2024年1月21日日曜日

戦争


 『The last day of the Caverna, Latin restaurant and disco in Kabukicho, Shinjuku, Tokyo, Japan.

 

 そうタイトルを打って、英文と日本文のものを投降してみたのだった。

 

I want to appeal to the Ukrainian people. Everyone knows that the Russian Putin has begun to invade this time. So you can surrender with confidence. In the past, the Japanese also fought a thorough fight to prolong the war, and as a result, indiscriminate carpet bombing and two atomic bombs were dropped. I don't want to see other people like that again. On TV, a Ukrainian grandmother sadly says "Surrender to Russia will kill all lives, not just our territory.” It was once thought that if the Japanese surrendered to the United States, the men would be killed and all the women would be raped. But that didn't happen. If we had surrendered earlier, many people's lives would have been saved. But Ukraine is still in time. Please survive. Surrender to war is neither the end of life nor the loss. The fight continues. Endure the intolerable, and survive. Please.

私は、ウクライナの人々に、訴えたい。今回、プーチンロシア側か、いっぽう的に侵略をはじめたのは、みなが知っている。だから、自信をもって、降伏してください。かつて日本人も、徹底抗戦して戦争をながびかせ、その結果、無差別絨毯爆撃と、原子爆弾を二つ、落とされた。もう二度と、他の人々に、そんな目にあわせたくありません。テレビでは、ウクライナのおばあさんが、ロシアに降伏したら、領土を失うだけでなく、みな殺されてしまう、と嘆いていました。日本人もかつて、アメリカに降伏したら、男は殺され、女はみなレイプされるのだとおもわされた。が、そんなことにはならなかった。もっと早く降参していたら、たくさんの人の命が助かった。しかしウクライナは、まだ間に合う。どうか、しぶとく生き抜いてください。戦争への降伏は、人生の終わりでも、負けでもない。闘いは、つづくのです。耐え難きを耐え、どうか生き延びてください。

 

 

私は思い出す、もう二十年近くまえになるだろうか、東京は新宿の、歌舞伎町にあったラテン・レストラン&ディスコを店じまいした日のことを。

 

経営者はフランス女性で、店長はペルー人、そして日本人の私が保証人だった。

 

歌舞伎町は、日本でも一番の歓楽街であって、私たちは、南米や中東からの客を相手にしていた。街は、暴力団がしのぎを削る場所だった。みかじめ料として、その組織の一つに支払うことが慣例だった。

 

正月の注連飾りを購入するのも、そのひとつだ。集金しにきたヤクザと、「新宿で植木職人やってる俺が保証してるんだから、それは要らない。必要なら、自分で作れる。」と言ったことがある。もちろん、慣例をやぶることはできなかった。

 

あるとき、イランの男たちが、アラビアン・ナイトの物語にでてくるような刀を振り回して喧嘩しはじめることがあった。集金しにくるヤクザが呼ばれたが、「見てるだけ」、と経営者は怒っていた。バーテンをしていたコロンビアの男性が、白刃取りでつかんだというエピソードもある。私も、カウンターの下に隠してあった、没収された刀を見せてもらったことはあるが、そうした事件に出くわしたことはない。

 

店は、10年近くは続いたのだろうか。なお日本はバブル経済の余波があったころだ。しかし、たくさんあったラテン系の店も減っていき、とうとう歌舞伎町では、私たちとヤクザの経営する店だけになっていた。客層が、中国人に変わってきていたのだ。

 

ヤクザの店と一騎打ちのような形になった私たちの店には、いろいろな圧力がかかった。私たちの店にいったものには、罰金が科せられたりした。

 

そうしたある日、経営者から電話がかかってきた。「店を閉めようとおもいます。ヤクザには、何も言っていません。だから、暴力、あるかもしれません。彼らがお金を取りに来る日に、やめます。」

 

私もその日、店に行くことにした。日本語のできる日本人がいたほうがいいだろう。店では、経営者のフランス女性や、ペルー人の店長がいた。彼とは、夜の荷物担ぎの仕事での仲間だった。DJでもある。食事を作っていたペルー人のおばさんや、コロンビアの青年がいたのかは、覚えていない。

 

フランス女性は、モップをもっていた。「これで、彼らにも、お掃除をしてもらいます。」

 

私は、ソファに座って、待つことにした。一時間たち、二時間たっても、ヤクザは現れない。いつしか、私は寝入ってしまった。目を覚ますと、フランス女性が言った。「やっと起きましたね。あなたが寝てたので、ヤクザは店にいれませんでした。道路で、話をしました。もう、終わりです。」

 

朝までには、まだ間がある時刻だった。

 

