2026年6月27日土曜日

是枝裕和著『雲は答えなかった』(PHP文庫)を読む


 東京の方に手伝いにいっている造園会社に、派遣アルバイトから直アルバイトに直談判して半年働いてから、社員として働き始めた二十代半ばの、早稲田大学教育学部卒業の青年がいる。卒業後は、IT関連の企業に就職したらしいが、現場労働にトラヴァーユ、ということになろうか。話していると、現代思想的なジャーナリズムなどの状況に関心もあるらしく、一服の時など、私もいま若い世代がどんな思想関心をもっているのかとか、よく話す。私は量子論にからめた現状認識を話すことが多かったのだが、せんだって、NOTEというブログ・メディアに、宮台の記事がのっていて、その話に似ているという。ぜひそのページを読んでもらいたいと言うので、ラインでリンクを送ってもらって、その「量子論と神秘体験」という対談の要約記事を読んだ。

 

量子論と神秘体験 宮台真司+阪田晃一|界隈塾

 

たしかに、私がこのブログで触れてきた大枠と重なる。基礎学問がない私は、勝手に連想を働かしてきただけなので(しかも量子論への興味は、河中郁男中上健次論から、たぶん誤読からである)、とんでもなくずれていたわけではないのだな、と安心もする。が、神秘体験が自明的にあってそれを前提としうる宮台と違って、私にはそんな霊感はないのだから、半信半疑的に追求せざるをえない。妻が亡くなってから、不思議体験と覚えるものがとんとんと続いているような気もするが、自分が欲して抱く物語化なのかもしれないと疑いながら進めている。霊がみえるのではなく、あくまで現象の解釈になるのだから。妻の妹さんからは「妄想」の一言で片付けられていたが、だんだんと、妹さんも、なんだかこの不思議に、リアリティーを感じはじめてきてしまっているような気もするが。

このブログ上で、時折こぼしてきた体験だけではなく、まだいくつかある。いま一番変なのは、妻の一周忌を前に、妻とそっくりかもしれない女性が現われて来ていることだ。身長は同じくらい、マスクをしているので本当のところはわからないが、容姿が、妻が三十代初めの、ショートヘアに変えた当時の趣と似ている。拒食症になっていた頃だ。がなんといっても、声のトーン、そこから伺える性格が80%くらいでそっくりなのだ。息子が1000CCのオートバイを自宅にもってきて保管したのを知ると、「みせて!」と声を張り上げたのだが、既視感に襲われた。そして三回忌をむかえた去年、毎週仕事でやってくる彼女が、映画『ほどなく、お別れです』が面白かったと語りはじめる。私も見にいってみると、妻を亡くし葬儀会社へトラヴァーユした若い夫が、霊が見える新人の女性と不思議体験をしていくという物語なのだった。さらに、また妻似の女性は、『鬼の花嫁』が面白いという。私も見に行ってみると、姉妹の話で、この人間世界を仕切るあやかし界ナンバー2の稲荷の御曹司と妹の方が結婚し、長女のお姉さんはおろおろして家族から孤立排除され、歩道橋から飛び降り自殺しようとしたところを、あやかし界ナンバー1ですでに家督を継いでいる鬼の御曹司に助けられ、嫁になっていくという物語なのだった。「実は、妻とそっくりに見えるんですけど」と、妻のニューヨークでの落書きを前にした写真や、芸能人のような写真を見せると、「ほんと、でもわたしはもっと頬がこけてしまって」という。えっ、さらなる拒食症? とびっくりしながら、2代目御曹司と結婚することになった妹さんの媒酌人は、のちに総理大臣になっていくあやかし界の者で、長女の妻はおろおろして、ともらすと、「自殺!」と彼女が一番にだした反応の言葉にさらに驚かされるのだった。私と年齢が近い彼女自身が姉妹弟での長女で、妹は京都にいるのだそうだ。彼女は、いったい何者なのだろう?

