、布団は干していない。ということは、もう学生時代のことではなく、フリーターとなって、アルバイトで生活をしていたころのことなのかもしれない。布団を干そうにも、どこに? 狭い路地道に面した窓をあけて、さびれた金網にかけてみることはできる。部屋の出入口は、その金網が切れた、路地道がT字路にあたるところにある。扉を開け放すと、銭湯や、さらにはコンクリで固められ堀の深い細長い川へとつづく商店街を抜ける路地道がくだっていて、買い物客や、川向うの高台には、大学のキャンパスもあるから、ここを抜け道として使う学生たちが、のぞいてくるかもしれない。しかし部屋は薄暗いのだから、もうじき、夜なのかもしれない。しんとしていた。押し入れの隣の、ちょっとした台所流しの窓も、破れた緑色のカーテンを暗くしていて、明るい気配がない。体が、軽くなってくる。起きようか、起きまいか、迷っていると、体が浮いた。いや、目を持った魂が抜け出たみたいに、すっと視界が上昇して、天井の高さにまでくると、見下ろしてきた。住み始めるまえから置きっぱなしの、タンスのような、勉強机がある。寝ていた頭上のあたりには、ミニコンポがある。かけっぱなしにしたままのラジオから、荘重な音楽が流れ続けていて、昭和天皇の最期を伝えていたと気づかされたこともあった。枕元の電灯の横、部屋の角には、小さな冷蔵庫がある。突き当りの、薄汚れて煤けているようになった壁。その真ん中を、引き戸がふさいでいる。視界が、その戸の方へとズームしてゆく。戸を開ければ、隣の部屋のものと共有するコンクリの土間があって、そこにスリッパを置いていたはず。右手側にまたドアがあって、トイレになっている。トイレに入れば、また、ドアがあった。それは、外の通りへと通じていた。日曜日の朝、大家さんが自転車でやってきて、外から入って、掃除をしてゆく。たまに、かちあってしまう。開けられては困るので、ドアノブをおさえて、トントンと、ノックをする。そんなときの、恐怖心のようなものが、こみあげてきた。トイレへと導くドアを、視界があけた。

 正岐は、また横になっていた。天井をみている。あの時も、天井をみていたのだとおもった。父が階段をのぼってやってきて、上京するまでは兄が使っていたこの子供部屋にはいってきた。「どうして、学校にいかないんだ?」父は聞いていきて、あの時は、狂っていたのに、もう狂っていないんだな、といぶかしがると、天井がひっくり返って、壁になった。細かい銀紙のようなものがちりばめられていて、ピカピカしているから、幼稚園児くらいの子供のころ、この二階家が増改築されるまえの、平屋建ての頃のことなのだろう。「誰も信じてくれない」正岐は、その壁の方を向いて、体を丸めて、泣いていた。二段ベッドのはしごに足をかけて、顔をだした父が、「だいじょうぶだよ、そんなことないよ」と、やさしい声をかけてきた。「誰も信じてくれない」、正岐は、泣き続けたままだった。何を信じてくれというのだろう? 次男坊だった正岐は、初めての赤ん坊として溺愛された長男と、甘やかされた末っ子の間にはさまれて、母から、邪見に扱われたことがあったのだろうか? おもちゃが欲しいって、わんわん泣いて、お店の床に大の字になって動かないんだから、大変だったのよ、と言った母はそのとき、どうしたのだろうか? 男ばかり三人兄弟のなかで、正岐は、女の子がわりとなった。いつも、母について、買い物にでかけ、ご飯を作るのを手伝った。ピアノの稽古を受けた。母も、買い物でよその奥さんに出会わしたとき、この子が女の子がわりなんですよ、と話し込んでいた。その母を、殺したのだと、正岐は思い出した。父は、もういなかった。

