2026年2月27日金曜日

「中道」――いく子「日記」から(2)


 また、「中道」という言葉がでてきたので、追記。

一身にして二世を経る、とは福沢諭吉の言葉だけれど、いく子もその時空の落差に突き当たっている。漱石の「三四郎」での地方差(熊本)認識は、当事者性から見れば弱い、との記述も他の日どりでなされている。図式にすれば、熊本(地方封建)対千葉(中央官僚)である。が地方私立の中高一貫校は、その落差に、初めて女子を入学させて性急に追いつこうとしていた、ということなのだろう。いく子は、前者の人間としての「あたたかさ」を捨てず、後者の一見としての民主に偽善を感じている。どちらにも組しない模索が、「中道」という言葉を引き出させ、「結婚は妥協(中道)」だという身近な問題意識と重ね合わせられながら、もがいている。ちなみに、幼稚園は、カトリック系の教会である。

 

☆☆☆

 

11月11日(木)   3時限自習の日

肯定――(好きだから、無為自然、純粋無く)

   ―偽善者

否定――批判 破壊 反動(肯定のすべてを否定もの)

   —あざけり

中道——肯定も否定をも認め、どちらを選んでも、どちらも正しいとされているならば、多くの人の行う方、多くの人が喜んでくれる方を行うこと……妥協?

たとえばそれが制度化されているのならば、その先駆者の真実にもどって 行えたならば、いいと思いながら、真に好きに否定意見をも振り捨てる情熱があるならば。

 肯定と否定とはよく似ている。同じ事を問題にしている以上、同じ利益を求める以上 よく似ていると感じることがある。また中道の定義は私のやってきたことの美化のようで、仏教本来の意味ではなかろうが。

このごろ思っている( )以外のいやらしさを感じながら、どれがいいのかどうしたらいいのかわからない、そんな気持ちを書いてみたかった。

 結婚の制度化のいやらしさの理由に、制度に囚われて、愛情の問題をおざなりにする旧来の結婚に対する反対と、愛情を認めたら それはそれでいいだって。それはそれでわかり、私とて、わずらわしい たとえば 日どりとか式場とか申し込みとか 一族郎党が集まる日なんていやでしかたがないけれど。お嫁さんになりたいと自然に真剣に言う女の子に会ったとき、ひどくうらやましくなる。お嫁さんになりたい、大人に早くなりたいとか そんな言葉を使う子供が、制度の理屈でいやらしさを知らずにいられるとかの意味で心得て、素直でいられる純粋のままである子供や人に対しての優越感か しっとかもしれない。(明暗のお延のように)だけど、それまで認めると、ひどくひどく悲しくなっていく。

家庭科がいやだ、それだけの意味じゃなかったけれど、井上順子(註;真和中・高の先生)に反発した。その激からきた 今は反動沈黙の反省期なのか? 本当に料理が好きになればいい。真に家庭に結婚にあこがれて、家庭科を一手段と割り切ればいい。昨日の家庭科でアップルパイを作るその下準備に参加しながら、家庭が亡国の音であることを認めながら、家庭科が好きならばいい…ずっとそう思ってた。両方を認めながら、どちらも選択できずに ただ妥協として偽善として 行なっていた。

もし 私が 今 結婚をするならば 偽善だろう。私は愛情の理論化ではある。そして実践はできる。ただ 結婚と愛情が結びついてくれないだけ。だから 私は 偽でしかない。そして これから育っていく子供を育てることができない。

自分を卑下する表現(これは逆説の肯定強調、こうなるしかなかったんだ)は避けたいけれど。ひどくみじめできつい。こんな時 何とかして まがりなりにも認めたいときに、神とか宗教とか それこそ何でもいい、事でも物でも思想でも、軍国主義でも人でも、愛でも。ほら 私の人生観(なんてオーバーなのでしょう)は逃避への術になってしまった。

 怒らないで下さい。私はずっと逃げているんです。これからも。私には自信がなくて、恐ろしいほど 自分をみじめにしたくなる そんな気になってくるんです。出来るだけ 出来るだけ 下げて 考えて 偽善者みたいに悩んだふりでもしていれば、救われる。しかたがなかったって、それも 甘えかもしれません。ひどく悲しいんです。

何をやっても終わりがなくて、それから 何があっても結果がなくて、ほら、果は また因に変わっていく。人は冷たくうわさして、でも人さえ寂しくて。私が一生懸命になっているのも、逃げるためなんです。忘れるためなんです。怒らないで下さい。私はずっと逃げているんです。

 

11月20日(土)

歎異抄 唯円

仏教にも絶対者はいた。キリストのように形あるものではなかったが、いてしまった。それが宗教なのかもしれない。

親鸞を尊敬しすぎて、彼が独自に会得した(一般農民・民衆らの中からまたために作った)かのように、彼のみ彼の言葉のみを曇りのないように信じていることに やや 不満もあった。また詭弁的な言葉のあや、論調が気になる。故の多用、誤解されやすい語を前に持ってそれが正当であるように、正当であるけれど、説く文法、逆説的な用い方には ひっかかる。

フラニー(サリンジャー)にあったように念仏を唱えるうちに、その意味がわかってくる。だから念仏する。念仏と阿弥陀仏とが一体になり、いつもその絶対者が側にいてくれるようになる。見守ってくれる。それが生活で思想でささえになる。フラニーでは キリストは“ふとっちょのおばさん”となって現われる。

絶対者には形がない。民衆のための浄土宗はそれに念仏という形を与えて、その言葉の巧妙が表われる。生活の何かの拍子にこれが、こんなものが阿弥陀仏だってわかるとき、ほんの些細な日常の中からなんとなく気づく そんなわかりやすさが浄土の教えだ。わかりやすさ、民衆のためのもの、だからあまりにも卑近な例をとってくる。唯円のあるいは自我かもしれないが、13章「唯円房は我が言うことを信ずるか」の問答のある意味でいうつまらなさを感じてしまった。

東洋の思想が西洋より、すばらしい点(上下をつけるのはおかしいけれど)と感じたのは 善悪の区別は 人間の勝手な価値判断によるということを教えること。例がどこにあるのかわからなくなったけれど、行為は前世の因果でだから善悪が決められず、人は救われねばならぬという。人間は老少・善悪によらずに救われる、平等に。良い者だけが天国に行けるのではない。善悪がない。

しかし阿弥陀を信じねばならぬ。私は救われぬ。良い人間ではない。業は深すぎる。悲しい位に。でも信じていない。あることは認めても、自我が強すぎて、科学証明もなく(まだ発見されていないだけかもしれぬが)、そして前世の因果だとしたら、始めから運命があって そうならざるをえないものがあるのならば、私は信じる信じないは 始めから救われる救われないと決まっているものじゃないか。自力更生の余地がないならば、私の生きている意味がなくなってしまう。意味などなくてもよい。でも私の意志は必要のないもの、持っていなくてもよいものじゃないのか。ならば絶対者は 何故 人間に 知恵を 与えたのか? 人間を悩ませるためなのか?

もしも お与えになったとしたならば、信じる信じないなどの 二者選択の意志を与えてくださった、可能性を一つ残してくださったのか。“今は 過去の唯一の可能性の結果だ” 神にも(仏にも)未来はないのか。または現在地から未来という無限大の(神だけの知る)意志選択を お与えになった(?)

