2016年11月19日土曜日

エマニュエル・トッド著『家族システムの起源』ノート(3)――柄谷行人著『遊動論』と

林羅山の子々孫々の墓

日本が、「直系家族」的な家族人類学的類型の価値イデオロギーの中に在る、と言われても、その価値がどういうものなのかはわかりにくい。今月の『文芸春秋』12月号の、トッド氏と磯田氏との対談は、その家族的枠が、どう価値的に社会に作用してくるかの具体例にふれているので、メモしていく。その価値は、日本の社会思想史の文脈からみたら、どこか追認的な懐かしい見解にみえる。中根千枝著の『タテ社会の人間関係』、村上 泰亮著『文明としてのイエ社会』、あるいはその日本的伝統なるものを批判的に論じた関ひろの氏の『野蛮としてのイエ社会』などを連想する。その発想枠の源典には、丸山眞男氏の『日本の思想』や、最近都知事の小池氏の紹介で話題になった山本七平氏の『空気の研究』などもあげられるかもしれない。要は、敗戦を受けての反省から、ムラからでよ、という主体的・意志的なイデオロギー価値の提出へとつらなっていく系譜。ただトッド氏の見解が違うのは、これまでは日本の特殊性の主張に収斂していく閉鎖的な議論だったが、その我々の固有的な価値が、実はもっと大きな世界史的な文脈に通じていることを前提にしていることだろう。そこから、実践的な方策を考えていくにも、現状から出る、という個人主体を問題とするというよりも、他の家族類型からくる価値とのバランス、集団的な調整を趣向しやすい。それはだから、地政学的なリアル・ポリティクスと親近してくるようにみえる。トッド氏が、中国という共同体家族的な価値を中心とするアジア地域において、日本の核武装の必要性(バランス)を喚起させるのも、そのような地政学的な均衡=平和という、現実主義以外の発想をとり得ない学問的な枠組みがあるからだろう。そこが、双系制(≒核家族)を遡行的なユートピア=統制的理念として握持する、「世界史の構造」の柄谷氏とは違ってくるポイントだ。しかし、トッド氏も、文明的な共同体家族の価値イデオロギーに反動的にその地域に固有的な家族形成が発生してくるというのだから(母系制は父系的な価値への反動として出来するとされる――)、潜在的には、フロイト的な回帰理論、抑圧された心理の永続性、持続・反復性を認めているのである。おそらく、それを理論的には排除しているので、「反動」における動きを理念型的に捉えてみようとするような問題自体が発生してこないのだ。

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トッド 天皇家は、直系家族、つまり日本的な「イエ」とは異なる何かです。明治期の法制化で天皇家にも直系家族的な「男子長子相続」の原則が適用されましたが、本来の天皇家のあり方からすれば、あまりにも人工的な措置だったようにも見えます。
磯田 その通りです。天皇家が日本の家族システムと決定的に異なっている点がひとつあります。それは現在に至るまで、婿養子をとったことが一度もないのです。近世以降、日本の家族には二割五分から四割は婿養子が存在します。婿養子をとるのは血縁の継承よりも、家名の存続に重きを置いているからだと思います。…(略)…
トッド (世界的にみると)直系家族は血統が何代も長く続くことには重きを置いていません。血統よりも、プラグマティックに家業の継続性などのほうが重要だと考える傾向にあります。」(エマニュエル・トッド/磯田道史「日本の人口減少は「直系家族病」だ」『文芸春秋』2016・12月号)

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<双系制は、家の血のつながりから独立させる。このことは、柳田がいう固有信仰の特性とも関連する。固有信仰では、父系と母系は区別されず、いずれも先祖と見なされる。しかも、このことはたんに、両方を先祖にいれるにとどまらない。むしろ、先祖を血縁と無関係に考えることになる。たとえば、血のつながりがなくても、何らかの「縁」あるいは「愛」があれば、先祖とみなされる。逆にいうと、養子制度が一般に承認されたのも、このような先祖観があったからである。日本では「遠い親戚より近い他人」という考えが一般的である。それは、祖霊に関してもあてはまる。「近い他人」が先祖となりうるのだ。>(柄谷行人著『遊動論』 文春新書)


トッド 日本はドイツと同じ家族システムの国ですが、ひとつ違う点は、イトコ婚(イトコ同士の結婚)の存在です。ドイツのイトコ婚は、ほぼ皆無ですが、日本では歴史的に許容されてきました。第二次大戦直後でも婚姻全体のうち七・二%です。イトコ婚は同じ親族グループ内での結婚(内婚)なので、社会の閉鎖的・内向的な傾向を示すものと考えられています。…(略)…イスラム世界だとイトコ婚は三割ほどを占めるのに対して、ドイツのようにキリスト教文化圏は内婚を厳しく排除します。そう考えると日本の内婚率は、ユダヤ民族と同じくらいの割合ですね。…」(前掲書)

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<神が人を愛する、というような考えは、呪術や自然信仰から来ることはない。ゆえに、それは先祖信仰から来るというほかない。もちろん、先祖信仰がそのままで普遍宗教となりうるわけではない。そもそも、先祖信仰は限られた氏族の間でしか存立できない。国家社会は、多数の氏族神を超えた超越的な神を必要とする。神の超越化は同時に、祭祀・神官の地位を超越化する。神の超越性は、専制国家の成立とともにさらに強化され、世界帝国はその極に達して、「世界神」が生じる。
 だが、それが普遍宗教かといえば、そうではない。そこには「愛」が欠けている。つまり、神が人を愛する、および人が神を愛する、という関係が存在しない。セム族の宗教、すなわちユダヤ教にそれが存在するのは、そこに、先祖信仰が回復されているからだ。もちろん、それは先祖信仰のままではない。ここでは、先祖信仰がいわば”高次元”で回復されているのである。ゆえに、先祖信仰を否定すれば、普遍的になるというのは錯誤である。>(柄谷前掲書)


