2022年5月27日金曜日

『未完の敗戦』(山崎雅弘著 集英社新書)を読む

 

「日本人は、なぜ死ぬまで働くのか。

 日本の経営者は、なぜ死ぬまで社員を働かせるのか。」(「まえがき」)

 

そう現代に生じる日本社会での疑問を、戦時中の「特攻」に代表される「大日本帝国の精神文化」(考え方)、「自己犠牲」の美学的倫理が戦後も生き延びている連続的なものだと考察し、「本物の民主主義」を実現していくために、その思考態度を理論的につぶしていく作業一環、とこの新書は言えるだろう。

 

ウクライナで戦争がはじまり、三度の世界大戦か、とも騒がれはじめたので、その戦争のことをよく知らないなと、山崎雅弘氏の『第二次大戦秘史』(朝日新書)を読み、勉強になったので、他のいくつかの作品も読んでいたものの延長として、この新刊を手に取ることになった。

 

大枠では、私も山崎氏の主張に賛成である。そもそも野球馬鹿だった私が思考を開始したのも、まさに「死ぬまで」させられるような日本部活動はおかしんじゃないか、という具体的問いからだったと言っていいから、問題意識が重なっている。が、大学は出たけれども社会からドロップアウトしたような私が生きてきた右翼的な現場労働、息子といっしょに関わった少年サッカー・クラブ活動、そして靖国神社の植木手入れの手伝いにも狩りだされたこともある下っ端労働者としては、やはりこの山崎氏の考察は、いかにも学者的な、教条主義的な枠におさまってしまうようで、本当に、現場で生きる日本人に説得的な緻密さをもつことができるだろうか、というと、私としては疑問におもえてくるのである。

 

たとえば、西側民主主義の国家群が応援しているウクライナの戦場、とくにはそのマリウポリ製鉄所での民間人と兵士が入り混じった攻防戦まで行きついた様は、「本物の民主主義」に近い事態なのだろうか? 国連の調停にプーチンロシアがとりあえずのって、民間人は脱出でき、兵士も投降できた。が、ほぼ硫黄島の戦いみたく「玉砕(全滅)」を甘受していく成り行きだった。硫黄島の司令官は最後は突撃特攻したが、製鉄所の地下にこもったアゾフ連隊の司令官たちは助けを求めつづけた。この差異をみるのは大切だが、そのまえに、類似するまでに至ったそこに、今の日本人が何を感受していたかを内省してみることが重要だ。

 

たとえば、そのアゾフ連隊、プーチンからは「ネオナチ」と呼ばれるもと私設軍隊は、サッカーのフーリガンだったと言われる。何年かまえのチャンピオンズ・リーグの決勝会場が、キエフのスタジアムだったりしている。ヨーロッパのサッカー場は、コロナ禍といえども、人だかりと熱狂がものすごい。マスクなどもしていない。死をおそれていないのか? これが、本場の民主主義ということなのか? いったい、民主主義ヨーロッパは、どうなっているのか? 全然わからない! それが、日本人の疑問なのではないだろうか?

 

「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマは、ワールドカップをめぐるサッカーが、戦争の代わりになったのだ、と指摘していた。両者は、死を賭けた真剣勝負に人間の「気概」というアイデンティティーがみたされていくものだから同期的になるという。そしていま、本物の戦争そのものの参加にあって、民主主義の人々が熱狂している、かにみえる。

 

ひと月前ほどの、外国機関の統計調査によれば(「憂国呆談」で田中康夫も引用していたが)、ウクライナに親近感を抱く人の割合、日本人は80%をこえ、他のヨーロッパ諸国は6割ぐらい、アメリカにいたっては、この戦争で悪いのはどこかと問われて、アメリカ、と答えたアメリカ人が2割をこえていた、というのも新聞記事にあったから、本当に冷静なのは欧米民衆、ということも予測できるが、その推論はどけておこう。

 