流転は必要でないじゃないかしら。前世の因果が今ならば、浄土に行けるも行けないも もう必然で、ただからまわりをしているというよりさせられている。浄土へ行くために 清浄しに生き返るならば、ただ回転の糸車でしかない。虚しさがあるだけで、創造性、意志の自由

 …(略)…

 日本史の授業「五人組」で 相互監視のもとで 一方向の地場を与えるという。彼のいう軍国主義がわかった。本間氏からハンド部、運動全般にわたって批難する糸口がわかった。でも私がそう思わなかったのは、真和の寮があるらしい。木高は軍国主義じゃない。本間氏は別としても 木高の運動クラブはそんな風にそまっていない。ずっと自由だし、統制はない。美術部と比較するのは悪いけれど 本間氏との結託はずっと少ない。影響のほども小さい。そりゃお説教の好きな人だから、そのきれいな表面の部分だけはとりあげてきたけれど。そんな点ならずっと美術部の青木先生の影響の方が大きい。

話をそらしたけれど、木高で軍国主義を感じたことはない。以前をそうだとしたら、真和の寮、悪口ばかりだったって、ばかりじゃないが、こともあるし、それが行動をかなりおさえつけて、同じくさせて、また、だから変わったことをしようとしても それもやはり その皮肉の友人のものだった。それから地域性もある。ごく普通に年功順を考えていたし、ずっと物事にこっていた。たぶん天候のせいもある。しかし真和は悪くなんかない。嫌いじゃない。批判の対象にはいくらでもなるけれど、ある意味の あたたかさとか いい思い出とか友人がいることは確かなんだ。活力がありすぎるばかりに 先生はとりしまる。木高はそれがない。だから押さえつけることもいらなかったともとれるんです。

 あと日本史というより歴史の疑問点は「何故 性格を見る必要があるのか。」それはおもしろいけれど、思想統制の意味合いも含まれているし、そのために 在るのではない気がします。人とつき合うのは 性格を見るためじゃない。性格にひきよせられることがあるけれど、人がいるからだ。それには何の意味もないんじゃないのか と思うのです。

 

11月22日(日) 学校をさぼった   サッカー

私の高校時代というより木更津高の生活は 真和の否定の上に成り立っていた。あらゆることに。文化祭も ハンドボールも 友達づきあいも。それもそれでよい。そしてまた もう真和の否定ばかりでなく、それを乗り込える時が来たのです。キザだけど、ある意味で、終わったのです。終わるってことに限定しすぎるし、また絶対に終わることなんかないけれど。クラブも終わったし、…略…、あと 受験と お友達が残って(思い出と)。

否定の上に成り立っていたことを認めます。ハッキリと。そしてそれの悪さとかof course私自身も含んで、考え続けてきたのです。でも私は真和が嫌いじゃない。恋しく思いながら、だから否定し続けたのかもしれないけれど。やっと それがわかった気がするのです。

 美術部で トキ田くんが 軍国主義を連発する。何か悪いことはわかるけれど(体育や家庭科)、何が軍国主義だかわかりゃしない、というより、わかっていない。彼の性格をああだこうだ言うのは悪いと思いながら、私の中学校の頃を思い出しては 良く似ている。狭域な見識、彼にあてはまると悪いけれど、彼の付き合っている人は 大体 同じわかっている生活(貧困、絶・失望、いやらしげな悩み)は彼のものじゃない。そして唯一 違うのは 彼は失敗したことがない。人から中傷を受けたことがない。(私が中傷を受けたのは人の悪意じゃないけれど) 彼は気づいているのだろうか。そんな風に狭まった考えが軍国主義だってこと そんな風に排他的に考えていくのが 危険だってこと。唯一の考えを持っていく信念の恐ろしさを 知っているのだろうか。

彼も日本人だ、私と同じように。そんな風に考えてゆきやすい性格を持ち合わせ、(もう私には出来なくなったけれど)、またそんな考え方が 戦争へ赤軍へ傾向いてゆきやすいこと 気付いているのだろうか。

 私はバカです。そんなところへ傾きやすい性格を充分に持っています。妥協性も出てきたし、世間の目ばかり気になるようになって もう出来なくなってきているけれども。何もかも 本気になってしまう 素直なのでも、良い人間であるというよりも 私はバカなのです。あるというよりも 私はバカなのです。

このごろ やっと 赤軍に入るのを断念しました。思想の上の 何んだのより、命をも捨てて 何かに掛けてるそんなことが好きだったのです。今、やっとそれが 思想上で問題がある、パレスチナは直接私の問題ではないということに気付いて、(また政治や安保やこれからおこりそうなことも)それを 正当ばって 口を出すのは 私の真心にそむいているのです。

結局 私はバカです。自分の正当性だけを掲げるバカなのです。

 真和の頃、何かが悪いんだってことはわかっていた。(人がいったんだけど)けれど、何が悪いんだかわからなかった。人がたまに他の学校と違っている点を述べる。そうだそうだとうのみにする それがすべてでそれにとらわれるけれど、実際は それは学校の特色だ位にしか感じていなかった。何なのかちっともわからない。何かが悪いという絶対価値ママ他の学校と違っているという相対価値ママ。先生は何も言ってくれなかった。たぶんわかっている人がいたんだと思う。受験のさしさわりだとして、言われるかして 教えなかっただけだと思うんです。閉鎖された学校system。活動できないことはないけれど、どうやっていいのかわからないところで、何かあるだと思いながらわからずに、もしもまったく閉鎖されていたら 何もわからなかっただろう。他にどうするすべもなかったのだから。梅園でさえ、他国の本を読んで(相対)やっと批難することができた。いわんや私ができるおや。だから 遊び人とか 公立組は 真和を批難でき、真和に囚われる必要がなかったんだと思うのです。ちょっと 五人組にこりすぎたけれど。しかし、その絶対的価値ママ、何かが悪いんだってことを感じなければ、その体験・経験がなければ、その相対価値ママはわからないのです。

どんなに知識があってもいい。けれど、その知識が、ああこんなものかって軽く思われたり、小さなことを こうだと断定されるのは 困るのです。トキ田くんの軍国主義だって 小さなことに 囚われすぎている。木高はそんなとこじゃない、いいとこですよ、寝てる分には。

 沢田健の信念が「ライ麦畑でつかまえて」にあるという。私の自我かもしれないけれど、読み終わった後、こう書けば小説になるのかと思った程度だし、もちろん、そう肯定してもらえて、私のかんがえていたことはまちがいじゃないことを知って うれしくて、さらに そんな方向に向いたとこもあるかもしれない。けれど彼は 感動して、それは悪いことじゃないけれど、その方向に向こうとして行動している。ある意味であれは全うじゃないんだ、社会とかなんとかの否定の上に成り立っているものなんだ、なのにその方向に向いて行くのは…何故だかひっくり返してやりたい。庄司薫だって同じだ。二人ともいい人だし、素直だし、私が判断しちゃいけないんだけれど、自分を素直だとして肯定して…本当にいい人なんだけれど…おかしいんだ。私はひねくれているだろう、私の方がおかしいんだろう。でも肯定しちゃいけないこと、例えば 弱さがあるとか…認めなければいけないとこだけどそれを肯定して 理論を先にもってきた行為を行なえば、それはあまりに寂しく、彼が強者になってしまったって類いかもしれないけれど、ひどく滅入らせてくる。

彼の学校批難とか成績の云々や家のこととか話されるたびに理論の先にたった批判を聞かされて、結局 つわものの意見を耳にするのと同じになってしまう。

私が弱いものだから 私だけが「ライ麦畑で」がわかるんだっていう そんな帰着になってしまった。こんな風に言えば 私はいつまでも否定をしつづけなくてはいけなくて、そして いつまでもひねくれものなのでしょう。

