東京の方に手伝いにいっている造園会社に、派遣アルバイトから直アルバイトに直談判して半年働いてから、社員として働き始めた二十代半ばの、早稲田大学教育学部卒業の青年がいる。卒業後は、IT関連の企業に就職したらしいが、現場労働にトラヴァーユ、ということになろうか。話していると、現代思想的なジャーナリズムなどの状況に関心もあるらしく、一服の時など、私もいま若い世代がどんな思想関心をもっているのかとか、よく話す。私は量子論にからめた現状認識を話すことが多かったのだが、せんだって、NOTEというブログ・メディアに、宮台の記事がのっていて、その話に似ているという。ぜひそのページを読んでもらいたいと言うので、ラインでリンクを送ってもらって、その「量子論と神秘体験」という対談の要約記事を読んだ。
たしかに、私がこのブログで触れてきた大枠と重なる。基礎学問がない私は、勝手に連想を働かしてきただけなので(しかも量子論への興味は、河中郁男の『中上健次論』から、たぶん誤読からである)、とんでもなくずれていたわけではないのだな、と安心もする。が、神秘体験が自明的にあってそれを前提としうる宮台と違って、私にはそんな霊感はないのだから、半信半疑的に追求せざるをえない。妻が亡くなってから、不思議体験と覚えるものがとんとんと続いているような気もするが、自分が欲して抱く物語化なのかもしれないと疑いながら進めている。霊がみえるのではなく、あくまで現象の解釈になるのだから。妻の妹さんからは「妄想」の一言で片付けられていたが、だんだんと、妹さんも、なんだかこの不思議に、リアリティーを感じはじめてきてしまっているような気もするが。
このブログ上で、時折こぼしてきた体験だけではなく、まだいくつかある。いま一番変なのは、妻の一周忌を前に、妻とそっくりかもしれない女性が現われて来ていることだ。身長は同じくらい、マスクをしているので本当のところはわからないが、容姿が、妻が三十代初めの、ショートヘアに変えた当時の趣と似ている。拒食症になっていた頃だ。がなんといっても、声のトーン、そこから伺える性格が80%くらいでそっくりなのだ。息子が1000CCのオートバイを自宅にもってきて保管したのを知ると、「みせて!」と声を張り上げたのだが、既視感に襲われた。そして三回忌をむかえた去年、毎週仕事でやってくる彼女が、映画『ほどなく、お別れです』が面白かったと語りはじめる。私も見にいってみると、妻を亡くし葬儀会社へトラヴァーユした若い夫が、霊が見える新人の女性と不思議体験をしていくという物語なのだった。さらに、また妻似の女性は、『鬼の花嫁』が面白いという。私も見に行ってみると、姉妹の話で、この人間世界を仕切るあやかし界ナンバー2の稲荷の御曹司と妹の方が結婚し、長女のお姉さんはおろおろして家族から孤立排除され、歩道橋から飛び降り自殺しようとしたところを、あやかし界ナンバー1ですでに家督を継いでいる鬼の御曹司に助けられ、嫁になっていくという物語なのだった。「実は、妻とそっくりに見えるんですけど」と、妻のニューヨークでの落書きを前にした写真や、芸能人のような写真を見せると、「ほんと、でもわたしはもっと頬がこけてしまって」という。えっ、さらなる拒食症? とびっくりしながら、2代目御曹司と結婚することになった妹さんの仲人は、のちに総理大臣になっていくあやかし界の者で、長女の妻はおろおろして、ともらすと、「自殺!」と彼女が一番にだした反応の言葉にさらに驚かされるのだった。私と年齢が近い彼女自身が姉妹弟での長女で、妹は京都にいるのだそうだ。彼女は、いったい何者なのだろう?
明日は、いくつかの町会員を連れて千葉の白子へグランドゴルフ研修旅行の引率だ。台風でもやるのかと中止を提案したスポーツ委員の意見をとらず、雨天決行と案内したからにはキャンセルせずやる、本心は私も中止にしたいのだが皆さんの気合で台風を吹き飛ばしましょう! と東大出身銀行あがりのスポ振興会長は通知をだす。「雨天決行」の雨天には線状降水帯や台風といった災害状況が入るのか? まるで本当は戦争に反対だったと東京裁判でもらし神風信仰で国民に犠牲を強いた組織官僚を想起させる、と私は返信する。台風は運よく明日には抜けていきそうだが、まるで特攻隊員だ。最初は、自分のところの町会員と話して欠席しようかとおもったが(特攻隊も、現場の隊長が上官・組織官僚に抵抗したところは飛びたっていない)、近所の他の町会のお年寄りとも庭手入れなどで親しくもあるし、その老人たちは義理で来るだろう、だから、私は行く覚悟を決める。ちょうど、是枝祐和著『雲は答えなかった』(PHP文庫)を読んでいた。水俣病行政と患者の現実との間で悩み自殺してしまった厚生省(環境庁)高級官僚のドキュメンタリーである。是枝氏はこの事件を追いながら、官僚は悪だという前提をくつがえされた。この位相では、たしかに、「悪は存在しない」だろう。私は、地区連など、ボランティア自治職をいくつも兼任させられている年長者と対立的な構えで固定するつもりはない。しかし、ずるずるいくと、もう末端レベルでも、かつての町内会の前科のように、何がおこるかわからない。用心して、布石(歯止め)の処置を打っていく必要はあるだろう。面倒な労力だ。
しかし、こうした日常のもろもろが、妻のいく子を通して仕向けられている勤めかもしれないのである。
<この秋、知子にとってうれしい出来事がひとつあった。自治会の委員長から推薦を受け、この12月から地区の民生委員を務めることになったのである。民生委員には生活保護世帯と福祉事務所の橋渡しや、70歳以上の老人達へ、市や都からの奨励金を届けるといった仕事が任される。
「福祉の末端の末端ですけど……三回忌を迎える時に、こうやって、あの人が最後までこだわっていた福祉の現場に自分がかかわることになって……私に残っている力で何かできることがあればと思って引き受けたんですけど……。主人が書いたものを参考にしながら取り組んでいこうと思っています」
一語一語かみしめるように語った知子は、
「何か、できすぎた話でしょ……」
と言って、うれしそうに笑った。>(是枝裕和著『雲は答えなかった』)

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