2011年9月21日水曜日

口先と存在(デモと現実)

「夢の中で息子の声が響いたということは、父親には、こどもの身体に火が燃え移ったことよりも恐ろしいことだった。だからこそ、夢は耐え切れず破れたのだ。父親は目覚めると駆けつけて炎を消しただろう。だが、彼の内側に飛び火して燃えているその恐ろしいものがそれで消えたはずはない。息子の声はなおも父親の胸を抉るものとしてくすぶり続けただろう。ならば、夢から飛び火したそれは、蝋燭から息子に火が移ろうとしていた現実よりもリアルな出来事ではないか。ドストエフスキーの「おかしな男」も言う。「彼らはわたしをからかう、だってそりゃ夢にすぎないじゃないか、と。だが、この夢がわたしに大文字の真理を告げ知らせてくれたのであれば、夢であるかないかなど、どちらだって同じではないか」。ちなみに、ここで「真理」とは「おのれみずからのごとく他を愛せよ」なのである。」(山城むつみ著『ドストエフスキー』 講談社)

子供たちはキラキラしている。日曜日のサッカー練習から帰ってくると、一希は突然声をあげて泣きはじめた。ミニゲーム練習直後のミーティングで、いつのまにかディフェンダーをまかされてしまうチームメイトの男の子から、ずばずばと欠点を指摘されたのだ。いつもおとなしい彼の、突然の口火は、一希をびっくりさせただろう。その前日の試合は、監督からじきじきに、20年来使っているという黄色いキャプテンマークを託されて望んだのだった。しかし低学年とはいえ背も大きく、ひとりひとりが自分の役割とボールへの執着を覚えはじめている新宿のクラブチームとの戦いは、さんざんだった。一勝ニ敗。簡単にドリブル突破ができないことに直面すると、一希の足は呆然としたように鈍くなる。守備にも走らなくなる。そうなれば、常に自陣に追い込まれ、シュートの応酬だ。後半はキーパーにまわさせる。中心選手がいなくなったチームメイトは、なんとかパスをまわしはじめてサッカーらしくなってくるが、前に進んでいかない。シュートの応酬はさらに増える。キーパーとして一希は相当はねかえした。そして自分のいないフィールドで、今まで活躍を抑えられていた他の子どもがなんとかシュートを決める。ベンチコーチを任された父親としては、そうやって一人一人がゴールを決め、一皮向けて成長していく環境を作ってやる。しまいにはベンチに控えさせられて、「俺をださせてくれ!」と訴えはじめた一希を、若いコーチが出場させてやる。やっと切れがもどって決勝点を決める。しかしまた、一希のドリブルがはいると、チームとの連携がその分遅くなり、なおさらドリブルも思い通りにいかなくなると、力を抜いて足が止まる。「交代させるぞ!」私はおもわず叫んでいた。この身体的怒りはどこからくるのだろう? サッカーをやったこともない私が、サッカーコーチや父兄からベンチを任されたのも、自分の子供をえこひいきせず、他の子供たちと公平にみられる「大人」であるからだろう。しかしその公平的な感覚が、どこからくるのか、と内省してみると、それは私にも覗けないおぞましい世界からやってくるようにおもえる。