熱しやすく冷めやすい、昨日の敵は今日の友、となりやすいのが日本人の集団特性とも思われるので、私は今は、前回ブログでリンクをはった大地塾での佐藤優の分析を首肯している。つまり、日本人の大半は、もう戦争の熱狂についていけていない、とくに、官僚や経済界が疲弊している。岸田総理はもっと支援参加したいようだが、そうはなっていない。ウクライナ側が提出した支援感謝を示す国名リストに日本ははいってなかったが、それはいいことだ。結果的に、ロシアは日本を西側敵対国だと評価しえなくなっているだろう。が。疲弊して成り行きでそうなるのと、戦略的にそうするのとでは、全然ちがいますからね、と。私もこの意見を首肯する。西側民主主義国家群は、気違いじみてきている。距離をとったほうがよい。が、佐藤の指摘にあるように、成り行き自然でそうなってしまうというのは、いわば『未完のファシズム』(片山杜秀著、新潮選書)の続き、ということだ。

 

とにかくも、マリウポリ製鉄所での長引く戦闘の模様をみるにつけ、日本人の大半は、より好戦性をあおられたのではなく、もううんざりして、ついていけなくなった、と私はみる。特攻だの玉砕だのと、もう本心から共感できる状態ではない。だとしたら、これは、敗戦後遺症として、戦後に、そうなったのか? 山崎氏の『1937年の日本人』(朝日新書)などを読むと、特攻に通じる美学倫理は、戦時中も現在も、そのまま続いている、と見立てられている、ということになるだろう。私には、よくわからない。戦時中、軍隊教育を受けてきたものたちが、会社経営、部活動などで、その経験を広めたので、戦後にこそ戦時中の教育倫理感が普及一般化したのだとは、文学者や作家の方から指摘されてきた。しかし、頭ではそうだが、もう体がついていけなくなっているのでは、というのが私の認識だ。

 

最近、高校サッカーの強豪校で、顧問の暴力が発覚し問題となった。もともと日本でのサッカーは、岡田元日本代表監督が回顧していたように、軍隊のような野球部がいやで、その脇でサッカー部が楽しそうにやっていたから始めた、というような、民主主義的な流れがあった。少年サッカーでも、ヨーロッパの、プレイヤーズ・ファーストの方針が、コーチ・ライセンス講習などを通して教育される。が、それは頭だけで、現場はトップダウンの指導だ。だから、比喩的にいえば、命令によって、選手は特攻する。日大のアメフト部事件がその典型だ。が、ヨーロッパのプレイヤーズ・ファーストでは、子供のころはチャレンジして失敗してもよくやったとほめられる、コーチの指示がおかしいとおもえば意見し、コーチも一人の人格者として子供に対処する。日本では、言われた通りにしないからそう失敗するんだろ、と叱られる。観戦者の親からも、そうしつけられる。だから、黙って従うようになる。また上手な子は、小学生の頃から強いチームへと移籍していく。ヨーロッパでは、それはペットの犬を可愛いく高く売れるからと赤ん坊の頃に親元から離すときゃんきゃん鳴く犬になって躾ができなくなるから生後すぐには販売禁止というように、小学生まではホーム・チームからは移籍できないと法的制限ができている。そうした文化・科学的な養育の結果、比喩的にいえば、自発的に特攻できる選手が育っていくのだ。ワンプレーワンプレーがチャレンジ精神に満ちて真剣勝負、肉弾をおそれない。練習の時から。その様が、大リーグや本場ヨーロッパのチームに移籍して覚える日本人選手のカルチャーショックになる。が、それは、小学生のころから、自分が大人(人間)として認められていた、批判してもOKだったという体感からきているのだ。セルジオ越後は、もし指導者が選手をぶんなぐったら、選手から殴り返されるだろうし、そういう人は指導者になれない、と上の事件について言及している(秀岳館高校サッカー部で起きた暴力行為にセルジオ越後「もしブラジルで監督が選手に手を上げたら、逆に殴り返されるだろう」(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース)。

 

だから、そもそも、「特攻」という、死を前提とした作戦は、本場では成立しない。たとえその試合で負けても、次がある、チームや国が滅びるわけではない。投降し捕囚となっても、リーグ戦的に、戦闘はつづくのだ。次がある。あきらめない。そういう「精神文化」として、サッカーが、戦争がある、ということだろう。

 

だけど、それが、本当に、いいことなのか? 息子とのサッカー経験を通して、私はこのブログでも、ワールドカップでの勝利など第一に目指す必要はない、と言ってきた。自分たちの筋を通した戦い方(私はそれを「居あい抜き」の美学、刀を抜かない引き分けの試合を理想とする美学)で、結果的に好成績が残せればいい、と主張してきた。というか、本場のサッカーチームは、実際にはそうしているのだ。流行にまどわされず、イタリアはカテナチオだし、スペインやオランダはいくら点をとられても攻撃的な優美なサッカーを志すし、スェーデンなどは4-4-2のシステムでの防戦を崩さず隙があったときだけのカウンター攻撃に徹しているかのようだ。だから、最近なくなったオシムは、日本人の戦い方を編み出すのだ、と説いたのだ。

 

私たちの筋とは、なんであろう? 戦争に疲弊してしまうこと、ついていけないこと、そこに、あるのではないだろうか?


