2020年11月22日日曜日

よる


 知らない道ではなく、ときおりは通ってきた駅前の商店街ではあるのだが、いざ近所に越してきょろきょろしてみると、はじめて気にとめるような風景や店の並びであるように感ぜられる。めっきり早くなった夜の暗がりばかりにそう映るだけともいえないようだし、いつもは自転車でだったが、いまはゆっくりと歩いてみているからという、その速度の違いともおもわれなかった。やはり、通りすがりの者と、そこに身を落ち着けて暮らし始めた者との、心の有り様の違いが、眼にうつる世界を変えてしまっているのではないかという気がしてくる。行きずりの者にあっては風景でよかったものが、暮らす者にとっては、より具体的な知識である必要があった。ここに、花屋があり、煎餅屋があり、寿司屋があり、バーがあり焼きトンを食わせる飲み屋がある。いまは夕食のために家からでてきたのであるから、食い物をだす店へと目がさぐっていくが、そのうち、違う用で通り過ぎるたびに、違う目的でうろつくたびに、果ては用も目的もなくただぶらぶらさまようはめになってさえも、風景はより必要な情報となり知識となって、眼というよりは脳内を走り回った抽象物となっていくのだろう。しかし、そんなにも、ここに居ついているつもりはなかった。すくなくとも、私にとっては。
 心臓の手術をおえ、血液の硬化をふせぐ薬剤効用の切れるひと月後、今度は盲腸の手術をする手はずになっていた女房は、持病のほうの潰瘍性大腸炎の悪化にともない、その悪性の液腫の可能性もあるという虫垂の切除が11月にまで延期されると、その期間中にと、引っ越しを断行したのだった。ちょうど住んでいた団地の物件を紹介した不動産屋から暑中見舞いのはがきが届いて、手数料が半額になるとも印字されていた。それをもって不動産屋を訪れた女房は、いきなり息子が通っていた小学校の脇にある崖下の中古物件に目をつけて、この家をどうリフォームしたらいいかを説きはじめたのだった。「ほんとうに、ここがいいのか?」おもいこんだらやめられないような性分の彼女の気を、どうなだめたらいいのだろうと、私は思案した。引っ越しはいいだろう、息子が、食卓下で寝ているのだから。早めに実行するのもいいだろう、来年は、受験をむかえるのかもしれないのだから。しかしいくらなんでも、わざわざ再建築不可物件の、崖上の墓下の、洪水時は水没するかもしれない地帯の物件を、格安だからとわざわざ購入する必要があるのか? おそらく、隣地の空き地は、ここから立ち退いていった家の跡地だろう。残りは、突き当りの2件、ひとつは伸び放題の植木のなかにうずもれた二階家、もうひとつは、だいぶ昔の都営アパートによくみられたスレート屋根の平屋で、住人が外壁や物置のようなものを増築させていた。その2件と空き地と女房が目を付けた二階家で、四角形な澱みを作っていた。まるで、最近ヴェネチアで賞をとった監督の映画にでてきた、猟奇的な殺人犯が暮らす映画の背景設定みたいだな、と私はおもった。その映画の犯人は、一家皆殺しの決行の前提として、そんな四角形な空き地と一体となった家並みにこだわるのだった。いやさらに、4メートル幅にはたっしていない路地道の下は、川がながれているのだという。その暗渠となった道は、近所の火葬場の下をくぐり、関東大震災でのがれてきた下町の地区名をもった商店街を抜け、昭和初期まで江戸染め物をこしらえていた職人たちが集まっていた小川へとつづいていた。私の勤める植木屋も、そんな下町風情があったかつての商店街の一角にあるのだが、その職場の二件隣は、「なめくじ横丁」と無頼派の作家、檀一雄が住んでいた長屋を称して呼んだところだった。川沿いのほうには朝鮮人部落があり、崖下のほうには乞食部落があったと、そんな界隈の住人だったもう一人の作家、林芙美子は書き残していた。私たちが住んでいた団地が、地元の人たちが声をひそめていう「乞食山」にあたるのだ。住める隙間があるならばそこに潜り込んで、地を這うようにして生きる……私自身は、そんな世界でしのいできたことになる。おそらく、崖下のあの平屋の住人も、現場の人間だろう。親方の話では、地区でも一番に狂暴だった「火葬場の連中」はいなくなったそうだから、墓守ではないだろう。女房は、そこにある雰囲気に妖しさを感じてとって、惹きつけられるのかもしれない。しかしそのこと自体が、そんな世界と隣接して生きていくことの無理をあかしている。私にも、なお理解できることではないかもしれないが、三十年もそこで生きていれば、認知できた。
「この一帯は、この間みた映画にそっくりだよね。」私は言ってみた。「更地になった一角に三件が向き合っている。俺の実家も、そうだよね。空き地があって、裏には元軍人の屑屋が掘っ立て小屋を作って住んでいた。」女房は、私の実家と自身が選ぼうとしている敷地が似ているとされる評価が生理的に受付けられなかったのだろう、「ババをつかまされたのかもしれない」と、すんなりその物件をあきらめた。そして次に、高台へとかけあがった。川向うの、大会社の社長やかつての総理の邸宅がつらなる一帯の物件である。官僚たちの居住も多いことを、新宿区の少年サッカークラブの理事会にも参加していた私にはわかっていた。息子と一緒に目を付けた物件を見学にいき、「一億円をこえてたよ」と報告する。結局、高台の方面ではなく、水の流れる方ではあっても水没の危険指定ではない一角の借家にはいることになった。それでも、路地の突き当りであり、入り組んだ住宅地だった。