 

明日は、いくつかの町会員を連れて千葉の白子へグランドゴルフ研修旅行の引率だ。台風でもやるのかと中止を提案したスポーツ委員の意見をとらず、雨天決行と案内したからにはキャンセルせずやる、本心は私も中止にしたいのだが皆さんの気合で台風を吹き飛ばしましょう! と東大出身銀行あがりのスポ振興会長は通知をだす。「雨天決行」の雨天には線状降水帯や台風といった災害状況が入るのか? まるで本当は戦争に反対だったと東京裁判でもらし神風信仰で国民に犠牲を強いた組織官僚を想起させる、と私は返信する。台風は運よく明日には抜けていきそうだが、まるで特攻隊員だ。最初は、自分のところの町会員と話して欠席しようかとおもったが(特攻隊も、現場の隊長が上官・組織官僚に抵抗したところは飛びたっていない)、近所の他の町会のお年寄りとも庭手入れなどで親しくもあるし、その老人たちは義理で来るだろう、だから、私は行く覚悟を決める。ちょうど、是枝祐和著『雲は答えなかった』(PHP文庫)を読んでいた。水俣病行政と患者の現実との間で悩み自殺してしまった厚生省(環境庁)高級官僚のドキュメンタリーである。是枝氏はこの事件を追いながら、官僚は悪だという前提をくつがえされた。この位相では、たしかに、「悪は存在しない」だろう。私は、地区連など、ボランティア自治職をいくつも兼任させられている年長者と対立的な構えで固定するつもりはない。しかし、ずるずるいくと、もう末端レベルでも、かつての町内会の前科のように、何がおこるかわからない。用心して、布石(歯止め)の処置を打っていく必要はあるだろう。面倒な労力だ。

 

しかし、こうした日常のもろもろが、妻のいく子を通して仕向けられている勤めかもしれないのである。

 

<この秋、知子にとってうれしい出来事がひとつあった。自治会の委員長から推薦を受け、この12月から地区の民生委員を務めることになったのである。民生委員には生活保護世帯と福祉事務所の橋渡しや、70歳以上の老人達へ、市や都からの奨励金を届けるといった仕事が任される。

「福祉の末端の末端ですけど……三回忌を迎える時に、こうやって、あの人が最後までこだわっていた福祉の現場に自分がかかわることになって……私に残っている力で何かできることがあればと思って引き受けたんですけど……。主人が書いたものを参考にしながら取り組んでいこうと思っています」

 一語一語かみしめるように語った知子は、

「何か、できすぎた話でしょ……」

と言って、うれしそうに笑った。>(是枝裕和著『雲は答えなかった』)

2026年6月15日月曜日

田口ランディ著『水俣 天地への祈り』(河出書房新社)


「中上の熊野、ここ、そんなリアリズム(単純にいいきれるものではないとしても)を、好きではない。中上の、俺は、ここに、いる、この文句だけで読みをすすめている。千葉が嫌いと思ってた。風光明媚ではないし、何だか実体もないし。ここではないところに行きたかったんだ。これが否定されるにしろ、ないにしろ、向き合わざるをえない、私に克服しなきゃならない病があって、それがエクリチュールでいやされるのかどうか(は別にして)、つきつけられ、痛い。」(いく子「はるみNOTE3」’93.8.30.

「結局、今の世の中に希望がもてなくなって、絶望感のなかで狂いに狂っていた一九八五年の秋。そのときに必死に世界を探そうとするわけですよ。自分の本当の世界が必ずあるはずだと思って、四苦八苦しながら、七転八倒というか、とんでもない大どんでん返しのなかで狂ってるわけですよ。そのとき初めて、不知火海の女島という小さな漁村に生まれて育って生きてきた、生かされてきたということが、実は私の命の物語そのものだったという。その「物語に従う」というか、そこからシステム社会のほうに行かないで、どっちかちゅうと俺は、帰ってきたんだと思う。」(「水俣の祈り」 語り手・緒方正人 『水俣 天地への祈り』田口ランディ著 河出書房新社)