※柔道では、全国大会を中止したそうだ。勝利至上主義に、子供たちがついていけず、楽しむ、という基礎が壊されてきたからだ、と井上康生が説明していた。共感だ。野球甲子園も、再考したほうがいいだろう。(ロッテの佐々木投手の活躍を見よ!) さらに、慶応大のブラックジャックとか呼ばれる教授が、入試をなくしたほうがいい、と発言していたが、私も賛成だ。子供の好奇心だけで自家発電できる。自然は、神秘に満ちている。

 

が、最近、陰暴論を取り込んだような保守政党が躍進的だときく(「参政党」というそうだ)。アメリカ情報筋からの資金提供などもうないであろうから、かつての従米右翼な勢力の中から、反米右翼という、眠らされていた本心感情が目を覚まして復活してくるのか? 日中戦争の最中に、アメリカを本当の敵とした太平洋戦争でも、またおっぱじめようというのか? しかし、そうなっても、もう、自衛隊員は、ついていけないだろう。最近のYouTubeでも、閲兵式でばたばた倒れて担がれていく自衛隊の模様がアップされていた((187) 【自衛隊】式典中に次々と倒れる自衛隊員 何があったのか? / 一般客も苦痛な来賓祝辞・来賓紹介・祝電披露 / 第3師団創立61周年・千僧駐屯地創設71周年記念行事 Japanese soldiers - YouTube)。しかし、それでも、好戦に利害のある人はやるのかもしれないが、もう日本人全体がついていけず、みっともないことになるだけだとおもうけど。そしてもし、そのみっともなさ自体が反復なのだとしたら、つまり戦前も実は日本人の大半は戦争に疲弊しついていけてなかったとしたら、その弱さこそをクローズアップし、言語化し、組織化しなくてはならない、となるはずだ。(しかしこちらのほうは、そう指摘する文学作品などもないようだから、やはり、敗戦後遺症なのか?)

 

しかし、そうした事態を予測してくる以上指摘してきた問いに、山崎氏の教条主義は、答えていることになるのだろうか? 私としては、説得論理として、あまりに大枠すぎると思われる。勉強家の優等生だけが、そうだよね、と頭で受容するだけなような気がする。そもそも、本を読まない人には説得もなんもない、かもしれないが、思考としては、そうした他者に向けてこそ、緻密さが要請されてくるものだろう。

2022年5月21日土曜日

陰暴論をめぐる

 


一番最初の陰暴論とは、マルクス主義だと言われる。

マルクスの『資本論』自体は、世の中の複雑さを複雑なまま理解することは人には困難であるから、構造化できることを抽出し、単純化したものだろう。数字や記号のかわりに、哲学的な概念を用いた、数学的なモデルのようなものだろう。わかりうるところと、不分明な所が区別されて、頭の中が整理される。が、それを文字どおり受け止めて、世界は資本構造によって支配されており、ゆえに、それを人格的に担う資本家をやっつければ世界は変わるはずだ、と考え実践する。そしてそう実行されて、陰謀(革命)が成就されたとしたこともあったわけだ。その過程でも、いや上部構造の政治は政治で独立した原理で動いているのだとか、いまなら柄谷行人の交換論(「世界史の構造」)も、資本はより一般な市場経済原理の交換様式に吸収されて、他の三つの交換原理との組み合わせによって社会のあり方が変わるのだ、と訂正される。同じマルクス主義でもイギリスの経験論に立つエマニュエル・トッドによれば、そんな四象限に単純化した思考も、ヨーロッパは大陸系のデカルト主義なのだ、と批判されるだろう。(ダンス&パンセ: <家族システム>と<世界史の構造>――エマニュエル・トッド『家族システムの起源』ノート(1) (danpance.blogspot.com)