 博多ラーメンを食べて家にもどると、奥のリビングで、女房がなお夕食をとっているらしかった。スマホ操作で、UberEatsから唐揚げ弁当の二人前を頼んでいた息子はみえなかった。なお空けられていない段ボールの山でうずまったキッチンやダイニングの向こうにあるリビングから、テレビの音声がもれてくる。知り合った金持ちからもらったという大画面のテレビは、息子がリモコン操作で設定をすまし、映るようになっていた。その息子は、二階の自室にいって、団地から運んできたテレビの方をひとりでみているか、スマホをのぞいているのだろう。山間の谷間を蟹の横ばいのように進んでリビングまでいってみると、これまた金持ちの知り合いからもらったという八角形の木目のはいった食卓に、ほとんど食べきれていない弁当が残っていた。テレビでは、再選された都知事が、家庭での料理も小分けにして、座席も正面に対面して食事しないようにと呼びかけている。家具のような椅子に腰かけた女房は、持病の具合はよくなってきているらしかったが、この秋になってからぶりかえしてきたウィルスのため、また偽粘液腫の疑いある手術が来年へと延期されたのだった。頼まれていたパン屋からの食パンと、おいしそうにみえたメロンパンやカレーパンのはいったビニール袋をテーブルに置いた。まだ財布や金のはいった封筒が、どこの段ボール箱にあるのかさがせないので、弁当も、明日の朝食も、息子や私がだしていた。いつになったら、片付くのか、もうこちらに来てから二日たっている。病気で力の持続しない彼女では無理があるのはわかるが、このまま山のなかにうずもれて暮らしていくような気がしてくる。まともに動けないのだから、お任せ便にすればいいのに、と私はおもったが、引っ越しは段ボール箱への詰め込みはこちらでする節約便にしたのだった。家を買うとかいっているのに、なんでそこでケチる必要がでてくるのか、私にはわからないのだが、おかげで、とにかく箱に詰めろ、と言われつづけた。「あんたは引っ越しをしたことないのでしょ。熊本から移ってくるときにはそうしないと、もっていってくれないのよ!」と追い打ちをかけられる。いや駅前の長屋住まいみたいなところから団地へと引っ越すことだってやったではないか、あのときは、草野球仲間の運送屋に頼んだのだった。今回は、パンダマークの一番の大手だ。見積もりに伺うという連絡が一番に早く、電話した数時間後の夕飯時に営業マンがやってきた。仕事をおえての風呂からあがったばかりの私は、熱燗を飲んでいた。近所への引っ越しなので、二トン二台が二往復できる。人員は三名。値段をきくと、それ以上やすくなったら人件費がそうとうたたかれるみたいになるから、つまりはすでに相場通りになるのだから、他の業者からも見積もりをとって根切り交渉をするなんてことはやめて、いま段取りを組んでもらったその安上がりになる値段でいい、即決しようと酒を飲みながら女房にすすめる。妹からは、大手は高い、と助言されていたようだが、いくつもの業者と話すのが億劫になるのだろう女房は、すんなりと私の勧めを受け入れた。
「こんなの、段ボールにはいるのか? 入れる必要があるのか?」自分の書籍は、箱に詰め終わっていた。というか、そもそも大半が押し入れに押し込んでおくために、ミカン箱などに詰めこまれていた。子供のサッカーをみていたころに買っていたサッカー関連の本は、近くのブックオフへと売り払っていた。おそらく、この引っ越しをきっかけに、箱に詰めたのをよいことに、大半が古本として出されるだろう。移動が重くなることに、抵抗を感じた。身軽になりたかった。だから、家を買い、定住をしていくという考えの前提も受け入れがたかった。女房は、なお家を購入することを意欲しつづけている。そこに住まなくなったら、売り払えばいい、という。だから、中古の物件を買って、リフォームをしておくのだと。そんな成長が、これからの若い世代での購買力の反復も、私には信じがたかった。高度成長期やバブルのような時代が、近い将来も安泰だというのか? そう信じたい、というより、自分にはその破綻は降りかからないというバイアス的な希望観測にうさながされているように、私にはみえた。その傾向は、藁をもすがる信仰に似た印象を受ける。だからそれは、あくまで個人的な人生上のきっかけが支えているはずだろう。彼女の場合、それは病であり、死の近さであり、その予測からくるあがきなのかもしれない。だとしたらそれは、家族といっしょに過ごしたい、ということになるのだろうか? テレビでは、アメリカの大統領選からIOC会長来日のニュースにかわっている。女房の隣の椅子で、メロンパンを食べ終えた私は、食卓をたつ。手術入院中に、女房と同じ持病を悪化させて、歴代就任記録を更新した総理は自らやめていった。かわってなりあがったばかりの新首相が、東京オリンピックへの決意だか疫病対策だかのような話をしはじめている。病の進行と処置の延期とともに、どたばたと、時代もが動いている。同期している。それは、どちらのほうへ向けてなのか、死か、生きていくことへなのか……。