 無言。   人を全うに批判してやるのはよい。でも自由にやるようにさせて 私のようなバカな 余計なことに気をくばる人間を つくらぬために、私は黙らなければ ならないんじゃないかしら。私は もう友達に話してはいけないじゃないのか、ひょっとして 妹にも、ひどく 気がまわったり、人の気持ちをよく読めたりする。」でも それは すべてかくしてしまって 中傷も誉め言葉も使わずに 黙らなければならないんじゃないのかしら。気がつかなければ、それが一番幸せなのかもしれない。

本間氏へのしかえしに 私は何もしゃべらなくなったら、私は利己主義の反省として 人に話しかけるのをやめてしまったら、…いえいえ 彼だっていい人です。私のために 人悩ませては 絶対に いけないことなんです。

 

11月24日(水)

狭き門   アンドレ・ジイド

徳が愛をも全うする…西洋の教えだ。神という絶対者がいて その下で 人が自由と平等がある。神の基(下)で。神の前で自己犠牲を強い、神の名で幸せを呼ぶ。たぶん理屈でしかわかってないからだけど、何故人のために、ジュリタットのために、身を引こうとしなかったんだろう。武者小路「友達」(註;「友情」の間違いだろう)を思いだして Izumiの「山田、友情ば読みおと。」の声と 視線を下げた顔を思い出して。私は許されないにしても 実存の人だったら許せるのにと反撥する。

Izumiはバカで、私なんかを気にして、身を引いた。彼女の優しさとつつましさがそうさせて。

何故なんだろう。何故 神は救ってはくださらないのだろう。規律を守るものだけ、自力更生をするものだけを お(ママ)けになるのだろう。なのに何故西洋人は 神を信ずるのだろう。信じられるものがあるのはいい。なのに信じようとするあまりに 偽善に近くなるのが何故 わからないんだろう。信仰って 形にあてはめてみようとするんじゃなくて、ある意味で 自然と疑問もなく入っていけなければならないんじゃないのか。疑うなら、もちろん疑うのはおかしいことじゃないけれど、宗教理論家で実践者じゃないのに。

アリサの徳は偽善に限りなく近い。偽善だといい切るにはひたむきだ。何故愛を信ぜぬ。アリサの最も信じられる 素直に受け入れられる、そして 救われるところなのに。

「力を盡して狭き門より入れ、滅にいたる門は大きくその路は広く、之より入るものは多し。生命にいたる門は狭くその路は細く、之を見出すもの少し。」

否、否、主よ、あなたの示し給う路は狭いのです。――二人で並んで進むことが出来ない程 狭いのです。

 生命にいたる道は神だけではないはずなのに。

――しかし果たすべき義務が辛ければ辛いだけ、魂を育み引き上げるものであることを、もう悟ったに相違ありません。

そうかもしれない。そう思ってしまえばよいのかもしれない。

 

2026年2月22日日曜日

「中道」--いく子の日記から


今回の衆院選で、立憲民主と公明党がいっしょになって「中道」という仏教用語を引用した政党ができた。私自身は、この用語に関し、なんの知識もないが、妻の高校生の頃の日記を写していたら、この語をめぐる考察の文章に、でくわした。

おもしろいので、その箇所をブログでかきとめる。いく子は、高1秋まで通った熊本での中高一貫校が浄土宗の学校だったので、朝の読経や仏教講義を受けてきている。どうしてそう思考されてきたのかの文脈もあるようなので、その前提となる、前の日付のも明記しておく。

 

☆☆☆

 

10月25(月)   ――註;高31976・昭和51年)

仏教の中道の教えを考える。否定する人間と肯定する人間はわかる。そしてその両者はよく似ていると感じる。その中間の 感情がないわけでなく感じている人、どうして怒らないのとか、何故爆笑しないのかわからない。無私という否定した上に成り立ったわけじゃなくて、動いている人 無言で社会を動かしている人、何かを言っても静かに笑っている人、わざとじゃなくて。本当にやさしい人。やさしくなろうとして、やさしいんじゃなくて そんな人間はわかる。無為自然なる人。わからぬ。千葉の人(総称してみると)って たまにわからなくなる。

尾形氏と本間氏。どちらがいい悪いじゃなくて、争点とか互いの言いすぎを考えていた時に。

 

    註;尾形氏とは、日本史の先生。本間氏とは、担任であると同時に体育、いく子が所属していたハンドボール部の顧問、日体大卒で、実家のお寺を坊さんとして手伝ってもいたらしい。教師との両立が不可能になってきたともらしている。「千葉の人」とあるが、当時は、熊本との地方差が、相当あることが手紙などからはっきりする。

 

――前の日付のもの――

 

10月15日(金)

悪魔と神   サルトル

西洋人っちゃ感覚がやや違う。物を必ず、相対させてみる。客観的に視ることは必要だけど、それらが融合することを、両立すること 認めない。そこに神が出てくる おもしろい。

善と悪。いいこと・わるいことを決めるのは難しい。でもそうあるとして一般常識に従うとしても、善を行なおうとして行う人は、偽善者だという気がする。意識せずに、生まれたままに行なったその結果を人が善悪区別するんだ、人が決めるもの。やろうとして行なったものは善なんかじゃないって気がするときがある。私は素直な人間だ、正直者だと言う人位、チャチで おごっている。無理に笑う笑いはいやらしい。私はいいことをやるんだって意識してる行為は、悪いことと認めて行為する気持とほぼ同様だ。前者は おごりと自信で 片方が 卑下と自己嫌悪、似ている。

1年の頃、キリスト教の集会にいった。集まった人は皆んな若い(・・・)人で小さな子供を連れてきてる。割合うるさくて、食べ物のバザーもあるせいで汚れている。バザーなんて やってる人間だけうれしくて、来る人買う人は半ば強制的にまずいものを買ったりする。神聖な意味合いの恵みが、近所づきあいの仕方なさを無理矢理に感じさせる。村祭りはずっと自由がある。PTAが目をしかめても。話しはそれたけど、そのキリスト教者にそれを感じて、またキリスト教のかっこ良さ 外見のきれいさ ステンドグラスや彫刻にあこがれて信者になった気が、どうしてもしてしまう。日本ではどうしても 宗教が育たないのかもしれないって気がしてしまう。バザーも世俗に汚れてたし、ほとんど20才代の人ばかりっていうのが、気を迷らせた。

私はかなりイヤな顔をしていたと思う。それなのに応対に出て来たキリスト信者の人は ほんとにいい笑顔で話しかけてくれる。笑顔っていい。私もなんだか反省した。私自身がそんな表面だけを見て、実際のキリスト宗教を知らないんだからって。それでもやっぱり偽善者だって気がした。ほとんど板についた笑い顔だけどそれでも何でもなくて あんなに笑えるのかしら。でも本当に 生まれたときからの性格で にっこり笑ってくれる人がいる。本当に やさしい人。本当に 物事を悪くとらない人がいる。良くとってやろうとする人は偽善者と言えるけど、こんなに素直に感じられる人が、不思議で そして うらやましい。

しばらくして すぐ 出てっちゃったんだけど、私は。善悪の区別、中世のヨーロッパのキリスト教は 世俗的で、おごってて、これほどいい分別のつけ方はなかった。歴史でそうならう。中世はそうだったけど、発生はずっと神聖だし、美しい。キリスト教を批判する気はないんです。それでも欧州ってとこは どうしてもわけめをつけようとする。不思議だ。東洋は妥協的っていうのか、不思議もなく融合する。善悪について思うなら それは人の物の見方によって変わると思うより、それは一緒に共存して織り込まれていると感じるのだ。正直者っていうのもあるけど、それが見方を区別しても常識世俗から出たのだから、一面的なもの 逆を教えられても やっぱりそれを形のないものにしてしまった。…自分で言葉の説明がつかないけれど、感性を 形象化してみると そうなった。