 

いま巷に流布されている陰暴論は、資本家や大企業というより、より一部の(ユダヤ系)金融資本家とつるんだエリート政治勢力が世界を動かしていると考え、それをつぶせ、と言っているのだろう。そうしたエリートが何を企んでいるかといえば、過剰になった世界人口を削減し、デジタル管理できるまでにし、自分たちの思い通りに世界を安定化させる、ということらしい。コロナ・ウィルスやRNAワクチンもその思惑のための実行であり、ロシアとウクライナとの戦争も、デジタル通貨を世界導入するための布石、ということになっているらしい。

 

地政学的には、アメリカがヘゲモニーを持つ一極主義を解体し、多極主義をめざす、そっちのほうが儲かる、と踏まえられているとされる。イデオロギー的には、社会主義であって、アメリカの政治中枢に入り込んだネオコンとはその実働部隊であって、隠れトロッキストだ、と指摘される。ジャーナリストの田中宇によれば、敢えてアメリカに過激な言動をとらせることで自滅を加速させるのが戦略だ、という。ただその企みが全的に機能してくるようになったのは近年においてであって、それまでは現実政治として様々な勢力がせめぎ合うのだから、陰の国家(deep state)が操っているとしているのではないようだ。(米諜報界を乗っ取って覇権を自滅させて世界を多極化 (tanakanews.com))

 

常識的に考えても、私たちは自分自身さえ、一つの主体が支配できているわけではない。オナラや病気をおもえば、とても身体を持つ自我世界をコントロール仕切れているとは言えないだろう。そういう人たちが集まった集団世界を、一つの勢力が思い通りにしている、とはとても想定しにくい。もちろん、日本の村にだって、談合があるのだから、世界にも悪だくみを考えてつるむ勢力はあるだろう。浅田彰と田中康夫の「憂国呆談」でも、世界は多極化への流れがあるのだから、「従米一本足打法」でいつまでもやっているな、と提言されているが、これは自然史過程としてそうなんだ、という認識だろう。(「核シェアリング」妄想に異議あり プーチンを反面教師にすべき習近平【田中×浅田】(田中康夫×浅田 彰) | 現代ビジネス | 講談社(4/5) (ismedia.jp)

 

ロシアの侵攻予測をはずした佐藤優は、これまでは本気にしてなかったが、副島隆彦が説く陰謀説が当たっているのかも、ともらし始めた。((176) 【最新:ロシア・ウクライナ戦争】2022年04月27 東京大地塾【新着】 - YouTube

 

田中宇が、陰謀めいたものが機能しはじめた時期を指摘しているように、もしかして、隠然とした当人たちの思惑を超えて、それが自動的に動き始めてしまったとしたらどうだろう? これだけのネット社会である。世論操作は容易になった。しかし、そこで考慮すべきなのは、SNSでもツイッターに代表されるような状況である。様々な意見、ちょっとした差異で炎上するというのだから、それをひとつの方向へと操作誘導するのは困難なはずだ、と見られるかもしれない。が、ツイッター反応は、反射神経的な、脊髄反応と言われる。私は、『進撃の巨人』はエレンに巣食った始原の有機生命、脊髄を模した軟体微生物のことを想像してしまう。自由な発言に思われても、実は、無意識に支配されている。そして狂暴になる。(BCCKS / ブックス - 『人を喰う話 2 『進撃の巨人』論』菅原 正樹著)

私は、今これ以上ネットの無意識に食われていくことに身の危険を感じるので、ツイッターやインスタグラム等には近寄っていないが、それは、習慣的自然になった言語作用が呼び水となって、当人の無意識をせりあがらせて飲み込んでいかないのだろうか? 私には、気味が悪い。

 

つまり、意識的操作としての陰謀ではなく、その陰謀を巣食わせる心の準備を私たちがしてしまっていたのではないか、ということだ。様々な意見やその差異は混然となってある方向へと雪崩れていく。戦争が非人称的に人を飲み込んでいくように、ネット社会も、人々を飲み込んでいく。無意識のアルゴリズムを私たちは知ることはできないが、それは動きはじめると、性犯罪者のように、発散が果てるまでゆく。戦争も、当人同士の気が済まないと終わらないようだ。食われてしまえば、もう論理(意識)の話ではない。陰謀を信じる者も、信じない者も、ネット技術を媒介にせり上がってきた無意識の津波に飲まれて、行き着くところまでいく。陸にあげられたものは幸いなるかな。