 11月も半ばをすぎるというのに、暖かい日がつづいていた。仕事でも半そでになったほどだから、掛布団があつくるしく感じられる。ようやく、公共的な産業労働から解放されて、例年どおりの、年末にむけての庭の手入れになって、心の状態は落ち着いてきているはずなのに、なかなか寝付かれない日もつづいていた。新しい住居に、慣れていないせいがあるのだろう。寝室になっているこの部屋も、段ボールの山だ。駅や線路に近いのに、電車がレールをたたく音などは聞こえてこない。静かだった。実家のある群馬の子供部屋では、1キロは先にある電車や県道を走る自動車の空気を切っていく音が、なまあたたかい風とも金属をこすっておきる波動とも伝わってきて、それが不気味に、とくには増築して二階家になったばかりのまだ小学生のころは、不眠をながびかせるほどだった。古い平屋の家がなつかしく、悲しくなった私は、家の間取り図になにほどかの詩をしたためて、腐りにくい鉄質のお菓子の箱にいれて、押し入れの天袋によじのぼり、その天井の薄べニアをもちあげて、開けた屋根裏の暗さ、むきだした柱や梁が不思議な形をつくった空間のひと隅に、そっと置いてきたのだった。いまでも、それはあるはずだった。もしかして、地震で二階の屋根裏から階下へと転落し、中身がちらばっているのかもしれない。そこには、家への思いだけではなく、私の初恋の人への告白した一文もがまじっているだろう。私は結婚してからの、地元での同窓会で、その人とあった。レストランの会場からトイレへいく途中の、窓枠まえの荷物置き場に、中年になりかけのふたりの女性が座っていた。ひとりは、すぐにわかった。そのわかったほうの女性が、隣の女性を指さして、「誰かわかる?」ときいてきた。「わからない」私の返答は、即座であっただろう。一瞬、わからないといわれた女性は、はっとしたような表情をした。私が彼女を思いでの女の子と一致させることができたのは、数日後であっただろう。
 まだ時刻は八時をすぎたばかりだろう。普段よりは、幾分か床につくのが早いかもしれない。目をつむって、先週まで住んでいた団地の寝室の、天井を脳裡によみがえらせる。白い壁紙。今年にはいって、糊がだめになってきたからか、つなぎ目から剥がれはじめていた。それを、白い養生テープで補強してある。さらに、団地のまえに住んでいた木造アパートの天井。もう、しっかりとは思い出せない。さらには、と、実家の子供部屋の天井。薄暗い真夜中の闇のなかで、板がはめこまれている。最初は、弟と一緒に寝ていた部屋のもの。そして、兄が進学のため上京したあとにはいったほうの勉強部屋。布団から、ベッドになった。そのベッドに仰向けになってみつめていた、板天井の木目。眼のようにみえる。私は、見られていた。地元の進学校にはいってまもなく、私は高校にゆけなくなった。夜、天井をみていた。朝、台所で母が用意する食器の音が子守歌にでもなるように、眠りについた。ある朝、父が、呼びに来た。「どうしたんだ?」その父の瞳は、どこをみているともしれず狂っていた。父は、入院した。いまごろ、私の息子は、この西側の寝室とは向かいの東側にある子供部屋で、何をしているだろう?
 私は目をあけて、枕元のスタンドの灯りをつけて、読みかけの本を手に取る。最近この学者は、ノーベル賞をとった。ブラックホールの研究成果によるという。<私は、一つの状態ともう一つの状態の重ね合わせを、不安定な状態――それは崩壊しかかっている素粒子やウラン原子核などに少し似ている――と見なしたい。素粒子などは崩壊すると別のものになるが、その崩壊と結びついた一定の時間スケールが存在する。状態の重ね合わせが不安定だというのは一つの仮説だが、この不安定性は、私たちが十分に理解していない物理学の存在を暗示しているはずである。>(『心は量子で語れるか』ロジャー・ペンローズ著 ブルーバックス)――量子コンピューターでも利用しようとされている「もつれ」という量子の現実は、「不安定」なのだとみる。ということは、あくまで、この「収束」した私たちの現実が安定している、ということだ。量子的な世界では、生きている猫と死んでいる猫が重ねあわさっているという、多世界解釈を受け入れた方が理論的におさまりやすいと指摘されもする。そう理解されてしまうのは、まだ、私たちが宇宙を知らないからだ、生を知らないからではないか……生まれること、それ自体が量子のもつれの収束であるとしたら、問題となる猫とは、まだ生まれてない猫と、生まれている猫との重ね合わせになるはずだ。死は、ありえない。水も記憶し、金属も記憶形状するように、生まれた私たちは生きていく、まだ生まれていないものたちといっしょに。物質が、変化するだけだ。つまり、生が、変化するだけなのではないか……。弟が、父が終末期にはいったようなので、自分が施設長になった老人ホームへと移動させるとラインをよこしたのは、昨夜だった。母は、納戸となった階下の奥まった寝室で、眠りつづけているだろうか。薄闇のなかで、白黒の眼たちが、山になった段ボール箱から漏れてくる。ぎょろぎょろと、見開いた目を、重ねてくる。いくつも、いくつも……押しつぶされるような圧迫が、睡魔に変わる。