一希はいわば、自分の足元しかみえないいまの身体的くせと、他の子供の身体との連携をどうするかでとまどっている。すぐボールのまわりで団子になる(他の子のボールを横取りしにいく)その様を、後でみていたおとなしい子に指摘されたのだ。泣きじゃくる一希にむけて、私はいう。「弱い子は、よくみえているんだよ。口先でいっても、人の心は動かないよ。人をなめていはいけない。いっちゃんはキャプテンに選ばれたんだよ。」……しかし実は、私はこの言葉を女房に向けて投げていた。二人の性格に似ているところがあるからかもしれない。口先がうまく都合がいいというか……。私は、女房と市民活動への関わりの自己欺瞞を指摘していたのである。いまおまえが、子供の給食の放射能がどうの、東北支援がどうの、公園の草っパラや生活クラブでの活動がどうの、といっても、ではおまえの当初の反応、初動体制はどうだったか? 私がフクシマ原発は爆発するかもしれないと、団地トイレの自然換気口をハンカチと新聞紙で目張りしているのをバカにし、しかも4月に入るやそのハンカチを私への嫌がらせのように登校する子供にもたせ、家での団欒で子供がプールの水を抜く前にみんなでヤゴ捕りやったというのを聞いてびっくりして女房に確かめると「だからなに? 心配なら自分で抗議にいけ」と無関心。が、だいぶあとで、関わる市民グループの間でも問題化したのか、なんだかおまえが一番口だけ達者係りなようだ。しかし、他の人たちはみえているんだぞ、それがどんな動機からきているのかを。親方の息子は、女房を評そうとして口をにごらせたことがあった、私は推論した、言いたかったのは、「お嬢さんなんですね」、ということだったろう。おまえが生活クラブにいるのも、その階層にいることでなにか回復させたい自己があるからなのだ。自分が水俣病をおこしたチッソの役員の娘であり、通産官僚族の親類世界にいたことがまず自らの身体反応を作っているのだ。おまえが事故当初、東電びいきな判断をしていたのは、自分のそんな子供時代の何かが壊されるからなのだ、そしてその破損を修復するために、市民左翼的な階層に参加しえている、根源的な反応(身体のくせ)をごまかすために、原発事故の事象を利用して騒いでいる……そのことを、「お嬢さん」ではない参加者たちは見抜いている。人をなめてはいけない。しかしまた、現に大学での「お嬢さん」階層に属しているエリート旦那の奥さんがたは、おまえがそこにいることに違和を抱いているだろう。おまえの自意識がどうであれ、もはやおまえは末端の労働者の女房なのだ。そう存在してしまうことと、自分がありたいこととの意識とのズレを自覚できないとき、人はイデオロギー(口先)に染まる(陥る)のである。――「運動の指導者になりたい人たちはたくさんいます。この人たちはテーマは何でもよいのです。人をたくさん集めて何かをする大衆運動が好きなのです。これは、集団行動するサルの習性ですから、人がこのようにするのは当然で、非難すべきことではありません。」(槌田敦著『エコロジー神話の功罪――サルとして感じ、人として歩め』 星雲社)

泣きじゃくる子供と、熱中症で熱があるとその子を抱える母をあとにして、私ひとりで、9/19日の「さよなら原発」のデモにいってくる。人よりも、私には、のぼりの旗がめだった。そのためか、ここは、時代劇によくみる、戦国時代の戦場というか、その歴史に従属している空間であるようにみえてきた。私がここにいることは、何事であろうか? どういうことであろうか? 「福島県の子供たちは、熱中症にもなれないんだぞ。自分のことばかりではなく、パスをだすんだ。」そう子供にいうことで女房に言い聞かせて家をでた私は、のぼりで埋まる空間に埋まっていた。「自分を愛するように隣人を愛せ」……あの怒声、身体の反応、他の子供たちとの公平の感覚は、どこからきたのだろう? 私はその試合中、私が少年野球をしていたときの父との関係を思い出した。監督をしていた私の父親も、むしろ息子には厳格だったほうだろう。ならば、父はなぜそうなのか? 私はこの怒り、不公平感を、三人兄弟のなかで、女の子代わりになっていた私への母のえこひいき――こっそりお菓子をくれるとかの――に原因をさぐっていた。ならばその怒りとは、「私を男としてあつかえ!」ということなのだろうか? 「女(娘)として支配しようとするな!」ということなのだろうか? 女房(娘)とその母との関係は、まさに長女と母とのすさまじき関係であり、あったようである。会えば喧嘩する。その娘を、私よりも10歳以上も年上のその女を、私は「妹」と感じていた。そう暗示したいつかの発言を、女房は理解したと暗示してきたことがあった。つまりわれわれは、親子という縦割りの関係を出た者どうしの、「兄ー妹」という、連帯的な同志関係の感性として築かれたのである。女房の気性の振幅は、だから私が「男=支配」から降りたところからきているのかもしれず(つまり私を「女」として認めろ! あるいは老いへのあがき…)、逆に、それでいて、私が「男=支配」として出現することがあることからの嫌がらせ(こちらに気づかせるためのあてこすり)、ということなのかもしれない。……となれば、身体からの怒りとは、公平を要求する女たちからの怒りなのかもしれない。それが、父という審級を貫いてやってくる。「自分を愛するように隣人を愛せ」。……腰を痛めて原宿駅で脱落した私は、家に帰って寝転びながら、図書館から借りて読みかけの、冒頭引用の山城氏の『ドストエフスキー』を読んだ。そのイエスの「愛」の言葉が、「復活」という現実に結びついているという論理に目が覚めて。この3.11の大災害で、わが子を失った父親の嘆きのなかに、わが子の「復活」が現実でありうることを知って。

