2016年5月2日月曜日

怪物と反復――柄谷行人の『憲法の無意識』を読む


「ある意味で、現在の憲法の下での自衛隊員は、徳川時代の武士に似ています。彼らは兵士であるが、兵士ではない。あるいは、兵士ではないが、兵士である。このような人たちが海外の戦場に送られたらどうなるでしょうか。彼らは戦わねばならないし、戦ってはならない。そのようなダブルバインド(二重拘束)の状態に置かれています。それは、たんに戦場で戦うのとは別の苦痛を与えます。先ほどいったように、イラク戦争に送られた自衛隊員のうち五四名が「戦力」でなかったにもかかわらず帰国後に自殺したということがそれを示しています。
 すでに明らかでしょうが、戦後憲法一条と九条の先行形態として見いだすべきものは、明治憲法ではなく、徳川の国制(憲法)です。先にいったように、戦後憲法は明治憲法における改正手続きに従い帝国議会で承認されたということになっていますが、そのような連続性は仮構であって、本当は、そこに切断があります。それは「八月革命」と呼ぶべき変化なのです。特に、象徴天皇をいう憲法一条と、戦争放棄をいう九条は明治憲法にないものです。が、それは日本史においてまったく新しいものだとはいえない。ある意味で、明治以前のものへの回帰なのです。」(柄谷行人著『憲法の無意識』 岩波新書)

前回ブログ、田口氏のディドロ論からの「怪物」という言葉を受けて、私は、ニーチェの次の言葉を引き出した。

<怪物と闘う者は、怪物にならないよう注意しなくてはならない。深淵をのぞきこむ者は、深淵にのぞかれているのだ。>(『善悪の彼岸』 引用文は私の記憶による)

それはもう一つの、ニーチェの箴言を引き連れてくる。(引用文は記憶により、文献名は忘却、『権力への意志』だったか?)

<攻撃的人間は、己を襲撃する。>

「攻撃的人間」とは、自然を「怪物」と認識でき、自らを「怪物」と化して自然の深淵の縁にたち続けてそれを覗き込む、認識しつづけうる者である。そのとき、その者の「攻撃」は、自分自身の内へと折り返されている。……そうみれば、この「怪物」とが、攻撃欲動(=死の衝動・タナトス)の内向化としての強迫反復を人間の根源的な原理性の症候とみた、フロイトの精神分析に基礎を置いた柄谷氏の上の論理と重なってくることが明白になるだろう。自衛隊員は、自然の遷移のなかで里におりてきて、己に敵意をむき出しにして出没するケモノたちから農作物を確保しようと設けた電気柵が、図らずも部外者を殺してしまったことを苦に自殺してしまった最近の過疎地の村民に似ている。なるほど、それは多数者ではない。この自衛隊員54名の自殺という数を、客観的な統計計算で処理すれば、10万人中1年平均の自殺割合は33人ちょっととなって、日本での一般的平均数値とほとんどかわらず、年平均が50人近くとなる農林業関係者の自殺割合と比較したら、低くなるのだろう。しかし、ディドロ的、あるいはエピクロス(マルクス)的な実践態度からすれば、そのような客観視な態度とは、自然(現実)を解釈しているだけである。私たちは、その1名の農民の自殺から、54名の自殺から、その具体的な経緯とともに、衝撃を受けないだろうか?(常識的に考えれば、農林業従事者の自殺は高齢の生活苦からくるだろうが、給料をちゃんともらっているはずの隊員の自殺が、純粋にメンタル的苦痛からくるだろうことは想像できる。ならば、数字的な比較も意味がない。)―― 「それが普通(平均)じゃん」とその数値を自分に言い聞かせても、それが「自己の平安」をかき乱していることを解決してくれるだろうか? 心に発生したわだかまりを、解消してくれるだろうか?

