2023年3月2日木曜日

石を拾う

 


「外の自然と相似的にミニチュア化された「もう一つの自然」を提示するとき、盆栽では植物の自然の成長に手を加えて、枝の形を針金を使って不自然にたわめたり、切り縮めたりすることによって、植物をいわば「奇形化」させる操作をおこなう。この操作によって盆栽芸術は、ミニチュア化された「自然の怪物」を、意識的に作り出そうとしている。」(「ミニチュアの哲学」『今日のミトロジー』中沢新一著 講談社選書メチエ)

 

枯れた葦などの茂みの向こうで、静かに餌を探しながら川面を泳ぐ白鳥の群れのわきで、こちらは石を探しながら、河原を歩いていた。日が長くなり始めたと感じられる朝はまだ早く、明るくはなっていても、陽は昇っていなかった。4年ほどまえだったかの台風で、堤防が決壊しそうになるまでの川の氾濫があったから、河川敷のグランドやキャンプ場を守るためなのか、土手の内側にさらに砂利をもった護岸工事が始まっていて、河原はすでに重機で均されていた。大き目のショベルカーが、盛り土した台地の上で、長い腕を下ろして休んでいる。

石を探してみようと思ったのは、駅前でお寿司屋を営む「おかみさん」(従業員の若い娘さんたちはそう呼んでいた)から、駐車場の片隅にできた植え込み地を見栄え良くできないかと、庭仕事の依頼があったからだった。おそらくお客から頂いたであろう植木の土を、アスファルトの上へ撒いたりしているうちに出来てきた一角のようだった。お茶の花のような形をしているが、白ではなく紅色をした小さな花をつけた椿が植わっていた。根が深く伸びようがないから、車の停まる方へと傾いて倒れてきてもいた。土を入れ替えたら、という「おかみさん」の意見もあったが、それでも、植え込みを何かで囲わなくては、土は雨で流されてゆくばかりだ。女性でも持てるくらいの自然の石が、いくつか土留めと置かれていた。駐車場のフェンス回りには、黒っぽい鉄平石のようなものが柵のようにして細長い植え込みを作っていて、蘭らしきものが植えられている。ならばフォーマルにと、木曾石でも使おうかとも考えたが、少し値もはるし、すでにあるものと調和させたほうがいいだろう。しかし、もう庭石など扱う庭など流行りでもないから、石屋さんに見に行っても、売れ残りというより使い残りのような、灰褐色のいかにもな玉石のたぐいしかないような気がし、ネットで調べても、マニュアル的な石積みにしかならないようなものばかりで、こちらの想像力を刺激してこない。というわけで、実家帰りのついでに、子供の頃からの散歩道である河原へと赴いたのだ。

しかし、敷き均された河原は小石ばかりで、土留めに使えるようなものはない。河川敷のグランドの側溝には、台風で川が溢れた際のままの玉石が転がっていて、その使えそうないくつかも拾っていく予定にしたが、まだ小振りすぎる。諦めかけていたころだった。足元に、白い輝きがみえる。砂地に頭だけをのぞかせているだけだが、掘ってみれば、それなりの大きさなのではないだろうか。そして洗えば、おそらく蝋のような白い透明な輝きをみせてくれるのでは……とそう確認してみようと、まず試しに、足で石の周りを蹴ってみた。いける、取り出せる、手で運んでいける。石が少しぐらついたところで、両手でつかみ、穴から引きずり出し、地面へと転がした。白い石をなでながら、その顔(ツラ)となる面を探し、天端にもできる平のありか、底にしても安定する広がりを確認した。が、もてない。重いのだ。しかも素手では、すべってしまう。なんどか持ち上げようとしたが、そのうち、川で石を拾うということが、いけないことのような、ばからしいことにも思えてきた。私は石を捨てて、家へともどった。

 

いまその石は、千葉の我が家の庭で、他の川石とともに、シートに包まれている。来週、作業に入る予定だ。いったんは捨て置いた石だったが、なぜか諦めきれず、翌日、河川敷グランドまでは車でゆき、そこから河原の際までは台車で、台車までの100メートル近くの河原の中は、ゴム軍手で滑らないようにして、休み休みしながら、体に抱え込んで運んだ。しかし自宅にもどって、試しに石を組み並べてみると、まだ大きいのがいくつかないと強弱リズムがつかず、数も足りない。すると、高校の頃、一緒に野球をしていた同級生が亡くなった。その葬儀と火葬のために、また、実家の群馬へともどった。護岸工事がだいぶ進んでいるとはいえ、もしかしたら、関越高速道の橋の下ならば、いい石があるかもしれないと、探しにいった。透明な輝きをもった火成岩がないかと。雨の流水でえぐれた水道の縁に、土留めの玉石として手ごろな大きさのものが、ごろごろと堆積していた。