<『ヨブ記』にあるのは《邪悪で不正な人々が安逸を貪っているすぐ傍らで、善良で正しく生きようとしている人に災厄が降りかかるというような不公平がこの世に存在するのはなぜなのか》という、この問い以外はすべて神学的なおしゃべりにすぎなくなってしまうような人生の難問だが、『カラマーゾフの兄弟』はこの問いの全重量を《何の罪もないこのこどもに災難が襲いかかるのはなぜか》という一点で支えようとしている。…(略)…《ほかでもないこのイリューシャにこのような不幸が降りかかってこの子が死なねばならないのはなぜなのか》。これはヨブの《なぜ》である。むろん、そこに理由などない。ただの確率的問題があるだけだ。しかし、そんなことは分かっているのだ。分かっていても《なぜ》は消えないのだ。否応なく確率的位相に放り込まれ、それにほんとうに苦しんでいる人は、世界の基底に確率性を見出す洞察で満足したりはしない。…(略)…それは《私のこどもが私のこどもであるのはなぜなのか》と問うことに等しい。親子の愛が問題なのではない。モラルではなくて「存在」が問題なのだ。…(略)…「ぼくは死んだら、いい子をもらってよ、ほかの子を……あの子たちの中からいちばんいい子を自分で選んで、イリューシャと呼んでさ、ぼくのかわりに愛してあげてよ…」(略)…「ほかの子」にはどの子がなってもいい。…(略)…十二人ほどのこどもたちのうちどの子でもかまわないのだ。彼らは今、追善供養のプリンを食べるためにスネギリョフの家に戻ろうとしている。「こどもたち」というルーレットは、アリョーシャを中心に水平に回転している。盛んにはじけ飛んでいる玉もやがては静止するだろう。どの子の上で玉は止まるのか。繰り返すが、どの子でもありうる。しかし、だから賭けるのがルーレットではないか。カルタショフ少年に賭けよう。こどもたちは、ヤシの木のまわりを高速度で回転したトラたちのように、すでに個体性を失ってバターのように流動しているが、それでもカルタショフ「らしい」ひとりの特異性(単数性)は聞き分けられるのだ。ちょうど新生児室の赤ん坊たちはどれも似たりよったりで個体性をほとんど持たず識別不能だが、笑顔ひとつ、泣き方ひとつ、しぐさひとつ、しかめている顔ひとつとってもどれひとつ同じものはなく、それぞれ異なる単数の出来事が不断に感受できるように。カルタショフ「らしい」その「ひとり」が、スネギリョフにおけるイリューシャという固有名のアクシスを寸断し「わが子」という絆を断ち切って介入するならば、そしてスネギリョフとイリューシャとの親子関係を任意の「こども」との関係として全く新しく再組織するような「邂逅」を来たしさえするならば、その場合には、死後に「別の世界」で蘇生などしなくても、「この世界」の中の非ユークリッド的な地点でイリューシャの「復活」は起こるだろう。逆に、たとえこどもたちとスネギリョフが死後のいつか、ふたたび生を受けて死からよみがえり、もう一度、イリューシャと会ってうきうきと語り合えるとしても、平行線が交わるような非ユークリッド的「邂逅」が「この世界」において起っていなかったのなら、死後の世界でのそんな蘇生があっても何の意味もない。こどもには「別の世界」は問題にならない。「この世界」だけが問題だ。こどもが生きている、どんな目的もどんな終わりもない世界が「この世界」なのだ。残忍でありうる力によって善良な彼らは、その善良でありうる力によって残忍さにまみれながらもこのエンドなき世界を、疲れを知らずに動きまわっている。不定冠詞のこども(a child)の場所は定冠詞の世界(the world)だけなのだ。>(前掲書)