あのイラク戦争のとき、私は赤ん坊だったイツキをバギーに乗せて、反戦デモに参加したことがある。そのとき、バギーにくくりつけた幟(のぼり)には、「自衛隊員を見殺しにするな!」と書かれていた。女房からは、それじゃ戦争に賛成しているんだか反対しているんだかわからないからやめにしてくれ、と苦言されたが、それがあの戦争に対する私の一番の気持ちだった。日常的には死ぬ確率は私の方が高いかもしれないが、通行人の真上で作業しているのにもかかわらず誰にもきづかれないようにして(通行人の)安全確保し、それでも落下し、死傷していくのは悲しいもので、植木屋として自衛隊員の境遇は他人事ではなかった。「誰かやめにしてくれ、戦争にいかせないでくれ、俺は仕事だからいかねばならない、だから誰か止めてくれ!」私には、そんな少数者の中の多数者の声が聞こえてくるような気がした。自殺してしまった隊員は、その緊張に耐えきれず、自然の深淵に落下してしまったのだろう。この現実を、統計的に処理できるのか? してよいのか?

柄谷氏は戦争に反対している。「現在の新自由主義的段階も、やはり戦争を通して終息する蓋然性が高い」が、「それは最悪のシナリオです。現在の状況は、世界戦争を経なければ解決できないというわけではありません。真の解決はむしろ、世界戦争を阻止することによってこそもたらされるものだと思います。その場合、日本がなすべきでありかつなしうる唯一のことは、憲法九条を文字通り実行することです。」「形の上で九条を護るだけなら、九条があっても何でもできるような体制になってしまいます。」だから、「最もリアリスティックなやり方は、憲法九条を掲げ、かつ、それを実行することです。」――なるほど、それはよろしい。国連や世界的な場所で、明日から、今日から九条を実行する! と、総理大臣なり大使なりが、宣言したことにしよう!

私が、たとえば中国の政策立案の地位にいる者だったならば、そんな日本の宣言を受けて、どう考えるだろうか? まず、こいつらが本気かどうか、確かめるだろう。その行動は、なお軍隊を一番強く持っている時のほうがよい。九条(武装解除)を実行に移すにせよ、一気には物理的に無理なので、時間差がでるはずである。その差を利用していこう。だからまずは、軍隊が減縮されるまえに、とっとと尖閣諸島を占拠してしまおう。国連には、日本が宣言を出す前に我々の当然な主張を実行すべき計画されていたことで、それを粛々と履行した事務的作業だと言っておこう。日本に賛同する弱小国が少しづつでてくるだろうとしても、そのスピードも緩和させて、時間稼ぎができるだろう。もし日本が軍隊を送って牽制してこようものなら、あいつらの揚げ足をとって、あの宣言の意味を骨抜きにしてやろう。そして日本が我慢して、なお平静を保つなら、次はフィリピン海域に近いシーレーンを封鎖して、無断通行する船舶から通行税払えとちょっと脅してみよう。同盟国たるアメリカが介入でもしてくるなら、北朝鮮を動かして、日本の港に無断で船舶交易させ、それを警察力で阻止しようものなら、テロ的な事態と、ミサイル攻撃もあるよ、と脅させてみるのもいいだろう。北朝鮮船員が死傷でもしたら、民間人の安全確保のためと、日本海側のどこか離れ島を占領させてもいいかもしれない。ロシアも北方領土問題あるから、介入させようか? そうすれば、アメリカには、沖縄だけでなく、北海道にも基地があったほうがいいんじゃない、自衛隊の基地をそのまま使ってもらえば、とかこちらに取り組む懐柔策も打てるかもしれない。そうでなくとも、九条なんか実施しているなと日本に圧力をかけてくれるだろう。そうなれば、東アジア地域において、利益配分できる軍事的安定もそれなりの期間稼げるかもしれない。日本が九条を文字通り実行してくれるなら、まさにその間戦争せずとも、侵略せずとも、バランスがたもてるな。そういけば、その過程で、日本になびくかにみえた国際世論は、驚きから称賛にうつる前に、傍観者になってくれるだろう。……

まあ要は、沖縄からアメリカの基地だします! と宣言したあとの鳩山首相の顛末を想起しておこう。なんで、あんな体たらくに、いとも簡単に、なってしまうのだろう?