 

拾ってきたものに値をつけるわけにはいかない。設計料として、石拾いの手間賃をつけて見積もりし、「おかみさん」から了解をもらった。

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不思議な話だ。父の四十九日が済んだ翌日の今日、このブログを書いている。冒頭引用の中沢新一氏の著作などを今読んでいて、その不思議さを書き留めておこうと思ったのだ。

 

私はいつも年はじめ、初夢のことをこのブログで書き留めてきた。が、東京を離れ、女房の実家で仕事を独立しはじめたばかりの私には、どこかそんな余裕がなくなった。が、ふといま、自分が私の夢を生きていることに気付いたのである。

私の夢の多くは、水であり、洪水である。このブログを書き始めて何年もかけて、その洪水に呑み込まれていくことはなくなってきていた。むしろ、その川に飛び込み、泳ぎ、立ち向かう姿勢さえ見れるようになった。そして、水が引いていったように、もうそんな夢は見ないようになっていった。

4年ほど前の台風のとき、母を、避難させるかどうか、迷ったのだった。避難勧告がでていたそうだが、そうはしなくて大丈夫、と私は実家に意見した。そして女房の母が亡くなったとき、その火葬するさい、まだ骨になるには間があるからと中学生だったろう息子は散歩にでかけたのだった。骨拾いの時間が近づいても戻ってこないので、探しにゆくと、近くの公園の水辺にたたずんでいた。「白鳥が、近づいてきたんだよ。」その時の不思議さも、このブログのどこかに書き込んだだろう。私は白鳥の傍らで、輝く石を取り出した。私は死の傍らで、生=子供を拾い上げたのではないだろうか? そして助けた亀に連れられて竜宮城にいった浦島のように、不思議なファッションで身を包んだ女性たちが舞うお寿司屋へ、その光り輝く子供によって(を持って)届けられに行く(届けに行く)のだ……

 

私は初夢を、現実に生きはじめさせられているのだろうか?

 

*冒頭引用の中沢氏の「怪物」引用は、上の事態を理論的に整理していくためのヒントとしてである。ひとつ前ブログの岡崎乾二郎氏の「怪物」とは、自然に遍くあるだろう差異の資本としてのあるいは国家としての増殖支配を批判する形象としてだが、岡崎氏の立場はそうした自然がある「だろう」、という両義的な位置である。たとえば、<21978×487912 のような計算結果の数の並びに、なにか生き物が行進していくような具象性を感じるのは、この計算と計算結果が示す対称性(鏡像反転)に、人間も含めた生物が共通して持つ最大の特徴である対称性を見出すからなのか。(『絵画の素』「水のヘンテコなもの」)>と、それが在る、とは断定しない。中沢氏は、在ると断定する。そして柄谷行人氏は、否定する。そう、構造的に前提とすべきことではなく、一回性においてしか無い、そういう反復としてしかない、と。が、その一回性を踏まえるのならば、在ると前提しようと、無いと前提しようと、同じことである。そう前提することによって、何を明確にしたいのか、その理論的必要性の真実性が問われるだけだ。(量子力学的にいえば、波は無であるが、何を明確化したいのか、位置なのか運動量なのかを決めて観測すれば、その時だけ、物質的に真実が垣間見える、つまり確率的には知り得る、ということ。)そして柄谷氏は、そこ(自然=エス、とここでは言ってもいいだろう)から、「自然の狡知」として、超越論的自我が、具象的には「国連」が必要だ、とメタ(高次元)運動していく。しかし私からすれば、むしろそうした思考運動は、ヘーゲルの精神現象学的なABCD…絶対精神への高次元衝迫のようなものが、現今の世界を産み出し過激に回転させているのであって、それを防いでいくものではない、と、今回のウクライナ事態をみて推論せざるをえない。となれば、岡崎氏や中沢氏は、そのエスの中をどう泳いでいくのか、の技術や知恵を掬いあげようとしている、その理論的必要性の方にこそ、私には是がある、と判断する。だから、「国連」といったメタレベルは、なお国家的現実性が強いのだから必要不可避だとしても、暫定的なものでしかありえない、というのが、私の今の認識である。

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