 ベッドのはしごを降りて、戸の方へへと向かった。ということは、父は、戸を閉めていってくれたんだな、と思い、一度は兄が鍵をとりつけてもいた引き戸を開けた。隣の畳敷きの子供部屋とをつなげる踊り場にでて、まだ弟は寝ているのだな、と思った。二人でその部屋で眠っていた時、夜中に目覚めた正岐は、寝入った弟のまぶたを無理やりあけてみた。眼球が、ぎょろぎょろと動いていた。白、黒、と繰り返された。今はそんな時ではないだろうと、正岐は、階段下を覗き込んだ。ほの明るい暗闇のなかで、階段の底には、ほの暖かい日だまりがあるようにみえる。正岐は、す~っと降りてゆく。そうだ、あの時も、こうやって、降りて行った。降りて、どこへゆこうか? 箱のような黒いピアノが、部屋の闇の底で、輝いている。もうやなんだ、ぼくは男の子だよ! 泣きながら、ピアノを弾いていた。近所の女の子と、連弾をやる。発表会。クリスマスには、とんがり帽子をかぶって、輪になったみんながプレゼントをぐるぐると渡してまわす。ぼくのは誰のものだろう? おしっこが近くなる。リビングを仕切るドアがみえる。またす~っと、その扉を開いた。この向うに、母がいるはずだ。暗い廊下。明かりはないのに、廊下の床にならんだ板の長方形が浮き出て見える。あの時も、こうして、向かったんだ。母は、まだいるだろうか? 突き当りの洗面台の鏡は、何も映していないままだった。そこを左に折れると、左側のドアがお風呂場で、右側のドアがトイレ。母は、お風呂にいるはずだ。あの時も、そうだった。す~っとまた、トイレのドアをくぐった。和式の便器の白い底に、黄色のような、茶褐色の、粘土で作ったような大きなうんちが横たわっている。「誰がしたんだよ! もう飯なんか食ってられねえよ! こんな仕事なんかやだよ!」夜勤の荷物担ぎをしていたとき、夜の食堂に入ってきた、よその組で班長をやっている若者が叫んだ。正岐はそこで、やっていいものか迷ってきた。もう深い穴は糞尿でいっぱいで、便器の下まできていた。汲み取り屋さんにはまだ頼んでいないんだな、と思いながら、前にあったタンクのレバーを引いて、水を流した。茶色く濁った水が、底の方からどっと流れてきて、便器からあふれだしてきた。それは洪水のようになって、正岐の方に迫ってきた。

 

 酔いが、まだ残っていた。後味の悪さを覚えながら、閉めた扉むこうの、トイレの水の流れる音を聞いた。もう昼近くになっているのだろう。寝床に使っている畳敷きの部屋には戻らず、隣の台所のあるリビングを過ぎて、奥の、勉強机や本棚を置いた部屋のカーテンを開けた。11階建ての団地の6階からなので、青空が大きく広がって見える。ベランダのベージュ色のペンキを塗られた鉄製の手すりの少し上だけ、駅に続くマンションや駅前の高層タワーの頂上が連なっている。何年かまえまでは、ここから富士山も大きく見えた。がいまは駅前開発でできたタワーマンションがさえぎって、その裾の部分だけが、滑り台の端のように降りているのがみえるだけ。息を深く吸って、胸のむかつきを調整してみる。この後味の悪さは、昨夜、草野球仲間たちと久しぶりに飲んだアルコールのせいだけでもなく、繰り返されるというよりは、ぶりかえされてくる夢をまた見ることになったからなのだろう。

 洪水の夢、竜巻に追いかけられる夢、熊に追われる夢、そして、トイレにあふれる大便の夢。いつから、そんな夢を繰り返すことになったのだろう? 山手線か何かの電車に乗って、ぐるぐると迷って、あげくは東京駅に近いと感覚されるいつもと同じ駅で慌てて降りて、そこから違う電車に乗り換えて、行き過ぎてしまったとまた草地が道端に生える郊外で降りて、田舎道から大通りへと出て、行き交う自動車の間を抜けて、混雑する人々の、買い物客であふれたビル街の中の路地道へと入る。そうだ、ここからならわかると、どうも池袋のサンシャインタワーへの街路を連想させる高層ビルの間を縫って、さびれた飲み街のような場所に迷い込んで、一軒の引き戸をあけると、そこが、上京してから一番最初に住んだアパートだったりするのだった。さっきの夢も、もしかして、そうやってたどり着いたのかもしれなかった。

 正岐は、台所にもどって、コーヒーをいれようと思う。それとも、カップラーメンにしておこうか。とりあえず、ヤカンに水をいれて、お湯をたくことにする。ひとりで住むには広い2LDKの物件だった。本を読むので、たまってくると、置き所がなくなってくる。寝床と書斎が一緒になってくるのも、どこか耐えられなくなっていた。本棚や、床に積み置かれた書籍のビルのような連なりは、どこか、夢のつづきのような、洪水があふれてくるイメージを呼び起こした。それでは、寝ても覚めても、同じ世界にいるみたい。世俗の、実際の世界にいることが正岐は嫌だった。その世界を成立させているそもそもの世間が、なお正岐には嫌だった。世間は、男と女でもつれあっている。なんで談合ってあるんですかね? 正岐は、植木職人の世界に入る前は、営業をやっていて、よく仕事上の話し合いの場所を設けていたという年上の職人にきいてみた。草野球も一緒にやっている彼は、「それは女が好きだからだよ」、と端的に答える。「銀座とかでよくやったな。」と、懐かし気に付け加える。