2011年9月10日土曜日

自由(=自治・主体)へ向くまえに(=ために)

「ワールドカップの優勝国には、共通点があるのを知ってますか?」「歴代優勝国は、すべて自国の監督が率いているんですよ」「南アフリカでの岡田監督は、土壇場の決断力でチームをベスト16まで持っていってくれた。自国の監督というのは、ワールドカップの結果に関わらず、大会が終っても自分の国に住むわけですよね。代表監督の仕事ぶりによって、自分の価値が上がることもあれば、ひどく傷ついてしまうことだってある。背負うものが、ものすごく重いんです。一生を賭けていると言ってもいいぐらいで。その一方で、外国監督はどうか。そこまでのリスクはないわけです。契約満了となれば、自分の国へ帰っていく。街を歩いていても、指をさされるようなことはないですよね」「ワールドカップという舞台のパラグアイ戦のようなゲームが、最後の最後の土壇場になってくると、メンタルが戦いの成否を分ける。本当の意味でチームがまとまって、心がひとつになっているか。最後の一滴までエネルギーを絞り出せるか、というところにかかってくる。覚悟を持って戦うチームが勝つと思うんです。その覚悟はどこから生まれるのかと言えば、自分が育ってきた国や生まれ故郷への誇り、自分が育ったチームの監督、自分の家族に対する責任、応援してくれる人たちへの感謝といったものです。ワールドカップの優勝国がすべて自国の監督に率いられているのは、自分たちのDNAに訴えかけるような一体感があるからだと、僕は思うんです」(山本昌邦・戸塚啓著『世界基準サッカーの戦術と技術』 新星出版社)

前回ブログを引き継いで言えば、マッカーサーをマレ人とみる民俗学的見方がかつてあったかもしれないとしても、われわれがそんな素直に来客を神としてあがめられる意識を維持しているわけでもなく、むしろ、外人頼みではあまりに情けない、という世俗現実主義なズレの意識をいまや抱え込んでしまうのが、とくには敗戦からの高度成長を成し遂げた日本人の感性として普通であるだろう。しかし、ということはやはり、そのズレには、つけ込まれる弱さがある、ということも確かだ、ということだ。この主体性(決断力)ということに関し、次のような分析整理を引用しておこう。

<ただし、菅首相は、一度だけ、一瞬だけ、レーニンのように振る舞ったときがある。浜岡原発の稼動停止を要請したとき――というより事実上命令したとき、である。このとき、首相は、自分より上位の審級に、停止の許可を求めようとはしなかった。純粋に自分自身で決断し、自分自身によって自分の命令を権威付けたのである。浜岡原発への停止要請によって、国民の脱原発への支持率が一挙に上昇した原因は、この点にある。その瞬間だけ、国民は、新しい第三者の審級が出現し、脱原発へと向けた実効的な行動を許可しているのではないか、と感じたのだ。>……(この箇所への註として)<菅首相が浜岡原発の停止を要請したのは、アメリカ政府からの圧力があったからだ、と述べている者もいる。私には、真相はわからない。いずれにせよ、「総理の中部電力への要請=命令がアメリカの指令に基づいているように感じられた」という事実は、ここでの私の主張を裏付けるものである。確かに、もしほんとうにアメリカ政府の圧力が理由で、首相の要請が発せられたのだとすれば、「首相は上位の審級の意向を顧慮しなかった」という認定は事実に反するものとなろう。この場合、第三者の審級は、言うまでもなく、アメリカである。しかし、仮にそういうことがあったとしても、そのことは一般の国民にはわからないことだ。むしろ、多くの国民は、菅首相が中部電力への要請を表明したとき、首相のところに第三者の審級が降臨しているのを直観したのだ。その上で、その第三者の審級と菅首相とを重ね合わせることがどうしてもできなかった一部の国民は、首相のさらに背後に本当の第三者の審級を――アメリカという形態で――見出そうとしたのである。「アメリカ云々」の噂がかなりの人に説得力があるように感じられたという事実こそ、むしろあの瞬間(だけ)菅首相の身体の場所に第三者の審級が現前しているのを多くの国民が感じていたことの証拠である。>(大澤真幸著「可能なる革命」第3回 『atプラス09』太田出版)

