ダンス&パンセ

Youtube<ダンス&パンセ> BCCKS<知人書謀>https://bccks.jp/store/201964 にても展開中

2023年1月23日月曜日

葬儀

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   父の葬儀には、父と母の身内にあたる親戚へと連絡をしただけだから、数人が集まるだけだろう。それぞれ五人は越える兄弟姉妹のなかで育ったといっても、すでに他界している兄や姉がいるし、生きている者も高齢だから、そう来られるものでもない。自らが勤める施設で父が亡くなったときも、ほぼ事...
2023年1月15日日曜日

「アートキャンプ白州」とは何だったのか

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  先週、千葉は市原湖畔美術館に、《試展―白州模写「アートキャンプ白州」とは何だったのか》を見にいった。去年の末にスマホでそういう展覧会をやっているのを知った。   いくつか前のこのブログで、杉田俊介著『橋川文三とその浪曼』の感想を綴ったが、その中で、文芸批評家・中島一夫...
2023年1月7日土曜日

柄谷行人著『力と交換様式』(岩波書店)を読む

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「人間という種がもつ驚異と独自性は、弱者の生き残りに由来する。病人を看護するという習慣がなければ、人類一般における不具者と弱者が文化と文明の高みに達することはできなかったであろう。部族の男たちが戦場におもむくとき、背後にとどまらざるをえなかった傷病者が、おそらく最初の語り部、教...
2023年1月2日月曜日

エマニュエル・トッド著『我々はどこから来て、いまどこに居るのか?』――ノート(8)

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  エマニュエル・トッド著の『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』(堀茂樹訳 文藝春秋)の抜粋。引用後の()内は上下巻とページ数。誤字脱字もあるだろう。抜粋後に、すでにこのブログで言及してきたページの参照リンクをつける。トッド・ノートの何番目に当たるのかわからなくなってしまっ...
2022年12月31日土曜日

『対論 1968』(笠井潔・絓秀実・外山恒一著 集英社新書)を読む

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 「対論」を行なっている笠井潔氏と絓秀実氏の作品は、 1980 年代後半頃の早稲田大二文の学生であった時から、読んではいる。が当時、その二氏が活動家だったということは知らなかった。あくまで、文学なり思想的な営みの延長として受容していた。それどころか、早稲田大の文学部の講師として、...
2022年12月24日土曜日

考える葦

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人間は考える葦である、我思う故に我在り、とは、文字通りな意味でそうなんだな、と思う。すなわち人は、考えられなくなったら、死んでしまうのだ。ダンサーは体を動かすことで、絵描きは絵を描くことで、物書きは物を書くことで、考えている。踊れなくなる、描けなくなる、書けなくなることは、そのま...
2022年12月17日土曜日

引用;秋山清著『昼夜なく アナキスト詩人の青春』(筑摩書房 1986年)

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  『昼夜なく アナキスト詩人の青春』より「下落合、上高田」   <ことのついでに、その頃親しみを持っていた乞食村の人々のことを、ここで少し語ってみよう。ちょうどいい機会だし、彼らについて何かを語る人は、めったにあるまいから。  上落合の火葬場に近い、北向きの崖の中途に彼...
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木上の思考

菅原正樹
本名(鈴木正樹) 1967年生まれ。群馬県出身。高崎高校、早稲田大学第二文学部卒業。植木職人。(1級造園施工管理技師) 自著;『曖昧な時節の最中で』(近代文藝社)・『書かれるべきでない小説のためのエピローグ』(新風舎)、BCCKSより、知人書房として電子出版試作中。 *カニングハムは、「振り付けするとはダンサーがぶつからないようにすることだ」と言っている。盆栽に象徴される日本の植木の仕立ての技術とは、枝が交差し絡み、ぶつからないよう偶然を準備していくことにある。自然に気づかれないで、いかに生起してくるaccidentを馴化していくかの工夫なのだ。たとえ西洋のトピアリーのような造形をめざさないことに文化的な価値の規定を受けていようと、そこには特殊にとどまらない普遍的な対応がある。芥川が「筋のない話」として日本の私小説の困難な特異さと歴史的前衛性を洞察したことが、日本の植木職人の技術のなかにも潜在するのである。
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