柄谷氏は、終戦後の「八月革命」(ポツダム宣言授受)を、徳川体制の反復に結びつける。戦わ
(え)ない兵士の平和な世界の反復実現。が、豊臣から徳川へと継承された去勢たる刀狩りなど、実質的には実現されなかったのである。ただそれは、「象徴的な」意味、方向づけはもった(2011.12のブログ「テクノロジーとカタストロフィー」・「この日本で、誰ができるだろう?(中上健次と民衆」)。その限りでは、柄谷氏の歴史認識の枠が正しいとしても、その実質が実現されたのは、「八月革命」(他人任せ)によってのみで、江戸時代からの農民は(兵士ではなく)、武器を隠し持っていた。だから、武士といえど、その自治区にはそう容易には介入できなかったのだ。明治期においてさえ実はそうであって、そうした庶民の封建的な独立自尊のメンタリティーが個人内でも解体されてしまったのは、戦後においてであり、反復ではない。形式(憲法)的反復と、実質的な反復の差異。つまり、私たちは、もはや、徳川憲法の反復を、実質的には、できなくなっているのではないだろうか? 武士(自衛隊)的なレベルではなく、それへと暗躍的に抵抗する庶民位相の欠如が、「革命」によって実現されてしまったあとでは。その「革命」が他人本意であったことは、私たちから、封建と官僚の実践的区別という経験知を奪っていないか? 徳川の平和とは、武士は情けなくなっても(官僚になっても)、庶民が健在だったことから保たれていた均衡である。だから、次の明治維新では、武士というよりもその下層階級から、世界と戦っていける人材も生まれたのだ。あるいはただの漁民でも。一方、私たちはどうなのだ?

私は、この形式的な反復における実質的な差異の問題把握を、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」の論考にみる。特殊利害(柄谷氏のいう中間団体)にもなってしまう封建的な独立自尊の精神が、「革命」によってどう変容し官僚化されてしまったのかを、歴史的というよりは構造の内側(内実)の変移・移行といった経緯として分析してみせるそのヨーロッパでの過程(個人化、いわゆる人権の普及)は、戦後にこそあてはまるように私にはみえる。柄谷氏はちょっと前まで、去勢されて人権化された個人を、封建的なメンタリティーから批判していく傾向があったが(封建―民主としての文字通りな系譜を実装するアメリカ民衆個人の武器保持、その下剋上精神をそれゆえに認める発言もしていた――)、いまはそう落とし込まれた集合無意識の力の方に力点を置いているように見える、のがこの『憲法の無意識』である。しかし、私は、その日本の力を当てにすることはできない。疑っている。かつて柄谷氏は、形式主義者の悲哀として、スイングの型を覚えても実際のボールは打てるようにはならない、と認識披露していたが、私は今もそうおもう。9条実践、やってみればいい。口で言うのは、簡単だ、バカならできるだろう、国連だろうがどこだろうが。が、自分たちの今もっている力能を把握して、その後どうなるのか、だからどうしていくのか、その持続的な緻密な準備なくしてやることは、その9条ゆえに、より悲惨というより惨めな結果になるだろう。問題なのは、それを実質的にできる人材がいるかどうかなのだ、そういう子供たちを、私たちは育成できているのか、ということなのだ。子供にサッカーを教えるにも、封建と官僚の実践的区別が経験(歴史)的にできていないことから、インサイドキックを型から教えるか遊びから入るか、とコーチ間で議論沸騰してしまう。しかし、無意識(構造)に任せていること、その型への信頼(反復)は、単に空振りに終わるだけであろう。そしてこの混乱は、実践的なレベルだけ、ということではない。マルクスが、「生みの苦しみを和らげることができる」というとき、それは理論的なレベルの話である。その理論レベルの軽薄さが、この九条問題にも表れているだろう。もっと詰めなくては、自衛隊員は、「二重拘束」のまま死んでいくのだ。苦しみが和らげられることもなく。空念仏で、人が救えるものか? 九条をもって打って出るとは、準備なしでの無手勝流(=「盲目の中の洞察」=「自然の狡知」)という戦争後の結果任せ、ということでは済まない、むしろ「自然の狡知」という事後的現実の事前的な理性的・意識的使用という二律背反(「二重拘束」)を超えていく意志が必要になるのである。そんな覚悟が、私たちにあるか?