 愛と憎しみ。キリストの尊厳なひざまずく愛と シャカの万物にわたる慈悲と。それはまだ私には言えない。私から見ると愛と憎しみはその出発点の一元的な時は同じだった。だから2つは似ている。よく似ている。何かにこっていて 染み込んでゆくようなものを感じる。それの表面的なものを 好きと嫌いっていうんだろう。物にこりはしない。軽くて とどまりもしない。そんな気がする。自分で言うと変だし、人に対して悪いって思うけど、それの区別が自分の気持ちにつけられるんだ。経験をおごる気はない。また私の偏見でもあろう。

 

1024日(日)

日本史をやりながら   (勉強中だから短く書きます)たまに尾形氏に疑問を持つ。運動批判、軍国主義、体育科など

私は彼を知らないからだろう。そして彼は知識を持っているのだから、と どうかして内心に押さえようとする、潜在意識のように化している。どうにかして否定してみた。できるにはできたが、それもまたまちがいであると授業に言う。疑問はもたねばならぬ。幼心に童話を信ぜねばならぬと。ある意味で肯定してくれた。私の病根なる中学時代をも、肯定とまでいえないけれど 認知する方向に私を向けさせた。必死にやったんだから、活力(下からの)があったのだから。また別なとこから、その活力をみとめながら 外の規定の中に自ら入れてみようと(意志がある)するのを認めながら、高校野球を悪いという。実際まちがったものもあるんだろうが、やるという活力は認めて欲しかった。「狂人とて大路を走らばすなわち狂人なり」活力が必要で、またなにかのわくの中から(その中にあるにしても)さがしだそうとする力…矛盾だからそのわくの大小にあるんじゃないかって、自由のきく範囲、選択のできる域…これを中道というのかと思った。私は何らかの意味で中道を考えてみたい。妥協とはいえぬもの、逃避でないもの。(仏教を考えてみよう。

2026年2月6日金曜日

津島佑子著『女という経験』(平凡社)を読む

 


瀬戸内晴美(寂聴)は、高群逸枝がアナーキストとして論陣をはっているころの、夫以外の男性との関係を追求した「日月ふたり」という作品を、昭和48年頃から『文芸展望』という雑誌に書いていた。瀬戸内の話によれば、高群亡きあとにあたる夫橋本憲三を取材するにあたって、その男の対応に嫌気がさしてきて書くのを中断した、ということになる。

が、高群に関するものを読んでいくにつれ、要は瀬戸内の発想が低俗すぎるので、取材を受けるほうが嫌になったのだろうな、と私には推測されてきた。それは、瀬戸内の他の小説や読書感想などを目にしていけばより知れてくる。瀬戸内は、人を心理的にしかみようとしていない、というか、見れていない。だから、心理的な揚げ足取りに終始しているようなものになる。高群本人からならば、世間がもっと「低級」でないことをのぞむ、と拒否されるような態度になるだろう。

 

たとえば、『源氏物語』の読解をみてみればいい。瀬戸内は、そこに女性心理のパターンを読み、いまの女性にもあてはめて類型化していこうとする。それを面白く世間知として参考にしていく人もいるのだろうが、真実的には疑わしい。本当に考えていく作家であるなら、まず自分のそんな発想を疑うだろう。

 

津島佑子は、『女という経験』を書くにあたり、自分が心理ではなくむしろ神話を参照にしていくことなどに、次のような断り書きを「はじめに」として付記する必要を感じた。

 

<人間の肉体としては、女も男も昔からほとんどなにも変わってはいないのだろうが、それぞれの性に与えられてきた社会的な意識は、その時代によっていくらでも変化している部分があるにちがいない。

 だとすれば、当然、それぞれの人間たちが抱えていた悩みもちがってくる。時代が変わってしまえば、そのちがいを具体的に正確に知ることはほとんど絶望的に不可能なことなのかもしれない。そんなことも思う。

 古典というものを読むとき、今の時代に共通した要素を、私たちは読み取ることができる。でもこわいのは、そうして理解できる要素だけを取りあげて、満足してしまう結果になってはいないかということで、とくに、「性」と宗教については私は臆病にならずにいられない。

 女と男が出会い、惹かれ合い、交わる。男は射精し、女は妊娠する。この成り行きだけはいつの時代も同じだったとしても、そのとき、男と女がどのように惹かれ合い、性欲を感じ、それぞれの射精と妊娠にどんな意味を感じ取っていたのか、それがよくわからない。

 現代は、コンドームやピルなどの手段で、妊娠を自分たちで調整できるようになっている。まちがいがまま起こるとしても、基本的にはバース・コントロールが私たちの常識になっている時代なのだ。これは性の常識をすっかり塗り替えた、人間という種にとって大きすぎるほど大きな変化だったろう。>

 

 高群は、『源氏物語』から、個人心理ではなく、招婿婚という婚姻形態の痕跡を洞察した。津島も、自分を含めた現在の女性心理から、「女系意識の強かった社会」の系譜を洞察していく。

 

<そんな世の中が開国でどのように変わったのか。古き良き、巫女の力に支えられる日本の神々の世界が呼び起こされるのかも、という庶民の期待を裏切って、日本社会はキリスト教文化を背景に持つ男女の社会的役割分担を積極的に受け入れるようになる。

 現在の私たちはこれを「封建制度からの女の解放」という文脈のなかで教えられてきたのだが、庶民層にとっては、むしろ「男は強きもの、女は弱きもの」という、理解しがたい思想が津波のように襲ってきたようなものだったのかもしれない。

「女」の解放どころか、実際は、キリスト教に根ざした男性の圧倒的優位の概念のもとに、「女」は家庭の天使になれ、慈しみ深い母になれ、「男」のために尽くす存在となれ、とそれがあたかも「福音」であるかのように、新しい「道徳」として女たちに押しつけられた。

 それは庶民層の女たちにとっては、屈辱的な「男」への隷属を意味していたと考えられる。それまでは武士階級の女ですら、自立した自分の地位を約束されていたのではなかったか。

 当時の宣教師や思想家などが説いていたことはべつにして、その時代、空気として社会に流れはじめた概念の変化は庶民の男たちを、女に対して一方的に尊大な、優越感を持つ存在に塗り替えてしまった。>

 

 津島は、平塚雷鳥の『青鞜』の言葉も、人権化という近代意識へ向けてではなく、その反対として読み込む。それは自分を含めたいまの女性意識からそう読めるからだ。そこから見れば、つまり強い女性観点からみるならば、男たちはこうつる。


<それにしても、男とはもしかしたら、その本性として、女の食い物になりたがっている生きものなのだろうか。それで男の母親たちは、自分の息子を必死になって「女」から守ろうとして、「女」のこわさについて教訓をくり返し語り聞かせるのだろうか。…(略)…

 けれども、何度も今まで書いてきたように、才能もなく、美貌にも富にも縁がないごくふつうの女たちは、男たちの作った社会ハンディだけを一方的に背負わされることになり、それはかなりつらい状態なのにちがいない。そして、多くの女たちがこの立場に甘んじているのが、現実というものなのではないだろうか。

 また、たまたま才能や美貌に恵まれた女が出現したとして、その女たちは「悪女」か「魔女」か、と男たちから敬遠されることになる。もちろん、そんな障害を突き抜けてしまえば、例外的な「女」として心からの敬意を表されるのだろうが、そこまでにいたる道にはかなりの孤独がともない、人並みではない努力も求められるだろう。

 男の対処法をしっかりわきまえているたぐいの女たちは男たちを安心させつつ、手玉に取ることもでき、そうした女たちこそが本当はいちばん男たちにとっては危険なのかもしれないのに、女の側から見ると、やすやすと男たちがだまされつづけている。>