*これは、ブログ上で発表しはじめた小説、仮題『いちにち――他ならぬこの世界で』の一部になる。これまでアップしてきたものは、「桜の木の下で」「あさ」「ひる」「買い物」「散歩」「『世界史の抗争』(時枝兆希著 トランスミッション出版)」「ふろ」「夕飯」、になる。おそらく、第二部になる「ゆめ」となるだろうその後は、ブログ形式では無理なので、とりあえず発表せずに、書き溜めていくことになるだろう。

2020年11月3日火曜日

『VIDEOPHOBIA』と『スパイの妻』


宮崎大祐氏が、黒沢清氏の助監督を経験することから映画界に入っていったような経歴があるので、なにか影響関係があるのか、と黒沢氏の作品を借りてビデオ鑑賞しはじめたのがふた月まえほど。若い頃も黒沢作品をみてなかったわけではないが、よく知らなかった。そんな家での鑑賞中に、黒沢氏のヴェネチアでの銀獅子賞のニュースがはいった。ちょうど、『旅のおわり 世界のはじまり』をみて、『TOURISM』と同期しているのではないか、と感想を抱いていた矢先だった。若い女の子が旅をする、一方はウズヴェキスタンへ、もう一方はシンガポールへ。驚いたのは、そんな女性主人公の着る衣装の同期的対称性だ。『旅のおわり―』では赤い体育着のようなスボン、『TOURISM』では、青い体育着のようなスボン……そこまで似るのか、と思わせるところが随所にありながら、どこか、決定的な、いや対立的な差異が感じられる。当初、私は、宮崎氏のほうが、黒沢氏への批判意識があって、意図的にそうでもしているのか、と勘繰ったが、撮影時期が重なるというより、宮崎氏の方が先行しているのだ。2019年公開の『旅のおわりー』に対し、『TOURISM』は2018年である。いやさらに、助監督にはいった2008年の『トウキョウソナタ』から4年後に、宮崎氏ははじめての長編映画『夜が終わる場所』を撮っているのだが、これは、黒沢氏の『クリーピー』を先取りしている。となると、この同期と差異にみられる影響は、師弟関係的なものとは別次元にあるといわねばならない。

そう推定されてきたところに、今回、黒沢氏の『スパイの妻』、そして宮崎氏の『VIDEOPHOBIA』が、ほぼ同時公開された。私は、興味深々だった。そして案の定というべきか、両映画のテーマやシーンなどに、同期生と差異性が、顕著に顕れていた。そこにあるのは、両者の、歴史や世界にたいする対応性の鋭さを共有しながらの、そこでのスタンスにおける、政治的、階級的な立場の自覚的差異、ということになるのだろう。

たとえば、『スパイの妻』は、会社に勤める男たちの風景によってはじめられる。『VIDEOPHOBIA』は、家にいる女たちの前景によって開始される。主人公の女性は、前者がブルジョワの令嬢であるなら、後者は、長屋暮らしを家族とともにしている在日の娘だ。令嬢は9ミリ半で撮影され、娘は8ミリで被写される。ハンサムな社長は、理念を奉じるコスモポリタンとして女性をだます。ハンサムな自称化粧品会社の社長の息子は、欲望に奉じる詐欺師として女性をだます。だまされた女は狂う。令嬢は夜の浜辺を走り、娘は夜の繁華街を走る。前者は亡命を、後者は整形を試みる。男女ふたりが一緒に映画をみるシーンがありながら、資産家のみるドラマと庶民のみるお笑い系の時代物なのか、も対照的だ。もちろん、住んでいる家も、ともに関西が舞台でありながら、一方は神戸の有産都市を、もう一方は大阪の雑居市井を背景とする。劇中劇で作品を構成しているともいえる両者の共有性と差異性は、こうあげていくだけでも驚くべき照応がある。

しかし、私がいま話題にしたいのは、以上のような作品構造レベルの話ではない。より主題的な事柄である。『スパイの妻』が臨場感をもってみえてきてしまうのは、その映画の時代背景、素材背景と現代との偶然的な同時性が発生してしまったからだ。もちろん、コロナ禍といわれるものと、日本軍の931部隊がやったとされる照合性だ。日本軍は、ペスト菌を使った化学兵器をばらまき、感染した中国人患者を収容して人体実験に使用したとされる。主人公の会社社長は、その極秘情報の証拠をアメリカへ引き渡して国際世論を喚起していく企てをたてたわけだ。これは、現在、中国や香港の研究者がアメリカに亡命し、新型コロナが、中国人民軍が中心になって作成した化学兵器であると証拠をあげて告発している様とだぶってくる。自国民がワクチンの被験者として利用されているブラジルの大統領は、われわれはモルモットではない、と告発している。その真偽は不明なままでも、私たちが巻き込まれているグローバルな状況が、昭和時代を舞台にしたこの映画鑑賞に緊張感をもたせてくるのだ。

