2024年2月3日土曜日

山田いく子リバイバル(12)

 


200092日 「事件、あるいは出来事」 佐賀町エキシビットスペースにて公演。

 

2000.9.2山田いく子「事件、あるいは出来事」佐賀町エキシビットスペース (youtube.com)

 

徳島県での酒倉公演と同じタイトルものを、大幅にコンセプトを改変し、江原先生以下仲間6人とともに舞台を作っている。一時間二十分を超える大作である。

 

徳島での舞台が、どこかシンボリックな有機的な統合を感じさせるなら、これはアレゴリックな無機質性で分散されている、といえるだろうか。おそらく、そこの場所の差異を、いく子は感じ取って、反応したのではないかと思われる。

 

東京江東区の場所は、ソーホーと呼ばれるところ、いわば、倉庫あとを再利用したものなのであろうか。地方の酒倉と東京の倉庫、その空間の質が、いく子の想像力と構想力を呼びおこした。そしてこの東京での「事件、あるいは出来事」は、想起的であると同時に、予感的である。

 

冒頭、窓辺に1人の女性が、窓の外を見ながら立ち尽くしている。(いく子ではない。)

いく子の日記のような友人へあてた手紙などを読んできている者としては、この窓辺の風景は、いく子がメンタル的な危機を発症させた‘91年、トルコヘ、ニューヨークへと飛び立った当時の心境と重ねあわさざるをえない。いく子は、ニューヨークから書き送る。

 

<何をさがしているの?

ジムジャームッシュが好き 大竹伸郎が好き(NYにこのあいだまで住んでいたはず)。スティングのEnglish in NY。それから……

そんなもん 1週間で 見つかるわけないのにね。

美術館のこと。メトロポリタン美術館より、近代美術館MOMAがいい。すごくいいコレクション。アメリカは19C以降のコレクションにはすぐれています。同封の写真はマチスの絵。タイトルは読んでない。

タイトルは「窓の見える窓」。今年の発表会の私の作品名。

窓の外には車のうずがみえ、人の往来が見える。窓の外にはたぶん出会いがあり、出来事がおこっている。なのに、私には 何も おこらない。>’91.9.24

 

しかしこの危機のほぼ10年後、「出来事」は起こっていた。いく子は、江原先生からか、「単独リサイタル」をやるべきとすすめられている。慕ってくる仲間もいる。だけど、一公演100万円はかかるのだ。いく子の預金の流れをみれば、30万くらいの間をいったりきたりしていて、綱渡り人生である。自分には客はつく。だけどそれは、「保険のおばさん」のようになって、友人や知り合いに声をかけ、チラシを配り、公演後はお礼の電話をかけてきたからだ。知り合いからお金をとってやることは、いいことなのか、と疑問に感じ始めていた。この40歳を過ぎて起きた出会い、事件、出来事を、どうしていったらいいのか?

 

いく子は、窓の外を見る女性に、もはや少女ではない、いい歳をむかえた女性の目を通して、まだ若い頃の、どん底の連続な人生、自分の人生のピークは13歳までであり、それ以降は、文字どおり嵐に見舞われてゆくような軌跡をたどった、人前ではニコニコして弱みを決して見せない「強い姉」を演じていても、その内側は、ぼろぼろだった、拒食症で死んでゆくのだろうとも書きつける。そんな自分は、これから、どこへ行けばよいのか?

 

しかし、彼女が「窓の外」に透視したものは、そんな私小説的な「こと」ではなかった。いく子は、この大きな窓の連なる倉庫あとの空間に、人類の苦難を、ホロコーストを、全体主義を、官僚の世界を、そしてその世界の崩壊とともにズタズタにされて孤立してゆく、人間の世界を見てしまったのだ。

 

ドイツ語の抑揚に似た音声が流れる。まるで、栄養失調でやっと歩けるような男がゆっくりと現れてくる。どこか、ジャコメッティの彫刻「歩く人」を想起させる。三々五々集められた人々が、意味のわからぬまま動く。かとおもうと、集合し、整列し、軍隊のように走りはじめる。ソーホーの空間は、カフカの「審判」のような様を呈してくる。ドイツ語のような抑揚は、フランス語の音声に変わり、恋人との関係や日常生活での風景を前景化させてゆく。女たちが、まるでキャバレーでのように、お客を挑発する。がそんな日常がすすめば進むほど、一人一人が、自己に閉じた世界へと追い込まれてゆく。最初は、ポスター大の紙を、どう工夫すれば遊べるかのような楽しいものだった。しかしそんな個々人の創意工夫で案出されたモナドな世界は、その黒い枠の中へと一人一人を閉じ込めてゆく。もう、この黒い境界から、足を踏み出すことは許されない。この狭い領分から世界とつながり、自由を享受していかねばらない。しかし、そんな世界からも、ひとり、もうひとりと、暗い穴へと落ちてゆく。残された男女は、まるでホロコーストの生き残りのように、自らがこもった黒い狭隘な領分の中へとゆっくり、崩れ落ちてゆく。そして、闇が、やってくる。……

 

これが、いく子の到達したダンスの地点である。もう、未来はなかった。江原先生の公演も、次のもので最後になるだろうと友達に書き送っている。そして、彼女の手紙も、そこで終わる。世界は、インターネットの世界に入っていた。手書きではなく、キーボードからのメール交換へと、いく子も移行したのだろう。そして交換の相手は、もはやダンスの世界の者たちが主要ではなくなっていったろう。いく子は、大阪におもむく。大阪では、NAM創立へ向けての準備がすすめられはじめていたのかもしれない。彼女は大阪のスタジオで、パウル・ツェランの声を導入し、たった一人で立ち、あのあげた両手を大地に叩きつけるパフォーマンスを炸裂させる。

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