私の情勢認識は大澤氏のものとは違うが、その問題設定は共有することができる。当時のこのブログでも発言したことだが、私は、菅首相の決断は中途半端なものであり、「要請」という他人に下駄をあずけるような形式自体がいかにも日本的な曖昧さをなぞったもの。が、法的にそんな権限が総理にもないというのならば仕方がない、勇断だ、というものだった。(が後に、環境エネルギー政策研究所の飯田氏の指摘によれば、「要請」ではなく、端的に「命令」することも法的には可能だったそうである。)世論調査の脱原発支持率上昇ということにしても、それはそんな首相の決断とは関係なく、被災避難する福島県の人たちの惨状が、関西方面の人にもわかるようになってきたから、というものである。またアメリカの介在、ということに関しても、私は副島氏が、官邸の後にあるホテルから通じた秘密地下通路を行き来し、大統領からの全権委任を受けた〇〇という政治家が様々な支持をだしているのだ、という話も、明治以降の日本の歴史や、現今の他の第3世界や被植民地国の様を想像すれば、十分ありうることだと認識する。しかし、現実の問題とは、そうした事実にはない、あるいは、それではすまされないと認識するがゆえに、私は大澤氏のような問題設定を共有するのである。しかしまた、その現実設定が、事実(裏話)をいかがわしき噂として見向きせずともよい高尚なものだ、ということでは全然ない、と考える。なぜなら実践とは、単に下世話で世俗的な次元においてしかありえないからだ。人々がデモをするのは、政治家の行きすぎた賄賂といった腐敗、官僚や財界人の行きすぎた内輪びいき、自治を阻害する行きすぎた権力行使、こういったありきたりのものに対してだろう。こうした世俗の活動なくして、われわれの精神は健全さを保てない。つまりそこにこそ、逆に現実的なものへのアプローチが実践的につながっている、ということなのだ。
ラカン派の精神科医というべきなのか、斉藤環氏は、次のように発言している。

<しかし人災としての「フクシマ」はそうではない。それは予防可能な人災でありながら、いまだ測定不可能な被害をもたらした。この測定不可能こそが潜在性の領域であり、それゆえこの潜在性は、その意味も定位も定かではないまま「フクシマ」という表記のもとで象徴化される。これこそが潜在性の現実化にほかならない。/「フクシマ」の潜在性は、われわれの「日常というプログラム」を書き換える。この日常の多層性に”放射能というレイヤー”が強制的に挿入されたのである。さきに引用した浅田彰の言葉に戻るなら、この日常の多層性は「フクシマ」によって豊かにされた、と言うべきだろうか。/たとえば「分裂病」のような、完全には予防不可能な潜在性の問題については、そのように言いうるかもしれない。現実的には治療の対象でありながらも、その存在そのものは「肯定」するほかはないということ。逆説的な言い方になるが、こうした肯定のもとにおいて、分裂病の治療という「可能性」について、われわれは考えることができる。/しかし「原発事故」はそうではない。それは予防可能な潜在性の「現実」化にほかならず、まさにその予防可能性において「否定」されなければならないからだ。…(略)…ならば、はたして被災した時間は修復できるのだろうか。最大の処方箋は”政治”しかない。全面的な脱原発へと向けた現実的選択へ踏み切ること。それは科学ではなく思想の選択であり、論理性よりも象徴性を優先させる選択でもある。だとすればそれは、はっきりと政治の領分なのだから。/繰り返し強調してきたように、もはや原発との共存は、少なくともそれを選択することは、この列島においては、分断された時間と破壊された想像力を温存することしか意味しない。だとすれば、何の恥辱も感ずることなしに、そうした選択は不可能である。/ふたたび「未来」を回復するには、われわれにはまだ「時計の針を巻き戻せる」ことを示す以外に手段がない。そのための脱原発であり、かくして「フクシマ」の潜在性は、このうえなく強い否定のもとで象徴化されるべきなのである。>(「”フクシマ”、あるいは被災した時間」『新潮』2011.9月号)