 

田口ランディさんにこのような作品があると知り、読んでみて驚く。ちょうど妻の妹さんから、戦争は止まず自民党は国旗だ武器輸出だ男のみ皇位継承だと時代錯誤、AI革命が社会を破壊する力持つらしいぞと、さくらんぼが届くというライン通知で言ってきたので、ランディさんの著作を紹介した。

狩猟採集時代は「遊動」していた、というが、その言語化には、ロマン(近代)が忍び入っている。中上が「放浪」として受容されるように。本当は、世界自体がひとつとして観念され、なお文化的な差異などないのだから、一つの宇宙内を移動しているような感覚なのではなかろうか。アフリカの象だって、そうとう広い範囲を、季節ごとに移動する。いま生きる日本猿でも、アルプスのてっぺんまで季節がくればのぼってゆく。「ここ」、とが、一つの故郷だったのであり、いく子が「流氷」を見たいという衝動に襲われたのも、氷河に覆われ一つになっていた大陸の、ヒトの始原の痕跡(断片)に帰りたいと、郷愁にかられたからではないだろうか? その歴史性が、狂気のなかで蘇る。私はこの千葉の家から、一歩もでたくない。

文を改めるのは面倒なので、返信のコピー。

 

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ありがとうございます!
明日は、近所の、食べに行ったお寿司やさんのお宅の手入れです。

現政権は、消費税を一時解除したあとで、9条ふくめた憲法改正に進みそうな。お金で問答を抑えたすきに。そうなると、自動的に徴兵制。憲法は国家をしばるので、軍隊を保持するのが納税と同じ義務に。だけど、マッチョ丸出し化した世界で、女々しい勇気を持つのは大変でしょうけど、現総理は、女のはずなんだが。
明日、たのしみにしています。

 さくらんぼ、とどきました。

とりあえず、真向いアパートの〇〇さんから、春にイチゴをたくさんいただいたので、先ほどお返しにおすそ分けいたしました。お子さん3人の、旦那は土工ですね。奥さんの実家が、四街道のほうのイチゴ農家だそうです。◇◇さんと△△さんにも、少量になるかもしれませんが、もっていこうかなと。明日は、小倉台のお宅の手入れで帰宅は5時ぎりぎりか。

というか、今日、私の59才の誕生日だったのですね。トランプが明後日誕生日というニュースをみて気づきました。ケーキを買って来て、チョコレートが好きだったようないく子に、フジヤのケーキですが供えて。

65歳までは、まだ長いなあ。それまでに、いく子文献を使った共著を仕上げたい。

いま、1959年東京生まれの、田口ランディという作家の、「水俣 天地への祈り」という5年前の作品を読んでいるのですが、これは入門としては一番よさそうです。無知で「バカ」と呼ばれて自称もしてきたバブル経験のフリーターあがりの女性が、どうこの事件に関わり直面してきたのか綴られています。当事者から引き出してきた言葉(対談)もすごい。彼女は最後に、「縄文の思想」を感じ取りますが、いく子も、そうなんですよ。ダンスの芸名に、「やまたいこくの山田いく子」とか、「Nobody」(ジム・ジャームッシュの映画「デッドマン」のインディアンからとった。)とかつける感性に、そこが現われる。つまり、天安門事件直前の中国旅行から帰ってすぐに、「流氷」がみたいと言いだしてるのですが、その二年後にオホーツク海に友達といって、アイヌ少女のお土産を買ってくる衝動。縄文時代、北海道から沖縄までみな同じ思想で生きていたのは、アフリカから放浪しはじめた人類の一番古い感性が、氷河期消えて、孤立島国になったために、この日本列島周辺に残存したままだったからだそう。遺伝子的にも(だからアイヌ人はヨーロッパ人種的)言語的にも(出アフリカ言語の半数は日本近辺に残る。)。そして、東北だけでなく、九州とくには鹿児島近辺には方言としても残っている。(「武蔵野」のムサシもアイヌ語です。)石牟礼や高群逸枝・森崎和江ら九州の「おなご」の思想を言語化した人たちも、弱者によりそっただけでなく、そこにまだあったサルからヒトへの狩猟採集民の倫理(日本の武士道はそのエキスとも言われています。柄谷の交換様式Dも柳田國男の山人(縄文人)の反復の提唱です。)の再発見をしたということです。そしてそこに、AIの進化も関わってくる可能性もあります。本当に量子コンピューター化されると、心理を超えた霊的な繋がりが可視化されるかもと。それは、北海道から沖縄まで、なんでみんなひとつの価値(クマに感謝するような世界)であったのか、その不可思議さに近接してしまう。近代のヒューマニズムは終わる(が、個人が終わり動物化するのか、人間(個人・魂)として進化するのか、と意見が分かれる)。武士道(生きる)とは死ぬこととみつけたり、と水俣患者が到達した倫理が普遍化されてくる。
だけど、島国だから通じるので、人口増えた大陸の交通(戦争)激しい世界で、その倫理が通用するのかな、と、最近の情勢から思わずにいられませんが。

