2022年5月7日土曜日

ひととき

 


 ばっけと地元の人たちから呼ばれている川沿いのくねった道路を曲がって、すぐに縄文遺跡の遺る高台の坂道をのぼりはじめると、「こわいわね」と助手席に座った女房が言ってくる。昔は海だった坂下から切りたった崖の上へと一気にかけあがるようにアクセルを踏まないといけないから、重力で背もたれに押し付けられて斜めに上昇していくのは、どこかロケットや戦闘機にでも乗っている気分にさせられるのだろう。こちらはハンドルを握っているので力のバランス加減を保ちやすいだろうが、手ぶらでいるのは、不安になるのかもしれない。私は逆に、対向車が来たらすれ違うこともできない神社脇の狭い道を、頂上を切り開いて鎮座する大学のキャンパスを埋める大木の緑の方へと突き進みながら、黄色い軽自動車が問題なさそうなエンジン音をたてていることに安堵する。二十年使っていた普通乗用車からこのハイブリッドのものに買い替えたばかりなのだが、あまりに乗らないので、いざゴールデンウィークの帰省にと乗り込んだら、エンジンがかからなかったのだ。メーカーを呼ぶと、いまの車は安全装置とかいっぱい付いて電池を食うので、絶対量的な分は乗らないと、すぐにバッテリーがあがってしまうのだということだった。「でもそれでは、車の所有形態を考え直さなくてはなりませんよね。東京では、持ってても乗らない人とか多いんじゃないんですか?」自分では、病院への女房の送り迎えにそれなりに利用していたとおもっていたが、それぐらいでは役に立たなくなってしまうというのが環境に配慮した最新の技術らしい。そのおかげで、実家には電車で帰ることになったのだった。

 

 崖上の一帯を占拠した大学の正門まえの幅広な道路脇に車をとめた。夕刻の4時半に待ち合わせをしていたブライアンは、まだみえなかった。後部座席にいた息子のイツキに、女房が話しかける。「ブライアンには、警察官になったことを言ったの?」「言ってないよ。」と、息子は答える。「わざわざ言う必要ないからね。」と女房はつづける。「友達とか、チェックされるんでしょ? ブライアンは、悪いことはしてないけど…」と口ごもる。「ゴールデンウィークにあう中学の友達とかの名前書いただけだよ。なんで、警察官だって言っちゃいけないの? 俺、迎えにいってくるよ。」とイツキはスライドの後部ドアをあける。「じゃあ、このケーキを持っていって。」と女房が白いケーキのはいった箱を手渡す。「オーケー」と、イツキは出ていった。

 ブライアンとイツキは、幼馴染だ。幼稚園や学校は違うのだが、公園仲間だった。フィリピン人のブライアンのほうが2才年上で、兄貴分だ。よく虫取りのやり方をイツキは教わっていた。ブライアンは明るく人懐こいが、やはり日本の子供たちとは変わっているのか、いじめられていたと聞く。中学生のとき、好きな女の子に、お祭りで知り合ったテキヤの人たちを手伝うアルバイトなどで稼いだ金をあげようとして、大問題になったとも聞く。フィリピンのお母さんとの二人暮らしで、生活保護だ。高校には行かないつもりだったが、野菜などを作るのが好きだったから、夜間の農芸高校というのもあるぞと教えると、そこに入学した。高校では、一番の優秀性になった。野菜作りの熱心さが、ほかの日本の生徒とは違うのだろう。農芸高校を代表して、野菜作りコンテストみたいな、全国大会にも出場した。しかし就職はしなかった。近場のファミレスで働いている。私の勤める植木職人の職場というのも念頭にあったが、マッチョな環境には適さないだろう。そのままブラブラできるなら、そちらの方に可能性が開けていくチャンスを試したほうがよさそうな気がして、私は声はかけなかった。女房は、そんなフーテン的な在り方が気に入らないらしい。中学生のときも、漢字の書き取りなど勉強しろ、夜学じゃ意味がないのだから、もっと社会に出られる学歴を持たせるよう支援すべきだ、みたいな考えだった。年に一度、ブライアンの四月の誕生祝いにと、百円寿司に連れていくのが恒例になっていたのだが、コロナ流行で、社会人となったブライアンとの交流が延期になったままだった。女房は、イツキは別にブライアンと付き合う気はないのだ、もう社会階層がちがうのだから、みたいな口調で、寿司を食べにいくのも気乗りではなかった。私がショートメールを出してもブライアンから返事がこないと知ると、イツキ自身が、職務上はすでにアンインストールしているはずのラインで連絡をとって、ブライアンの休日に日取りをあわせることができたのだった。