トッド …ヨーロッパでも日本におけるのと同じように、直系家族は、数世紀という長い時間をかけて、ゆっくりと定着していったのですが、知識や技術の伝承に長けている家族システムなので、これが広がる過程で社会が飛躍的に進歩します。直系家族とは、継続性と柔軟性を兼ね備えたダイナミックな社会なのです。
磯田 家を継ぐ長男以外は、外に出て仕事を見つけなければなりませんから、直系家族は、近代化に不可欠な工場や軍隊を作るのに、とてもマッチしています。
トッド ところが、直系家族がいったん完全に確立してしまうと、今度は社会全体が継続性だけを重視するようになり、やや「化石」化の傾向に陥りがちなのです。先ほどのスクラップ&ビルドが苦手という話を聞くと、磯田さんは直系家族にあまり肯定的ではないようですが?」


磯田 さらに興味深いのは、組織を守り続ける直系家族社会の中で、”破壊者”の役割を担ったのが、薩摩を中心とした西南日本の勢力だったことです。明治維新を引き起こした革新的エネルギーは、薩摩をはじめ、佐賀、長州、土佐といった中世的な様相を残していた地域から生まれました。
トッド 直系家族というシステムは、核家族がいわば進化した新しい形態なので、それよりも古い原初的な家族システムの残滓が、そうした地域に残っていた可能性もありますね。…(略)…日本の社会が、秩序を重んじる直系家族によって固定化してしまったとき、それを打開するために薩摩の人たちが、あるいは薩摩風の人たちが無秩序というか、フレキシビリティを発揮するのですね。それは直系家族より前に存在した、原初的でアルカイック(古風)な家族システムによるものかもしれません。 
 普段、日本人は非常に規律正しく礼節を重んじる民族ですが、と同時にもっと柔軟で、「自然人」とでも言うべき奔放な側面も併せ持っている気がします。同じ直系家族のドイツやスウェーデンで「自然人」を見つけようとしたら、もっともっと深く地層を掘り返さないといけない(笑)
磯田 なるほど。丸山真男が言うところの「古層」のようなものでしょうか。」

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<私の考えでは、柳田のいう固有信仰は、出自によって組織される以前の遊動民社会にもとづくものである。母系であれ、父系であれ、出自による集団の組織化は、定住段階に始まった、と考えられる。定住とともに、多数の他者との共存、さらに、不可避的に生じる蓄積、そして、それがもたらす社会的不平等や対立を、互酬的な縛りによって抑えるようになった。だから、そこには、愛があると同時に敵対があるのだ。
 ここから見ると、柳田国男のいう固有信仰の背景には、富と権力の不平等や葛藤がないような社会があった、と推定することができる。それは水田稲作農民の共同体ではなく、それ以前の遊動民の社会である。>(柄谷前掲書)



磯田 …普段は遠く離れて核家族で暮らしているのに、このときだけは日本人は直系家族としての意識を取り戻す。帰省ラッシュがなくなったら、日本の直系家族は消滅すると速水先生が言っていたことを思い出します。
トッド つい最近、日本で直系家族的価値観が今もなお保たれていることを実感した出来事があります。十月十二日に東京電力の施設で火災が発生したために、都内で大規模な停電がありましたね。その時、私はちょうど都内のホテルに滞在していましたが、避難する宿泊客たちの規律正しい姿に驚くと同時に、やっぱり、とも思いました。フランスだったら考えられない事態ですよ。これ
は”ゾンビ直系家族”と言っていいでしょう。家族構造がモダン化した核家族になっていても、直系家族の価値観はなくならない。江戸時代、そうしたイデオロギーはまだ発展途上でした。現在のほうがむしろ、より強くなっているのではないでしょうか。
磯田 もっと細かく見ていくと、私は最近、”ゾンビ万葉集”の可能性もあるのではないかと思っています。
トッド 万葉集? それは何年ごろのものですか?
磯田 七世紀から八世紀ですね。フランスだとフランク王国のメロヴィング朝のころでしょうか。
  なぜ万葉集かというと、直系家族から万葉集の時代のシステムに戻ったものがあるからです。その筆頭が、相続の仕方です。長男が総取りするという直系家族的原則がなくなりました。次に、結婚したら妻の親側の家に住むことが増えてきました。特に子どもが生まれてから移り住む人が多くなった。さらに、おおっぴらに婚前交渉をするようになった。万葉集のころは、日本史上、一番性愛に大らかだった時代ですから。
 一方、変わらなかったのは、親を養うという意識です。実際にそうするかどうかは別として、今でもアンケートをとると「親を養う」という直系家族的な考え方は意外と根強いです。あとは、子どもができたら結婚するという考え方。…」


トッド 核家族システムのフランスでは、親を養おうという意識なんて希薄ですよ。婚外子の存在も普通のことですし、片親でも子育てできる社会システムが整っているので、出生率も二・0一にまで押し上げられています。日本では、直系家族の価値観が、ますます少子化を進めていると思います。歴史人口学者として言っておきますが、日本における最大の問題は、人口減少と少子化です。…(略)…移民をもっと受け入れるべきだとしても、根本的な解決にはなりません。今日の日本社会の最大の問題は、直系家族的な価値観が育児と仕事の両立をさまたげ、少子化を招いていることです。家族のことを家族にばかり任せるのではなく、出生率上昇のために国家が介入すべきです。政府が真っ先に取り組むべきは、経済対策よりも人口問題だと考えます。」

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