あの宝島社のマッカーサーの広告をみて、もはやイロニーに陥らず、それがなんのことかわからない、その白痴的な健忘症を手に入れたとき、私たち日本人は健全になるだろう。つまり過去から自由になるためには、ひとつひとつの段階をクリアし、日常において自信を回復させていくしかない。被災避難したフクシマの農家が被曝した牛を連れて東京の街中をデモをする。それがまったく健全な道筋であることをわれわれは疑えない、そのように、もはや当事者としてのわれわれが、街中の闘争で勝ち、自信を反復させていけるかが、現実(潜在)的なものの領分(最後の審判=審級)をこの世界に降臨させるのである。

2011年9月2日金曜日

放射能と(再)占領

「チェルノブイリの事故からすでに五年が経過した現在、被害者が何万人に上り、爆発事故のあった半径三〇キロの範囲内だけでなく、その地域のみならず共和国全体がまるごと放射能に汚染されたことが判明している。私は、真実を求めた当時のたたかいがどれほど重要だったか、一九八六年四月のあのころよりはるかにはっきりと見えるようになった。あのとき、たたかいに負けたことで、われわれは自信を失った。過去に何度も繰り返したように、この世で最も尊ばなければならない価値である「人間の命」を、無視してしまったからだ。」(『希望』エドアルド・シュワルナゼ著 朝日新聞社)


前回のブログでも述べたが、福島県からの帰りに、借りた線量計で計った私が住んでいる中野区の上高田団地の一時間あたりの線量率は、0.11から0.13マイクロシーベルトだった。練馬区の東大泉からこの団地まで、だいたいはその間で推移していた。これは、われわれが福島県の夏井川上流地点、福島第一原発事故現場から約40km近辺であろう地点で測定した値0.14に近いということだ。ここ中野区の団地から3kmほどの新宿区の百人町で調査公表している文科賞のデータでは、地上1メートル地点での測定で、0.07マイクロシーベルト毎時くらいとなっている。この差が何なのか、どういう意味をもっているのか、私にはわからない。しかしさらに、新聞で公表している全国の環境放射線量は、東京よりも大阪で高く0.08前後で推移し、愛媛県では0.08以上で推移しているのが最近である。この誰の目にみえる差がどういうものなのか、マスメディアは何も解説してくれない。これでは素人には、ミステリアスJapanである。おそらく、なお何かを隠しているのだろう。前回ブログで紹介した小出氏への質疑応答の中で、原発事故現場の地上亀裂から水蒸気がもれているという情報もあるが、それと小出氏の推定するメルトスルーとは関係があるとおもうかどうか、という質問があったが、小出氏は、そういう情報があることは知っているが、正確にはわからない、という返答であったとおもう。ちなみに、私は知らなかったが、その地下から水蒸気がでている、という報道とは、以下のものかもしれない。<8/17 Russia Today 福島第一・地面から水蒸気が噴き出している>……たしか、7月中での報道では、建屋を覆うシートの対策のことが盛んに広報されていて、1号機では8月中にやるとかいっていたはずで、その鉄骨を組む予行演習の様も放映されていたが、それはどうなったのだろうか? もし、このRussia Todayの報道が真実なら、そんな作業も現場ではできなくなってしまったのだろうか? となれば、むろん、小出氏が主張していたような地下ダム、融けた燃料が地下水に流れて拡散しないように防ぐ工事施工など、なおさらできないということだろう。しかし今さらになって、お手上げとはいえまい。