2026年6月4日木曜日

『アイヌと縄文――もうひとつの日本の歴史』(瀬川拓郎著 ちくま新書)を読む


「オホーツクの青は マリンブルー? ウルトラマリンブルー?

屈斜路湖は コバルトブルー? シマンブルー?

ブルーの名前がわからなくて、色の手帖をみても やっぱり わからなくて 私たちの議論は議論にならない。」(いく子の日記「はるみNOTE No2」‘89.8.10)

 

妻の遺品ででてきたアイヌのお土産、少女のシルエットの彫刻が、どのような経緯でここにあるのだろうと思っていた。亡くなってからの1年の間に、狂うことに耐えながら読んだ手紙類に、北海道へと旅した記述があったような気もしたが、不確かだった。が、書き写しはじめた日記の記述のなかで、やはり友達何人かと網走のほうへ行ったようだと知れる。友から来た手紙を再読していけば、もう少し詳しいことも知れるだろう。いく子が、流氷を見たいと和歌山の友達のはるみさんに申し出たのは、中国へと一人旅した直後の手紙(日記にコピー)でだった。‘89年の5月始め、すでに天安門は、人々でごったがえしていた。彼女が日本にもどってきたとき、事件が勃発する。そしていく子は、流氷をみにゆこうと提案した。はるみさんとはいかなかったようだが、おそらく、高校時代の友達と、北海道へ移住した高校の友達の案内のもと、網走の方へ行ったものとおもわれる。そこで、そのアイヌのお土産を買ったのだろう。

 

それは、津島佑子が、幼い息子をつれて、オホーツク流氷館にちかい資料館ジャッカ・ドフニを訪れてから四年後の夏にあたる。いく子が、アイヌのことを思考した痕跡はいまのところない。が、私は彼女の古い気質、火の国(九州)の「おなご」たちと通称されるかもしれない精神の向うに、縄文時代と総称される「心の文明」(『アイヌと縄文』ちくま新書 瀬川拓郎著)の流路を感じるのだ。両親も、ともに東北出身だ。いつだったか、私の地元の縄文遺跡の多い群馬の博物館を見学したさい、そこの当時の生活を模した人形の姿が、妻に似ていると思ったことがあった。「縄文人は歯が爪切りの刃のように噛みあい、彫が深く、鼻が高い」「ヨーロッパ人」の形質類型をもつ。家族が移住した水俣も鹿児島に近く、そこには、アイヌの言葉が方言として残っているともいう。(ちなみに「武蔵野」のムサシは、アイヌ語だそうである。)

 