『VIDEOPHOBIA』も、このコロナ情勢を予言していると指摘されている。しかしそれは、どうも主人公の女性が、化粧マスクをしているシーンがはさまれていたかららしい。しかし私がそこにみるのは、マスクをしない庶民の姿のリアルさである。もちろん、この映画の撮影は、コロナ禍以前、映画中のセリフからは、平成最後の年、とされているのだが、公開がコロナでのびて、その被害状況の最中で大阪の市井の人びとが活写されていくのをみるとき、私は、マスクをしない庶民の姿と重ね合わせてみざるをえなくなる。植木職人の私の身の回り、東京の山の手の新宿でも、その庶民街では、マスクなどつけないほうが自然な風景だからである。世間が騒いでいる最中、親方の家の玄関先の路地道の空き地では、平然とバーベキューをして騒ぐ近所の親子連れの集いが、毎週のように見られた。子供から親まで、マスク姿などない。食っちゃべる。いいのか、と私など驚いてしまうが、そこに、政治性などまったくない。うかがえるのは、ただ生きている力だ。『VIDEOPHOBIA』での祭りに精を出す男たちの姿、世界……それは、マッチョなようでいて、そうは解釈しきれない何事かが蠢いている。それは、在日の主人公アイが暮らす長屋の女たちの、混沌を生き延びてきた母親が語る心底に通じているだろう。

『スパイの妻』はどうか? もちろん、映画では、マスクなどつけてはいないが、マスクをつけていく社会になるだろう。それは、女たちの世界ではなく、男たちの世界である、ということだ。妻夫二人での亡命のはずが、男の練りに練った策略で、貨物船の木製コンテナに潜りこんだ妻は憲兵につかまってしまう。おそらく、夫が密告し、それをおとりに、自分は漁船で逃げ延びる手配だったのだ。妻の方が隠し持っていた、931部隊の蛮行の隠し撮りフィルムは、夫によっていつのまにかすり替えられていて、証拠実見のさい、それは夫が監督をし妻が主人公となったメロドラマの上映会となってしまった。証拠はなくなったが、事態を悟った妻は幕へとよろめき、「お見事!」と叫びたおれ、そのまま精神病院へと処置された。私は、「ありえない」、とおもった。もし、自分の妻が、たとえ愛によるとしても、そのような策略にはめられたとしったら、どう言うだろうか、と考えた。「ふざけんじゃねえ!」、であろう。映画は、神戸空襲の最中、浜辺を走りたおれる女の姿に、「終戦」という字幕、そして、アメリカで生き延びているかもしれぬ夫をおうようにしてか、戦後、女がアメリカへ渡ったことを告げる字幕が現れておわる。こうした最後のシーンは、『文学界』11月号における、蓮見重彦氏をまじえた脚本担当・濱口隆介氏との対談では、黒沢氏本人が脚本に付け足したシーンであることが告白されている。たしかに、絶望感ではおわらない、黒沢氏らしい挿入なのかもしれない。