 

 しかし以上の認識は、だからこそ、とまた反転する。女性の強さを「霊力」(出口なお等)や「処女」(ジャンヌ・ダルク等)や「母性」として神話的に称揚し利用する「男社会」を警戒しなくてはならなくなる。それは性交を神秘化して女を内的に所有していこうとする男の通俗感への告発にもなる。

 

<現代の多くの女性たちは、「処女」のままでいようが、男と性交しようが、妊娠さえしなければ、なにも自分の人生も精神生活も変わらないことを経験的に知っている。女は最初に性交した男性を忘れられないものだ、という「神話」もあるが、これも私がまわりの知り合いの女たちに聞いてみたかぎりでは真赤なウソで、性交そのものはすぐに忘れてしまうもの、だから救われているんじゃないかしら、と述べる人もいた。私自身もそのように思っている。ふつうの人間の女たちにとって、「処女」にしても、男との性交にしても、その体に流れる時間の外に浮かぶ蜃気楼のようなものなのかもしれない。>

 

 男社会による女性の「神話」化、その衝迫性はなお有効になっている。そしてその「低級」な通俗性を、そのまま受け入れて自己保存してしまう女性たちも多くいる、ということは、現在の女性総理の「暴走」からはじまった選挙状況を鑑みても、当てはまる事態なのだろう。

 

<女というものは感情的なので、いったん暴走しはじめると、並みの犯罪者よりも恐ろしい殺戮者になる、などという一方的な言い分を、もちろん、ここで引き寄せるつもりはない。

現実の出来事でどのような結果は報告されるにせよ、私がここで(引用者註―中国文化革命や日本連合赤軍などの事例)感じるのは、「女」なるものに「革命」の預言者になって欲しい、なるべきなのだという、一般の期待の強さなのだ。

なにかが起ころうとするとき、ひとびとは「女」の預言者性、巫女性を思い出し、そこにすがりついて、自分たちの行動を正当化しようとするものらしい。そうした「女」をめぐる運動が「革命」のとき、自動的に引き起こされる場合が多いのではないか。

あのフランスの愛国者ジャンヌ・ダルクにしても、同類の事情が働いていたのかもしれない。だからこそ、ことが収まったのちは、火あぶりにされる運命にあった。>

 

 

    瀬戸内が指摘した、高群の男性経験等に関しては、私は夫の橋本憲三の想いの方をとる。彼の晩年、このもちあがった件で、苦悶のうちに亡くなっていったという堀場清子の指摘(『わが高群逸枝』朝日新聞社)がある。また、高群の全集刊行を世田谷の「森の家」で住み込み(同棲)で手伝っていた石牟礼道子と橋本との関係も疑われている。(藤原書店の高群逸枝特集での山下悦子、そして神戸大の中山修一の読み込みでは、石牟礼は憲三の妹公認の「後妻」になったのだと推察している。『三つの巴――高群逸枝・橋本憲三・石牟礼道子』-中山修一著作集18)しかしそこに「男女関係」なる通俗をみようとすること自体がおかしな話になってくるのだ、と私は帰納する。高群の男女恋愛の「一体化」の思想と直観は、このブログでも引用したシモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』においても、心理事象の向こうに洞察される。(石牟礼の作品『最後の人:高群逸枝』における「最後の人」とは、高群ではなく、橋本憲三のことだ、というのが中山の指摘でもあるが、このブログでもすでに言及したように、作品の大半は橋本をめぐる考察なのだ。奇妙な話だが、それを奇妙だと受け止めること自体が、読む側の俗情との結託を証してしまうのである。彼ら彼女たちがやった、提出した仕事を前にしたら、そう自省されてくる。)

2026年2月1日日曜日

民法と徴兵制


大学へ進学しなかったいく子は、かわりのように中央大学通信教育部に通った。そこで沼先生という方を師事していて、その講義中のカセット録音テープも残っている。その先生の名字だけを検索してもひっかからず、当時の同級生女子(「沼先生のファン」だったと手紙にある)、中上健次の熊野大学にも一緒に同行した和歌山の方に年賀状ついでに尋ねても、私は会ったことがないのだ、という返事だった。だが、次創作準備に入り遺品を再整理再検討していると、中大通信教育部発行の冊子がでてきた。そこに、沼正也、という名前でエセーを寄せている。再検索をかけると、民法専門の中央大の名誉教授だとわかる。

 

私は、「白門」というその冊子の、「民法を成立せしめているテーゼ群」というのを読んでみた。(あちこちにいく子が線をひっぱっている。)

 

読んでいて、現日本総理の高市早苗の台湾有事での存立危機事態成立云々の発言をめぐっての、苫米地英人のYouTubeでの解説中の、よく腑に落ちなかった部分が、わかってくるような気がしてきた。つまりこういう法前提的な理解があって、しかも、もし高市らが憲法9条を変更しても、それをなお日本国憲法において無効にしえる法的根拠、あるいはそこを思考する示唆があるのではないか、と思えてきた。

 

事実上の“宣戦布告”!? 高市総理「存立危機事態」発言が国際情勢を揺らす(苫米地英人)

 

苫米地は、日常言語としてではなく、存立危機事態という法的用語を説明しながら、自衛隊をめぐる9条問題にも言及する。隊員の離職者が多いのだから、有事で戦争といっても、なおやめていったら実行維持できない。現今の自衛隊の法的位置づけは、警察権の行使なのであり、外国の侵略も泥棒にあたる。それに対処するのは(国家)公務員であって、ゆえに、その職業をやめる自由がある。が、憲法9条に、自衛隊は軍隊であると明記したらどうなるのか? 今でも実質そうなのだから実際にも何も変わらない、という話(現実)にはならない。憲法に明記されるとは、それが国家を縛ることになる、つまり、軍隊を維持するのが国家の義務になるのである。自然権の一部なりを国に信託すれば金がかかるのだから税金として納めるようになる、ただでやってもらうわけにはいかなくなるのと同じだ、つまり、国民の権利が義務として跳ね返ってくるのである。防衛の問題も同じになる。徴兵されることが、国民の義務になってくるのだ。9条2項で排除されている交戦権も認めれば、自衛隊はもはや自国領土・領海内での警察権行使としての存在ではなく、国境をこえた他の国への支援、集団安全保障の実行も明確に可能になる。

 

私は以上でいう、国民の権利と義務の転換の話が、よく腑に落ちなかった。職業選択の自由があるのだから、徴兵は、たとえ憲法改正がなされても、無理なんではないか、と。それが国民投票もいらず、与党の閣議や国会議論上で法的に成立しても、個人(市民)の権利として抵抗すれば、つまりその職業を選ばされることを拒否すればいいのだから、強権的な無理な実行をともなわざるをえないのだから、実際運用は成立しないのではないか、と。なのに、どうしてこの転換が、機械的に変わるのか、なんで原理が変わりうるのだろう、と。

 

が、沼先生の講釈によれば、なお近代法成立の過程において、その両義性が内包されているのだと。国民と市民が、この矛盾が、解決解消されていないまま残っているのだと。が、日本国憲法は違う、と。第九七条の「最高法規」の規定が、「『国民の権利および義務』中のそれとは次元を異に」させているのだ。むしろこの国家を超えた「最高法規」規定が、憲法9条の戦争放棄の定立を「演算的帰結」たらしめているのだ、と。

 

私は、法的知識、理解はまったくないけれど、これは、現選挙後の世界(国内外ふくめて)において、有効な視点、戦争を防いでいく、若者を戦争で人殺しさせずされない法的根拠を、提示してみせてくれているのではないだろうか?