 

次回は、その陰暴論の哲学的な意味(方向)に最近の量子論のニュースをからめて、加藤典洋の『人類が永遠に続くのではないとしたら』を参照しながら、もう少し敷衍していこう。

2022年5月7日土曜日

ひととき

 


 ばっけと地元の人たちから呼ばれている川沿いのくねった道路を曲がって、すぐに縄文遺跡の遺る高台の坂道をのぼりはじめると、「こわいわね」と助手席に座った女房が言ってくる。昔は海だった坂下から切りたった崖の上へと一気にかけあがるようにアクセルを踏まないといけないから、重力で背もたれに押し付けられて斜めに上昇していくのは、どこかロケットや戦闘機にでも乗っている気分にさせられるのだろう。こちらはハンドルを握っているので力のバランス加減を保ちやすいだろうが、手ぶらでいるのは、不安になるのかもしれない。私は逆に、対向車が来たらすれ違うこともできない神社脇の狭い道を、頂上を切り開いて鎮座する大学のキャンパスを埋める大木の緑の方へと突き進みながら、黄色い軽自動車が問題なさそうなエンジン音をたてていることに安堵する。二十年使っていた普通乗用車からこのハイブリッドのものに買い替えたばかりなのだが、あまりに乗らないので、いざゴールデンウィークの帰省にと乗り込んだら、エンジンがかからなかったのだ。メーカーを呼ぶと、いまの車は安全装置とかいっぱい付いて電池を食うので、絶対量的な分は乗らないと、すぐにバッテリーがあがってしまうのだということだった。「でもそれでは、車の所有形態を考え直さなくてはなりませんよね。東京では、持ってても乗らない人とか多いんじゃないんですか?」自分では、病院への女房の送り迎えにそれなりに利用していたとおもっていたが、それぐらいでは役に立たなくなってしまうというのが環境に配慮した最新の技術らしい。そのおかげで、実家には電車で帰ることになったのだった。

 

 崖上の一帯を占拠した大学の正門まえの幅広な道路脇に車をとめた。夕刻の4時半に待ち合わせをしていたブライアンは、まだみえなかった。後部座席にいた息子のイツキに、女房が話しかける。「ブライアンには、警察官になったことを言ったの?」「言ってないよ。」と、息子は答える。「わざわざ言う必要ないからね。」と女房はつづける。「友達とか、チェックされるんでしょ? ブライアンは、悪いことはしてないけど…」と口ごもる。「ゴールデンウィークにあう中学の友達とかの名前書いただけだよ。なんで、警察官だって言っちゃいけないの? 俺、迎えにいってくるよ。」とイツキはスライドの後部ドアをあける。「じゃあ、このケーキを持っていって。」と女房が白いケーキのはいった箱を手渡す。「オーケー」と、イツキは出ていった。

 ブライアンとイツキは、幼馴染だ。幼稚園や学校は違うのだが、公園仲間だった。フィリピン人のブライアンのほうが2才年上で、兄貴分だ。よく虫取りのやり方をイツキは教わっていた。ブライアンは明るく人懐こいが、やはり日本の子供たちとは変わっているのか、いじめられていたと聞く。中学生のとき、好きな女の子に、お祭りで知り合ったテキヤの人たちを手伝うアルバイトなどで稼いだ金をあげようとして、大問題になったとも聞く。フィリピンのお母さんとの二人暮らしで、生活保護だ。高校には行かないつもりだったが、野菜などを作るのが好きだったから、夜間の農芸高校というのもあるぞと教えると、そこに入学した。高校では、一番の優秀性になった。野菜作りの熱心さが、ほかの日本の生徒とは違うのだろう。農芸高校を代表して、野菜作りコンテストみたいな、全国大会にも出場した。しかし就職はしなかった。近場のファミレスで働いている。私の勤める植木職人の職場というのも念頭にあったが、マッチョな環境には適さないだろう。そのままブラブラできるなら、そちらの方に可能性が開けていくチャンスを試したほうがよさそうな気がして、私は声はかけなかった。女房は、そんなフーテン的な在り方が気に入らないらしい。中学生のときも、漢字の書き取りなど勉強しろ、夜学じゃ意味がないのだから、もっと社会に出られる学歴を持たせるよう支援すべきだ、みたいな考えだった。年に一度、ブライアンの四月の誕生祝いにと、百円寿司に連れていくのが恒例になっていたのだが、コロナ流行で、社会人となったブライアンとの交流が延期になったままだった。女房は、イツキは別にブライアンと付き合う気はないのだ、もう社会階層がちがうのだから、みたいな口調で、寿司を食べにいくのも気乗りではなかった。私がショートメールを出してもブライアンから返事がこないと知ると、イツキ自身が、職務上はすでにアンインストールしているはずのラインで連絡をとって、ブライアンの休日に日取りをあわせることができたのだった。