が、これは、とってつけたように、私には感じられた。そもそも、この女の設定が、錯誤だったのではないか? 私は、『死の棘』の島尾敏夫とその妻ミホの間柄のことをおもった。たしかに、映画でも、女性の一途な、献身性が喚起されている。が、それに愛する男がこたえないとき、それでも女は男の考えに従属するようについていくのか? 演歌で歌われる女のように。私には、島尾の妻ミホのように、狂いながら、男を告発していくか、違う生活を決然と作っていこうとするのが、女性的な力として一般的なのではないかと認識する。『文学界』の対談では、この女の狂気もまた、戦時を切り抜けるための芝居の可能性もある、そう曖昧な解釈の余地を残して制作されていることが話されていたりする。しかし、そんな賢しらな男たちの態度など、一顧だにしない盲目性が、女性の力なのではないか?「お見事」? そんな認識は、男たちの錯誤が前提とされているのではないか? そのセリフが、女優本人からの即興であったとしても、それは女性としてというより、映画構成に拘束された女優としての演技にしかならないのではないか? 真実に迫るためのフィクションというより、はじめからの、お芝居に近い。神戸に設定しながらロケ地は千葉県だったり、有馬温泉が、群馬の四万温泉、ジブリの『千と千尋の神隠し』のモデルとなったとされる旅館だったりする。予算とかの現実的都合上、そうなり、特定の場所、時代を志向するというより、象徴的な場所としての映画を試みることにした、というような解説もなされている。なるほど、その象徴性が、コロナ禍の世界へと一般化されもするわけだが、虚構としての強度は弱くなってしまっているのではないか。しかし宮崎氏のドキュメンタリー手法は、逆に幻想としての強度を持つことに近づいているようにみえる。映画が提出してみせるネット社会とは、リアリズムというよりは、どこか形而上的な世界である。ヴァーチャル世界に流布された彼女の淫らなシーンは、ありえない角度からの画像であふれだしはじめる。男に抱かれながら棚におかれた8ミリカメラをのぞいたその一瞬の視線もが、あらぬ視覚から活写される。誰がみていたというのか? もはや、男が隠し撮りしていたという推定は、揺らぎ始めてしまう。ありうるとしたら、神か、幽霊か……いや画像をこえて、映画自体が幻想的、幻覚的な趣をもちはじめる。スマホから突然出現した男の声に、街中にはりめぐされた監視カメラを越え、上空をみあげたアイの十字路での立ち姿は、『TOURISM』での、神隠しにあったニーナがようやく女友だちと再開できたシーン、その背後にながれた子供(妖精)のくぐもった声とが重なってくる。これは、人間の物語なのか? しかしカメラは、うつつと幻を区別しないように、ただ大阪の街並みを連写しつづける。