 

以下、その箇所を抜粋引用。

 

===== =====


『市民社会』は、ほんらい理念態であるから、その発想の端緒においてはこの世に現実に存在するものではありえなかった。その実在化は封建社会の崩壊と表裏を同じくするが、封建社会の倒壊を腕力的に早めたのがフランス革命であった。フランス革命の成功は、フランス国家の滅亡を意味するものではなかった。フランス国民が引き続いてフランス国民であることにおいては、変わりがなかった。アンシャン・レジームのフランス国家の領土は、引き続いてフランス国家の領土たることを止めたのではなかった。政権の交替が起こったまでのことであった。ブルジョワジーが、新政権をほしいままにした。新政権は、フランス国家の領土内に独立・平等・自由の理念的属性を帯有する市民から成る『市民社会』を営むことを宣言した。ことの本質において……(『人権宣言』)。

 そのとき、フランス国民は、『国民』という資格のほか、『市民』というもう一つの別個の新たな資格をもつこととなったのである。惜しむらくは、フランス新政権は、新生フランス国家の目的を市民社会の樹立一つに絞ることをしなかった。国家は、あい変わらず雑多な対外的・対内的な目的を背負って(封建的人間関係の許容さえもが、形を変えて……)愚昧な道をたどることに結果したのだった(後年マルクスでさえもが、プロレタリアによる政権奪取に成る社会主義国家は共産社会の樹立のみが唯一の国家目的であることの強調を遺忘した)。それにしても、市民社会が国家権力のバックアップをうけ、封建社会の現実的崩壊の後釜としてじわじわと座り込むというアウトロー的存在から転じ、表面きって呱々の声を上げたのであった。

 市民社会は人間のあらゆる自然的属性の法的受容の拒絶態であるから、人種・民族の差別にも自然発生的な言語にも背を向け、一個の全人類社会の規模においてみずからを完成するという演算関係にある。国家は、みずからの領土内に細切れの市民社会を運営しうるばかりである。市民社会の高度化とともに国家はみずからの生命を死滅せしめざるをえないという宿命はここにあるが、それへの一里塚としては国家はこんにちなお市民社会の樹立について現代的役割をはたしている。死処よろしきをえることが、将来における最大肝要事なのである。

 啓蒙論者たちは、独立・平等・自由の演算数値に思い思い幻想的な観念論の外被をまとわせた。自然状態において人間は、独立・平等・自由であったなどと……。独立・平等・自由われにありという市民の権利の総称が基本的人権と名づけられているものであるが、これを目して天賦の権利などと性格づけるのも、同断であった。二〇世紀が近代自然法思想という浴槽を洗い流したとき、赤子までをも流しはしなかった。独立・平等・自由は演算的所産であったのだから、神や形而上学から切り離されてもなお健在であり続けているのである。奇妙なことにこの国日本では、健在であるものが健在でなく、洗い流されてしまったものがなお健在であるかの観を呈している。基本的人権を天賦のあるいは人間生来の権利であって国家といえども奪うことのできない権利だとか、独立から派生した語である個人の尊厳を生まれながらにして尊いことなどという理解がそれである。基本的人権は、独立・平等・自由を主張することのできる資格の総和であり、個人の尊厳はイコール独立すなわち他者から切り離されていること・差し金をうけないことという形而上学的外被を脱いだ演算成果の意味においてのみ解せられるべきものである。

 アメリカ占領軍当局は、日本国憲法に『最高法規』と題する第一〇章をこっそりとおいた。その冒頭第九七条に規定する基本的人権の宣言は、第三章『国民の権利及び義務』中のそれとは次元を異にして、新生日本の国家目的を日本国領土内に市民社会を運営するということにのみ絞る世界の国々に二つとはない寓意を与えた。それは、第九条第二項と結合して戦争放棄の第九条の定立を演算的帰結たらしめた。(沼正也著「民法を成立せしめているテーゼ群」『白門』12 1中央大学通信教育部 1978121日発行)

2026年1月23日金曜日

映画『WHO?』を観る

 


「お父さんは、チッソの会社の社長をやっていたの?」と、娘さんがいく子に会いたいからと自宅にてきてくれた妻の妹さんにきく。娘さんは、私たちが結婚したばかりの身内での食事会や、妻の葬儀のときも、わたしはいく子おばさんのようになると思っていた、と発言していた。

「そう」と妹さんは言う。次の創作にあたって、文房具が必要になってきそうなので、妻の家族それぞれの用具を入れた押し入れを整理していたら、大学ノートから、ひらひらと、熊本県知事の名前の入った建築許可証のコピーが数枚落ちてきたのだった。県知事に対応するように、岳父の名前が自筆されていた。ここには会社の代表取締役名が入るのが普通だろうから、というと、と推論されてきたのである。チッソ開発会社とある。創作にあたって、妻のまた古い文献をたどっているとき、中学時代の名簿の父親職業欄には、チッソ企画課課長の肩書が読まれた。「それは、企画課が独立して起きた会社?」と、妹さんに聞いてみる。ホームページを覗くと、JNC開発会社として、水俣のあの大きな工場街の一角に今もある。その会社の年譜から、細川護熙らの署名のある建築許可証の年月にあてはまるものは、水俣の自動車教習所建築、ゴルフ場、敷地内のか工場増設のようであるらしい。「そうではない。」と妹さんは答える。教習所では所長もやっていて、他にも二十だか三十くらいの会社があり、父はそれらの社長もやっていたのだ、という。以前に発見した退職にともなう挨拶文には、サン・エレクトロニクスの会社名もあった、ということは、そこの社長退任としての報告でもあったのだ。このサン・エレクトロニクスは、2019年に撤退し、そのことの地域経済への影響が問題となった。現在は、日本の半導体会社がその跡地の開発を進めているらしい。「本体の会社では、動力部の部長が最後だったのではないかしら」と妹さんは、つけくわえた。もともと岳父は、東北大の工学部出身で、電力系の技術者だったようである。農家でで、戦時中は家族で北京におり、貧しく、飢えをしのいで帰国し、猛勉強して大学にいったそうである。

その岳父の大学ノートの一冊の表紙には、「累積国債 現状と課題 昭和59-8-29-13」「企業課題を問う」と表題がある。が記入のあった中身は破られていて、白紙のページだけが残っている。「プラ加工」のタイトルのノートのも同じだ。が表題もないノートを開くと、「農基センター」とタイトルされた、箇条書きのメモが数ページほどつづられていた。モンサント社とチッソの比較メモもあったりするが、おそらくこれは、父の夢のようなものがデッサンされているのではないかと思われる。水俣でのハウスみかん栽培の案にとどまらず、有機農法的な技術の開発センターを、中国からインドネシアやタイ、韓国で契約にもっていきたいという抱負が、人員数と数十億の予算規模で想定されていたらしい。ハンガリーとの契約合意が発効しない、との記述もある。正確な意味はわからない。

 

水俣病は、解決していない。解決しないのは、開発を進める基本的な思想(思考態度)がそのままの延長であるからだ。大きく言えば、石牟礼道子がこだわったように、近代化そのものの発想にある。それはテクノロジーの分野に限らず、裁判闘争でも露呈された、官僚分業的な各人のメンタリティーにまでおよぶ。私見でより時代範囲をしぼれば、まだ量子力学が発見された20世紀当初くらいまでは、科学精神には真理とは何かを問う遡及性があったが、その原理的理解の不明さから、応用科学へと方向性が転換されていった。このブログでも、ノーベル賞をとった、たしか東ドイツからアメリカへの移民女性科学者の発想を批判した。遺伝子装飾の試みによって、コロナのスパイクタンパク質の細胞内での増殖スピードをあげられることの発見が、mRNAワクチンの実用化への道を開いた、とされる。が真理を問う科学者ならば、なぜ自然はその実用的には緩慢なスピードなのか、と他との系との関連のなかで問う方向へと進むべきなのではないか、と。