 イツキのあとから、受け取った誕生祝のケーキをアパートに置いてくるためにもどったブライアンがやってきた。背が高く、色黒だが、眼鏡からコンタクトレンズに変えたのだろう、結構な二枚目だ。「しばらくだなあ、いつものかっぱ寿司に行くよ。」と後ろに乗り込んだブライアンに言った。「やっとコロナも下火になったからな。」

 二人は、つまりはブライアンもイツキも、コロナにかかっていた。ブライアンは、今年迎えた成人式の集まりでかかったらしい。そう、彼を子供のころから支援している、もと共産党の区議会議員のおばさんの家の庭の手入れをしているとき、聞かされた。地域の問題児の面倒を、彼女はよくみていた。「登校拒否おこした▽くん知ってる? イツキと同じクラスだった。あの子、ゲームの世界チャンピオンになって、いますごいお金持ちになってるのよ。なにがあるかわからないもんよねえ。」という話も聞かされていた。イツキが学校に行くさい、女房から誘っていけとよく言われて一緒に登校していた子だ。たしかに、どんなチャンスに出会えるか、わからない世の中なのだろう。

 そしてイツキは、警察学校にいき、そこではじまった研修中にコロナにかかったのだった。入庁式というのか、そこで患者がでたという報告は受けていたが、しばらくして、まさか自分の息子が感染するとは思っていなかった。が、安心だ。なにせ、警察の寮にいる。自宅療養の名で放置されることもないし、なにかあればすぐに対応できる前線にいることになるだろう。高校三年生の冬に、二度ほど濃厚接触者になっていたが、どちらも検査陰性で切り抜けた。女房に持病がいくつもあるから心配だったが、あっちいってからの感染なので、むしろほっとした気になる。二日ほど熱が38度を超える状態だったらしいが、それ以外の症状はなく、隔離部屋での2週間を過ごしたという。4月の末頃に設定された父兄同席の入校式には間に合った。私たち夫婦も、総勢1000人近くになる警視庁新入生が揃う儀式に参加した。校長先生や来賓の、聞いていて眠くなる長いお話を聞かされるのかとおもったが、そんな儀礼は単なる形だけのものとして、彩りな勲章を胸に付けた軍服のような制服を着た副総監の話などは自覚的に手っ取り早くすまされて、実質重視ということなのか、あとはまだ若い先輩先生の怒鳴るような本音の激励が構内に響くのだった。強く優しくあれ! その節目節目に、敬礼、休め、などの号令がはいり、生徒たちの瞬時に揃う機敏な動きが小刻みな音楽のように伴う。緊迫した空気のなかへ、親たちが撮るスマホのシャッター音が地雷のように潜伏させられていった。

