・1996年12月12日 バレエ・モダンダンス合同発表会 豊島公会堂に、江原朋子先生のダンスカンパニーのメンバーとして、いく子は参加している。
髪を短くし、生き返ったような彼女の姿を見ることができる。ほっとする。この年に、KRAS
WORKSHOPに申し込み、そこで、亡くなるまで関係が続いた気の合う友人たちと出会えたことが、彼女を救ったのではないかとおもう。
上公演よりの、いく子出演のものをアップする。
(1)「ずれ」……そのタイトルは、現代思想的なものを予想させたが、たぶん、そうではなく、3人での演舞のうち、いく子のダンスがずれている、ことから命名したのではないかとおもわれる。いく子が、練習に熱心でなく、振り付けをきちんと覚えられないから、先生がならば、とそのへたくそ自体を取り入れて、口達者ないく子自身への皮肉か、あるいはそれを超えた太っ腹なユーモア、諧謔として、この舞台を作ったのか、と思った。が、この公演の最後は、また「江原組」のダンスで終わるのだが、それを見ると、そうでもなく(つまりいく子もちゃんと踊っている)、「ずれ」に参加した3人のメンバーのアイデア、ならばとくには、いく子自身の、自虐ネタ、とも考えられてくる。
※ なお、YouTube上の領域を、スマホから直接アップロードすることにしたため、以後の録画は、ダンス&パンセ2、として新しい場所へ移行する。
1996.12.22バレエモダンダンス合同発表会「ずれ」 (youtube.com)
(2)宴(うたげ)……いく子やひはるさんを含めた、江原組の先鋭部隊になるのか、の群舞。
1996.12/22 バレエモダンダンス合同発表会 豊島公会堂「宴(うたげ)」 (youtube.com)
(4)フィナーレ……公演終わっての、幕前での皆での挨拶。いく子の笑顔をみられる。結婚当初、江原先生とも少し話したことがあるが、彼女の父親は、神田の鳶の棟梁だったそうである。そしてその父は、一度も自分のダンスを見にきてくれたことはなかったという。いく子の父も、私とのやり取りのなかで、いく子のダンスを、あんなもの、と言っていたように記憶する。が、彼女たちは、自分たちを、「組」で呼ぶ。いく子には、おそらく、その男性性が、馬に合ったのだ。深谷正子先生とも、脱会したあとも、やりとりがだいぶ続いたようだ。そして先生方は、口達者ないく子をうさんくさがっていたと思うが、決して「切断(柄谷用語)」しなかった。そんなダンス界の、懐の深い先生方に、いく子を私のところまで、無事とどけてくれたことに、感謝の念がこみあげてくる。
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