そしてこのワクチンを、世界中の人々が体にとりいれた。日本では、2回や3回も打った人が9割近くになるとか。佐藤優とかは、ワクチン反対派は、他者を受け入れることを怖がる人々なのだ、という。ならば、ほぼパーフェクトに体内化した日本人とは、さぞ他者に寛容な社会であったのだろう。未知のウィルスに対する相対的には過剰な反応が、目先の人工物へととびつかせる。ならば、未知の現実に対する対応として、戦争をも素直に受け容れるのではないかと思ってしまう。

 

映画のパンフレットから撮った写真を冒頭で示したように、公的な発表データからも、新ワクチンとその後の死亡数といった人口動態には関連がうかがえる。が体内の因果関係など、わかりようがない。とくには細胞内のことなど、宇宙の果てと同じで未知の世界だ。が状況証拠的には、何かあるだろうと思わざるを得ない。水俣病も当初は、工場の因果関係は科学的に不明とされて、発覚後10年ほど、マスコミも含めて訴えを無視してきた。当時チッソを潰してしまうことは、プラスチックの原材料を自国で調達できないことになり高度成長を頓挫させることになるので、次の石油製品開発までの10年の見込み中は、隠蔽することが国策になったからである。排水溝の近海では、魚が死んで浮かんでおり、漁師たちには、自明な因果にみえていた。

 

現在の、次の開発製品とは、AIを支える半導体や医療でのバイオテクノロジーになるのだろう。原発の再稼働も、AI使用にこれまで以上の電力が必用になってくるからだそうだ。

 

いく子の中学時代の名簿をみていると、仲の良い友達は、水俣の対岸にあたる牛深漁港の網元や、漁船会社の娘たちもいたことがわかる。暑中見舞いのハガキでは、牛深の海は、まだ青く澄んでいるよ、と微妙な言い回しも勘繰られ、泳ぎにおいでよ、などとやりとりされている。私が天草から向かう途中で寄った御所浦島からの友達もいたと、今になって知れる。支援団体相思社発行の聞き取り冊子を読んでいくと、牛深や御所浦でもだいぶ被害者がでているとわかる。

 

まだ、終っていない。いく子が亡くなって2か月後の年末、水俣病被害者の厚生省での訴え中、官僚的態度の実行としてマイク切った事件が起きた。支援者らの抗議と要望に、国は応えると言いながら、お茶をにごしているだけだ。数億円もかけて水俣病資料館を建設し、まるで被害者が悲劇のヒーローであるかのような等身大以上の写真パネルをかかげている。が一番親身に寄り添っている団体の考証館には、一銭もださない。雨漏り等がしているのでクラウドファンディングするかもとかの日経の新聞記事を読んで、私が水俣をみてきたあと、相応な寄付をおこなった。もともと岳父がチッソで稼いだ金でもあるだろう。

 

WHO? 世界組織が問われるというより、わたしたちは、誰なのか? と問われてくる。この地球上で、この地球をいじくりまわしているおまえは誰なのか、と問われてくる。

2026年1月11日日曜日

福嶋亮大著『世界文学のアーキテクチャ』(PLANETS)を読む

 




この批評家の著作は、まずだいぶ以前に、仮面ライダーやウルトラマンだったか、の大衆文化的なものを素材にしたのを読んだが、それで次のものを読みたいとは思わなかったので、だいぶ疎遠になっていた。数年前に、自身で中上健次をめぐるものをノートとして綴りまとめるのに、中上がどうも最期的に突き当たっていたのは中国の問題(エクリチュール的現実)ではないかとおもい、そこらへんを意識化してくれる言葉はないものかと探していて、福嶋亮大の著作に再度出会ったのだった。

このブログでも、彼の何かの作品から、冒頭エピグラフに引用した覚えがある。私のひと昔前世代の教養としては、要は福嶋は、柄谷行人の継承的批判者なのだろうと思えた。彼の武田泰淳論(こんどのこの作品でも、その「絶滅」に関する見解に反映されているだろう)、あるいは短歌(詩を歌う)は天皇制だという柄谷の見解を、中国の歴史を知らない短絡的な見方切り口だと、名指しはしないが言いたいのだろうと思えた。そしてそれは、説得的に聞こえた。

昭和天皇が亡くなったとき、どこかの文芸誌で、柄谷は浅田彰と、中上はたしか岡野弘彦と対談をしていたとおもう。学生中だった私は、その対談の相違、立場の違いの浮き彫りを、その印象感を今でも覚えている。

福嶋の『世界文学のアーキテクチャ』は、私の当時の違和感を、より鮮明にしてくれる光を差し込む。

 

まず福島は、当時(私が学生だったころ)日本の文芸批評界が提起していた問題、「小説の小説性」とは何か、という問題、その言い方自体も引用継承することからはじめる。小説を物語への闘争だと宣言した一人の蓮見重彦からは、作品構造への分析的手法を踏襲しているように見える。たしか蓮見は、小説の小説性の符丁に、物語進行に抗う分析と描写という技術を抽出提示してみせた。しかし福嶋が提示したのは、技術的な構造要因ではなく、あくまで、思想主題的なテーマである。蓮見にとって作品のテーマとは、作家がからめとられる時代的な物語言説というネガティブな要因にすぎなかっただろう。が福嶋は、作家のほぼ意図的なテーマ群にこそ、ポジティブな構造的仕掛けを見出す。それを七つの「思考のテーマ」と呼んでいる。この方法論は、あとがきでも示唆されているように、柄谷の『日本近代文学の起源』における、「内面の発見」等の――こちらは作家がほぼ無意識に陥ってしまう歴史的焦点――内容的な着眼点から跳躍したものであろう。

 

<その際、乗り越えるべき壁としてあったのが、ジェルジ・ルカーチと柄谷行人の小説論である。近代小説の発生に画期性を認めた彼らは、共同体から個人を分離する「冒険」や「内面」を――つまり主体の形成を――小説の根幹に据えた。ただ、ルカーチや柄谷の強調した「近代」の主体性のモデルは、産業資本主義やナショナリズムが伸長した十九世紀ヨーロッパの特殊な時代環境に依然として縛られているように私には思えた。そのような狭い枠組みで考える限り、小説が世界性を獲得した理由を十分に説明できないし、ヨーロッパの外で栄えた中国や日本の近世小説も無視されてしまうだろう。/本書で示したように、小説の勃興にはナショナリズム以前からあったグローバルリズムが関係している。標語的に言えば、近代小説はネーションの文学ではなく《世界文学》として始まった。内面的な主体の形成は、あくまで世界との接近遭遇の後に来るものである。ならば、近代文学を分析するには、本来は世界文学を前提にしなければならない。世界文学は任意に選ばれた研究テーマではなく、それ自体が近代性の本質に関わるテーマなのである。》

 

私の文学教養は、戦後の世界文学にあたる、南米の作家たちまでで終わっている。学生途中からか卒業してしばらくしてからか忘れたが、小説みたいなものはほぼ読めないでいた。もっと直接的な意識化をしなければ、メンタル的な生存も危うそうだったからである(がだんだんと読めるようになってきた。福嶋がちょっと言及した『三体』も読んで同じ感想をもった。)福嶋がここで引用してゆく分析対象も、以上までの古典に、SF作家たちが加わっているくらいまでであろう。が、それ以降も、たとえば、ノーベル賞はつづいてゆく。私は新聞記事評判程度はのぞいて、受賞作を読んでみようかな、と思うときがあっても、結局まだおそらく一冊も読んだことがない。だから、何も知らない。