私たちは、降伏したのだろうか? 一騎打ちに、負けたのだろうか? そうかもしれない。彼らは、銃を持っている。私たちは、モップを持っている。だから、どうしたというのだ?>

 

フェイスブックの友だちには、英語圏のものはいなかった。南米、フランス、そしていつからか、中東、アフリカの人々とつながることになっていった。もともとは、日本での仕事で知り合ったペルーの男や、彼らと結婚し一緒にペルーの方へ帰っていったコロンビアの女たちから、これで連絡がとりあえるから入っていてくれ、と頼まれて、わけのわからぬまま、彼らの招待メールに応答したのだった。日本が不景気になるにつれ、永住ビザを持っていた日系の者らも、日本にとどまる選択をしなかった。そんな彼ら彼女に向けて、というより、彼ら彼女を通して、ネット上の世界に訴えたのだった。

 正岐は、何が言いたかったのだろう? 振り返ってみると、正岐は、ロシアの大統領であるプーチンのことを、一番に心配していたのではないかと思い出されてきた。引き続いたフェイスブック上の投稿では、プーチンはクレムリンに原子爆弾を落とすだろう、と訴えた。そう想像されてくる覚悟は、正岐には、個人的なものというより、人類的な衝迫に由来するように思われた。日本人の玉砕という思想も、たとえその作戦が実際には、指導者が己のプロとしての無能さを合理化するための拙い考えで行われたとしても、生き物総意としての意志が蛇のようにのたうったのだと思えるのだ。侍の切腹という気概や儀式が、単に個人的な意志によるのではなく、人々が狩猟を営んで暮らす太古の時代から引き継がれてきたもののように。獣のはらわたを白日の下にさらして己の潔白を示したいという作法は、いつしか己自身のはらわたをさらけ出す行為にかわっていった。ロシアの作家のドストエフスキーは、日本に残ったその切腹のあり様に興味を持って言及している。作品『白痴』でのそんな逸話と、プーチンを通して垣間見えてくる覚悟のような訴えが、正岐には重なりはじめたのだった。プーチンと何度か会ったことのあるアメリカの研究者は、プーチンはドストエフスキーの小説に出てくる主人公のような人物なのだと評していた。世界に躍り出たそんな主人公に、本当に、人類自身を破滅させるような意志を実現させていかせていいのか? 腹を切れ、と迫っていいのか?

 日本でも、若者たちが、同じような衝動にのたうち始めたような事件があいついでいた。秋葉原での歩行者天国に車で突っ込んでいった通り魔事件、京都アニメーションの放火事件、大阪の精神科への放火事件、東京は京王線での放火事件、東大入学試験場まえでの殺傷事件……それらは、心理学的な用語でなのか、「拡大自殺」という言葉でくくられてもいた。彼らは、特別なのだろうか? 正岐自身、バブル期、大学は出たけれど、とアルバイトの生活に入りながら、そのような衝迫を世界に向けていなかっただろうか?

「俺だって、」と慎吾が島原の言葉を受けついだのだった。「追いつめられたうえ降伏もできなかったら、やるしかないって、やるときはやるって、やるさ……」そしてまた押し黙った。

「で、やれなかった、と。」 島原が軽蔑したような目を、慎吾に向けた。「おまえの釈明を聞いてやってもいいから、俺はおまえを呼んだ。しかしおまえ個人の釈明など、どうでもいい。日本は、日本人は勝ち目のない戦いを世界へとのぞんだ。戦わなくても屈従される、戦っても屈従させられる、しかし、戦わなかった者たちは忘れられるが、戦った者たちの記憶は残り、その戦で負けても、また未来の若者たちがその記憶を根拠に奮起する、それが歴史が示していることだ、だからいっときの負けに屈従しても、戦って負けるべきだ、そう日本軍の参謀は戦略したというA級戦犯者の記述がある。しかし、原爆を落とされてもなお徹底抗戦をつづけたとしたら、どうなっていたんだ?」

「それこそ、一億総玉砕じゃないか。」 慎吾が島原を睨み返して言う。

「そんなのは物理的に無理なんだよ。」 島原はつづけた。「一億人の死体が日本列島を埋めるだって? 訓練もされていない民間人が、刺し殺し合えるのか? 生態的にだって、みなが同じ考えと行動をおこせるなんて前提にできないだろう。ハチやアリンコに分業があるようにな。だからいずれ降伏になる。その意志があろうとなかろうと。いや降伏の意志をも示さなかったから、結局は、朝鮮半島みたく分断されたうえで、しかもクニはなくなり、ソ連と合衆国の領土になっていったのが現実的な落ちだろう。いまのウクライナだって、そうなる可能性があると言われているしな。」