ならば、今の私が、自衛隊員に言えることはなんであろうか? ――<怪物と闘う怪物になれ! そして、怪物は己を襲撃する。自殺で、いいんだ。>……「交換A」(互酬と贈与)たる部族社会の首狩り系譜にある切腹の気概を、集団的な形式の実質(「交換D」)として導くこと、9条とが、サムライ精神の集団的な表現――漱石の言う「明治の精神」とは、実質的な「江戸の精神」であろう――であることの、理論的な道筋であることを論証すること。私たちがヒトとして本来もっている力は、その時々の形式によって、弱まりこそすれ、なくなりはしないだろう。しかし子供のやる気を引き出すのと一緒で、それには丁寧で根気のいる持続的な時間を必要とするだろう。

最後に、マルクスの上指摘の文章個所を引用しておく。

< 謎は簡単に解ける。
 政治的解放は、それと同時に、国民にとって疎遠な国家政体、つまり王侯権力がその基礎を置いている旧社会の解体でもある。政治的革命は市民社会の革命である。それではこの旧社会とはどんな性格のものだったのだろうか? 一言で言えば、それは封建制であったと特徴づけることができよう。古い市民社会は、直接に政治的性格を帯びていた。つまり、たとえば財産、家族、労働様式といった市民生活のさまざまな要素は、領主権とか身分とか職業団体といった形をとって、国家生活の要素へと高められていたのである。こういった要素は、そういう形で、個々人の国家全体への関係、つまり彼らの政治的関係、さらに言えば、彼が社会の他の構成部分から隔離され排除されている、そういう関係を規定していた。というのは、上述した民衆生活の組織化は、所有や労働を社会的要素へ高めるのではなくて、むしろ国家全体からの、その隔離を完成させ、社会の中に特殊な社会をつくり出したからである。とはいえ、市民社会のさまざまの生活条件は、たとえ封建制という意味であったにせよ、いぜんとして政治的だった。それらは個々人を国家全体から閉め出し、国家全体に対する彼の所属団体の特殊な関係を、民衆の生活に対する彼自身の一般的(allgemein)関係に変えるとともに、個々人の特殊な市民的活動や状況を彼の一般的な(allgemein)活動や状況に変えてしまった。他方こういった組織化の帰結として、国家という統一体、つまり国家という統一体の意識、意志、行動、つまり普遍的(allgemein)国家権力の方も、必然的に同じような仕方で、民衆から切り離された支配者とその家来たちの特殊な仕事になってしまっていた。
 この支配権力を打倒し、国の仕事を人民の仕事へと高めた政治革命、政治的国家を普遍的仕事として、つまり現実的な国家として建て直した政治革命は、共同存在という在り方から人民を引き離してきたすべての身分、職業団体、同業組合、さまざまの特権といったその分離の表現形態を粉砕した。それによって政治革命は、市民社会の政治的性格を廃棄したのである。それは、市民社会をその単純な構成部分に分解した。つまり一方では個々人に、他方ではそういう個々人の生活内容である市民的状況を形づくっている物質的、精神的要素へと分解した。政治革命は、いわば封建社会のときにはその各種の袋小路へと分割解体され、散らばっていた政治的精神を解き放った。つまりそれは、散らばっていた政治的精神を結集し、市民生活との混交から解放し、共同存在の領域として確立した。そこでは政治的精神は、市民生活のあのさまざまな特殊な要素から理念上独立した普遍的な、人民の仕事となっている。特定の生活活動や特定の生活状況は、たんに個人的な意味しか持たないものに格下げされてしまった。それらはもう国家全体に対する個人の普遍的関係を規定するものではない。公的な仕事そのものがむしろ各個人の普遍的な仕事となり、政治的機能が各自の普遍的機能になった。
 しかしながら、国家の理念主義(イデアリスムス)の完成は、同時に市民社会の物質主義(マテリアリスムス)の完成である。政治的軛を脱することは、同時に、市民社会の利己的精神を縛りつけていたさまざまの絆を振り払うことでもあった。政治的解放は同時に、市民社会の政治からの解放、普遍的内容を持つかのような見せかけ自身からの解放であった。
 封建社会はその基盤へ、人間へと解体された。ただしその場合の人間とは、現実にその基盤をなしていた人間、つまり利己的な人間にほかならない。
 こういう人間、市民社会の成員である人間が、今や政治的国家の基礎である。そういう人間が、政治的国家によって、各種の人権に関して承認されているのだ。>(「ユダヤ人問題によせて」『マルクス・コレクションⅠ』 筑摩書房)

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