 草野球のチーム自体が、男の品定めのような場所になっていた。チームメイトの恋人なり奥さんが、年頃のまだ若い女友達をときおり連れてきて、応援にやってきた。がそれは、お見合い相手を探す一環でもあるらしいとわかってくる。そしてどうも、女の子たちは、みな正岐を指名しているらしいのだった。「いや彼は別口なんだ」と、ひそひそ声で説明しているチームメイトの声が聞こえる。ヤンキー的な若者たちが多い中で、律儀そうな正岐の姿は、目立つのかもしれない。仕事でも、自分ほどのベテランで、現場をまかされていると、接待のゴルフや酒の付き合いに巻き込まれていてもおかしくない。が正岐は別格で、いわば超然としているのだろう。みなを公平にあつかって、つるまない。作業能率が桁違いなので、不平を言ってやめられても困るからか、付き合いが悪くても、そのまま通ってきたのだった。

 もしかしたら、直希も、そういうことで独り身でいるのだろうか? 正岐は、カップラーメンにお湯をつぎながら、考え始める。中学生の時から、バレンタインデーのチョコレートをけっこうもらってたから、もてないわけじゃないだろう。むしろ、一番最初に結婚してもよい感じだったのに。いつだったか、兄の慎吾に、その件を聞いてみたことがあった。「まわりの女が尻軽で、ふしだらだから、面倒になったみたいだよ。」知ったように言われたその返事は、以外な感じがした。高卒でできる仕事につく人たちの世界は、モラル的な抑制も弱いから、そんな周りになるのかな、と思ったが、大学に進学した正岐の学生時代も、実はそういう周りだったのかな、と振り返られた。まだバブル時代だった。男の方がすぐに誰と寝たと言いふらすし、女性の態度も変わるので、それはすぐにわかるけれど、正岐には気にするどころではなかった。自分のことで、精一杯だった。どうして、母を、殺してしまったのだろう?

 草野球の応援にくる女の子たちも、いろいろな経験を積んでいるだろうけれど、ふしだらな感じはしない。男女まじった酒の席では、パンツをおろした男のペニスを、みなのまえで食いつく女の話もきく。芸能界にかかわっている若い衆もいるから、一度、ドラマや映画、コマーシャルでもいくつも起用されている女優がグランドにやってきたこともあった。いろいろ週刊誌で取り沙汰されるけれど、ふしだら、という感じを受けるということは、どういうことなのだろう? 

 しかしまだ、素人の世界のことだからマシなのかもしれない。野球仲間には、やくざ者もいた。性的にもアピールのある女性がくれば、明白なターゲットとなった。銀座のキャバレーに勤めているという若い女性がやってきた。サラリーマンの営業時代の接待で、その界隈に詳しいあの職人さんが、その勤め先の町名を聞くだけで、そこ三流じゃん、と挑発し、彼女もそれを自覚しているからか、口ごもってうつむく。やくざ者二人が、男どうしの打ち合わせを始める。後日、ひいひい言ってたよ、と酒の席で報告がはいる。3人でやったらしかった。そんな話の数日後、その男二人のうちの一人と、彼女が街を歩いているのにでくわした。男の方と目が合ったので、正岐は自転車を止めて、挨拶をした。彼は組員ではなく、ハンサムな遊び人で、娘ばかりの子供を5人くらいもった妻帯者だった。大きな目をした彼女が、ちらっとこちらを見上げた。ふたことみこと、何か彼と話して、「じゃあいきますね」と、団地の方へ自転車を走らせた。「え~っつ!」という叫びのような声が、後ろから聞こえた。その日以来、彼女は2度と、草野球の応援に来ることはなかった。

 洗脳のためのアンカーを打つように、男根を使うようだった。彼女だけではなく、他にも幾人か見てきた。目が、もうおかしくなる。中毒者になってしまうようだった。いやでいやでしょうがないのに、逃げられなくなる。その嫌な男をみると、体の芯が抜けてしまう。頭では嫌なのに、体が欲してしまって、言うことを聞かない。男の方は、それが狙いらしかった。「あなたのことは嫌いでしょうがないのに、体がだめなのよ、そう女に言わせなくてちゃだめさ」。

 正岐には、遠い世界だった。しかしその世界への嫌悪は、青春時、それ以前の世界と直面した時の嫌だな、入っていきたくないな、という感じを上書きしただけだった。高校は、県下でも一番の進学校で、男子校だった。その要領のいい官僚予備軍のような世俗社会と、やくざ者や草野球の世界でみられた世間は、直結しているというか、同じ重なりに感じられた。大学になどはいれば、なおさらだった。どこもかしこも、同じだった。気味が悪かった。もしかして、そんな感じが、あの糞尿の姿となって、夢に現れてくるのかもしれなかった。