「いまのウクライナの人々は、まるきり被害者じゃないか。日本人は、自分からやってしまった者じゃないか。……俺は、加害者になるのが怖くてやるのをやめたんじゃない……」   ウーロン茶の入ったグラスを両手でつかみ直して、下を向いて、慎吾はじっとみつめた。

「原子爆弾をはじめ、いまの科学技術がおおった世界のなかで、加害者と被害者の区別がありうるとおもうか?」 島原が、見下すように慎吾に言う。「ウクライナ頑張れ、って戦争に加担し、その戦争でどっちの国の者だろうが殺し合い、よその国では餓死者がではじめ、内戦がおき、因果の複雑さは露わになる。ネット上の不備が、いつ世界じゅうの現実をおびやかすかもわからない。健康のためにと打った薬が、時限爆弾のように体をむしばんでいくのかもしれない。ゴミとなった人工衛星が、いつ空から降ってくるのかもわからない。スマホをいじってた誰かちゃんにそのゴミが当たったら、その誰かちゃんは、被害者なのか? 世界頑張れ、って応援していた者なんじゃないの? 問題起きても当社は責任おいませんっていう契約書にサインして、みんなが片腕だして薬漬けになっていったんじゃないの? 誰が責任を負い、負えることができるんだ? 小さきものたちの一挙手一投足が、世界とつながってしまっているんだぜ?」

「で、だから、何が言いたいんだよ?」 慎吾がいらついたように顔をあげた。「俺は、やってないんだから、責任なんてないさ。いや、それでも……良心の呵責ってものがあるだろう? おまえにそそのかされたからって、俺は、被害者面なんて、したくはないさ。でも、加害者じゃないけど、けど……」

「もう終わってゆく世界を前に、加害被害もないだろう。」 時枝は手にしていた焼き鳥の串を皿にもどして、ビールを一口飲んだ。「全員が死んでゆくのに、なお責任がどうのこうのと争っているのは、意識が近代空間に残ったまま、ということではないのか。」

「おっ、」と島原が合いの手を打つように、声をあげた。「お得意の『世界史の抗争』か? いちおう、読んでやったよ。印税で、貢献もしてるぜ。」

「それはどうも。」と時枝は応じた。「しかし中世の人々が今の世の人々とは違う世界を見ていたように、世界が変わるということは、ありうることだろう。世界の見方が変わるだけで、世界自体は変わらないじゃないか、とカントみたく言う人も出てくるだろうが、人が生まれながらにして生き方が変わってしまう、とはしばしばあることだ。神秘体験から回心した宗教家をはじめ、UFOから降りてきた宇宙人に会って人生が変わってしまった人もいるし、読書体験が、その人の生き方を変えてしまう場合もある。その場合、単に、見方が変わっただけ、とは言えないのではないか?」

「ああ言えないよ言えない。」 島原がおしんこを串でつついて、やけになったように言い返す。「おまえの話はあれだな。」と串でとったおしんこを口にもっていった。「イエス・キリストだよ。迷える一匹の子羊みたいに、やけに具体的な喩え話がやってくる。が、神じゃないぜ。悪魔の救世主。あくまで、現実的な解でなくちゃいかんよ。小さき人々は、パンを欲しているんだからな。」

「そうとはかぎらない。(時枝はつづけた。)そういうことを、スマホを手にしている人々が示している、そう世界の見方が変わってきていることを、証しはじめているのじゃないか?」

「人はパンのみに生きるにあらず、ってか?」 島原はもぐもぐと言った。「そりゃキリストなこった。このとんちゃんのおしんこよりも、ヴァーチャルな世界の方がおいしいだって?」 島原はまたひとつ、おしんこを串でとって、見つめた。「たしかに、ありうるな。このおしんこより、スマホ失くす方が一大事だろうからな。」

「その通りだ。一大事だ。」 時枝は口を潤すように、ビールをちょっとだけ、口に含んだ。「なぜなら、そこにはその人固有の記憶が付着している。データ化され、物質的にひきだせるものが大事だというのではない。そういうものなら、クラウドに保存されてもいるだろう。だが、そのデータ総体と、スマホと一緒に過ごしてきたという一事は消えてしまう。つまりはデータの集積は、プラスアルファな余剰を人に与えている。その余分に抱え込んだものの方が、人にとって、いや生き物にとっても、大切なものだ。」