 イツキのあとから、受け取った誕生祝のケーキをアパートに置いてくるためにもどったブライアンがやってきた。背が高く、色黒だが、眼鏡からコンタクトレンズに変えたのだろう、結構な二枚目だ。「しばらくだなあ、いつものかっぱ寿司に行くよ。」と後ろに乗り込んだブライアンに言った。「やっとコロナも下火になったからな。」

 二人は、つまりはブライアンもイツキも、コロナにかかっていた。ブライアンは、今年迎えた成人式の集まりでかかったらしい。そう、彼を子供のころから支援している、もと共産党の区議会議員のおばさんの家の庭の手入れをしているとき、聞かされた。地域の問題児の面倒を、彼女はよくみていた。「登校拒否おこした▽くん知ってる? イツキと同じクラスだった。あの子、ゲームの世界チャンピオンになって、いますごいお金持ちになってるのよ。なにがあるかわからないもんよねえ。」という話も聞かされていた。イツキが学校に行くさい、女房から誘っていけとよく言われて一緒に登校していた子だ。たしかに、どんなチャンスに出会えるか、わからない世の中なのだろう。

 そしてイツキは、警察学校にいき、そこではじまった研修中にコロナにかかったのだった。入庁式というのか、そこで患者がでたという報告は受けていたが、しばらくして、まさか自分の息子が感染するとは思っていなかった。が、安心だ。なにせ、警察の寮にいる。自宅療養の名で放置されることもないし、なにかあればすぐに対応できる前線にいることになるだろう。高校三年生の冬に、二度ほど濃厚接触者になっていたが、どちらも検査陰性で切り抜けた。女房に持病がいくつもあるから心配だったが、あっちいってからの感染なので、むしろほっとした気になる。二日ほど熱が38度を超える状態だったらしいが、それ以外の症状はなく、隔離部屋での2週間を過ごしたという。4月の末頃に設定された父兄同席の入校式には間に合った。私たち夫婦も、総勢1000人近くになる警視庁新入生が揃う儀式に参加した。校長先生や来賓の、聞いていて眠くなる長いお話を聞かされるのかとおもったが、そんな儀礼は単なる形だけのものとして、彩りな勲章を胸に付けた軍服のような制服を着た副総監の話などは自覚的に手っ取り早くすまされて、実質重視ということなのか、あとはまだ若い先輩先生の怒鳴るような本音の激励が構内に響くのだった。強く優しくあれ! その節目節目に、敬礼、休め、などの号令がはいり、生徒たちの瞬時に揃う機敏な動きが小刻みな音楽のように伴う。緊迫した空気のなかへ、親たちが撮るスマホのシャッター音が地雷のように潜伏させられていった。

 私はなぜか、なぜ近代国家のなかで、軍事パレードが必要なのかが腑に落ちてきたような気がした。二カ月ほどまえにロシア軍の侵攻からはじまり、長期化の兆候をみせはじめたウクライナでの戦争と重なってきもするのだろう。気を抜けば、狂気の渕へと落ちてしまうのだ。植木職人として高い樹木にのぼっていく私には、そんな想像が体感的につくことだった。経験の浅い若い者のなかには、木登りの中途で鳴けない雌蝉になったように、身動きが不能になってしまうものもいる。足腰がすくんでしまう。登山でいう、クライマーズハイなのだろう。植木屋の木登りでも、メンタル調整は難しい。誰がこの木を登るんだ? 頂上をみあげて、みなが押し黙る。僕が行きますよ、と私が言う時、それは今日で終わるかもしれないがまあいや、との諦めの境地の中で、心の芯を立ち上げ堅固にしていく過程がある。集中が切れれば、落ちる。そして、私は落ちたのだった。疲労から神経が続かなくなって、魔が差した。すぐそこの枝だと思って手を伸ばすと、ずっと向こうで、届かない。天が回って揺れ、下を見ると、コンクリの屋根が迫っていた。それでも、人は地の渕から這い上がらずには生きられない。年に何度か、男気を発揮させるお祭りが儀礼化されてきたのも、自然の恵みを祝うのみでなく、その猛威を垣間見せてくる自然に立ち向かう気力を萎えさせないためだろう。人工的な国境ができてからは、鉢合わせになる緊張を迫るのは自然だけではなく、人間同士となった。体感を超えて、不自然に過密したということなのかもしれない。隣人の、他人とのちょっとした違いが、奈落の渕へと落ちる恐怖を拡大させる。自然を称えるお祭りではなく、人工的な武器で飾られた軍事パレードが、その渕へと人を沈ませない英気を維持させる装置となる。