瀬川の『アイヌと縄文』によれば、というか最近までの考古学的な成果によれば、アフリカから移動しはじめた現生人類の古層がアイヌ人に残っていること、「形質的な特異性が大規模な遺伝子分析によって確認された」のだ。言語学的にもそうで、「出アフリカ古層A型」という古いタイプの言語は、バスク語を含め世界に九つ「孤立言語」としてあるが、「その約半数が日本列島の周辺に集中して」いるそうである。つまり、サルからヒトへの移動経路は、ヨーロッパからユーラシアそして日本列島へと到達したが、縄文時代の半ばで氷河期が崩れ、大陸から孤立した離島と化したために、古いままの身体的形質と言語的特性が、この日本に残存している、ということだ。その間、大陸では戦争を含めた交通に覆われたので、古層は改変更新された。旧石器時代的な遺跡はほとんど遺されていない。日本では終戦後、群馬で岩宿遺跡が発見される。おそらく、こうしたことから、右派の主張、日本が世界文明の発祥地であり、それが中国やメソポタミア、エジプトへと伝播していったのだ、という牽強付会な説が出てくるのだろう。さらにそれらの説には、戦争の痕跡が縄文遺跡からみられないことから、そこに平和思想を読み込むものもある。

 

アイヌと縄文の時代を考察してきた瀬川も、こう示唆してしめくくる。

 

<イレズミと抜歯という縄文伝統をとどめていた本州の漂海民は、自分たちの補った魚などが銭で買われることを好まず、陸上の知人に贈り物として与え、その返礼として祭事に招待をしてくれることをよしとし、そうした関係を「親戚」とよんでいました。/この「親戚」は、漂海民にとっての「疑似親族」「中立地帯」であり、かれらはこの「親戚」をとおして外部の商品経済との関係を保とうとしていた、といえそうです。/アイヌが守りをとおそうとした縄文思想とは、人びとを「親戚」としてむすびつけるこのような連帯が原理であり、かれらが商品交換を忌避したのは、それが人びとを不平等化し、差別化していく対極の原理だったからにちがいありません。/私たちは、商品交換という禁断の木の実を口にした存在です。その原罪は、日本列島のなかに「外部」が成立した弥生時代以降、列島の人びとを取りこんできました。そしてそれは、本州社会で戦争を常態化させ、王を誕生させ、国家を成立させてきました。商品交換が産みだす社会の非対称化はさらに、程度の差こそあれアイヌや琉球の人びともとりこんでいくことになったのです。/私たちが縄文の思想を知る意味とは、非対称化していく歴史のなかで、源郷の思想である連帯と平等をかたくなに守りとおそうとしてきた人びとが今なお私たちの目のまえにいること、さらには漂海民のようについ最近まで私たち自身のなかにもいたことをとおして、その意義に今一度おもいをめぐらせてみることにある、といえるのではないでしょうか。>

 

ならば、問いはこうならないか。

交通(戦争)の激しい大陸の間で、その孤島に残った平和的とされる縄文の思想は、成立する現実条件がなおあるのか、可能性は残存しているのか? 通用するのか? 通用しなくてもやるべきという理想=憧れ、想いのなかに、現実的な可能性を夢見てもいいのか? 反復は可能を持つのか?

 

※ 瀬川が要約してみせた「心の文明」・「縄文イデオロギー」「縄文思想」の背景として、山と祖先の信仰形態の遺跡考察がある。七世紀後半以降の奈良平安時代と平行するアイヌ文化を「擦文文化」と呼ぶそうだが、この時代、本州もふくめ、墓がみつからないのだという。風葬や遺棄葬がおこなわれていたようだという。(だから、家で遺体を保管した。)私(たち)も、もう「墓」をどうしていいのかわからない。妻を、葬ることができないでいる。その想いのなかに、縄文思想の現実的条件、将来への可能性をさぐる糸口が見つかるのだろうか?

*オホーツクのブルーをみて、以後もその青の意味あいに、いく子はこだわっている。それが二年後の、「ニーチェはブルーが好きだったか」という創作ダンスに繋がっていったと思われる。このビデオはあったらしいが、残ってはいない。