ペレストロイカに関わったシュワルナゼ元ソ連外相によれば、冒頭引用にあるように、チェルノブイリ事故時の情報開示の是非をめぐる内輪の抗争において、ペレストロイカ派は負けた、と言っている。これは、大統領だったゴルバチョフの認識とは根本的に違う認識なようだ。ゴルバチョフは、旧体制の弊害の露呈を認めたが、当時政府がほんとうに事実関係を知らなかったのであり、情報開示をめぐる守旧派や党官僚たちとの闘争のことは、その自伝では述べていない。だから、その時点で、改革の現実を認めても、すでにそこで負けたのだ、というシュワルナゼのような認識はない。シュワルナゼは、ゴルバチョフをこう評価している。――<人間として、父として、夫として、そして最後に彼の同僚として、私は大統領がフォロス(クリミア地方の大統領の別荘がある村)の宮殿の牢獄に拘禁されるという七十二時間にわたる悪夢を見ていた。彼は非常事態国家委員の囚われ人だった。しかし、彼が帰還し記者会見に姿を見せたとき、私には彼が以前のままの囚われ人であることが分かった。彼は自らの性格、思考、行動様式に囚われたままだった。いま私はきっぱりと断言できる。非常事態国家委員会を育んできたのは、ほかのだれでもない、彼自身なのだということを。彼は自分の不注意と決断力のなさ、賛成したり反対したりぐらつく傾向、人を見る目のなさ、本当の同盟者に対する無関心さ、民主勢力に対する不信感、国民という名の要塞を信じないことなどによって、非常事態国家委員会を育んできたのだ。国民のほうは、彼が導入したペレストロイカによって変わっていたというのに。>(前掲書)

さてわれわれ日本人はどうだろうか? 民主党が政権をとり革命といわれ、フクシマ原発事故が起こり、変わっただろうか? 今日9/2(金)の新聞広告に、見開きすべてを使った宝島社の広告がでている。「いい国つくろう、何度でも」とコピー文句をうたったその広告写真は、パイプくわえたマッカーサーが航空機から降り、まさに日本に上陸しようとしている、あの敗戦を象徴する有名な写真である。これを目にしてびっくりしない日本の大人はいないだろう。こんな広告を作った会社の真意は私にはわからない。広報では、敗戦や災害などの苦境を<不屈の精神と協調性>で乗り越えてきた日本人の歴史を喚起し、<日本人が本来もっている力を呼び覚ましたいと思いました>とある。しかし、写っているのは外国人。裏社会のことに関してよく書籍をだす出版社のことをおもうと、コピーは字義通りとしても、その写真とのずれから、表の意味を素直に受け取るわけにはいかない。素人ブログでも、こんな時期だから復興の力強さというのはわかるけど野田氏とマッカーサーを比べても……という意見になるようだ。つまりどうみても、日本人の感性では、イロニーにしかうつらない。つまりどういうことか? 写真どおり、この震災・原発事故後の日本は、敗戦し、アメリカに占領されようとしている、何度というか、もう一度、ということだ。この広告は、私たち日本人が触れたくない裏の現実を露呈させようとしている(というか、何か知っているのではないか? 近いうち、何か暴露本をだすのではないか?)。民主党代表選挙の得票率の内実をみても、これは菅氏と小沢氏が争ったときの票数と似ている。松下政経塾あがりの、毎朝駅前演説していたという律儀な人で、財務大臣あがり……ほんとに危機を乗り越えようとしているのかわからない、というか、この機に及んでそういう律儀ものを選んだ民主党議員の内訳は、あやしくなるばかりである。私は、原発事故後の負けを認めない菅元総理への不信任決議投票のときの、民主党から破門された松木議員の姿を思い出す。菅氏の煙幕演説で急遽変更され内輪で取り決めた不信任案否決の白札をもって壇上にあがった彼は、突然頭をふってポケットに隠し持っていた青札を入れた。初心どおり、首相へ不信任の票を投げ入れたのだ。私には、隣室で篭城していた小沢氏とともに、これら政治家の姿から、白虎隊や天狗党といった幕末の武士の様を連想した。われわれが松木氏を取り返す、と投票後の民主党執行部の処置に、福島県の子どもを疎開させようと決議案前の衆参議員大会で菅首相に訴えた原口元大臣は言ってみせたが、その気概はなお生きているのだろうか? ソ連では、エリチィンというとんでもない型破りな男がでてきた。ロシアの民衆も、魂をもった者の方を支援したのだ。日本はどうだろうか?……おそらくアメリカをはじめとした支配勢力は、日本国土をこのまま放射能づけにして日本人の行動を不能にさせたままに、いかにわれわれが敗戦で築いた財産を簒奪するかを考えているのだろう。全国に拡散されるままの線量計の数値が、そう物語り始めているようにみえる。