 2年つづいたウィルスの猛威のなかで、戦争という猛威がせり上がってきた。抑えられない自然を、人もろとも殺傷して消滅させようとするかのように。

 

 自動車の後部座席で、久しぶりにあった若い二人は話をはずませている。アイフォンやアイブックの話題の延長で、時計の話になってきた。どうもブライアンは、ネットにつながる腕時計をしているのだろう。アイウォッチ、というのがあるのかどうか知らないが、心拍数やら脈までもが測れるらしい。「俺がもっていった時計、自動車の鍵なんだってよ。」とイツキが女房に話をふっている。「千葉のおじいさん、ホンダの自動車に乗ってたの? 時計になったスマートキーなんだってよ。あれじゃでも、なんか変だよ。」「そうなの? でも車になんか乗ってなかったから、どっかからもらってきたのね。」「みんなGショックだよ。」「えっ、何がショック?」と女房が返すので、「まあ、警察官や自衛隊員は、衝撃があるから、そうなんだろうね。」と私が間に入る。「そうだよ」という息子の返事に、あっ、ブライアンにイツキの仕事がわかってしまったかな? と思いやられる。が二人は、警察官なり自衛隊員なりの職業が秘めやかにされる社会の体裁はまだわからないだろう。なんで警察学校で、休み中の交流関係もがチェックされなくてはならないのかも、思いよらないだろう。社会の渕がそこに開いていても、なお幼い二人には、そこに落とし穴があることに気が付かない。しかしそのうち、気づくようになる。そのとき、息子は、イツキは判断を迫られる。その穴を、どう埋めるのか、対処するのか? どんな態度で、職務につくのか……私が、女房の意向に反しても、二人の付き合いを維持しようとしているのは、いわば伏線だった。おまえのホームはどこだ? 私は、息子に、その感触を忘れさせたくはなかった。ここで、幼なじみと過ごすひとときが、打ち解けた安心が、自分が返る場所を、振り返れる自分が在ることを約束させていくだろう。それは、人としての判断の、羅針盤になるはずのものだと、私は信じている。

 

 ネタやシャリがさらに小さくなって、まるで子供のママゴト・セットのようなお寿司を満腹になるまで食べて、百円寿司の店を出た。まだ、外は明るく、夕闇までにはだいぶ間があるような気配だった。少しだけ橙に染まった空には、なお青空に浮かぶ雲の白さが輝いて見えた。また大学の正門前で車を止めると、二人は降りていった。縄文遺跡のある神社の境内で、ブライアンは畑を作っていた。それを、新宿のブライアンが作った野菜、というブランドにして仲間内で販売しているのだという。新種の粒の大きなイチゴが今の旬だ。今度は、養蜂もやるという。子供のころは、よく神社の賽銭からお金を盗んでいた。それでお祭りのお菓子を買っていた。いまは、神主さんのお墨付きで、自由に境内を使っていいことになっている。「イツキも野菜の勉強してきな」と私が言うと、「うん、歩って帰るよ。」と返事がくる。

 私と女房は、そのまま先に帰宅する。神経症気味だった女房は、落ち着き始めたようにみえる。二人を連れて、あちこちの公園へと遊びにいっていた頃の心が、蘇ってきたのかもしれない。

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