福嶋は、その創作側への問題提起になるような指摘として、これまでの世界文学の成り行きはいま、<単一のグローバルな世界市場(世界文学)という地盤に、多文化(各国文学)が分立するというモデルに支配されている。>と認識し(たしかに、ノーベル賞付与儀式自体が、そんな分立的良識に支配されているかのようである)、それに対する、フォークナーにみられる「《多時間性》の文学の富はまだ十分に汲み尽くせていない>と実践を示唆する。

ただ私がこの点で言いたいのは、福嶋の世界文学の読みに、つまり世界の市場(空間化)を把握するのに、量子力学の見方と比喩が根底に据えられて転回されていくのは、なんだかよりわかりずらくなっているのではないか、ということだ。バフチンのポリフォニーを「量子的重なり」に、あと何かを「量子もつれ」の事態と同等的に提示してみせたが、読んでいる側の頭がねじれてきてしまいそうで、逆にイメージとしてわかりにくくなる。ほんとうに近代文学は、量子的だったのだろうか? 量子をまず実在として考えてみようとしている私の段階では、文字媒体(エクリチュール)をそう見てみること自体に熟考を要する。

※ ともかく、ジャーナリズム界のことはまったく知らないが、中上健次を「再開発」というテーマから、九州の女性作家作品を「思想」書として読むという宣言めいたものを断り書きする渡邊絵里にしても、より若い世代には、何か決意のようなものが感じられる。部外者からのなんとなくの印象では、小説の闘争性が説かれた以降、蓮見的な、テクスト論枠組み的な技術論、いわばおたく的視点・こだわりで作品を読む、ということのほうが流行していったように見受けられる。そうした風潮へ、大衆文化を難しく分析してみせることではなく、あくまでもう読まれなくなってしまったかもしれない古典・近代文学をとりあげて、一石を投じる、そんな試みが実践されはじめているのかもしれない。

2026年1月5日月曜日

上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想』(みすず書房)を読む

 


ボーヴォワールの『第二の性』を読んだところで、上野千鶴子の「ボーヴォワール『老い』を読む」『アンチ・アンチエイジングの思想』が出ていると知って、読んでみた。もちろん、私自身が「老い」に突入していることもある。とくに、肉体労働で生きていると、加齢とともに衰えてくる自身に敏感になり、対処せざるをえなくなる年齢がアスリートなみに若くなる。そこまでのプロでなくとも、三十半ばをすぎたらやばくなり、それを自覚して用心してないと、だいぶな職人が木から落ちる(私も落ちた)。仕事とは別に筋力トレーニングをやっていないとだめだ。私が間接的に知っていた植木屋親方は三人、六十歳すぎて、脚立や木から落ちて亡くなっている。相当な確率になるだろう。

 

このボーヴォワールの『老い』も、『第二の性』と同じ構成で、第一部は歴史的な確認、第二部で老人たち自身の意識された言葉を収集網羅していったものらしい。それは容赦ない記述で、暗鬱になってくるほどだそうだ。

 

彼女とサルトルたちインテリとの人間(男女)関係がどういうものかもよくは知っていなかったので、これは「神の死」のあとでは、つまり神がいなければなんでもありになってしまうような、ある意味下劣丸出し模様になるのだな、と私などは思わずにはいられない。しかしだからこそ、ボーヴォワールの深い洞察が得られるのかもしれない。

 

しかしそれは本当に、必要な意識洞察なのだろうか?

 

<超高齢社会では、わたしたちは生命体として与えられた寿命を生き切る「幸運」を与えられている。くりかえすが、長寿は栄養水準、衛生水準、医療水準、介護水準の高さがもたらした賜である。それが文明社会の、中産階級の、都市生活者の、特権であることは論を俟たない。この四つの条件がそろっていない地域では、ひとはもっとあっけなく死んでいく。長寿を呪うひとびとは、そんな苛酷な生活環境に行ってみるとよい。>

 

おおよそには日本全体が中産階級的な「幸運」な老い環境にいることになるだろうが、私はやはり、ここでも、階級的な視点にこだわらざるを得ない。

 

上野は、講演のあとで、老人会の会長をしたりして「町内のお世話やボランティアをなど日々前向きに過ごし」、「社会に貢献しているのがモットーです」という、「100%男性である」者たちの発言を紹介している。上野はそれに、「人間、役にたたなきゃ、生きてちゃ、いかんか」と答えるという。私が最近、そうした男性たちへなした返事はこうである。「あんたの言葉でいえば年金も払わず飲んでしまう<下層階級>の人たちは、親の面倒をみるよ。金がないから施設に親を送れないからだけではない。感情的にそうしない。2Kのアパートに二世代で住んで、寝たきりの母親を夫婦と娘で看取っていく人が新宿区にだっているんだよ。しかしエリート層の息子らがおまえらの面倒をみるか? 見てくれないだろうなと怖がっている植木のお客さんはこの辺りにたくさんいるよ。エリート層の現実政策がそうやって共同体的なものをぶちこわしてきたのに、それがまだ感情的に残っている下層階級にボランタリーを都合よく押しつけるのか?」

 

地区の忘年会でも、結局こう吠えなくてはならなくなったのだった。私の真向いにいたスポーツ委員の八十半ばの男性は、千葉高野球部の監督を37年間やって関東大会でも優勝経験をもつ人で、長嶋茂雄も間近で見ていたという。その話の成り行きで、私の中学野球部時の先輩、自身も甲子園に出て地元では名物監督として名をはせ、いまは高校の校長をやっているけれど、退職すれば高野連の会長になるだろう、その先輩は現役監督時代、まだ10年くらい前のことだけど、サイン見逃したバッター選手のところにゆくとビンタ、生徒がのけぞるのをおってホームから一塁ベースまでビンタをしていったそうですよ、と私事的な例をネガティブな意味でだしたのだった。がそれに、育成会会長の男性が、「そうだ、それくらいやらないと駄目ですよね。」と相槌を打つのである。私はぶったまげた。「私はそんな考えはしていない。マッカーサーは、町内会を解散させたんですからね!」

 

上野は、成田悠輔の、「高齢者は集団自決すべし」という発言をとりあげ批判している。私は、高齢者とひとくくりはしないけれど、まったく敗戦の自覚もなく相変わらずの権力にしがみついてふりまわす高齢男性たちに、「ぜんいん腹を切れ!」と言いたくなる。しかも、実は、本当は、そこにいる男らも、「もうやめたいんだ、やりたくないんだ、」ともらしていると、私はお客さん(女性たち)から聞いている。しかし、形式(官僚)的な話しかできない。だから、まさに以前の敗戦どおり、ずるずるべったりゆきそうなのだ。そしてなおさらゆえに、なのか、吠えれば吠えるほど、あなたが老人会会長を、町会長を、今の事務局長を首にするから理事になって市の理事会にでてくれ、という話になっていくのだ。「俺は年金も退職金もない死ぬまで働く日雇いだからね!」と、また吠えなくてはならなくなるのである。

 

しかも、もう男性といえど、バブルはじけて、日本的経営のすばらしさだと豪語してきた終身雇用は放棄され、むしろ、生涯人材活用政策とかで、死ぬまで働かなくてはならないサラリーマン世代は増えていくだろう。老後のボランタリーなど成り立たない。おそらく寿命も、また短くなっていくのである、と私は予想する。実際、厚生省の統計でも、コロナ禍直前からコロナ禍をすぎて、男女とも平均寿命はさがっているということである。

 

幸運な、ぜいたくな意識はいつまでもつだろうか? いやそもそも、「神の死」が、無神論の実存が、人々を存立させえるのか?