「そうなの?」 島原が、つっけんどんに言う。

「宇宙とは、余りあるものだ。」 時枝は、意に介さないようにつづけた。「全ての物質を足した総体より、宇宙は重い。」

「へっ、」と島原が鼻でふくような声をだす。「ダークマターがあるんだってか?」

「記憶とはなんだ?」 時枝は食べ終わった焼き鳥の串を、右手の長い人差し指でオーケストラの指揮棒のように持ち、チク、タク、と小さく上下に運動させた。「アリの生態の話がさっきでたが、子育ての分担作業をしていたアリだけをとりだしてみても、やはりそのうちの2割だけが働きアリとして外へとでていくようになる。申し合わせはない。アリにとって、外を出歩くとは、感染症の危険にさらされることだから、命がけの散歩だ。そういうアリでも、外敵に出会えば、右往左往し、逃げる。怖いのかもしれない。カマキリだって、人が手をだせば、歯向かってくる。怖いのかもしれない。が、生殖の役割を終えたオスは、メスに食われて死ぬ。怖くないのだろうか? なんの申し合わせもないのに、瞬時にして死を超えたコミュニケーションが成立し、総体が、生態系が納得し、プログラムに従っている。しかしそのプログラムは、データの総体を超えている。DNAに書き込まれているのではない。世界に、宇宙に書き込まれている。人はその法則を、見ることも、知ることもない。量子の観測問題として、そう推測できるだけだ。ハトだったら、目隠しされて移動されたハトは家に帰れなくなるから、どうも目の中での量子現象が、帰巣本能という集団性を実行させているらしいと推定されるだけだ。ならば、こう推定することは、飛躍なのか? ヒトも、戦争を怖がって逃げる、外敵を怖がって戦う、みなで家に帰りたくなる、けれども、メスにむしゃむしゃ食われることは、恐れてはいないと。」

 島原が一瞬押し黙ったようになってから、「知るかっ」と首を振った。「俺は、カマキリは嫌いだからな。一緒にするな。」

「そ、そうだよ。」と慎吾が、おどおどした声をだした。「カマキリのオスみたく食われるのがプログラムだなんて、それじゃ、人間の意志など、問題ないというのかい?」

 時枝が、慎吾の方を向いて、笑い顔をみせた。目を細めている。「やってやる、とか、戦ってやる、とか、反戦だ、とかの意志があるじゃないか。だけど、そんな意志なら、むしゃむしゃ食われているカマキリの方が、偉くないか? 真理はわからない。が、こっちのほうが格好いいとか、すごいとか、実際的な行動の方が重要な場合もあるだろう。」

「行動って……(慎吾は口ごもった。)メスに、食われるって、こと? プログラムは、宇宙は、お、オンナなのかい?」 頓狂な声をあげた。

「アダムとイブを神が創ったという場合、神は女だ、と人間的にはそういう解釈もありうる、という話は成立するだろう。が呼び名ではなく、現実が問題になっている。真理ではなく、真実が大切な場面に直面しているということだ。人間は本当は、食われることを恐れていないのではないか、ということだ。」

 慎吾は、頭を振った。「わからない。俺は……」口までもっていったグラスを、またテーブルにもどした。「俺は、世界が、世の中が怖くてしょうがない。ほんとうに、食われちまうみたいじゃないか……」

 正岐は、下を向いた慎吾の横顔を認めてから、こちらに背を向けた時枝の、その背筋の伸びた青い背中に、池に石ころを投げるみたく、声を落とした。

「ドストエフスキーの作品でも(と正岐はつづけた。)、待ちかまえていたクモにむしゃむしゃ食べられてしまうのが宇宙の真実だ、みたいな話がありましたね。だけど、それは、やはり怖い認識として、説かれていたように思えましたが。……」

 時枝が、ゆっくりと背中の芯をねじって、上体だけをいくぶん、正岐の方へ向けた。

「それは、19世紀の、あくまで大戦まえの近代空間での意識にすぎない。三島由紀夫は、最後の切腹で、ほんの一寸しか腹を切れなかった。無理もない。中世のような緊張した空間は消えて、弛緩した、平和な後世で無理やりな動機を作らなければならなかったのだからな。しかし、二度も世界の廃墟を目の当たりにしてきた人類は、全てをゆだねるようになる。三度目となったら、なおさらだ。世界が滅びようと、この宇宙はなくならないという当たり前の真実を、受け容れざるをえなくなる。」

 正岐は首をかしげた。「建築物は亡くなっても、庭は死なない、という話に似てますね。三島由紀夫にも、『終わらない庭』という認識があるようですけど。」

 時枝は正岐の方に振り返るまでのことはせず、あくまで同じ調子で言葉をついだ。

「正確には、人間の世界とともに、この宇宙も滅ぶ。死なないのは、人にはあずかり知れない宇宙だ。」……そう言ったとき、ガラッと、店のドアが開いた。

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