この不気味な日常のリアルさを支えているのは、『スパイの妻』では錯誤とみえた、女(たち)をめぐる宮崎氏の洞察にあるのではないか、と私は推察する。

『VIDEOPHOBIA』では、アイは、整形をして新しい男との生活をはじめる。この決意は、自分を隠そうとした女性の被害者意識がそうさせた、ということではないだろう。女たちは、そこに心底通じた庶民世界は、そうやって生きてきたのだ。精肉工場に入っていったアイが、もぐりの整形屋なのであろう男に、パスポートとなけなしの現金を提出したとき、私は、彼女が朝鮮へと亡命しようとしているということなのか、と推論した。『スパイの妻』とは違ったわけだが、アイにとっては、整形は、亡命と同義的な決意であったろう。スパイの妻は失敗した。アイは、成功した。それは前者が、あくまで、国を代える他人本位な決意なのに対し、後者は、自分の身体を変えていこうという決意であるからだ。マスクをして、自分に変革を迫る他者を排除しようとするのではなく、それを受け入れざるを得ないのっぴきならない場所で、自分の体ごと変えることができたものだけが、新たなる他者、次なる世界を作っていける。最先端のテクノロジーと、(大阪)庶民の取り残されたような市井の雑居性が同居している。男たちの賢しらな都構想は、一昨日、敗れ去った。テレワークなど実践されようがない日常であっても、自らの身体を変革しえた、遅れ抑圧されたものたちこそが、次なる世紀を作っていくのだ、社会を受け継いでいくのだ――宮崎氏の洞察のなかには、そんなメッセージがたくされているように、私にはうかがえた。

しかしこのコロナ禍、女性の自殺率の急激な増加が統計されている。宮崎監督の、ある意味古典的な、柳田国男のいう「妹の力」のようなもの、ラカン的にいうならば、「全てではない」me too的な連結の力、女たちのネット社会は、はたして、どこまでその潜勢力を保持しうるのだろうか? リアルの根底もが、ゆらぎはじめているのであろうか?