しかし気味が悪いからといって、その当人である男や女たちを、ふしだらとは受け止められなかった。嫌なのは、その個別なことではなく、それらが織り成す相のようなもので、見えてくる印象に近いものだった。世相、という言葉もある。だから、それら個別の人々と、正岐は普通には付き合えているのだし、それを成立させているものがふしだらな素材であっても、その組み合わせ次第では、もっと違った印象を与える形になるのかもしれなかった。ただそうだとしても、正岐には、そこに参加していく意欲はわかなかった。欲望自体が、空々しかった。女性を性的な眼差しでみてみても、そう見るのが普通だからと強制されているようでいて、嘘くさかった。たぶん、自分はもっと無邪気な目で、男を、女を、世間を見ていた。がその無邪気さは、許されていない。正岐には心地よい無邪気さを守るために、青春時に止まってしまった時計をそのままにして、世界から距離を置いているのかもしれない。仕事やなんやで時間をとられるほど、正岐は独りになる時間が欲しくなった。欲しいというより、本当に、頭がおかしくなってきそうで、じっくりとクールダウンしないことには、逆に病気になってしまいそうだった。そういう意味では、参加しないのではなく、参加できないのだろう。そして参加できない自分は、「え~っつ!」と叫ぶ女の子たちに、どうしようもなかった。そして男たちも、こいつはそういう奴だとわかっていて、だから、「あいつは別格だから」と言うのだろう。ペルーの友人たちの付き合いで、六本木の夜の街のなかで、歌舞伎町のやくざな世界の中で、そうやって、自分は知り合う男たちから守られてきたような気がする。「あいつは、本当に悪い奴だからつきあうな、ほっとけ」と、正岐に話しかけてくる男をマリオたちはどけた。そしてマリオたちの店をつぶしにはいったやくざ者たちもが、正岐の前でおどおどし、手を出さなかったのは、正岐が世界から距離をもった存在であることを了解してしまったからなのかもしれなかった。一緒につるまないこと、つるめないことを自覚して、世界をいつも同じ距離から、遠くから、無邪気に、無関心に、だからこその公平な近さであることは、逆に男たちを、その世界を脅かし、暴力をおさめさせ、平和へとなだめていくようだった。

正岐は、そのことをも、自覚しているのかもしれなかった。世の仕事など、する気もなかった。まだ時間があるから、暇があるから、空いた時間があるから、やっているにすぎなかった。部屋にこもり、本を読み、考えたことを書き留めている。いつかそれを、書き得る時がやって来たら、一つの形に造りあげたい。集めた材料をくねりあわせ、組固めて、彫刻を象るように、人々の思考や夢を刷新していかせる壮大な形を目に見えるようにしたい。そうすれば、ふしだらな素材たちではあっても、世界を変えていかせる印象に、衝撃になるのではなかろうか?

 

 食卓の椅子に座って、カップラーメンをすする。昨夜の、焼き鳥屋のとんちゃんで食べたものの消化しきれていない残りが、胃の中で、また暖かいものに触れて、動き始めるような感じがする。食うことが嫌なら、食を減らせばよい、世間が嫌なら、付き合いを減らせばよい。そうやってでも、生きていかなければならない。もう五十を半ばになって、耐えていけるのだろうか? いや今まで、ここまで生きていられているのは、どうしてだろう? そっちのほうが不思議ではないか? 嫌悪、嫌悪、嫌悪……吐き気、吐き気、吐き気、…憎悪。この世界とのそんな感触が、自分の自殺をふせいできているのだろうか?

2024年2月11日日曜日

山田いく子リバイバル(11)ー2

 


「ガーベラは・と言った」の2000年黄色バージョンが、カメラ屋から、仕上がってきた。

 

2000.3.24山田いく子「ガーベラは・と言った」 (youtube.com)

 

いく子は、この私小説的な試みになってしまったソロダンスが、評価されたということに、とまどう手紙を書いていたわけだ。たしかに、ここには、まず自己分裂がある。心の奥に潜めた黄色く輝く世界、そして、表向きの、戦い、倒れ、嘆く自分、といった世界。心に仕舞いこまれて積み重なった、ひとつひとつの記憶の断片のようなものは、表の世界へと少しずつ運ばれ、整理されるかのようであるが、うまくはいかない。いく子は、ノスタルジーをかきたてる日本語の歌を背景に、うまく整理はできない断想の中を、力つきていくように、たちあがろうとしては、たおれ、ころげまわる。最後は、疲れたように、缶ビールを飲み干す。夢からさめるように、日常の世界につきもどされたように、ひとりの中年の女にかえったように、この非整理なままの世界で生きていくことしかないと覚悟をしたように。いく子はこの後、とにかく、外へ向けて、飛び出していく、そういう舞台を作っていく。