 私はなぜか、なぜ近代国家のなかで、軍事パレードが必要なのかが腑に落ちてきたような気がした。二カ月ほどまえにロシア軍の侵攻からはじまり、長期化の兆候をみせはじめたウクライナでの戦争と重なってきもするのだろう。気を抜けば、狂気の渕へと落ちてしまうのだ。植木職人として高い樹木にのぼっていく私には、そんな想像が体感的につくことだった。経験の浅い若い者のなかには、木登りの中途で鳴けない雌蝉になったように、身動きが不能になってしまうものもいる。足腰がすくんでしまう。登山でいう、クライマーズハイなのだろう。植木屋の木登りでも、メンタル調整は難しい。誰がこの木を登るんだ? 頂上をみあげて、みなが押し黙る。僕が行きますよ、と私が言う時、それは今日で終わるかもしれないがまあいや、との諦めの境地の中で、心の芯を立ち上げ堅固にしていく過程がある。集中が切れれば、落ちる。そして、私は落ちたのだった。疲労から神経が続かなくなって、魔が差した。すぐそこの枝だと思って手を伸ばすと、ずっと向こうで、届かない。天が回って揺れ、下を見ると、コンクリの屋根が迫っていた。それでも、人は地の渕から這い上がらずには生きられない。年に何度か、男気を発揮させるお祭りが儀礼化されてきたのも、自然の恵みを祝うのみでなく、その猛威を垣間見せてくる自然に立ち向かう気力を萎えさせないためだろう。人工的な国境ができてからは、鉢合わせになる緊張を迫るのは自然だけではなく、人間同士となった。体感を超えて、不自然に過密したということなのかもしれない。隣人の、他人とのちょっとした違いが、奈落の渕へと落ちる恐怖を拡大させる。自然を称えるお祭りではなく、人工的な武器で飾られた軍事パレードが、その渕へと人を沈ませない英気を維持させる装置となる。

 2年つづいたウィルスの猛威のなかで、戦争という猛威がせり上がってきた。抑えられない自然を、人もろとも殺傷して消滅させようとするかのように。

 

 自動車の後部座席で、久しぶりにあった若い二人は話をはずませている。アイフォンやアイブックの話題の延長で、時計の話になってきた。どうもブライアンは、ネットにつながる腕時計をしているのだろう。アイウォッチ、というのがあるのかどうか知らないが、心拍数やら脈までもが測れるらしい。「俺がもっていった時計、自動車の鍵なんだってよ。」とイツキが女房に話をふっている。「千葉のおじいさん、ホンダの自動車に乗ってたの? 時計になったスマートキーなんだってよ。あれじゃでも、なんか変だよ。」「そうなの? でも車になんか乗ってなかったから、どっかからもらってきたのね。」「みんなGショックだよ。」「えっ、何がショック?」と女房が返すので、「まあ、警察官や自衛隊員は、衝撃があるから、そうなんだろうね。」と私が間に入る。「そうだよ」という息子の返事に、あっ、ブライアンにイツキの仕事がわかってしまったかな? と思いやられる。が二人は、警察官なり自衛隊員なりの職業が秘めやかにされる社会の体裁はまだわからないだろう。なんで警察学校で、休み中の交流関係もがチェックされなくてはならないのかも、思いよらないだろう。社会の渕がそこに開いていても、なお幼い二人には、そこに落とし穴があることに気が付かない。しかしそのうち、気づくようになる。そのとき、息子は、イツキは判断を迫られる。その穴を、どう埋めるのか、対処するのか? どんな態度で、職務につくのか……私が、女房の意向に反しても、二人の付き合いを維持しようとしているのは、いわば伏線だった。おまえのホームはどこだ? 私は、息子に、その感触を忘れさせたくはなかった。ここで、幼なじみと過ごすひとときが、打ち解けた安心が、自分が返る場所を、振り返れる自分が在ることを約束させていくだろう。それは、人としての判断の、羅針盤になるはずのものだと、私は信じている。

 

 ネタやシャリがさらに小さくなって、まるで子供のママゴト・セットのようなお寿司を満腹になるまで食べて、百円寿司の店を出た。まだ、外は明るく、夕闇までにはだいぶ間があるような気配だった。少しだけ橙に染まった空には、なお青空に浮かぶ雲の白さが輝いて見えた。また大学の正門前で車を止めると、二人は降りていった。縄文遺跡のある神社の境内で、ブライアンは畑を作っていた。それを、新宿のブライアンが作った野菜、というブランドにして仲間内で販売しているのだという。新種の粒の大きなイチゴが今の旬だ。今度は、養蜂もやるという。子供のころは、よく神社の賽銭からお金を盗んでいた。それでお祭りのお菓子を買っていた。いまは、神主さんのお墨付きで、自由に境内を使っていいことになっている。「イツキも野菜の勉強してきな」と私が言うと、「うん、歩って帰るよ。」と返事がくる。

 私と女房は、そのまま先に帰宅する。神経症気味だった女房は、落ち着き始めたようにみえる。二人を連れて、あちこちの公園へと遊びにいっていた頃の心が、蘇ってきたのかもしれない。